紫色の群れが、一斉に押し寄せた。
人間の頭ほどの小型個体。
黒い殻と結晶を持つ大型個体。
さらに、アンタレスの足元で長い年月をかけて育ったのか、地上で遭遇したものより何倍も巨大な個体まで混じっている。
それらが地下空間を埋め尽くし、階段の上に立つバンへ殺到した。
「返してほしけりゃ、取りに来いよ」
バンは左手で聖棍クレシューズを構えた。
右腕は、まだ布で吊られている。
乱獲で奪った力は身体に残っていた。
子供たちから奪い取った浮遊力。
触手を動かす力。
獲物へ飛びつくための筋力。
一匹ごとの力は弱い。
だが、数十体分が積み重なれば、バンの肉体をさらに押し上げるには十分だった。
先頭の小型個体が触手を伸ばす。
バンは階段を蹴った。
石段が砕ける。
赤い影が、紫色の群れへ真正面から飛び込んだ。
クレシューズがしなる。
鋭い先端が先頭の個体を貫き、そのまま軌道を変えて二体目を打ち抜いた。
四つの棍を繋ぐ鎖が鳴る。
三体目。
四体目。
クレシューズは一本の棒ではあり得ない角度へ折れ曲がり、バンを包囲しようとした小型個体を次々と打ち落とした。
紫色の身体が破裂する。
粘つく液体が飛び散り、石床を黒く焼いた。
バンは空中で身体を捻る。
クレシューズの先端を天井から垂れた黒い根へ巻きつけ、その反動で進行方向を変えた。
直後。
太い触手が、先ほどまでバンのいた空間を薙いだ。
風圧だけで石壁へ亀裂が走る。
「地上の奴より、だいぶ元気だな」
バンは黒い根からクレシューズを外し、大型個体の背へ着地した。
人間の三倍以上ある巨体。
半透明の身体を覆う黒い甲殻。
背には紫黒い結晶が幾つも突き出している。
大型個体は激しく身体を揺らし、バンを振り落とそうとした。
周囲の小型個体も一斉に集まってくる。
「集まってくれんのは助かるぜ」
バンはクレシューズを短く持ち替えた。
左腕だけで振り上げる。
狙うのは背中の結晶。
一撃。
甲殻の表面に亀裂が走る。
二撃目。
紫黒い光が乱れる。
三撃目。
結晶の根元が砕けた。
大型個体の身体から力が抜け、高度が急激に落ちる。
その瞬間、バンは背中を蹴った。
落下する大型個体から飛び離れる。
集まっていた小型個体が退避できず、大型個体とまとめて石床へ叩きつけられた。
轟音。
紫色の液体と砕けた甲殻が飛び散る。
「まず一体」
バンは離れた石柱へ着地した。
だが、安心する暇はない。
左右から二体の大型個体が迫ってくる。
一本の太い触手が石柱へ巻きついた。
もう一本がバンの足を狙う。
バンは柱を蹴って跳んだ。
直後、触手が石柱を締め潰す。
太い柱が中央から折れ、地下空間へ崩れ落ちた。
石片の雨の中。
別の大型個体が、黒い殻を開いた。
内部で紫色の光が膨らんでいる。
「何だ?」
光が一気に放たれた。
球状の紫色の塊。
毒液ではない。
子供たちが獲物から奪った生命力を、凝縮して撃ち出している。
バンはクレシューズを横へ振るった。
棍の先端が紫色の塊へ触れる。
破裂。
強烈な衝撃がバンの身体を吹き飛ばした。
「ぐっ……!」
背中から石壁へ叩きつけられる。
壁が陥没し、砂と石屑が降りかかった。
吊られた右腕へ鈍い痛みが走る。
傷の奥が熱を持つ。
「痛ぇな……」
バンは崩れた壁から身体を起こした。
赤いコートの一部が焼けている。
皮膚にも紫色の光がわずかに残り、身体の中から力を引きずり出そうとしていた。
バンは左手を傷口へ近づける。
細い流れを掴む。
「オレのもんだ。勝手に持ってくな」
身体へ食い込もうとしていた紫色の力を、《強奪》で逆に引き抜いた。
紫色の光が皮膚から離れ、左手の中へ集まる。
バンが指を握ると、光は小さく弾けて消えた。
子供たちが一斉に身体を震わせる。
耳障りな振動が地下空間へ広がった。
「怒るなよ。先に盗ったのはそっちだろ」
バンは立ち上がった。
その視線の先。
銀色の鎖に拘束されたアンタレスは、まだ完全には動いていない。
だが、その巨大な眼はバンを捉え続けている。
子供たちが攻撃するたび。
子供たちが奪った力が流れるたび。
アンタレスの身体を覆う紫黒い結晶が明るさを増していた。
――ドクン。
重い鼓動。
地下空間が揺れる。
アンタレスの胴体を縛る銀色の鎖へ、黒い染みが広がった。
鎖の一本から、細い亀裂が走る。
「こいつらと遊んでる間に、封印を壊す気か」
子供たちはバンを倒すためだけに動いているのではない。
時間を稼いでいる。
本体が目覚めるまで。
外で奪った生命力を取り込み、封印を内側から腐らせるまで。
バンは周囲を見回した。
小型個体は、倒した数を上回る勢いで増えている。
地面を這う黒い根が膨らむ。
紫色の袋が形成され、そこから新たな子供が生まれていた。
天井の亀裂からも降りてくる。
壁の隙間からも現れる。
大型個体も、まだ十体近く残っている。
一体ずつ倒すことはできる。
だが、それでは遅い。
「面倒だな」
バンはクレシューズを左肩へ乗せた。
先ほどまでの軽い笑みが消える。
子供たちが距離を詰めてくる。
小型個体を前へ。
大型個体を後ろへ。
さらに大きな個体が左右へ回り込み、逃げ道を塞いでいた。
バンの背後は崩れた石壁。
正面は紫色の群れ。
頭上にも無数の触手が蠢いている。
「数で押せばどうにかなると思ってんのか?」
バンはクレシューズへ目を落とした。
この世界へ来てから。
長い間、手元を離れていた神器。
見つけた後も、以前と同じようには扱えていなかった。
右腕の負傷もある。
この世界の力の流れにも、まだ完全には馴染んでいない。
だが。
それは、クレシューズの力が失われたという意味ではない。
「そろそろ、ちゃんと働けよ」
バンの左手が、聖棍を強く握り込む。
四つの棍を繋ぐ鎖が鳴った。
小型個体が一斉に飛びかかる。
無数の触手が、赤いコートへ伸びた。
「神器解放」
瞬間。
聖棍クレシューズから、鋭い力が広がった。
目に見える光ではない。
巨大な魔力が爆発したわけでもない。
だが、バンを取り囲む空気が変わる。
聖棍の形。
重さ。
節の一つ一つ。
鎖の僅かな揺れ。
すべてがバンの感覚と繋がった。
クレシューズが持つ特性。
超集中力《スーパーコンセントレーション》。
迫る子供たちの動きが、手に取るように分かる。
一匹目の触手が届くまでの距離。
二匹目が身体を膨らませる瞬間。
三匹目の背後に隠れた大型個体。
黒い殻の継ぎ目。
紫黒い結晶の根元。
毒液が飛び散る角度。
天井から落ちてくる石片の位置。
視界に入っているものだけではない。
音。
振動。
空気の流れ。
クレシューズを通して伝わる感覚。
地下空間にいる数百の敵すべてが、バンの意識の中へ浮かび上がった。
「遅ぇよ」
バンの左手が動く。
クレシューズの先端が最初の小型個体を打ち抜いた。
反動を利用し、第二節が別の方向へ曲がる。
二匹目の身体を貫く。
鎖が伸びる。
三匹目。
四匹目。
五匹目。
どこへ飛んでいるのか、目では追えない。
乾いた打撃音だけが連続して響く。
クレシューズは壁へ衝突する直前で折れ曲がり、石柱の裏へ回り込んだ。
隠れていた小型個体を弾き飛ばす。
その身体を別の群れへぶつけ、纏めて石床へ叩き落とした。
頭上から毒液が降る。
クレシューズが円を描く。
棍が生み出した風圧が、毒液を外側へ吹き飛ばした。
太い触手が迫る。
先端が触手へ巻きつき、そのまま三本を纏めて引く。
大型個体の巨体が前へ傾いた。
「見えてんだよ」
バンは地面を蹴た。
大型個体の正面へ飛び込む。
黒い殻の隙間。
そこにある紫黒い結晶の根元へ、クレシューズを突き込んだ。
結晶が内側から砕ける。
大型個体の身体が萎み、石床へ落ちる。
着地と同時に、バンはクレシューズを振り抜いた。
右側から迫っていた小型個体がまとめて薙ぎ払われる。
次の一撃は左。
さらに上。
背後。
クレシューズの軌道は不規則だった。
だが、一つとして無駄な動きはない。
攻撃するたびに、必ず敵へ届く。
毒液を避けるために僅かに角度を変え。
黒い根を利用して軌道を曲げ。
大型個体の殻を足場にして、次の群れへ飛び移る。
数で包囲していたはずの子供たちが、逆に自分たちの数によって動きを塞がれていく。
「なんだ」
バンの口元に笑みが戻る。
「ちゃんと動くじゃねぇか」
クレシューズは答えない。
だが、左手へ伝わる重みは、以前と変わらなかった。
使い手の狙いを理解し。
予測不能な軌道を描き。
遠くの標的へも正確に届く。
これが、聖棍クレシューズの本来の力。
大型個体が三体、同時に結晶を光らせた。
紫色の球体が形成される。
先ほどバンを吹き飛ばした攻撃。
三方向から同時に撃つつもりだった。
「同じ手を何度も食らうかよ」
三つの紫色の球体が放たれる。
バンはクレシューズを振るった。
先端が一つ目の球体へ触れる。
弾くのではない。
僅かに軌道をずらす。
一つ目の球体が二つ目へ衝突した。
爆発。
紫色の光が広がり、近くにいた子供たちを巻き込む。
三つ目がバンへ迫る。
クレシューズの節が黒い根へ巻きつく。
バンは身体を強く引いた。
赤いコートが紫色の球体の横を通り抜ける。
球体はそのまま背後の大型個体へ直撃した。
黒い殻が吹き飛ぶ。
「自分の子供に当てんなよ」
バンは宙へ飛び上がった。
下を見下ろす。
紫色の群れ。
まだ多い。
倒しても倒しても、黒い根から新たな個体が生まれている。
そして。
――ドクン。
アンタレスの鼓動が響いた。
銀色の鎖へ亀裂が広がる。
一匹ずつ正確に倒すことはできる。
神器解放による超集中力があれば、数百体でも見失わない。
だが、敵が生まれる速度まで上がっている。
時間が足りない。
「なら」
バンはクレシューズを強く握った。
「まとめて消すしかねぇな」
近くの石柱へ先端を巻きつける。
身体を引き寄せ、柱の上へ着地した。
地下空間全体を見渡せる位置。
アンタレスの子供たちは、再びバンを包囲するように集まってくる。
小型。
大型。
黒い根。
紫黒い結晶。
数百の敵が、一つの巨大な塊となって押し寄せていた。
その向こうには、アンタレスを縛る銀色の鎖がある。
封印を壊すわけにはいかない。
なら、攻撃の範囲を考える必要があった。
どの角度なら鎖へ触れない。
どこまで聖棍を伸ばせば、子供たちだけを捉えられる。
黒い根のどこを切れば、新たな個体が生まれるのを止められる。
超集中力によって、地下空間のすべてがバンの頭の中で繋がっていく。
「ここだな」
バンは柱から飛び降りた。
群れの中央。
アンタレスから少し離れた空間へ着地する。
子供たちが一斉に向きを変えた。
四方から迫る。
逃げ道はない。
だが、バンは逃げなかった。
左手でクレシューズを回し始める。
最初はゆっくり。
一度。
二度。
四節棍が大きな円を描く。
回転するたび、鎖が伸びる。
クレシューズの攻撃範囲が広がっていく。
周囲の空気が引き込まれる。
石床の砂が舞い上がった。
黒い根の残骸。
砕けた結晶。
紫色の液体。
すべてが、回転する聖棍の周囲へ巻き込まれていく。
先頭の小型個体が触手を伸ばした。
触手の先端が、バンへ届く前に切り飛ばされる。
次の個体が飛び込む。
回転へ触れた瞬間、半透明の身体が砕け散った。
大型個体が小型の群れを前へ集める。
何層にも重なった紫色の壁。
物量でクレシューズの回転を止めるつもりなのだろう。
「数が多けりゃ止まると思ってんのか?」
回転がさらに速くなる。
四節棍の形が見えなくなった。
聞こえるのは、空気を切り裂く轟音。
バンの左腕に、クレシューズの動きが完全に馴染む。
右腕は使わない。
片腕だけ。
それでも神器解放によって高められた速度と精度が、技を成立させていた。
子供たちが殺到する。
上。
下。
左右。
黒い根まで地面から伸び、バンを包み込もうとする。
「死神の一薙ぎ《アサルトハント》」
聖棍クレシューズが、極限まで加速した。
轟音。
最初の一薙ぎが、正面から迫った小型個体をまとめて切り裂く。
二薙ぎ目。
左右へ広がっていた群れが、紫色の液体を撒き散らしながら弾け飛ぶ。
三薙ぎ目。
頭上を埋め尽くしていた個体が切断され、紫色の雨となって石床へ落ちた。
大型個体が太い触手を重ね、盾を作る。
だが、止まらない。
高速で回転するクレシューズが、何重にも重ねられた触手を次々と断ち切る。
黒い殻へ亀裂が走る。
紫黒い結晶が砕ける。
大型個体の巨体が、聖棍の回転へ巻き込まれた。
黒い根が地面から伸びる。
クレシューズが根元を薙ぐ。
一本。
二本。
十本。
子供たちを生み出していた根が切断され、紫色の袋が形成される前に潰れていく。
不規則。
広範囲。
高速。
それでいて、攻撃の一つ一つは正確だった。
銀色の鎖を避ける。
月を描いた石板へは触れない。
封印を支える柱を壊さない。
超集中力によって選び抜かれた軌道が、アンタレスの子供と黒い根だけを薙ぎ払っていく。
紫色の群れが逃げようとする。
だが、遅い。
伸びたクレシューズの先端が、柱の裏へ回り込む。
隠れた小型個体を打ち砕く。
別の節が地面すれすれを走り、大型個体の結晶を横から破壊する。
最後まで残っていた巨大な個体が、全身の触手をバンへ突き出した。
クレシューズの回転と正面から衝突する。
一瞬だけ、地下空間の空気が震えた。
「邪魔だ!」
バンが左腕を振り抜く。
太い触手がすべて切断された。
続く一薙ぎが黒い殻へ食い込む。
巨大な子供の身体が、中央から大きく裂けた。
紫色の液体を噴き出しながら、左右へ崩れ落ちる。
それを最後に。
バンはクレシューズの回転を止めた。
轟音が消える。
遅れて、強い風が地下空間を吹き抜けた。
紫色の液体。
砕けた結晶。
黒い根の残骸。
それらが、雨のように石床へ降り注ぐ。
先ほどまで地下空間を埋め尽くしていたアンタレスの子供たちは、一体も浮かんでいなかった。
「ふぅ……」
バンはクレシューズを左肩へ乗せた。
左腕が僅かに震えている。
右腕にも痛みが響いていた。
片腕で大技を使った反動。
傷が治りきっていない身体への負担。
「やっぱ、片腕でやるもんじゃねぇな」
それでも、バンは立っていた。
息は乱れているが、膝をつくほどではない。
聖棍を一度だけ軽く回す。
「でもまあ、悪くねぇ」
クレシューズを取り戻してから初めて、本来の力を引き出した。
神器解放。
超集中力。
死神の一薙ぎ。
この世界でも、バンの技は確かに通じる。
だが。
――ドクン。
地下空間が大きく揺れた。
バンの表情から笑みが消える。
アンタレスの身体を縛る銀色の鎖。
その一本が、音を立てて砕けた。
続けて、もう一本。
子供たちは倒した。
黒い根も、ほとんど薙ぎ払った。
それでも、すでに本体へ吸収された力は残っている。
アンタレスの巨大なハサミが持ち上がった。
銀色の鎖を引きずりながら、石床へ振り下ろされる。
轟音。
地面が砕けた。
巨大な亀裂が地下空間を走る。
衝撃波がバンへ迫る。
バンはクレシューズを地面へ突き立て、左腕だけで身体を支えた。
赤いコートが激しくはためく。
周囲の石柱が砕け、天井から巨大な岩が落ちてきた。
アンタレスの眼が、真っ直ぐバンへ向いている。
「子供をやられて怒ったか?」
巨大な尾が持ち上がる。
先端の毒針へ、紫黒い光が集まり始めた。
ただの毒ではない。
触れた生命を吸い取り、アンタレスへ運ぶ力。
それが巨大な針へ凝縮されている。
バンの指先が疼いた。
神器解放によって研ぎ澄まされた感覚が、目の前の危険を伝える。
あれに貫かれれば、傷を負うだけでは済まない。
血。
魔力。
生命力。
身体の中にあるものを根こそぎ奪われる。
「親の方は、だいぶ面倒そうだな」
バンはクレシューズを構え直した。
アンタレスが尾を引く。
銀色の鎖が軋んだ。
天井近くまで持ち上がった巨大な毒針が、赤い旅人へ狙いを定める。
次の瞬間。
地下空間を貫くように、アンタレスの尾が振り下ろされた。
今回は、聖棍クレシューズの神器解放と「死神の一薙ぎ《アサルトハント》」を描きました。
神器の特性である超集中力によって敵の位置や攻撃の軌道を把握し、封印の鎖を避けながら、アンタレスの子供たちと黒い根を広範囲に薙ぎ払っています。