強欲の旅人は神の恩恵を受けない   作:ルクエリシオン

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第6話です。
今回は、リオードを出て砂栗船で砂漠へ向かう旅の回です。
砂漠の飯、砂漠の魔物、砂漠の掟、そして黒い砂嵐の噂が少しずつ近づいてきます。


第6話 砂栗船

砂漠の朝は、思ったより冷たかった。

 

リオードの空はまだ薄暗く、東の端だけが白くにじんでいる。昼の熱を溜め込んでいたはずの石畳は冷え、吐く息にほんの少しだけ白さが混じった。

 

バンは肩に聖棍クレシューズを担ぎ、砂の港へ向かって歩いていた。

 

昨日まで迷子になっていた相棒の重みが、肩にある。

それだけで、足取りは軽かった。

 

「戻ったばっかで悪いが、働いてもらうぜ」

 

クレシューズは何も答えない。

だが、手の中の感触はいつも通りだった。

 

砂の港には、すでに何隻もの砂栗船が並んでいた。

 

船、と呼ぶには奇妙な形をしている。

底は平たく、左右に大きな砂蹴り板がついている。帆は普通の帆船より低く、厚い布を幾重にも重ねたような作りだ。船腹には魔石を埋め込んだ金属の輪があり、砂を噛むための骨組みがぎしぎしと音を立てていた。

 

水の上ではなく、砂の上を走る船。

 

バンはその船体を眺め、口の端を上げた。

 

「変な船だな」

 

「褒め言葉として受け取っておこう」

 

声をかけてきたのは、日に焼けた大柄な男だった。

黒い髭を短く整え、頭に布を巻いている。腕は太く、背中は広い。目つきは鋭いが、笑うと豪快だった。

 

「俺はガラム。この砂栗船《砂走りの栗鼠号》の船長だ」

 

「栗鼠?」

 

「砂の上を走るには、でかい獣より小回りの利く栗鼠の方がいいんだよ」

 

「食ったことはねぇな」

 

「船の名前を食うな」

 

ガラムは笑い、バンの肩にあるクレシューズを見た。

 

「そいつが噂の妙な棍か」

 

「ああ。迷子が戻った」

 

「武器に迷子も何もあるかよ」

 

「あるんだよ」

 

バンがそう言うと、ガラムは深く聞かなかった。

砂漠の船乗りは、旅人の事情を根掘り葉掘り聞かない。聞いたところで水は増えず、砂嵐は止まらないからだ。

 

船の周りでは、若い船員たちが荷を積んでいた。

水袋、干し肉、豆の袋、香辛料、布、修理用の木材、魔石灯、縄、そしてリオードで仕入れた酒樽。

 

そのうちの一人が、大きな袋を抱えてよろめいた。

 

「おっとと!」

 

「足元見ろ、ニロ!」

 

ガラムが怒鳴る。

ニロと呼ばれた若い船員は、慌てて袋を抱え直した。まだ少年と言ってもいい年頃だ。日に焼けてはいるが、目の奥に砂漠慣れしていない明るさが残っている。

 

「す、すみません船長!」

 

バンはその袋を片手で持ち上げ、荷台へ放った。

 

「重てぇな。豆か」

 

「え、片手で……?」

 

ニロが目を丸くする。

 

「豆は腹に溜まるからな。悪くねぇ」

 

「いや、そこじゃなくて」

 

「ニロ、驚く暇があったら積め!」

 

「はい!」

 

船の横には、もう一人、目立つ男が立っていた。

褐色の肌に、白い外套。腰には湾曲した剣を下げている。目は細く、笑っていない。護衛らしい。

 

「ラシードだ。サバハの出だ」

 

男は短く名乗った。

 

「バンだ」

 

「赤い旅人の噂は聞いた。リーヴァで川蛇を引きずり出したとか」

 

「魚の邪魔だったからな」

 

「理由がそれか」

 

「大事だろ」

 

ラシードは少しだけ口元を動かした。笑ったのかもしれない。

 

やがてラドも荷をまとめてやってきた。

商人らしく、日除け布を何枚も重ね、革袋を大事そうに抱えている。

 

「バンさん、水袋は持ちましたか?」

 

「酒なら持った」

 

「水です」

 

「酒じゃ駄目か」

 

「駄目です。砂漠では水の方が命です」

 

「つまんねぇな」

 

ガラムが船の縁を叩いた。

 

「乗る前に言っておく。砂漠には三つの鉄則がある」

 

船員たちも、商人たちも、少しだけ黙った。

ガラムの声が、朝の港に低く響く。

 

「一つ。水は命より重い。こぼすな、盗むな、軽く見るな」

 

ニロが真面目な顔で頷く。

 

「二つ。動く光には近づくな。砂漠の夜に揺れる灯りを見ても、追うな。魔物か、蜃気楼か、死んだ商隊の残り火だ」

 

ラドが喉を鳴らした。

 

「三つ。黒い風を見たら、祈る前に逃げろ」

 

その言葉だけ、空気が少し重くなった。

 

バンはガラムを見る。

 

「黒い風?」

 

「黒い砂嵐だ。普通の砂嵐じゃない。飲まれた船は戻らねぇ。水は腐り、魔石灯は鈍り、砂が黒く染まる」

 

「その先に砂葡萄酒があるんだろ」

 

「噂じゃな」

 

「なら、まあ行くしかねぇな」

 

ガラムはしばらくバンを見ていた。

そして、豪快に笑った。

 

「気に入った。死にたがりじゃなくて、酒飲みの馬鹿か」

 

「馬鹿は余計だ」

 

「酒飲みは否定しねぇのか」

 

「事実だからな」

 

砂栗船は、朝日が顔を出すころに出発した。

 

船底が砂を噛む。

魔石機構が低く唸り、砂蹴り板が左右に開く。帆が熱い風を受け、船体が一度大きく軋んだ。

 

次の瞬間、船は砂の上を滑り出した。

 

水面を行く船とは違う。

波はない。だが、砂の起伏が船体を揺らす。細かい粒が船腹を叩き、帆が乾いた音を立てる。砂丘を越えるたびに、身体がふわりと浮く。

 

バンは船首近くに座り、流れていく砂漠を眺めた。

 

「悪くねぇな」

 

どこまでも砂。

金色の海。

遠くの砂丘は、朝日を受けて赤く光っている。

 

風は乾いていた。

喉がすぐに渇く。唇が割れそうになる。目の端に砂が入る。

 

だが、空は広い。

地平線も広い。

世界が余計なものを全部削ぎ落としたような景色だった。

 

昼が近づくにつれ、暑さは急激に増した。

 

リオードの朝の冷たさが嘘のように、砂が熱を吐き始める。船の木材まで熱くなり、布の影に入っていても汗が出る。水袋の水はぬるい。空気は乾いているのに、身体の内側から水が抜けていくようだった。

 

バンは水を一口飲み、顔をしかめた。

 

「ぬるい」

 

「文句を言うな。水は命より重い」

 

ラシードが言う。

 

「酒は?」

 

「もっと重い場合もある」

 

「分かってんじゃねぇか」

 

「だが昼には飲むな。倒れるぞ」

 

「倒れねぇよ」

 

「倒れなくても喉が焼ける。砂漠で酒に頼る者は、砂になる」

 

バンは少しだけ肩をすくめた。

砂漠には砂漠の理屈がある。飯と酒にも、その土地の飲み方がある。そこは無視しすぎると飯が不味くなる。

 

昼過ぎ、船は小さな岩陰で止まった。

 

休憩だ。

 

船員たちは手際よく日除け布を張り、水袋を確認し、簡単な食事の準備を始めた。

 

鍋に入るのは、乾燥肉、豆、刻んだ根菜、赤い香辛料。水は少ない。煮るというより、少ない水分で蒸し煮にするような作り方だった。

 

バンは横から覗き込む。

 

「辛そうだな」

 

「汗を出して、身体を慣らすんだ」

 

ニロが得意げに言った。

 

「汗出したら水が減るだろ」

 

「えっと……船長がそう言ってました」

 

「分かってねぇじゃねぇか」

 

ガラムが笑った。

 

「少しの辛みは食欲を落とさねぇ。塩も取れる。豆で腹も膨れる。砂漠飯ってのは、うまいだけじゃなくて動くための飯だ」

 

「いいじゃねぇか」

 

バンは自分の香辛料の袋を取り出した。

 

「これ、足していいか」

 

「何だ?」

 

「昨日、酒場の女にもらった」

 

ガラムが匂いを嗅ぐ。

 

「悪くねぇ。少しだけだぞ」

 

「少しな」

 

バンは本当に少しだけ加えた。

香りが変わる。赤い辛みの奥に、焦げた黒だれのような深みと、干した草の香りが加わった。

 

ラシードが鍋を見て言う。

 

「リオードの香辛料に、リーヴァの癖が混じっているな」

 

「分かるのか」

 

「サバハには、もっと強い香辛料がある。舌が鈍いと砂漠では飯を楽しめん」

 

「いいこと言うじゃねぇか」

 

薄焼きパンに、豆と乾燥肉の煮込みを乗せて食べる。

肉は硬い。豆は柔らかい。香辛料は強いが、嫌な強さではない。噛むほどに塩気と脂が出て、パンの粉っぽさがそれを受け止める。

 

バンは頷いた。

 

「悪くねぇ」

 

ニロが嬉しそうに笑う。

 

「砂漠飯、いけますか?」

 

「ああ。水がもっと冷えてりゃな」

 

「それは無理です」

 

「なら夜の酒に期待だな」

 

ラドがため息をつく。

 

「結局、酒ですか」

 

「飯の次にな」

 

休憩のあと、砂栗船は再び走り出した。

 

午後の砂漠は、朝よりずっと厳しかった。

 

空気が揺れる。

遠くに水面のようなものが見えるが、近づくと消える。砂丘は同じ形に見えて、少しずつ違う。風向きが変わるたび、足跡も船跡もすぐに消えていく。

 

バンは船首に座り、目を細めていた。

 

ふと、砂の動きが変わった。

 

船の右手。砂丘の斜面に、小さな波紋が走る。

風ではない。

砂の下で何かが動いている。

 

「ガラム」

 

「ああ、見えてる」

 

船長の声が低くなる。

 

「サンドスキッパーだ!」

 

船員たちが一斉に動いた。

 

砂の下から飛び出したのは、巨大な魚のような魔物だった。

だが魚ではない。扁平な頭、細長い胴、背中に硬い棘。腹側には砂を蹴るための無数の小さな脚があり、砂面を跳ねるように滑ってくる。

 

一匹ではない。

三匹。

いや、五匹。

 

砂を切り裂きながら、砂栗船へ向かってくる。

 

「船底を狙ってくる! 砂蹴り板を守れ!」

 

ガラムが怒鳴った。

ニロが魔石機構の調整に走る。ラシードは腰の湾曲剣を抜いた。刃が陽光を受けて赤く光る。

 

「灼刃シャムシール」

 

ラシードが呟き、剣を振るう。

刃から熱が走り、近づいてきた一匹の背を裂いた。砂の魔物が跳ね、灰になって崩れる。魔石が砂の上に転がった。

 

バンはそれを見て言った。

 

「やっぱ肉は残らねぇか」

 

「今はそこではない!」

 

ラドが叫ぶ。

 

サンドスキッパーの一匹が、船底へ潜った。

船が大きく跳ねる。砂蹴り板に衝撃。木が軋み、ニロが転びかける。

 

バンは立ち上がった。

 

「クレシューズ、仕事だ」

 

聖棍クレシューズが、バンの手でしなる。

 

バンは船縁を蹴った。

 

赤い影が砂漠へ飛ぶ。

 

「バンさん!?」

 

ラドの悲鳴が背後で響く。

 

バンは砂の上へ着地した。

足が沈む。普通なら動きづらい。だがバンはそのまま走った。砂を蹴り、沈む前に次の一歩を出す。

 

サンドスキッパーが砂中から飛び出す。

 

バンはクレシューズを振るった。

 

四節の棍がしなり、空中で弧を描く。先端が魔物の横面を叩いた。硬い外殻が砕け、魔物が砂丘へ吹き飛ぶ。

 

「硬ぇな。骨せんべいにもならねぇか」

 

別の一匹が背後から跳ぶ。

 

バンは振り向かず、クレシューズを背中側へ回した。棍が蛇のように曲がり、魔物の首元に絡む。

 

「よっと」

 

引く。

 

魔物の軌道が変わり、そのまま別のサンドスキッパーに衝突した。二匹が砂の上で絡まり、跳ねる。

 

ラシードが船上から灼刃を振るい、片方を焼き切った。

 

「合わせるぞ、赤い旅人!」

 

「勝手に合わせろ!」

 

バンは笑いながら走る。

 

サンドスキッパーは砂の中を泳ぐ。

なら、砂に潜る前を叩く。跳ねた瞬間を絡める。船を狙う勢いを奪い、別の方向へ流す。

 

バンは一匹の突進に手を伸ばした。

 

「ちょいと借りるぜ」

 

強奪《スナッチ》。

 

魔物の突進の勢いが、一瞬だけ抜ける。

砂を蹴る脚の力が鈍り、体勢が崩れた。

 

そこへクレシューズの一撃。

 

頭が砕け、魔物が灰になる。

 

砂の上に魔石だけが残った。

 

バンはそれを拾う。

 

「酒代」

 

ラシードが呆れたように言う。

 

「戦闘中に拾うな」

 

「あとで探すの面倒だろ」

 

最後の一匹が船の前方へ回り込んだ。

船底を正面から狙っている。ガラムが舵を切るが、砂丘の斜面で動きが鈍い。

 

「ニロ、砂蹴り機構を上げろ!」

 

「今やってます!」

 

船が大きく傾く。

 

バンは砂丘を駆け上がり、上から跳んだ。

クレシューズを長くしならせる。四節の棍が一本の鞭のように伸び、サンドスキッパーの胴へ巻きついた。

 

「逃がすかよ」

 

バンは空中で体を捻り、そのまま魔物を引きずり上げる。

砂の中から長い胴体が抜け、宙へ舞った。

 

ガラムが叫ぶ。

 

「ラシード!」

 

「分かっている!」

 

灼刃シャムシールが赤く走った。

 

宙に浮いたサンドスキッパーが、真っ二つになる。

灰が風に散り、魔石が船の甲板へ落ちた。

 

静寂。

 

砂漠に、船体の軋む音だけが残る。

 

バンは砂の上に着地し、肩にクレシューズを担いだ。

 

「やっぱ、こいつがあると楽だな」

 

船上のニロが、口を開けたまま固まっている。

 

「す、すごい……」

 

ガラムが大声で笑った。

 

「砂の上で船より速く動くやつなんざ初めて見たぞ!」

 

「沈む前に走りゃいい」

 

「普通は沈むんだよ!」

 

バンは魔石を拾いながら船へ戻った。

ラドが顔を青くしている。

 

「あなたという人は……」

 

「酒代が増えた」

 

「命も減りかねませんでした」

 

「まだ減ってねぇ」

 

「そういう問題ではありません」

 

ラシードは剣を収め、バンを見た。

 

「恩恵なし、だったな」

 

「ああ」

 

「それで今の動きか」

 

「変か?」

 

「かなりな」

 

「そうか」

 

バンは興味なさそうに答えた。

 

その後の航行は、しばらく静かだった。

 

夕方、砂漠の色が変わった。

昼の白い熱が引き、砂丘が赤く染まる。空は濃い橙から紫へ移り、遠くの地平線がゆっくり沈んでいく。

 

砂栗船は、低い岩場の陰に停泊した。

 

夜営だ。

 

船員たちは手際よく布を張り、火を小さく起こす。砂漠では火も目立ちすぎると危ないらしい。魔石灯は布で覆い、光を外へ漏らさない。

 

夕飯は、薄焼きパンの肉挟みと砂漠茶だった。

 

昼の残りの乾燥肉を香辛料で炒め、豆の煮込みを少し混ぜ、パンに挟む。茶は苦く、乾いた草の香りがした。口の中の脂を流すにはちょうどいい。

 

バンは一口食べ、頷く。

 

「昼よりうまいな」

 

「戦った後だからだろ」

 

ガラムが笑う。

 

「それもあるな」

 

ラシードは火のそばで、遠くの砂漠を見ていた。

バンは隣に座る。

 

「サバハってのは、どんなとこだ」

 

「砂の町だ。水は少ないが、酒と香辛料は悪くない。ローランへ向かう商人が必ず寄る」

 

「砂葡萄酒は?」

 

「サバハでも少しは手に入る。だが本物はローランだ」

 

「うまいのか」

 

「夜の砂漠で飲むと、喉の奥に月が落ちると言われている」

 

バンは少し黙った。

 

「詩人かよ」

 

「酒を語る時、砂漠の民は少し詩人になる」

 

「悪くねぇ」

 

ラシードの表情が少し暗くなる。

 

「だが、今はローランへの道が閉じている。黒い砂嵐が出た。戻らない商隊が増えた。サバハから先の集落も、いくつか音信が途絶えている」

 

「黒い風ってやつか」

 

「ああ。普通の砂嵐ではない。砂が黒くなる。水が濁る。魔石灯が弱る。風の中で、獣の唸りのような音がするとも言う」

 

火が小さく弾けた。

 

ガラムも、ニロも、ラドも、誰も軽口を挟まなかった。

 

砂漠を知る者ほど、その話を笑わない。

 

バンは砂漠の先を見た。

夜の砂丘は黒い。昼とは違う海のように、静かに広がっている。

 

その向こうに、黒い砂嵐がある。

そのさらに向こうに、砂葡萄酒がある。

 

分かりやすい。

 

「酒の道にしちゃ、ずいぶん物騒だ」

 

バンはそう言って、肉挟みをもう一口食べた。

 

ラシードが横目で見る。

 

「それでも行くのか」

 

「うまい酒があるんだろ」

 

「死ぬかもしれん」

 

「まだ飲んでねぇのに死ぬかよ」

 

ラシードは少しだけ笑った。

 

「サバハの者は、そういう馬鹿を嫌いではない」

 

「馬鹿は余計だ」

 

「酒飲みは否定しないのだろう?」

 

「事実だからな」

 

夜が深くなる。

 

遠くで何かの影が空を横切った。

サバトか、それとも別の魔物か。魔石灯は布の中で小さく光っている。

 

ニロが小声で言った。

 

「動く光、出ませんよね」

 

ガラムが答える。

 

「出ても見るな。追うな。呼ぶな」

 

ラドが水袋を抱きしめる。

 

「私は平和な商売が好きなのですがね」

 

「なら何で砂漠にいる」

 

バンが聞くと、ラドは苦笑した。

 

「砂漠の向こうに、売れるものと買えるものがあるからです」

 

「なら俺と同じだな」

 

「あなたは酒でしょう」

 

「お前は金だろ」

 

「否定できませんな」

 

小さな笑いが起きた。

 

砂漠の夜は冷える。

昼の熱が嘘のように消え、風が肌を刺す。バンはロングコートの襟を少しだけ立てた。

 

火のそばでは、豆の鍋が小さく温め直されている。

香辛料と肉の匂いが、冷たい夜風に混じる。

 

バンはクレシューズを膝の上に置き、空を見上げた。

 

星が多い。

 

元の世界と同じ星ではないのかもしれない。

だが、夜空は夜空だった。

 

腹は満ちている。

酒は少ない。

相棒は戻った。

進む先には、黒い砂嵐と、まだ飲んだことのない酒がある。

 

十分だった。

 

「悪くねぇ旅だ」

 

バンは小さく呟いた。

 

砂栗船は夜の砂漠に静かに停まり、明日の風を待っている。

 

その先に何があるのか、まだ誰も知らない。

 

ただ、砂の向こうで、黒い何かがゆっくりと息をしていた。




第6話は、砂栗船での砂漠旅の始まりでした。
砂漠三鉄則、サンドスキッパー戦、ラシードとの会話、そして黒い砂嵐の噂。
次回は、いよいよ黒い砂漠の入口へ近づいていきます。
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