強欲の旅人は神の恩恵を受けない   作:ルクエリシオン

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第9部 軍神の国
第53話 ラキアの宿場町


宿場町セルバの門前は、朝からひどく騒がしかった。

 

荒野を横切る川のほとり。

 

土と石を混ぜて築かれた高い外壁。

 

その外側には、入門を待つ荷車や旅人たちが長い列を作っている。

 

荷獣の鳴き声。

 

車輪の軋み。

 

商人たちの怒鳴り声。

 

そこへ、三十人を超える野盗を縛りつけた隊商が現れたのだから、騒ぎにならないはずがなかった。

 

「何だ、これは!」

 

「全員、野盗か!?」

 

「詰所から人を呼べ!」

 

門を守っていた兵士たちが、一斉に槍を構える。

 

胸元には、赤い盾を象った金属飾り。

 

その中央には、金色の獅子が刻まれていた。

 

兵士の多くは揃いの革鎧を着込み、赤い布を肩から垂らしている。

 

統一された装備。

 

統一された紋章。

 

辺境の宿場町にしては、随分と軍人の数が多い。

 

「隊商長は誰だ!」

 

「俺だ」

 

ドーマが荷車の先頭から手を上げた。

 

「街道沿いのクルバ廃村を拠点にしていた野盗だ。頭目も捕らえている。奪われた荷と、人質三人も連れてきた」

 

「クルバだと?」

 

兵士の表情が変わる。

 

「バルガの一味か」

 

「ああ」

 

「本当に捕らえたのか?」

 

兵士が荷車へ近づく。

 

両手と足を縛られたバルガは、荷台の隅へ転がされていた。

 

バンに奪われた力はすでに戻り始めているが、逃げられる状態ではない。

 

顔を上げたバルガが、兵士へ唾を吐こうとする。

 

その前に。

 

「動くんじゃないよ」

 

料理係の女が、大きな鉄鍋を持ち上げた。

 

バルガは口を閉じる。

 

「随分と大人しいな」

 

バンが言った。

 

「あの鍋が怖いんだろ」

 

「お前もだろう」

 

アルフィアが冷たく返す。

 

「オレは怖いんじゃなくて、当たったら痛そうだから避けてるだけだ」

 

「それを怖がっていると言う」

 

「お前の《福音》より避けやすいぞ」

 

アルフィアの周囲で、僅かに空気が震えた。

 

「冗談だって」

 

バンはすぐに両手を上げる。

 

「ここ、町の入口だからな。壁壊すなよ」

 

「お前だけを消せば済む」

 

「物騒だなぁ」

 

三人のやり取りを聞いていた兵士が、不審そうに目を細めた。

 

「そちらの三人は?」

 

「護衛として力を貸してくれた旅人だ」

 

ドーマが答える。

 

「野盗の大半を捕らえ、人質を救出したのも彼らだ」

 

「三人で?」

 

「隊商の護衛も戦った」

 

「ほとんど、この三人だったよ」

 

料理係の女が付け加える。

 

「赤い兄さんが武器を全部取り上げて、でかい旦那が連中を投げ飛ばして、銀髪のお嬢さんが地面に穴を開けた」

 

「穴ではない。警告だ」

 

アルフィアが訂正した。

 

「人間に当てなかっただけ優しいだろう?」

 

「お前がそれを言うと怖ぇよ」

 

バンが小声で言う。

 

兵士たちは三人を見回した。

 

特に、ザルドの巨体へ視線が集まる。

 

二メートルを大きく超える身体。

 

太い腕。

 

静かに立っているだけで、門前の兵士たちより遥かに強いことが伝わってくる。

 

「名を聞いても?」

 

兵士が尋ねた。

 

「ザルドだ」

 

「アルフィア」

 

「バン」

 

三人が名乗る。

 

兵士は一瞬、ザルドの名前に反応したように見えた。

 

だが、すぐに首を傾げる。

 

聞き覚えはある。

 

しかし、目の前の男と結びつけるほどの知識はないらしい。

 

「所属するファミリアは?」

 

「今はない」

 

ザルドが答えた。

 

兵士の眉が寄る。

 

「恩恵を受けていないのか?」

 

「詳しい話は必要か?」

 

アルフィアの視線が向く。

 

「い、いや。野盗の件と関係がないなら構わない」

 

兵士はすぐに目を逸らした。

 

その横で、バンが門の上を見上げている。

 

風に揺れる旗。

 

赤い地に、金の獅子。

 

「なあ」

 

「何だ」

 

ザルドが答える。

 

「あの旗、リオードじゃ見なかったよな」

 

「当然だ」

 

「この町、どこの国なんだ?」

 

ドーマが振り返った。

 

「知らずに来たのか?」

 

「道についてきただけだからな」

 

「ここはラキア王国領だ。セルバは南東部の国境に近い宿場町になる」

 

その瞬間。

 

ザルドの眉間へ、深い皺が刻まれた。

 

アルフィアの目も細くなる。

 

「よりによって、ラキアか」

 

ザルドが低く呟く。

 

「何だよ」

 

バンは二人を交互に見る。

 

「知ってんの?」

 

「アレスの国だ」

 

ザルドが答えた。

 

「誰だ、それ」

 

「馬鹿だ」

 

「神だ」

 

アルフィアが続ける。

 

「どっちなんだよ」

 

「馬鹿な神だ」

 

二人の声が、ほとんど同時に重なった。

 

バンが数秒黙る。

 

「そこまで言われる奴、逆に気になるな」

 

「興味を持つな」

 

アルフィアが言う。

 

「会えば疲れる」

 

「会ったことあんのか?」

 

「ある」

 

「どんな奴?」

 

「軍を動かす前に考えることができない」

 

ザルドが答えた。

 

「負けても次は勝てると信じて、同じことを繰り返す」

 

「それだけ聞くと、前向きな奴にも聞こえるな」

 

「学習能力がないだけだ」

 

アルフィアが切り捨てる。

 

「容姿だけは無駄に整っている。黙って立っていれば軍神らしく見える」

 

「喋ると?」

 

「雑音になる」

 

「ひでぇ評価だな」

 

「事実だ」

 

門番の兵士たちが、聞こえないふりをしている。

 

だが、頬が引きつっていた。

 

自分たちの主神を目の前で馬鹿呼ばわりされているのだ。

 

それでも反論しない。

 

ザルドとアルフィアの雰囲気を前に、口を挟む勇気がないらしい。

 

バンは兵士たちへ視線を向ける。

 

「お前らの神なんだろ?」

 

「……軍神アレス様は、勇猛果敢なお方だ」

 

一人が絞り出すように答えた。

 

「考えるより先に行動されることもあるが」

 

「言い方を選んだな」

 

バンが笑う。

 

「黙れ、バン」

 

ザルドが言った。

 

「これ以上、門前で話すことではない」

 

「先に馬鹿って言ったの、お前だぞ」

 

「事実と、口にしていい場所は別だ」

 

「意外と気を遣うんだな」

 

「ラキア兵にではない。入町が遅れることにだ」

 

「そっちかよ」

 

野盗の引き渡しには、さらに時間がかかった。

 

衛兵の詰所から増援が呼ばれ。

 

捕らえた人数を確認し。

 

武器と盗品を記録し。

 

救出された三人の証言を取る。

 

ドーマとルーカは事情説明のため詰所へ残ることになった。

 

「俺たちはここまでだな」

 

ドーマが三人へ言う。

 

「ああ」

 

ザルドが答えた。

 

「報酬は受け取った。契約は終わりだ」

 

「本当に助かった。お前たちがいなければ、荷だけでなく命まで失っていた」

 

「飯もうまかったぞ」

 

バンが言う。

 

「チーズもな」

 

「盗み食いした分は除くよ」

 

料理係の女が睨む。

 

「まだ言うのかよ」

 

「忘れるわけないだろう」

 

女は大きな包みをバンへ差し出した。

 

「これは?」

 

「香草パンと燻製肉。それから、あんたが盗み食いしようとしたチーズだ」

 

「くれんの?」

 

「残り物だよ。三人で食べな」

 

「優しいじゃねぇか」

 

「次に盗れば鍋で殴る」

 

「やっぱ怖ぇな」

 

バンは包みを受け取り、背負い袋とは別の小さな荷袋へ入れた。

 

クレシューズと名もない結晶が入った背負い袋は、今も背中にある。

 

町の中へ入る前に、アルフィアが外側から状態を確かめる。

 

「問題ない」

 

「毎回やるな」

 

「人の多い場所へ入る。結晶の力が漏れれば面倒だ」

 

「銀色の光が抑えてんだろ?」

 

「絶対ではない」

 

「分かってるよ」

 

門の検査では、背負い袋の中身を見せるよう求められた。

 

バンが眉を寄せる。

 

「開けねぇと駄目?」

 

「武器や危険物を持ち込む場合は確認する」

 

兵士が答えた。

 

「武器は壊れてる。石は……ちょっと危ねぇかもな」

 

「危険なのか!?」

 

「だから開けたくねぇんだよ」

 

兵士たちが槍を構えかける。

 

「落ち着け」

 

ザルドが間へ入った。

 

「正体不明の魔物由来の結晶だ。現在は封じている。オラリオで専門家に見せるために運んでいる」

 

「魔物の結晶……」

 

「ここで開けば、かえって危険だ」

 

アルフィアが言う。

 

「外側から害が漏れていないことは、私が保証する」

 

「あなたが?」

 

「私の言葉では足りないか?」

 

アルフィアの銀色の瞳が、兵士を真っ直ぐ捉えた。

 

兵士は無意識に一歩下がる。

 

「……隊商長の証言もある。今回は通そう」

 

「話が分かるじゃねぇか」

 

「ただし、町の中で開封するな。異常があればすぐに衛兵へ知らせろ」

 

「ああ」

 

「それと、宿の場所は記録させてもらう」

 

「面倒だな」

 

「正体不明の危険物を持ち込む者へ当然の対応だ」

 

ザルドが言った。

 

「従え」

 

「へいへい」

 

「返事は一度だ」

 

「へい」

 

ようやく。

 

三人は宿場町セルバへ足を踏み入れた。

 

 

       ◇

 

 

セルバの大通りは、軍事国家の辺境らしい風景と、商人の町らしい活気が混ざっていた。

 

街道沿いには宿。

 

食堂。

 

鍛冶屋。

 

革製品の店。

 

荷獣を預ける厩舎。

 

川へ近い場所には、水車と倉庫が並んでいる。

 

通りを歩く者の半分近くが兵士だった。

 

赤い布を肩へ掛けた正規兵。

 

槍を背負った若者。

 

荷車へ食料を積み込む補給兵。

 

同じ形の盾や鎧が、店先へ大量に並べられている。

 

「兵士だらけだな」

 

バンが言う。

 

「ラキアでは珍しくない」

 

ザルドが答えた。

 

「国王の軍であると同時に、全員がアレス・ファミリアの団員だ」

 

「国全体が一つのファミリアなのか?」

 

「ああ。国家系ファミリアと呼ばれる」

 

「何人いる?」

 

「時期によるが、数万」

 

「多いな」

 

「数だけだ」

 

アルフィアが冷たく言った。

 

「ダンジョンを持たない以上、兵の大半は低級だ。恩恵を受けていても、鍛え方には限界がある」

 

「数で押すのか」

 

「そして押し返される」

 

ザルドが続ける。

 

「主にオラリオにな」

 

「何度も攻めてんの?」

 

「懲りずにな」

 

「楽しそうな国じゃねぇか」

 

「どこがだ」

 

「何度負けてもまた行くんだろ?根性はある」

 

「馬鹿と根性を混同するな」

 

アルフィアは通りの先を睨むように見た。

 

「死ぬのはアレスではない。命令された兵だ」

 

その声に、僅かな冷たさとは別のものが混じった。

 

バンは横目でアルフィアを見る。

 

だが、何も言わなかった。

 

通りを歩く若い兵士たち。

 

十代半ばほどに見える者もいる。

 

まだ鎧が身体に馴染まず、槍の重さに振り回されている少年。

 

傷だらけの装備を補修している中年兵。

 

徴兵されたばかりなのか、不安そうに家族と別れを告げる者。

 

「腹減ったな」

 

バンが言った。

 

話を変えるような、いつもの軽い声だった。

 

「まず宿だ」

 

アルフィアが答える。

 

「飯が先でもいいだろ」

 

「荷物を安全な場所へ置く」

 

「酒場見えてるぞ」

 

「見るな」

 

「いい匂いすんだけど」

 

「宿だ」

 

ザルドもアルフィアに同意する。

 

「部屋を決めてから食う」

 

「二対一かよ」

 

「お前に決定権はない」

 

「報酬あるぞ」

 

バンはコートの内側から、銀貨四枚を取り出した。

 

「オレの金だ」

 

「そのうち何枚を宿へ使う」

 

「一枚?」

 

「足りない」

 

「じゃあ二枚」

 

「食費は?」

 

「残り二枚」

 

「次の町までの食料は?」

 

「ザルドが何とかする」

 

「俺を当てにするな」

 

「料理うまいだろ」

 

「材料がなければ作れん」

 

「その辺の草とか」

 

「毎日野草を食う気か」

 

「肉も狩ればいい」

 

「クレシューズを背負ったまま走るなと言った」

 

「全部塞がれたな」

 

アルフィアが手を差し出す。

 

「銀貨を寄越せ」

 

「何で?」

 

「管理する」

 

「オレの報酬だぞ」

 

「お前に持たせれば、今夜で酒に変わる」

 

「全部は使わねぇよ」

 

「三枚か」

 

「二枚くらい」

 

「半分ではないか」

 

「うまい酒なら仕方ねぇだろ」

 

「寄越せ」

 

「嫌だ」

 

バンは銀貨を握り、コートの内側へ戻そうとする。

 

アルフィアの唇が動く。

 

「福――」

 

「一枚だけ!」

 

バンが銀貨を一枚だけ残し、三枚を差し出した。

 

「これでいいだろ」

 

アルフィアは受け取った銀貨を数える。

 

「残りの一枚も、無駄に使うな」

 

「一枚くらい好きにさせろよ」

 

「酒以外なら構わない」

 

「何に使えってんだ」

 

「食料」

 

「結局飯じゃねぇか」

 

「必要なものだ」

 

「酒も――」

 

アルフィアがバンを見る。

 

「何でもない」

 

セルバの大通りには、兵士や旅人向けの大きな宿が何軒も並んでいた。

 

ザルドが選んだのは、川へ近い三階建ての宿。

 

入口には荷物を運ぶための広い扉があり、一階には食堂と浴場が併設されている。

 

看板には、眠る山羊の絵が描かれていた。

 

「ここにする」

 

「酒ある?」

 

バンが看板の下に書かれた文字を見る。

 

「食堂、浴場、厩舎……葡萄酒」

 

「最後だけ見つけるな」

 

アルフィアが言う。

 

「地元の酒かもしれねぇぞ」

 

「荷物を置いてからだ」

 

「飲んでいいの?」

 

「食事の時に一杯だけだ」

 

「話が分かるじゃねぇか」

 

「私が注ぐ」

 

「また管理されんのかよ」

 

三人が宿へ入ると、受付にいた太った男が顔を上げた。

 

「いらっしゃい。三人か?」

 

「ああ」

 

ザルドが答える。

 

「部屋は?」

 

「大部屋なら安い。個室は少し高い。兵士が多い時期だから、空きは少ないぞ」

 

「三人部屋はあるか」

 

「一つだけな。寝台が三つ。窓は川側。浴場と朝食込みで、銀貨三枚と銅貨六枚」

 

バンがアルフィアを見る。

 

「三枚で足りるじゃねぇか」

 

「一泊分だ」

 

「一日で出る?」

 

「結晶とクレシューズの状態を確認する。食料も補充する。最低でも二泊だ」

 

「じゃあ高くねぇ?」

 

「大部屋なら一人銅貨八枚だ」

 

宿主が言う。

 

「そっちでいいだろ」

 

バンが答える。

 

「駄目だ」

 

アルフィアが即座に否定した。

 

「何で?」

 

「大勢が出入りする場所へ、あの荷物を置けない」

 

「ああ」

 

バンは背負い袋を見る。

 

「じゃあ三人部屋だな」

 

「最初からそう言っている」

 

ザルドとアルフィアが追加の宿代を払い、二泊分の部屋を取った。

 

バンは残された自分の銀貨一枚を握り締める。

 

「オレだけ金残ってるな」

 

「帰るまで残せ」

 

「今夜の葡萄酒に――」

 

「残せ」

 

「一杯くらい宿代に入ってるだろ」

 

「入っていない」

 

宿主が答えた。

 

「商売上手だな」

 

「酒は別料金だ」

 

「やっぱオレの銀貨が必要だな」

 

アルフィアがバンの手元を見る。

 

「隠すなよ」

 

「隠してねぇよ」

 

そう言いながら、バンは銀貨をコートの一番奥へ入れた。

 

 

       ◇

 

 

三人部屋は、宿の三階にあった。

 

窓の外には、セルバの町を横切る川。

 

雨の影響で水量が増え、茶色がかった水が勢いよく流れている。

 

川岸には水車。

 

木造の桟橋。

 

魚を入れた籠を運ぶ漁師たち。

 

遠くには畑と葡萄畑らしき列が見えた。

 

「いい景色だな」

 

バンが窓を開ける。

 

湿った風。

 

川の匂い。

 

焼いた魚の香り。

 

どこかから、葡萄を潰したような甘い匂いも漂ってくる。

 

「酒の匂いするぞ」

 

「気のせいだ」

 

アルフィアが言う。

 

「いや、絶対する」

 

「荷物を下ろせ」

 

「へいへい」

 

バンは背負い袋を寝台へ置こうとした。

 

「床だ」

 

アルフィアが止める。

 

「寝台の方が柔らかいだろ」

 

「万が一、結晶の力が漏れれば寝台が枯れる」

 

「木の床も同じじゃねぇの?」

 

「床なら周囲へ布を敷ける」

 

ザルドが部屋の隅へ厚い毛布を広げた。

 

背負い袋を中央へ置き、壁から少し離す。

 

アルフィアが扉と窓を閉める。

 

「開けるぞ」

 

「ああ」

 

革紐を外す。

 

防水布。

 

仕切り。

 

まず、クレシューズの包み。

 

次に、名もない結晶の木箱。

 

二つは直接触れない距離へ並べられた。

 

アルフィアが結晶の外側へ手をかざす。

 

「変化なし」

 

「銀色の方は?」

 

「昨日と同じだ。黒紫色の力を抑えている」

 

ザルドはクレシューズの包みを外から確認する。

 

「亀裂も広がっていない」

 

「開けて見なくていいか?」

 

バンが尋ねる。

 

「今日は外側だけだ」

 

「何で?」

 

「お前が疲れている」

 

「全然」

 

「疲れていなくても、町へ着いた直後に余計なことをするな」

 

「見るだけだぞ」

 

「触る」

 

「触るなって言われたら触らねぇよ」

 

「信用できない」

 

「毎回それだな」

 

「積み重ねた結果だ」

 

バンはクレシューズの包みへ軽く指を置いた。

 

ちり、と。

 

布の奥から小さな金属音が鳴る。

 

「ほら」

 

「何がだ」

 

「町に着いたって分かってんだよ」

 

「偶然だ」

 

「随分続く偶然だな」

 

「何度でも起こる」

 

「棗椰子みてぇに?」

 

アルフィアの唇が僅かに動く。

 

「冗談だって」

 

バンはすぐに手を離した。

 

「風呂へ行くぞ」

 

ザルドが言う。

 

「今?」

 

「何日、外で寝たと思っている」

 

「川で洗えばよくねぇ?」

 

「宿代に浴場が含まれている」

 

「なら入るか」

 

アルフィアは結晶とクレシューズを布で覆い直した。

 

「部屋の鍵は私が持つ」

 

「何で?」

 

「お前が先に戻って開けないためだ」

 

「風呂より早く戻ったりしねぇよ」

 

「酒場へ先に行く可能性はある」

 

「それはあるな」

 

「認めるな」

 

三人は部屋を出た。

 

 

       ◇

 

 

久しぶりの湯だった。

 

男湯の広い浴槽。

 

石造りの壁。

 

川から引いた水を薪で温めているらしい。

 

兵士や旅人が何人も入っていたが、ザルドが浴場へ入った瞬間、自然と大きな空間が空いた。

 

「避けられてんな」

 

バンが言う。

 

「広く使えていい」

 

ザルドは気にせず湯へ入る。

 

大きな身体が沈むと、浴槽の水位が目に見えて上がった。

 

「こぼれんじゃねぇ?」

 

「黙って入れ」

 

バンも湯へ肩まで浸かる。

 

「生き返るな」

 

「お前は死なないだろう」

 

「今は普通に死ぬぞ」

 

「普通には見えん」

 

近くにいた兵士が、小声で呟いた。

 

バンが振り返る。

 

「何か言った?」

 

「い、いや」

 

「ラキア兵?」

 

「ああ。補給隊だ」

 

「戦争行くの?」

 

「北部へ移動するだけだ。国境で小競り合いがあるらしい」

 

「大変だな」

 

「軍人だからな」

 

兵士はザルドを何度も見ている。

 

「その身体……どこかの将軍か?」

 

「違う」

 

「冒険者?」

 

「今は旅人だ」

 

「今は?」

 

ザルドは答えなかった。

 

兵士もそれ以上聞けず、湯の反対側へ移動した。

 

「お前、何もしなくても怖がられてんな」

 

「お前が軽すぎるだけだ」

 

「話しかけやすいだろ」

 

「警戒心を持たれないとも言う」

 

「いいことじゃねぇか」

 

「盗賊には都合がいいだろうな」

 

「元な」

 

湯から上がる頃には、身体へまとわりついていた砂と埃がすべて落ちていた。

 

修繕された赤いコートも、宿の者へ洗いと乾燥を頼んでいる。

 

バンは簡素な貸し出し用の上着を着ていた。

 

「赤じゃないと変な感じだな」

 

「その方が目立たない」

 

「似合わねぇ?」

 

「普段よりましだ」

 

「どっちだよ」

 

女湯から出てきたアルフィアは、濡れた銀髪を布で拭いていた。

 

長い髪が普段より柔らかく背中へ流れている。

 

バンが一瞬、彼女を見る。

 

「何だ」

 

「別に」

 

「言え」

 

「髪下ろしてると、いつもより――」

 

アルフィアの周囲で空気が震えた。

 

「何でもない」

 

「賢明だ」

 

「最後まで言わせろよ」

 

「不要だ」

 

ザルドが食堂へ向かう。

 

「話は飯を食いながらにしろ」

 

「飯!」

 

バンがすぐに後を追う。

 

「分かりやすい奴だな」

 

アルフィアも、その後へ続いた。

 

 

       ◇

 

 

宿の食堂は、兵士と商人で混み合っていた。

 

長い木製の机。

 

大皿。

 

大きな陶器の杯。

 

厨房では、何本もの川魚が串へ刺され、炭火の上で焼かれている。

 

香草。

 

焦げた皮。

 

溶けたチーズ。

 

煮込んだ肉。

 

そして葡萄酒。

 

様々な匂いが食堂へ満ちていた。

 

「ここ、当たりだな」

 

バンの目が輝く。

 

「まだ食べていない」

 

アルフィアが言う。

 

「匂いで分かる」

 

「お前に料理の良し悪しが分かるのか?」

 

「うまそうかどうかは分かるぞ」

 

三人が頼んだのは、この宿の夕食盛り合わせだった。

 

川魚の炭火焼き。

 

豆と玉葱を煮込んだ濃い汁物。

 

焼いた山羊肉。

 

硬めの白いチーズ。

 

香草を練り込んだ丸いパン。

 

酢漬けの野菜。

 

料理が机へ並ぶ。

 

バンは真っ先に川魚へ手を伸ばした。

 

「待て」

 

ザルドが止める。

 

「何で?」

 

「骨が多い」

 

「噛めばいいだろ」

 

「喉へ刺さるぞ」

 

「オレの喉に?」

 

「刺さったままでも平気だからといって、食べ方を雑にするな」

 

ザルドは魚の身を開き、背骨と細かな骨を取り除く。

 

皮はぱりぱりに焼け。

 

中の白い身は柔らかい。

 

刻んだ香草と塩。

 

酸味のある果汁が掛けられていた。

 

「ほら」

 

皿へ分ける。

 

バンが一口食べる。

 

「うまっ」

 

皮の香ばしさ。

 

川魚特有の僅かな土の匂いを、香草と酸味が消している。

 

「酒に合いそうだな」

 

「まず食え」

 

アルフィアが言う。

 

「頼んでいい?」

 

「一杯だけだ」

 

「赤と白、どっち?」

 

「知らん」

 

「地元の酒だぞ」

 

「好きな方を選べ」

 

「じゃあ両方」

 

「一杯だ」

 

「半分ずつなら一杯だろ」

 

アルフィアがバンを見る。

 

「名案じゃねぇ?」

 

「詭弁だ」

 

「ザルドは?」

 

「赤だ」

 

「分かってるじゃねぇか」

 

結局。

 

バンとザルドは、この地方で造られた若い赤葡萄酒。

 

アルフィアは水を頼んだ。

 

赤葡萄酒は深い色ではない。

 

少し濁りがあり、香りも荒い。

 

酸味が強く、舌の奥へ渋さが残る。

 

「霧酒とは全然違うな」

 

バンが言う。

 

「こちらは食事に合わせる酒だ」

 

ザルドが山羊肉を食べながら答える。

 

「脂を流す酸味がある」

 

「なるほどな」

 

バンは肉を齧り、酒を飲む。

 

「確かに合う」

 

「一気に飲むな」

 

アルフィアが言う。

 

「まだ半分だぞ」

 

「お前の半分は、すぐ空になる」

 

「自分の銀貨で頼んだんだけどな」

 

「残りの金額は?」

 

「……まだある」

 

「いくらだ」

 

「銅貨が少し」

 

「一杯でほとんど使ったのか」

 

「地元の酒だからな」

 

「理由にならない」

 

ザルドは白いチーズを薄く切り、香草パンへ載せた。

 

その上へ山羊肉。

 

酢漬けの玉葱。

 

「食ってみろ」

 

バンが受け取る。

 

一口。

 

濃い乳の味。

 

肉の脂。

 

玉葱の酸味。

 

「うまいな」

 

「保存しやすい食材を組み合わせている。兵士や旅人向けだ」

 

「ラキアって、戦争ばっかしてる割に飯は悪くねぇな」

 

近くの机にいた兵士たちが、一斉にバンを見る。

 

「何だよ」

 

「よそ者が、ラキアを馬鹿にするな」

 

若い兵士が立ち上がった。

 

顔が赤い。

 

すでに葡萄酒を何杯か飲んでいるらしい。

 

「馬鹿にしてねぇよ。飯うまいって言ったんだぞ」

 

「戦争ばかりとは何だ!」

 

「実際そうなんだろ?」

 

「我らは軍神アレス様の御下で、ラキアの栄光を――」

 

「座れ」

 

別の中年兵が若者の肩を掴む。

 

「食事中に騒ぐな」

 

「ですが!」

 

「相手を見ろ」

 

中年兵は、ザルドへ僅かに視線を向けた。

 

若い兵士も見る。

 

ザルドはパンを食べているだけだ。

 

それでも若者の勢いが少し弱まる。

 

「別に喧嘩売ってねぇぞ」

 

バンが言う。

 

「飯がうまいって褒めてんだ」

 

「なら余計な言葉をつけるな」

 

アルフィアが冷たく言った。

 

「ラキアが戦争ばかりしているのは事実だがな」

 

「お前の方がひでぇだろ」

 

中年兵の口元が引きつる。

 

だが、反論はしなかった。

 

「アレス様は……勇敢なお方だ」

 

「またその言い方か」

 

バンが笑う。

 

「他に言いようがないのか?」

 

「バン」

 

ザルドが低く呼ぶ。

 

「分かってるよ」

 

バンは若い兵士へ自分の魚の皿を軽く示した。

 

「とにかく、ここの飯はうまい。それでいいだろ」

 

若い兵士はしばらくバンを睨んでいた。

 

やがて。

 

「……その魚より、山羊肉の煮込みを食え」

 

「何で?」

 

「この宿なら、そっちの方がうまい」

 

「本当か?」

 

「ああ。赤葡萄酒にも合う」

 

バンの目が輝く。

 

「店員!煮込み追加!」

 

「金は?」

 

アルフィアが尋ねる。

 

バンの動きが止まる。

 

「……少し貸して?」

 

「断る」

 

「一口やるから」

 

「いらない」

 

「ザルド」

 

「俺も断る」

 

「冷てぇなぁ」

 

中年兵が吹き出した。

 

「俺が出してやる」

 

「いいの?」

 

「うちの国の飯を褒めた礼だ。ただし、アレス様を馬鹿にするな」

 

「馬鹿って言ったのはザルドとアルフィアだぞ」

 

「バン」

 

「分かってるって」

 

山羊肉の煮込みが運ばれてくる。

 

大きく切った肉。

 

豆。

 

根菜。

 

赤葡萄酒を使った濃い煮汁。

 

バンは一口食べ、すぐに笑った。

 

「こりゃうまい」

 

「だろう」

 

若い兵士が、なぜか誇らしげに胸を張る。

 

「戦争より、これ売った方が儲かるんじゃねぇ?」

 

「余計なことを言うな!」

 

食堂に笑い声が広がった。

 

アルフィアは呆れたように息を吐く。

 

ザルドは煮込みを一口味見し、使われている香草を考えていた。

 

バンは肉を食い。

 

葡萄酒を飲み。

 

ラキア兵と、どの料理が一番酒に合うかで言い争っている。

 

つい先ほどまで野盗と戦い。

 

人質を救い。

 

廃村の地下を走っていたとは思えない光景だった。

 

 

       ◇

 

 

夜。

 

三人は宿の部屋へ戻った。

 

洗われた赤いコートは、明日の朝まで乾燥させるため一階へ預けたままだ。

 

バンは貸し出し用の上着姿で、自分の寝台へ横になる。

 

「久しぶりの寝台だな」

 

「すぐに寝るな」

 

アルフィアが言う。

 

「何で?」

 

「荷物を確認する」

 

「さっき見ただろ」

 

「食事へ行く前だ」

 

「数時間しか経ってねぇぞ」

 

「確認する」

 

結晶の木箱。

 

クレシューズの包み。

 

二つを再び並べる。

 

黒紫色の結晶内部には、銀色の光。

 

昨夜までと変わらず、暗い力を内側へ押し留めている。

 

「異常なし」

 

アルフィアが言う。

 

ザルドもクレシューズの外側を確かめる。

 

「こちらも同じだ」

 

「なら寝ようぜ」

 

バンはクレシューズの包みへ手を伸ばした。

 

「触るな」

 

「相棒におやすみ言うだけだ」

 

「不要だ」

 

「オレには必要なんだよ」

 

バンの指先が、布へ触れる。

 

その瞬間。

 

ちり。

 

小さな金属音。

 

続けて。

 

これまでより僅かに長く。

 

ちり、ちり、と。

 

二度。

 

布の奥で、四つの棍を繋ぐ鎖が震えた。

 

三人の表情が変わる。

 

「今のは……」

 

ザルドが包みを見る。

 

「二回鳴ったな」

 

バンが笑う。

 

アルフィアはすぐに結晶へ手をかざした。

 

魔力は流さない。

 

外へ漏れる力だけを探る。

 

銀色の光が。

ほんの僅かに。

先ほどより明るくなっていた。

 

「結晶も反応している」

 

「クレシューズに?」

 

「断定はできない」

 

「でも同時だろ」

 

「ああ」

 

アルフィアはクレシューズと結晶の距離を見る。

 

二つは、部屋の中で十分に離して置かれている。

 

触れてはいない。

 

それでも。

 

クレシューズが鳴った直後。

 

結晶の銀色の光が強まった。

 

「近づけてみるか?」

 

バンが尋ねる。

 

「駄目だ」

 

アルフィアが即答する。

 

「少しだけ」

 

「駄目だ」

 

「触れさせねぇよ」

 

「何が起こるか分からない」

 

「《贈与》で――」

 

「使うな」

 

声が一段低くなる。

 

バンはアルフィアを見る。

 

「まだ何もしてねぇぞ」

 

「考えるな」

 

「力を少し流せば、反応が――」

 

「お前はエルソスで、消えかけた存在へ《贈与》を使った。その結果と、この銀色の力の関係さえ分かっていない」

 

「でも、悪いもんじゃねぇだろ」

 

「お前の感覚だけで決めるな」

 

アルフィアはバンの手首を掴み、クレシューズから離した。

 

「ヘファイストスへ見せるまで、勝手に力を流すな」

 

「……分かったよ」

 

「本当に?」

 

「ああ」

 

バンは珍しく、すぐに頷いた。

 

クレシューズを見る。

 

結晶を見る。

 

「今は、壊したくねぇからな」

 

アルフィアは手を放した。

 

「なら待て」

 

「ああ」

 

銀色の光は、少しずつ元の明るさへ戻っていく。

 

クレシューズも、それ以上は鳴らなかった。

 

ザルドが二つの荷物を再び別々に包む。

 

「明日、改めて状態を見る」

 

「町も見たいんだけどな」

 

バンが言う。

 

「昼からでいい」

 

ザルドが答える。

 

「市場には川魚、乳製品、葡萄酒がある」

 

「行く」

 

返事が早い。

 

「酒は買うな」

 

アルフィアが言った。

 

「見るだけ」

 

「今日、一杯飲んだ」

 

「明日は明日だろ」

 

「残った銀貨は?」

 

「葡萄酒と煮込みで、銅貨だけになった」

 

「一日で使い切ったのか」

 

「酒だけじゃねぇぞ。煮込みもだ」

 

「兵士に奢られていただろう」

 

「最初の一皿は自分で頼もうとした」

 

「頼もうとしただけだ」

 

「気持ちは払った」

 

「金を払え」

 

バンは毛布を頭まで被った。

 

「もう寝る」

 

「逃げるな」

 

「明日、市場行くんだろ。早く寝ねぇとな」

 

「都合のいい時だけ早いな」

 

部屋の灯りが消される。

 

窓の外からは、川の流れる音。

 

遠くの兵舎から、夜番を交代する鐘。

 

宿の一階からは、まだ兵士たちの笑い声が聞こえていた。

 

軍神アレスが治める国。

 

数多の兵を抱え。

 

何度負けても戦を繰り返す、ラキア王国。

 

その辺境の宿場町で。

 

三人は久しぶりに湯へ入り。

 

温かい料理を食べ。

 

柔らかな寝台で夜を迎えた。

 

そして。

 

傷ついたクレシューズと名もない結晶は。

 

初めて、同じ夜に応えるような光と音を返していた。

 




第9部が始まりました。

今回は、セルバがラキア王国の辺境にある宿場町だと判明し、三人が久しぶりに風呂と温かい食事を楽しむ回でした。

特に、ラキア兵と揉めかけたバンが、最後には郷土料理を教えてもらい、一緒に食事の話で盛り上がる場面がお気に入りです。
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