強欲の旅人は神の恩恵を受けない   作:ルクエリシオン

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第56話 薬を運ぶ道

セルバを出たのは、朝日が川面へ差し込み始めた頃だった。

 

宿場町の門は、すでに兵士と商人で混み合っている。

 

北へ向かう軍用荷車。

 

南から来た隊商。

 

槍を担いだ若い兵士たち。

 

穀物袋を満載した荷車が、赤い獅子の旗の下を次々と通り抜けていく。

 

三人の先頭を歩くザルドは、大きな荷袋を背負っていた。

 

水。

 

保存食。

 

調理道具。

 

包帯。

 

セルバの市場で買った川魚の干物と硬いチーズ。

 

その横を歩くバンの背には、傷ついたクレシューズと名もない結晶を収めた背負い袋がある。

 

いつもより慎重に革紐を締め。

 

歩くたびに中身がぶつからないよう、仕切りも増やしていた。

 

アルフィアは薬箱を持っている。

 

割れずに残った薬瓶を布で包み直し、歩いても中で動かないよう詰め物まで整えていた。

 

「なあ」

 

バンが横目で薬箱を見る。

 

「何だ」

 

「それ、オレが持ってもいいぞ」

 

「不要だ」

 

「でも、アルフィアの荷物増えてんだろ」

 

「この程度は荷物にも入らない」

 

「重い?」

 

「軽い」

 

「じゃあオレが持っても変わらねぇだろ」

 

「お前は自分の背中だけ気にしていろ」

 

アルフィアの視線が、バンの背負い袋へ向く。

 

「走るな。飛ぶな。転ぶな。戦うな」

 

「最後は無理じゃねぇ?」

 

「戦う必要のある事態を起こすな」

 

「向こうから来たら?」

 

「ザルドが処理する」

 

「俺へ任せるな」

 

ザルドが振り返らずに言った。

 

「じゃあアルフィア」

 

「薬を持っている」

 

「結局オレじゃねぇか」

 

「避けろ」

 

「それだけ?」

 

「お前なら十分だ」

 

「信用されてんのか、雑に扱われてんのか分かんねぇな」

 

「後者だ」

 

「即答かよ」

 

その少し後ろを、セラが歩いていた。

 

小さな荷袋を肩へ掛け、杖代わりの木の棒を右手に持っている。

 

足取りは昨日より安定している。

 

だが、右足を地面へ着くたび、僅かに表情が強張っていた。

 

バンは歩幅を落とし、セラの隣へ並ぶ。

 

「痛む?」

 

「少しだけです」

 

「少しって顔じゃねぇぞ」

 

「歩けます」

 

「まだ町の外出たばっかだぞ」

 

「村まで行かないと」

 

「薬はオレらが持ってる」

 

「でも、私が引き受けた仕事ですから」

 

セラは前を向いたまま答えた。

 

「最後まで自分で届けたいんです」

 

「真面目だな」

 

「バンさんが適当すぎるんです」

 

「ひでぇ」

 

「昨日、宿代より先にお酒を買おうとしていたと聞きました」

 

「誰から?」

 

「アルフィアさんから」

 

「何で言ったんだよ」

 

「事実だからだ」

 

前を歩くアルフィアが、振り返らずに答えた。

 

「お前、セラに余計なこと教えんなよ」

 

「余計ではない。信用してはいけない理由を説明した」

 

「薬運んでる仲間だぞ」

 

「薬を酒と交換されては困る」

 

「そこまでしねぇよ!」

 

「酒樽一つなら?」

 

「……少し考える」

 

「バンさん」

 

セラが呆れた目を向ける。

 

「冗談だって」

 

「間が長かったぞ」

 

ザルドの声が飛んできた。

 

「本当に考えていたな」

 

「珍しい酒だったら気になるだろ」

 

「薬は人の命だ」

 

アルフィアの声が低くなる。

 

バンの表情から、ふざけた色が消えた。

 

「ああ。分かってる」

 

短い返事。

 

それ以上は何も言わなかった。

 

アルフィアも振り返らず、薬箱を抱え直す。

 

四人はセルバの門を抜け、川沿いの街道へ出た。

 

 

       ◇

 

 

セルバを離れると、景色は急速に農村のものへ変わっていった。

 

街道の右側には、大きな川。

 

左側には葡萄畑。

 

整然と並べられた葡萄の木には、まだ小さな実がついている。

 

その向こうには麦畑。

 

豆畑。

 

放牧された山羊や羊。

 

カイオス砂漠の乾いた大地を長く歩いてきた三人にとって、緑の多い景色は久しぶりだった。

 

「食いもんだらけだな」

 

バンが言う。

 

「畑を見て最初にそれか」

 

アルフィアが返す。

 

「葡萄は酒になる。麦はパンと酒。山羊は肉とチーズ」

 

「お前の世界には、酒以外の用途がないのか」

 

「肉とチーズも言っただろ」

 

「ほとんど食事ではないか」

 

「畑は食うために作ってんだろ?」

 

「否定はしない」

 

ザルドは街道脇の葡萄畑を見た。

 

木の間では、老人と女性たちが枝を整えている。

 

若い男の姿は少ない。

 

代わりに。

 

畑の端には、赤い肩布をつけたラキア兵が二人立っていた。

 

農作業を手伝っているわけではない。

 

木箱の数。

 

葡萄の木の本数。

 

収穫量の見込み。

 

板へ何かを書き込んでいる。

 

「税の確認か」

 

ザルドが言った。

 

セラが頷く。

 

「この辺りでは、穀物や葡萄をお金の代わりに納めることもあります」

 

「どれくらい持ってかれる?」

 

バンが尋ねる。

 

「年や村によって違います。戦が続くと増えます」

 

「今は?」

 

「増えています」

 

セラの声が少し小さくなった。

 

「北の国境へ兵を送るために、食料が必要だから」

 

「自分たちが食う分は残るのか」

 

「残るようには決められています」

 

「実際は?」

 

「……足りない村もあります」

 

アルフィアの目が、畑の端に積まれた木箱へ向く。

 

兵士の一人が、数を数えている。

 

老人が何かを頼むように話していた。

 

「今年は実りが少ない」

 

「決められた量だ」

 

「冬を越せなくなる」

 

「俺たちに言われても困る」

 

「せめて一箱――」

 

「補給官の命令だ」

 

風に乗って、会話が聞こえてくる。

 

アルフィアの足が僅かに止まった。

 

「アルフィア?」

 

バンが呼ぶ。

 

「何でもない」

 

再び歩き始める。

 

だが、その視線はしばらく畑から離れなかった。

 

「アレス本人が、どの村から何箱取るか決めてんの?」

 

バンが尋ねる。

 

「そこまで細かいことを、あの馬鹿が考えるはずがない」

 

アルフィアが答える。

 

「戦を始める。兵を増やす。食料が足りなくなる。あとは下へ丸投げだ」

 

「ひどい神様だな」

 

「今さらだ」

 

ザルドは低く息を吐いた。

 

「上が愚かでも、命令は下へ届く。負担を受けるのは畑に立つ者だ」

 

「オラリオへ攻めてくるより、自分の国をちゃんとした方がよくねぇ?」

 

「それが理解できれば、何度も攻めてこない」

 

「納得した」

 

街道の向こうから、軍用荷車が近づいてきた。

 

六台。

 

荷台には、穀物袋とワイン樽。

 

周囲を十数人の兵士が護衛している。

 

四人は道の端へ寄った。

 

すれ違う瞬間。

 

一台の荷車から、袋が落ちた。

 

麦の詰まった大袋。

 

地面へ落ち、口を縛っていた紐が緩む。

 

若い兵士が慌てて駆け寄った。

 

「止めろ!」

 

「列を止めるな!」

 

「ですが、袋が!」

 

「拾って後から追え!」

 

荷車は止まらない。

 

若い兵士は一人で袋を抱えようとする。

 

だが、持ち上がらない。

 

「手伝う?」

 

バンが尋ねる。

 

「結構だ!」

 

「でも無理だろ」

 

「軍の荷に触るな!」

 

「じゃあ頑張れ」

 

バンが歩き出そうとする。

 

若い兵士は歯を食いしばり、袋へ腕を回した。

 

腰が震える。

 

顔が赤くなる。

 

僅かに浮く。

 

また落ちる。

 

「やっぱ無理じゃねぇか」

 

バンは背負い袋を揺らさないよう、ゆっくり近づいた。

 

「触るなと言った!」

 

「じゃあ、触らねぇよ」

 

右手を向ける。

 

「強奪《スナッチ》」

 

地面にあった麦袋が、ふわりと浮いた。

 

「なっ……」

 

袋はバンの手元へ飛ばず。

 

若い兵士の肩の高さで止まる。

 

「ほら。支えろ」

 

兵士が慌てて両腕で抱える。

 

バンは力を緩め。

 

袋の重さを少しずつ兵士へ戻した。

 

「お、重い!」

 

「半分くらい持ってやってるぞ」

 

「半分でこれか……」

 

「荷車追わなくていいの?」

 

「そうだった!」

 

兵士は袋を背負い、ふらつきながら走り出した。

 

しばらく進んだ後。

 

一度振り返る。

 

「助かった!」

 

「転ぶなよ!」

 

バンが手を上げる。

 

「お前もな!」

 

「オレは転ばねぇよ!」

 

兵士は荷車の列へ追いついていった。

 

アルフィアがバンを見る。

 

「珍しく、問題を起こさなかったな」

 

「人助けしたのに、その言い方?」

 

「軍用物資を奪うかと思った」

 

「麦袋いらねぇよ」

 

「酒樽なら?」

 

「……」

 

「考えるな」

 

「見るだけなら」

 

「駄目だ」

 

セラが小さく笑った。

 

「皆さん、いつもこうなんですか?」

 

「こいつが雑音を出す」

 

アルフィアが答える。

 

「アルフィアがすぐ怒る」

 

バンが返す。

 

「二人ともだ」

 

ザルドが言った。

 

「お前は料理の話になると長ぇぞ」

 

「必要な説明だ」

 

「みんな同じですね」

 

セラの言葉に。

 

三人が同時に彼女を見る。

 

「違う」

 

「一緒にするな」

 

「オレはもっと話しやすいぞ」

 

ほとんど同時だった。

 

セラはまた笑った。

 

 

       ◇

 

 

昼前。

 

街道は川から少し離れ、低い丘の間へ入った。

 

道の脇に、大きな木が一本。

 

枝が広く伸び、旅人が休める影を作っている。

 

「ここで休む」

 

ザルドが言った。

 

セラの歩みは、朝より明らかに遅くなっていた。

 

右足を庇い。

 

額には薄く汗が浮かんでいる。

 

「まだ歩けます」

 

「誰も歩けないとは言っていない」

 

ザルドは荷物を下ろす。

 

「昼だ。食う」

 

「それなら……」

 

セラは木の根元へ腰を下ろした。

 

杖を横へ置き、右足へそっと触れる。

 

アルフィアは薬箱を地面へ直接置かず、布を敷いてから下ろした。

 

続いてセラの前へしゃがむ。

 

「足を出せ」

 

「え?」

 

「確認する」

 

「大丈夫です」

 

「お前の判断は聞いていない」

 

セラは戸惑いながら、右足を前へ伸ばした。

 

靴を脱ぐ。

 

足首には、地下で鎖に繋がれていた時の傷。

 

腫れは昨日より少し強くなっている。

 

アルフィアの指が、傷の周囲へ触れた。

 

「痛い場所は?」

 

「そこです」

 

「ここは?」

 

「少し」

 

「骨は問題ない。だが、歩き続ければ腫れが増す」

 

「村までは行けます」

 

「その後、歩けなくなる」

 

「でも――」

 

「薬を届けた後、村の者へ看病されるつもりか?」

 

セラは口を閉じた。

 

「自分が新しい患者になれば、薬と手間を減らす」

 

アルフィアは荷物から包帯を取り出す。

 

足首が動きすぎないよう、布を巻く。

 

強すぎず。

 

緩すぎず。

 

「午後は歩幅を落とす。痛みが増したら言え」

 

「はい」

 

「隠すな」

 

「……はい」

 

バンが二人を見ていた。

 

「何だ」

 

アルフィアが視線だけを向ける。

 

「いや」

 

「また黙るのか」

 

「喋ったら怒るだろ」

 

「内容による」

 

「優しいなって」

 

「福音《ゴスペル》」

 

「褒めただけだろ!」

 

澄んだ鐘の音は鳴らない。

 

アルフィアは薬箱の横へ置いてあった小石を拾い、バンへ投げた。

 

バンが首を傾けて避ける。

 

「魔法じゃねぇのかよ」

 

「薬の近くで使うか」

 

「ちゃんと考えてんだな」

 

「当たり前だ」

 

石は後ろの木へ当たり、乾いた音を立てた。

 

ザルドはそのやり取りを無視し、昼食を用意していた。

 

硬い黒パンを切る。

 

白いチーズ。

 

燻製肉。

 

酢漬けの玉葱。

 

そこへ、昨日買った川魚の干物を火で軽く炙る。

 

「火を使うのか?」

 

バンが尋ねる。

 

「干物は温めた方が脂が戻る」

 

「そのままでも食えるだろ」

 

「食えることと、うまいことは別だ」

 

小さな火。

 

干物の皮から脂が滲む。

 

香ばしい匂い。

 

ザルドは炙った魚をほぐし、骨を外した。

 

チーズと玉葱と一緒に、切った黒パンへ挟む。

 

「兵士の飯みてぇだな」

 

バンが受け取る。

 

「行軍食を少し整えただけだ」

 

一口。

 

硬いパン。

 

塩気の強い干物。

 

酸味のある玉葱。

 

濃いチーズ。

 

噛むほどに味が混ざる。

 

「うまい」

 

「水を飲め。塩が強い」

 

セラもパンを受け取る。

 

「こんな食べ方があるんですね」

 

「この辺りの材料なら、村でも作れる」

 

ザルドが答える。

 

「魚がなければ、豆を潰して香草と混ぜてもいい」

 

「リュネ村では山羊を飼っています。チーズも作っています」

 

「なら、塩漬け肉と野菜を合わせれば十分だ」

 

「村の人たちにも教えていいですか?」

 

「好きにしろ」

 

ザルドは何でもないことのように言う。

 

バンが笑う。

 

「料理教室始まったな」

 

「お前も覚えろ」

 

「今食って覚えてる」

 

「作り方をだ」

 

「ザルドがいればいいだろ」

 

「いつまでも俺がいるとは限らん」

 

バンの動きが一瞬だけ止まる。

 

ザルドも。

 

アルフィアも。

 

誰も、先のことを口にしなかった。

 

この旅がどこまで続くのか。

 

三人がいつまで同じ道を歩くのか。

 

決めている者はいない。

 

バンはパンをもう一口齧った。

 

「じゃあ、今度教えてくれよ」

 

「ああ」

 

ザルドは短く答えた。

 

「まずは肉を焦がさないところからだ」

 

「塩振るのはできるぞ」

 

「振りすぎる」

 

「食えるだろ」

 

「お前の基準は捨てろ」

 

「厳しい先生だな」

 

アルフィアは静かに水を飲む。

 

その口元が、ほんの僅かに緩んでいた。

 

 

       ◇

 

 

午後。

 

街道から外れ、北西へ続く細い道へ入った。

 

ここから先は、荷車が一台通れる程度の幅しかない。

 

両側には低い石垣。

 

畑と牧草地。

 

時折、小さな農家が見える。

 

子供たちが山羊を追い。

 

老人が畑を耕し。

 

女性たちが井戸から水を運んでいた。

 

やはり。

 

働き盛りの男は少ない。

 

「みんな兵隊に?」

 

バンが尋ねる。

 

セラが頷いた。

 

「全員ではありません。でも、村ごとに一定の人数を出すよう求められます」

 

「断れねぇの?」

 

「軍務はラキアの民の義務だと言われています」

 

「恩恵も受けるんだろ」

 

「兵へ入れば、アレス様の恩恵を受けます」

 

「強くなれる?」

 

「普通の人よりは」

 

ザルドが周囲の農家を見ながら言う。

 

「恩恵を刻まれても、経験がなければ大きくは伸びない」

 

「ダンジョンがないから?」

 

「ああ。畑仕事と訓練だけで、冒険者と同じ速度で成長することはできん」

 

「じゃあ、あんな若い奴らを集めても弱ぇままか」

 

「多くはな」

 

アルフィアが答える。

 

「だから数を増やす。数が増えれば食料が要る。食料を集めれば、村が苦しむ」

 

「ぐるぐる回ってんな」

 

「愚か者の思考は、同じ場所を回る」

 

街道の先。

 

一軒の農家の前で、人が集まっていた。

 

赤い布を肩へ掛けた兵士が三人。

 

農家の家族。

 

十五、六歳ほどの少年。

 

少年の母親らしい女が、その腕を掴んでいる。

 

「この子はまだ十六です」

 

「登録年齢に達している」

 

「父親も兄も兵へ行っています。この子まで取られたら畑を守れません」

 

「命令だ」

 

「せめて収穫が終わるまで――」

 

「集合日は明日だ」

 

少年は俯き。

 

母親の手をそっと外した。

 

「母さん。行くよ」

 

「でも……」

 

「兄さんたちが戻るまで、俺が行かないと」

 

「戻っていないからこそ、お前まで――」

 

声が震える。

 

三人の兵士の中で、一番若い男が目を逸らした。

 

だが、年長の兵士は表情を変えない。

 

「準備をしろ。夕方に迎えが来る」

 

兵士たちは去っていく。

 

四人は少し離れた道から、その様子を見ていた。

 

バンが小さく舌打ちする。

 

「嫌な国だな」

 

「すべての兵が望んでしているわけではない」

 

ザルドが言う。

 

「命令だからって、何でもやんのか」

 

「拒めば、自分が罰を受ける」

 

「だからって――」

 

「バン」

 

アルフィアが止めた。

 

「お前がここで兵を殴っても、命令は消えない」

 

「分かってるよ」

 

「分かっていない顔だ」

 

「殴ってねぇだろ」

 

「今はな」

 

バンは農家を見る。

 

少年は母親を家の中へ連れていこうとしている。

 

畑の端。

 

積まれた農具。

 

まだ刈り取られていない麦。

 

「手伝うか」

 

「何をだ」

 

「収穫」

 

「今日中には終わらない」

 

「少しでも減るだろ」

 

アルフィアは答えなかった。

 

ザルドが空を見る。

 

日が傾き始めている。

 

「一刻だけだ」

 

「村への到着が遅れるぞ」

 

「今日は街道沿いで野営する予定だ。大きくは変わらん」

 

ザルドは農家の方へ歩き始めた。

 

バンが笑う。

 

「結局、ザルドもやんじゃねぇか」

 

「口を動かす前に手を動かせ」

 

「オレ、背中の荷物あるぞ」

 

「軽い作業だけにしろ」

 

「麦を《強奪》で集める?」

 

「畑ごと抜くな」

 

「そんな雑なことしねぇよ」

 

「信用できない」

 

アルフィアも薬箱を抱えたまま、二人の後へ続く。

 

「アルフィアは何すんの?」

 

「刈った麦を束ねる」

 

「できるのか?」

 

「私を何だと思っている」

 

「料理はできねぇけど――」

 

「福音《ゴスペル》」

 

「畑で撃つなよ!」

 

「黙って働け」

 

セラはその光景を見つめ。

 

小さく笑ってから、四人目として農家へ向かった。

 

 

       ◇

 

 

一刻後。

 

畑の一角だけが、きれいに刈り取られていた。

 

ザルドは大きな鎌を使い、一振りで何本もの麦を倒した。

 

力任せではない。

 

根元を揃え。

 

後で束ねやすい方向へ置く。

 

農作業をしていた老人が、感心したように何度も頷いている。

 

バンは刈られた麦を集めていた。

 

《強奪》は使わない。

 

背中の荷物を揺らさないよう、両腕で一束ずつ運ぶ。

 

「普通に働けんじゃねぇか」

 

ザルドが言う。

 

「オレを何だと思ってんだ」

 

「盗賊だ」

 

「元な」

 

「今も酒を盗みそうだ」

 

「盗ってねぇだろ」

 

「まだな」

 

アルフィアは麦を縄で束ねていた。

 

最初の一つは少し緩かったが。

 

二つ目。

 

三つ目と進むうちに、崩れない形へ整っていく。

 

少年が驚いたように見ている。

 

「上手いですね」

 

「見れば分かる」

 

「俺は何年もやってますけど、最初は全然できませんでした」

 

「手の使い方が悪かっただけだ」

 

「厳しいな」

 

バンが笑う。

 

「でもアルフィア、一本目ほどけてたぞ」

 

「見間違いだ」

 

「オレ拾ったんだけど」

 

「雑音だ」

 

少年の母親は、家から水と薄い葡萄酒を持ってきた。

 

「こんなにしてもらって……」

 

「通りがかっただけだ」

 

ザルドが答える。

 

「大したことではない」

 

「でも、本当に助かります」

 

母親は何度も頭を下げた。

 

「お礼に出せるものが、これくらいしか」

 

薄い葡萄酒。

 

山羊乳のチーズ。

 

焼いたばかりの平たいパン。

 

バンの目が酒へ向く。

 

アルフィアの視線がすぐに刺さった。

 

「何も言ってねぇぞ」

 

「顔が言っている」

 

「働いた後の一杯だぞ」

 

「薄い酒だ」

 

「だから水みたいなもんだろ」

 

「なら水を飲め」

 

「味が違う」

 

母親が困ったように笑う。

 

「少しなら、どうぞ」

 

「ほら」

 

「一杯だけだ」

 

「分かってるって」

 

バンは木の杯を受け取る。

 

葡萄の酸味。

 

僅かな甘さ。

 

酒精は弱い。

 

畑仕事の後、喉を潤すための酒だった。

 

「うまいな」

 

「薄いだろう?」

 

少年が言う。

 

「こういうのも悪くねぇよ」

 

ザルドはチーズを一口食べる。

 

「塩が控えめだな」

 

「軍へ納める分は保存するため、もっと塩を使います」

 

母親が答える。

 

「これは家で食べる分です」

 

「こっちの方がうまい」

 

バンが言う。

 

「保存には向かないが、乳の味が残る」

 

ザルドも頷く。

 

「パンと野菜に合わせれば十分な食事になる」

 

「村の食べ物なんて、兵士の酒場より質素ですよ」

 

少年が言った。

 

「質素でもうまいもんはうまい」

 

バンはチーズをパンへ載せる。

 

「それに、こっちの方が毎日食える」

 

「昨日、兵士の酒場で騒いでいた男の言葉とは思えないな」

 

アルフィアが言う。

 

「見てたなら止めろよ」

 

「止めただろう」

 

「腕相撲一回はやったぞ」

 

「一回で終わらせた」

 

「勝ったからいいだろ」

 

少年が目を輝かせる。

 

「ラキア兵に腕相撲で勝ったんですか?」

 

「余裕だったぞ」

 

「相手が弱かっただけだ」

 

アルフィアが切り捨てる。

 

「もう少し褒めてもいいだろ」

 

「必要ない」

 

少年は少しだけ笑った。

 

先ほどまでの重い表情が、僅かに和らいでいる。

 

日が傾き。

 

そろそろ出発する時間になった。

 

少年は四人を見送りに、道まで出てきた。

 

「オラリオへ行くんですか?」

 

「ああ」

 

バンが答える。

 

「俺も、いつか見てみたいです」

 

「兵役終わったら行けばいい」

 

「生きて戻れたら」

 

冗談のように言った。

 

だが、笑ってはいない。

 

バンも笑わなかった。

 

「戻れよ」

 

「え?」

 

「兄貴も親父も、お前も。全員」

 

「そんな簡単に――」

 

「簡単じゃなくてもだ」

 

バンは少年の肩へ手を置いた。

 

「死ぬな。それだけ覚えとけ」

 

少年はしばらくバンを見た後。

 

小さく頷いた。

 

「はい」

 

三人とセラは、再び村へ続く道を歩き始めた。

 

 

       ◇

 

 

その夜。

 

四人は低い丘の陰へ野営した。

 

風を避けられ。

 

近くには小さな水場もある。

 

ザルドが夕食を作る。

 

農家から受け取った平たいパン。

 

柔らかな山羊乳のチーズ。

 

持ってきた燻製肉。

 

野草と豆の汁。

 

豪華ではない。

 

だが、畑仕事の後の身体には十分だった。

 

「今日、全然進んでなくねぇ?」

 

バンがパンを食べながら言う。

 

「予定より少し遅れただけだ」

 

ザルドが答える。

 

「明日の午後には着く」

 

「セラの足も休ませられた」

 

アルフィアが言う。

 

「なら問題ねぇな」

 

「お前は畑で酒を飲みたかっただけだろう」

 

「一杯しか飲んでねぇぞ」

 

「私が見ていたからな」

 

「見てなくても二杯くらいだ」

 

「増えている」

 

「働いた分だ」

 

セラは焚き火のそばで、包帯を巻き直していた。

 

昼より腫れは少し落ち着いている。

 

「足は?」

 

アルフィアが尋ねる。

 

「大丈夫です」

 

「本当に?」

 

「……少し痛みます」

 

「最初からそう言え」

 

「すみません」

 

「謝るな。隠すなと言った」

 

アルフィアは薬箱とは別の小袋から、湿布用の葉を取り出した。

 

水で濡らし。

 

布へ包み。

 

セラの足首へ当てる。

 

「冷たい……」

 

「腫れを抑える。眠る前に外せ」

 

「はい」

 

バンは焚き火の向こうから、静かにその様子を見ていた。

 

今度は何も言わない。

 

アルフィアが視線を上げる。

 

「何だ」

 

「また黙ってる」

 

「それを聞いている」

 

「言ったら怒るだろ」

 

「言え」

 

「やっぱ優しいなって」

 

アルフィアの指が、地面の小石へ伸びる。

 

「待て。薬の近くだぞ」

 

「投げるだけだ」

 

「それも危ねぇだろ」

 

ザルドが小石を先に拾い、遠くへ放った。

 

「子供のようなことをするな」

 

「誰に言っている」

 

「二人にだ」

 

「オレ何もしてねぇぞ」

 

「原因はお前だ」

 

セラが声を立てて笑った。

 

「すみません」

 

「何で謝んの?」

 

「皆さんを見ていると、安心してしまって」

 

笑いながら。

 

少しだけ目元を拭う。

 

「野盗に捕まった時は、薬も奪われて、もう村へ届けられないと思いました」

 

焚き火が小さく爆ぜる。

 

「私のせいで、待っている人たちが死んだらどうしようって」

 

「お前のせいではない」

 

アルフィアが即座に言った。

 

「でも――」

 

「お前は薬を運んだ。襲ったのは野盗だ。責任を混同するな」

 

「……はい」

 

「まだ届いていない。安心するのは明日だ」

 

「はい」

 

セラは、今度ははっきりと頷いた。

 

夜が深まる。

 

見張りは三人で交代する。

 

セラは焚き火から少し離れた毛布の上で眠り始めた。

 

バンは自分の背負い袋を隣へ置き、夜空を見上げる。

 

星。

 

風。

 

遠くの山羊の鳴き声。

 

「クレシューズ、今日は鳴らねぇな」

 

「毎晩話しかけるな」

 

アルフィアが隣の岩へ座っていた。

 

「起きてたのか」

 

「見張りだ」

 

「結晶も平気?」

 

「ああ。昨日の反応から変化はない」

 

「村に着いたら、また見る?」

 

「薬を届けるのが先だ」

 

「分かってる」

 

バンは背負い袋へ手を置く。

 

力は流さない。

 

触れるだけ。

 

「今日さ」

 

「何だ」

 

「畑の奴、ちゃんと帰ってくるといいな」

 

「保証はできない」

 

「分かってるよ」

 

「ラキアは兵を使い潰す」

 

アルフィアの声が冷たく落ちる。

 

「個人の命より、数を優先する。あの馬鹿は何度見ても理解しなかった」

 

「お前らが追い返した時も?」

 

「ああ」

 

「ザルドとアルフィアが軍を倒す。アレスはまた兵集めて来る?」

 

「同じだった」

 

「本当に馬鹿だな」

 

「だから言っただろう」

 

アルフィアは夜空ではなく。

 

眠っているセラの横に置かれた薬箱を見た。

 

「戦で死ぬ者だけではない」

 

「村に残った奴らも苦しむ」

 

「ああ」

 

「なら、せめて薬くらいは届けねぇとな」

 

「当然だ」

 

二人の会話は、それで終わった。

 

 

       ◇

 

 

翌日。

 

昼を少し過ぎた頃。

 

道の先に、小さな石垣が見えた。

 

山羊の群れ。

 

畑。

 

木と石で造られた家々。

 

中央からは、細い煙が上がっている。

 

大きな町ではない。

 

外壁も。

 

兵舎も。

 

立派な門もない。

 

ただ、街道脇に古い木の標識が立っていた。

 

消えかけた文字。

 

リュネ村。

 

「あそこです」

 

セラの声が震える。

 

「着いたのか」

 

バンが言う。

 

「はい」

 

セラは歩みを速めようとした。

 

右足が痛み。

 

身体が傾く。

 

ザルドが背後から肩を支えた。

 

「走るな」

 

「でも――」

 

「村は逃げん」

 

「はい」

 

村の入口。

 

一人の少女が、四人へ気づいた。

 

次に。

 

セラの姿を見つける。

 

「セラさん!」

 

声を上げ、村の奥へ走っていく。

 

「セラさんが戻った!」

 

「薬が来た!」

 

その叫びが。

 

静かな村へ、次々と広がっていった。

 

家の扉が開く。

 

老人。

 

女性。

 

子供たち。

 

村人たちが道へ集まってくる。

 

セラは薬箱を抱えていない。

 

それを持っているのは、アルフィアだ。

 

銀髪の女は、集まる村人たちを静かに見た。

 

「治療師はどこだ」

 

最初に口にしたのは、それだけだった。

 

「こちらです!」

 

年老いた女性が、一軒の家を指す。

 

「病人は三人とも中に!」

 

「案内しろ」

 

アルフィアは迷わず歩き出す。

 

ザルドがセラを支え。

 

バンが二人の後へ続く。

 

村人たちの期待と不安が。

 

四人へ集まっていた。

 

薬を待つ村へ。

 

ようやく。

 

小さな木箱が届いた。




今回は、セルバを出発し、ラキアの農村や徴兵の現実に触れながら、リュネ村へ向かう旅を描きました。

特に、畑仕事を手伝った後、バンが徴兵される少年へ「死ぬな」と告げる場面がお気に入りです。
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