翌朝。
バンは、目を覚ました瞬間から退屈していた。
宿の一室には、窓から差し込む朝日と、通りを行き交う商人たちの声が入り込んでいる。
荷車の車輪が石畳を転がる音。
荷役獣の鳴き声。
露店を開く商人たちの呼び声。
夜明けから活動を始める交易都市は、すでに昨日の夕方と変わらぬ賑わいを見せていた。
その音を聞きながら、バンは寝台の上で何度目か分からない寝返りを打つ。
右腕は布で固定されたままだった。
「暇だな」
返事はない。
向かいの寝台では、ザルドが壁に背を預けて腕を組んでいる。
目を閉じているものの、眠ってはいない。
「なぁ、ザルド」
「なんだ」
「暇だな」
「寝ていろ」
「もう寝た」
「なら、もう一度寝ろ」
「眠くねぇんだよ」
「目を閉じていれば、そのうち眠くなる」
「年寄りみてぇなこと言うなよ」
ザルドが片目を開く。
「ならば右腕を治せ」
「気合いで治るなら、とっくに治してるぜ」
「静かに休んでいれば早く治る」
「昨日からそればっかりじゃねぇか」
「同じことを何度も言わせているのはお前だ」
バンは天井を見上げ、大きく息を吐いた。
隣の部屋にはアルフィアがいる。
体調を考え、昨夜は一人で静かに休める部屋を取ったのだ。
ただし本人は、特別扱いなど不要だと言い張っていた。
その言葉とは裏腹に、部屋へ運ばれてから一度も外へ出てきていない。
「アルフィアはまだ寝てんのか?」
「恐らくな」
「様子を見てきた方がいいんじゃねぇか?」
「起こせば殺されるぞ」
「お前なら慣れてんだろ」
「殺されることに慣れる奴がいるか」
「昔のオレなら慣れてたぜ」
「自慢にならん」
バンは上半身を起こした。
窓の外を眺める。
色とりどりの日除け布の下に、朝市の露店が並び始めていた。
果物、香辛料、装飾品、武器、革製品。
遠目からでも分かるほど、通りは多くの品物で埋め尽くされている。
「ちょっと散歩してくる」
「寝ていろ」
「身体を動かさねぇと、逆に鈍っちまう」
「昨日、治療師に右腕だけでなく身体も休めろと言われただろう」
「歩くぐらいなら平気だって」
「お前の『平気』ほど信用できない言葉はない」
「じゃあ一緒に来いよ」
「断る」
「宿で一日中、壁を眺めて過ごすつもりか?」
「必要ならそうする」
「つまんねぇ人生だな」
「生き急いで腕を壊すよりはましだ」
バンは寝台から立ち上がった。
上着を左手だけで器用に羽織る。
ザルドは深いため息を吐いた。
「どこへ行く」
「市場だよ」
「酒場ではないだろうな」
「朝っぱらから酒なんて飲まねぇよ」
「昨日、夕食の席で一口だけなら朝でも飲めると言っていた」
「よく覚えてんな」
「答えろ」
「市場を見るだけだって」
「酒を買うな」
「見るだけだ」
「買うな」
「分かったよ」
「飲むな」
「しつけぇな」
バンが扉へ手を伸ばした、その時だった。
扉の向こうから、低く冷たい声が響く。
「朝から何を騒いでいる」
扉が開いた。
黒い長衣に身を包んだアルフィアが立っている。
顔色は昨日より幾分よくなっていたものの、まだ普段の鋭さには程遠い。
それでも背筋は伸び、弱っている姿を他人に見せまいとしていた。
「おっ、起きたのか」
「お前の声は壁一枚程度では遮れん。目覚めとしては最低の不協和音だ」
「体調はどうだ?」
「お前に心配されるほど落ちぶれてはいない」
「なら元気そうだな」
「そう見えるなら、お前の目は飾りだ」
アルフィアは部屋の中へ入り、椅子に腰掛ける。
動作は落ち着いていたが、座る直前にほんのわずか足元が揺れた。
ザルドが手を伸ばしかける。
「触るな」
「まだ何もしていない」
「今、手を伸ばしただろう」
「倒れるかと思っただけだ」
「私が倒れる前に、お前の方が床へ沈む」
「それだけ喋れるなら、昨日よりはましだな」
「貴様に診断される筋合いはない」
バンは二人の様子を眺め、にやりと笑った。
「ちょうどよかった。三人で市場へ行こうぜ」
「断る」
アルフィアが即答する。
「早ぇな」
「人間と獣の声が無秩序に響く場所へ、なぜ好き好んで出向かなければならない」
「珍しいもんが色々あるぜ」
「興味はない」
「甘い菓子も売ってるみたいだぞ」
アルフィアの視線が、ほんの一瞬だけ窓の外へ動いた。
バンは見逃さなかった。
「ほら、気になってんじゃねぇか」
「気のせいだ」
「昨日、宿の主人が言ってたぜ。ナツメヤシの実を蜜で固めた菓子が名物だって」
「だからどうした」
「食べたくねぇのか?」
「必要ない」
「じゃあオレとザルドで食ってくるか」
「俺を勝手に含めるな」
「ザルドも甘いもん食うだろ?」
「出されれば食う」
「決まりだな」
「何も決まっていない」
アルフィアは腕を組み、窓の外へ顔を背けた。
その沈黙を肯定と受け取ったバンは、楽しそうに笑う。
「ほら、行こうぜ」
「私は行かん」
「じゃあ土産を買ってくる」
「いらん」
「どれがいい?」
「いらんと言っている」
「蜜漬けの果物か、焼き菓子か――」
「くどいぞ」
「選ばねぇなら、全部買ってくるか」
アルフィアの眉が動いた。
「食べ物を無駄にするな」
「じゃあ一緒に選べよ」
「……くだらん」
そう吐き捨てながら、アルフィアは椅子から立ち上がった。
バンが口元を緩める。
「行くのか?」
「貴様らだけで出歩かせれば、不要な品まで買い込むのが目に見えている。監視するだけだ」
「はいはい」
「その返事をやめろ」
「じゃあ、へいへい」
「同じだ」
三人は宿を出た。
朝のリオードは、夕刻とは異なる熱気に満ちていた。
三メートルほどの城壁に囲まれた街の南側からは、砂漠船が続々と到着している。
荷下ろしされた品々は、荷車へ積み替えられ、市場へと運び込まれていた。
細い路地の両側には露店が隙間なく並んでいる。
赤や黄色の香辛料を山のように盛った店。
宝石を縫い付けた薄布を扱う店。
砂漠の魔物から剥いだ皮や牙を並べる素材店。
異国の文字が刻まれた武器を売る露店。
道を歩くだけで、目に入るものが次々と変わっていく。
「こいつは面白ぇな」
バンが露店を覗き込む。
台の上には、湾曲した短剣が何本も並んでいた。
「旅の方、お目が高い!」
店主の男がすかさず声をかける。
「これは砂漠東部の名工が鍛えた一品! どんな魔物の皮も、触れただけで切り裂く業物です!」
バンは短剣を一本手に取った。
左手で軽く持ち上げ、刃を眺める。
「刃先が曲がってるぜ」
店主の顔が固まる。
「そ、それは砂漠で戦いやすくするための特殊な形で――」
「違ぇよ。雑に打ったせいで歪んでんだ」
「そのようなことは――」
「重心も悪ぃ。これで突いたら、手首を痛めるな」
バンが短剣を台へ戻す。
店主は言葉を失っていた。
ザルドが別の大剣を一瞥する。
「そちらも鈍らだ」
「なっ……!」
「刃が厚いだけで、芯が通っていない。二度も打ち合えば折れる」
「貴様ら、商売の邪魔をする気か!」
怒鳴る店主に、アルフィアが冷たい視線を向けた。
「粗悪品を業物と偽る詐欺師が、随分と耳障りな声を出す」
「なんだと!?」
「理解できなかったか? ならば、知性まで粗悪品らしいな」
「女、言わせておけば――」
店主が台の奥から身を乗り出した。
その瞬間、アルフィアの周囲の空気がわずかに震える。
「次に雑音を響かせてみろ」
声は静かだった。
それにもかかわらず、店主の顔から血の気が引いていく。
「その舌が二度と動かぬ静寂を与えてやる」
店主は口を閉じた。
三人は何事もなかったように店を離れる。
「体調悪い奴が殺気を出すなよ」
バンが言う。
「殺気など向けていない。警告しただけだ」
「あれで警告か」
「本気なら店ごと消えている」
「そうだったな」
市場の中心へ近づくほど、人の数は増えていった。
バンは流れるように人混みの間を進む。
片腕が使えないにもかかわらず、人や荷物にぶつかる気配はない。
一方、巨体のザルドが歩くと、周囲の人間が自然と道を空けた。
その後ろを歩くアルフィアにも、誰も近づこうとはしない。
三人が並んで歩くだけで、人混みの中に一本の道が出来上がっていた。
「便利だな、お前ら」
「何がだ」
「勝手に道が空く」
「お前も大して変わらんだろう」
「オレは親しみやすいだろ?」
「鏡を見ろ」
やがて、通りの一角から甘い香りが漂ってきた。
大きな天幕の下で、様々な菓子が売られている。
黄金色に焼かれた薄い生地。
蜜を絡めた木の実。
砂糖をまぶした乾燥果物。
その中央には、ナツメヤシの実を潰し、香草と木の実を混ぜて丸めた小さな菓子が積まれていた。
「これだな」
バンが足を止める。
アルフィアも何も言わず、菓子へ目を向けた。
店番をしていた老女が微笑む。
「旅のお方かい? 味見していきな」
老女は小さな菓子を三つ差し出した。
バンが一つ取って口へ入れる。
「甘ぇな」
ねっとりとした果実の甘さに、砕いた木の実の香ばしさが加わっている。
ほのかに混ぜられた香草が後味を軽くしていた。
ザルドも一つ口に入れる。
「悪くない」
「兄さんはもっと食べそうな身体をしてるねぇ」
「食べようと思えば、この店の分はすべて食える」
「張り合うところじゃねぇだろ」
最後に、老女がアルフィアへ菓子を差し出す。
アルフィアはしばらく見つめていた。
「毒はないだろうな」
「そんなものを入れたら商売にならないよ」
「確かにな」
アルフィアは菓子を受け取り、小さくかじった。
表情は変わらない。
「どうだ?」
バンが尋ねる。
「甘すぎる」
「嫌いか?」
「そうは言っていない」
「じゃあ気に入ったんだな」
「お前はなぜ、言葉を勝手に歪める」
そう言いながらも、アルフィアは残りを食べ切った。
バンは袋いっぱいの菓子を購入する。
「そんなに要らん」
「ザルドも食うだろ」
「俺を理由にするな」
「余ったら夜に食えばいい」
「お前が食べる気だろう」
「怪我人には栄養が必要なんだよ」
「砂糖を栄養と呼ぶな」
三人が店を離れようとした時だった。
「おい! 待て!」
背後で少年の声が上がった。
振り返ると、十歳ほどの獣人の少年が、二人組の男に腕を掴まれていた。
少年の手には、小さな革袋が握られている。
「俺の金を盗みやがったな!」
男の一人が怒鳴る。
「違う! これは俺のだ!」
「嘘をつけ! 俺の袋と同じじゃねぇか!」
騒ぎを聞きつけ、周囲に人が集まり始める。
少年は必死に革袋を胸へ抱え込んでいた。
「母ちゃんの薬を買う金なんだ! 離せよ!」
「盗人が言い訳するな!」
男が少年の頬を殴ろうと腕を振り上げる。
その手首を、バンの左手が掴んだ。
「子供相手に随分と威勢がいいじゃねぇか」
「なんだ、てめぇは!」
「通りすがりの怪我人だよ」
「関係ねぇ奴は引っ込んでろ!」
「その袋、お前のなんだよな?」
「そうだ!」
「中身は?」
「金貨が三枚と銀貨が――」
男が口を止める。
バンの笑みが深くなった。
「どうした?」
「銀貨が十枚だ!」
「少年は?」
バンが少年へ尋ねる。
「銀貨が七枚と、銅貨が五枚。それと、青い薬草を買うための紙が入ってる」
「だそうだ」
「ガキの言うことなんざ信じられるか!」
「なら開けりゃ分かるな」
バンが革袋を受け取ろうとする。
男は慌てて手を伸ばした。
「待て! 俺の金だ、俺が確かめる!」
「ずいぶん焦ってんな」
「当たり前だ!」
その瞬間。
男の懐から、別の革袋が地面へ落ちた。
口が開き、中から金貨三枚と銀貨十枚が転がる。
周囲がざわめいた。
「お前の袋、そっちじゃねぇか?」
バンが笑う。
「こ、これは……!」
「最初から少年の袋を狙ってたんだろ」
「違う!」
「なら、なぜ自分の袋を持ってるのに、他人の袋を自分のものだと言った?」
「それは――」
男が言葉を失う。
連れの男が人混みをかき分け、逃げ出そうとした。
だが、一歩進んだところで足が止まる。
その眼前に、ザルドが立っていた。
「どこへ行く」
「ど、どけ!」
男が短剣を抜く。
ザルドは避けようともしなかった。
短剣の刃を指で挟み、そのままへし折る。
乾いた金属音が響いた。
「ひっ……!」
「刃を向けたな」
ザルドの低い声に、男は腰を抜かした。
もう一人も逃げようとしたが、アルフィアの声がそれを止める。
「動くな」
男の身体が凍りついた。
「くだらん猿芝居で朝の静寂を汚した罪は重い。これ以上、醜い音を重ねるな」
二人組は完全に抵抗する気を失った。
間もなく市場の衛兵が駆けつけ、男たちを連行していく。
周囲の人々も、事の顛末を見届けると徐々に散っていった。
獣人の少年は革袋を抱え、バンを見上げる。
「ありがとう、兄ちゃん」
「ちゃんと中身を確認しとけよ」
少年が袋を開く。
中には、銀貨七枚、銅貨五枚、そして薬草の名前が書かれた紙が入っていた。
「全部ある!」
「そいつはよかった」
「でも、どうしてあいつがもう一つ袋を持ってるって分かったんだ?」
少年の問いに、バンは肩をすくめる。
「歩き方だよ。片方の懐だけ、妙に重そうだった」
「それだけ?」
「あとは勘だな」
少年は感心したように目を輝かせた。
だが、ザルドはバンの左手を見ている。
「今、何かしたな」
「何のことだ?」
「男の懐にあった袋を落としただろう」
「さぁな」
「右腕が使えなくとも、魔力は使えるということか」
バンは答えず、にやりと笑った。
遠くにある物を引き寄せることができる魔力、強奪。
懐から袋を少しずらし、地面へ落とす程度なら、傷ついた右腕を使う必要はない。
アルフィアが鼻を鳴らす。
「回りくどい真似をする」
「殴ったら腕に響くだろ?」
「初めから衛兵へ突き出せばいい」
「証拠がなきゃ面倒じゃねぇか」
「二人とも黙れ」
ザルドが少年へ向き直る。
「薬を買いに行け。次は袋を服の内側に入れておけ」
「う、うん!」
少年は何度も頭を下げ、人混みの中へ走っていった。
その背中を見送った後、バンたちは再び市場を歩き始める。
「結局、騒ぎに首を突っ込んだな」
ザルドが言う。
「見過ごす方が寝覚め悪ぃだろ」
「右腕を使わなかった点だけは評価してやる」
「珍しく褒めるじゃねぇか」
「魔力を使った時点で減点だ」
「厳しいねぇ」
アルフィアは無言で歩いていた。
バンが横目で見る。
「どうした?」
「何がだ」
「さっきから静かじゃねぇか」
「静かなことに何の問題がある。むしろ理想的だ」
「具合悪くなったか?」
「違う」
「ならいいけどよ」
アルフィアは少しだけ歩調を緩めた。
「ただの感想だ」
「何の?」
「お前は盗人の力を、人を救うために使うのだな」
バンは一瞬だけ目を細めた。
「盗人だからな。気に入らねぇ奴から奪って、気に入った奴に渡す。それだけだ」
「身勝手な理屈だ」
「ああ」
「だが、嫌いではない」
アルフィアは前を向いたまま言った。
バンは驚いたように彼女を見る。
「今、褒めたか?」
「聞き違いだ」
「いや、絶対褒めたよな?」
「次に口を開けば、舌を奪う」
「そりゃオレの専売特許だぜ」
「なら、声帯を消す」
「怖ぇなぁ」
市場を一回りした三人は、昼前に宿へ戻った。
バンの左手には菓子の袋。
ザルドは薬草と、宿で料理に使うための香辛料を抱えている。
アルフィアは何も持っていない。
正確には、持とうとしなかった。
「結局、いろいろ買ったな」
バンが机へ荷物を置く。
「お前が不要なものまで買おうとするからだ」
アルフィアが椅子へ腰掛ける。
「怪しい短剣とか、砂漠トカゲの干物とか面白そうだっただろ?」
「鈍らと保存食を、何に使うつもりだった」
「何かに使えるかもしれねぇ」
「その思考で物を増やすな」
ザルドが香辛料の包みを机へ置く。
「昼は俺が作る」
「宿の料理でいいじゃねぇか」
「昨日の煮込みを再現する」
「できんのか?」
「見れば大体分かる」
バンが感心したように口笛を吹く。
「本当に料理できるんだな」
「疑っていたのか」
「お前が厨房に立つ姿、似合わねぇからな」
「食わせなくてもいいんだぞ」
「悪かった」
アルフィアは菓子の袋へ視線を向けた。
バンはそれに気づき、一つ取り出して差し出す。
「食うか?」
「いらん」
「そうか」
バンが自分の口へ入れようとする。
「待て」
「なんだよ」
「昼食前に甘味を食べれば、味覚が鈍る」
「じゃあ後で食うか?」
「好きにしろ」
「お前の分、残しとくぜ」
「必要ない」
そう答えたアルフィアの前へ、バンは菓子を一つ置いた。
彼女は冷たい目でそれを見つめる。
「いらんと言ったはずだ」
「オレが食えなくなった時のために預けとく」
「今すぐ食べられるだろう」
「片腕だと、食べるのも疲れんだよ」
「先ほどは器用に食べていたな」
「気のせいだ」
「くだらん嘘をつくな」
文句を言いながらも、アルフィアは菓子を返さなかった。
ザルドは二人のやり取りを横目に、厨房へ向かう。
「騒ぐなら外でやれ」
「お前が一番でけぇ声だろ」
「黙れ」
「朝からそればっかだな」
宿の窓から、オアシスの水面が見える。
強い日差しを受け、青い水が宝石のように輝いていた。
街の向こうでは、砂漠船が新たな旅人を運び込んでいる。
大きな戦いを終えた三人にとって、それは何の変哲もない一日の始まりだった。
敵もいない。
命を懸ける必要もない。
ただ街を歩き、菓子を買い、小さな騒ぎへ首を突っ込んだだけ。
その程度の一日を過ごせることが、どれほど貴重なことなのか。
三人のうち、誰も口にはしなかった。
やがて厨房から、肉を焼く香ばしい匂いが漂ってくる。
バンが椅子へ深く腰掛けた。
「昼飯の後は、昼寝でもすっかな」
「最初からそうしていろ」
アルフィアが答える。
「その前に、昨日の酒を一口だけ――」
「駄目だ」
「却下だ」
ザルドとアルフィアの声が同時に響いた。
バンは肩をすくめる。
「息ぴったりだな、お前ら」
「黙れ」
「消えろ」
今日もリオードの一日は、騒がしく過ぎていった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回はリオードの朝市を舞台に、三人が街を歩く日常回となりました。
怪我をしていても宿で大人しくしていられないバン、口では文句を言いながら二人を見張るアルフィア、そして何だかんだ全員の体調を気にしているザルド。それぞれの性格と距離感が伝わるよう意識しました。
ナツメヤシの菓子を「甘すぎる」と評しながら、きちんと最後まで食べるアルフィアが今回のお気に入りです。