強欲の旅人は神の恩恵を受けない   作:ルクエリシオン

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第40話 奪う者たち

巨大な毒針が、地下空間を貫いた。

 

空気が押し潰され、耳をつんざく轟音へ変わる。

 

アンタレスの尾が振り下ろされる寸前、バンは石床を蹴っていた。

 

赤いコートが翻る。

 

その直後。

 

バンが立っていた場所へ、紫黒い毒針が突き刺さった。

 

衝撃とともに石床が陥没する。

 

放射状に走った亀裂が地下空間を横断し、砕けた岩が弾丸のように飛び散った。

 

バンは左手のクレシューズを旋回させる。

 

飛来した石片だけを正確に打ち落としながら、崩れかけた柱の側面へ着地した。

 

「危ねぇな」

 

毒針は、ただ地面へ突き刺さっただけではなかった。

 

針の周囲から、紫黒い筋が石床へ染み出していく。

 

それは亀裂へ潜り込み、瞬く間に黒い根へ変わった。

 

一本。

 

十本。

 

数え切れない根が石の下を這い、地下空間の四方へ広がっていく。

 

根が触れた場所から、色が失われた。

 

亀裂の間に生えていた苔が干からびる。

 

岩陰に潜んでいた小さな虫が動きを止める。

 

わずかに残っていた大地の力さえ、根に吸い上げられていく。

 

奪われたものは紫色の光へ変わり、毒針から長い尾を伝ってアンタレスの巨体へ戻った。

 

砕けていた甲殻の亀裂が、ゆっくりと閉じ始める。

 

「刺した相手からだけじゃねぇのかよ」

 

あの毒針は、獲物を貫くためだけの武器ではない。

 

大地へ根を打ち込み、周囲一帯をアンタレスの餌場へ変えるための杭。

 

子供たちを失ったアンタレスは、今度は遺跡そのものから力を奪おうとしていた。

 

――ドクン。

 

巨大な鼓動が響く。

 

アンタレスの背から伸びた結晶が、先ほどよりも強く明滅した。

 

神器解放は、まだ続いている。

 

クレシューズの特性である超集中力によって、地下空間を巡る力の流れが鮮明に捉えられていた。

 

毒針から大地へ。

 

大地から黒い根へ。

 

黒い根からアンタレスの巨体へ。

 

すべてが一本の流れとして繋がっている。

 

だが、その力を読み取るほど、バンの左腕へ負担が積み重なっていく。

 

片腕だけで神器を解放し、死神の一薙ぎまで放った直後だ。

 

指先は痺れ、肩の筋肉は熱を持っている。

 

吊られた右腕の傷も、先ほどの衝撃で再び痛み始めていた。

 

「長引かせると、こっちが面倒だな」

 

バンが呟く。

 

アンタレスの巨大な眼が、柱の上に立つ赤い旅人を捉えた。

 

次の瞬間。

 

二つの大鋏が大きく開いた。

 

黒い甲殻が擦れ合い、岩を引きずるような音を立てる。

 

右の鋏が、石床を削りながら横薙ぎに振るわれた。

 

バンは柱を蹴った。

 

頭上を巨大な鋏が通過する。

 

巻き起こった風圧だけで柱が根元から砕け、粉々になって吹き飛んだ。

 

バンは空中でクレシューズを振るう。

 

鋭い先端をアンタレスの鋏へ巻きつけ、その勢いを利用して巨体の上へ飛んだ。

 

「力任せだな」

 

甲殻へ足をつく。

 

アンタレスの前脚が跳ね上がり、バンを振り落とそうとする。

 

だが、その動きはすでに読めていた。

 

甲殻の下で筋肉が収縮する位置。

 

巨体の重心。

 

脚が動き始める瞬間。

 

バンは足場が傾く直前に跳び、前脚をかわした。

 

そのままアンタレスの頭部へ迫る。

 

狙うのは、巨大な眼。

 

クレシューズの先端が一直線に伸びる。

 

だが、眼へ届く直前。

 

甲殻の隙間から無数の黒い根が噴き出した。

 

一本目を貫く。

 

二本目を裂く。

 

しかし、さらに後ろから太い根が重なり、クレシューズの進路を塞いだ。

 

別の根がバンの左脚へ巻きつく。

 

「ちっ」

 

冷たい感覚が皮膚を走った。

 

根が触れた場所から、熱と力が引き抜かれていく。

 

先ほどアンタレスの子供たちから奪った身体能力。

 

バン自身の生命力。

 

それらが根を通じ、アンタレスへ流れ始める。

 

バンはクレシューズを引き戻そうとした。

 

だが、武器へも何重もの根が巻きついている。

 

動きを封じ。

 

身体へ触れ。

 

そのまま獲物を干からびさせる。

 

アンタレスの結晶が、紫黒い光を強めた。

 

「オレから盗ろうってか」

 

バンの口元が上がる。

 

黒い根は、バンとアンタレスを繋いでいる。

 

向こうから奪えるということは。

 

こちらからも、流れへ手をかけられる。

 

バンはクレシューズを握ったまま、《強奪》を根の内側へ滑り込ませた。

 

「身体狩り《フィジカルハント》」

 

奪う流れと、奪う流れが正面から衝突した。

 

地下空間の空気が激しく震える。

 

アンタレスは根を通じ、バンの生命力を引き抜こうとする。

 

バンは同じ根を辿り、アンタレスの身体能力へ手をかける。

 

巨大な尾を振るう力。

 

大鋏を閉じる力。

 

六本の脚で巨体を支える力。

 

大地へ根を張り、自らを固定する力。

 

あまりにも膨大だった。

 

一つの肉体が持っているとは思えないほど、重い。

 

アンタレス自身の力だけではない。

 

これまで子供たちが運んできた生命。

 

砂漠の獣。

 

隊商の人間。

 

大地。

 

名も分からない無数の生き物。

 

奪い集めた力が混ざり合い、濁流となってアンタレスの体内を巡っていた。

 

「欲張りやがって……!」

 

流れへ触れた瞬間、バンの左腕が軋んだ。

 

自分の器へ入りきらないほどの力。

 

無理にすべてを奪おうとすれば、アンタレスより先にバンの肉体が壊れる。

 

アンタレスはそれを察したのか、黒い根をさらに増やした。

 

腰。

 

胸。

 

左腕。

 

何本もの根がバンの身体へ絡みつく。

 

熱が奪われる。

 

呼吸が重くなる。

 

右腕の傷から滲んでいた血が、逆らうように根へ引かれていった。

 

奪い。

 

奪われる。

 

二つの力が一本の流れを取り合い、地下空間の中央でぶつかり続ける。

 

アンタレスの眼が細くなる。

 

長い年月をかけ、数え切れない生命を餌にしてきた怪物。

 

奪い合いで自分が負けるなど、考えていないのだろう。

 

「勘違いすんなよ」

 

バンは歯を見せて笑った。

 

「オレは、全部欲しいわけじゃねぇ」

 

膨大な生命力はいらない。

 

混ざり合った魔力もいらない。

 

大地から奪った力も必要ない。

 

欲しいものだけを選ぶ。

 

アンタレスが甲殻を維持するために使っている力。

 

外殻の形を保ち。

 

衝撃を分散し。

 

巨大な身体を守っている力。

 

そこへ《強奪》を集中させる。

 

「それだけ貰うぜ」

 

黒く輝いていた甲殻から、色がわずかに抜けた。

 

表面に細い亀裂が走る。

 

硬度そのものをバンの身体へ移すのではない。

 

甲殻を支えている力を奪い、守りを内側から崩す。

 

亀裂は一本から二本へ。

 

さらに枝分かれし、アンタレスの頭部へ広がっていく。

 

怪物の巨体が大きく揺れた。

 

黒い根の締めつけが一瞬だけ緩む。

 

「貰ったぜ」

 

バンは奪った力を左腕と両脚へ回した。

 

身体を捻る。

 

巻きついていた根が引き伸ばされ、数本が途中から引きちぎれた。

 

同時にクレシューズを振るい、残った根を切り裂く。

 

紫色の液体が噴き出した。

 

拘束から抜けたバンは、アンタレスの頭部へ着地する。

 

足元の甲殻には、身体狩りによって作られた亀裂が残っていた。

 

「硬ぇ殻も、中から崩せば同じだな」

 

クレシューズを短く持ち替える。

 

鋭い先端を亀裂へ合わせた。

 

振り下ろす。

 

轟音。

 

甲殻が大きく砕けた。

 

紫色の液体が隙間から噴き出し、アンタレスの巨体が跳ね上がる。

 

直後。

 

咆哮が地下空間を襲った。

 

声ではない。

 

身体全体から放たれた衝撃波。

 

空気が歪み、砕けた石と黒い根が一斉に吹き飛ぶ。

 

バンの身体も甲殻から弾き出された。

 

「ぐっ……!」

 

左手のクレシューズを遠くの柱へ巻きつける。

 

鎖が伸びきる。

 

バンは宙で強引に軌道を変え、崩れかけた柱の側面へ足をついた。

 

それでも衝撃を殺しきれない。

 

柱へ長い亀裂が走り、バンの口元から血が一筋流れた。

 

「やっと本気になったか」

 

アンタレスの巨大な眼に、初めて明確な警戒が宿っていた。

 

目の前にいる男は、ただ力を奪われるだけの獲物ではない。

 

同じように。

 

いや、自分以上の精度で、必要なものだけを奪う存在。

 

アンタレスの背にある結晶が一斉に輝いた。

 

地下空間の壁。

 

天井。

 

石床。

 

残っていた黒い根が、すべて鎌首をもたげる。

 

次の瞬間。

 

数百本もの根が、柱の上にいるバンへ殺到した。

 

「数頼みは子供と同じだな」

 

バンは柱を蹴る。

 

最初の根をかわし、二本目をクレシューズで弾く。

 

三本目の上へ着地。

 

根そのものを足場にして走る。

 

右から迫った根へ聖棍の先端を突き刺し、反動で左へ跳んだ。

 

赤いコートの裾を、別の根がかすめる。

 

布の端から色が抜け、乾いた紙のように崩れ落ちた。

 

「服まで食うんじゃねぇよ」

 

さらに十本。

 

前方を塞ぐように、根が壁を作る。

 

バンはクレシューズを高速で旋回させた。

 

「死神の一薙ぎ《アサルトハント》!」

 

聖棍が唸る。

 

広く、不規則な軌道を描いた連撃が、迫る根をまとめて切り裂いた。

 

正面。

 

左右。

 

頭上。

 

クレシューズの節が次々と角度を変え、根の束を異なる方向から打ち砕く。

 

紫黒い結晶が割れる。

 

根が千切れる。

 

アンタレスへ繋がっていた力の流れが、何本も途切れた。

 

だが。

 

バンが根を薙ぎ払った、その直後。

 

アンタレスの巨大な尾が動いた。

 

「頭も回るじゃねぇか」

 

死神の一薙ぎが終わり、クレシューズの回転が僅かに緩む瞬間。

 

そこを狙っていた。

 

紫黒い毒針が、バンの胸へ一直線に迫る。

 

正面から受け止めれば、先ほど指先へ伝わった威力では済まない。

 

たとえ身体狩りで尾の筋力を削っても、完全に止められる保証はなかった。

 

バンは避ける。

 

だが、ただ横へ逃げるのではない。

 

クレシューズの先端を毒針へ巻きつける。

 

四節棍が尾の側面を滑り、鎖が何重にも絡んだ。

 

「身体狩り《フィジカルハント》」

 

狙うのは、尾を振り抜くための力。

 

毒針そのものではない。

 

アンタレスの尾を動かす筋力を、衝突の直前に奪う。

 

尾の速度が僅かに落ちた。

 

バンは左腕を引き、クレシューズを通して毒針の軌道を横へ逸らす。

 

紫黒い針が、バンの脇腹すれすれを通過した。

 

赤いコートが裂ける。

 

針先は皮膚を深く抉らなかった。

 

だが、触れた一瞬。

 

身体の内側から生命力を引きずり出す冷たい感覚が走った。

 

「がっ……!」

 

バンの姿勢が崩れる。

 

毒針はそのまま背後の壁へ突き刺さった。

 

黒い根が一斉に広がろうとする。

 

同時に、脇腹へ残った紫黒い力が、バンの生命をアンタレスへ運び始めた。

 

傷口から血が滲む。

 

熱が抜ける。

 

視界の端が僅かに暗くなった。

 

「そう何度も……」

 

バンはクレシューズの鎖を毒針へ巻きつけたまま、左手へ力を込める。

 

「盗らせるかよ!」

 

毒針を通じて流れていた力へ、《強奪》をぶつけた。

 

バンの生命力を運ぶ流れが止まる。

 

さらに逆向きへ辿る。

 

毒針の内部。

 

根を生み出し、生命を吸収する力が集まっている一点。

 

超集中力が、その位置を捉えた。

 

直接は見えない。

 

厚い甲殻の内側に隠された、小さな結晶。

 

毒針へ力を供給するための核。

 

クレシューズを握る左手の指が、ゆっくりと締まる。

 

「獲物狩り《フォックスハント》」

 

見えない手が、毒針の内側へ伸びた。

 

結晶へ触れる。

 

引く。

 

だが、簡単には動かない。

 

尾の内部を走る根と繋がり、アンタレス本体から強い力を送られている。

 

「これくらいなら……!」

 

バンが《強奪》を強める。

 

毒針の甲殻へ亀裂が走った。

 

紫色の光が漏れる。

 

次の瞬間。

 

小さな結晶が甲殻を突き破り、外へ飛び出した。

 

結晶はクレシューズの鎖に引かれるように、バンの目の前へ運ばれる。

 

バンは聖棍を振るった。

 

四節棍の一つが、空中の結晶を正確に打ち砕く。

 

紫黒い光が弾けた。

 

毒針から力が抜ける。

 

地面へ広がり始めていた黒い根が、途中で萎んだ。

 

アンタレスの尾が激しく痙攣する。

 

「一つ、剥がしたぜ」

 

バンはクレシューズの鎖を引いた。

 

毒針から聖棍が外れる。

 

その反動を利用し、尾の上へ飛び乗った。

 

巨大な尾を駆ける。

 

アンタレスの背中へ。

 

途中、黒い根が進路を塞ぐ。

 

クレシューズが一閃。

 

一本目を裂き、二本目をかわす。

 

紫黒い結晶の上へ足をつき、さらに前へ跳ぶ。

 

アンタレスの大鋏が振り上げられた。

 

バンを挟み潰そうと、左右から迫る。

 

超集中力が、その軌道を捉える。

 

閉じる瞬間。

 

僅かに残された隙間。

 

バンはそこへ身体を滑り込ませた。

 

二つの鋏が、背後で激突する。

 

衝撃波が赤いコートを揺らした。

 

「惜しかったな」

 

バンはアンタレスの頭部へ着地した。

 

先ほど砕いた甲殻の亀裂。

 

だが、すでに黒い根が集まり、傷口を塞ごうとしている。

 

「また隠すのかよ」

 

クレシューズを突き立てる。

 

根を貫き、亀裂の奥へ押し込む。

 

アンタレスの巨体が暴れた。

 

バンは聖棍を足場のように使い、左手一本で身体を支える。

 

その状態のまま、《強奪》をアンタレスの内部へ流した。

 

全部は奪わない。

 

今度の狙いは、脚。

 

大鋏。

 

尾。

 

巨体を支えている主要な筋力。

 

「身体狩り《フィジカルハント》」

 

アンタレスの巨体が沈んだ。

 

六本の脚が石床へ深くめり込む。

 

持ち上がっていた鋏が下がる。

 

尾が力なく床へ落ち、地下空間全体を揺らした。

 

銀色の鎖が、再びアンタレスの甲殻へ食い込む。

 

バンの身体へ、巨獣の力が流れ込んだ。

 

左腕の筋肉が軋む。

 

脚へ力が満ちる。

 

呼吸が一瞬止まりそうになるほど、重い。

 

「量が違ぇな……!」

 

奪いすぎれば危険だ。

 

自分の身体へ入りきらない。

 

そう分かっていても、アンタレスの動きを止めるためには、一定量を奪う必要がある。

 

バンの脇腹から血が流れる。

 

吊られた右腕の傷も開き、布が赤く染まり始めた。

 

それでも《強奪》を緩めない。

 

アンタレスも抵抗する。

 

甲殻の亀裂から根を伸ばし、バンの身体へ巻きつけようとする。

 

奪われた力を取り戻すため。

 

あるいは、バンの生命ごと飲み込むために。

 

バンは根をクレシューズの節で払いながら、アンタレスの巨大な眼を見下ろした。

 

「どっちが先に空になるか、勝負するか?」

 

笑うバンへ、アンタレスの眼が紫黒く輝く。

 

その直後。

 

地下空間の流れが変わった。

 

「……あ?」

 

アンタレスは、バンから力を奪い返そうとしているのではない。

 

残っている力を、一か所へ集め始めていた。

 

外の大地から奪った力。

 

子供たちが蓄えた生命。

 

黒い根に残った魔力。

 

巨体を動かすための力まで。

 

すべてが胴体の奥へ流れていく。

 

紫黒い光が、甲殻の隙間から漏れ出した。

 

鼓動が速くなる。

 

――ドクン。

 

――ドクン。

 

――ドクン。

 

アンタレスを拘束していた銀色の鎖が、激しく明滅した。

 

『…………』

 

掠れた声が、バンの頭へ響く。

 

『……あれを……壊せ……』

 

「ようやく教えてくれたな」

 

バンはクレシューズを通じ、アンタレスの内部を巡る力を探った。

 

胴体の奥。

 

幾重もの甲殻。

 

絡み合った黒い根。

 

周囲に埋め込まれた結晶。

 

そのすべてに守られた中心。

 

巨大な結晶核が脈打っている。

 

子供たちを生み出し。

 

大地から生命を吸い。

 

封印を内側から侵食し続けてきた力の源。

 

だが、深すぎる。

 

毒針の核とは比べものにならない。

 

アンタレスの身体だけではなく、地下空間を覆う根や遺跡の地脈とまで繋がっている。

 

獲物狩りで核そのものを引き抜こうとすれば、反動でバンの身体が壊れる。

 

下手をすれば、封印を支える遺跡ごと崩しかねない。

 

「丸ごとは無理か」

 

ならば。

 

核を奪うのではない。

 

核を守り、周囲へ繋ぎ止めているものを奪う。

 

バンは身体狩りを止めた。

 

奪った力を両脚へ集める。

 

アンタレスの頭部を蹴り、上空へ跳んだ。

 

その直後。

 

力を取り戻したアンタレスが大鋏を振り下ろす。

 

バンは空中でクレシューズを振るい、鋏の側面へ先端を巻きつけた。

 

身体を引く。

 

落下の軌道が変わる。

 

巨大な鋏が、アンタレス自身の頭部へ叩きつけられた。

 

轟音。

 

身体狩りによって弱くなっていた甲殻が、大きく砕ける。

 

亀裂の奥から、紫黒い光が噴き出した。

 

「力はあるけど、使い方が雑なんだよ」

 

バンは砕けた甲殻へ着地する。

 

超集中力によって、亀裂の奥が見えた。

 

巨大な結晶核。

 

ただし、その全貌はまだ黒い根に覆われている。

 

太い根が五本。

 

いや、六本。

 

核を周囲の甲殻と地面へ固定し、力を送り込んでいる。

 

さらに、根の根元には小型の紫黒い結晶が埋め込まれていた。

 

核そのものではない。

 

核を守るための留め具。

 

それなら奪える。

 

「まずは周りからだ」

 

バンはクレシューズを振るった。

 

聖棍の先端が、襲いかかる黒い根を打ち払う。

 

同時に《強奪》の狙いを絞る。

 

一つ目。

 

左側の根へ力を送る結晶。

 

「獲物狩り《フォックスハント》」

 

紫黒い結晶が根を突き破り、外へ飛び出した。

 

クレシューズの一節が空中でそれを砕く。

 

一本目の根が萎む。

 

二つ目。

 

アンタレスの背へ繋がる結晶。

 

見えない手が奥へ伸びる。

 

だが、アンタレスの力が押し返してくる。

 

バンの左腕へ激痛が走った。

 

「ぐっ……!」

 

獲物狩りの力が弾かれる。

 

指先の皮膚が裂け、血がクレシューズの柄へ流れた。

 

簡単には奪わせない。

 

アンタレスが核を守るため、すべての力を周囲の結晶へ集めている。

 

「抵抗すんじゃねぇよ」

 

バンは歯を食いしばり、もう一度《強奪》を伸ばす。

 

今度は正面から引かない。

 

根の中を流れる力が一瞬弱まる時を待つ。

 

アンタレスの鼓動。

 

力が核へ戻る瞬間。

 

その僅かな隙間へ、見えない指を滑り込ませた。

 

「そこだ」

 

結晶が引き抜かれる。

 

クレシューズが打ち砕く。

 

二本目の根が力を失った。

 

三本目。

 

四本目。

 

一つずつ。

 

巨大な核へ直接手をかけるのではなく、それを守る結晶だけを正確に盗む。

 

だが、結晶を失うたび、アンタレスの抵抗は激しくなった。

 

黒い根がバンへ殺到する。

 

大鋏が左右から迫る。

 

毒針の力を失った尾も、巨大な鞭として頭上から振り下ろされた。

 

バンは砕けた甲殻の上を走る。

 

根をかわし。

 

鋏の間を抜け。

 

尾が落ちる直前に、クレシューズを別の結晶へ突き刺す。

 

「獲物狩り《フォックスハント》!」

 

五つ目の結晶が抜けた。

 

五本目の根が崩れ落ちる。

 

残るのは一本。

 

核の下から伸び、遺跡のさらに深い場所へ繋がっている最も太い根。

 

その根だけは、補助の結晶を持っていなかった。

 

核と大地を直接繋いでいる。

 

力を奪うことはできる。

 

だが、根そのものを引き抜けば、地下空間全体が崩れる危険がある。

 

「最後は盗れねぇか」

 

『……断て……』

 

銀色の声が響く。

 

バンは巨大な核を見る。

 

周囲を覆っていた根は失われ、紫黒い結晶の大部分が露出していた。

 

だが、下部に残る一本の太い根から、今も大地の力が流れ込んでいる。

 

アンタレスが咆哮した。

 

地下空間が大きく揺れる。

 

残った力をすべて使い、核の周囲へ新しい根を伸ばそうとしている。

 

時間はない。

 

ここで核を壊すには、まだ早い。

 

大地へ繋がったまま破壊すれば、行き場を失った力が暴発する可能性がある。

 

まず、最後の根を切り離す。

 

アンタレスと封印。

 

そして大地の流れを分けてから、核を砕く。

 

「分かってるよ」

 

バンはクレシューズを握り直した。

 

左腕は震えている。

 

脇腹からは血が流れ続けていた。

 

右腕の包帯も赤く染まっている。

 

神器解放による負担。

 

身体狩りの反動。

 

何度も獲物狩りを使った左手は、指を動かすだけでも痛んだ。

 

それでも。

 

超集中力は途切れていない。

 

露出した核。

 

最後の根。

 

アンタレスの大鋏。

 

迫る尾。

 

銀色の鎖。

 

崩れ始めた天井。

 

すべてが見えている。

 

「他人から盗り続けて」

 

バンは低く腰を落とした。

 

「最後は全部、自分のもんにできると思ったか?」

 

アンタレスの巨大な眼が、バンを睨む。

 

黒い根が一斉に伸びる。

 

大鋏が持ち上がる。

 

尾が天井近くまで引かれる。

 

「残念だったな」

 

クレシューズの四つの節が広がった。

 

鋭い先端が、核と大地を繋ぐ最後の根へ狙いを定める。

 

「盗ったもんは返せねぇけどよ」

 

バンは砕けた甲殻を蹴った。

 

赤い影が、アンタレスの中心へ飛び込む。

 

「盗り続ける手くらいは、止められるぜ」

 

左右から大鋏が迫る。

 

頭上から尾が落ちる。

 

正面を黒い根が塞ぐ。

 

バンはクレシューズを振り抜いた。

 

聖棍が不規則な軌道を描く。

 

一本目の根を弾き。

 

二本目を裂き。

 

鋏の縁へ巻きついて、バンの身体を僅かに横へ引く。

 

尾が赤いコートのすぐ横を通過した。

 

その一瞬。

 

核へ繋がる最後の根が、完全に露出する。

 

超集中力が、切断すべき一点を捉えた。

 

バンの左腕が振り下ろされる。

 

聖棍クレシューズの鋭い先端が、最後の根へ深く食い込んだ。

 

紫黒い光が弾ける。

 

銀色の鎖が強く輝く。

 

アンタレスの咆哮が、地下空間のすべてを震わせた。




今回は、他者から力を奪い続けてきたアンタレスと、同じく《強奪》を持つバンの奪い合いを描きました。

身体狩りでアンタレスの甲殻の硬度や身体能力を奪い、獲物狩りで巨大な結晶核を引きずり出しています。
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