強欲の旅人は神の恩恵を受けない   作:ルクエリシオン

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第52話 地下道の果て

礼拝堂の地下へ続く石段は、狭く、湿っていた。

 

壁から滲み出した水が苔を濡らし、踏み込むたびに靴の裏が僅かに滑る。

 

先頭を進むバンの手には、地上で奪った短剣。

 

武器として使うためではない。

 

壁や床に仕掛けがないかを探るため、刃先で石の隙間を軽く叩いていた。

 

その後ろをアルフィア。

 

最後尾にはザルド。

 

三人分の足音が、地下通路へ低く反響している。

 

「止まれ」

 

アルフィアの声が落ちた。

 

バンは上げかけていた足を、その場で止める。

 

「何かある?」

 

「糸だ」

 

「見えねぇぞ」

 

「膝の高さ。壁から壁へ張られている」

 

バンが目を凝らす。

 

暗闇の中。

 

湿った石壁の間に、細い糸が一本。

 

灯りの角度が変わった瞬間だけ、僅かに光を返した。

 

「踏んだら?」

 

「右上から音がする」

 

アルフィアが壁の上部を見る。

 

不自然に積まれた石。

 

その奥に、何か重いものが置かれているらしい。

 

「崩れるか」

 

ザルドが言った。

 

「おそらくな」

 

「分かりやすい罠だな」

 

「お前には見えていなかった」

 

「アルフィアが見つけたからいいだろ」

 

「私をお前の目にするな」

 

バンは糸へ指を向ける。

 

「強奪《スナッチ》」

 

張りつめていた糸が、両端の留め具ごと壁から抜けた。

 

罠は作動しない。

 

バンの手へ細い糸が収まる。

 

「便利だな」

 

ザルドが言った。

 

「褒めても何も出ねぇぞ」

 

「褒めてはいない」

 

「二人とも冷てぇな」

 

バンは糸を地面へ置き、再び進み始める。

 

通路は少しずつ下へ傾いていた。

 

地下の奥から、複数の音が聞こえる。

 

足音。

 

鎖。

 

誰かの荒い呼吸。

 

そして、女の小さな呻き声。

 

「近い」

 

アルフィアが言う。

 

「バルガ以外にもいるか?」

 

「三人」

 

「逃げた野盗か?」

 

「一人は人質。残り二人は男だ」

 

「バルガと、もう一人か」

 

ザルドが拳を握る。

 

「挟まれる可能性は?」

 

「後ろにはいない」

 

「なら前だけだな」

 

バンは短剣を逆手に持ち替えた。

 

通路の先には、揺れる橙色の光。

 

松明だ。

 

光は一つではない。

 

二つ。

 

左右の壁へ差し込まれている。

 

その間に、鉄格子があった。

 

格子の奥。

 

一人の男が、若い女の首へ短剣を当てている。

 

バルガ。

 

その隣には、見張り台から逃げた黒布の男。

 

男の手には、小型の弩が握られていた。

 

狭い地下では、弓より扱いやすい。

 

「止まれ!」

 

バルガが叫ぶ。

 

三人は鉄格子の手前で足を止めた。

 

「そこから動くな」

 

「また同じことすんのか?」

 

バンが呆れたように言う。

 

「何度やっても、お前じゃオレらを止められねぇぞ」

 

「黙れ!」

 

バルガが女の髪を掴み、無理やり顔を上げさせる。

 

年齢は二十歳前後。

 

淡い茶色の髪。

 

旅装は破れ、頬には殴られた痕がある。

 

意識はある。

 

だが、長く拘束されていたのか、足元が震えていた。

 

「こいつが死んでもいいのか?」

 

「よくねぇな」

 

バンが答える。

 

「なら武器を捨てろ!」

 

「これ?」

 

バンは短剣を見た。

 

指を開く。

 

短剣が石の床へ落ち、乾いた音を立てた。

 

「次はその女だ!」

 

バルガがアルフィアを見る。

 

「魔法を使うな。少しでも口を動かせば、首を切る」

 

「……」

 

アルフィアは何も答えなかった。

 

ただ、バルガと黒布の男を静かに見ている。

 

「でかい男もだ!」

 

「俺は武器を持っていない」

 

ザルドが両手を僅かに広げる。

 

「その場へ膝をつけ!」

 

「断る」

 

「人質を殺すぞ!」

 

「お前は殺せない」

 

「何だと?」

 

ザルドの声には、迷いがなかった。

 

「殺せば、お前を守るものがなくなる」

 

「試してみるか?」

 

「できるなら、すでにやっている」

 

バルガの短剣が、女の首へさらに強く押し当てられる。

 

薄く血が滲んだ。

 

女が息を呑む。

 

「ザルド」

 

バンが低く呼ぶ。

 

「ああ」

 

バルガが顔を歪める。

 

「余裕ぶりやがって……!」

 

「お前、逃げる道を知ってんだろ」

 

バンが言った。

 

「この奥から丘へ出られる。人質連れて逃げるつもりだった」

 

「だった?」

 

「もう無理だろ」

 

黒布の男の肩が僅かに動いた。

 

アルフィアの目が細くなる。

 

「奥に何かある」

 

バルガが反射的に通路の奥へ視線を向けた。

 

ほんの一瞬。

 

それだけで十分だった。

 

「強奪《スナッチ》」

 

バルガの手から、短剣が消えた。

 

「なっ――」

 

同時に。

 

黒布の男が弩の引き金を引く。

 

矢はバンではない。

 

アルフィアへ向けられていた。

 

「雑音だ」

 

アルフィアは首を僅かに傾けた。

 

短い矢が頬の横を通り抜ける。

 

「福音《ゴスペル》」

 

澄んだ鐘の音。

 

不可視の衝撃が鉄格子の隙間を抜け、黒布の男の手元だけを撃ち抜く。

 

弩が砕けた。

 

「ぐあっ!」

 

男の手から血が散る。

 

指は残っている。

 

だが、武器を握ることはできない。

 

バルガは人質を突き飛ばし、奥へ走ろうとした。

 

「逃がすかよ」

 

バンが右手を引く。

 

「強奪《スナッチ》」

 

今度は、バルガの腰に巻かれていた革帯が引かれた。

 

「うおっ!?」

 

身体が後ろへ浮く。

 

鉄格子へ背中から叩きつけられた。

 

鍵束が腰から飛び出し、バンの手へ収まる。

 

「これか」

 

複数の鍵。

 

バンは鉄格子の錠へ順番に差し込む。

 

「急げ」

 

ザルドが言う。

 

「分かってるって」

 

「一本ずつ試すな。錠の形を見ろ」

 

「細けぇな」

 

三本目。

 

鍵が回る。

 

鉄格子が開いた。

 

ザルドが中へ入る。

 

黒布の男は傷ついた手を押さえながら、腰の剣へ反対の手を伸ばした。

 

ザルドの掌が、その胸へ当たる。

 

「寝ていろ」

 

僅かに押す。

 

男の身体が壁へ叩きつけられ、その場へ崩れ落ちた。

 

バルガは立ち上がり、通路の奥へ走る。

 

「待て!」

 

バンが追おうとする。

 

「人質を先にしろ」

 

アルフィアの声が止めた。

 

バンの足が止まる。

 

「……ああ」

 

地面へ倒れた女へ駆け寄る。

 

両手は背中側で縄に縛られていた。

 

足首にも鎖。

 

バンが縄へ触れる。

 

「切るぞ」

 

女は怯えた目でバンを見る。

 

「だ、大丈夫……」

 

「無理すんな」

 

バンは指先だけで縄を引き千切った。

 

次に足の鎖。

 

「強奪《スナッチ》」

 

錠が鎖から抜ける。

 

女の脚が自由になった。

 

立ち上がろうとしたが、すぐに膝が崩れる。

 

バンが腕を掴んで支えた。

 

「歩ける?」

 

「少しなら……」

 

「ザルド」

 

「ああ」

 

ザルドが女を軽々と抱き上げる。

 

「待っていろ」

 

「でも、あの男が……」

 

「逃がさない」

 

ザルドの声は穏やかだった。

 

「もう大丈夫だ」

 

女はしばらくザルドの顔を見た後、力が抜けたように目を閉じた。

 

「気を失っただけだ」

 

アルフィアが言う。

 

「命に別状はない」

 

「なら追うぞ」

 

バンが奥の通路を見る。

 

バルガの足音はまだ聞こえている。

 

遠ざかってはいない。

 

むしろ。

 

何か重いものを動かす音がした。

 

「止まれ」

 

アルフィアが再び言った。

 

「また罠か?」

 

「違う」

 

地下全体が、僅かに震えた。

 

天井から砂が落ちる。

 

通路の奥。

 

低い轟音。

 

「崩す気だ」

 

ザルドが女を壁際へ横たえる。

 

「退路ごと塞ぐつもりか」

 

「自分も埋まるぞ」

 

バンが言う。

 

「別の出口がある」

 

アルフィアは耳を澄ませた。

 

「右奥。風の音がする」

 

「丘へ出る道か」

 

「ああ」

 

再び地面が揺れた。

 

今度は先ほどより大きい。

 

奥の天井に亀裂が走る。

 

「女を連れて戻れ」

 

ザルドが言う。

 

「誰が?」

 

「アルフィアだ」

 

「私が?」

 

「バルガは俺たちで追う」

 

アルフィアの目が鋭くなる。

 

「命令するな」

 

「最も速く地上へ戻せるのはお前だ」

 

「……」

 

数秒。

 

アルフィアは女へ視線を落とした。

 

「仕方がない」

 

「素直じゃねぇな」

 

バンが言った。

 

「福音《ゴスペル》」

 

「今、地面崩れかけてるぞ!」

 

「黙れ」

 

アルフィアは女の身体を支え、片腕を自分の肩へ回した。

 

細身の身体とは思えない安定した動きで立ち上がらせる。

 

「ザルド」

 

「ああ」

 

「埋まるな」

 

「誰に言っている」

 

「バン」

 

「何だ?」

 

「勝手に先へ行くな」

 

「今度は一緒だろ」

 

「それを忘れるな」

 

「分かってるって」

 

アルフィアは女を連れ、来た道を戻っていく。

 

ザルドとバンは、崩れ始めた通路の奥へ進んだ。

 

 

       ◇

 

 

通路の先は、二つに分かれていた。

 

左は古い貯蔵庫。

 

壊れた樽と空の木箱が積まれている。

 

右は、さらに狭い地下道。

 

冷たい風が吹いていた。

 

「こっちだな」

 

バンが右へ入る。

 

ザルドも続く。

 

天井は低い。

 

ザルドは身体を屈めなければ進めない。

 

「お前には狭そうだな」

 

「余計なことを言うな」

 

「頭ぶつけんなよ」

 

直後。

 

ザルドの頭上へ小さな石が落ちる。

 

石は額に当たり、砕けた。

 

「……」

 

「大丈夫?」

 

「問題ない」

 

「天井の方が負けたな」

 

「前を見ろ」

 

足元には、急いで掘られた跡。

 

木材で支えられた壁。

 

古い地下道へ、野盗が後から手を加えたのだろう。

 

正面から、松明の光が見えた。

 

バルガ。

 

肩へ大きな革袋を掛けている。

 

「逃げ足速ぇな!」

 

バンが叫ぶ。

 

バルガが振り返る。

 

「来るな!」

 

「またそれかよ」

 

バルガは壁際に置かれた油壺へ松明を投げた。

 

火が広がる。

 

乾いた木製の支柱が燃え始めた。

 

「燃やして通路を崩す気か」

 

ザルドが走る。

 

「バン、火を奪え!」

 

「強奪《スナッチ》!」

 

燃えていた油が、地面から引き剥がされる。

 

炎そのものを奪うのではない。

 

火のついた油と布をまとめて引き寄せ、後方の石床へ移す。

 

ザルドが足で踏み消した。

 

「消えた……?」

 

バルガの顔が引きつる。

 

「お前、何なんだ!」

 

「さっきから聞かれるけど、旅人だって」

 

「ふざけるな!」

 

バルガは革袋を地面へ捨て、湾曲した短刀を抜いた。

 

先ほどバンに奪われたものとは別の武器。

 

袖の内側へ隠していたらしい。

 

「まだ持ってたのか」

 

「これ以上近づくな!」

 

「もう人質いねぇぞ」

 

「俺には金がある!」

 

「それがどうした」

 

「欲しいんだろ!?」

 

バルガは革袋を蹴った。

 

口が開き、中身が地面へ散らばる。

 

銀貨。

 

宝石。

 

指輪。

 

商人の印が入った小さな証書。

 

「全部やる!」

 

「へぇ」

 

バンは散らばった銀貨を見る。

 

少しだけ目が輝いた。

 

「バン」

 

ザルドの声が低くなる。

 

「分かってるよ」

 

バンは銀貨から視線を外した。

 

「それ、お前の金じゃねぇだろ」

 

「持ってる奴の物だ!」

 

「盗った奴が言うと説得力あるな」

 

「お前も盗賊だろ!」

 

バルガの叫びに、バンの目が僅かに細くなる。

 

「ああ」

 

「なら分かるはずだ!奪った奴が勝つ!弱い奴から取る!それの何が悪い!」

 

「別に、奪うことが全部悪いとは言わねぇよ」

 

バンはゆっくり歩く。

 

「止まれ!」

 

「オレだって、欲しいもんは奪ってきた」

 

「なら――」

 

「でもな」

 

赤いコートの裾が、地下の風に揺れる。

 

「奪う相手くらい選べよ」

 

バルガが短刀を振り上げた。

 

「強奪《スナッチ》!」

 

短刀が手から飛ぶ。

 

同時に。

 

バルガの身体から、力が抜けた。

 

「な……」

 

膝が崩れる。

 

呼吸が乱れる。

 

身体狩り《フィジカルハント》。

 

バンが奪ったのは、バルガの腕力と脚力。

 

すべてではない。

 

立てなくなる程度。

 

逃げられなくなる程度だけだ。

 

「身体が……動かねぇ……」

 

「これが、奪われるってことだ」

 

バンはバルガの前へ立つ。

 

「お前が弱い奴らにしてきたことより、ずっと軽いけどな」

 

「返せ……!」

 

「嫌だね」

 

バルガが地面を這い、銀貨へ手を伸ばす。

 

その手を、ザルドの足が止めた。

 

「終わりだ」

 

「殺せ……」

 

バルガが吐き捨てる。

 

「捕まったら、どうせ縛り首だ」

 

「それを決めるのは俺たちではない」

 

ザルドはバルガの襟を掴み、持ち上げた。

 

「自分のしたことを、すべて話せ」

 

「誰が――」

 

「話すまで寝かせん」

 

ザルドの声に、バルガの顔から血の気が引く。

 

「拷問する気か?」

 

バンが尋ねる。

 

「質問するだけだ」

 

「顔が怖ぇぞ」

 

「元からだ」

 

バンは地面へ散らばった銀貨と宝石を拾い、革袋へ戻していく。

 

「盗むなよ」

 

「回収してんだよ」

 

「一枚、袖へ入れたな」

 

「気のせいだ」

 

「出せ」

 

「見てたのかよ」

 

バンは銀貨を一枚、渋々袋へ戻した。

 

「報奨金あるんだからいいだろ」

 

「勝手に先払いするな」

 

「細けぇな」

 

ザルドはバルガを片腕で抱え直す。

 

「戻るぞ」

 

「ああ」

 

バンは革袋を持ち上げた。

 

その時。

 

地下道の奥から、低い音が聞こえた。

 

風。

 

外の空気。

 

丘へ出る出口は近い。

 

「どうする?」

 

バンが尋ねる。

 

「出口を確認する」

 

「戻るんじゃねぇの?」

 

「逃げ道を塞ぐ」

 

「真面目だな」

 

「後で野盗が再利用する」

 

二人はバルガを連れ、地下道の先へ進んだ。

 

 

       ◇

 

 

出口は、丘の北側にあった。

 

茂みと岩で隠された、小さな穴。

 

人一人が屈んで通れる程度。

 

外へ出ると、廃村全体を見下ろせる位置だった。

 

村の中央では、隊商の護衛たちが残った野盗を集めている。

 

礼拝堂の前には、アルフィア。

 

その隣で、救出された女が毛布を掛けられて座っていた。

 

ニルもいる。

 

捕まっていた二人の御者へ水を渡していた。

 

「終わったみてぇだな」

 

バンが言う。

 

「出口を埋める」

 

ザルドは入口を支えていた木材を見る。

 

「崩すぞ」

 

「中に誰もいねぇ?」

 

「音はない」

 

遠く離れたアルフィアも、こちらを見て頷いた。

 

「福音《ゴスペル》」

 

澄んだ鐘の音。

 

丘の斜面。

 

地下道の入口を支えていた岩だけが砕けた。

 

「こっちまで届くのかよ」

 

崩れた土と石が、穴を完全に塞ぐ。

 

ザルドはバルガを抱えたまま、村へ下り始めた。

 

バンも続く。

 

「歩けねぇのか?」

 

「お前が力を奪ったからだろう」

 

「少ししたら戻るよ」

 

「どれくらいだ」

 

「さあな」

 

「分からないのか」

 

「適当に取ったからな」

 

「雑だな」

 

「死なねぇ程度にはしてる」

 

「それを雑と言う」

 

村へ戻ると、ドーマたちも林から移動してきていた。

 

荷車は村の外へ並べられている。

 

護衛たちは武器を構えたままだが、戦いは終わっている。

 

捕らえられた野盗は三十人以上。

 

逃げた者もいる。

 

だが、拠点として使われていた廃村は制圧された。

 

「その男がバルガか」

 

ドーマが尋ねる。

 

「ああ」

 

ザルドが地面へ下ろす。

 

バルガは立てず、その場へ座り込んだ。

 

「人質は?」

 

「三人とも無事だ」

 

アルフィアが答えた。

 

「女は衰弱している。だが、休ませれば歩ける」

 

救出された女が、毛布を押さえながら立ち上がろうとする。

 

「無理をするな」

 

アルフィアが言った。

 

「でも……お礼を」

 

「不要だ。座っていろ」

 

冷たい口調。

 

だが、女の肩へ手を添え、倒れないよう支えている。

 

バンがにやつく。

 

「優しいじゃねぇか」

 

「福音《ゴスペル》」

 

「今、怪我人の隣だぞ!」

 

「お前だけを狙える」

 

「物騒だな!」

 

女は驚いた後、僅かに笑った。

 

アルフィアはバンを睨み、女を再び座らせる。

 

「こいつらは、あなたたちが?」

 

女が尋ねた。

 

「ああ」

 

バンが答える。

 

「オレらと、隊商の連中でな」

 

「ありがとう……」

 

「気にすんな」

 

「あなたの名前は?」

 

「バン」

 

「私はセラ」

 

「一人で旅してたんだって?」

 

「北の村へ薬を届ける途中だった」

 

セラは俯く。

 

「荷物は全部、あいつらに奪われた」

 

「倉庫にあるかもしれねぇな」

 

ザルドが倉庫を確認しているドーマへ声を掛ける。

 

「薬の荷は?」

 

「探させよう」

 

しばらくして。

 

商人の一人が、小さな木箱を抱えて戻ってきた。

 

箱には、セラの名前と、北の村の印。

 

「これ……!」

 

セラは木箱へ手を伸ばした。

 

蓋を開ける。

 

中には薬瓶と乾燥した薬草。

 

いくつか割れている。

 

だが、大半は無事だった。

 

「よかった……」

 

セラの目に涙が浮かぶ。

 

バンはその様子を見て、静かに笑った。

 

「間に合うといいな」

 

「うん」

 

ニルは少し離れた場所で、二人の御者と話していた。

 

その表情は暗い。

 

バンが近づく。

 

「何してんだ?」

 

「謝ってた」

 

「許してもらえた?」

 

「そんな簡単な話じゃねぇよ」

 

「だろうな」

 

「俺も連れてかれるんだろ」

 

「ああ」

 

「衛兵に渡されたら、どうなる?」

 

「知らねぇ」

 

「死刑かもしれない」

 

「かもな」

 

ニルが俯く。

 

「怖くないのか、とか言わないのか?」

 

「怖いだろ」

 

「……ああ」

 

「じゃあ、ちゃんと話せよ」

 

バンは廃村を見回す。

 

「何をしたか。誰に何をしたか。知ってること全部」

 

「それで軽くなるのか?」

 

「さあな」

 

「無責任だな」

 

「オレが決めることじゃねぇからな」

 

バンはニルの頭を軽く小突いた。

 

「でも、逃げてまた同じことするよりはましだろ」

 

「……そうだな」

 

ニルは小さく頷いた。

 

 

       ◇

 

 

その日は、クルバ廃村で一泊することになった。

 

野盗を縛り。

 

盗品を分類し。

 

持ち主が分かるものと、分からないものを分ける。

 

食料と水も倉庫から見つかった。

 

多くは襲われた隊商から奪ったもの。

 

ドーマは勝手に使うことを避け、必要最低限だけを記録した上で分けた。

 

「肉ある?」

 

バンが尋ねる。

 

「あるが、盗品だ」

 

「腹減った」

 

「隊商の食料を出す」

 

「そっちは食っていいの?」

 

「俺たちの物だからな」

 

「難しいな」

 

「勝手に食えば、お前も野盗と同じだ」

 

アルフィアが言った。

 

「それは嫌だな」

 

「盗賊ではあるだろう」

 

「盗賊と野盗は違ぇよ」

 

「何がだ」

 

「格好よさ?」

 

「同じだ」

 

「ひでぇな」

 

夕食は、隊商の豆と野菜の煮込み。

 

倉庫から見つかった陶器の器は使わず、自分たちの食器を使う。

 

燻製肉。

 

硬いチーズ。

 

香草パン。

 

前日と似た内容だった。

 

「また同じか」

 

バンが言う。

 

「嫌なら食うな」

 

料理係の女が鍋を持ち上げる。

 

「食います」

 

「素直でよろしい」

 

「お前、あの鍋に弱いな」

 

ルーカが笑う。

 

「アルフィアの魔法より、近くて避けにくいんだよ」

 

「福音《ゴスペル》」

 

「冗談だって!」

 

隊商の者たちから笑いが上がる。

 

戦いの後。

 

捕虜。

 

盗品。

 

これから衛兵へ説明しなければならないことは山ほどある。

 

それでも、全員が生きている。

 

隊商の荷も。

 

救出された三人も。

 

バンの背負い袋の中にある、傷ついたクレシューズと名もない結晶も無事だった。

 

夜。

 

見張りは隊商の護衛と三人で交代することになった。

 

バンは礼拝堂の外壁へ背を預け、隣に背負い袋を置いていた。

 

廃村の上には、雲のない星空。

 

風が草を揺らしている。

 

「終わったな」

 

バンが袋へ話しかける。

 

「武器に報告するな」

 

少し離れた場所から、アルフィアの声がした。

 

「起きてたのか」

 

「見張りだ」

 

「もう野盗いねぇぞ」

 

「逃げた者がいる」

 

「戻ってくると思う?」

 

「可能性は低い。だが、ないとは言えない」

 

アルフィアはバンの隣ではなく、少し離れた石へ腰を下ろした。

 

「お前、今日はちゃんと指示を聞いたな」

 

「何だよ急に」

 

「一人で地下へ行かなかった」

 

「ザルドも一緒だっただろ」

 

「だから言っている」

 

「褒めてんの?」

 

「事実を確認しただけだ」

 

「素直じゃねぇな」

 

「福音《ゴスペル》」

 

「褒め言葉だったのに!」

 

「雑音だ」

 

バンは笑い、背負い袋へ手を置いた。

 

その直後。

 

布と革の奥から。

 

ちり、と。

 

小さな金属音。

 

二人の視線が袋へ向く。

 

「また鳴ったな」

 

「ああ」

 

アルフィアは外側へ手を添えた。

 

クレシューズ側。

 

次に結晶側。

 

「結晶に変化はない」

 

「じゃあ、こいつだ」

 

「断定するな」

 

「何度も鳴ってんだろ」

 

「偶然は続く」

 

「棗椰子と同じだな」

 

空気が震える。

 

「冗談だって」

 

バンはすぐに両手を上げた。

 

「それにしても」

 

アルフィアは背負い袋を見つめた。

 

「以前より、音が明確になっている」

 

「そう思う?」

 

「ああ」

 

「直りたがってんのかもな」

 

「武器に意思があるとは限らない」

 

「なくても、オレには分かる」

 

「何がだ」

 

「まだ終わってねぇってこと」

 

バンは袋へ軽く手を置く。

 

「オラリオまで、ちゃんと連れてく」

 

今度は金属音が鳴らなかった。

 

それでもバンは、満足したように笑う。

 

廃村の戦いは終わった。

 

隊商は守られ。

 

人質は救われ。

 

野盗の拠点も失われた。

 

明日。

 

三人と隊商は、次の宿場町へ向かう。

 

砂漠を越えて始まった新しい旅。

 

その最初の依頼は、間もなく終わろうとしていた。

 

 

       ◇

 

 

二日後。

 

街道の先に、高い木柵が見えた。

 

荒野を横切る川。

 

そのそばに造られた宿場町。

 

荷車が何台も並び、旅人や商人が門を出入りしている。

 

「あそこか?」

 

バンが尋ねる。

 

「ああ」

 

ドーマが答えた。

 

「宿場町セルバ。衛兵の詰所もある」

 

「やっと酒が買えるな」

 

「報酬を受け取る前から使うな」

 

アルフィアが言う。

 

「銀貨四枚だろ?」

 

「食料を先に買え」

 

「酒も食料みてぇな――」

 

空気が澄む。

 

「冗談だって」

 

「聞き飽きた」

 

荷車が町の門へ近づく。

 

衛兵たちは、後方の荷車へ縛られた大量の野盗を見て、慌てて詰所から飛び出してきた。

 

「何があった!」

 

「説明すると長い」

 

ドーマが苦笑する。

 

「まず、人と荷を確認してくれ」

 

バルガを含む野盗たち。

 

取り戻された盗品。

 

救出された人質。

 

ニルの証言。

 

すべてが衛兵へ引き渡された。

 

ドーマは約束どおり、三人へ銀貨十二枚を渡す。

 

四枚ずつ。

 

バンは掌の銀貨を見つめた。

 

「久しぶりの金だな」

 

「酒へ使うなよ」

 

ザルドが言う。

 

「一枚くらいならいいだろ」

 

「飯が先だ」

 

「宿もだ」

 

アルフィアが続ける。

 

「残ったら酒にする」

 

「残らないよう管理する」

 

「オレの金だぞ」

 

「お前に管理能力がないからだ」

 

少し離れた場所。

 

ドーマと隊商の者たちが、三人へ手を振っている。

 

「世話になった!」

 

ルーカが叫ぶ。

 

「次に会った時は、もう少しましな護衛になってる!」

 

「死なねぇようにな!」

 

バンが手を上げる。

 

「お前もな!」

 

「オレは平気だよ!」

 

「また怪我する顔をしている!」

 

「どんな顔だよ!」

 

隊商の者たちが笑う。

 

セラは薬箱を抱え、深く頭を下げた。

 

ニルは衛兵に連れられる前、一度だけバンを振り返った。

 

バンは何も言わず、軽く手を上げる。

 

ニルも小さく頷いた。

 

三人と隊商は、ここで別れる。

 

「宿を探すぞ」

 

ザルドが言った。

 

「先に飯」

 

バンが答える。

 

「荷物を置いてからだ」

 

アルフィアが言う。

 

「酒屋見るだけなら?」

 

「駄目だ」

 

「一軒だけ」

 

「駄目だ」

 

「匂いだけ」

 

「黙れ」

 

三人は宿場町の通りへ歩き出した。

 

傷ついたクレシューズ。

 

名もない結晶。

 

新しく得た僅かな報酬。

 

そして、街道で出会った者たちとの短い縁。

 

三人と隊商の短い旅は、宿場町セルバでひとまず終わった。

 

だが。

 

オラリオまでは、まだ遠い。

 

三人の前には、次の土地と、次の道が待っていた。




今回は、礼拝堂の地下で人質を救出し、野盗の頭目バルガを捕らえるまでを描きました。

これで第8部は終了です。三人は隊商との短い旅を終え、新たな宿場町へ到着しました。
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