深い森の奥に、その遺跡は眠っていた。
崩れた石柱。
蔦に覆われた門。
長い年月を経て、森の一部へ溶け込んだ古代の建造物。
エルソス遺跡。
アルテミス・ファミリアは、世界を巡る旅の途中でそこへ辿り着いた。
古い文献には、この地の底へ災厄が封じられたと記されていた。
だが、遺跡の周囲に魔物の姿はない。
鳥の声が聞こえる。
小さな獣が木々の間を走る。
森は枯れておらず、空気にも禍々しいものは感じられなかった。
「静かですね」
団員の一人が呟く。
アルテミスは答えず、遺跡の奥を見つめていた。
微かな気配がある。
魔物のものではない。
もっと古く、澄んだ何か。
かつて月明かりの下で一瞬だけ感じた、懐かしい光に似ていた。
◇
一行は警戒しながら地下へ降りた。
最深部へ近づくにつれ、遺跡に残された傷が増えていく。
巨大な何かに抉られた石床。
尾のようなものに貫かれた壁。
衝撃で根元から倒れた柱。
そして、黒く枯れた根。
それらは、鋭い武器によって何度も切り裂かれていた。
「ここで戦いがあったようです」
「相手は一体ではありませんね」
団員たちが周囲を調べる。
しかし、魔物の死骸も、魔石も残っていない。
ただ破壊の痕跡だけが、十五年という歳月を越えて残されていた。
地下空間の中央には、大きな陥没がある。
その底へ目を凝らすと、何かを深く貫いたような一本の傷が刻まれていた。
アルテミスは壁際へ歩み寄る。
そこには、消えかけた銀色の文字があった。
古い封印の一部。
指先でそっと触れる。
その瞬間。
言葉ではないものが、アルテミスの中へ流れ込んだ。
気の遠くなるほど長い孤独。
地の底で脈打ち続けた災厄。
崩れゆく封印。
傷だらけの赤い人影。
そして最後に差し出された、温かな力。
ほんの一瞬だった。
それでも、アルテミスには分かった。
ここにはかつて、月に連なる何者かがいた。
長い役目を終え。
誰かに救われ。
すでに天へ還った。
「アルテミス様?」
呼びかけられ、アルテミスは指を離した。
「何か分かりましたか?」
アルテミスは、地下空間に残された傷を見渡した。
巨大な災厄。
それに挑んだ何者か。
争った痕跡はある。
だが、災厄そのものは、もうどこにも存在しない。
「ここに封じられていたものは、もういないわ」
「封印が成功したのですか?」
「いいえ」
アルテミスは、中央に残された深い傷へ視線を向けた。
「誰かが倒したのよ」
団員たちが静まり返る。
「私たちがここへ来るより、ずっと昔に」
誰が戦ったのか。
何人いたのか。
なぜ、この地へ来たのか。
何も分からない。
残されているのは、古い戦いの傷だけ。
それでも。
もし、その者がここへ来なかったなら。
この災厄が今も眠っていたなら。
自分たちは、同じように全員で地上へ戻れただろうか。
理由もなく、アルテミスの背筋を冷たいものが伝った。
◇
調査を終えた一行は、遺跡の外へ出た。
森には夜が訪れていた。
木々の隙間から、月光が差し込んでいる。
アルテミスは門を出る直前に足を止めた。
振り返る。
崩れた遺跡の奥で、銀色の封印文字が一度だけ淡く光った。
「あなたが誰なのかは分からない」
誰に聞かせるでもなく、静かに告げる。
「それでも、ありがとう」
返事はない。
ただ、森を渡る風が木々を揺らした。
月明かりが、ほんの一瞬だけ遺跡の奥へ伸びる。
それはまるで、遠い昔の旅人が残した道を、もう一度なぞるようだった。
「行きましょう」
アルテミスの言葉に、団員たちが頷く。
誰一人欠けることなく。
アルテミス・ファミリアは、次の土地へ向かって森を歩き始めた。
エルソス遺跡には、古い戦いの傷と。
名も知らぬ旅人へ向けた、月の残響だけが残された。