強欲の旅人は神の恩恵を受けない   作:ルクエリシオン

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修正版の第3話です。
赤い旅人の続きになります。


第3話 神様が歩く世界

朝のミーネ村は、思ったよりも賑やかだった。

 

鶏の鳴き声。

井戸の水を汲む音。

畑へ向かう者たちの足音。

薪を割る乾いた音。

鍋の中で粥が煮える匂い。

 

バンは納屋の干し草の上で目を開けた。

 

知らない天井。

知らない匂い。

知らない世界。

 

それでも、朝飯の匂いは分かる。

 

「……いい匂いだな」

 

上体を起こすと、身体のあちこちが少しだけ痛んだ。

 

混沌の裂け目に飲み込まれた影響か。

昨日の戦闘のせいか。

あるいは、慣れない世界の空気そのものが身体に合っていないのか。

 

不死身だった頃なら、気にする必要もなかった痛みだ。

 

今は違う。

 

傷は残る。

痛みも残る。

無茶をすれば、その分だけ身体に返ってくる。

 

バンは肩を回し、小さく息を吐いた。

 

「ま、動くなら問題ねぇか」

 

立ち上がり、納屋の扉を開ける。

 

朝の光が差し込んだ。

 

村の中央では、すでに湯気の立つ鍋が置かれていた。

昨日助けた少年、トマがバンを見つけて大きく手を振る。

 

「あ、起きた!」

 

「飯か?」

 

「はい!」

 

「いい村だな」

 

バンは即答した。

 

火のそばに座ると、トマの母親が木の椀に粥をよそってくれた。

 

麦と豆を煮た粥。

そこに、昨夜の黒背狼の肉を細かく裂いたものが混ざっている。

香草と塩で味を整えただけの素朴なものだったが、朝の腹にはちょうどいい。

 

バンは一口食べた。

 

「悪くねぇ」

 

「よかったです。昨日教えてもらった通り、肉は一度焼いてから入れました」

 

「その方が臭みが抜ける」

 

「本当に違いました。村の皆も驚いてましたよ」

 

「肉は扱い方で変わるからな」

 

バンは粥を食べながら、村を見回した。

 

昨日の騒ぎはまだ尾を引いている。

荷馬車は修理中。

ガルドは家の中で寝かされている。

村人たちは普段より少し緊張している。

 

それでも、朝飯を食う顔は悪くなかった。

 

トマが隣に座る。

 

「バンさんって、本当に旅人なんですか?」

 

「ああ」

 

「どこから来たんですか?」

 

「遠いとこ」

 

「どれくらい遠いんですか?」

 

「説明すんのが面倒なくらい」

 

「それ、すごく遠いってことですか?」

 

「たぶんな」

 

トマは不思議そうに首を傾げた。

 

バンは粥を食べ終え、椀を置く。

 

「なあ、坊主」

 

「トマです」

 

「トマ。昨日言ってたオラリオってのは、どんなとこだ?」

 

トマの目が少し輝いた。

 

「オラリオは、すごい都市です!世界で一番大きな冒険者の街で、地下にダンジョンがあるんです!」

 

「ダンジョンねぇ」

 

「地面の下に、ずっと続く迷宮があるって聞きました。そこから魔物が生まれて、冒険者たちが入って、魔石や素材を取ってくるんです」

 

「魔石って、昨日言ってたやつか」

 

「はい。魔物の中にある石です。道具を動かしたり、明かりに使ったり、色々できるって」

 

「肉より便利そうだな」

 

「普通はそう思うと思います」

 

トマは少し笑った。

 

バンは村の端に積まれている黒背狼の皮を見た。

 

「ここの魔物には、それがねぇ」

 

「地上の魔物は、ないやつが多いって聞きました。だから、肉とか皮とか牙を使います。でも、オラリオのダンジョンの魔物は魔石があって、倒すと灰になるものも多いって」

 

「灰になったら食えねぇじゃねぇか」

 

「でも、肉が残る魔物もいるらしいです。ドロップアイテムっていうんだって、父さんが言ってました」

 

「落とし物か」

 

「落とし物……なのかな?」

 

トマは困った顔をした。

 

バンは面白そうに笑う。

 

「そのダンジョンってのは、腹減ってる場所なのか?」

 

「え?」

 

「魔物を生んで、魔石を持たせて、人間に取りに来させるんだろ。腹減ってる奴みてぇだなって」

 

トマはきょとんとした。

 

その時、近くで聞いていた年配の男が低く笑った。

 

「変なことを言う旅人だな」

 

昨日、黒背狼の解体をしていた村人だった。

 

名はロッソというらしい。

 

顔に深い皺があり、右目の下に古い傷がある。

若い頃には、村の外で護衛仕事をしたこともあるという。

 

ロッソは木の杯を持って、バンの向かいに座った。

 

「だが、ダンジョンを腹の減った怪物と見るのは、あながち間違いでもないかもしれん」

 

「へぇ」

 

「オラリオのダンジョンは生きている、と言う者もいる。壁から魔物を生む。壊されれば直る。神の力にも反応する。あれは、ただの穴ではない」

 

「面白そうだな」

 

「普通は怖がるところだ」

 

「怖くても、面白いもんは面白いだろ」

 

ロッソは呆れたように笑った。

 

「お前さん、本当に変わっている」

 

「よく言われる」

 

バンは木の杯に残っていた水を飲んだ。

 

「で、そのオラリオには神様もいるって聞いたが」

 

「ああ。下界へ降りた神々がいる」

 

ロッソは少し声を落とした。

 

「神々はファミリアを作る。自分の眷族を集め、恩恵を与える。冒険者はその恩恵で強くなるんだ」

 

「恩恵」

 

「神の血、と言う者もいるな。背中に刻まれる力だ。能力値、スキル、魔法。戦い、経験を積み、偉業を成せば、器が上がる。レベルが上がる」

 

「背中に名前でも書かれんのか?」

 

「神の文字でな」

 

「へぇ」

 

バンは自分の背中を軽く叩いた。

 

「俺にはいらねぇな」

 

トマが驚いた顔をした。

 

「えっ!?神様の恩恵ですよ!?みんな欲しがるものですよ!」

 

「欲しい奴は貰えばいいだろ」

 

「バンさんはいらないんですか?」

 

「俺は俺のままで歩く」

 

バンはあっさり言った。

 

「誰かの背中に名前を書かれねぇと立てねぇわけじゃねぇしな」

 

ロッソは目を細めた。

 

馬鹿にしているような言い方ではなかった。

 

神を侮辱しているわけでもない。

 

ただ、本当に必要としていない。

 

そういう声だった。

 

「神に喧嘩を売るようなことを、村では言うなよ」

 

「売ってねぇよ。いらねぇってだけだ」

 

「それでも神によっては気にする」

 

「面倒くせぇな、神様ってのは」

 

「そこは否定せん」

 

ロッソは小さく笑った。

 

バンも笑った。

 

だが、その内側で、彼は少しだけ考えていた。

 

神の恩恵。

ステイタス。

レベル。

スキル。

魔法。

 

この世界では、神の恩恵を受けた者が、その力を引き出されて強くなる。

 

元の世界とは違う。

 

バンの力は、神から与えられたものではない。

妖精王の森の泉から始まり、盗賊としての経験を重ね、煉獄で鍛えられ、不死を失い、それでも残ったものだ。

 

強奪《スナッチ》。

 

奪う力。

 

そして、贈物《ギフト》。

 

与える力。

 

どちらも、神の背中に刻まれたものではない。

 

だが、昨日からその感覚は遠い。

 

この世界の生き物は、少し違う理で動いている。

魔物も、人間も、魔力も。

 

バンは右手を軽く握った。

 

ロッソがそれに気づく。

 

「どうした」

 

「いや」

 

バンは右手を開く。

 

「この世界、盗りづれぇなと思ってな」

 

「盗りづらい?」

 

「ああ」

 

ロッソは眉をひそめた。

 

「お前さん、盗賊か?」

 

「昔はな」

 

「今は?」

 

「旅人」

 

「答えになっているようで、なっていないな」

 

「よく言われる」

 

トマが興味津々で身を乗り出した。

 

「昨日、魔物の動きが変になったのって、バンさんが何かしたんですか?」

 

「少し盗った」

 

「何をですか?」

 

「勢い」

 

「勢いって盗めるんですか?」

 

「盗れる」

 

「すごい……」

 

「前はもっと盗れたんだけどな」

 

バンは何気なく言った。

 

トマは首を傾げる。

 

ロッソは、その言葉を聞き逃さなかった。

 

「前は、か」

 

「あ?」

 

「この世界に来てから、力がうまく使えんのか」

 

バンは少しだけ黙った。

 

それから、肩をすくめる。

 

「まあな。落ちたってより、指に引っかからねぇ感じだ。ここの魔力ってのか、命の流れってのか、そういうもんが妙に違う」

 

「それで、あれだけ戦えるのか」

 

「三匹くらいならな」

 

「普通は三匹も相手にせん」

 

「腹減ってたからな」

 

「それで済む話ではない」

 

ロッソは苦笑した。

 

しかし、目は真剣だった。

 

「オラリオに行くなら、覚えておけ。あそこでは強いだけでは足りん。神、ファミリア、ギルド、商人、鍛冶師、冒険者。力の流れが複雑だ」

 

「飯屋もあるか」

 

「ある」

 

「酒場は」

 

「山ほどある」

 

「なら行く価値はあるな」

 

トマが笑った。

 

「バンさん、本当に飯と酒なんですね」

 

「大事だろ」

 

「大事ですけど」

 

「腹が減ってると、人間ろくなこと考えねぇからな」

 

ロッソは頷いた。

 

「それは正しい」

 

バンは少し気をよくしたように椀を差し出した。

 

「粥、もう一杯」

 

「はい!」

 

トマが嬉しそうに椀を受け取り、母親の元へ走っていった。

 

その日の昼前、バンは村の手伝いをしていた。

 

正確には、飯の礼に働かされていた。

 

壊れた荷馬車を直す。

黒背狼の皮を干すための木枠を組む。

畑の端に倒れた柵を立て直す。

重い水桶を運ぶ。

 

村人たちは最初、バンに遠慮していた。

 

だが、バンが「飯の礼だろ」と言うと、だんだん普通に頼むようになった。

 

「赤い兄ちゃん、その丸太をこっちへ」

 

「あいよ」

 

「そこの杭を打ってくれ」

 

「これか?」

 

「力入れすぎるな!地面まで割れる!

 

「注文が多いな」

 

バンが杭を打つたびに、村人たちは驚いたり笑ったりした。

 

彼の力は異常だった。

 

ステイタスも恩恵もないのに、普通の人間では到底できないことを平然とやる。

 

ロッソはその様子を遠くから見ていた。

 

トマが隣で言う。

 

「バンさん、神様の恩恵がないんですよね?」

 

「ああ言っていたな」

 

「なのに、あんなに強いんですか?」

 

「世の中には、神の物差しでは測れないものもある」

 

「神様よりすごいってことですか?」

 

「そういう意味ではない」

 

ロッソはトマの頭を軽く叩いた。

 

「神の恩恵は、下界の者を強くする仕組みだ。だが、世界にはその仕組みの外にいる者もいる。精霊に育てられた者、古代の英雄、異国の達人、神々がまだ知らぬ怪物。あの赤い旅人も、そういう類なのかもしれん」

 

「バンさん、怪物なんですか?」

 

「本人に聞くなよ。たぶん笑う」

 

その頃、バンは丸太を担ぎながら、くしゃみをした。

 

「誰か噂してんな」

 

午後になると、村に小さな行商人の荷馬車がやってきた。

 

昨日の騒ぎを聞いたのか、行商人は黒背狼の皮と牙を見て目を丸くした。

 

「これは上物だな。誰が狩った?」

 

村人たちが一斉にバンを見る。

 

行商人もバンを見た。

 

「……あんたが?」

 

「飯のついでにな」

 

「飯のついでで黒背狼を三匹?」

 

「腹減ってたからな」

 

行商人は何度か瞬きをした。

 

「変わった人だ」

 

「よく言われる」

 

行商人は皮と牙を買い取り、代わりに塩、少量の香辛料、布、そして麦酒の小樽を置いていった。

 

バンの目が小樽で止まる。

 

行商人はすぐに気づいた。

 

「飲むかい?」

 

「売り物だろ」

 

「一杯くらいなら。黒背狼を狩った人にケチはつけられない」

 

「いい奴だな」

 

木の杯に麦酒が注がれる。

 

バンはそれを飲んだ。

 

昨日の村の酒より少しだけ濃い。

麦の香りも強い。

ただし、まだ粗い。

 

「悪くねぇ」

 

行商人は嬉しそうに笑った。

 

「オラリオへ行けば、もっといい酒があるよ」

 

「らしいな」

 

「行くのかい?」

 

「飯と酒があるならな」

 

「それだけでオラリオへ?」

 

「あと、迷子を探す」

 

「迷子?」

 

「棒だ」

 

「棒?」

 

大事な棒だ

 

行商人はますます分からないという顔をした。

 

バンは説明する気がなかった。

 

クレシューズ。

 

混沌の裂け目で離れた相棒。

 

気配はまだ遠い。

この世界のどこかに落ちたのか、誰かに拾われたのか、あるいは別の場所へ飛ばされたのか。

 

だが、あれがただの武器で終わるようなものではないことを、バンはよく知っている。

 

自分がこの世界に来たなら、あれもどこかにある。

 

そんな気がした。

 

夕方、ロッソがバンに古い地図を見せた。

 

粗い地図だった。

 

村の位置。

街道。

近くの川。

森。

そして、遠くに書かれた大きな丸。

 

「これがオラリオだ」

 

「結構あるな」

 

「歩けば数日。途中に町もある。道を外れなければ、大きな危険は少ない」

 

「魔物は?」

 

「出る」

 

「少ないって言っただろ」

 

「大きな危険は少ないと言った」

 

「小さい危険はあるのか」

 

「旅に危険がないと思うな」

 

「そりゃそうだ」

 

バンは地図を見る。

 

オラリオ。

 

ダンジョンを抱える都市。

神々が歩く街。

冒険者が集まり、魔石が流れ、酒場が山ほどある場所。

 

この世界を知るなら、そこへ行くのが一番早い。

 

それに、クレシューズの手がかりも、物が集まる街なら見つかるかもしれない。

 

「この地図、もらっていいか」

 

「古いものでよければな」

 

「助かる」

 

「礼なら、もう十分働いてもらった」

 

「飯もうまかったしな」

 

ロッソは笑った。

 

「お前さんは、本当にそればかりだ」

 

「分かりやすくていいだろ」

 

「そうだな。分かりやすい旅人は嫌いではない」

 

夜、村では小さな食卓が囲まれた。

 

黒背狼の干し肉にする分を除き、残った肉は再び煮込みになった。

行商人から得た塩と香辛料を少しだけ使ったため、昨日より味が良い。

 

バンは満足そうに食べた。

 

トマが隣で聞く。

 

「バンさん、明日行っちゃうんですか?」

 

「ああ」

 

「もっといてもいいのに」

 

「飯はうまいけどな。ここにいても酒場は増えねぇ」

 

「オラリオには、たくさんあるんですよね」

 

「らしいな」

 

「神様にも会うんですか?」

 

「向こうから来たらな」

 

「ファミリアには入らないんですか?」

 

「入らねぇ」

 

「どうしても?」

 

「どうしても」

 

「神様に誘われても?」

 

「断る」

 

「すごいなぁ」

 

トマは本気で感心していた。

 

バンは苦笑する。

 

「すごいことじゃねぇよ。俺は俺のままがいいだけだ」

 

「僕も、いつかオラリオに行けますかね」

 

「行きたいのか」

 

「少しだけ。怖いけど、冒険者ってかっこいいから」

 

「怖いなら、まず飯食って身体作れ」

 

「そこからですか?」

 

「そこからだろ」

 

バンは椀の中の肉を一つ、トマの椀へ放り込んだ。

 

「食え。棒振るにも、逃げるにも、腹がいる」

 

「はい!」

 

トマは嬉しそうに肉を食べた。

 

その夜、バンは再び納屋で横になった。

 

地図は懐に入れてある。

少量の干し肉と、村人たちが持たせてくれた硬いパンもある。

行商人からは、小さな塩の袋も貰った。

 

旅の準備としては悪くない。

 

バンは右手を上げ、指を軽く動かした。

 

強奪《スナッチ》。

 

この世界では、まだ感覚が遠い。

 

だが、少し分かってきた。

 

地上の魔物は、魔石を持たず、肉体を残すものがいる。

ダンジョン産モンスターは、魔石を持ち、灰になるものが多い。

神の恩恵を受けた者たちは、ステイタスという理で強くなる。

 

世界の仕組みが違えば、盗り方も変えればいい。

 

バンはそう考えた。

 

「要は、慣れりゃいいんだろ」

 

天井を見上げ、笑う。

 

神様が歩く世界。

 

ダンジョンが魔物を生む世界。

 

人が背中に神の文字を刻まれ、強くなる世界。

 

そんな場所に、不死身ではない赤い旅人が一人。

 

神の恩恵もなく、ステイタスもなく、ファミリアにも属さず、飯と酒を求めて歩き出す。

 

「面白くなってきたな」

 

バンは目を閉じた。

 

明日は、オラリオへ向かう。

 

まずは酒場。

 

それから飯屋。

 

ついでに、迷子の神器探し。

 

神様とやらに会うのは、その後でいい。




第3話でした。
修正版では、神の恩恵、ファミリア、ステイタス、ダンジョン、魔石について、村人たちの会話を通して整理しました。

また、バンが神の恩恵を必要としない理由や、《強奪(スナッチ)》がこの世界の理にまだ馴染んでいないことも改めて描写しました。

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