見張り台で野盗を退けた日の夕方。
隊商は街道から少し離れた丘の上で野営することになった。
周囲には背の低い草が広がり、南側には風を避けられる岩壁がある。
遠くまで見渡せるため、待ち伏せを警戒する場所としては悪くない。
四台の荷車は中央へ寄せられ、その外側を荷獣と護衛が囲んでいた。
捕らえた八人の野盗は、両手を後ろへ縛られ、荷車の車軸へ長い縄で繋がれている。
武器はすべて回収済み。
靴の中や袖口に隠していた刃物も、アルフィアが音だけで見つけて取り上げていた。
「本当に何でも聞こえんだな」
ルーカが、野盗の靴から出てきた細い針を見つめる。
「呼吸、衣擦れ、金属の接触音。隠し方が粗い」
アルフィアは針を地面へ落とし、踵で踏み折った。
「お前たちが気づかなさすぎるだけだ」
「普通は靴の底に針を隠してるなんて思わないだろ」
「思わなくても確認しろ」
「厳しいな……」
「死ぬよりましだ」
ルーカは言葉に詰まり、折れた針を見下ろした。
少し離れた場所では、ザルドが荷車の車輪を再び調べている。
見張り台付近の柔らかい地面を通ったことで、応急処置した木板が僅かにずれていた。
このまま進めなくはない。
だが、廃村の周辺で再び戦いになれば、急な移動には耐えられない可能性がある。
「鉄帯を締め直す」
ザルドが言った。
「明日の朝までには終わるか?」
ドーマが尋ねる。
「ああ。火で熱して形を合わせる」
「鍛冶もできるのか?」
「簡単な修理だけだ」
「料理だけじゃねぇんだな」
荷車の上へ座っていたバンが言う。
「お前よりは役に立つ」
「オレは今日、野盗倒しただろ」
「その後、連中の財布を漁っていた」
「地図見つけたの、オレだぞ」
「偶然だ」
「結果がよけりゃ――」
「その言葉を言うな」
アルフィアの声が飛んだ。
バンは口を閉じる。
「まだ最後まで言ってねぇだろ」
「聞き飽きた」
「便利な言葉なのにな」
バンは荷車から飛び降りた。
アルフィアの眉が僅かに動く。
「背中の荷物は?」
「あそこ」
岩壁のそば。
クレシューズと名もない結晶を収めた背負い袋が置かれている。
すぐ隣には、料理係の女が鉄鍋を磨きながら座っていた。
「任されたよ」
女が言う。
「誰かが触ったら、これで殴ればいいんだろ?」
大きな鍋を持ち上げる。
「荷物には当てんなよ」
「分かってるさ」
「人間ならいいのか?」
ルーカが尋ねる。
「野盗ならね」
捕まっている野盗たちが、揃って鍋から目を逸らした。
見張り台で仲間の一人が殴られた音を覚えているのだろう。
「安心して置いとけ」
女が笑う。
「アルフィアより優しそうだしな」
バンの言葉に。
空気が、一瞬だけ澄んだ。
「福音《ゴスペル》」
「待て待て、荷車の近くだぞ!」
バンはすぐに荷車の陰へ隠れた。
澄んだ鐘の音は鳴らない。
アルフィアは詠唱を口にしただけで、魔法を放ってはいなかった。
「脅しかよ」
荷車の向こうから、バンが顔を出す。
「次は撃つ」
「冗談だって」
「聞き飽きた」
隊商の者たちから、小さな笑いが起こった。
昨日まではアルフィアを遠巻きにしていた商人たちも、少しずつ三人の扱いに慣れてきたらしい。
もっとも、彼女の近くに座ろうとする者はまだいなかった。
◇
日が沈む前。
ドーマとザルドは、野盗から奪った地図を荷車の上へ広げていた。
簡素な地図だ。
街道。
崩れた見張り台。
これから向かう廃村。
村の北側から丘の裏へ抜ける細い道。
街道沿いには、荷車の台数と日付らしき記号が書かれている。
「ここだ」
ドーマが廃村の印を指す。
「昔はクルバという農村だった。井戸が枯れ、住民が別の土地へ移ったと聞いている」
「建物は残っているのか?」
ザルドが尋ねる。
「石造りの家が十数軒。穀物倉庫と、小さな礼拝堂もあったはずだ」
「野盗が使うなら、倉庫と井戸跡だな」
「井戸は枯れている」
「地下へ続く空間がある。物を隠すには使える」
バンが地図を逆さから覗き込む。
「こっちの細い道は?」
「村の裏手から、北の丘へ抜ける道だ」
ドーマが答えた。
「昔は放牧に使っていたらしい。荷車では通れん」
「人なら通れる?」
「ああ」
「じゃあ、逃げ道だな」
「おそらくな」
ザルドは村の北側を指でなぞった。
「今日逃げた連中は、この道を使って戻る」
「黒い鳥も同じ方へ飛んだ」
アルフィアが言う。
「連絡は届いている」
隊商の護衛たちの顔が険しくなる。
ルーカが地図へ近づいた。
「向こうは、俺たちが捕虜を連れていることも知っている」
「人数もな」
ザルドが答える。
「次は十四人では済まん」
「何人くらいいると思う?」
「捕まえた奴らに聞けばいいだろ」
バンが野盗たちを見る。
八人は少し離れた場所で座らされている。
全員がこちらへ聞き耳を立てていた。
その中で一人。
まだ若い男だけが、廃村という言葉が出るたび、僅かに身体を強張らせていた。
年齢は十七か十八ほど。
他の野盗と比べて身体が細く、革鎧も自分の大きさに合っていない。
「お前」
バンが若い男を指す。
男は顔を背けた。
「何だよ」
「廃村に何人いる?」
「知らねぇ」
「さっきから顔に出てんぞ」
「出てねぇよ」
「出てる」
「誰が言うか」
バンは男の前へしゃがんだ。
「別に殴らねぇよ」
「信じられるか」
「殴るならザルドの方が痛そうだろ」
若い男が、ザルドの巨体を見る。
すぐに目を逸らす。
「アルフィアなら、痛ぇと思う前に消えるかもな」
「お前も消してやろうか」
背後からアルフィアの声が届く。
「今はこいつと話してんだよ」
「余計な説明をするな」
バンは若い男へ向き直った。
「お前らの頭は、どんな奴だ?」
「知らねぇ」
「名前は?」
「知らない」
「村に捕まってる奴はいる?」
若い男の肩が僅かに動いた。
バンの目が細くなる。
「いるんだな」
「いねぇよ」
「今のは分かりやすかったぞ」
「うるせぇ!」
若い男は立ち上がろうとした。
縄が張り、車軸が鳴る。
隣にいた野盗が男の脚を蹴った。
「余計なこと言うんじゃねぇ!」
「黙ってろ!」
さらに別の男が怒鳴る。
若い男は歯を食いしばった。
ザルドが野盗たちの前へ立つ。
「捕虜がいるのか」
「知らねぇ」
髭の濃い男が吐き捨てる。
「てめぇらも、明日になりゃ同じ場所に繋がれてる」
「何人いる」
「百人だ」
「嘘だな」
アルフィアが即座に言う。
「呼吸が乱れた」
「魔女め……」
「次に無駄な嘘を吐けば、喉を潰す」
男は口を閉じた。
若い野盗は、俯いたまま手を握り締めている。
バンが再び声を掛けた。
「捕まってる奴、知り合いか?」
「違う」
「じゃあ、何でそんな顔すんだよ」
「……」
「連中に死なれたら困る理由があんだろ」
「黙れ」
「バン」
ザルドが呼ぶ。
バンは若い男から目を離さない。
「何だ?」
「少し離れろ」
「まだ何も――」
「脅す役には向いていない」
「脅してねぇよ」
「お前が話すと、何でも軽く聞こえる」
「それ、悪口か?」
「事実だ」
バンが不満そうに立ち上がる。
代わりに、ザルドが若い男の前へ膝をついた。
巨体が屈むだけで、野盗たちの顔が強張る。
「村に誰がいる」
「……」
「言えば、この隊商と捕虜の安全を優先する」
「信じられるかよ」
「言わなければ、俺たちは何も知らずに進む」
ザルドの声は低い。
脅しではない。
ただ、起こり得ることを伝えているだけだった。
「向こうが人質を盾にしても、気づけんかもしれん」
「……頭は、バルガって男だ」
若い野盗が、小さく答えた。
隣の男が怒鳴る。
「てめぇ!」
「黙れ」
アルフィアが視線を向ける。
男の声が途切れた。
「続けろ」
ザルドが促す。
「村にいるのは……二十人くらいだ。今日逃げた奴らを入れれば、もっと増える」
「捕虜は?」
「三人」
ドーマが息を呑んだ。
「商人か?」
「二人は、前に襲った荷車の御者。もう一人は女だ」
「女?」
「旅人だ。北から一人で来た。バルガが、金になるって……」
「売るつもりか」
ルーカの顔に怒りが浮かぶ。
若い男は俯いた。
「俺は見張り台に回されてた。村で何されてるかは知らねぇ」
「嘘だ」
アルフィアが言う。
「だが、すべてではない。女が捕まっていることは知っていた」
「……」
「なぜ野盗になった」
ザルドが尋ねた。
「今、関係ねぇだろ」
「ある」
「食うもんがなかったからだよ」
若い男が顔を上げた。
「村も畑も干上がった。仕事を探しても、よそ者には何もねぇ。バルガの所に行けば飯を食わせるって言われた」
「それで旅人を襲ったのか」
「最初は見張りだけだった」
「結果は同じだ」
アルフィアの言葉に、若い男が唇を噛む。
「分かってるよ」
バンは少し離れた場所から、男を見ていた。
いつもの笑みはない。
「捕虜はどこにいる?」
「礼拝堂の地下」
「入口は?」
「礼拝堂の中と、裏の墓地。墓地側は、石板の下に隠れてる」
「北の道へ繋がっているか?」
「地下道の奥から丘へ抜けられる。バルガだけが鍵を持ってる」
「逃げるなら、そこだな」
ザルドが立ち上がる。
「他に罠は?」
「街道側の入口に落とし穴。家の屋根に弓。倉庫の前に油壺がある」
「火を使うつもりか」
「荷を渡さなきゃ、燃やすって脅す」
ドーマの表情が険しくなった。
「捕虜も一緒にか?」
「バルガならやる」
若い男は小さく答えた。
しばらく、誰も話さなかった。
焚き火の向こうで、ザルドが修理している鉄帯が赤く光っている。
遠くから、夜鳥の声が聞こえた。
「迂回はできないな」
ルーカが言った。
「捕虜を放ってはいけない」
「俺たちの契約は隊商の護衛だ」
護衛の一人が反論する。
「村へ攻め込む契約じゃない」
「だが――」
「隊商を危険へ近づけるのか?」
「それは……」
護衛たちの間で意見が割れる。
ドーマは地図を見つめていた。
「捕虜を助けたい気持ちはある」
ゆっくりと口を開く。
「だが、俺には商人たちと荷を守る責任がある。全員を村へ連れていくことはできない」
「当たり前だ」
アルフィアが答えた。
「隊商は街道から離れた場所で待機させる」
「俺たちが行く」
ザルドが言った。
ドーマが顔を上げる。
「三人でか?」
「ああ」
「待てよ」
バンが口を挟む。
「オレ一人で裏から入れば――」
「福音《ゴスペル》」
「まだ何もしてねぇだろ!」
澄んだ鐘の音。
不可視の衝撃がバンの足元を掠め、地面へ細い穴を穿った。
砂と土が靴へ掛かる。
「警告だ」
「近くに人いるんだから撃つなよ!」
「威力も射線も抑えた」
「当たったら?」
「脚が一本減る」
「全然抑えてねぇだろ!」
「お前なら治る」
「そういう問題じゃねぇよ」
隊商の者たちが、二人から距離を取る。
ザルドは何事もなかったように話を続けた。
「三人で行く。正面へ俺とバン。アルフィアは弓兵と、逃げ道を警戒する」
「俺が正面?」
バンが尋ねる。
「裏から行くなと言っただろう」
「正面からならいいのか」
「勝手に先行しなければな」
「面倒だな」
「お前を管理する方が面倒だ」
アルフィアが言う。
「捕虜を見つけるまでは、大規模な攻撃を避ける」
「ゴスペルも?」
「必要なら使う」
「礼拝堂ごと消すなよ」
「私を誰だと思っている」
「すぐ撃つ魔女」
再び空気が震える。
「冗談だって!」
バンはザルドの背後へ隠れた。
「俺を盾にするな」
「お前なら平気だろ」
「そういう問題ではない」
若い野盗は、三人のやり取りを呆然と見つめていた。
「本当に……助けるのか」
「捕まってる奴をか?」
バンがザルドの背後から顔を出す。
「ああ」
「近くにいんだろ」
「それだけで?」
「ほかに理由いる?」
若い男は答えられなかった。
バンは軽く肩を竦める。
「代わりに、村の中を案内しろよ」
「俺が?」
「道知ってんだろ」
「連れていけば、仲間に殺される」
「オレらがいる」
「それが怖ぇんだよ」
「失礼な奴だな」
「お前にだけは言われたくない」
ルーカが呟いた。
◇
翌朝。
隊商は、日の出前に野営地を出発した。
修理した車輪は問題なく回っている。
捕らえた野盗たちは二台目の荷車へ乗せられ、足も縄で繋がれていた。
若い男だけは別だ。
両手を前で縛られ、ザルドの隣を歩いている。
名はニルといった。
「逃げるなよ」
バンが言う。
「逃げても追いつかれるだろ」
「分かってんじゃねぇか」
「笑うな」
「別に笑ってねぇよ」
「笑ってる」
「気のせいだ」
ニルは不安そうに街道の先を見つめていた。
廃村が近づくにつれ、周囲の畑跡が増えていく。
石を積んだ境界。
崩れた水路。
枯れた果樹。
かつて人が暮らしていた痕跡だけが、荒野の中に残されていた。
「この辺りから見張られてる」
ニルが小声で言う。
「どこから?」
「丘の上。あとは、壊れた風車」
遠くに、羽根の失われた風車が立っている。
窓の奥。
ほんの一瞬だけ、光が反射した。
「弓だな」
アルフィアが言った。
「二人いる」
「もう気づかれてんのか」
バンが尋ねる。
「ああ」
村まで、まだかなり距離がある。
それでも見張りは、隊商の台数と人数を確認できる位置にいた。
「止まれ」
ザルドが手を上げた。
隊商が街道上で止まる。
ドーマが荷車から降りた。
「ここからどうする」
「隊商は西の林へ移動しろ」
ザルドが指した先には、枯れ木と低木が集まった場所がある。
完全に姿を隠すことはできない。
だが、街道の真正面へ立つよりはましだ。
「護衛は全員残す」
アルフィアが言う。
「こちらへ来る必要はない」
「三人だけで十分なのか?」
ルーカが尋ねる。
「足手まといだ」
「言い方!」
「事実だ」
ルーカは反論しかけたが、昨日の戦いを思い出したのか、口を閉じた。
「ただし」
ザルドが続ける。
「逃げてきた者は捕らえろ。黒い布を腕へ巻いているのが野盗だ」
「分かった」
「捕虜が逃げてくる可能性もある。無差別に攻撃するな」
「そっちは白い布を巻いてる」
ニルが言った。
「捕まえた奴らには、逃げても分かるように白い布を巻いてる」
「お前は?」
「俺は……」
ニルの腕には何もない。
バンが自分のコートの内側から、白い布を細く裂いた。
「ほら」
「何で持ってんだ?」
「コート直した時の余り」
「赤じゃないのか」
「内側の布だよ」
ニルの腕へ白い布を巻く。
「これで撃たれねぇ」
「弓兵がお前の話を聞いていればな」
「その前に弓を奪う」
「簡単に言うなよ」
「簡単だぞ」
ニルの顔が引きつった。
「やっぱり怖ぇよ、お前」
「助けてやんのに失礼だな」
「お前が助けるのは俺じゃないだろ」
「ついでだ」
「ついで……」
アルフィアが風車へ目を向けた。
「見張りが動いた」
「村へ知らせに行く?」
「ああ。一人が降りた」
「なら急ぐか」
バンが前へ出ようとする。
赤いコートの背中を、ザルドが掴んだ。
「一人で行くな」
「分かってるって」
「身体だけ先へ行こうとしていた」
「歩き始めただけだろ」
「私たちを待て」
アルフィアがバンの横へ並ぶ。
ザルドも反対側へ。
その後ろを、ニルが歩く。
「本当に正面から行くのか?」
ニルが尋ねた。
「ああ」
ザルドが答える。
「正面は罠だらけだぞ」
「場所を言え」
「街道の真ん中に二つ。村の入口に一つ。木板で隠して、上に土を――」
バンが地面を見る。
「これか?」
街道の一部。
周囲より僅かに土の色が違う。
「そうだ」
「分かりやすいな」
「知らなきゃ踏むんだよ」
バンは落とし穴の上へ右手を向けた。
「強奪《スナッチ》」
土を覆っていた木板が、一斉に持ち上がる。
板と縄が空中を飛び、街道脇へ落ちた。
下には、人一人が落ちる深さの穴。
底には尖らせた木の杭が並んでいた。
「殺す気満々だな」
バンが穴を覗く。
「荷車が落ちたら、人も荷獣も終わる」
ニルは顔を背けた。
「俺は作ってない」
「知ってたんだろ」
「……ああ」
「なら、後で埋めろ」
「俺が?」
「お前らが作ったんだ。お前らで直せ」
バンは街道脇へ落ちた木板を見た。
「使える材木なら、隊商にやりゃいい」
「本当に盗賊か、お前」
「元な」
「元?」
「今は王様」
「は?」
「バン」
アルフィアが低く呼ぶ。
「詳しい話は後だろ」
「ああ、そうだったな」
ニルは訳が分からないという顔で三人を見回した。
「何なんだよ、本当に」
「ただの旅人だ」
ザルドが答える。
「絶対違うだろ」
三人とニルは、罠を避けながら廃村へ近づいた。
◇
クルバ廃村。
かつて畑だった土地には、背の高い雑草が生い茂っている。
石造りの家々は屋根が崩れ、窓には板が打ちつけられていた。
村の中央には、枯れた井戸。
北側には大きな穀物倉庫。
そのさらに奥へ、小さな礼拝堂が建っている。
礼拝堂だけは、比較的形を保っていた。
村の入口には、壊れた荷車と木材を積み上げた防壁。
その上や家の屋根に、弓兵が並んでいる。
数は十人。
地上にも、剣や槍を持つ野盗たちが集まっていた。
ニルが告げた人数より多い。
「増えてる」
「別の一味が合流したのか?」
バンが尋ねる。
「近くの連中を呼んだんだと思う」
「面倒だな」
防壁の中央。
一人の男が姿を現す。
大柄ではない。
だが、他の野盗とは装備が違う。
黒い革鎧。
刃の長い湾曲剣。
右目から頬へ続く古い傷。
その男の隣には、二人の捕虜が立たされていた。
中年の御者らしき男たち。
手を縛られ、首へ縄を掛けられている。
「バルガだ」
ニルが呟く。
傷の男――バルガは、四人を見て笑った。
「おかしいな」
声は遠くまでよく通る。
「荷を満載した隊商が来ると聞いた。だが、現れたのは妙な四人だけか」
「隊商は置いてきた」
ザルドが答える。
「賢明だ。荷だけこちらへ持ってくれば、もっと賢かったがな」
「捕まえている者を解放しろ」
「交換だ」
バルガは御者の首に掛かった縄を引いた。
男たちが苦しそうに咳き込む。
「見張り台で捕まえた仲間を返せ。隊商の荷を半分置いていけ。そうすれば、この二人は返す」
「三人いるんじゃなかったか?」
バンが尋ねる。
バルガの目が、ニルへ向いた。
「喋ったのか」
ニルの身体が震える。
「裏切り者が」
「女はどこだ?」
「ここにはいない」
「礼拝堂の地下だろ」
バンが答える。
バルガの笑みが消えた。
「随分聞いたようだな」
「もう終わりにしようぜ」
「何?」
「人質返して、武器置けよ」
バンは普段と変わらない調子で言った。
「そうすりゃ、あんまり痛くしねぇから」
一瞬。
廃村が静まり返る。
次の瞬間。
野盗たちから笑い声が上がった。
「四人で何を言っている!」
「弓の数も分からねぇのか!」
「頭がおかしいぞ!」
バルガも再び口元を歪めた。
「赤い服の男。お前、自分が何者か分かっているのか?」
「さあな」
「こちらには三十人いる」
「少ねぇな」
笑い声が止まった。
バンは屋根の上を見回す。
「弓が十。下が二十くらい。隠れてんのが礼拝堂と倉庫に少し」
アルフィアが訂正する。
「礼拝堂に四人。倉庫に六人」
「全部で四十か」
「地下にもいる」
「じゃあ、もうちょいだな」
バルガの顔から、完全に笑みが消えた。
「撃て」
短い命令。
十人の弓兵が、一斉に弦を放した。
「強奪《スナッチ》」
バンが右手を上げる。
放たれた矢が。
すべて空中で方向を変えた。
十本の矢は一か所へ集まり、バンの足元へ突き刺さる。
野盗たちの表情が固まる。
「次」
バンが手を握る。
屋根の上から、弓が飛んだ。
一つ。
二つ。
三つ。
十張りの弓が、持ち主の手を離れて宙を舞う。
村の入口へ降り注ぎ、乾いた土の上へ転がった。
「な……何だ!?」
「弓を奪われた!」
「予備を持て!」
野盗たちが混乱する。
バルガは御者の首へ剣を押し当てた。
「動くな!」
「それも貰うぞ」
バンが指を向ける。
「強奪《スナッチ》」
湾曲剣が、バルガの手から消えた。
遠く離れたバンの右手へ飛ぶ。
同時に。
二人の御者の首へ巻かれていた縄の結び目が解けた。
「今だ!」
ニルが叫ぶ。
御者たちは地面へ伏せ、そのまま防壁の陰へ転がり込む。
「アルフィア」
「福音《ゴスペル》」
鐘の音が鳴った。
不可視の衝撃が、防壁の左右を貫く。
人へは当てない。
積み上げられていた木材と壊れた荷車の接続部分だけが、正確に砕かれた。
防壁が崩れる。
野盗たちの視界を、土煙が覆った。
「行くぞ」
ザルドが前へ出る。
「今度は待ってたぞ」
バンも笑いながら並ぶ。
「当たり前だ」
「褒めてくれてもいいだろ」
「一度指示を守っただけだ」
二人が崩れた防壁へ向かう。
「止めろ!」
バルガが怒鳴る。
剣と槍を持った野盗たちが、一斉に押し寄せた。
先頭の男が槍を突く。
ザルドは穂先を片手で掴み、そのまま横へ振る。
槍を握っていた三人が、まとめて地面へ転がった。
「邪魔だ」
ザルドが一歩踏み込む。
拳は使わない。
肩。
掌。
腕。
必要最低限の動きだけで、近づく者を次々と倒していく。
バンの前にも、五人が迫る。
「一人を囲め!」
「脚を狙え!」
「それ、昨日も聞いたな」
剣が左右から振られる。
バンは身体を沈め、二本を同時に避けた。
地面へ手をつく。
長い脚が円を描く。
三人の足がまとめて払われ、宙へ浮いた。
「ほらよ」
立ち上がりながら、一人の胸を掌で押す。
男は後ろの仲間を巻き込み、家の壁へ激突した。
残る二人。
一人が背後へ回る。
もう一人が正面から斧を振り下ろす。
バンは斧の柄を掴んだ。
「借りるぞ」
軽く奪う。
そのまま斧の平らな側面で、背後の男の腹を叩いた。
「ぐえっ!」
「返す」
斧を元の持ち主へ投げる。
男は慌てて受け取った。
その瞬間。
バンの額が、男の額へぶつかった。
鈍い音。
男は白目を剥き、その場へ倒れた。
「使い方が違ぇな」
バンは頭を掻いた。
野盗たちの戦意が、目に見えて下がっていく。
「化け物だ!」
「聞き飽きた」
アルフィアが、後方から静かに歩いてくる。
彼女へ近づこうとする者はいない。
屋根の上で予備の弓を取ろうとした野盗がいれば、その手元だけを《福音》が撃ち抜く。
剣を拾おうとすれば、足元の地面が抉れる。
一人も殺さず。
一人にも反撃を許さず。
村の中央へ向かう道だけが、次々と開かれていった。
「退け!」
バルガが叫ぶ。
「礼拝堂へ戻れ!」
残った野盗たちが、一斉に北側へ走る。
「逃げ道だ」
ニルが言う。
「地下へ行く!」
「追うぞ」
バンが走り出す。
「待て!」
アルフィアの声。
今度はバンも足を止めた。
「何だよ」
「倉庫」
村の西側。
大きな穀物倉庫の入口で、野盗の一人が火打石を打っている。
その足元には、油壺。
「燃やす気だ!」
ニルが叫ぶ。
火花が布へ移る。
男が燃え始めた布を、油壺へ投げようと腕を振った。
「強奪《スナッチ》!」
火のついた布が消える。
バンの方へ飛ばず、空中で軌道を変え、枯れた井戸の底へ落ちた。
続いて油壺が男の足元から浮き上がる。
すべてが街道側の空き地へ移され、ゆっくりと地面へ置かれた。
「危ねぇな」
バンが息を吐く。
ザルドは倉庫へ向かう。
扉を蹴破る。
中には、木箱。
樽。
布。
武器。
各地の印が入った荷物が、天井近くまで積み上げられていた。
「奪った商品か」
「全部だ」
ニルが言う。
「ここ何か月かで集めた物は、ここにある」
「食料も?」
バンが聞く。
「そこかよ!」
ニルが初めて大声で突っ込んだ。
「腹減ったからな」
「今は人質だろ!」
「分かってるって」
その時。
礼拝堂の鐘が鳴った。
古く濁った音。
一度。
二度。
続いて。
礼拝堂の地下から、女の悲鳴が聞こえた。
「来るな!」
バルガの声が響く。
「近づけば、女を殺す!」
三人の顔から、軽さが消えた。
礼拝堂の扉が開く。
バルガが、若い女の首へ腕を回して現れた。
女の両手は縛られ、口元には血が滲んでいる。
バルガの手には、予備の短剣。
「道を開けろ」
「どこへ行く」
ザルドが尋ねる。
「北の丘だ」
「逃がすと思うか?」
「こいつが死んでもいいならな」
短剣の刃が、女の首へ触れる。
バンが右手を上げる。
バルガは女を盾にして身体を隠した。
「その妙な力を使うな!」
「使ったら?」
「首を切る」
「できんのか?」
「試すか!」
バルガが刃を動かす。
細い血が、女の首を伝った。
バンの目が冷たくなる。
「やめろ」
「武器を捨てろ!」
「誰も持ってねぇだろ」
「動くな!」
バンは動かない。
ザルドも。
アルフィアも。
バルガは少しずつ、礼拝堂の中へ下がっていく。
「追うな」
扉が閉じられる。
直後。
内側から重い物を動かす音。
「地下へ逃げる!」
ニルが走り出した。
「墓地側へ回れば先に出られる!」
「案内しろ」
ザルドが言う。
四人は礼拝堂の裏へ向かう。
崩れた墓石。
伸び放題の草。
ニルは一つの大きな石板の前で膝をついた。
「これだ」
石板の端へ指を掛ける。
だが、一人では動かない。
ザルドが横から掴み、持ち上げた。
石板の下。
暗い階段が、地下へ続いている。
冷たい空気。
湿った土。
そして、奥から聞こえる足音。
「この先は?」
アルフィアが尋ねる。
「礼拝堂の地下へ繋がってる。その奥に、丘へ抜ける道がある」
「別の罠は?」
「分からない。俺も奥まで入ったことはない」
バンが階段へ足を掛ける。
「行くぞ」
「待て」
アルフィアが言った。
バンは足を止める。
「今度は待ってるだろ」
「ああ」
「珍しい」
「撃たれたくねぇからな」
「学習したか」
「元から頭はいいぞ」
「それはない」
ザルドが石板を地面へ下ろした。
「隊商には護衛を残した。村に残っている野盗も、ほとんど戦意を失っている」
「三人で行くぞ」
バンが言う。
アルフィアが僅かに眉を上げる。
「ようやく分かったか」
「最初から分かってるよ」
「一人で遺跡へ行った男の言葉ではない」
「今、その話すんの?」
「忘れていない」
「一生言われそうだな」
「当然だ」
ザルドが階段の暗闇へ目を向ける。
「話は後だ」
地下の奥。
女の短い悲鳴。
続いて、石が崩れる音がした。
三人の表情が変わる。
バンが先頭。
ザルドが後ろ。
アルフィアが二人の間へ入る。
「ニルは上に残れ」
「でも――」
「隊商の者たちを墓地へ呼べ」
ザルドが命じる。
「逃げてきた者を捕らえろ」
「分かった」
ニルは頷き、村の中央へ走っていった。
バンは暗い階段を見下ろす。
背中にはクレシューズがない。
名もない結晶も、隊商のもとに置いてきた。
あるのは、自分の身体と《強奪》だけ。
それでも。
「十分だな」
「何がだ」
アルフィアが尋ねる。
「何でもねぇよ」
三人は、地下へ足を踏み入れた。
湿った石段。
古い礼拝堂の地下。
その先には、野盗の頭と一人の人質。
そして。
地上からは見えない、深い暗闇が待っていた。
今回は、クルバ廃村へ入り、野盗たちの拠点を制圧するまでを描きました。
しかし、頭目のバルガは最後の人質を連れて礼拝堂の地下へ逃走しました。次回は、三人が地下通路を追跡します。