強欲の旅人は神の恩恵を受けない   作:ルクエリシオン

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第34話 砂漠の霧酒

 翌朝。

 

 バンは、目を覚ました瞬間から退屈していた。

 

 宿の一室には、窓から差し込む朝日と、通りを行き交う商人たちの声が入り込んでいる。

 

 荷車の車輪が石畳を転がる音。

 

 荷役獣の鳴き声。

 

 露店を開く商人たちの呼び声。

 

 夜明けから活動を始める交易都市は、すでに昨日の夕方と変わらぬ賑わいを見せていた。

 

 その音を聞きながら、バンは寝台の上で何度目か分からない寝返りを打つ。

 

 右腕は布で固定されたままだった。

 

「暇だな」

 

 返事はない。

 

 向かいの寝台では、ザルドが壁に背を預けて腕を組んでいる。

 

 目を閉じているものの、眠ってはいない。

 

「なぁ、ザルド」

 

「なんだ」

 

「暇だな」

 

「寝ていろ」

 

「もう寝た」

 

「なら、もう一度寝ろ」

 

「眠くねぇんだよ」

 

「目を閉じていれば、そのうち眠くなる」

 

「年寄りみてぇなこと言うなよ」

 

 ザルドが片目を開く。

 

「ならば右腕を治せ」

 

「気合いで治るなら、とっくに治してるぜ」

 

「静かに休んでいれば早く治る」

 

「昨日からそればっかりじゃねぇか」

 

「同じことを何度も言わせているのはお前だ」

 

 バンは天井を見上げ、大きく息を吐いた。

 

 隣の部屋にはアルフィアがいる。

 

 体調を考え、昨夜は一人で静かに休める部屋を取ったのだ。

 

 ただし本人は、特別扱いなど不要だと言い張っていた。

 

 その言葉とは裏腹に、部屋へ運ばれてから一度も外へ出てきていない。

 

「アルフィアはまだ寝てんのか?」

 

「恐らくな」

 

「様子を見てきた方がいいんじゃねぇか?」

 

「起こせば殺されるぞ」

 

「お前なら慣れてんだろ」

 

「殺されることに慣れる奴がいるか」

 

「昔のオレなら慣れてたぜ」

 

「自慢にならん」

 

 バンは上半身を起こした。

 

 窓の外を眺める。

 

 色とりどりの日除け布の下に、朝市の露店が並び始めていた。

 

 果物、香辛料、装飾品、武器、革製品。

 

 遠目からでも分かるほど、通りは多くの品物で埋め尽くされている。

 

「ちょっと散歩してくる」

 

「寝ていろ」

 

「身体を動かさねぇと、逆に鈍っちまう」

 

「昨日、治療師に右腕だけでなく身体も休めろと言われただろう」

 

「歩くぐらいなら平気だって」

 

「お前の『平気』ほど信用できない言葉はない」

 

「じゃあ一緒に来いよ」

 

「断る」

 

「宿で一日中、壁を眺めて過ごすつもりか?」

 

「必要ならそうする」

 

「つまんねぇ人生だな」

 

「生き急いで腕を壊すよりはましだ」

 

 バンは寝台から立ち上がった。

 

 上着を左手だけで器用に羽織る。

 

 ザルドは深いため息を吐いた。

 

「どこへ行く」

 

「市場だよ」

 

「酒場ではないだろうな」

 

「朝っぱらから酒なんて飲まねぇよ」

 

「昨日、夕食の席で一口だけなら朝でも飲めると言っていた」

 

「よく覚えてんな」

 

「答えろ」

 

「市場を見るだけだって」

 

「酒を買うな」

 

「見るだけだ」

 

「買うな」

 

「分かったよ」

 

「飲むな」

 

「しつけぇな」

 

 バンが扉へ手を伸ばした、その時だった。

 

 扉の向こうから、低く冷たい声が響く。

 

「朝から何を騒いでいる」

 

 扉が開いた。

 

 黒い長衣に身を包んだアルフィアが立っている。

 

 顔色は昨日より幾分よくなっていたものの、まだ普段の鋭さには程遠い。

 

 それでも背筋は伸び、弱っている姿を他人に見せまいとしていた。

 

「おっ、起きたのか」

 

「お前の声は壁一枚程度では遮れん。目覚めとしては最低の不協和音だ」

 

「体調はどうだ?」

 

「お前に心配されるほど落ちぶれてはいない」

 

「なら元気そうだな」

 

「そう見えるなら、お前の目は飾りだ」

 

 アルフィアは部屋の中へ入り、椅子に腰掛ける。

 

 動作は落ち着いていたが、座る直前にほんのわずか足元が揺れた。

 

 ザルドが手を伸ばしかける。

 

「触るな」

 

「まだ何もしていない」

 

「今、手を伸ばしただろう」

 

「倒れるかと思っただけだ」

 

「私が倒れる前に、お前の方が床へ沈む」

 

「それだけ喋れるなら、昨日よりはましだな」

 

「貴様に診断される筋合いはない」

 

 バンは二人の様子を眺め、にやりと笑った。

 

「ちょうどよかった。三人で市場へ行こうぜ」

 

「断る」

 

 アルフィアが即答する。

 

「早ぇな」

 

「人間と獣の声が無秩序に響く場所へ、なぜ好き好んで出向かなければならない」

 

「珍しいもんが色々あるぜ」

 

「興味はない」

 

「甘い菓子も売ってるみたいだぞ」

 

 アルフィアの視線が、ほんの一瞬だけ窓の外へ動いた。

 

 バンは見逃さなかった。

 

「ほら、気になってんじゃねぇか」

 

「気のせいだ」

 

「昨日、宿の主人が言ってたぜ。ナツメヤシの実を蜜で固めた菓子が名物だって」

 

「だからどうした」

 

「食べたくねぇのか?」

 

「必要ない」

 

「じゃあオレとザルドで食ってくるか」

 

「俺を勝手に含めるな」

 

「ザルドも甘いもん食うだろ?」

 

「出されれば食う」

 

「決まりだな」

 

「何も決まっていない」

 

 アルフィアは腕を組み、窓の外へ顔を背けた。

 

 その沈黙を肯定と受け取ったバンは、楽しそうに笑う。

 

「ほら、行こうぜ」

 

「私は行かん」

 

「じゃあ土産を買ってくる」

 

「いらん」

 

「どれがいい?」

 

「いらんと言っている」

 

「蜜漬けの果物か、焼き菓子か――」

 

「くどいぞ」

 

「選ばねぇなら、全部買ってくるか」

 

 アルフィアの眉が動いた。

 

「食べ物を無駄にするな」

 

「じゃあ一緒に選べよ」

 

「……くだらん」

 

 そう吐き捨てながら、アルフィアは椅子から立ち上がった。

 

 バンが口元を緩める。

 

「行くのか?」

 

「貴様らだけで出歩かせれば、不要な品まで買い込むのが目に見えている。監視するだけだ」

 

「はいはい」

 

「その返事をやめろ」

 

「じゃあ、へいへい」

 

「同じだ」

 

 三人は宿を出た。

 

 朝のリオードは、夕刻とは異なる熱気に満ちていた。

 

 三メートルほどの城壁に囲まれた街の南側からは、砂漠船が続々と到着している。

 

 荷下ろしされた品々は、荷車へ積み替えられ、市場へと運び込まれていた。

 

 細い路地の両側には露店が隙間なく並んでいる。

 

 赤や黄色の香辛料を山のように盛った店。

 

 宝石を縫い付けた薄布を扱う店。

 

 砂漠の魔物から剥いだ皮や牙を並べる素材店。

 

 異国の文字が刻まれた武器を売る露店。

 

 道を歩くだけで、目に入るものが次々と変わっていく。

 

「こいつは面白ぇな」

 

 バンが露店を覗き込む。

 

 台の上には、湾曲した短剣が何本も並んでいた。

 

「旅の方、お目が高い!」

 

 店主の男がすかさず声をかける。

 

「これは砂漠東部の名工が鍛えた一品! どんな魔物の皮も、触れただけで切り裂く業物です!」

 

 バンは短剣を一本手に取った。

 

 左手で軽く持ち上げ、刃を眺める。

 

「刃先が曲がってるぜ」

 

 店主の顔が固まる。

 

「そ、それは砂漠で戦いやすくするための特殊な形で――」

 

「違ぇよ。雑に打ったせいで歪んでんだ」

 

「そのようなことは――」

 

「重心も悪ぃ。これで突いたら、手首を痛めるな」

 

 バンが短剣を台へ戻す。

 

 店主は言葉を失っていた。

 

 ザルドが別の大剣を一瞥する。

 

「そちらも鈍らだ」

 

「なっ……!」

 

「刃が厚いだけで、芯が通っていない。二度も打ち合えば折れる」

 

「貴様ら、商売の邪魔をする気か!」

 

 怒鳴る店主に、アルフィアが冷たい視線を向けた。

 

「粗悪品を業物と偽る詐欺師が、随分と耳障りな声を出す」

 

「なんだと!?」

 

「理解できなかったか? ならば、知性まで粗悪品らしいな」

 

「女、言わせておけば――」

 

 店主が台の奥から身を乗り出した。

 

 その瞬間、アルフィアの周囲の空気がわずかに震える。

 

「次に雑音を響かせてみろ」

 

 声は静かだった。

 

 それにもかかわらず、店主の顔から血の気が引いていく。

 

「その舌が二度と動かぬ静寂を与えてやる」

 

 店主は口を閉じた。

 

 三人は何事もなかったように店を離れる。

 

「体調悪い奴が殺気を出すなよ」

 

 バンが言う。

 

「殺気など向けていない。警告しただけだ」

 

「あれで警告か」

 

「本気なら店ごと消えている」

 

「そうだったな」

 

 市場の中心へ近づくほど、人の数は増えていった。

 

 バンは流れるように人混みの間を進む。

 

 片腕が使えないにもかかわらず、人や荷物にぶつかる気配はない。

 

 一方、巨体のザルドが歩くと、周囲の人間が自然と道を空けた。

 

 その後ろを歩くアルフィアにも、誰も近づこうとはしない。

 

 三人が並んで歩くだけで、人混みの中に一本の道が出来上がっていた。

 

「便利だな、お前ら」

 

「何がだ」

 

「勝手に道が空く」

 

「お前も大して変わらんだろう」

 

「オレは親しみやすいだろ?」

 

「鏡を見ろ」

 

 やがて、通りの一角から甘い香りが漂ってきた。

 

 大きな天幕の下で、様々な菓子が売られている。

 

 黄金色に焼かれた薄い生地。

 

 蜜を絡めた木の実。

 

 砂糖をまぶした乾燥果物。

 

 その中央には、ナツメヤシの実を潰し、香草と木の実を混ぜて丸めた小さな菓子が積まれていた。

 

「これだな」

 

 バンが足を止める。

 

 アルフィアも何も言わず、菓子へ目を向けた。

 

 店番をしていた老女が微笑む。

 

「旅のお方かい? 味見していきな」

 

 老女は小さな菓子を三つ差し出した。

 

 バンが一つ取って口へ入れる。

 

「甘ぇな」

 

 ねっとりとした果実の甘さに、砕いた木の実の香ばしさが加わっている。

 

 ほのかに混ぜられた香草が後味を軽くしていた。

 

 ザルドも一つ口に入れる。

 

「悪くない」

 

「兄さんはもっと食べそうな身体をしてるねぇ」

 

「食べようと思えば、この店の分はすべて食える」

 

「張り合うところじゃねぇだろ」

 

 最後に、老女がアルフィアへ菓子を差し出す。

 

 アルフィアはしばらく見つめていた。

 

「毒はないだろうな」

 

「そんなものを入れたら商売にならないよ」

 

「確かにな」

 

 アルフィアは菓子を受け取り、小さくかじった。

 

 表情は変わらない。

 

「どうだ?」

 

 バンが尋ねる。

 

「甘すぎる」

 

「嫌いか?」

 

「そうは言っていない」

 

「じゃあ気に入ったんだな」

 

「お前はなぜ、言葉を勝手に歪める」

 

 そう言いながらも、アルフィアは残りを食べ切った。

 

 バンは袋いっぱいの菓子を購入する。

 

「そんなに要らん」

 

「ザルドも食うだろ」

 

「俺を理由にするな」

 

「余ったら夜に食えばいい」

 

「お前が食べる気だろう」

 

「怪我人には栄養が必要なんだよ」

 

「砂糖を栄養と呼ぶな」

 

 三人が店を離れようとした時だった。

 

「おい! 待て!」

 

 背後で少年の声が上がった。

 

 振り返ると、十歳ほどの獣人の少年が、二人組の男に腕を掴まれていた。

 

 少年の手には、小さな革袋が握られている。

 

「俺の金を盗みやがったな!」

 

 男の一人が怒鳴る。

 

「違う! これは俺のだ!」

 

「嘘をつけ! 俺の袋と同じじゃねぇか!」

 

 騒ぎを聞きつけ、周囲に人が集まり始める。

 

 少年は必死に革袋を胸へ抱え込んでいた。

 

「母ちゃんの薬を買う金なんだ! 離せよ!」

 

「盗人が言い訳するな!」

 

 男が少年の頬を殴ろうと腕を振り上げる。

 

 その手首を、バンの左手が掴んだ。

 

「子供相手に随分と威勢がいいじゃねぇか」

 

「なんだ、てめぇは!」

 

「通りすがりの怪我人だよ」

 

「関係ねぇ奴は引っ込んでろ!」

 

「その袋、お前のなんだよな?」

 

「そうだ!」

 

「中身は?」

 

「金貨が三枚と銀貨が――」

 

 男が口を止める。

 

 バンの笑みが深くなった。

 

「どうした?」

 

「銀貨が十枚だ!」

 

「少年は?」

 

 バンが少年へ尋ねる。

 

「銀貨が七枚と、銅貨が五枚。それと、青い薬草を買うための紙が入ってる」

 

「だそうだ」

 

「ガキの言うことなんざ信じられるか!」

 

「なら開けりゃ分かるな」

 

 バンが革袋を受け取ろうとする。

 

 男は慌てて手を伸ばした。

 

「待て! 俺の金だ、俺が確かめる!」

 

「ずいぶん焦ってんな」

 

「当たり前だ!」

 

 その瞬間。

 

 男の懐から、別の革袋が地面へ落ちた。

 

 口が開き、中から金貨三枚と銀貨十枚が転がる。

 

 周囲がざわめいた。

 

「お前の袋、そっちじゃねぇか?」

 

 バンが笑う。

 

「こ、これは……!」

 

「最初から少年の袋を狙ってたんだろ」

 

「違う!」

 

「なら、なぜ自分の袋を持ってるのに、他人の袋を自分のものだと言った?」

 

「それは――」

 

 男が言葉を失う。

 

 連れの男が人混みをかき分け、逃げ出そうとした。

 

 だが、一歩進んだところで足が止まる。

 

 その眼前に、ザルドが立っていた。

 

「どこへ行く」

 

「ど、どけ!」

 

 男が短剣を抜く。

 

 ザルドは避けようともしなかった。

 

 短剣の刃を指で挟み、そのままへし折る。

 

 乾いた金属音が響いた。

 

「ひっ……!」

 

「刃を向けたな」

 

 ザルドの低い声に、男は腰を抜かした。

 

 もう一人も逃げようとしたが、アルフィアの声がそれを止める。

 

「動くな」

 

 男の身体が凍りついた。

 

「くだらん猿芝居で朝の静寂を汚した罪は重い。これ以上、醜い音を重ねるな」

 

 二人組は完全に抵抗する気を失った。

 

 間もなく市場の衛兵が駆けつけ、男たちを連行していく。

 

 周囲の人々も、事の顛末を見届けると徐々に散っていった。

 

 獣人の少年は革袋を抱え、バンを見上げる。

 

「ありがとう、兄ちゃん」

 

「ちゃんと中身を確認しとけよ」

 

 少年が袋を開く。

 

 中には、銀貨七枚、銅貨五枚、そして薬草の名前が書かれた紙が入っていた。

 

「全部ある!」

 

「そいつはよかった」

 

「でも、どうしてあいつがもう一つ袋を持ってるって分かったんだ?」

 

 少年の問いに、バンは肩をすくめる。

 

「歩き方だよ。片方の懐だけ、妙に重そうだった」

 

「それだけ?」

 

「あとは勘だな」

 

 少年は感心したように目を輝かせた。

 

 だが、ザルドはバンの左手を見ている。

 

「今、何かしたな」

 

「何のことだ?」

 

「男の懐にあった袋を落としただろう」

 

「さぁな」

 

「右腕が使えなくとも、魔力は使えるということか」

 

 バンは答えず、にやりと笑った。

 

 遠くにある物を引き寄せることができる魔力、強奪。

 

 懐から袋を少しずらし、地面へ落とす程度なら、傷ついた右腕を使う必要はない。

 

 アルフィアが鼻を鳴らす。

 

「回りくどい真似をする」

 

「殴ったら腕に響くだろ?」

 

「初めから衛兵へ突き出せばいい」

 

「証拠がなきゃ面倒じゃねぇか」

 

「二人とも黙れ」

 

 ザルドが少年へ向き直る。

 

「薬を買いに行け。次は袋を服の内側に入れておけ」

 

「う、うん!」

 

 少年は何度も頭を下げ、人混みの中へ走っていった。

 

 その背中を見送った後、バンたちは再び市場を歩き始める。

 

「結局、騒ぎに首を突っ込んだな」

 

 ザルドが言う。

 

「見過ごす方が寝覚め悪ぃだろ」

 

「右腕を使わなかった点だけは評価してやる」

 

「珍しく褒めるじゃねぇか」

 

「魔力を使った時点で減点だ」

 

「厳しいねぇ」

 

 アルフィアは無言で歩いていた。

 

 バンが横目で見る。

 

「どうした?」

 

「何がだ」

 

「さっきから静かじゃねぇか」

 

「静かなことに何の問題がある。むしろ理想的だ」

 

「具合悪くなったか?」

 

「違う」

 

「ならいいけどよ」

 

 アルフィアは少しだけ歩調を緩めた。

 

「ただの感想だ」

 

「何の?」

 

「お前は盗人の力を、人を救うために使うのだな」

 

 バンは一瞬だけ目を細めた。

 

「盗人だからな。気に入らねぇ奴から奪って、気に入った奴に渡す。それだけだ」

 

「身勝手な理屈だ」

 

「ああ」

 

「だが、嫌いではない」

 

 アルフィアは前を向いたまま言った。

 

 バンは驚いたように彼女を見る。

 

「今、褒めたか?」

 

「聞き違いだ」

 

「いや、絶対褒めたよな?」

 

「次に口を開けば、舌を奪う」

 

「そりゃオレの専売特許だぜ」

 

「なら、声帯を消す」

 

「怖ぇなぁ」

 

 市場を一回りした三人は、昼前に宿へ戻った。

 

 バンの左手には菓子の袋。

 

 ザルドは薬草と、宿で料理に使うための香辛料を抱えている。

 

 アルフィアは何も持っていない。

 

 正確には、持とうとしなかった。

 

「結局、いろいろ買ったな」

 

 バンが机へ荷物を置く。

 

「お前が不要なものまで買おうとするからだ」

 

 アルフィアが椅子へ腰掛ける。

 

「怪しい短剣とか、砂漠トカゲの干物とか面白そうだっただろ?」

 

「鈍らと保存食を、何に使うつもりだった」

 

「何かに使えるかもしれねぇ」

 

「その思考で物を増やすな」

 

 ザルドが香辛料の包みを机へ置く。

 

「昼は俺が作る」

 

「宿の料理でいいじゃねぇか」

 

「昨日の煮込みを再現する」

 

「できんのか?」

 

「見れば大体分かる」

 

 バンが感心したように口笛を吹く。

 

「本当に料理できるんだな」

 

「疑っていたのか」

 

「お前が厨房に立つ姿、似合わねぇからな」

 

「食わせなくてもいいんだぞ」

 

「悪かった」

 

 アルフィアは菓子の袋へ視線を向けた。

 

 バンはそれに気づき、一つ取り出して差し出す。

 

「食うか?」

 

「いらん」

 

「そうか」

 

 バンが自分の口へ入れようとする。

 

「待て」

 

「なんだよ」

 

「昼食前に甘味を食べれば、味覚が鈍る」

 

「じゃあ後で食うか?」

 

「好きにしろ」

 

「お前の分、残しとくぜ」

 

「必要ない」

 

 そう答えたアルフィアの前へ、バンは菓子を一つ置いた。

 

 彼女は冷たい目でそれを見つめる。

 

「いらんと言ったはずだ」

 

「オレが食えなくなった時のために預けとく」

 

「今すぐ食べられるだろう」

 

「片腕だと、食べるのも疲れんだよ」

 

「先ほどは器用に食べていたな」

 

「気のせいだ」

 

「くだらん嘘をつくな」

 

 文句を言いながらも、アルフィアは菓子を返さなかった。

 

 ザルドは二人のやり取りを横目に、厨房へ向かう。

 

「騒ぐなら外でやれ」

 

「お前が一番でけぇ声だろ」

 

「黙れ」

 

「朝からそればっかだな」

 

 宿の窓から、オアシスの水面が見える。

 

 強い日差しを受け、青い水が宝石のように輝いていた。

 

 街の向こうでは、砂漠船が新たな旅人を運び込んでいる。

 

 大きな戦いを終えた三人にとって、それは何の変哲もない一日の始まりだった。

 

 敵もいない。

 

 命を懸ける必要もない。

 

 ただ街を歩き、菓子を買い、小さな騒ぎへ首を突っ込んだだけ。

 

 その程度の一日を過ごせることが、どれほど貴重なことなのか。

 

 三人のうち、誰も口にはしなかった。

 

 やがて厨房から、肉を焼く香ばしい匂いが漂ってくる。

 

 バンが椅子へ深く腰掛けた。

 

「昼飯の後は、昼寝でもすっかな」

 

「最初からそうしていろ」

 

 アルフィアが答える。

 

「その前に、昨日の酒を一口だけ――」

 

「駄目だ」

 

「却下だ」

 

 ザルドとアルフィアの声が同時に響いた。

 

 バンは肩をすくめる。

 

「息ぴったりだな、お前ら」

 

「黙れ」

 

「消えろ」

 

 今日もリオードの一日は、騒がしく過ぎていった。




最後までお読みいただき、ありがとうございます。

今回はリオードの朝市を舞台に、三人が街を歩く日常回となりました。

怪我をしていても宿で大人しくしていられないバン、口では文句を言いながら二人を見張るアルフィア、そして何だかんだ全員の体調を気にしているザルド。それぞれの性格と距離感が伝わるよう意識しました。

ナツメヤシの菓子を「甘すぎる」と評しながら、きちんと最後まで食べるアルフィアが今回のお気に入りです。
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