強欲の旅人は神の恩恵を受けない   作:ルクエリシオン

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第10部 迷宮都市への帰還
第59話 オラリオへ続く街道


ラキアの関所を離れてから、二日目の朝。

 

三人が歩いていた道は、いつの間にか大きく姿を変えていた。

 

昨日まで続いていた軍用街道は、真っ直ぐで、無駄がなく、兵士と物資を一刻でも早く運ぶためだけに造られたような道だった。

 

だが今、三人の前に延びているのは、何本もの道が重なり合う幅広い街道だ。

 

荷車が三台並んでも余裕がある。

 

両脇には旅人向けの標識。

 

石造りの道標。

 

屋根のある休憩所。

 

進行方向を示す看板には、いくつもの地名とともに、大きく一つの名が刻まれていた。

 

迷宮都市オラリオ。

 

「人が増えたな」

 

バンが言った。

 

周囲を歩いているのは、商人や農民だけではない。

 

武器を背負った若者。

 

革鎧を着た傭兵。

 

大きな箱を荷車へ積んだ鍛冶師。

 

薬草袋を抱えた小人族。

 

故郷から持ってきたらしい荷物を背負い、不安そうに辺りを見回す獣人の家族。

 

行き先は、ほとんど同じだった。

 

「この道はオラリオへ向かう街道と合流している」

 

ザルドが答える。

 

「これから先は、近づくほど人が増える」

 

「全員、ダンジョン目当てか?」

 

「全員ではない」

 

「商人、鍛冶師、薬師、職人。冒険者を相手に商売をする者も多い」

 

アルフィアが言った。

 

「ダンジョンへ入らなくても、あの都市には金が集まる」

 

「金が集まるところには、酒も集まんのか?」

 

「お前の頭にはそれしかないのか」

 

「飯もある」

 

「訂正する。食欲しかないのか」

 

「クレシューズを直すことも考えてるぞ」

 

バンは背中の荷物へ軽く触れた。

 

布と革で何重にも包まれた、傷ついた神器。

 

別の仕切りには、黒紫色の中へ銀の光を宿す結晶。

 

どちらも、今は静かなままだ。

 

「触るな」

 

アルフィアがすぐに言う。

 

「触っただけだろ」

 

「歩きながら確認する必要はない」

 

「元気か聞いただけだ」

 

「返事をするのか」

 

「たまにな」

 

アルフィアの視線が背負い袋へ向く。

 

金属音は鳴っていない。

 

銀色の光も漏れていない。

 

問題がないことを確認すると、彼女は前へ視線を戻した。

 

「オラリオへ着くまで余計なことをするな」

 

「余計なことって?」

 

「一人で遺跡へ行く」

 

「もう行かねぇよ」

 

「正体不明の結晶へ《贈与》を使おうとする」

 

「止められただろ」

 

「軍用物資の酒樽を眺める」

 

「眺めただけだ」

 

「農家で酒を貰う」

 

「働いた礼だ」

 

「酒場で兵士と腕相撲をする」

 

「勝ったぞ」

 

「結果を聞いていない」

 

「全部覚えてんだな」

 

「忘れる理由がない」

 

バンがザルドを見る。

 

「助けてくれよ」

 

「アルフィアの言っていることは正しい」

 

「どっちの味方だよ」

 

「道理の側だ」

 

「つまんねぇ男だな」

 

「なら食事は自分で作れ」

 

「ザルドの味方です」

 

「切り替えが早いな」

 

アルフィアが呆れた声を漏らした。

 

 

       ◇

 

 

昼前。

 

三人は街道脇の石碑の前で、足を止めた。

 

複数の街道が交わる分岐点。

 

中央には、長い年月で角の丸くなった石柱が立っている。

 

東。

 

南。

 

北。

 

そして西の先に、オラリオ。

 

石柱の根元には、旅人たちが腰を下ろしていた。

 

その中でも、ひときわ賑やかな一団がいる。

 

年齢は、バンから見れば全員若い。

 

十代後半ほどの男が二人。

 

同じくらいの年頃の女が一人。

 

一人は使い込まれていない剣を腰へ下げ。

 

一人は木製の柄を持つ槍を背負い。

 

女は、膨らんだ荷袋と短い弓を持っていた。

 

「だから、最初は探索系のファミリアを探すべきだって」

 

剣を持った青年が言う。

 

「ダンジョン攻略を主にしてるところへ入れば、強い冒険者に鍛えてもらえる」

 

「入れてもらえれば、でしょ」

 

弓を背負った少女が返した。

 

「大丈夫だ。俺なら一年でLv.2になる」

 

「オラリオの冒険者でも、そんなに早く上がる人はいないって聞いたけど」

 

「俺は普通じゃない」

 

「村で猪を追い払っただけじゃない」

 

「あれは大きかっただろ!」

 

「豚小屋から逃げただけだよ」

 

「牙があった!」

 

「猪だからね」

 

槍を背負った青年は、黙って干し肉を齧っている。

 

その視線が、近づいてくる三人へ向いた。

 

最初にザルドを見る。

 

次にアルフィア。

 

最後に、赤い長衣を着たバン。

 

口へ入れていた干し肉が止まった。

 

「でか……」

 

小さく漏れた声。

 

ザルドは気にせず、石柱の方角を確認する。

 

バンは若者たちの前で足を止めた。

 

「お前らもオラリオ行くのか?」

 

「そうです」

 

弓の少女が答える。

 

「ファミリアへ入って、冒険者になるために」

 

「まだ冒険者じゃねぇのか」

 

「オラリオで神様を探して、恩恵を頂いて、ギルドへ登録するつもりです」

 

「ふぅん」

 

バンは剣を持った青年の武器を見る。

 

鞘は新しい。

 

柄にもほとんど汚れがない。

 

「それ、使ったことあんのか?」

 

「当然だ」

 

「何を斬ったんだ?」

 

「猪だ」

 

「追い払っただけでしょ」

 

少女が言う。

 

「少しは斬った!」

 

「お尻の毛をね」

 

「黙れ、リナ!」

 

リナと呼ばれた少女が笑う。

 

剣の青年は顔を赤くし、バンへ向き直った。

 

「俺はカイル。剣士になる」

 

「探索系へ入れば、全員が剣士になるのか?」

 

アルフィアが言った。

 

「え?」

 

「武器だけで所属先を決めるな」

 

アルフィアの銀色の瞳が、剣、槍、弓を順番に見る。

 

「ファミリアには、ダンジョン攻略を担う探索系だけでなく、武器や建物を作る製作系、物流や食料を支える商業・生産系、薬と治療を扱う医療系、都市の管理や治安維持を担う派閥もある」

 

「そんなに違うんですか?」

 

リナが尋ねる。

 

「神が何を司り、眷族が何を目的とするかで活動は変わる」

 

「探索系でも、どこへ入っても同じではない」

 

ザルドも続ける。

 

「遠征を重視する派閥もあれば、新人の育成へ力を入れる派閥もある。剣を持っているという理由だけで決めるな」

 

「でも、俺はダンジョンへ潜りたいんです」

 

カイルが言う。

 

「なら探索系を中心に探せばいい」

 

ザルドは答えた。

 

「ただし、強そうに見えるというだけで選ぶな。主神と団員の方針を確かめろ」

 

「はい」

 

バンがカイルの剣を見る。

 

「それで、猪以外に何斬った?」

 

「今、その話に戻ります?」

 

「気になってたからな」

 

「バン」

 

ザルドが低い声で呼ぶ。

 

「夢を潰すな」

 

「潰してねぇよ。聞いてるだけだ」

 

「十分潰している」

 

アルフィアが言った。

 

「お前ら厳しくねぇ?」

 

「お前が言うな」

 

カイルは不満そうにバンを見た。

 

「あなたも冒険者なんだろ」

 

「違うぞ」

 

「でも、武器を背負ってる」

 

「旅人だ」

 

「その二人は?」

 

カイルの視線がザルドとアルフィアへ向く。

 

二人の装備。

 

歩き方。

 

立っているだけで伝わる圧。

 

若者でも、ただ者ではないことくらいは分かる。

 

「同行者」

 

バンが答える。

 

「仲間だろ」

 

槍を背負った青年が初めて口を開いた。

 

「何でそう思った?」

 

「歩幅を合わせてる」

 

静かな男だった。

 

ザルドを見る。

 

「大きい人は、二人に合わせて歩いてる。銀髪の人も、前に出すぎない。赤い人が何度も荷物を触ると、すぐ確認してる」

 

「よく見ているな」

 

ザルドが言う。

 

槍の青年は少し驚いたあと、頭を下げた。

 

「テオです」

 

「ザルドだ」

 

「アルフィア」

 

「バン」

 

カイルがザルドの名を聞き、首を傾げた。

 

まだオラリオの人物に詳しくないらしい。

 

「三人もオラリオで冒険者に?」

 

「戻るだけだ」

 

ザルドが答える。

 

「戻る?」

 

「俺とアルフィアは、あの都市の冒険者だ」

 

「やっぱり!」

 

カイルの顔が輝く。

 

「どのファミリアですか?」

 

「着けば分かる」

 

アルフィアが切り捨てた。

 

声の冷たさに、カイルの背筋が伸びる。

 

「す、すみません」

 

「謝る必要はない。だが、他人の所属を不用意に聞くな」

 

「どうして?」

 

リナが尋ねる。

 

「派閥同士が友好的とは限らない。所属を聞くことは、相手の立場と敵を聞くことでもある」

 

「なるほど……」

 

「都市へ着く前に覚えておけ」

 

「はい」

 

アルフィアの短い忠告に、三人の若者は素直に頷いた。

 

バンがアルフィアを見る。

 

「ちゃんと教えられるじゃねぇか」

 

「何だ」

 

「新人に優しいなって」

 

「忠告しただけだ」

 

「オレの時より優しくねぇか?」

 

「お前は忠告を聞かない」

 

「聞いてるぞ」

 

「従わない」

 

「そこは別だろ」

 

「同じだ」

 

リナが小さく笑った。

 

 

       ◇

 

 

若者たちは、近くの村からオラリオを目指していた。

 

カイル。

 

リナ。

 

テオ。

 

三人とも幼い頃からの知り合いで、村の外から来た冒険者の話を聞き、迷宮都市へ行くことを決めたという。

 

「ダンジョンへ潜れば、大金を稼げるんだろ?」

 

歩きながら、カイルが尋ねた。

 

「魔石と素材を持ち帰ればな」

 

ザルドが答える。

 

「金貨や宝が落ちているわけではないんですか?」

 

「ダンジョンは宝探しをする場所ではない」

 

アルフィアが言った。

 

「倒したモンスターから得られる魔石と、牙、爪、皮、骨といった素材を地上へ持ち帰る」

 

「珍しい個体なら、通常は残らない部位がドロップアイテムとして残ることもある」

 

ザルドが続ける。

 

「それを売って金にする」

 

「どこで売るんですか?」

 

リナが尋ねた。

 

「ギルド本部の交換所だ」

 

「ダンジョンから地上へ戻った後、魔石や素材を窓口へ出せば、その場で査定される」

 

「手数料は引かれるが、最も確実だ」

 

「深い階層の魔石ほど高い?」

 

「ああ。基本的には、強いモンスターから得た魔石ほど価値も高い」

 

カイルの顔が明るくなる。

 

「じゃあ、最初から深いところへ行けば――」

 

「死ぬ」

 

アルフィアが即答した。

 

「まだ最後まで言ってません」

 

「最後まで聞く価値がない」

 

「でも、高い素材を一つ持ち帰れば、一気に稼げるんですよね?」

 

「持ち帰れればな」

 

ザルドが言う。

 

「魔石や素材は、ギルドへ売らずに持ち帰ってもいい」

 

「いいんですか?」

 

「取得した物は、基本的に見つけた冒険者の所有物だ。武具の材料として鍛冶師へ渡す者もいる。特定の素材を欲しがる鍛冶師や薬師へ、直接売ることもできる」

 

「そっちの方が高く売れる?」

 

「場合による」

 

「なら、絶対そっちがいいじゃないですか」

 

「新人が相場も知らず、見知らぬ相手と直接取引をすれば騙される」

 

アルフィアが冷たく言った。

 

「最初はギルドを使え。金に目が眩んで余計な真似をするな」

 

「はい……」

 

「それに、一度潜れば金持ちになれるなどと思うな」

 

ザルドが言う。

 

「装備の手入れ。消耗品。薬。食料。宿代。稼いだ金のすべてが手元へ残るわけではない」

 

「でも、俺はすぐに強くなるから」

 

「強くなるために潜る者ほど、最初に死ぬ」

 

ザルドの声は淡々としていた。

 

「生きて戻るために準備する。敵を知る。自分の限界を知る。退く場所を決める。それを繰り返した者が、結果として強くなる」

 

カイルの顔から、少しだけ勢いが消える。

 

「でも、怖がってたら冒険者にはなれない」

 

「恐怖を感じない者は、冒険者ではない」

 

アルフィアが言う。

 

「ただの愚か者だ」

 

「……」

 

「怖いから備える。怖いから周囲を見る。怖いから生き残ろうとする。恐怖を捨てるな」

 

「お前も怖いことあるのか?」

 

バンが尋ねた。

 

「話を逸らすな」

 

「気になるだろ」

 

「お前が余計なことをする時だ」

 

「オレ?」

 

「何をするか予測できない」

 

「それは怖いっていうより心配じゃねぇか?」

 

「同じだ」

 

「違うだろ」

 

テオが僅かに笑った。

 

カイルは、まだ納得しきれていないようだった。

 

「でも、俺は有名になりたいんです」

 

「なればいいだろ」

 

バンが言った。

 

カイルが顔を上げる。

 

「いいんですか?」

 

「何が?」

 

「さっきから、二人は死ぬとか愚か者とか」

 

「言ってることは正しいぞ」

 

「じゃあ――」

 

「夢見るくらい、いいだろ」

 

バンは前を向いたまま歩く。

 

「有名になりてぇ。金持ちになりてぇ。強くなりてぇ。好きにすりゃいい」

 

「……」

 

「ただ、死んだらそこで終わりだ」

 

赤い長衣の裾が、風に揺れる。

 

「だから、生きて帰れ。それができるなら、好きなだけ夢見ろよ」

 

カイルはしばらく黙っていた。

 

やがて。

 

「はい」

 

先ほどより少し小さな声で答えた。

 

アルフィアがバンを見る。

 

「甘いな」

 

「夢見るのはタダだろ」

 

「命を賭ければ高くつく」

 

「だから、死ぬなって言った」

 

「言葉だけで死者が減れば苦労はない」

 

「でも、言わねぇよりはいい」

 

アルフィアは何も返さなかった。

 

ただ、若者たちの装備へ目を向ける。

 

薄い革鎧。

 

安い剣。

 

短い槍。

 

弓。

 

旅をするには足りる。

 

ダンジョンへ入るには、心許ない。

 

「都市へ着いたら、すぐ地下へ入るな」

 

アルフィアが言った。

 

カイルが瞬きをする。

 

「まずファミリアを探せ。装備を確認させろ。地図を買え。上層の情報を覚えろ」

 

「はい」

 

「最初は一階層からだ」

 

「でも、一階層って一番弱い魔物しか――」

 

「その一番弱い魔物に殺される者がいる」

 

「……はい」

 

「返事だけで終わらせるな」

 

リナがカイルの脇腹を肘で突く。

 

「ちゃんと覚えなよ」

 

「分かってる」

 

「猪のお尻しか斬ってないんだから」

 

「それはもういいだろ!」

 

街道に笑い声が広がった。

 

 

       ◇

 

 

午後。

 

道の先に、荷車が止まっていた。

 

片方の車輪が溝へ落ちている。

 

荷台には、鉄の塊と木箱。

 

御者と商人が二人で押しているが、びくともしない。

 

「手を貸そう」

 

テオが言った。

 

カイルも頷く。

 

「俺たちで持ち上げれば」

 

「三人じゃ無理でしょ」

 

「やってみないと分からない」

 

若者たちは荷車へ駆け寄った。

 

バンたちも少し遅れて近づく。

 

「すみません、押します!」

 

カイルが声を掛ける。

 

「助かる!」

 

商人が汗を拭う。

 

カイルとテオが荷台を押し。

 

リナが車輪の前へ石を置く。

 

「せーの!」

 

力を入れる。

 

荷車が僅かに軋む。

 

だが、上がらない。

 

「もう一度!」

 

「待て」

 

ザルドが止めた。

 

車輪の位置。

 

溝の深さ。

 

荷台の傾き。

 

積まれた木箱の重心。

 

一目で確認する。

 

「そのまま押せば、反対へ倒れる」

 

「では、どうすれば?」

 

「荷を一部降ろす」

 

商人が慌てる。

 

「中は鍛冶用の鉱石だ。重いぞ」

 

「だから降ろす」

 

「でも時間が――」

 

「荷車が倒れれば、もっと掛かる」

 

ザルドは荷台の後ろへ回った。

 

「バン。車体を支えろ」

 

「荷物あるぞ」

 

「下ろせ」

 

「アルフィアが怒る」

 

「丁寧に下ろせばいい」

 

バンは道端へ厚い布を敷き。

 

背負い袋をゆっくりと置いた。

 

アルフィアがすぐに近づき、クレシューズと結晶がぶつかっていないことを確認する。

 

「走るな」

 

「荷車持つだけだぞ」

 

「力を入れすぎるな」

 

「難しい注文だな」

 

バンが荷車の側面へ手を掛ける。

 

ザルドは後方。

 

カイルたちは、二人の指示に従って木箱を三つ降ろした。

 

「車輪の前へ板を入れろ」

 

ザルドが言う。

 

テオが荷車に積まれていた板を地面へ差し込む。

 

「押すぞ」

 

ザルドとバンが、同時に力を入れた。

 

荷車が持ち上がる。

 

「お、おい……」

 

商人の目が丸くなる。

 

人間二人で動かしているとは思えないほど、車体が軽々と浮いた。

 

「今だ。引け」

 

カイルたちが縄を引く。

 

車輪が板へ乗り。

 

溝の外へ出た。

 

荷車は、ほとんど揺れることなく道へ戻る。

 

「すごい……」

 

リナが呟く。

 

バンは荷車から手を離す。

 

「これくらいなら、ザルド一人でもよかったんじゃねぇ?」

 

「お前にも働かせた」

 

「オレ、働いてるぞ」

 

「酒を飲む以外でか」

 

「旅してんだろ」

 

「それを仕事とは言わん」

 

商人が何度も頭を下げる。

 

「助かった。礼をさせてくれ」

 

「いらん」

 

ザルドが答える。

 

「だが、それでは」

 

「なら、若者たちへ渡せ」

 

「俺たち?」

 

カイルが驚く。

 

「最初に止まったのはお前たちだ」

 

ザルドは降ろした木箱を荷台へ戻す。

 

「俺たちは後から手を出した」

 

「でも、俺たちだけじゃ何もできなかった」

 

「手を出さなければ、何も始まらなかった」

 

ザルドの言葉に。

 

カイルは少し黙ったあと、頭を下げた。

 

商人は荷台から、小さな布袋を三つ取り出した。

 

「道中用の焼き菓子だ。これなら受け取ってくれ」

 

甘い香り。

 

硬く焼かれた麦菓子。

 

干した果物が練り込まれている。

 

「ありがとうございます!」

 

リナが受け取った。

 

カイルとテオも礼を言う。

 

バンが袋を見る。

 

「オレの分はねぇのか?」

 

「いらんと言っただろ」

 

ザルドが答える。

 

「言ったのお前だろ」

 

「欲しいなら自分で言え」

 

「今言ってる」

 

商人が笑い。

 

もう一袋、バンへ差し出した。

 

「どうぞ」

 

「悪いな」

 

「お前は遠慮を覚えろ」

 

アルフィアが言う。

 

「貰える時に貰うのが旅のコツだぞ」

 

「盗賊の理屈だ」

 

「元な」

 

バンは焼き菓子を一つ口へ放り込む。

 

「固ぇ」

 

「旅用だからな」

 

商人が答える。

 

「酒に浸すとうまいぞ」

 

「いいこと聞いた」

 

「教えるな」

 

アルフィアの声が鋭くなる。

 

商人は何が悪かったのか分からず、目を瞬かせた。

 

 

       ◇

 

 

日が沈む前。

 

三人と若者たちは、街道沿いの共同野営地へ入った。

 

石で囲われた焚き火跡。

 

井戸。

 

簡素な屋根。

 

先客は何組かいたが、場所には余裕がある。

 

カイルたちは、少し離れた場所へ荷物を下ろした。

 

「火、つけられる?」

 

リナが尋ねる。

 

「任せろ」

 

カイルが火打ち石を取り出す。

 

一度。

 

二度。

 

三度。

 

火花は出るが、乾いた草へ移らない。

 

テオが黙って枝を細く割り始めた。

 

リナはため息をつく。

 

「村を出る前に練習したよね」

 

「今日は風が悪い」

 

「ほとんど吹いてないけど」

 

「湿気だ」

 

「枝は乾いてるよ」

 

「道具が悪い」

 

「新しく買ったばかりでしょ」

 

バンは少し離れた場所から眺めていた。

 

「手伝うか?」

 

「大丈夫です!」

 

カイルが即答する。

 

「俺がやります」

 

「そうか」

 

バンは自分たちの焚き火へ戻る。

 

ザルドはすでに火を起こしていた。

 

「早ぇな」

 

「火を起こすだけだ」

 

「カイル、まだやってるぞ」

 

「自分でやると言ったなら、やらせろ」

 

「飯までに間に合う?」

 

「それも経験だ」

 

ザルドは鍋へ水を入れた。

 

ラキアでもらった乾燥豆。

 

残っていた黒パン。

 

山羊乳のチーズ。

 

干し葡萄。

 

燻製肉の端。

 

旅の間、少しずつ使ってきた食材も残り少ない。

 

「ラキアの食いもん、これで最後か」

 

バンが言う。

 

「ほとんどな」

 

「酒は?」

 

「もうない」

 

アルフィアが答える。

 

「本当に?」

 

「私が管理した」

 

「どっかに隠してねぇだろうな?」

 

「探せば荷物ごと燃やす」

 

「冗談だって」

 

ザルドは燻製肉を細かく刻む。

 

鍋へ入れ。

 

豆と一緒に煮込む。

 

最後にチーズを削り入れると、白く濁った汁へ濃い香りが広がった。

 

干し葡萄は別にして。

 

黒パンを薄く切り、火で炙る。

 

「甘いの入れねぇのか?」

 

バンが尋ねる。

 

「煮込みには入れん」

 

「村の焼き玉葱には入ってたぞ」

 

「あれは玉葱の甘味と合わせるためだ」

 

「細けぇな」

 

「料理は細かさだ」

 

「食う時は一緒だろ」

 

「お前には作らせん」

 

少し離れた場所。

 

カイルの焚き火から、ようやく細い煙が上がった。

 

「ついた!」

 

大きな声。

 

リナとテオが拍手する。

 

バンも手を叩いた。

 

「やったな!」

 

「子供扱いしないでください!」

 

「でも嬉しそうじゃねぇか」

 

「自分で火をつけたからです!」

 

カイルは胸を張る。

 

その直後。

 

薪を一度に入れすぎ、火が消えかけた。

 

「あっ」

 

「少しずつ入れろ」

 

ザルドの声が飛ぶ。

 

「はい!」

 

カイルが慌てて薪を減らす。

 

アルフィアが小さく息を吐いた。

 

「都市へ着く前に一度失敗しておいて正解だったな」

 

「優しいな」

 

バンが言う。

 

「事実だ」

 

「オレが火消したらどうすんだ?」

 

「夕食抜きだ」

 

「扱い違いすぎねぇ?」

 

「お前は知っていてやる」

 

「やらねぇよ」

 

食事が完成すると。

 

バンは自分の器を持ち、若者たちの焚き火へ向かった。

 

三人が作っていたのは、湯で戻した乾燥野菜と干し肉だった。

 

焦げた匂いがする。

 

「交換しようぜ」

 

「交換?」

 

「そっちの肉少し。こっちの煮込み少し」

 

リナがバンの器を見る。

 

豆と肉。

 

溶けたチーズ。

 

香りだけでも腹が鳴りそうだった。

 

「そっちの方が絶対おいしいですよね」

 

「だから全部はやらねぇ」

 

「何で交換なんですか?」

 

「ただで貰うと、次も期待するだろ」

 

バンは笑う。

 

「欲しいなら何か出せ。ギブ・アンド・テイク♪」

 

テオが干し肉を三枚差し出した。

 

「これで」

 

「成立」

 

バンは煮込みを三人の器へ分ける。

 

量は。

 

干し肉三枚との交換にしては、明らかに多かった。

 

「こんなに?」

 

「三人分だからな」

 

「でも」

 

「細けぇこと気にすんな」

 

三人は顔を見合わせ。

 

揃って頭を下げた。

 

「ありがとうございます」

 

「礼じゃなくて取引だぞ」

 

「はい」

 

カイルが煮込みを一口食べる。

 

目を見開いた。

 

「うまい!」

 

「作ったのはザルドだ」

 

「バンさんは料理をしないんですか?」

 

「するぞ。昔は酒場の飯をほとんどオレが作ってた」

 

「酒場の料理人だったんですか?」

 

「まあ、そんなとこだ」

 

「腕は確かだ」

 

ザルドが離れた焚き火から言った。

 

「何だよ。珍しく素直に褒めんじゃねぇか」

 

「事実を言っただけだ」

 

「じゃあ、次の飯はオレが作るか」

 

「食材を使い切るな」

 

「信用ねぇな」

 

「お前は三人前のつもりで十人前作る」

 

アルフィアも続ける。

 

「余ったら食えばいいだろ」

 

「お前が一人でな」

 

カイルたちは笑いながら、煮込みを食べた。

 

 

       ◇

 

 

夜。

 

街道の共同野営地には、いくつもの焚き火が並んでいた。

 

旅人。

 

商人。

 

冒険者を目指す者。

 

都市から故郷へ戻る者。

 

それぞれが、自分の目的地について語っている。

 

バンは焚き火の前へ座り、硬い焼き菓子を齧っていた。

 

「やっぱ固ぇな」

 

「湯へ浸せ」

 

ザルドが言う。

 

「酒ならうまいって」

 

「ないものを求めるな」

 

アルフィアが言った。

 

「オラリオにはあるのか?」

 

「ある」

 

「どれくらいある?」

 

「店を選べないほどある」

 

「いい街だな」

 

「まだ見てもいないだろう」

 

「酒があるなら悪い街じゃねぇ」

 

少し離れた焚き火では。

 

カイルたちが、明日の道について話している。

 

オラリオまで。

 

あと何日。

 

どの門から入るのか。

 

最初にどのファミリアを訪ねるのか。

 

夢はまだ大きい。

 

不安もある。

 

それでも三人は、楽しそうだった。

 

「生き残ると思うか」

 

アルフィアが静かに尋ねた。

 

「知らねぇ」

 

バンが答える。

 

「無責任だな」

 

「まだ何も始まってねぇだろ」

 

「始まる前だからこそ分かることもある」

 

「じゃあ、お前はどう思うんだ?」

 

アルフィアは若者たちを見る。

 

火の扱いも未熟。

 

装備も足りない。

 

知識も浅い。

 

だが、忠告には耳を傾けた。

 

動けない荷車を見て、真っ先に足を止めた。

 

「今のままなら死ぬ」

 

「厳しいな」

 

「事実だ」

 

「でも?」

 

「変われるなら、生き残る」

 

バンが笑う。

 

「それで十分じゃねぇか?」

 

「何がだ」

 

「変われるかもしれねぇなら」

 

「可能性だけで人は救えない」

 

「可能性もねぇよりマシだろ」

 

アルフィアは答えなかった。

 

ザルドが鍋を片づけながら口を開く。

 

「冒険者になる者のほとんどは、最初から英雄ではない」

 

「そうなのか?」

 

バンが尋ねる。

 

「ああ。臆病者も。愚か者も。金だけを求める者もいる」

 

「じゃあ、あいつら普通だな」

 

「普通だから死ぬこともある」

 

「普通でも強くなる奴はいるのか?」

 

「いる」

 

ザルドの声は、どこか遠いものを思い出すようだった。

 

「恐怖を知り。敗北を知り。自分より強い者を知り。それでも立ち上がる者だ」

 

「ザルドみてぇな奴か?」

 

「俺は最初から強かった」

 

「言うなぁ」

 

「事実だ」

 

「アルフィアもか?」

 

「当然だ」

 

「二人とも参考にならねぇな」

 

「お前もだ」

 

ザルドが返す。

 

「お前の身体と戦歴を、新人の基準にできるか」

 

「確かに」

 

「納得するな」

 

アルフィアが言う。

 

焚き火が、小さく爆ぜた。

 

夜風が街道を通り抜ける。

 

遠く。

 

オラリオの方向へ向かう荷車の灯りが、暗闇の中をゆっくり動いていた。

 

「もう近いんだろ」

 

バンが尋ねる。

 

「ああ」

 

ザルドが答える。

 

「順調なら、二日後には都市の姿が見える」

 

「二日か」

 

バンは背中の荷物へ視線を向けた。

 

傷ついたクレシューズ。

 

名もない結晶。

 

旅の始まりには、どちらもなかった。

 

砂漠。

 

黒砂。

 

巨獣。

 

月の遺跡。

 

隊商。

 

軍神の国。

 

長く続いた道が。

 

ようやく、一つの都市へ繋がろうとしている。

 

「どんな街なんだ?」

 

バンが聞いた。

 

「騒がしい」

 

アルフィアが即答する。

 

「雑音が多い」

 

「お前には最悪じゃねぇか?」

 

「だから黙らせる」

 

「都市全部を黙らせんのか?」

 

「必要ならな」

 

「壊すなよ」

 

「お前に言われたくない」

 

ザルドが低く笑う。

 

「強い者。愚かな者。神。商人。職人。冒険者。あらゆるものが集まる街だ」

 

「飯は?」

 

「世界中のものがある」

 

「酒は?」

 

「同じだ」

 

「最高じゃねぇか」

 

「ダンジョンは?」

 

カイルの声がした。

 

いつの間にか、若者たちも会話を聞いていた。

 

ザルドは彼らを見る。

 

「世界で最も多くの者を惹きつけ、最も多くの者を喰らってきた場所だ」

 

カイルたちの表情が引き締まる。

 

バンは焼き菓子の最後の一欠片を口へ入れた。

 

「面白そうだな」

 

「お前は何を聞いていた」

 

アルフィアが呆れる。

 

「全部」

 

「なら、なぜそうなる」

 

「危ねぇ場所なんだろ」

 

「ああ」

 

「うまい飯と酒もある」

 

「ああ」

 

「神様まで歩いてる」

 

「ああ」

 

「十分面白そうじゃねぇか」

 

バンは焚き火の向こう。

 

まだ見えない都市の方角を見る。

 

「早く見てぇな。オラリオ」

 

風が吹く。

 

炎が揺れる。

 

街道は暗闇の先へ。

 

まっすぐ、迷宮都市へ続いていた。




第10部が始まりました。

今回はオラリオへ続く街道で、冒険者を目指す三人の若者と出会う旅の一日を描いています。

特に、バンが「夢見るくらい、いいだろ。ただ、死んだらそこで終わりだ」と語る場面がお気に入りです。
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