強欲の旅人は神の恩恵を受けない   作:ルクエリシオン

57 / 77
第9部 軍神の国
第53話 ラキアの宿場町


宿場町セルバの門前は、朝からひどく騒がしかった。

 

荒野を横切る川のほとり。

 

土と石を混ぜて築かれた高い外壁。

 

その外側には、入門を待つ荷車や旅人たちが長い列を作っている。

 

荷獣の鳴き声。

 

車輪の軋み。

 

商人たちの怒鳴り声。

 

そこへ、三十人を超える野盗を縛りつけた隊商が現れたのだから、騒ぎにならないはずがなかった。

 

「何だ、これは!」

 

「全員、野盗か!?」

 

「詰所から人を呼べ!」

 

門を守っていた兵士たちが、一斉に槍を構える。

 

胸元には、赤い盾を象った金属飾り。

 

その中央には、金色の獅子が刻まれていた。

 

兵士の多くは揃いの革鎧を着込み、赤い布を肩から垂らしている。

 

統一された装備。

 

統一された紋章。

 

辺境の宿場町にしては、随分と軍人の数が多い。

 

「隊商長は誰だ!」

 

「俺だ」

 

ドーマが荷車の先頭から手を上げた。

 

「街道沿いのクルバ廃村を拠点にしていた野盗だ。頭目も捕らえている。奪われた荷と、人質三人も連れてきた」

 

「クルバだと?」

 

兵士の表情が変わる。

 

「バルガの一味か」

 

「ああ」

 

「本当に捕らえたのか?」

 

兵士が荷車へ近づく。

 

両手と足を縛られたバルガは、荷台の隅へ転がされていた。

 

バンに奪われた力はすでに戻り始めているが、逃げられる状態ではない。

 

顔を上げたバルガが、兵士へ唾を吐こうとする。

 

その前に。

 

「動くんじゃないよ」

 

料理係の女が、大きな鉄鍋を持ち上げた。

 

バルガは口を閉じる。

 

「随分と大人しいな」

 

バンが言った。

 

「あの鍋が怖いんだろ」

 

「お前もだろう」

 

アルフィアが冷たく返す。

 

「オレは怖いんじゃなくて、当たったら痛そうだから避けてるだけだ」

 

「それを怖がっていると言う」

 

「お前の《福音》より避けやすいぞ」

 

アルフィアの周囲で、僅かに空気が震えた。

 

「冗談だって」

 

バンはすぐに両手を上げる。

 

「ここ、町の入口だからな。壁壊すなよ」

 

「お前だけを消せば済む」

 

「物騒だなぁ」

 

三人のやり取りを聞いていた兵士が、不審そうに目を細めた。

 

「そちらの三人は?」

 

「護衛として力を貸してくれた旅人だ」

 

ドーマが答える。

 

「野盗の大半を捕らえ、人質を救出したのも彼らだ」

 

「三人で?」

 

「隊商の護衛も戦った」

 

「ほとんど、この三人だったよ」

 

料理係の女が付け加える。

 

「赤い兄さんが武器を全部取り上げて、でかい旦那が連中を投げ飛ばして、銀髪のお嬢さんが地面に穴を開けた」

 

「穴ではない。警告だ」

 

アルフィアが訂正した。

 

「人間に当てなかっただけ優しいだろう?」

 

「お前がそれを言うと怖ぇよ」

 

バンが小声で言う。

 

兵士たちは三人を見回した。

 

特に、ザルドの巨体へ視線が集まる。

 

二メートルを大きく超える身体。

 

太い腕。

 

静かに立っているだけで、門前の兵士たちより遥かに強いことが伝わってくる。

 

「名を聞いても?」

 

兵士が尋ねた。

 

「ザルドだ」

 

「アルフィア」

 

「バン」

 

三人が名乗る。

 

兵士は一瞬、ザルドの名前に反応したように見えた。

 

だが、すぐに首を傾げる。

 

聞き覚えはある。

 

しかし、目の前の男と結びつけるほどの知識はないらしい。

 

「所属するファミリアは?」

 

「今はない」

 

ザルドが答えた。

 

兵士の眉が寄る。

 

「恩恵を受けていないのか?」

 

「詳しい話は必要か?」

 

アルフィアの視線が向く。

 

「い、いや。野盗の件と関係がないなら構わない」

 

兵士はすぐに目を逸らした。

 

その横で、バンが門の上を見上げている。

 

風に揺れる旗。

 

赤い地に、金の獅子。

 

「なあ」

 

「何だ」

 

ザルドが答える。

 

「あの旗、リオードじゃ見なかったよな」

 

「当然だ」

 

「この町、どこの国なんだ?」

 

ドーマが振り返った。

 

「知らずに来たのか?」

 

「道についてきただけだからな」

 

「ここはラキア王国領だ。セルバは南東部の国境に近い宿場町になる」

 

その瞬間。

 

ザルドの眉間へ、深い皺が刻まれた。

 

アルフィアの目も細くなる。

 

「よりによって、ラキアか」

 

ザルドが低く呟く。

 

「何だよ」

 

バンは二人を交互に見る。

 

「知ってんの?」

 

「アレスの国だ」

 

ザルドが答えた。

 

「誰だ、それ」

 

「馬鹿だ」

 

「神だ」

 

アルフィアが続ける。

 

「どっちなんだよ」

 

「馬鹿な神だ」

 

二人の声が、ほとんど同時に重なった。

 

バンが数秒黙る。

 

「そこまで言われる奴、逆に気になるな」

 

「興味を持つな」

 

アルフィアが言う。

 

「会えば疲れる」

 

「会ったことあんのか?」

 

「ある」

 

「どんな奴?」

 

「軍を動かす前に考えることができない」

 

ザルドが答えた。

 

「負けても次は勝てると信じて、同じことを繰り返す」

 

「それだけ聞くと、前向きな奴にも聞こえるな」

 

「学習能力がないだけだ」

 

アルフィアが切り捨てる。

 

「容姿だけは無駄に整っている。黙って立っていれば軍神らしく見える」

 

「喋ると?」

 

「雑音になる」

 

「ひでぇ評価だな」

 

「事実だ」

 

門番の兵士たちが、聞こえないふりをしている。

 

だが、頬が引きつっていた。

 

自分たちの主神を目の前で馬鹿呼ばわりされているのだ。

 

それでも反論しない。

 

ザルドとアルフィアの雰囲気を前に、口を挟む勇気がないらしい。

 

バンは兵士たちへ視線を向ける。

 

「お前らの神なんだろ?」

 

「……軍神アレス様は、勇猛果敢なお方だ」

 

一人が絞り出すように答えた。

 

「考えるより先に行動されることもあるが」

 

「言い方を選んだな」

 

バンが笑う。

 

「黙れ、バン」

 

ザルドが言った。

 

「これ以上、門前で話すことではない」

 

「先に馬鹿って言ったの、お前だぞ」

 

「事実と、口にしていい場所は別だ」

 

「意外と気を遣うんだな」

 

「ラキア兵にではない。入町が遅れることにだ」

 

「そっちかよ」

 

野盗の引き渡しには、さらに時間がかかった。

 

衛兵の詰所から増援が呼ばれ。

 

捕らえた人数を確認し。

 

武器と盗品を記録し。

 

救出された三人の証言を取る。

 

ドーマとルーカは事情説明のため詰所へ残ることになった。

 

「俺たちはここまでだな」

 

ドーマが三人へ言う。

 

「ああ」

 

ザルドが答えた。

 

「報酬は受け取った。契約は終わりだ」

 

「本当に助かった。お前たちがいなければ、荷だけでなく命まで失っていた」

 

「飯もうまかったぞ」

 

バンが言う。

 

「チーズもな」

 

「盗み食いした分は除くよ」

 

料理係の女が睨む。

 

「まだ言うのかよ」

 

「忘れるわけないだろう」

 

女は大きな包みをバンへ差し出した。

 

「これは?」

 

「香草パンと燻製肉。それから、あんたが盗み食いしようとしたチーズだ」

 

「くれんの?」

 

「残り物だよ。三人で食べな」

 

「優しいじゃねぇか」

 

「次に盗れば鍋で殴る」

 

「やっぱ怖ぇな」

 

バンは包みを受け取り、背負い袋とは別の小さな荷袋へ入れた。

 

クレシューズと名もない結晶が入った背負い袋は、今も背中にある。

 

町の中へ入る前に、アルフィアが外側から状態を確かめる。

 

「問題ない」

 

「毎回やるな」

 

「人の多い場所へ入る。結晶の力が漏れれば面倒だ」

 

「銀色の光が抑えてんだろ?」

 

「絶対ではない」

 

「分かってるよ」

 

門の検査では、背負い袋の中身を見せるよう求められた。

 

バンが眉を寄せる。

 

「開けねぇと駄目?」

 

「武器や危険物を持ち込む場合は確認する」

 

兵士が答えた。

 

「武器は壊れてる。石は……ちょっと危ねぇかもな」

 

「危険なのか!?」

 

「だから開けたくねぇんだよ」

 

兵士たちが槍を構えかける。

 

「落ち着け」

 

ザルドが間へ入った。

 

「正体不明の魔物由来の結晶だ。現在は封じている。オラリオで専門家に見せるために運んでいる」

 

「魔物の結晶……」

 

「ここで開けば、かえって危険だ」

 

アルフィアが言う。

 

「外側から害が漏れていないことは、私が保証する」

 

「あなたが?」

 

「私の言葉では足りないか?」

 

アルフィアの銀色の瞳が、兵士を真っ直ぐ捉えた。

 

兵士は無意識に一歩下がる。

 

「……隊商長の証言もある。今回は通そう」

 

「話が分かるじゃねぇか」

 

「ただし、町の中で開封するな。異常があればすぐに衛兵へ知らせろ」

 

「ああ」

 

「それと、宿の場所は記録させてもらう」

 

「面倒だな」

 

「正体不明の危険物を持ち込む者へ当然の対応だ」

 

ザルドが言った。

 

「従え」

 

「へいへい」

 

「返事は一度だ」

 

「へい」

 

ようやく。

 

三人は宿場町セルバへ足を踏み入れた。

 

 

       ◇

 

 

セルバの大通りは、軍事国家の辺境らしい風景と、商人の町らしい活気が混ざっていた。

 

街道沿いには宿。

 

食堂。

 

鍛冶屋。

 

革製品の店。

 

荷獣を預ける厩舎。

 

川へ近い場所には、水車と倉庫が並んでいる。

 

通りを歩く者の半分近くが兵士だった。

 

赤い布を肩へ掛けた正規兵。

 

槍を背負った若者。

 

荷車へ食料を積み込む補給兵。

 

同じ形の盾や鎧が、店先へ大量に並べられている。

 

「兵士だらけだな」

 

バンが言う。

 

「ラキアでは珍しくない」

 

ザルドが答えた。

 

「国王の軍であると同時に、全員がアレス・ファミリアの団員だ」

 

「国全体が一つのファミリアなのか?」

 

「ああ。国家系ファミリアと呼ばれる」

 

「何人いる?」

 

「時期によるが、数万」

 

「多いな」

 

「数だけだ」

 

アルフィアが冷たく言った。

 

「ダンジョンを持たない以上、兵の大半は低級だ。恩恵を受けていても、鍛え方には限界がある」

 

「数で押すのか」

 

「そして押し返される」

 

ザルドが続ける。

 

「主にオラリオにな」

 

「何度も攻めてんの?」

 

「懲りずにな」

 

「楽しそうな国じゃねぇか」

 

「どこがだ」

 

「何度負けてもまた行くんだろ?根性はある」

 

「馬鹿と根性を混同するな」

 

アルフィアは通りの先を睨むように見た。

 

「死ぬのはアレスではない。命令された兵だ」

 

その声に、僅かな冷たさとは別のものが混じった。

 

バンは横目でアルフィアを見る。

 

だが、何も言わなかった。

 

通りを歩く若い兵士たち。

 

十代半ばほどに見える者もいる。

 

まだ鎧が身体に馴染まず、槍の重さに振り回されている少年。

 

傷だらけの装備を補修している中年兵。

 

徴兵されたばかりなのか、不安そうに家族と別れを告げる者。

 

「腹減ったな」

 

バンが言った。

 

話を変えるような、いつもの軽い声だった。

 

「まず宿だ」

 

アルフィアが答える。

 

「飯が先でもいいだろ」

 

「荷物を安全な場所へ置く」

 

「酒場見えてるぞ」

 

「見るな」

 

「いい匂いすんだけど」

 

「宿だ」

 

ザルドもアルフィアに同意する。

 

「部屋を決めてから食う」

 

「二対一かよ」

 

「お前に決定権はない」

 

「報酬あるぞ」

 

バンはコートの内側から、銀貨四枚を取り出した。

 

「オレの金だ」

 

「そのうち何枚を宿へ使う」

 

「一枚?」

 

「足りない」

 

「じゃあ二枚」

 

「食費は?」

 

「残り二枚」

 

「次の町までの食料は?」

 

「ザルドが何とかする」

 

「俺を当てにするな」

 

「料理うまいだろ」

 

「材料がなければ作れん」

 

「その辺の草とか」

 

「毎日野草を食う気か」

 

「肉も狩ればいい」

 

「クレシューズを背負ったまま走るなと言った」

 

「全部塞がれたな」

 

アルフィアが手を差し出す。

 

「銀貨を寄越せ」

 

「何で?」

 

「管理する」

 

「オレの報酬だぞ」

 

「お前に持たせれば、今夜で酒に変わる」

 

「全部は使わねぇよ」

 

「三枚か」

 

「二枚くらい」

 

「半分ではないか」

 

「うまい酒なら仕方ねぇだろ」

 

「寄越せ」

 

「嫌だ」

 

バンは銀貨を握り、コートの内側へ戻そうとする。

 

アルフィアの唇が動く。

 

「福――」

 

「一枚だけ!」

 

バンが銀貨を一枚だけ残し、三枚を差し出した。

 

「これでいいだろ」

 

アルフィアは受け取った銀貨を数える。

 

「残りの一枚も、無駄に使うな」

 

「一枚くらい好きにさせろよ」

 

「酒以外なら構わない」

 

「何に使えってんだ」

 

「食料」

 

「結局飯じゃねぇか」

 

「必要なものだ」

 

「酒も――」

 

アルフィアがバンを見る。

 

「何でもない」

 

セルバの大通りには、兵士や旅人向けの大きな宿が何軒も並んでいた。

 

ザルドが選んだのは、川へ近い三階建ての宿。

 

入口には荷物を運ぶための広い扉があり、一階には食堂と浴場が併設されている。

 

看板には、眠る山羊の絵が描かれていた。

 

「ここにする」

 

「酒ある?」

 

バンが看板の下に書かれた文字を見る。

 

「食堂、浴場、厩舎……葡萄酒」

 

「最後だけ見つけるな」

 

アルフィアが言う。

 

「地元の酒かもしれねぇぞ」

 

「荷物を置いてからだ」

 

「飲んでいいの?」

 

「食事の時に一杯だけだ」

 

「話が分かるじゃねぇか」

 

「私が注ぐ」

 

「また管理されんのかよ」

 

三人が宿へ入ると、受付にいた太った男が顔を上げた。

 

「いらっしゃい。三人か?」

 

「ああ」

 

ザルドが答える。

 

「部屋は?」

 

「大部屋なら安い。個室は少し高い。兵士が多い時期だから、空きは少ないぞ」

 

「三人部屋はあるか」

 

「一つだけな。寝台が三つ。窓は川側。浴場と朝食込みで、銀貨三枚と銅貨六枚」

 

バンがアルフィアを見る。

 

「三枚で足りるじゃねぇか」

 

「一泊分だ」

 

「一日で出る?」

 

「結晶とクレシューズの状態を確認する。食料も補充する。最低でも二泊だ」

 

「じゃあ高くねぇ?」

 

「大部屋なら一人銅貨八枚だ」

 

宿主が言う。

 

「そっちでいいだろ」

 

バンが答える。

 

「駄目だ」

 

アルフィアが即座に否定した。

 

「何で?」

 

「大勢が出入りする場所へ、あの荷物を置けない」

 

「ああ」

 

バンは背負い袋を見る。

 

「じゃあ三人部屋だな」

 

「最初からそう言っている」

 

ザルドとアルフィアが追加の宿代を払い、二泊分の部屋を取った。

 

バンは残された自分の銀貨一枚を握り締める。

 

「オレだけ金残ってるな」

 

「帰るまで残せ」

 

「今夜の葡萄酒に――」

 

「残せ」

 

「一杯くらい宿代に入ってるだろ」

 

「入っていない」

 

宿主が答えた。

 

「商売上手だな」

 

「酒は別料金だ」

 

「やっぱオレの銀貨が必要だな」

 

アルフィアがバンの手元を見る。

 

「隠すなよ」

 

「隠してねぇよ」

 

そう言いながら、バンは銀貨をコートの一番奥へ入れた。

 

 

       ◇

 

 

三人部屋は、宿の三階にあった。

 

窓の外には、セルバの町を横切る川。

 

雨の影響で水量が増え、茶色がかった水が勢いよく流れている。

 

川岸には水車。

 

木造の桟橋。

 

魚を入れた籠を運ぶ漁師たち。

 

遠くには畑と葡萄畑らしき列が見えた。

 

「いい景色だな」

 

バンが窓を開ける。

 

湿った風。

 

川の匂い。

 

焼いた魚の香り。

 

どこかから、葡萄を潰したような甘い匂いも漂ってくる。

 

「酒の匂いするぞ」

 

「気のせいだ」

 

アルフィアが言う。

 

「いや、絶対する」

 

「荷物を下ろせ」

 

「へいへい」

 

バンは背負い袋を寝台へ置こうとした。

 

「床だ」

 

アルフィアが止める。

 

「寝台の方が柔らかいだろ」

 

「万が一、結晶の力が漏れれば寝台が枯れる」

 

「木の床も同じじゃねぇの?」

 

「床なら周囲へ布を敷ける」

 

ザルドが部屋の隅へ厚い毛布を広げた。

 

背負い袋を中央へ置き、壁から少し離す。

 

アルフィアが扉と窓を閉める。

 

「開けるぞ」

 

「ああ」

 

革紐を外す。

 

防水布。

 

仕切り。

 

まず、クレシューズの包み。

 

次に、名もない結晶の木箱。

 

二つは直接触れない距離へ並べられた。

 

アルフィアが結晶の外側へ手をかざす。

 

「変化なし」

 

「銀色の方は?」

 

「昨日と同じだ。黒紫色の力を抑えている」

 

ザルドはクレシューズの包みを外から確認する。

 

「亀裂も広がっていない」

 

「開けて見なくていいか?」

 

バンが尋ねる。

 

「今日は外側だけだ」

 

「何で?」

 

「お前が疲れている」

 

「全然」

 

「疲れていなくても、町へ着いた直後に余計なことをするな」

 

「見るだけだぞ」

 

「触る」

 

「触るなって言われたら触らねぇよ」

 

「信用できない」

 

「毎回それだな」

 

「積み重ねた結果だ」

 

バンはクレシューズの包みへ軽く指を置いた。

 

ちり、と。

 

布の奥から小さな金属音が鳴る。

 

「ほら」

 

「何がだ」

 

「町に着いたって分かってんだよ」

 

「偶然だ」

 

「随分続く偶然だな」

 

「何度でも起こる」

 

「棗椰子みてぇに?」

 

アルフィアの唇が僅かに動く。

 

「冗談だって」

 

バンはすぐに手を離した。

 

「風呂へ行くぞ」

 

ザルドが言う。

 

「今?」

 

「何日、外で寝たと思っている」

 

「川で洗えばよくねぇ?」

 

「宿代に浴場が含まれている」

 

「なら入るか」

 

アルフィアは結晶とクレシューズを布で覆い直した。

 

「部屋の鍵は私が持つ」

 

「何で?」

 

「お前が先に戻って開けないためだ」

 

「風呂より早く戻ったりしねぇよ」

 

「酒場へ先に行く可能性はある」

 

「それはあるな」

 

「認めるな」

 

三人は部屋を出た。

 

 

       ◇

 

 

久しぶりの湯だった。

 

男湯の広い浴槽。

 

石造りの壁。

 

川から引いた水を薪で温めているらしい。

 

兵士や旅人が何人も入っていたが、ザルドが浴場へ入った瞬間、自然と大きな空間が空いた。

 

「避けられてんな」

 

バンが言う。

 

「広く使えていい」

 

ザルドは気にせず湯へ入る。

 

大きな身体が沈むと、浴槽の水位が目に見えて上がった。

 

「こぼれんじゃねぇ?」

 

「黙って入れ」

 

バンも湯へ肩まで浸かる。

 

「生き返るな」

 

「お前は死なないだろう」

 

「今は普通に死ぬぞ」

 

「普通には見えん」

 

近くにいた兵士が、小声で呟いた。

 

バンが振り返る。

 

「何か言った?」

 

「い、いや」

 

「ラキア兵?」

 

「ああ。補給隊だ」

 

「戦争行くの?」

 

「北部へ移動するだけだ。国境で小競り合いがあるらしい」

 

「大変だな」

 

「軍人だからな」

 

兵士はザルドを何度も見ている。

 

「その身体……どこかの将軍か?」

 

「違う」

 

「冒険者?」

 

「今は旅人だ」

 

「今は?」

 

ザルドは答えなかった。

 

兵士もそれ以上聞けず、湯の反対側へ移動した。

 

「お前、何もしなくても怖がられてんな」

 

「お前が軽すぎるだけだ」

 

「話しかけやすいだろ」

 

「警戒心を持たれないとも言う」

 

「いいことじゃねぇか」

 

「盗賊には都合がいいだろうな」

 

「元な」

 

湯から上がる頃には、身体へまとわりついていた砂と埃がすべて落ちていた。

 

修繕された赤いコートも、宿の者へ洗いと乾燥を頼んでいる。

 

バンは簡素な貸し出し用の上着を着ていた。

 

「赤じゃないと変な感じだな」

 

「その方が目立たない」

 

「似合わねぇ?」

 

「普段よりましだ」

 

「どっちだよ」

 

女湯から出てきたアルフィアは、濡れた銀髪を布で拭いていた。

 

長い髪が普段より柔らかく背中へ流れている。

 

バンが一瞬、彼女を見る。

 

「何だ」

 

「別に」

 

「言え」

 

「髪下ろしてると、いつもより――」

 

アルフィアの周囲で空気が震えた。

 

「何でもない」

 

「賢明だ」

 

「最後まで言わせろよ」

 

「不要だ」

 

ザルドが食堂へ向かう。

 

「話は飯を食いながらにしろ」

 

「飯!」

 

バンがすぐに後を追う。

 

「分かりやすい奴だな」

 

アルフィアも、その後へ続いた。

 

 

       ◇

 

 

宿の食堂は、兵士と商人で混み合っていた。

 

長い木製の机。

 

大皿。

 

大きな陶器の杯。

 

厨房では、何本もの川魚が串へ刺され、炭火の上で焼かれている。

 

香草。

 

焦げた皮。

 

溶けたチーズ。

 

煮込んだ肉。

 

そして葡萄酒。

 

様々な匂いが食堂へ満ちていた。

 

「ここ、当たりだな」

 

バンの目が輝く。

 

「まだ食べていない」

 

アルフィアが言う。

 

「匂いで分かる」

 

「お前に料理の良し悪しが分かるのか?」

 

「うまそうかどうかは分かるぞ」

 

三人が頼んだのは、この宿の夕食盛り合わせだった。

 

川魚の炭火焼き。

 

豆と玉葱を煮込んだ濃い汁物。

 

焼いた山羊肉。

 

硬めの白いチーズ。

 

香草を練り込んだ丸いパン。

 

酢漬けの野菜。

 

料理が机へ並ぶ。

 

バンは真っ先に川魚へ手を伸ばした。

 

「待て」

 

ザルドが止める。

 

「何で?」

 

「骨が多い」

 

「噛めばいいだろ」

 

「喉へ刺さるぞ」

 

「オレの喉に?」

 

「刺さったままでも平気だからといって、食べ方を雑にするな」

 

ザルドは魚の身を開き、背骨と細かな骨を取り除く。

 

皮はぱりぱりに焼け。

 

中の白い身は柔らかい。

 

刻んだ香草と塩。

 

酸味のある果汁が掛けられていた。

 

「ほら」

 

皿へ分ける。

 

バンが一口食べる。

 

「うまっ」

 

皮の香ばしさ。

 

川魚特有の僅かな土の匂いを、香草と酸味が消している。

 

「酒に合いそうだな」

 

「まず食え」

 

アルフィアが言う。

 

「頼んでいい?」

 

「一杯だけだ」

 

「赤と白、どっち?」

 

「知らん」

 

「地元の酒だぞ」

 

「好きな方を選べ」

 

「じゃあ両方」

 

「一杯だ」

 

「半分ずつなら一杯だろ」

 

アルフィアがバンを見る。

 

「名案じゃねぇ?」

 

「詭弁だ」

 

「ザルドは?」

 

「赤だ」

 

「分かってるじゃねぇか」

 

結局。

 

バンとザルドは、この地方で造られた若い赤葡萄酒。

 

アルフィアは水を頼んだ。

 

赤葡萄酒は深い色ではない。

 

少し濁りがあり、香りも荒い。

 

酸味が強く、舌の奥へ渋さが残る。

 

「霧酒とは全然違うな」

 

バンが言う。

 

「こちらは食事に合わせる酒だ」

 

ザルドが山羊肉を食べながら答える。

 

「脂を流す酸味がある」

 

「なるほどな」

 

バンは肉を齧り、酒を飲む。

 

「確かに合う」

 

「一気に飲むな」

 

アルフィアが言う。

 

「まだ半分だぞ」

 

「お前の半分は、すぐ空になる」

 

「自分の銀貨で頼んだんだけどな」

 

「残りの金額は?」

 

「……まだある」

 

「いくらだ」

 

「銅貨が少し」

 

「一杯でほとんど使ったのか」

 

「地元の酒だからな」

 

「理由にならない」

 

ザルドは白いチーズを薄く切り、香草パンへ載せた。

 

その上へ山羊肉。

 

酢漬けの玉葱。

 

「食ってみろ」

 

バンが受け取る。

 

一口。

 

濃い乳の味。

 

肉の脂。

 

玉葱の酸味。

 

「うまいな」

 

「保存しやすい食材を組み合わせている。兵士や旅人向けだ」

 

「ラキアって、戦争ばっかしてる割に飯は悪くねぇな」

 

近くの机にいた兵士たちが、一斉にバンを見る。

 

「何だよ」

 

「よそ者が、ラキアを馬鹿にするな」

 

若い兵士が立ち上がった。

 

顔が赤い。

 

すでに葡萄酒を何杯か飲んでいるらしい。

 

「馬鹿にしてねぇよ。飯うまいって言ったんだぞ」

 

「戦争ばかりとは何だ!」

 

「実際そうなんだろ?」

 

「我らは軍神アレス様の御下で、ラキアの栄光を――」

 

「座れ」

 

別の中年兵が若者の肩を掴む。

 

「食事中に騒ぐな」

 

「ですが!」

 

「相手を見ろ」

 

中年兵は、ザルドへ僅かに視線を向けた。

 

若い兵士も見る。

 

ザルドはパンを食べているだけだ。

 

それでも若者の勢いが少し弱まる。

 

「別に喧嘩売ってねぇぞ」

 

バンが言う。

 

「飯がうまいって褒めてんだ」

 

「なら余計な言葉をつけるな」

 

アルフィアが冷たく言った。

 

「ラキアが戦争ばかりしているのは事実だがな」

 

「お前の方がひでぇだろ」

 

中年兵の口元が引きつる。

 

だが、反論はしなかった。

 

「アレス様は……勇敢なお方だ」

 

「またその言い方か」

 

バンが笑う。

 

「他に言いようがないのか?」

 

「バン」

 

ザルドが低く呼ぶ。

 

「分かってるよ」

 

バンは若い兵士へ自分の魚の皿を軽く示した。

 

「とにかく、ここの飯はうまい。それでいいだろ」

 

若い兵士はしばらくバンを睨んでいた。

 

やがて。

 

「……その魚より、山羊肉の煮込みを食え」

 

「何で?」

 

「この宿なら、そっちの方がうまい」

 

「本当か?」

 

「ああ。赤葡萄酒にも合う」

 

バンの目が輝く。

 

「店員!煮込み追加!」

 

「金は?」

 

アルフィアが尋ねる。

 

バンの動きが止まる。

 

「……少し貸して?」

 

「断る」

 

「一口やるから」

 

「いらない」

 

「ザルド」

 

「俺も断る」

 

「冷てぇなぁ」

 

中年兵が吹き出した。

 

「俺が出してやる」

 

「いいの?」

 

「うちの国の飯を褒めた礼だ。ただし、アレス様を馬鹿にするな」

 

「馬鹿って言ったのはザルドとアルフィアだぞ」

 

「バン」

 

「分かってるって」

 

山羊肉の煮込みが運ばれてくる。

 

大きく切った肉。

 

豆。

 

根菜。

 

赤葡萄酒を使った濃い煮汁。

 

バンは一口食べ、すぐに笑った。

 

「こりゃうまい」

 

「だろう」

 

若い兵士が、なぜか誇らしげに胸を張る。

 

「戦争より、これ売った方が儲かるんじゃねぇ?」

 

「余計なことを言うな!」

 

食堂に笑い声が広がった。

 

アルフィアは呆れたように息を吐く。

 

ザルドは煮込みを一口味見し、使われている香草を考えていた。

 

バンは肉を食い。

 

葡萄酒を飲み。

 

ラキア兵と、どの料理が一番酒に合うかで言い争っている。

 

つい先ほどまで野盗と戦い。

 

人質を救い。

 

廃村の地下を走っていたとは思えない光景だった。

 

 

       ◇

 

 

夜。

 

三人は宿の部屋へ戻った。

 

洗われた赤いコートは、明日の朝まで乾燥させるため一階へ預けたままだ。

 

バンは貸し出し用の上着姿で、自分の寝台へ横になる。

 

「久しぶりの寝台だな」

 

「すぐに寝るな」

 

アルフィアが言う。

 

「何で?」

 

「荷物を確認する」

 

「さっき見ただろ」

 

「食事へ行く前だ」

 

「数時間しか経ってねぇぞ」

 

「確認する」

 

結晶の木箱。

 

クレシューズの包み。

 

二つを再び並べる。

 

黒紫色の結晶内部には、銀色の光

 

昨夜までと変わらず、暗い力を内側へ押し留めている。

 

「異常なし」

 

アルフィアが言う。

 

ザルドもクレシューズの外側を確かめる。

 

「こちらも同じだ」

 

「なら寝ようぜ」

 

バンはクレシューズの包みへ手を伸ばした。

 

「触るな」

 

「相棒におやすみ言うだけだ」

 

「不要だ」

 

「オレには必要なんだよ」

 

バンの指先が、布へ触れる。

 

その瞬間。

 

ちり。

 

小さな金属音。

 

続けて。

 

これまでより僅かに長く。

 

ちり、ちり、と。

 

二度。

 

布の奥で、四つの棍を繋ぐ鎖が震えた。

 

三人の表情が変わる。

 

「今のは……」

 

ザルドが包みを見る。

 

「二回鳴ったな」

 

バンが笑う。

 

アルフィアはすぐに結晶へ手をかざした。

 

魔力は流さない。

 

外へ漏れる力だけを探る。

 

銀色の光が。

ほんの僅かに。

先ほどより明るくなっていた。

 

「結晶も反応している」

 

「クレシューズに?」

 

「断定はできない」

 

「でも同時だろ」

 

「ああ」

 

アルフィアはクレシューズと結晶の距離を見る。

 

二つは、部屋の中で十分に離して置かれている。

 

触れてはいない。

 

それでも。

 

クレシューズが鳴った直後。

 

結晶の銀色の光が強まった。

 

「近づけてみるか?」

 

バンが尋ねる。

 

「駄目だ」

 

アルフィアが即答する。

 

「少しだけ」

 

「駄目だ」

 

「触れさせねぇよ」

 

「何が起こるか分からない」

 

「《贈与》で――」

 

「使うな」

 

声が一段低くなる。

 

バンはアルフィアを見る。

 

「まだ何もしてねぇぞ」

 

「考えるな」

 

「力を少し流せば、反応が――」

 

「お前はエルソスで、消えかけた存在へ《贈与》を使った。その結果と、この銀色の力の関係さえ分かっていない」

 

「でも、悪いもんじゃねぇだろ」

 

「お前の感覚だけで決めるな」

 

アルフィアはバンの手首を掴み、クレシューズから離した。

 

「ヘファイストスへ見せるまで、勝手に力を流すな」

 

「……分かったよ」

 

「本当に?」

 

「ああ」

 

バンは珍しく、すぐに頷いた。

 

クレシューズを見る。

 

結晶を見る。

 

「今は、壊したくねぇからな」

 

アルフィアは手を放した。

 

「なら待て」

 

「ああ」

 

銀色の光は、少しずつ元の明るさへ戻っていく。

 

クレシューズも、それ以上は鳴らなかった。

 

ザルドが二つの荷物を再び別々に包む。

 

「明日、改めて状態を見る」

 

「町も見たいんだけどな」

 

バンが言う。

 

「昼からでいい」

 

ザルドが答える。

 

「市場には川魚、乳製品、葡萄酒がある」

 

「行く」

 

返事が早い。

 

「酒は買うな」

 

アルフィアが言った。

 

「見るだけ」

 

「今日、一杯飲んだ」

 

「明日は明日だろ」

 

「残った銀貨は?」

 

「葡萄酒と煮込みで、銅貨だけになった」

 

「一日で使い切ったのか」

 

「酒だけじゃねぇぞ。煮込みもだ」

 

「兵士に奢られていただろう」

 

「最初の一皿は自分で頼もうとした」

 

「頼もうとしただけだ」

 

「気持ちは払った」

 

「金を払え」

 

バンは毛布を頭まで被った。

 

「もう寝る」

 

「逃げるな」

 

「明日、市場行くんだろ。早く寝ねぇとな」

 

「都合のいい時だけ早いな」

 

部屋の灯りが消される。

 

窓の外からは、川の流れる音。

 

遠くの兵舎から、夜番を交代する鐘。

 

宿の一階からは、まだ兵士たちの笑い声が聞こえていた。

 

軍神アレスが治める国。

 

数多の兵を抱え。

 

何度負けても戦を繰り返す、ラキア王国。

 

その辺境の宿場町で。

 

三人は久しぶりに湯へ入り。

 

温かい料理を食べ。

 

柔らかな寝台で夜を迎えた。

 

そして。

 

傷ついたクレシューズと名もない結晶は。

 

初めて、同じ夜に応えるような光と音を返していた。

 




第9部が始まりました。

今回は、セルバがラキア王国の辺境にある宿場町だと判明し、三人が久しぶりに風呂と温かい食事を楽しむ回でした。

特に、ラキア兵と揉めかけたバンが、最後には郷土料理を教えてもらい、一緒に食事の話で盛り上がる場面がお気に入りです。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。