強欲の旅人は神の恩恵を受けない   作:ルクエリシオン

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第5話です。
今回はオアシス都市リオード。
砂漠へ向かう交易の町で、バンが迷子になっていた相棒、聖棍クレシューズと再会します。
ただし、見つけたからといってすぐ手に入るとは限りません。


第5話 迷子の神器

リーヴァを出た商隊は、川沿いの湿った空気を置き去りにして、少しずつ乾いた土地へ入っていった。

 

最初は草があった。

次に低い灌木が増えた。

それから土の色が薄くなり、風が熱を帯び、道の端に転がる石が白く乾いていった。

 

荷馬車の車輪が、硬い土を軋ませる。

空は高く、雲は少ない。

日差しはリーヴァの川辺とは比べものにならないほど強かった。

 

バンは荷台の上で寝転がり、片手で目元を覆っていた。

 

「暑ぃな」

 

御者台のラドが笑う。

 

「リオードはまだ砂漠の入口ですよ。ここで暑いと言っていたら、砂漠越えはできません」

 

「煉獄よりはマシだ」

 

「またそれですか。どんな土地なんです、れんごくというのは」

 

「飯が不味くなる話だ」

 

「毎回それで済ませますな」

 

ラドは肩をすくめた。

 

荷馬車には、リーヴァで仕入れた干し魚、黒だれの壺、濁り酒の樽が積まれている。バンはそのうち干し魚を少し譲ってもらい、噛みながら揺られていた。

 

噛めば噛むほど塩気と川魚の旨味が出る。

悪くない。

だが、酒が欲しくなる味だった。

 

「リオードってのは酒があるんだろうな」

 

「商人の町ですからね。酒場はあります。ただし、水は高い。酒も安くはありません」

 

「水より酒が高ぇのか」

 

「どちらも高いです」

 

「面倒な町だな」

 

「砂漠の町は、だいたいそういうものです」

 

やがて、地平線の向こうに緑が見えた。

 

最初は蜃気楼のようだった。

揺らぐ熱気の中に、背の高い椰子に似た木々が立ち、白っぽい壁が見える。壁の内側には、青く光る水面があった。

 

オアシス都市リオード。

 

砂漠へ向かう者、砂漠から帰る者、商人、傭兵、旅人、盗掘屋、香辛料売り、そして怪しい珍品商が集まる中継都市だった。

 

町へ近づくと、まず目に入ったのは港だった。

 

ただし、水の港ではない。

 

 砂の港。

 

町の外れに広がる乾いた砂地に、船のようなものが何艘も並んでいた。船底は平たく、側面には大きな板と金属の部品が組み込まれている。帆の代わりに、厚い布と骨組みでできた翼のようなものが畳まれていた。

 

バンは荷台から身を乗り出した。

 

「船か?」

 

「砂栗船です。砂の上を滑る船ですよ」

 

「砂の上を?」

 

「ええ。砂漠越えの交易には欠かせません。底に特殊な木材と魔石機構を使っていて、風と砂流を読んで進むんです」

 

「へぇ」

 

バンは少しだけ興味を示した。

 

「乗れんのか」

 

「金があれば」

 

「また金か」

 

「世の中の大半は金で動きます」

 

「飯と酒もな」

 

「それもです」

 

リオードの門を抜けると、乾いた熱と香辛料の匂いが一気に押し寄せた。

 

通りには色とりどりの布が張られ、日陰を作っている。露店には干した果物、香辛料、革袋、砂漠用の外套、奇妙な形の武器、ガラス玉、怪しげな護符が並んでいた。

 

リーヴァの川魚とは違う匂い。

焼けた肉、羊の脂、豆の煮込み、香辛料、砂埃、汗、革、そして少しだけ甘い酒の匂い。

 

バンは鼻を鳴らした。

 

「飯の匂いは悪くねぇな」

 

ラドは荷馬車を止め、荷を下ろすために商人仲間のところへ向かった。

 

「私は商会へ顔を出してきます。バンさんは例の古道具屋へ行くのでしょう?」

 

「ああ。場所は?」

 

「北の市場の端です。『砂鼠の蔵』という店。看板に鼠の絵があります。値切りすぎると主人が怒りますので、ご注意を」

 

「金がねぇんだけどな」

 

「リーヴァの魔石代が少し残っているでしょう」

 

「酒飲んだら減った」

 

「でしょうね」

 

ラドは呆れながらも笑った。

 

バンは人混みの中を歩いた。

赤いロングコートは、リオードの色鮮やかな布の中でも十分に目立った。露店の商人が声をかけてくる。

 

「赤い兄さん、砂漠用の水袋はどうだ!」

 

「こっちは香辛料だ! 肉に振れば何でもうまくなる!」

 

「珍しい短剣、安くしとくよ!」

 

バンは香辛料の店でだけ足を止めた。

 

「肉に合うのはどれだ」

 

店主はにやりと笑い、小さな木箱をいくつか開けた。

赤い粉。黄色い粒。黒い種。乾いた葉。

鼻を近づけると、辛みと甘みと土っぽい香りが混ざっている。

 

「これとこれ。羊に合う。こっちは魚に合う。こいつは酒にも入れられる」

 

「酒に?」

 

「体が温まるぞ」

 

「砂漠で温まってどうすんだ」

 

「夜は冷えるんだよ、赤コート」

 

バンは少しだけ香辛料を買った。

酒代を削るのは悩んだが、うまい肉のためなら仕方がない。

 

市場の奥へ進むと、人通りが少し変わった。

 

綺麗な露店が減り、古い金属、壊れた道具、ひびの入った魔石灯、片方だけの靴、誰が使うのか分からない仮面などが並ぶ。値札もなく、店主たちの目つきも鋭い。

 

その一角に、鼠の絵が描かれた木の看板が揺れていた。

 

砂鼠の蔵。

 

店の中は、外よりもさらに雑然としていた。

天井から古いランプが下がり、壁には錆びた剣、曲がった槍、折れた盾、異国の楽器、割れた壺、正体不明の金具が並んでいる。床には箱が積まれ、その隙間を本物の鼠が走った。

 

奥の椅子に、小柄な老人が座っていた。

 

鼻は長く、目は細い。白い髭は胸まで伸び、指にはいくつも指輪をはめている。

老人はバンを見るなり、片目を開けた。

 

「買うのか、売るのか、冷やかしか」

 

「探し物だ」

 

「探し物は高い」

 

「まだ名前も言ってねぇだろ」

 

「探す手間が高い」

 

バンは少し笑った。

 

「四つに折れた棒みてぇな武器があるって聞いた」

 

老人の目が、ほんの少しだけ動いた。

 

「ある」

 

バンの空気が変わった。

 

「見せろ」

 

「見るだけなら銀貨一枚」

 

「見るだけで金取んのかよ」

 

「珍品は目で減る」

 

「減らねぇよ」

 

「わしの気分が減る」

 

老人はしれっと言った。

 

バンは懐の革袋を探る。

硬貨は少ない。リーヴァで得た魔石代の残りは、酒と香辛料でかなり減っている。

 

バンは銀貨を一枚置いた。

 

「さっさと出せ」

 

「せっかちな客は嫌われるぞ」

 

「飯が冷める前に済ませたいんでな」

 

老人は奥の棚へ消えた。

 

しばらく物をどかす音がした。金属がぶつかり、何かが落ち、老人が小さく悪態をつく。

 

そして、布に包まれた長いものを抱えて戻ってきた。

 

老人が布を開く。

 

四つに折れた棍。

 

金属とも木ともつかない質感。

節ごとに分かれた形。

見た目は古びているが、ただの古道具ではないことは一目で分かる。眠っていても、そこにあるだけで妙な存在感があった。

 

バンは無言でそれを見下ろした。

 

指先を伸ばす。

 

触れる。

 

馴染んだ重さが、手のひらに帰ってきた。

 

「……迷子になってんじゃねぇよ」

 

聖棍クレシューズは何も答えない。

だが、バンの手の中で、ほんのわずかに空気が締まったような気がした。

 

老人は目を細める。

 

「ほう。反応したな」

 

「俺のだ」

 

「今はわしの商品だ」

 

バンの視線が老人へ向いた。

 

「拾ったもんを売ってんのか」

 

「仕入れたものを売っている。商売とはそういうものだ。持ち主がいるなら、買い戻せ」

 

「いくらだ」

 

老人は指を三本立てた。

 

バンは革袋を見た。

 

足りない。

かなり足りない。

 

「高ぇな」

 

「珍品だからな。魔力を通しても反応が薄い。だが壊れない。曲がらない。刃もないのに、武器屋が欲しがる。観賞用にもなる。貴族の変人も買う」

 

「貴族の変人に渡すな。似合わねぇ」

 

「なら金を出せ」

 

「今はねぇ」

 

「なら売れん」

 

老人は布を戻そうとした。

 

バンはクレシューズから手を離さない。

 

「働きゃいいか」

 

「何?」

 

「金が足りねぇんだろ。稼いでくる。取り置きしとけ」

 

老人は鼻を鳴らした。

 

「取り置きにも金がいる」

 

「いちいち金取るな、じいさん」

 

「金を取るのが商売だ、赤コート」

 

バンはしばらく老人を見た。

 

それから、懐に残っていた硬貨を全部置いた。

 

「これで足止めだ」

 

「一日だけだな」

 

「十分だ」

 

老人は硬貨を数え、にやりと笑った。

 

「一日過ぎれば売る」

 

「その前に戻る」

 

「金を持ってな」

 

「ああ」

 

バンは店を出た。

 

クレシューズを見つけた。

だが、金がない。

 

つまり、稼ぐ必要がある。

 

バンの判断は早かった。

 

「飯作るか」

 

リオードには酒場が多い。

なら、厨房もある。客もいる。腹を空かせた商人や船乗り、傭兵もいる。

 

うまい飯を作れば、金になる。

 

バンは市場へ戻った。

 

夕方のリオードは、昼とは違う顔を見せ始めていた。

日差しが傾くと、張られた布の影が濃くなり、露店の火が増える。砂栗船の乗組員、商人、護衛、旅人たちが酒場へ流れていく。

 

通りの角に、やけに騒がしい酒場があった。

 

看板には、砂の上を走る船と酒杯が描かれている。

 

砂杯亭。

 

バンは扉を開けた。

 

中は熱気と匂いで満ちていた。

羊肉の脂、豆の煮込み、焼いた平たいパン、酸味のある酒、香辛料。客たちは声が大きく、卓を叩き、笑い、時に言い争っている。

 

バンはカウンターへ向かった。

 

店主は腕の太い女だった。日焼けした肌に、布を巻いた髪。目つきは鋭い。包丁を持つ手に迷いがない。

 

「飯か、酒か、喧嘩か」

 

「厨房を貸せ」

 

店主の眉が上がった。

 

「出てけ」

 

「金が欲しい。飯を作る。客に出せ。売れた分だけ分けろ」

 

「ここは素人の遊び場じゃないよ」

 

「食ってから決めろ」

 

バンは買った香辛料と、リーヴァから持ってきた黒だれの小瓶を取り出した。

 

店主の目が黒だれに止まる。

 

「リーヴァのか」

 

「ああ。魚もうまかった」

 

「ふん。川の町のたれで砂漠の肉を焼く気かい」

 

「うまけりゃ何でもいいだろ」

 

店主はしばらくバンを見ていた。

 

そして、顎で厨房を示す。

 

「一皿だけだ。まずかったら追い出す」

 

「十分だ」

 

バンは厨房に入った。

 

材料を見る。

羊肉、乾燥豆、平たいパン、玉ねぎに似た野菜、辛い香草、酸味のある酒。塩はあるが高い。油は羊脂。

 

バンは羊肉の脂身を少し厚めに切り、黒だれと香辛料を合わせた。リーヴァの黒だれは魚向けだが、発酵の旨味と塩気は肉にも合う。そこに砂漠の赤い香辛料を加え、酒で少し伸ばす。

 

肉を強火で焼く。

 

じゅう、と音がした。

 

脂が跳ね、黒だれが焦げ、香辛料の匂いが一気に立ち上がる。

厨房の外にいた客が、何人か鼻を動かした。

 

「なんだ、その匂い」

 

「リーヴァの黒だれか?」

 

「肉に塗ってんのか?」

 

バンは焼いた肉を薄焼きパンに乗せ、刻んだ香草と豆の煮込みを少し添えた。最後に黒だれをほんの少し垂らす。

 

「ほらよ」

 

店主が一口食べた。

 

沈黙。

 

肉の脂。

黒だれの焦げた旨味。

香辛料の熱。

豆の柔らかい甘み。

薄焼きパンの粉っぽさが、全部を受け止める。

 

店主はもう一口食べた。

 

「……腹立つね」

 

「うまいか?」

 

「売れる」

 

「褒め言葉だな」

 

店主は厨房の外へ怒鳴った。

 

「新しい串肉だ! 黒だれ羊肉! 食いたいやつは金を出しな!」

 

客たちが一斉に反応した。

 

「こっちに二つ!」

 

「酒もだ!」

 

「何だその匂い、俺にもよこせ!」

 

そこからは忙しかった。

 

バンは羊肉を切り、黒だれと香辛料を絡め、焼き、パンに挟み、串にも刺した。店主は横で酒を出し、皿を回し、金を取る。

 

最初は珍しさで注文していた客たちも、一口食うと顔を変えた。

 

「うまい!」

 

「酒に合うぞ、これ!」

 

「辛ぇ、でも止まらねぇ!」

 

「黒だれを肉に使うなんて考えたやつ、馬鹿だろ!」

 

「馬鹿だがうまい!」

 

バンは肉を焼きながら笑った。

 

「馬鹿は余計だ」

 

火の前は暑い。

だが、悪くない。

香辛料の煙。焼ける脂。酒を求める声。腹を空かせた客の目。

 

厨房は戦場に似ている。

ただし、倒す相手は腹の減った客だ。

 

何十皿も売れたころ、店の奥で騒ぎが起きた。

 

大柄な男たちが三人、卓を囲んでいた。砂漠の傭兵か、荒くれ商人の護衛か。顔は赤く、酒臭い。

そのうちの一人が、空の皿をカウンターへ投げた。

 

「おい、赤コート! こっちにもっと肉よこせ!」

 

「金払え」

 

バンは肉を焼きながら言った。

 

「後で払う」

 

「今払え」

 

「俺たちを誰だと思ってる」

 

「腹減った酔っ払い」

 

周囲が少し静かになった。

 

男の顔が歪む。

 

「舐めてんのか」

 

「肉を焦がすなよ。皿がもったいねぇ」

 

男が立ち上がり、バンへ歩いてきた。

店主が包丁を握り直す。

 

バンは焼き上がった肉を皿に乗せ、片手で酒杯を持った。

ちょうど自分用に注いだ濁った砂漠酒だった。

 

男が拳を振るう。

 

バンは避けた。

 

酒杯の中身は一滴もこぼれない。

 

次の瞬間、バンの足が男の膝裏を払った。男の巨体が崩れ、顔面から床に落ちる。

二人目が掴みかかる。バンは酒杯を持ったまま肩で受け流し、肘を腹に入れる。男が息を詰まらせて膝をついた。

三人目が短剣を抜いた。

 

バンの目が少しだけ細くなる。

 

「厨房で刃物を振り回すな」

 

バンは皿を置き、短剣を持つ手首を掴んだ。

軽く捻る。

 

短剣が落ちた。

男も落ちた。

 

床に三人が転がる。

 

バンは酒杯を見た。

こぼれていない。

 

「よし」

 

店内は静まり返っていた。

 

バンは酒を一口飲み、顔をしかめる。

 

「薄いな」

 

その一言で、誰かが吹き出した。

次の瞬間、酒場中が笑いに包まれた。

 

「赤コート、最高だ!」

 

「肉も喧嘩もうめぇ!」

 

「今のもう一皿くれ!」

 

「倒れてる連中の分も俺が買う!」

 

店主はカウンターを叩いて笑った。

 

「気に入ったよ、赤コート。今日の売上の取り分、約束より増やしてやる」

 

「助かる。買い戻すもんがあるんでな」

 

「女か?」

 

「棒だ」

 

「……変な男だね」

 

夜が深まるころ、バンの革袋はずっしり重くなっていた。

 

砂杯亭の店主は、最後に小さな壺を渡してくれた。

 

「砂漠の香辛料だ。黒だれと合わせるなら、こいつを少し足しな」

 

「いいのか」

 

「また作りに来な。客が喜ぶ」

 

「酒がうまくなってたらな」

 

「薄いって言ったね、あんた」

 

「薄いもんは薄い」

 

店主は笑いながら、バンの背を叩いた。

 

バンはその足で砂鼠の蔵へ向かった。

 

夜のリオードは、昼よりも暗かった。

魔石灯は少ない。市場の多くは灯りを落としている。

ラドによれば、この町では夜に強い光を出しすぎると、空を飛ぶ魔物サバトを呼ぶのだという。

 

暗い通りを、バンは歩いた。

砂の匂い。香辛料の残り香。遠くの酒場の笑い声。

 

砂鼠の蔵はまだ開いていた。

 

老人は椅子に座り、まるでバンが戻ることを分かっていたかのように茶を飲んでいた。

 

「早かったな」

 

「稼いできた」

 

バンは革袋を置いた。

 

老人は中を数える。

一枚一枚、丁寧に。

じれったいほどゆっくり。

 

バンは黙って待った。

 

やがて老人は頷いた。

 

「足りている」

 

「なら返せ」

 

「売る、だ」

 

「俺のだ」

 

「今からお前のものになる」

 

「細けぇな」

 

老人は布を開き、聖棍クレシューズを差し出した。

 

バンはそれを受け取った。

 

重さが手に戻る。

握り慣れた感触。

掌に収まる節の形。

長い旅の中で、何度も振るい、何度も血を浴び、何度も一緒に生き残ってきた相棒。

 

バンはクレシューズを肩に担いだ。

 

「待たせたな」

 

もちろん、返事はない。

だが、それで十分だった。

 

老人が言った。

 

「それは何だ」

 

「俺の武器だ」

 

「ただの武器には見えん」

 

「ただの武器じゃねぇからな」

 

「神器か?」

 

バンは老人を見た。

 

老人は商人の顔ではなく、古い物を見る者の顔をしていた。

 

「名前は?」

 

「聖棍クレシューズ」

 

「聞いたことがない」

 

「この世界のもんじゃねぇしな」

 

老人は目を細めた。

 

「面白いことを言う」

 

「本当のことだ」

 

「なら、大事にしろ。迷子にするな」

 

「こいつが勝手に迷子になったんだよ」

 

老人は鼻で笑った。

 

バンは店を出た。

 

外へ出ると、夜風が砂の匂いを運んできた。昼の熱は嘘のように引き、肌に少し冷たい。

 

ふと、空がざわついた。

 

町の上を、黒い影が横切る。

 

翼のある魔物だった。

大きさは人ほど。細長い翼を持ち、夜の空を滑るように飛んでいる。数は多くないが、町の外側を旋回していた。

 

通りの端で、灯りを消していた男が小声で言う。

 

「サバトだ。明かりに寄ってくる。目を合わせるなよ」

 

バンは空を見上げる。

 

「食えねぇのか」

 

男がぎょっとした。

 

「食う気か?」

 

「羽があるなら焼けそうだろ」

 

「あれは肉が臭い。しかも魔石を取れば灰になる」

 

「使えねぇ鳥だな」

 

「鳥じゃない」

 

バンは少し残念そうにした。

 

その時、ラドが通りの向こうからやってきた。

彼はバンの肩のクレシューズを見るなり、目を丸くした。

 

「取り戻したのですね」

 

「ああ」

 

「おめでとうございます。これで砂漠越えも少し安心ですな」

 

「砂漠越え?」

 

「サバハ方面へ向かう砂栗船の便を見つけました。明後日の朝、出るそうです」

 

「サバハ?」

 

「砂漠の中継地です。その先に、ローランという土地があります」

 

バンの眉が動く。

 

「ローラン?」

 

「砂葡萄酒で有名です。砂漠の夜に飲むと、喉の奥が涼しくなるような酒だとか」

 

バンは黙った。

 

クレシューズを肩に担ぎ直す。

 

「詳しく」

 

ラドは苦笑した。

 

「そう言うと思いました」

 

「うまいのか」

 

「噂では。蜂蜜のような甘みと、夜風のような冷たさがあるそうです。ただ、今は交易路が不安定で、手に入りにくい」

 

「なんでだ」

 

「黒い砂嵐の噂があります。サバハの先で、砂が黒く染まり、水が毒になる場所があるとか。商隊がいくつも戻っていない」

 

「物騒だな」

 

「ええ。ですから、普通は近づきません」

 

「砂葡萄酒はその向こうか」

 

「おそらく」

 

バンは夜の砂漠を見た。

 

町の外には、暗い砂の海が広がっている。

サバトの影が空を流れ、遠くで砂が風に鳴っている。

 

うまい酒がある。

その道が塞がっている。

黒い砂嵐とやらが邪魔をしている。

 

分かりやすい話だった。

 

「なら行くか」

 

ラドが額を押さえた。

 

「今の話のどこを聞いてそうなるんです」

 

「酒があるんだろ、向こうに」

 

「危険もあります」

 

「酒の道に危険があるのは、まあ普通だろ」

 

「普通ではありません」

 

バンは笑った。

 

肩には聖棍クレシューズ。

懐には少しの硬貨と香辛料。

腹の中には黒だれ羊肉と薄い砂漠酒。

 

迷子の相棒は戻った。

次の目的地も決まった。

 

オアシス都市リオードの夜。

魔石灯を落とした暗い通りで、赤い服の旅人は砂漠の向こうを見ていた。

 

「悪くねぇな」

 

神の恩恵もなく。

ステイタスもなく。

ファミリアにも属さず。

 

飯と酒と相棒を取り戻した旅人は、次の一杯を求めて、砂の海へ向かうことにした。




第5話は、聖棍クレシューズとの再会回でした。
リオードでは、古道具屋、砂漠酒場、黒だれ羊肉、サバト、そして砂葡萄酒の噂まで登場しました。
次回は、砂栗船で砂漠へ出発します。
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