強欲の旅人は神の恩恵を受けない   作:ルクエリシオン

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第51話 廃村の影

見張り台で野盗を退けた日の夕方。

 

隊商は街道から少し離れた丘の上で野営することになった。

 

周囲には背の低い草が広がり、南側には風を避けられる岩壁がある。

 

遠くまで見渡せるため、待ち伏せを警戒する場所としては悪くない。

 

四台の荷車は中央へ寄せられ、その外側を荷獣と護衛が囲んでいた。

 

捕らえた八人の野盗は、両手を後ろへ縛られ、荷車の車軸へ長い縄で繋がれている。

 

武器はすべて回収済み。

 

靴の中や袖口に隠していた刃物も、アルフィアが音だけで見つけて取り上げていた。

 

「本当に何でも聞こえんだな」

 

ルーカが、野盗の靴から出てきた細い針を見つめる。

 

「呼吸、衣擦れ、金属の接触音。隠し方が粗い」

 

アルフィアは針を地面へ落とし、踵で踏み折った。

 

「お前たちが気づかなさすぎるだけだ」

 

「普通は靴の底に針を隠してるなんて思わないだろ」

 

「思わなくても確認しろ」

 

「厳しいな……」

 

「死ぬよりましだ」

 

ルーカは言葉に詰まり、折れた針を見下ろした。

 

少し離れた場所では、ザルドが荷車の車輪を再び調べている。

 

見張り台付近の柔らかい地面を通ったことで、応急処置した木板が僅かにずれていた。

 

このまま進めなくはない。

 

だが、廃村の周辺で再び戦いになれば、急な移動には耐えられない可能性がある。

 

「鉄帯を締め直す」

 

ザルドが言った。

 

「明日の朝までには終わるか?」

 

ドーマが尋ねる。

 

「ああ。火で熱して形を合わせる」

 

「鍛冶もできるのか?」

 

「簡単な修理だけだ」

 

「料理だけじゃねぇんだな」

 

荷車の上へ座っていたバンが言う。

 

「お前よりは役に立つ」

 

「オレは今日、野盗倒しただろ」

 

「その後、連中の財布を漁っていた」

 

「地図見つけたの、オレだぞ」

 

「偶然だ」

 

「結果がよけりゃ――」

 

「その言葉を言うな」

 

アルフィアの声が飛んだ。

 

バンは口を閉じる。

 

「まだ最後まで言ってねぇだろ」

 

「聞き飽きた」

 

「便利な言葉なのにな」

 

バンは荷車から飛び降りた。

 

アルフィアの眉が僅かに動く。

 

「背中の荷物は?」

 

「あそこ」

 

岩壁のそば。

 

クレシューズと名もない結晶を収めた背負い袋が置かれている。

 

すぐ隣には、料理係の女が鉄鍋を磨きながら座っていた。

 

「任されたよ」

 

女が言う。

 

「誰かが触ったら、これで殴ればいいんだろ?」

 

大きな鍋を持ち上げる。

 

「荷物には当てんなよ」

 

「分かってるさ」

 

「人間ならいいのか?」

 

ルーカが尋ねる。

 

「野盗ならね」

 

捕まっている野盗たちが、揃って鍋から目を逸らした。

 

見張り台で仲間の一人が殴られた音を覚えているのだろう。

 

「安心して置いとけ」

 

女が笑う。

 

「アルフィアより優しそうだしな」

 

バンの言葉に。

 

空気が、一瞬だけ澄んだ。

 

「福音《ゴスペル》」

 

「待て待て、荷車の近くだぞ!」

 

バンはすぐに荷車の陰へ隠れた。

 

澄んだ鐘の音は鳴らない。

 

アルフィアは詠唱を口にしただけで、魔法を放ってはいなかった。

 

「脅しかよ」

 

荷車の向こうから、バンが顔を出す。

 

「次は撃つ」

 

「冗談だって」

 

「聞き飽きた」

 

隊商の者たちから、小さな笑いが起こった。

 

昨日まではアルフィアを遠巻きにしていた商人たちも、少しずつ三人の扱いに慣れてきたらしい。

 

もっとも、彼女の近くに座ろうとする者はまだいなかった。

 

 

       ◇

 

 

日が沈む前。

 

ドーマとザルドは、野盗から奪った地図を荷車の上へ広げていた。

 

簡素な地図だ。

 

街道。

 

崩れた見張り台。

 

これから向かう廃村。

 

村の北側から丘の裏へ抜ける細い道。

 

街道沿いには、荷車の台数と日付らしき記号が書かれている。

 

「ここだ」

 

ドーマが廃村の印を指す。

 

「昔はクルバという農村だった。井戸が枯れ、住民が別の土地へ移ったと聞いている」

 

「建物は残っているのか?」

 

ザルドが尋ねる。

 

「石造りの家が十数軒。穀物倉庫と、小さな礼拝堂もあったはずだ」

 

「野盗が使うなら、倉庫と井戸跡だな」

 

「井戸は枯れている」

 

「地下へ続く空間がある。物を隠すには使える」

 

バンが地図を逆さから覗き込む。

 

「こっちの細い道は?」

 

「村の裏手から、北の丘へ抜ける道だ」

 

ドーマが答えた。

 

「昔は放牧に使っていたらしい。荷車では通れん」

 

「人なら通れる?」

 

「ああ」

 

「じゃあ、逃げ道だな」

 

「おそらくな」

 

ザルドは村の北側を指でなぞった。

 

「今日逃げた連中は、この道を使って戻る」

 

「黒い鳥も同じ方へ飛んだ」

 

アルフィアが言う。

 

「連絡は届いている」

 

隊商の護衛たちの顔が険しくなる。

 

ルーカが地図へ近づいた。

 

「向こうは、俺たちが捕虜を連れていることも知っている」

 

「人数もな」

 

ザルドが答える。

 

「次は十四人では済まん」

 

「何人くらいいると思う?」

 

「捕まえた奴らに聞けばいいだろ」

 

バンが野盗たちを見る。

 

八人は少し離れた場所で座らされている。

 

全員がこちらへ聞き耳を立てていた。

 

その中で一人。

 

まだ若い男だけが、廃村という言葉が出るたび、僅かに身体を強張らせていた。

 

年齢は十七か十八ほど。

 

他の野盗と比べて身体が細く、革鎧も自分の大きさに合っていない。

 

「お前」

 

バンが若い男を指す。

 

男は顔を背けた。

 

「何だよ」

 

「廃村に何人いる?」

 

「知らねぇ」

 

「さっきから顔に出てんぞ」

 

「出てねぇよ」

 

「出てる」

 

「誰が言うか」

 

バンは男の前へしゃがんだ。

 

「別に殴らねぇよ」

 

「信じられるか」

 

「殴るならザルドの方が痛そうだろ」

 

若い男が、ザルドの巨体を見る。

 

すぐに目を逸らす。

 

「アルフィアなら、痛ぇと思う前に消えるかもな」

 

「お前も消してやろうか」

 

背後からアルフィアの声が届く。

 

「今はこいつと話してんだよ」

 

「余計な説明をするな」

 

バンは若い男へ向き直った。

 

「お前らの頭は、どんな奴だ?」

 

「知らねぇ」

 

「名前は?」

 

「知らない」

 

「村に捕まってる奴はいる?」

 

若い男の肩が僅かに動いた。

 

バンの目が細くなる。

 

「いるんだな」

 

「いねぇよ」

 

「今のは分かりやすかったぞ」

 

「うるせぇ!」

 

若い男は立ち上がろうとした。

 

縄が張り、車軸が鳴る。

 

隣にいた野盗が男の脚を蹴った。

 

「余計なこと言うんじゃねぇ!」

 

「黙ってろ!」

 

さらに別の男が怒鳴る。

 

若い男は歯を食いしばった。

 

ザルドが野盗たちの前へ立つ。

 

「捕虜がいるのか」

 

「知らねぇ」

 

髭の濃い男が吐き捨てる。

 

「てめぇらも、明日になりゃ同じ場所に繋がれてる」

 

「何人いる」

 

「百人だ」

 

「嘘だな」

 

アルフィアが即座に言う。

 

「呼吸が乱れた」

 

「魔女め……」

 

「次に無駄な嘘を吐けば、喉を潰す」

 

男は口を閉じた。

 

若い野盗は、俯いたまま手を握り締めている。

 

バンが再び声を掛けた。

 

「捕まってる奴、知り合いか?」

 

「違う」

 

「じゃあ、何でそんな顔すんだよ」

 

「……」

 

「連中に死なれたら困る理由があんだろ」

 

「黙れ」

 

「バン」

 

ザルドが呼ぶ。

 

バンは若い男から目を離さない。

 

「何だ?」

 

「少し離れろ」

 

「まだ何も――」

 

「脅す役には向いていない」

 

「脅してねぇよ」

 

「お前が話すと、何でも軽く聞こえる」

 

「それ、悪口か?」

 

「事実だ」

 

バンが不満そうに立ち上がる。

 

代わりに、ザルドが若い男の前へ膝をついた。

 

巨体が屈むだけで、野盗たちの顔が強張る。

 

「村に誰がいる」

 

「……」

 

「言えば、この隊商と捕虜の安全を優先する」

 

「信じられるかよ」

 

「言わなければ、俺たちは何も知らずに進む」

 

ザルドの声は低い。

 

脅しではない。

 

ただ、起こり得ることを伝えているだけだった。

 

「向こうが人質を盾にしても、気づけんかもしれん」

 

「……頭は、バルガって男だ」

 

若い野盗が、小さく答えた。

 

隣の男が怒鳴る。

 

「てめぇ!」

 

「黙れ」

 

アルフィアが視線を向ける。

 

男の声が途切れた。

 

「続けろ」

 

ザルドが促す。

 

「村にいるのは……二十人くらいだ。今日逃げた奴らを入れれば、もっと増える」

 

「捕虜は?」

 

「三人」

 

ドーマが息を呑んだ。

 

「商人か?」

 

「二人は、前に襲った荷車の御者。もう一人は女だ」

 

「女?」

 

「旅人だ。北から一人で来た。バルガが、金になるって……」

 

「売るつもりか」

 

ルーカの顔に怒りが浮かぶ。

 

若い男は俯いた。

 

「俺は見張り台に回されてた。村で何されてるかは知らねぇ」

 

「嘘だ」

 

アルフィアが言う。

 

「だが、すべてではない。女が捕まっていることは知っていた」

 

「……」

 

「なぜ野盗になった」

 

ザルドが尋ねた。

 

「今、関係ねぇだろ」

 

「ある」

 

「食うもんがなかったからだよ」

 

若い男が顔を上げた。

 

「村も畑も干上がった。仕事を探しても、よそ者には何もねぇ。バルガの所に行けば飯を食わせるって言われた」

 

「それで旅人を襲ったのか」

 

「最初は見張りだけだった」

 

「結果は同じだ」

 

アルフィアの言葉に、若い男が唇を噛む。

 

「分かってるよ」

 

バンは少し離れた場所から、男を見ていた。

 

いつもの笑みはない。

 

「捕虜はどこにいる?」

 

「礼拝堂の地下」

 

「入口は?」

 

「礼拝堂の中と、裏の墓地。墓地側は、石板の下に隠れてる」

 

「北の道へ繋がっているか?」

 

「地下道の奥から丘へ抜けられる。バルガだけが鍵を持ってる」

 

「逃げるなら、そこだな」

 

ザルドが立ち上がる。

 

「他に罠は?」

 

「街道側の入口に落とし穴。家の屋根に弓。倉庫の前に油壺がある」

 

「火を使うつもりか」

 

「荷を渡さなきゃ、燃やすって脅す」

 

ドーマの表情が険しくなった。

 

「捕虜も一緒にか?」

 

「バルガならやる」

 

若い男は小さく答えた。

 

しばらく、誰も話さなかった。

 

焚き火の向こうで、ザルドが修理している鉄帯が赤く光っている。

 

遠くから、夜鳥の声が聞こえた。

 

「迂回はできないな」

 

ルーカが言った。

 

「捕虜を放ってはいけない」

 

「俺たちの契約は隊商の護衛だ」

 

護衛の一人が反論する。

 

「村へ攻め込む契約じゃない」

 

「だが――」

 

「隊商を危険へ近づけるのか?」

 

「それは……」

 

護衛たちの間で意見が割れる。

 

ドーマは地図を見つめていた。

 

「捕虜を助けたい気持ちはある」

 

ゆっくりと口を開く。

 

「だが、俺には商人たちと荷を守る責任がある。全員を村へ連れていくことはできない」

 

「当たり前だ」

 

アルフィアが答えた。

 

「隊商は街道から離れた場所で待機させる」

 

「俺たちが行く」

 

ザルドが言った。

 

ドーマが顔を上げる。

 

「三人でか?」

 

「ああ」

 

「待てよ」

 

バンが口を挟む。

 

「オレ一人で裏から入れば――」

 

「福音《ゴスペル》」

 

「まだ何もしてねぇだろ!」

 

澄んだ鐘の音。

 

不可視の衝撃がバンの足元を掠め、地面へ細い穴を穿った。

 

砂と土が靴へ掛かる。

 

「警告だ」

 

「近くに人いるんだから撃つなよ!」

 

「威力も射線も抑えた」

 

「当たったら?」

 

「脚が一本減る」

 

「全然抑えてねぇだろ!」

 

「お前なら治る」

 

「そういう問題じゃねぇよ」

 

隊商の者たちが、二人から距離を取る。

 

ザルドは何事もなかったように話を続けた。

 

「三人で行く。正面へ俺とバン。アルフィアは弓兵と、逃げ道を警戒する」

 

「俺が正面?」

 

バンが尋ねる。

 

「裏から行くなと言っただろう」

 

「正面からならいいのか」

 

「勝手に先行しなければな」

 

「面倒だな」

 

「お前を管理する方が面倒だ」

 

アルフィアが言う。

 

「捕虜を見つけるまでは、大規模な攻撃を避ける」

 

「ゴスペルも?」

 

「必要なら使う」

 

「礼拝堂ごと消すなよ」

 

「私を誰だと思っている」

 

「すぐ撃つ魔女」

 

再び空気が震える。

 

「冗談だって!」

 

バンはザルドの背後へ隠れた。

 

「俺を盾にするな」

 

「お前なら平気だろ」

 

「そういう問題ではない」

 

若い野盗は、三人のやり取りを呆然と見つめていた。

 

「本当に……助けるのか」

 

「捕まってる奴をか?」

 

バンがザルドの背後から顔を出す。

 

「ああ」

 

「近くにいんだろ」

 

「それだけで?」

 

「ほかに理由いる?」

 

若い男は答えられなかった。

 

バンは軽く肩を竦める。

 

「代わりに、村の中を案内しろよ」

 

「俺が?」

 

「道知ってんだろ」

 

「連れていけば、仲間に殺される」

 

「オレらがいる」

 

「それが怖ぇんだよ」

 

「失礼な奴だな」

 

「お前にだけは言われたくない」

 

ルーカが呟いた。

 

 

       ◇

 

 

翌朝。

 

隊商は、日の出前に野営地を出発した。

 

修理した車輪は問題なく回っている。

 

捕らえた野盗たちは二台目の荷車へ乗せられ、足も縄で繋がれていた。

 

若い男だけは別だ。

 

両手を前で縛られ、ザルドの隣を歩いている。

 

名はニルといった。

 

「逃げるなよ」

 

バンが言う。

 

「逃げても追いつかれるだろ」

 

「分かってんじゃねぇか」

 

「笑うな」

 

「別に笑ってねぇよ」

 

「笑ってる」

 

「気のせいだ」

 

ニルは不安そうに街道の先を見つめていた。

 

廃村が近づくにつれ、周囲の畑跡が増えていく。

 

石を積んだ境界。

 

崩れた水路。

 

枯れた果樹。

 

かつて人が暮らしていた痕跡だけが、荒野の中に残されていた。

 

「この辺りから見張られてる」

 

ニルが小声で言う。

 

「どこから?」

 

「丘の上。あとは、壊れた風車」

 

遠くに、羽根の失われた風車が立っている。

 

窓の奥。

 

ほんの一瞬だけ、光が反射した。

 

「弓だな」

 

アルフィアが言った。

 

「二人いる」

 

「もう気づかれてんのか」

 

バンが尋ねる。

 

「ああ」

 

村まで、まだかなり距離がある。

 

それでも見張りは、隊商の台数と人数を確認できる位置にいた。

 

「止まれ」

 

ザルドが手を上げた。

 

隊商が街道上で止まる。

 

ドーマが荷車から降りた。

 

「ここからどうする」

 

「隊商は西の林へ移動しろ」

 

ザルドが指した先には、枯れ木と低木が集まった場所がある。

 

完全に姿を隠すことはできない。

 

だが、街道の真正面へ立つよりはましだ。

 

「護衛は全員残す」

 

アルフィアが言う。

 

「こちらへ来る必要はない」

 

「三人だけで十分なのか?」

 

ルーカが尋ねる。

 

「足手まといだ」

 

「言い方!」

 

「事実だ」

 

ルーカは反論しかけたが、昨日の戦いを思い出したのか、口を閉じた。

 

「ただし」

 

ザルドが続ける。

 

「逃げてきた者は捕らえろ。黒い布を腕へ巻いているのが野盗だ」

 

「分かった」

 

「捕虜が逃げてくる可能性もある。無差別に攻撃するな」

 

「そっちは白い布を巻いてる」

 

ニルが言った。

 

「捕まえた奴らには、逃げても分かるように白い布を巻いてる」

 

「お前は?」

 

「俺は……」

 

ニルの腕には何もない。

 

バンが自分のコートの内側から、白い布を細く裂いた。

 

「ほら」

 

「何で持ってんだ?」

 

「コート直した時の余り」

 

「赤じゃないのか」

 

「内側の布だよ」

 

ニルの腕へ白い布を巻く。

 

「これで撃たれねぇ」

 

「弓兵がお前の話を聞いていればな」

 

「その前に弓を奪う」

 

「簡単に言うなよ」

 

「簡単だぞ」

 

ニルの顔が引きつった。

 

「やっぱり怖ぇよ、お前」

 

「助けてやんのに失礼だな」

 

「お前が助けるのは俺じゃないだろ」

 

「ついでだ」

 

「ついで……」

 

アルフィアが風車へ目を向けた。

 

「見張りが動いた」

 

「村へ知らせに行く?」

 

「ああ。一人が降りた」

 

「なら急ぐか」

 

バンが前へ出ようとする。

 

赤いコートの背中を、ザルドが掴んだ。

 

「一人で行くな」

 

「分かってるって」

 

「身体だけ先へ行こうとしていた」

 

「歩き始めただけだろ」

 

「私たちを待て」

 

アルフィアがバンの横へ並ぶ。

 

ザルドも反対側へ。

 

その後ろを、ニルが歩く。

 

「本当に正面から行くのか?」

 

ニルが尋ねた。

 

「ああ」

 

ザルドが答える。

 

「正面は罠だらけだぞ」

 

「場所を言え」

 

「街道の真ん中に二つ。村の入口に一つ。木板で隠して、上に土を――」

 

バンが地面を見る。

 

「これか?」

 

街道の一部。

 

周囲より僅かに土の色が違う。

 

「そうだ」

 

「分かりやすいな」

 

「知らなきゃ踏むんだよ」

 

バンは落とし穴の上へ右手を向けた。

 

「強奪《スナッチ》」

 

土を覆っていた木板が、一斉に持ち上がる。

 

板と縄が空中を飛び、街道脇へ落ちた。

 

下には、人一人が落ちる深さの穴。

 

底には尖らせた木の杭が並んでいた。

 

「殺す気満々だな」

 

バンが穴を覗く。

 

「荷車が落ちたら、人も荷獣も終わる」

 

ニルは顔を背けた。

 

「俺は作ってない」

 

「知ってたんだろ」

 

「……ああ」

 

「なら、後で埋めろ」

 

「俺が?」

 

「お前らが作ったんだ。お前らで直せ」

 

バンは街道脇へ落ちた木板を見た。

 

「使える材木なら、隊商にやりゃいい」

 

「本当に盗賊か、お前」

 

「元な」

 

「元?」

 

「今は王様」

 

「は?」

 

「バン」

 

アルフィアが低く呼ぶ。

 

「詳しい話は後だろ」

 

「ああ、そうだったな」

 

ニルは訳が分からないという顔で三人を見回した。

 

「何なんだよ、本当に」

 

「ただの旅人だ」

 

ザルドが答える。

 

「絶対違うだろ」

 

三人とニルは、罠を避けながら廃村へ近づいた。

 

 

       ◇

 

 

クルバ廃村。

 

かつて畑だった土地には、背の高い雑草が生い茂っている。

 

石造りの家々は屋根が崩れ、窓には板が打ちつけられていた。

 

村の中央には、枯れた井戸。

 

北側には大きな穀物倉庫。

 

そのさらに奥へ、小さな礼拝堂が建っている。

 

礼拝堂だけは、比較的形を保っていた。

 

村の入口には、壊れた荷車と木材を積み上げた防壁。

 

その上や家の屋根に、弓兵が並んでいる。

 

数は十人。

 

地上にも、剣や槍を持つ野盗たちが集まっていた。

 

ニルが告げた人数より多い。

 

「増えてる」

 

「別の一味が合流したのか?」

 

バンが尋ねる。

 

「近くの連中を呼んだんだと思う」

 

「面倒だな」

 

防壁の中央。

 

一人の男が姿を現す。

 

大柄ではない。

 

だが、他の野盗とは装備が違う。

 

黒い革鎧。

 

刃の長い湾曲剣。

 

右目から頬へ続く古い傷。

 

その男の隣には、二人の捕虜が立たされていた。

 

中年の御者らしき男たち。

 

手を縛られ、首へ縄を掛けられている。

 

「バルガだ」

 

ニルが呟く。

 

傷の男――バルガは、四人を見て笑った。

 

「おかしいな」

 

声は遠くまでよく通る。

 

「荷を満載した隊商が来ると聞いた。だが、現れたのは妙な四人だけか」

 

「隊商は置いてきた」

 

ザルドが答える。

 

「賢明だ。荷だけこちらへ持ってくれば、もっと賢かったがな」

 

「捕まえている者を解放しろ」

 

「交換だ」

 

バルガは御者の首に掛かった縄を引いた。

 

男たちが苦しそうに咳き込む。

 

「見張り台で捕まえた仲間を返せ。隊商の荷を半分置いていけ。そうすれば、この二人は返す」

 

「三人いるんじゃなかったか?」

 

バンが尋ねる。

 

バルガの目が、ニルへ向いた。

 

「喋ったのか」

 

ニルの身体が震える。

 

「裏切り者が」

 

「女はどこだ?」

 

「ここにはいない」

 

「礼拝堂の地下だろ」

 

バンが答える。

 

バルガの笑みが消えた。

 

「随分聞いたようだな」

 

「もう終わりにしようぜ」

 

「何?」

 

「人質返して、武器置けよ」

 

バンは普段と変わらない調子で言った。

 

「そうすりゃ、あんまり痛くしねぇから」

 

一瞬。

 

廃村が静まり返る。

 

次の瞬間。

 

野盗たちから笑い声が上がった。

 

「四人で何を言っている!」

 

「弓の数も分からねぇのか!」

 

「頭がおかしいぞ!」

 

バルガも再び口元を歪めた。

 

「赤い服の男。お前、自分が何者か分かっているのか?」

 

「さあな」

 

「こちらには三十人いる」

 

「少ねぇな」

 

笑い声が止まった。

 

バンは屋根の上を見回す。

 

「弓が十。下が二十くらい。隠れてんのが礼拝堂と倉庫に少し」

 

アルフィアが訂正する。

 

「礼拝堂に四人。倉庫に六人」

 

「全部で四十か」

 

「地下にもいる」

 

「じゃあ、もうちょいだな」

 

バルガの顔から、完全に笑みが消えた。

 

「撃て」

 

短い命令。

 

十人の弓兵が、一斉に弦を放した。

 

「強奪《スナッチ》」

 

バンが右手を上げる。

 

放たれた矢が。

 

すべて空中で方向を変えた。

 

十本の矢は一か所へ集まり、バンの足元へ突き刺さる。

 

野盗たちの表情が固まる。

 

「次」

 

バンが手を握る。

 

屋根の上から、弓が飛んだ。

 

一つ。

 

二つ。

 

三つ。

 

十張りの弓が、持ち主の手を離れて宙を舞う。

 

村の入口へ降り注ぎ、乾いた土の上へ転がった。

 

「な……何だ!?」

 

「弓を奪われた!」

 

「予備を持て!」

 

野盗たちが混乱する。

 

バルガは御者の首へ剣を押し当てた。

 

「動くな!」

 

「それも貰うぞ」

 

バンが指を向ける。

 

「強奪《スナッチ》」

 

湾曲剣が、バルガの手から消えた。

 

遠く離れたバンの右手へ飛ぶ。

 

同時に。

 

二人の御者の首へ巻かれていた縄の結び目が解けた。

 

「今だ!」

 

ニルが叫ぶ。

 

御者たちは地面へ伏せ、そのまま防壁の陰へ転がり込む。

 

「アルフィア」

 

「福音《ゴスペル》」

 

鐘の音が鳴った。

 

不可視の衝撃が、防壁の左右を貫く。

 

人へは当てない。

 

積み上げられていた木材と壊れた荷車の接続部分だけが、正確に砕かれた。

 

防壁が崩れる。

 

野盗たちの視界を、土煙が覆った。

 

「行くぞ」

 

ザルドが前へ出る。

 

「今度は待ってたぞ」

 

バンも笑いながら並ぶ。

 

「当たり前だ」

 

「褒めてくれてもいいだろ」

 

「一度指示を守っただけだ」

 

二人が崩れた防壁へ向かう。

 

「止めろ!」

 

バルガが怒鳴る。

 

剣と槍を持った野盗たちが、一斉に押し寄せた。

 

先頭の男が槍を突く。

 

ザルドは穂先を片手で掴み、そのまま横へ振る。

 

槍を握っていた三人が、まとめて地面へ転がった。

 

「邪魔だ」

 

ザルドが一歩踏み込む。

 

拳は使わない。

 

肩。

 

掌。

 

腕。

 

必要最低限の動きだけで、近づく者を次々と倒していく。

 

バンの前にも、五人が迫る。

 

「一人を囲め!」

 

「脚を狙え!」

 

「それ、昨日も聞いたな」

 

剣が左右から振られる。

 

バンは身体を沈め、二本を同時に避けた。

 

地面へ手をつく。

 

長い脚が円を描く。

 

三人の足がまとめて払われ、宙へ浮いた。

 

「ほらよ」

 

立ち上がりながら、一人の胸を掌で押す。

 

男は後ろの仲間を巻き込み、家の壁へ激突した。

 

残る二人。

 

一人が背後へ回る。

 

もう一人が正面から斧を振り下ろす。

 

バンは斧の柄を掴んだ。

 

「借りるぞ」

 

軽く奪う。

 

そのまま斧の平らな側面で、背後の男の腹を叩いた。

 

「ぐえっ!」

 

「返す」

 

斧を元の持ち主へ投げる。

 

男は慌てて受け取った。

 

その瞬間。

 

バンの額が、男の額へぶつかった。

 

鈍い音。

 

男は白目を剥き、その場へ倒れた。

 

「使い方が違ぇな」

 

バンは頭を掻いた。

 

野盗たちの戦意が、目に見えて下がっていく。

 

「化け物だ!」

 

「聞き飽きた」

 

アルフィアが、後方から静かに歩いてくる。

 

彼女へ近づこうとする者はいない。

 

屋根の上で予備の弓を取ろうとした野盗がいれば、その手元だけを《福音》が撃ち抜く。

 

剣を拾おうとすれば、足元の地面が抉れる。

 

一人も殺さず。

 

一人にも反撃を許さず。

 

村の中央へ向かう道だけが、次々と開かれていった。

 

「退け!」

 

バルガが叫ぶ。

 

「礼拝堂へ戻れ!」

 

残った野盗たちが、一斉に北側へ走る。

 

「逃げ道だ」

 

ニルが言う。

 

「地下へ行く!」

 

「追うぞ」

 

バンが走り出す。

 

「待て!」

 

アルフィアの声。

 

今度はバンも足を止めた。

 

「何だよ」

 

「倉庫」

 

村の西側。

 

大きな穀物倉庫の入口で、野盗の一人が火打石を打っている。

 

その足元には、油壺。

 

「燃やす気だ!」

 

ニルが叫ぶ。

 

火花が布へ移る。

 

男が燃え始めた布を、油壺へ投げようと腕を振った。

 

「強奪《スナッチ》!」

 

火のついた布が消える。

 

バンの方へ飛ばず、空中で軌道を変え、枯れた井戸の底へ落ちた。

 

続いて油壺が男の足元から浮き上がる。

 

すべてが街道側の空き地へ移され、ゆっくりと地面へ置かれた。

 

「危ねぇな」

 

バンが息を吐く。

 

ザルドは倉庫へ向かう。

 

扉を蹴破る。

 

中には、木箱。

 

樽。

 

布。

 

武器。

 

各地の印が入った荷物が、天井近くまで積み上げられていた。

 

「奪った商品か」

 

「全部だ」

 

ニルが言う。

 

「ここ何か月かで集めた物は、ここにある」

 

「食料も?」

 

バンが聞く。

 

「そこかよ!」

 

ニルが初めて大声で突っ込んだ。

 

「腹減ったからな」

 

「今は人質だろ!」

 

「分かってるって」

 

その時。

 

礼拝堂の鐘が鳴った。

 

古く濁った音。

 

一度。

 

二度。

 

続いて。

 

礼拝堂の地下から、女の悲鳴が聞こえた。

 

「来るな!」

 

バルガの声が響く。

 

「近づけば、女を殺す!」

 

三人の顔から、軽さが消えた。

 

礼拝堂の扉が開く。

 

バルガが、若い女の首へ腕を回して現れた。

 

女の両手は縛られ、口元には血が滲んでいる。

 

バルガの手には、予備の短剣。

 

「道を開けろ」

 

「どこへ行く」

 

ザルドが尋ねる。

 

「北の丘だ」

 

「逃がすと思うか?」

 

「こいつが死んでもいいならな」

 

短剣の刃が、女の首へ触れる。

 

バンが右手を上げる。

 

バルガは女を盾にして身体を隠した。

 

「その妙な力を使うな!」

 

「使ったら?」

 

「首を切る」

 

「できんのか?」

 

「試すか!」

 

バルガが刃を動かす。

 

細い血が、女の首を伝った。

 

バンの目が冷たくなる。

 

「やめろ」

 

「武器を捨てろ!」

 

「誰も持ってねぇだろ」

 

「動くな!」

 

バンは動かない。

 

ザルドも。

 

アルフィアも。

 

バルガは少しずつ、礼拝堂の中へ下がっていく。

 

「追うな」

 

扉が閉じられる。

 

直後。

 

内側から重い物を動かす音。

 

「地下へ逃げる!」

 

ニルが走り出した。

 

「墓地側へ回れば先に出られる!」

 

「案内しろ」

 

ザルドが言う。

 

四人は礼拝堂の裏へ向かう。

 

崩れた墓石。

 

伸び放題の草。

 

ニルは一つの大きな石板の前で膝をついた。

 

「これだ」

 

石板の端へ指を掛ける。

 

だが、一人では動かない。

 

ザルドが横から掴み、持ち上げた。

 

石板の下。

 

暗い階段が、地下へ続いている。

 

冷たい空気。

 

湿った土。

 

そして、奥から聞こえる足音。

 

「この先は?」

 

アルフィアが尋ねる。

 

「礼拝堂の地下へ繋がってる。その奥に、丘へ抜ける道がある」

 

「別の罠は?」

 

「分からない。俺も奥まで入ったことはない」

 

バンが階段へ足を掛ける。

 

「行くぞ」

 

「待て」

 

アルフィアが言った。

 

バンは足を止める。

 

「今度は待ってるだろ」

 

「ああ」

 

「珍しい」

 

「撃たれたくねぇからな」

 

「学習したか」

 

「元から頭はいいぞ」

 

「それはない」

 

ザルドが石板を地面へ下ろした。

 

「隊商には護衛を残した。村に残っている野盗も、ほとんど戦意を失っている」

 

「三人で行くぞ」

 

バンが言う。

 

アルフィアが僅かに眉を上げる。

 

「ようやく分かったか」

 

「最初から分かってるよ」

 

「一人で遺跡へ行った男の言葉ではない」

 

「今、その話すんの?」

 

「忘れていない」

 

「一生言われそうだな」

 

「当然だ」

 

ザルドが階段の暗闇へ目を向ける。

 

「話は後だ」

 

地下の奥。

 

女の短い悲鳴。

 

続いて、石が崩れる音がした。

 

三人の表情が変わる。

 

バンが先頭。

 

ザルドが後ろ。

 

アルフィアが二人の間へ入る。

 

「ニルは上に残れ」

 

「でも――」

 

「隊商の者たちを墓地へ呼べ」

 

ザルドが命じる。

 

「逃げてきた者を捕らえろ」

 

「分かった」

 

ニルは頷き、村の中央へ走っていった。

 

バンは暗い階段を見下ろす。

 

背中にはクレシューズがない。

 

名もない結晶も、隊商のもとに置いてきた。

 

あるのは、自分の身体と《強奪》だけ。

 

それでも。

 

「十分だな」

 

「何がだ」

 

アルフィアが尋ねる。

 

「何でもねぇよ」

 

三人は、地下へ足を踏み入れた。

 

湿った石段。

 

古い礼拝堂の地下。

 

その先には、野盗の頭と一人の人質。

 

そして。

 

地上からは見えない、深い暗闇が待っていた。




今回は、クルバ廃村へ入り、野盗たちの拠点を制圧するまでを描きました。

しかし、頭目のバルガは最後の人質を連れて礼拝堂の地下へ逃走しました。次回は、三人が地下通路を追跡します。
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