強欲の旅人は神の恩恵を受けない   作:ルクエリシオン

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第50話 街道の待ち伏せ

崩れた見張り台。

 

風に揺れる草。

 

石壁の向こうで、僅かに鳴った金属音。

 

街道の中央で止まった隊商は、瞬く間に緊張へ包まれた。

 

「荷車を寄せろ!」

 

ザルドの声が響く。

 

御者たちが慌てて手綱を引き、四台の荷車を互いに近づけていく。

 

完全な円にはできない。

 

だが、前後の荷車を斜めに置き、隙間を狭めれば、簡単な防壁にはなる。

 

「荷獣を内側へ!」

 

「商品は後だ!まず人を入れろ!」

 

ドーマも声を張り上げた。

 

商人たちが荷車の間へ駆け込む。

 

料理係の女は、動けずにいた若い少年の腕を掴み、荷台の陰へ引きずり込んだ。

 

護衛たちは外側へ立つ。

 

剣。

 

槍。

 

弓。

 

武器を構えてはいるが、その表情には隠しきれない強張りがあった。

 

「ルーカ」

 

ドーマが呼ぶ。

 

「何人見える?」

 

「見えません」

 

若い護衛は、崩れた塔へ目を凝らしていた。

 

「本当にいるのか?」

 

「いる」

 

アルフィアが淡々と答える。

 

「見張り台に五人。右の草むらに三人。左に四人」

 

「十二人……」

 

「少なくともだ」

 

ルーカの喉が鳴った。

 

それまで掴んでいた剣の柄を、さらに強く握りしめる。

 

「弓を持っている者は?」

 

ザルドが尋ねた。

 

「塔に二人。右に一人」

 

アルフィアは目を細めた。

 

「左側には弓はいない。剣と斧だ」

 

「そこまで分かるのかよ」

 

近くにいた護衛が呟く。

 

「音がする」

 

「俺には風の音しか――」

 

「黙れ」

 

男は口を閉じた。

 

バンは荷車の最後尾に立ち、見張り台を眺めていた。

 

背負っていた袋は、すでに中央の荷車の下へ置かれている。

 

クレシューズと名もない結晶。

 

そのすぐ隣にはアルフィアが立っていた。

 

「なあ」

 

バンが呼びかける。

 

「何だ」

 

「荷物、頼むな」

 

「言われるまでもない」

 

「壊すなよ」

 

「お前にだけは言われたくない」

 

「そりゃそうか」

 

バンは笑う。

 

その笑みを見たルーカが、険しい顔を向けた。

 

「何を笑っている」

 

「別に」

 

「十二人もいるんだぞ」

 

「十二人しかいねぇんだろ?」

 

「お前は――」

 

「静かにしろ」

 

ザルドの低い声で、二人の会話が止まる。

 

草の揺れ方が変わった。

 

風とは違う。

 

何かが地面を踏み、こちらへ近づいている。

 

やがて。

 

街道の先。

 

崩れた見張り台の陰から、一人の男が姿を現した。

 

革の胸当て。

 

砂埃に汚れた外套。

 

腰には湾曲した剣。

 

顔の下半分を黒い布で隠している。

 

男は両手を広げ、ゆっくりと隊商へ近づいてきた。

 

「武器を下ろせ」

 

よく通る声だった。

 

「こちらに争うつもりはない」

 

「随分と大勢で隠れている奴の言葉には聞こえんな」

 

ザルドが答える。

 

男の歩みが僅かに止まった。

 

「気づいていたか」

 

「隠れ方が雑だ」

 

「そうか?」

 

男は肩を竦める。

 

「この辺りを通る商人なら、もっと慌てるんだがな」

 

「俺たちは商人だけではない」

 

ルーカが剣を向けた。

 

「護衛がいる!」

 

「見れば分かる」

 

男はルーカの剣を見た。

 

次に、その後ろに立つ護衛たち。

 

最後に、バン、ザルド、アルフィアへ視線を移した。

 

「見ない顔が三人増えているな」

 

「お前らを捕まえるために雇われたんだよ」

 

バンが言った。

 

「バン」

 

アルフィアが冷たく名を呼ぶ。

 

「冗談だって」

 

「余計なことを言うな」

 

男は目を細めた。

 

「荷を置いていけ」

 

「争うつもりはないんじゃなかったのか?」

 

ドーマが荷車の陰から問いかける。

 

「荷を置けば、争う必要はない」

 

「人は?」

 

「抵抗しなければ殺さない」

 

「馬車もか」

 

「荷車は返す」

 

「荷獣は?」

 

「二頭もらう」

 

「随分と都合のいい話だ」

 

ドーマの声は落ち着いていた。

 

だが、その手は小さく震えている。

 

四台の荷車には、香油や陶器だけではない。

 

食料。

 

水。

 

薬。

 

長い時間をかけて集めた品々。

 

すべてを奪われれば、隊商は次の宿場町へ着くことさえ難しくなる。

 

「断ったら?」

 

バンが尋ねた。

 

男は答えなかった。

 

代わりに、右手を軽く上げる。

 

直後。

 

ひゅ、と。

 

風を裂く音がした。

 

「伏せろ!」

 

ルーカが叫ぶ。

 

見張り台から放たれた矢が、荷車へ向かって飛ぶ。

 

商人たちが身を縮める。

 

護衛が盾を構える。

 

だが。

 

「強奪《スナッチ》」

 

矢が、空中で不自然に軌道を変えた。

 

一矢。

 

二矢。

 

三矢。

 

荷車へ届く寸前で横へ吸い寄せられ、バンの右手へ集まっていく。

 

バンは三本の矢をまとめて掴んだ。

 

「挨拶にしちゃ物騒だな」

 

「何を……」

 

黒布の男が息を呑む。

 

ルーカたちも同じだった。

 

今、矢は確実に荷車へ向かっていた。

 

誰も触れていない。

 

それなのに、途中で自ら曲がったようにバンの手へ収まった。

 

「魔法か?」

 

「違ぇよ」

 

バンは矢を一本ずつ地面へ落とす。

 

「オレの技だ」

 

「撃て!」

 

男が叫んだ。

 

見張り台。

 

右の草むら。

 

三人の弓兵が一斉に弓を引く。

 

矢が放たれるより早く、バンが手を伸ばした。

 

「強奪《スナッチ》」

 

今度は、矢ではなかった。

 

弓が消える。

 

「なっ!?」

 

三人の手から弓が飛び出し、空を横切った。

 

見張り台から二張り。

 

草むらから一張り。

 

三つの弓が荷車を越え、バンの足元へ落ちる。

 

「弦は切れてねぇな」

 

バンが一本を拾い上げる。

 

「返してほしい?」

 

「殺せ!」

 

黒布の男が剣を抜いた。

 

同時に。

 

左右の草むらから、野盗たちが姿を現す。

 

斧。

 

剣。

 

短槍。

 

数は、アルフィアが告げたとおり十二人。

 

見張り台の裏には、さらに二人いた。

 

「十四人か」

 

ザルドが言う。

 

「増えたな」

 

バンが笑う。

 

「一人で行くな」

 

アルフィアが釘を刺す。

 

「分かってるって」

 

そう答えた直後。

 

バンは走り出した。

 

「バン!」

 

「向こうから来てんだから仕方ねぇだろ!」

 

街道の右側。

 

斧を振り上げた野盗へ向かって、真っ直ぐ踏み込む。

 

「死ねぇ!」

 

大きな斧が、バンの頭へ振り下ろされた。

 

バンは避けない。

 

左手を上げ、斧の柄を掴んだ。

 

刃が頭上で止まる。

 

「な……」

 

「遅ぇな」

 

軽く引く。

 

野盗の身体が前へ浮いた。

 

そのまま腕を捻ると、斧が簡単に手から外れる。

 

バンは斧を道の脇へ放り投げ、空いた右拳で男の腹を殴った。

 

「ぐっ……!」

 

身体が折れる。

 

だが、吹き飛ばさない。

 

殺さないよう、力を抑えている。

 

男はその場へ膝をつき、口から空気を吐き出した。

 

「次」

 

二人目が背後から剣を振るう。

 

バンは振り向かず、上半身だけを僅かに傾けた。

 

刃が銀色の髪を掠める。

 

バンの左脚が後ろへ跳ねた。

 

踵が男の膝裏へ入る。

 

「うわっ!」

 

体勢を崩したところで、襟を掴む。

 

そのまま一回転。

 

男は地面へ叩きつけられた。

 

「クレシューズがなくても……」

 

ルーカが呟いた。

 

「強すぎる」

 

その隣。

 

別の野盗が荷車の隙間へ向かって走ってきた。

 

狙いは戦う護衛ではない。

 

内側に隠れている商人たちだ。

 

「止まれ!」

 

ルーカが剣を構えて前へ出る。

 

野盗の方が速い。

 

短槍の穂先が、ルーカの胸へ向けられた。

 

金属がぶつかる。

 

ルーカは剣の腹で槍を逸らした。

 

だが、腕力で押され、足が滑る。

 

「くっ!」

 

「若造が!」

 

野盗が槍を引き、再び突く。

 

その前へ。

 

ザルドの巨大な腕が伸びた。

 

槍の穂先を素手で掴む。

 

「なに……?」

 

「力を込めすぎだ」

 

ザルドは槍を横へ引いた。

 

野盗が手を離すより早く、身体ごと引き寄せられる。

 

ザルドの掌が、男の胸へ当たった。

 

「前ばかりを見るな」

 

軽く押す。

 

それだけで、男は数メートル後方へ吹き飛んだ。

 

地面を転がり、動かなくなる。

 

死んではいない。

 

気を失っただけだ。

 

「大丈夫か」

 

ザルドがルーカへ尋ねる。

 

「あ、ああ」

 

「剣を構え直せ」

 

「分かった」

 

ルーカは息を整え、再び荷車の外側へ立った。

 

今度は先ほどより足を広げ、重心を低くしている。

 

ザルドの言葉を、その場で受け入れたらしい。

 

左側では、三人の野盗がアルフィアへ迫っていた。

 

女一人。

 

細身。

 

武器も持っていない。

 

そう判断したのだろう。

 

「そこの女!」

 

「動くな!」

 

「荷物から離れろ!」

 

アルフィアは動かなかった。

 

足元には、バンの背負い袋。

 

「それ以上近づくな」

 

静かな声。

 

野盗たちは止まらない。

 

一人が剣を振り上げる。

 

「福音《ゴスペル》」

 

澄んだ鐘の音が鳴った。

 

目には見えない衝撃が、地面を走る。

 

三人の足元。

 

ほんの僅か手前。

 

乾いた土が一直線に抉れ、土煙が高く上がった。

 

「ひっ……」

 

剣を構えていた男の足が止まる。

 

地面には、深い溝。

 

あと半歩でも前へ進んでいれば、脚ごと消し飛んでいた。

 

「次は当てる」

 

アルフィアが言う。

 

三人の野盗は顔を見合わせた。

 

「化け物……」

 

「誰が化け物だ」

 

「逃げろ!」

 

背を向ける。

 

「待て!」

 

護衛が追おうとした。

 

「追うな」

 

アルフィアが止める。

 

「だが!」

 

「荷車を守れ。囮かもしれない」

 

実際。

 

三人が逃げ始めた直後、見張り台の裏から二人の野盗が飛び出した。

 

最初から荷車の反対側へ回り込むつもりだったのだろう。

 

「後ろだ!」

 

ドーマが叫ぶ。

 

商人たちの悲鳴。

 

二人の野盗は、荷台へ飛び乗ろうとする。

 

片方の手には火のついた布。

 

荷を燃やし、混乱を起こすつもりだ。

 

「面倒なことすんなよ」

 

バンが右手を向ける。

 

「強奪《スナッチ》」

 

燃えた布が男の手から抜けた。

 

空中を飛び。

 

バンの方ではなく、街道脇の水溜まりへ落ちる。

 

火が消えた。

 

「何だ!?」

 

「お前のそれ、貰うぞ」

 

今度は男の短剣が飛ぶ。

 

もう一人の腰にあった小斧も。

 

二つの武器がバンの足元へ滑ってきた。

 

「武器を……盗んだ?」

 

「盗賊からなら問題ねぇだろ」

 

バンは笑う。

 

武器を失った二人は、それでも荷車へ飛びつこうとした。

 

料理係の女が、荷台の中から大きな鉄鍋を持ち上げる。

 

「うちの商品に触るんじゃないよ!」

 

振り下ろす。

 

ごん、と鈍い音。

 

一人の頭へ鍋が直撃した。

 

「うぐっ……」

 

男が荷車から落ちる。

 

「おお」

 

バンが感心したように声を上げた。

 

「強ぇな、婆さん」

 

「誰が婆さんだい!」

 

鍋が今度はバンへ向けられる。

 

「冗談だって!」

 

残った一人は御者の男に蹴られ、地面へ転がった。

 

ルーカと護衛がすぐに取り押さえる。

 

戦いは、長く続かなかった。

 

逃げた三人。

 

見張り台に残っている数人。

 

倒れた者たちは八人。

 

立っている野盗は、黒布の男を含めて三人だけになっていた。

 

「退け!」

 

黒布の男が叫ぶ。

 

「ばらけろ!」

 

残った者たちが、それぞれ別の方向へ逃げ始める。

 

「逃がすな!」

 

ルーカが追おうとする。

 

「待て」

 

ザルドが止めた。

 

「なぜだ!」

 

「草の中に罠がある」

 

「罠?」

 

「足元を見ろ」

 

街道を外れた先。

 

草の間に、細い縄が張られていた。

 

その先には、地面へ隠された杭。

 

追ってきた相手を転ばせ、囲むためのものだろう。

 

「最初から逃げ道に仕掛けを……」

 

「追わなくて正解だったな」

 

バンが言う。

 

「お前なら罠ごと走り抜けただろう」

 

アルフィアが答える。

 

「そのくらいならな」

 

「後ろの者が真似をする」

 

「ああ。そりゃ危ねぇか」

 

野盗たちは荒野の先へ消えていった。

 

黒布の男も、見張り台の裏から姿を消している。

 

隊商の者たちは、すぐには武器を下ろさなかった。

 

風。

 

草。

 

遠くの足音。

 

アルフィアが目を閉じ、音を探る。

 

「離れていく」

 

「全員か?」

 

ザルドが尋ねる。

 

「ああ。この周囲には残っていない」

 

「よし」

 

ザルドが荷車を見る。

 

「負傷者を確認しろ」

 

ドーマが商人たちへ声を掛けた。

 

「怪我をした者は?」

 

「腕を切った!」

 

「こっちは転んだだけだ!」

 

「荷獣が一頭暴れてる!」

 

緊張が解けた途端、一斉に声が上がる。

 

ルーカも剣を納めず、周囲を見回していた。

 

「終わったぞ」

 

バンが言う。

 

「まだ分からない」

 

「アルフィアがいねぇって言ってるだろ」

 

「だが……」

 

「警戒を解くな」

 

ザルドがルーカへ言った。

 

「ただし、息を整えろ。腕へ力を入れすぎだ」

 

ルーカは自分の剣を見る。

 

指が白くなるほど、柄を握り締めていた。

 

「……ああ」

 

深く息を吐く。

 

剣先が僅かに下がった。

 

「助かった」

 

ルーカがザルドを見る。

 

「さっきも、今も」

 

「お前は逃げなかった」

 

「護衛だからな」

 

「なら次は、商人より先に死ぬな」

 

「厳しいな」

 

「護衛が倒れれば、守れる者も守れん」

 

ルーカは少し黙った後、頷いた。

 

「覚えておく」

 

一方。

 

バンは倒れた野盗たちの間を歩いていた。

 

「何してんだ?」

 

護衛の一人が尋ねる。

 

「武器集め」

 

「盗るのか?」

 

「危ねぇだろ」

 

「それはそうだが」

 

剣。

 

斧。

 

短槍。

 

弓。

 

バンはすべてを街道の中央へ集める。

 

その中から一本の剣を持ち上げ、刃を見る。

 

「安物だな」

 

「お前に分かるのか?」

 

「見りゃ分かるだろ。刃が欠けてる」

 

「どうする?」

 

「売る」

 

アルフィアが近づいてきた。

 

「それは隊商が回収する」

 

「何でだよ。オレが盗ったんだぞ」

 

「盗賊から奪った物も、勝手に売れば問題になる」

 

「持ち主はこいつらだろ」

 

「盗品の可能性がある」

 

「ああ」

 

ドーマが頷いた。

 

「野盗が使っている武器は、襲った旅人から奪った物も多い。宿場町で衛兵へ渡した方がいい」

 

「売れねぇのか」

 

「報奨金が出る可能性はある」

 

「金?」

 

バンの目が変わる。

 

「急に真面目な顔をするな」

 

アルフィアが言う。

 

「大事だろ」

 

「酒代だな」

 

「飯も買うぞ」

 

「先に飯を買え」

 

倒れた野盗たちは、護衛によって一か所へ集められた。

 

重傷者はいない。

 

バンも。

 

ザルドも。

 

アルフィアも、殺さないよう手加減していた。

 

最も重い者でも、肩の骨が外れた程度。

 

料理係の女に鍋で殴られた男は、頭に大きな瘤を作っていた。

 

「こいつが一番痛そうだな」

 

バンが言う。

 

「次はあんたの番だよ」

 

女が鍋を持ち上げる。

 

「褒めてんだって」

 

「なら最初からそう言いな」

 

「怖ぇな」

 

「お前が言うな」

 

ルーカが呆れたように返した。

 

野盗たちの手を縛り。

 

武器を回収し。

 

荷車や商品に被害がないか確認する。

 

その作業が一段落したところで、ドーマは捕らえた野盗の一人の前へ立った。

 

年齢は二十代半ば。

 

粗末な革鎧。

 

髭も髪も伸び放題。

 

目には、まだ敵意が残っている。

 

「名前は」

 

「誰が言うか」

 

「どこの一味だ」

 

「知らねぇな」

 

「廃村を使っているのか?」

 

男の目が僅かに動いた。

 

すぐに顔を背ける。

 

「何の話だ」

 

「分かりやすい奴だな」

 

バンがしゃがみ込んだ。

 

「何だてめぇ」

 

「お前ら、廃村に何人いる?」

 

「知らねぇよ」

 

「頭は?」

 

「言うか!」

 

「じゃあ、持ってるもん貰うぞ」

 

「もう武器は奪っただろ!」

 

「違ぇよ」

 

バンは右手を男へ向けた。

 

「強奪《スナッチ》」

 

男の腰から、小さな革袋が飛び出した。

 

バンの手へ収まる。

 

「なっ!」

 

「何入ってんだ?」

 

袋を開く。

 

銅貨。

 

小さな銀貨。

 

黒い石。

 

そして、折り畳まれた一枚の紙。

 

「返せ!」

 

男が立ち上がろうとする。

 

護衛たちに肩を押さえつけられた。

 

バンは紙を広げる。

 

文字は少ない。

 

簡単な地図。

 

街道。

 

崩れた見張り台。

 

廃村。

 

そのさらに北へ続く、細い道。

 

地図の端には、荷車の絵と日付のような記号がいくつか書かれていた。

 

「何だこれ」

 

ドーマが紙を受け取る。

 

しばらく見つめた後、その顔が険しくなる。

 

「俺たちの隊商だ」

 

「分かるのか?」

 

ルーカが尋ねる。

 

「荷車が四台。リオードを出た日も合っている」

 

「狙われてたってことか」

 

「偶然の待ち伏せではない」

 

ザルドが言った。

 

「事前に情報を得ていた」

 

「誰かが売ったのか?」

 

護衛たちの間に動揺が広がる。

 

「隊商の中に裏切り者がいる?」

 

「違う」

 

アルフィアが紙を見た。

 

「この記号は、リオードの門を出た時刻ではない。街道上の地点だ」

 

「どういうことだ?」

 

「途中で見張られていた」

 

アルフィアの指が地図の一か所を示す。

 

「昨日、雨が降る前に通った丘。その付近に斥候がいた可能性がある」

 

「気づかなかった」

 

バンが言う。

 

「距離があった。こちらを追わず、人数と荷の量だけを確認したのだろう」

 

「それで見張り台に先回りしたのか」

 

ドーマの表情が曇る。

 

「なら、廃村にも話が届いている」

 

「今日の失敗も伝わるだろう」

 

ザルドが街道の先を見る。

 

「逃げた者がいる」

 

「次の廃村で、もっと大勢が待っているかもしれない」

 

ルーカが言った。

 

「迂回するべきだ」

 

「一日余計にかかる」

 

ドーマが答える。

 

「だが、この人数では――」

 

言いかけて、三人を見る。

 

バンは地図を覗き込んでいた。

 

「廃村って、どれくらい先?」

 

「明日の午後には着く」

 

「宿みてぇに使える建物は残ってんのか?」

 

「おそらくな」

 

「飯は?」

 

「野盗の拠点なら、食料はあるだろう」

 

「バン」

 

アルフィアの声が低くなる。

 

「冗談だって」

 

「顔が本気だ」

 

「半分くらいはな」

 

ザルドは地図を受け取った。

 

「今日はこの先の丘で野営する」

 

「見張り台じゃなくて?」

 

ルーカが尋ねる。

 

「逃げた者が戻る可能性がある。ここに留まるのは危険だ」

 

「捕まえた連中は?」

 

「荷車へ縛れ。歩かせれば遅れる」

 

「商品を積む場所がない」

 

「一台の荷を分けろ。俺が手伝う」

 

ドーマは短く考えた後、頷いた。

 

「分かった」

 

隊商は再び動き始めた。

 

壊れかけた見張り台。

 

倒れた草。

 

地面へ落ちた矢。

 

待ち伏せの跡を背後へ残して。

 

バンは背負い袋を背負い直した。

 

中身は無事。

 

クレシューズも、名もない結晶も動いていない。

 

「バン」

 

アルフィアが呼ぶ。

 

「何だ?」

 

「次は、一人で野盗の拠点へ行くな」

 

「まだ行くって言ってねぇぞ」

 

「行こうとしている顔だ」

 

「顔で何でも分かりすぎだろ」

 

「否定しろ」

 

バンは少しだけ黙った。

 

「……善処する」

 

「ザルド」

 

「ああ」

 

二人の視線がバンへ向く。

 

「何だよ」

 

「今夜、縛る」

 

「本気か?」

 

「本気だ」

 

「冗談だって!」

 

「何がだ」

 

「廃村へ一人で行くってのが」

 

「まだ誰も言っていない」

 

「先に謝っとこうと思って」

 

「つまり考えていたのだろう」

 

「墓穴掘ったな」

 

ザルドが言う。

 

「お前まで楽しそうにすんなよ」

 

隊商の者たちから、再び笑いが起きた。

 

だが。

 

街道の先。

 

地図に記された廃村の方向では。

 

一羽の黒い鳥が、低い空を横切っていた。

 

その脚には、細く巻かれた紙が結ばれている。

 

鳥は三人と隊商の頭上を大きく避け。

 

北東へ。

 

廃村がある方角へ飛んでいった。




今回は、崩れた見張り台で待ち伏せていた野盗との戦いを描きました。

クレシューズを使えないバンが《強奪》と体術で戦い、隊商への襲撃が偶然ではなく、事前に狙われていたことが明らかになる回です。
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