強欲の旅人は神の恩恵を受けない   作:ルクエリシオン

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第57話 薬を待つ村

リュネ村の治療所は、村の中央にある小さな石造りの家だった。

 

治療所と呼ばれてはいるが、立派な設備があるわけではない。

 

寝台が四つ。

 

薬草を乾燥させる棚。

 

湯を沸かす炉。

 

包帯や木の器を収めた戸棚。

 

窓は二つしかなく、室内には薬草と汗の匂いが混ざっていた。

 

「薬が届いたよ!」

 

セラが扉を開ける。

 

奥から、年老いた女が駆け寄ってきた。

 

背は低く。

 

灰色の髪を後ろで束ね。

 

腰には、いくつもの薬草袋を吊るしている。

 

「セラ……!」

 

「遅くなって、ごめんなさい」

 

「無事だったのかい」

 

「野盗に捕まって……でも、この人たちが助けてくれたの」

 

老女の視線が。

 

バン。

 

ザルド。

 

アルフィアへ移る。

 

最後に。

 

アルフィアが抱えている薬箱へ止まった。

 

「残っている薬は、これだけだ」

 

アルフィアが箱を差し出す。

 

「瓶が二本割れている。残りは確認した」

 

老女は震える手で箱を受け取った。

 

「十分だよ。これだけ残っていれば……」

 

「十分かどうかは、病人を見てから決める」

 

「え?」

 

「治療師はお前か」

 

「ああ。マラという」

 

「患者は三人と聞いた」

 

「奥だ」

 

「案内しろ」

 

アルフィアは挨拶もそこそこに、治療所の奥へ進んだ。

 

マラが慌てて後を追う。

 

バンはザルドを見る。

 

「いつも以上に早ぇな」

 

「薬を待っていた者がいる」

 

「分かってるけどよ」

 

「邪魔をするな」

 

先を歩くアルフィアの声が飛んできた。

 

「聞こえてんのかよ」

 

「お前の声が大きい」

 

「普通だろ」

 

「雑音だ」

 

バンは肩を竦め。

 

ザルドとセラとともに奥へ入った。

 

 

       ◇

 

 

窓際の寝台には、二人の子供が横になっていた。

 

兄は十歳ほど。

 

妹は七歳ほどだろう。

 

二人とも頬が赤く。

 

額には汗が滲み。

 

浅い呼吸を繰り返している。

 

兄の方は意識があり、入ってきた者たちへ弱々しく目を向けた。

 

妹は眠ったまま。

 

時折。

 

苦しそうに眉を寄せていた。

 

「いつから熱がある」

 

アルフィアが尋ねる。

 

「兄のルイは十一日前。妹のミナは九日前だ」

 

マラが答える。

 

「最初は喉の痛みと咳だけだった。三日ほどで熱が上がった」

 

「食事は」

 

「薄い粥を少し。ミナは昨日から、ほとんど口にしていない」

 

「水は」

 

「飲ませている」

 

「量は」

 

「木杯で、一日に四、五杯ほど」

 

アルフィアの眉が寄る。

 

「少ない」

 

「吐くことがあるんだよ」

 

「一度に飲ませるからだ。少量を何度も与えろ」

 

アルフィアはミナの寝台へ近づく。

 

額へ手を置き。

 

次に首筋。

 

呼吸の音を聞くため、顔を僅かに近づけた。

 

「胸の音は重くない」

 

「肺へ入ってはいないのかい?」

 

「今のところはな」

 

続いて。

 

乾いた唇。

 

爪。

 

目元。

 

汗の量。

 

一つずつ確認していく。

 

「水分が足りない。薬を飲ませる前に、塩を少し入れた薄い汁を与えろ」

 

「塩を?」

 

「水だけより身体へ残る。濃くするな。吐かせれば意味がない」

 

「分かった」

 

「解熱薬は半量からだ」

 

マラが薬箱の札を見る。

 

「でも、町の薬師は一包を――」

 

「この子には多い」

 

アルフィアはミナの細い腕を見た。

 

「身体が小さい。空腹のまま全量を入れれば、胃が受けつけない可能性がある」

 

「薬師より詳しいのかい?」

 

マラが尋ねる。

 

アルフィアの指が、ほんの僅かに止まった。

 

「飲み慣れているだけだ」

 

「え?」

 

「何でもない」

 

アルフィアは薬包を半分に分ける。

 

粉がこぼれないよう。

 

紙を折り直し。

 

木杯の横へ置いた。

 

「先に汁を少し。吐かなければ薬を飲ませろ。熱が下がっても、すぐ立たせるな」

 

「分かったよ」

 

次に、兄のルイ。

 

こちらは熱が少し低い。

 

だが、喉の痛みが強く。

 

水を飲むたびに顔を歪めている。

 

「口を開けろ」

 

アルフィアが言う。

 

ルイは怯えたように母親を見る。

 

寝台の横にいた若い女が、少年の肩へ手を置いた。

 

「大丈夫よ」

 

「このお姉ちゃん、怖い」

 

「聞こえている」

 

アルフィアの目が細くなる。

 

ルイはさらに母親の方へ寄った。

 

バンが後ろから口を挟む。

 

「怖ぇけど、悪い奴じゃねぇぞ」

 

「余計なことを言うな」

 

「安心させてんだよ」

 

「逆効果だ」

 

「ほら、口開けてみろ」

 

バンが自分の口を大きく開く。

 

「あー」

 

「お前がする必要はない」

 

「見本だ」

 

ルイが、小さく笑った。

 

そのまま。

 

少しだけ口を開ける。

 

アルフィアが喉の奥を確認する。

 

「腫れている。咳止めより、先に痛みを抑えろ」

 

「咳の薬は要らないのかい?」

 

「夜、眠れないほどなら使う。日中は必要以上に抑えるな」

 

「どうして?」

 

「異物を外へ出すための咳まで止める」

 

マラが何度も頷く。

 

「分かった。記録するよ」

 

「それと、この部屋は暑すぎる」

 

アルフィアが窓を見る。

 

閉め切られた室内。

 

炉では湯が沸き続け。

 

湿った熱が籠もっている。

 

「でも、身体を冷やしてはいけないだろう?」

 

「冷たい風を直接当てるな。だが、空気は入れ替えろ」

 

アルフィアが窓を少し開ける。

 

村の外から、柔らかな風が入ってきた。

 

薬草と汗の濃い匂いが、ゆっくりと薄まっていく。

 

「冷えすぎれば閉めろ。極端にするな」

 

「……あんた、本当に冒険者なのかい?」

 

「今は違う」

 

「治療師でもない?」

 

「違う」

 

「それで、どうして――」

 

「マラ」

 

アルフィアの声が僅かに低くなる。

 

「聞く暇があるなら手を動かせ」

 

「あ、ああ」

 

マラはすぐに薬を準備し始めた。

 

バンは何も言わず。

 

アルフィアの横顔を見ていた。

 

 

       ◇

 

 

三人目の患者は。

 

治療所の一番奥にいた。

 

名はガルド。

 

六十を過ぎた老人で。

 

長く肺を患っているという。

 

痩せた身体。

 

落ちくぼんだ頬。

 

呼吸をするたび、胸の奥から湿った音が聞こえる。

 

寝台へ横になることができず。

 

背へ毛布を重ね、上半身を起こした姿勢で座っていた。

 

「薬が来たのか」

 

老人が掠れた声で尋ねる。

 

「ああ」

 

マラが答える。

 

「セラが戻ってきてくれたよ」

 

「遅かったな」

 

「ごめんなさい」

 

セラが老人のそばへ膝をつく。

 

「謝るな」

 

ガルドは短く笑い。

 

すぐに激しく咳き込んだ。

 

身体が折れる。

 

胸を押さえ。

 

息を吸おうとしても、うまく入らない。

 

アルフィアがすぐに前へ出た。

 

「無理に深く吸うな」

 

老人の肩を支え。

 

少し前へ傾ける。

 

「吐け」

 

「ぐっ……」

 

「先に吐き切れ。吸おうとするな」

 

ガルドは何度か浅く息を吐く。

 

呼吸の音が少しずつ整う。

 

「そうだ。そのまま」

 

アルフィアは背中へ耳を近づけた。

 

右。

 

左。

 

呼吸の音を聞き分ける。

 

「片側だけではない。長く続いているな」

 

「もう何年もだ」

 

「血は出るか」

 

「たまにな」

 

「量は」

 

「少し」

 

「最近増えたか」

 

「昨日、一度だけ多かった」

 

マラが答える。

 

アルフィアの瞳が細くなる。

 

「咳止めは、夜だけにしろ」

 

「薬を飲めば治るんだろう?」

 

セラが尋ねる。

 

アルフィアはすぐに答えなかった。

 

薬箱。

 

老人。

 

マラ。

 

集まった村人たち。

 

全員の期待が、自分へ向いている。

 

「治るとは言えない」

 

冷静な声だった。

 

「この薬は苦しさを和らげる。眠れる時間を増やす。だが、長く患った肺を元へ戻すものではない」

 

セラの表情が曇る。

 

「そんな……」

 

「嘘を言っても病は消えない」

 

アルフィアは薬瓶を一本取る。

 

「それでも、使う意味はある」

 

ガルドへ視線を向ける。

 

「眠れず。食えず。身体がさらに弱れば、今より悪くなる」

 

「なら飲むさ」

 

老人が笑う。

 

「少しでも楽になるなら、十分だ」

 

「勝手に量を増やすな」

 

「年寄り扱いするな」

 

「病人扱いだ」

 

「厳しい姉ちゃんだな」

 

「お前が従わない顔をしている」

 

「顔で分かるのか」

 

「分かる」

 

バンが小さく笑う。

 

「アルフィアは、そういうの得意だぞ」

 

「お前は黙れ」

 

「ほらな」

 

「雑音を増やすな」

 

ガルドの口元が僅かに上がった。

 

「賑やかな連中だ」

 

アルフィアは薬瓶をマラへ渡す。

 

「最初は一番少ない量だ。効かないからとすぐ追加するな。呼吸が浅くなりすぎれば止めろ」

 

「分かった」

 

「寝かせる時も、上半身は起こしたままにしろ」

 

「ああ」

 

「湯気を吸わせるなら熱くしすぎるな。咳き込んだ時に倒れないよう、誰か一人は近くにいろ」

 

マラはすべて木札へ書き込んでいく。

 

「こんな辺境まで薬を運んでもらえたことだけでも、ありがたいよ」

 

「礼はセラへ言え」

 

アルフィアが答えた。

 

「私たちは途中から運んだだけだ」

 

「それでもだ」

 

ガルドはアルフィアを見た。

 

「病人の扱いに慣れているな」

 

「……」

 

「自分も長く病んでいるのか?」

 

治療所の空気が、静かになった。

 

バンの目がガルドへ向く。

 

ザルドは何も言わない。

 

アルフィアの銀色の瞳は。

 

老人を真っ直ぐに見ていた。

 

「余計なことを聞くな」

 

それだけだった。

 

「そうか」

 

ガルドも、それ以上は聞かなかった。

 

「なら、薬を飲むとしよう。あんたに怒鳴られたくない」

 

「怒鳴っていない」

 

「十分怖いぞ」

 

「聞こえている」

 

老人がまた笑い。

 

今度は、先ほどより弱い咳だけで済んだ。

 

 

       ◇

 

 

薬を飲ませた後も。

 

三人はすぐに治療所を出なかった。

 

ミナが汁を吐かないか。

 

ルイの喉の痛みが少しでも和らぐか。

 

ガルドの呼吸が薬で不自然に浅くならないか。

 

アルフィアは一つずつ確認した。

 

奇跡は起きない。

 

薬を飲んだからといって。

 

熱が一瞬で消えるわけではない。

 

荒かった呼吸が。

 

突然、健康なものへ戻るわけでもない。

 

それでも。

 

夕方になる頃。

 

ミナは木杯の汁を、少しずつ飲めるようになった。

 

「もう一口」

 

母親が杯を近づける。

 

ミナが顔を背ける。

 

「嫌……」

 

「飲まないと」

 

「無理に入れるな」

 

アルフィアが止める。

 

「少し休ませろ」

 

「でも、さっき一口しか」

 

「一口飲めた。次は少し後でいい」

 

母親が頷く。

 

ミナは薄く目を開け。

 

アルフィアを見る。

 

「銀色……」

 

「何だ」

 

「髪、きれい」

 

一瞬。

 

アルフィアの表情が止まった。

 

バンの口元が上がる。

 

だが。

 

何も言わない。

 

アルフィアはミナの額へ新しい布を載せた。

 

「喋る力があるなら、もう一口飲め」

 

「今は休ませるんじゃないの?」

 

「気が変わった」

 

「厳しい……」

 

「飲め」

 

ミナは小さく笑い。

 

木杯へ口をつけた。

 

隣の寝台。

 

ルイは、痛みを抑える薬が効いたのか、少しだけパンを食べられるようになっていた。

 

「固い……」

 

「汁へ浸せ」

 

ザルドが言う。

 

治療所の台所を借り。

 

豆と根菜の薄い汁を作っていた。

 

油は控えめ。

 

香草も少ない。

 

病人が飲み込みやすいよう、野菜は柔らかくなるまで煮込んでいる。

 

「ザルドさんは、治療師なんですか?」

 

ルイの母親が尋ねる。

 

「料理をしているだけだ」

 

「でも、病人の食事まで」

 

「胃へ負担を掛けず、食えるものを作る。難しいことではない」

 

「俺が作ったら肉入れすぎるな」

 

バンが言う。

 

「お前には作らせん」

 

「少しくらい肉あった方が元気出るだろ」

 

「今は消化できない」

 

「じゃあ、治ったら山羊肉だな」

 

ルイが弱々しく笑う。

 

「焼いたやつ?」

 

「ああ。でっかいの食わせてやる」

 

「本当に?」

 

「治ったらな」

 

「バン」

 

アルフィアの声が飛ぶ。

 

「治ると勝手に決めるな」

 

バンは一瞬黙る。

 

ルイの母親も、不安そうな顔をした。

 

「でも」

 

バンは少年を見る。

 

「食いたいもん考えるくらい、いいだろ」

 

アルフィアは何も答えない。

 

ルイはゆっくり頷いた。

 

「山羊肉、食べたい」

 

「じゃあ、まず汁飲め」

 

「うん」

 

ザルドが木の匙を渡す。

 

少年は少しずつ。

 

温かい汁を口へ運んだ。

 

 

       ◇

 

 

治療所の外では。

 

村人たちが、四人のために夕食を用意していた。

 

長い木机。

 

簡素な椅子。

 

大鍋。

 

大きな平たいパン。

 

山羊乳のチーズ。

 

豆と根菜の煮込み。

 

香草を詰めた焼き玉葱。

 

少量の塩漬け肉。

 

葡萄を搾った果汁。

 

そして。

 

薄い赤葡萄酒。

 

「酒あるぞ」

 

治療所を出たバンの目が、真っ先に木樽へ向いた。

 

「見れば分かる」

 

アルフィアが言う。

 

「村の人が用意してくれたんだ。飲まねぇと失礼だろ」

 

「便利な言い訳だな」

 

「今日は働いたぞ」

 

「薬を運んだのは私だ」

 

「オレは荷物守ってた」

 

「背負っていただけだ」

 

「大事な仕事だろ」

 

村長らしい老人が、四人へ頭を下げた。

 

「大したものは出せんが、せめて食べていってくれ」

 

「十分だ」

 

ザルドが答える。

 

「病人の分は残してあるか」

 

「もちろんだ」

 

「なら貰う」

 

四人とセラ。

 

マラ。

 

村人たちも机へ集まる。

 

徴兵や遠征で男手を失った村は。

 

賑やかとは言えなかった。

 

それでも。

 

薬が届いた夜。

 

久しぶりに。

 

人々の顔には、僅かな安堵が浮かんでいる。

 

豆と根菜の煮込みは。

 

軍の配給食より薄味だった。

 

肉も少ない。

 

だが。

 

山羊の骨から取った出汁と。

 

玉葱の甘さ。

 

乾燥させた香草の香りが、しっかりと残っている。

 

「うまいな」

 

バンが言う。

 

「本当に?」

 

鍋を作った中年の女が尋ねる。

 

「ああ。兵士の飯よりずっとうまい」

 

「比べる相手が悪い」

 

アルフィアが言った。

 

「褒めてんだぞ」

 

「余計な一言を加えるな」

 

ザルドは煮込みを一口食べる。

 

「山羊の骨を焼いてから煮たのか」

 

「分かるのかい?」

 

「ああ。香りが違う」

 

「肉を軍へ納めた後、骨が残るからね。捨てるのは惜しいだろう?」

 

「正しい使い方だ」

 

ザルドは焼き玉葱も味わう。

 

「中に詰めたものは?」

 

「豆とチーズ、それから乾燥した葡萄だよ」

 

「甘味が入っているのか」

 

「肉が少なくても、腹へ溜まるようにね」

 

ザルドと女は。

 

すぐに調理法の話を始めた。

 

「また始まったな」

 

バンが言う。

 

「お前も聞け」

 

ザルドが返す。

 

「食う方が忙しい」

 

「だから覚えない」

 

「一緒にいりゃ作ってくれるだろ」

 

「いつまでも俺がいるとは限らん」

 

「昨日も聞いたぞ、それ」

 

「なら覚えろ」

 

バンはパンを煮込みへ浸しながら。

 

少しだけ笑った。

 

「今度な」

 

「今度では遅い」

 

「じゃあ、オラリオ着いたら」

 

「逃げるなよ」

 

「料理からは逃げねぇよ」

 

「酒へ逃げる」

 

「それは逃げるって言わねぇだろ」

 

村人から、小さな笑いが起きる。

 

アルフィアは。

 

薄い葡萄果汁を飲みながら。

 

治療所の窓を見ていた。

 

「気になるなら、戻るか?」

 

バンが尋ねる。

 

「何がだ」

 

「子供たち」

 

「薬を飲ませた直後に何度も見ても変わらない」

 

「でも見てんじゃねぇか」

 

「窓が視界に入るだけだ」

 

「そういうことにしとくか」

 

アルフィアの指が、机の上の木の実へ伸びる。

 

「投げる?」

 

「食べる」

 

「残念」

 

「なぜ残念なんだ」

 

「避けようと思ってた」

 

「病人の近くで騒ぐな」

 

「分かってるよ」

 

バンは赤葡萄酒の杯を手に取る。

 

一口。

 

酒精は弱い。

 

酸味も強い。

 

だが。

 

畑で作られ。

 

村人が自分たちで飲むために残した酒だった。

 

「セルバの酒より、こっちの方が好きかもな」

 

「安い舌だ」

 

アルフィアが言う。

 

「値段じゃねぇよ」

 

「なら何だ」

 

「飲んでる場所?」

 

バンは机を囲む村人たちを見る。

 

「こういう酒は、ここで飲むからうまいんだろ」

 

アルフィアは杯へ視線を落とした。

 

「珍しく、まともなことを言うな」

 

「今、褒めた?」

 

「気のせいだ」

 

「もう一回言ってくれ」

 

「雑音だ」

 

バンが笑い。

 

村の夕食は、静かに続いた。

 

 

       ◇

 

 

夜。

 

村人たちは、使われていない家を四人へ貸してくれた。

 

石壁。

 

小さな炉。

 

寝台は二つしかない。

 

バンは床でいいと言い。

 

ザルドも壁際へ毛布を敷いた。

 

クレシューズと名もない結晶は。

 

部屋の端へ離して置かれている。

 

変化はない。

 

金属音も。

 

銀色の光の明滅も起きなかった。

 

「静かだな」

 

バンが言う。

 

「薬の方が気になっているのかもしれん」

 

ザルドが答える。

 

「武器が?」

 

「お前が気にしているという意味だ」

 

「ああ」

 

アルフィアは。

 

まだ部屋へ戻っていなかった。

 

「様子を見てくる」

 

そう言って。

 

治療所へ向かったままだ。

 

「長ぇな」

 

「放っておけ」

 

ザルドが目を閉じる。

 

「でも」

 

「バン」

 

「何だよ」

 

「行くなら静かに行け」

 

「寝るんじゃねぇのか」

 

「お前が動けば眠れん」

 

「行っていいの?」

 

「許可を求めるような男か」

 

「それもそうだな」

 

バンは立ち上がり。

 

赤いコートを羽織った。

 

 

       ◇

 

 

治療所の中は。

 

昼より静かだった。

 

マラは椅子で眠っている。

 

子供たちの母親も。

 

寝台の横へ座ったまま、船を漕いでいた。

 

ガルドは薬が効いたのか。

 

上半身を起こした姿勢のまま。

 

浅い眠りへ入っている。

 

咳の回数は減っていた。

 

ミナの熱は、まだ高い。

 

それでも。

 

呼吸は昼より少し落ち着いている。

 

アルフィアは。

 

二つの寝台の間に立っていた。

 

何もせず。

 

ただ。

 

子供たちの呼吸へ耳を澄ませている。

 

「寝ねぇの?」

 

バンが小声で尋ねる。

 

「声が大きい」

 

「小さくしたぞ」

 

「もっと落とせ」

 

バンは足音を立てずに近づく。

 

「どう?」

 

「熱はまだある」

 

「薬、効いてねぇ?」

 

「急ぐな」

 

アルフィアはミナの額へ触れる。

 

「最初より僅かに下がっている。吐いてもいない」

 

「じゃあ大丈夫か」

 

「まだ分からない」

 

「そっか」

 

バンは壁へ背を預けた。

 

「お前、詳しいな」

 

「昼にも聞いただろ」

 

「飲み慣れてるから?」

 

「ああ」

 

「ずっと?」

 

アルフィアの視線が。

 

バンへ向く。

 

冷たい。

 

だが。

 

追い払うほどではない。

 

「長い」

 

短い答えだった。

 

「薬で治るの?」

 

「治らない」

 

バンは何も言わない。

 

アルフィアは子供たちへ視線を戻す。

 

「症状を抑えるだけだ」

 

「ガルドと同じ?」

 

「同じではない」

 

「でも、治らねぇんだろ」

 

「ああ」

 

静かな治療所。

 

小さな寝息。

 

炉の中で薪が崩れる音。

 

バンは。

 

いつものように笑わなかった。

 

「怖くねぇの?」

 

「何がだ」

 

「病気」

 

「今さら恐れるものではない」

 

「慣れんのか」

 

「慣れるしかない」

 

アルフィアの声は変わらない。

 

強く。

 

冷たく。

 

迷いもない。

 

それでも。

 

ミナの小さな手が。

 

毛布の上から、アルフィアの指へ触れた時。

 

彼女は手を引かなかった。

 

眠ったままの少女が。

 

弱い力で。

 

指先を握っている。

 

「銀色のお姉ちゃん……」

 

寝言のような声。

 

「水……」

 

アルフィアは片手で木杯を取る。

 

少女の身体を少しだけ起こし。

 

一口ずつ飲ませた。

 

「急ぐな」

 

ミナが飲み込むのを待つ。

 

「もう一口だ」

 

少女は従い。

 

少量の水を飲んだ。

 

再び寝台へ横になる。

 

指はまだ。

 

アルフィアの手を離していない。

 

バンが静かに見る。

 

「何だ」

 

「何も言ってねぇよ」

 

「顔が喋っている」

 

「優しいなって」

 

「雑音だ」

 

だが。

 

声は小さかった。

 

ミナを起こさないための。

 

囁くような声だった。

 

バンは少し笑う。

 

「お前も、無茶すんなよ」

 

「私に言うな」

 

「お前に言ってんだよ」

 

「不要だ」

 

「聞くだけ聞いとけ」

 

「お前が言える立場か」

 

「オレは頑丈だからな」

 

「一人で遺跡へ行き、右腕を壊し、神器まで傷つけた男が何を言う」

 

「まだ怒ってんの?」

 

「忘れると思ったか」

 

「一生言われそうだな」

 

「当然だ」

 

バンは小さく息を吐く。

 

「なら、お互い様だな」

 

「何がだ」

 

「オレが無茶したら、お前が怒る。お前が無茶したら、オレが怒る」

 

「勝手に決めるな」

 

「もう決めた」

 

「愚か者が」

 

「知ってる」

 

二人の声は。

 

治療所の静けさへ溶けていった。

 

 

       ◇

 

 

翌朝。

 

ミナの熱は。

 

完全には下がっていなかった。

 

だが。

 

前日より明らかに低い。

 

自分から水を欲しがり。

 

柔らかく煮た粥を、数口だけ食べることができた。

 

ルイも喉の痛みが少し和らぎ。

 

妹へ冗談を言う程度の元気を取り戻している。

 

ガルドは。

 

夜中に一度咳き込んだものの。

 

久しぶりに数時間続けて眠れたという。

 

「治ったわけではない」

 

アルフィアは村人たちへ念を押す。

 

「薬を切らすな。決めた量を守れ。熱が再び上がれば身体を冷やしすぎず、水分を与えろ」

 

「分かったよ」

 

マラが頷く。

 

「全部、記録した」

 

「老人の呼吸が急に浅くなれば、咳止めを止めろ」

 

「ああ」

 

「子供たちを外へ出すな」

 

「分かっている」

 

「本当に?」

 

「何度確認するんだい」

 

「お前たちは、少し良くなるとすぐ動かす顔をしている」

 

マラが苦笑する。

 

「顔で何でも分かるんだね」

 

「分かる」

 

ガルドが寝台から声を上げる。

 

「厳しい姉ちゃんの言うことを聞いておけ」

 

「お前もだ」

 

「もう薬は飲んだぞ」

 

「朝食は」

 

「これからだ」

 

「先に食え」

 

「命令ばかりだな」

 

「従わないからだ」

 

村人たちの間に。

 

小さな笑いが広がった。

 

薬は届いた。

 

病は消えていない。

 

この先、再び悪くなる可能性もある。

 

それでも。

 

昨夜までより。

 

確かに。

 

生きるための時間が増えていた。

 

セラは薬箱の残りをマラへ渡し。

 

深く頭を下げる。

 

「遅くなって、ごめんなさい」

 

「戻ってきてくれた。それで十分だよ」

 

マラはセラを抱きしめた。

 

「よく運んでくれた」

 

セラの目から。

 

ようやく。

 

抑えていた涙が落ちた。

 

バンは赤いコートのポケットへ手を入れ。

 

ザルドは静かに見守る。

 

アルフィアは。

 

視線を逸らしたまま。

 

「泣く暇があるなら、足を休めろ」

 

いつもどおり。

 

冷たい言葉を口にした。

 

だが。

 

その手には。

 

セラの足首へ巻き直すための。

 

新しい包帯が握られていた。




今回は、薬がリュネ村へ届き、病人たちの治療が始まる様子を描きました。薬ですべてが奇跡的に治るのではなく、苦しさを和らげ、生きるための時間をつなぐものとして描いています。

特に、眠ったミナがアルフィアの指を握り、アルフィアがその手を引かなかった場面がお気に入りです。
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