強欲の旅人は神の恩恵を受けない   作:ルクエリシオン

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第65話 二つの家族

ヘラ・ファミリアの本拠へ戻ると、メーテリアはすぐに自室へ運ばれた。

 

寝台へ身体を横たえられ、厚い布を肩まで掛けられる。

 

薬湯の入った杯。

 

冷たい水。

 

呼吸を楽にするための香草。

 

女性団員たちが慣れた手つきで準備を整えていく中、部屋の隅にはアルフィアが立っていた。

 

長い灰色の髪。

 

閉ざされた瞼。

 

腕を組んだまま、妹の呼吸が落ち着くまで一言も発しない。

 

「姉さん」

 

「何だ」

 

「それほど怖い顔をしなくても大丈夫です」

 

「誰のせいだと思っている」

 

「私でしょうか」

 

「分かっているなら、二度とするな」

 

メーテリアは困ったように笑った。

 

「ですが、教会へ行けてよかったです」

 

「よくない」

 

「バンさんにも会えました」

 

「なお悪い」

 

「姉さんが長く一緒に旅をしていた方ですから、以前からお会いしてみたかったのです」

 

「会う必要はない」

 

「姉さん」

 

「何だ」

 

「バンさんのことを嫌っているのですか?」

 

「騒がしい。無遠慮。酒と食べ物への執着が異常。人の話を聞かず、放置すれば必ず問題を起こす」

 

「嫌いなのですか?」

 

「……質問を変えるな」

 

アルフィアの眉間に僅かな皺が寄る。

 

そこへ、部屋の扉が開いた。

 

「随分と楽しそうな話をしているわね」

 

姿を現したのは、ヘラだった。

 

女神が入室した瞬間、部屋にいた団員たちの背筋が伸びる。

 

彼女たちは一礼すると、薬や水を残して静かに退出した。

 

ヘラは寝台の脇へ腰を下ろし、メーテリアの顔を覗き込む。

 

「私の許可もなく、外へ出たそうね」

 

「申し訳ありません、ヘラ様」

 

「謝れば済むと思っているのかしら」

 

「姉さんにも叱られました」

 

「アルフィアの説教で足りるものですか。あなたは自分の身体がどれほど弱いのか、少しも理解していないのね」

 

「理解はしています」

 

「理解していて、あの男に連れ出させたの?」

 

ヘラの目が細くなる。

 

「ゼウスのところの、生意気で、不愉快で、無粋な下っ端に」

 

「生意気不愉快無粋男(ゴミカス)だ」

 

アルフィアが訂正する。

 

「長いわね」

 

「適切な呼称だ」

 

「アルは私のお願いを聞いてくれただけです」

 

メーテリアが静かに言った。

 

「ですから、アルだけを責めないでください」

 

「あなたが庇うから、あの男は何度でも調子に乗るのよ」

 

「頼らなければ、教会へ行けませんでしたから」

 

「私に言えばいいでしょう」

 

ヘラの言葉に、メーテリアは首を傾げた。

 

「許可してくださいましたか?」

 

「もちろん許可しないわ」

 

「では、アルにお願いして正解でした」

 

「メーテリア?」

 

ヘラの頬が僅かに引きつる。

 

アルフィアが小さく息を吐いた。

 

「トロ子に正論を返されているぞ、ヘラ」

 

「誰の眷族だと思っているの、あなたたちは」

 

「ヘラ様の眷族です」

 

メーテリアが素直に答える。

 

ヘラは何か言い返そうとしたが、結局口を閉じた。

 

「それで」

 

女神は話題を切り替える。

 

「教会にいたという旅人は、何者なの?」

 

「バンさんです」

 

「名前を聞いているのではないわ」

 

「ベヒーモス討伐に参加した赤い旅人だ」

 

アルフィアが答えた。

 

「ああ、あの男」

 

ヘラは顎へ指を添える。

 

「ゼウスの眷族にも、私の眷族にもならず、神の恩恵すら持っていないという変わり者ね」

 

「本人に所属する意思はない」

 

「それで、どうして私たちが管理する教会にいるの?」

 

「寝床として選んだそうです」

 

メーテリアが答える。

 

「勝手に?」

 

「昨夜、偶然見つけたそうです」

 

「追い出しなさい」

 

「ヘラ様」

 

「駄目よ」

 

「まだ何もお願いしていません」

 

「これからお願いする顔をしているもの」

 

メーテリアは小さく微笑んだ。

 

「バンさんに、しばらくあの教会を使っていただくことはできませんか?」

 

「できません」

 

「誰も使っていない場所です」

 

「私のファミリアが管理しているわ」

 

「はい。ですから、教会をバンさんへ差し上げたいわけではありません」

 

「当然よ」

 

「管理は、これまでどおりヘラ・ファミリアのままで構いません。ただ、空いている間だけ滞在を認めていただきたいのです」

 

ヘラはすぐには答えなかった。

 

寝台に横たわるメーテリアを見る。

 

体調を悪くしてまで訪れた場所。

 

メーテリアが数少ない外出先として愛してきた教会だった。

 

「どうして、あの男なの?」

 

「荒らしていませんでした」

 

「一晩では分からないでしょう」

 

「祭壇や神像にも触れず、寝る場所の埃を払っただけでした」

 

「当たり前よ」

 

「誰も来ないまま朽ちていくより、誰かが過ごしてくださる方が、私は嬉しいのです」

 

メーテリアの声は穏やかだった。

 

だが、その言葉を引っ込めるつもりがないことを、ヘラもアルフィアも知っている。

 

「……条件付きよ」

 

やがて、ヘラが言った。

 

「ありがとうございます、ヘラ様」

 

「まだ条件を聞いていないでしょう」

 

「ヘラ様が、無理な条件を出すとは思っていませんから」

 

「それは信頼なのかしら。それとも圧力?」

 

「信頼です」

 

ヘラは片手で額を押さえた。

 

「教会の管理権は、これまでどおり私たちが持つ。土地も建物も、あの男へ渡すつもりはないわ」

 

「はい」

 

「滞在は当面の間だけ。壁や床を勝手に壊さない。増築しない。祭壇や残されたものを捨てない。商売の拠点にしない」

 

ヘラは一つずつ条件を並べる。

 

「酒場にするのも禁止よ」

 

「本人は少し考えていたようだ」

 

アルフィアが言った。

 

「今すぐ追い出しなさい」

 

「冗談だと言っていた」

 

「信用できないわね」

 

「同感だ」

 

メーテリアが小さく笑った。

 

「定期的に団員を確認へ向かわせるわ。ギルドへの届け出はこちらから行う。問題を起こしたら、即刻追い出す。それでいいなら、滞在を認めます」

 

「十分だと思います」

 

「アルフィア」

 

「何だ」

 

「あの男へ伝えなさい」

 

「なぜ私が」

 

「あなたが長く一緒に旅をしていたのでしょう?」

 

「連れてきたわけではない」

 

「それでも、一番話が早いわ」

 

アルフィアは露骨に嫌そうな顔をした。

 

「それから」

 

ヘラの視線が冷たくなる。

 

「あの生意気で不愉快で無粋な男を見つけたら、ここへ連れてきなさい」

 

「生意気不愉快無粋男(ゴミカス)だ」

 

「だから長いのよ」

 

「殺してからでいいか」

 

「生きたまま連れてきなさい。メーテリアが悲しむでしょう」

 

「手足は残す」

 

「五体満足でよ」

 

「注文が多い」

 

メーテリアが寝台の上で、二人の会話を聞きながら微笑んでいた。

 

 

       ◇

 

 

同じ頃。

 

ゼウス・ファミリアの本拠では、一人の白髪の青年が大男の背後に隠れていた。

 

「ザルドさん。今日だけ俺の存在を忘れてくれません?」

 

「断る」

 

「即答!?」

 

「アルフィアから逃げてきた時点で、お前が何をしたかは想像できる」

 

ザルドは卓上の書類から目を上げない。

 

「俺は何もしてないっすよ!」

 

「毎回それを言うな」

 

「今回は本当ですって!メーテリアちゃんが教会へ行きたいって言うから、連れていっただけで!」

 

「十分に何かしている」

 

「だって断れないじゃないですか!」

 

「断れ」

 

「無理っすよ!あんな顔でお願いされたら、世界中の男が断れないって!」

 

「自分の意思の弱さを世界中の男へ押しつけるな」

 

少し離れた椅子で、ゼウスが腹を抱えて笑っている。

 

「愛する女の願いに命を懸ける!見上げた男ではないか!」

 

「ですよね、主神!」

 

「だがアルフィアが来たら、お主を差し出すぞ」

 

「最低だ、この主神!」

 

「儂まで巻き込まれたくないからのう」

 

アルはザルドの背後へさらに身を縮めた。

 

「ザルドさんだけが頼りなんです」

 

「俺もお前を差し出す」

 

「このファミリアに仲間はいないの!?」

 

「自業自得だ」

 

「メーテリアちゃんは無事なんです!」

 

「当然だ。お前が無事に連れ帰れないなら、逃げる前に俺が殴っている」

 

「理不尽!」

 

ザルドはようやく書類を置いた。

 

「それで、教会には誰かいたのか」

 

「ああ、いましたよ。銀髪で赤い服の、態度がでかい男」

 

「バンか」

 

「知ってるんですか?」

 

「旅の同行者だ」

 

「ザルドさんも一緒だったんすか?」

 

「ああ」

 

「よく耐えましたね」

 

「何にだ」

 

「アルフィアさんと長期間一緒にいることに」

 

ザルドは無言でアルの頭を掴んだ。

 

「痛い痛い痛い!何で俺が殴られるの!?」

 

「余計なことを言うからだ」

 

「まだ殴られてない!頭が潰されてる!」

 

ゼウスがさらに笑い声を上げた。

 

「バンは、あの教会を寝床にするつもりなのか」

 

「本人はそう言ってましたけど」

 

「そうか」

 

ザルドは立ち上がる。

 

「様子を見てくる」

 

「俺も行った方がいいですか?」

 

「死にたいなら来い」

 

「ここで待ってます」

 

アルは迷うことなく答えた。

 

 

       ◇

 

 

廃教会の地上階には、朝よりも多くの光が差し込んでいた。

 

壁の一部が崩れ、外から伸びた蔦が石の隙間へ入り込んでいる。

 

屋根には小さな穴がいくつも開き、そこから細い光の柱が落ちていた。

 

礼拝堂の床には雑草が生え、雨風に運ばれた土が積もっている。

 

破損した神像。

 

半分崩れた祭壇。

 

脚の折れた長椅子。

 

無事に形を残しているものは少ない。

 

昨夜バンが眠った長椅子も、よく見れば背もたれの一部が欠けていた。

 

「寝られりゃ十分だと思ったが」

 

バンは屋根の穴を見上げた。

 

「雨降ったら終わりだな」

 

明るい銀色の短髪へ落ちてきた埃を、片手で払う。

 

教会そのものを直すつもりはない。

 

所有者でもない男が、勝手に壁を組み直すわけにもいかない。

 

それでも、足の踏み場くらいは必要だった。

 

バンは崩れた長椅子を持ち上げ、壁際へ寄せる。

 

散らばった石材。

 

朽ちた板。

 

割れた神像の一部。

 

捨てずに、種類ごとに端へ集めていく。

 

祭壇には触れない。

 

メーテリアが大切にしている場所だと聞いた以上、壊れたものにも意味があるかもしれなかった。

 

瓦礫を動かしている途中。

 

バンの足が、一枚の石板を踏んだ。

 

鈍い音。

 

周囲とは明らかに違う。

 

「……下に何かあんな」

 

バンは屈み、石板の周囲に積もった土を手で払った。

 

端に金属の輪が埋まっている。

 

その上には割れた板や小さな石材が積もり、遠目からでは床の一部にしか見えない。

 

輪を掴んで引き上げる。

 

重い石板が僅かに浮き。

 

下から、古い空気が漏れ出した。

 

「隠し部屋か」

 

石板の下には、狭い階段が続いていた。

 

灯りはない。

 

だがバンの目には、それほど問題ではない。

 

壁へ手を触れながら、石段を下りる。

 

十数段ほど進むと、一枚の木製扉が現れた。

 

鍵はかかっていない。

 

扉を押すと、古い蝶番が低く軋んだ。

 

地下にあったのは、狭い一部屋だけだった。

 

地上の礼拝堂とは違い、雨風は入っていない。

 

部屋の片隅には、古びたソファベッド。

 

中央には小さな木製テーブルと、形の違う椅子が二脚。

 

壁際には棚があり、何冊かの傷んだ本と、用途の分からない古道具が残されていた。

 

調理場はない。

 

水場も。

 

風呂もない。

 

それでも、屋根に穴の開いた地上よりは、生活する場所としては遥かにまともだった。

 

「こっちが本命か」

 

バンはソファベッドの表面へ手を滑らせる。

 

厚い埃。

 

指の跡が一本残った。

 

「掃除はいるな」

 

古い布を見つけ、水筒の水で軽く湿らせる。

 

テーブル。

 

棚。

 

椅子。

 

ソファベッド。

 

最低限、使う場所だけを拭いていく。

 

テーブルは少しぐらついたが、倒れるほどではない。

 

棚の下段へ、持っていた荷物を移す。

 

クレシューズ。

 

アンタレスの結晶。

 

その他の道具。

 

どれも目につかない位置へ置いた。

 

掃除を終えたバンは、ソファベッドへ身体を倒す。

 

古い軋み。

 

だが、壊れない。

 

「悪くねぇな」

 

その直後。

 

舞い上がった埃が鼻へ入り、バンは顔をしかめた。

 

「……まだ駄目か」

 

地下から地上へ戻ったところで、教会の入口に人影が現れた。

 

「随分と質素な住処を選んだな」

 

ザルドだった。

 

「落ち着くだろ」

 

「屋根に穴が開いている」

 

「下に部屋があったぞ」

 

「地下室か」

 

「知ってたのか?」

 

「いや」

 

「じゃあ何で驚かねぇんだよ」

 

「古い教会なら、地下に倉庫や避難場所があっても不思議ではない」

 

「狭ぇが、上よりはマシだ」

 

ザルドは礼拝堂を見回す。

 

壁際へ整えられた瓦礫。

 

祭壇や神像には触れず、そのまま残されている。

 

「お前にしては丁寧だな」

 

「どういう意味だ」

 

「もっと勝手に壊すと思っていた」

 

「オレを何だと思ってんだ?」

 

「自覚がないのか」

 

「失礼な奴だな」

 

ザルドは地下室への入口を覗き込む。

 

「ここで暮らすつもりか」

 

「追い出されなきゃな」

 

「部屋なら、ゼウス・ファミリアで用意できる」

 

「じじいと同じ屋根の下じゃ落ち着かねぇ」

 

「俺も同じ屋根の下にいる」

 

「ザルドはいいんだよ」

 

「どう違う」

 

「飯がうめぇ」

 

「俺を料理人としてしか見ていないのか」

 

「剣も強ぇぞ」

 

「付け足すな」

 

もう一つの足音が、教会の外から聞こえた。

 

バンとザルドが振り返る。

 

扉の前に、アルフィアが立っている。

 

「来ていたか」

 

「ああ」

 

「何をしに来た」

 

「お前と同じだ」

 

「私をお前と一緒にするな」

 

「誰がお前だ」

 

「二人ともうるせぇぞ」

 

アルフィアの眉が僅かに動く。

 

バンは気づかないふりをした。

 

「ヘラから許可が出た」

 

「随分早かったな」

 

「メーテリアが望んだからだ。お前のためではない」

 

「分かってる」

 

「教会そのものを与えるわけではない。管理権はヘラ・ファミリアに残る」

 

「ああ」

 

「滞在は当面の間だけだ。勝手に壁や床を壊すな。増築するな。祭壇や神像を捨てるな。商売に使うな」

 

アルフィアは一度言葉を切る。

 

「酒場にもするな」

 

「少し考えてた」

 

「今すぐ出ていけ」

 

「冗談だよ」

 

「お前の冗談は信用できない」

 

「神経質だな」

 

「メーテリアが大切にしている場所だ」

 

アルフィアの声が低くなる。

 

「汚した場合は殺す」

 

「分かったよ」

 

「返事が軽い」

 

「じゃあ、誓えばいいのか?」

 

「お前の誓いに価値はない」

 

「面倒くせぇな」

 

「団員が定期的に確認へ来る。拒否するな。ギルドへの届け出は、ヘラ・ファミリアから行う」

 

「寝られりゃ十分だ」

 

「風呂も調理場もないぞ」

 

「飯は外で食う。風呂はじじいのところ借りる」

 

ザルドが腕を組む。

 

「最初から、そのつもりだったのか」

 

「今決めた」

 

「宿代も払わず、風呂だけ使う気か」

 

「飯も出るなら食ってくぞ」

 

「図々しいな」

 

「家族みたいなもんだろ」

 

「誰がだ」

 

アルフィアの声が鋭くなる。

 

「今のはザルドに言ったんだよ」

 

「俺も認めていない」

 

「冷てぇ奴らだな」

 

バンは地下室の入口へ石板を戻した。

 

完全には閉めず、場所が分かる程度にずらしておく。

 

「話は終わりか?」

 

「許可の伝達は終わった」

 

「なら、飯行こうぜ」

 

「なぜそうなる」

 

「腹減っただろ」

 

「減っていない」

 

「オレは減った」

 

「一人で行け」

 

アルフィアが背を向ける。

 

「メーテリアに、オレがちゃんと暮らせそうだったか聞かれんじゃねぇのか?」

 

足が止まった。

 

「飯食いながら、教えてやるぞ」

 

「脅しているのか」

 

「誘ってんだよ」

 

ザルドが教会の外へ向かう。

 

「近くに酒場がある」

 

「ザルド」

 

「メーテリアへ報告するなら、もう少し様子を見た方がいい」

 

「お前まで何を言っている」

 

「腹が減った」

 

「お前たちは、それしかないのか」

 

アルフィアは深く息を吐いた。

 

 

       ◇

 

 

三人が入ったのは、第七区画の古い大衆酒場だった。

 

石壁に囲まれた小さな店。

 

床板は長年の酒と油を吸い、黒く光っている。

 

夕方にはまだ早い時間だったが、何人かの冒険者や職人が卓を囲んでいた。

 

バンたちは奥の席へ座る。

 

卓に並んだのは、肉と豆を煮込んだ濃い色の料理。

 

焼いた腸詰め。

 

硬い黒パン。

 

塩を振った根菜。

 

そして、三つの杯。

 

アルフィアの前に置かれたものだけは、酒ではなく薄い果実水だった。

 

「勝手に頼むな」

 

「酒飲まねぇだろ」

 

「だからといって、お前が決めるな」

 

「嫌ならザルドが飲むぞ」

 

「俺を処理係にするな」

 

バンは杯を持ち上げる。

 

「オラリオでの寝床に」

 

「まだ仮の滞在だ」

 

「細けぇな」

 

一人で酒を飲み。

 

煮込みへ黒パンを浸して口へ運ぶ。

 

「うめぇな」

 

「普通だ」

 

「普通でうめぇのが一番だろ」

 

ザルドも煮込みを口へ運び、味を確かめる。

 

「煮込み時間が足りん」

 

「店で言うなよ」

 

「聞こえていない」

 

「聞こえてるぞ」

 

厨房から店主の声が飛んできた。

 

ザルドは何事もなかったように食事を続ける。

 

「それで」

 

しばらくして、ザルドが口を開いた。

 

「ゼウス・ファミリアへ来る気はないのか」

 

「ねぇな」

 

「即答か」

 

「前にも言っただろ。誰かの下に入る気はねぇ」

 

「ゼウスの下に入るという感覚でいる者は少ないがな」

 

「じじいの世話すんのも面倒そうだ」

 

「否定はできん」

 

「ヘラ・ファミリアには必要ない」

 

アルフィアが言う。

 

「誘われてもねぇよ」

 

「お前のような騒音を増やす理由がない」

 

「でも教会は貸すんだな」

 

「メーテリアのためだ」

 

「分かってるって」

 

バンは腸詰めを一口で半分食べた。

 

ザルドが杯を置く。

 

「二つのファミリアに世話を焼かれながら、どちらにも入らんつもりか」

 

「ファミリアって、家族って意味なんだろ」

 

「ああ」

 

「なら、オレにはもういる」

 

バンの返答に、アルフィアが僅かに顔を向けた。

 

「以前、妻と息子がいるとは聞いた」

 

「ああ」

 

「それだけではないのか」

 

「昔、一緒に戦ってた連中がいる」

 

「どのような者たちだ」

 

「全員、ろくでもねぇ奴らだった」

 

ザルドが黙ってバンを見る。

 

「お前が言うのか」

 

「オレも含めてな」

 

「何人だ」

 

「七人」

 

「七人で何をしていた」

 

「国を守ったり、国に追われたり、世界を救ったりだな」

 

「話が飛びすぎだ」

 

「色々あったんだよ」

 

「その集団に名前はあるのか」

 

アルフィアが尋ねた。

 

バンは杯の中の酒を揺らす。

 

「〈七つの大罪〉」

 

「罪人の集団か」

 

「全員、罪を背負ってた」

 

「お前もか」

 

「ああ」

 

「何の罪だ」

 

「強欲」

 

バンは口元を上げる。

 

「そのままだろ?」

 

「否定はしない」

 

アルフィアは果実水へ口をつける。

 

「罪人が国を守り、世界を救ったのか」

 

「英雄なんて、そんなもんだろ。見る奴が変われば、罪人にも英雄にもなる」

 

ザルドの目が僅かに細くなる。

 

「他の六人も、お前と同じような性格なのか」

 

「そんな連中が七人もいたら、三日で国が滅びるぞ」

 

「自覚はあるのだな」

 

「失礼だな。まあ、どいつも普通じゃなかったけどな」

 

「例えば?」

 

「一人は、酒場のマスターもやってた団長だ。作る料理は見た目だけなら最高なのに、口に入れたら吐き出すくらいまずい」

 

「それを客に出していたのか」

 

「ああ。だから厨房は、ほとんどオレが仕切ってた」

 

「店として成立していたことが不思議だな」

 

「酒はうまかったからな」

 

バンは腸詰めへ手を伸ばす。

 

「それから、普段は優しいくせに、太ったおっさんみてぇな姿になると途端に口が悪くなる妖精王」

 

「妖精王?」

 

「その話はあとだ」

 

アルフィアが目を細める。

 

「他には」

 

「恋だの虫だのになると、乙女みてぇに騒いで怖がるくせに、仲間を守る戦いじゃ誰より勇敢な、身体のでけぇ巨人の女」

 

「随分と差があるな」

 

「そこがあいつのいいところだ」

 

「お前が素直に褒めるとは珍しい」

 

「事実だからな」

 

バンは酒を一口飲んだ。

 

「あとは、人の心や記憶を勝手に覗いて、平気な顔で秘密をばらす、空気の読めねぇ人形」

 

「人形が動くのか」

 

「喋るし、飯も食うぞ。人の嫌がることを理解しねぇ時があるだけで、悪い奴じゃねぇ」

 

「十分に厄介だ」

 

「それと、世界中のことを何でも知ってるような顔して、どんなピンチでも不敵に笑ってる魔術師」

 

「実際に何でも知っているのか」

 

「知らねぇことを探すのが趣味みてぇな奴だ。だから、知りたいと思ったことは最後には大抵突き止める」

 

「最後は?」

 

「夜は自分を最弱だと思ってるくらい謙虚で、声も小せぇ男だ」

 

「それだけなら普通だな」

 

「昼になると、世界で自分が一番偉いと思ってる傲慢な化け物に変わる」

 

「同一人物か?」

 

「ああ。しかも、昼のあいつは本当に強ぇ」

 

「ますます普通ではないな」

 

「言っただろ。全員、ろくでもねぇ奴らだったって」

 

「だが、嫌っているようには聞こえない」

 

「嫌いなら、一緒に世界なんか救わねぇよ」

 

「それで全員か?」

 

ザルドが尋ねた。

 

バンは酒へ伸ばしかけた手を止める。

 

「いや。もう一匹いたな」

 

「一匹?」

 

「人の言葉を喋る豚だ」

 

ザルドとアルフィアが、揃ってバンを見る。

 

「豚が喋るのか」

 

「ああ。残飯処理騎士団の団長を名乗ってた」

 

「残飯を処理する騎士団?」

 

「団員は、ほとんどあいつ一匹だったけどな。オレの師匠でもある」

 

「お前の師匠が豚なのか」

 

「口だけは達者で、普段は偉そうなくせに怖がりでな。でも、仲間が危ねぇ時は必ず前に出る」

 

バンは懐かしそうに笑った。

 

「一度は団長を守るために、魔神王の攻撃へ飛び込んで死んだ」

 

「死んだのか」

 

「そのあと、煉獄の力で生き返ったけどな」

 

「お前の世界では、豚まで死から戻るのか」

 

「普通の豚と一緒にすんな。あいつは世界一男気のある豚だぞ」

 

バンの声には、いつもの軽さがあった。

 

だが、その奥に僅かな懐かしさが混じっている。

 

「妻の名は」

 

アルフィアが尋ねた。

 

アルフィアが尋ねた。

 

「エレイン」

 

「人間か」

 

「妖精だ」

 

ザルドとアルフィアが、同時に黙った。

 

「エルフか」

 

ザルドが聞く。

 

「エルフじゃねぇぞ」

 

「では、精霊か」

 

今度はアルフィアが尋ねる。

 

「それとも違ぇな」

 

「なら、何だ」

 

「妖精族って種族だ。大抵は人間より小せぇ。背中に羽があって、空を飛ぶ」

 

「羽の生えた小人か」

 

「そう思えば近い。中には、人間と変わらねぇくらいの背の奴もいるぞ」

 

「精霊ではないのか」

 

「こっちの精霊がどういうもんなのか、オレはよく知らねぇ。けど、妖精は普通に飯食って、寝て、喧嘩して、子供も作る。最初からそういう種族だ」

 

「エルフとも精霊とも違う種族か」

 

「ああ」

 

「妻も小さいのか」

 

ザルドの質問に、バンは頷く。

 

「小せぇぞ。背中に羽もある」

 

「お前と並ぶと、かなりの差になるな」

 

「抱き上げんのにちょうどいい」

 

「余計な説明はいらない」

 

アルフィアが切り捨てる。

 

「お前が聞いたんだろ」

 

「そこまでは聞いていない」

 

「息子は、人間と妖精の間に生まれたのか」

 

「ランスロットっていう」

 

「混血か」

 

「ああ。強ぇし、頭も回る。顔はオレに似てる」

 

「最後だけは疑わしい」

 

「何でだよ」

 

「お前の自己評価は信用できない」

 

「本当だって。女にももてるぞ」

 

「父親として止めるべきではないのか」

 

「本人の好きにすりゃいい。オレだって人のこと言えねぇしな」

 

ザルドが黒パンをちぎる。

 

「その妻と息子がいる国が、ベンウィックか」

 

「そうだ」

 

「どんな国だ」

 

「人間と妖精が一緒に暮らしてる」

 

「人間と妖精の共生国家か」

 

「ああ。オレが人間で、エレインが妖精。オレたちが王と王妃だから、どっちも普通に暮らしてる」

 

「妖精族の領域にあるのか」

 

「いや。人間の住む土地だ」

 

バンは酒を一口飲む。

 

「妖精族には、妖精王の森っていう本来の領域がある。結界もあるし、空気に混ざってる力も人間にはきつい。普通の人間が簡単に入れる場所じゃねぇ」

 

「ベンウィックは違うのか」

 

「ああ。人間の土地に作った国だからな。旅人も商人も来る。気に入って、そのまま住み着く奴もいるぞ」

 

「国民も、全員お前のような性格なのか」

 

ザルドが真顔で尋ねる。

 

「そんな国、一年で滅びるぞ」

 

「自覚はあるのだな」

 

「何度も言わせんな。オレはちゃんと王やってたぞ」

 

「今の姿からは想像できん」

 

「王様だって酒くらい飲むだろ」

 

「お前の場合、酒を飲んでいる時間の方が長い」

 

アルフィアが言う。

 

「仕事が早ぇんだよ」

 

「国政を何だと思っている」

 

「面倒事を早めに片づけて、家族と飯食うための仕事」

 

バンは気軽に答えた。

 

だがザルドは、しばらく何も言わなかった。

 

王として何を守るか。

 

バンにとって、それは難しい言葉ではないらしい。

 

「帰りたいのか」

 

ザルドが尋ねる。

 

バンの手が止まる。

 

杯の表面に、酒場の灯りが揺れていた。

 

「帰れるならな」

 

「方法は」

 

「一つだけ、心当たりはある」

 

ザルドとアルフィアが、バンを見る。

 

「先ほど話した魔術師か」

 

「察しがいいな」

 

「世界のことを何でも知っているような顔をしている、と言った女か」

 

「ああ。時も場所も捻じ曲げるような真似を、平気でやる奴だ。別の世界に飛ばされたオレを見つけて、向こうから手ぇ伸ばせる奴がいるとすりゃ、あいつくらいだろうな」

 

「では、待っていれば迎えに来るのか」

 

「さあな」

 

バンは杯を傾ける。

 

「あいつが、オレが消えたことに気づいてるかも分かんねぇ。気づいたとしても、ここを見つけられるかは別の話だ」

 

「期待していないのか」

 

「期待はしてるぞ。ただ、期待して寝てるだけじゃ腹は膨れねぇだろ」

 

「だから、この街で暮らすのか」

 

「帰る場所があるのと、今いる場所で生きるのは別の話だ」

 

バンは残った酒を飲み干す。

 

「帰れるまで、道端で寝続けるわけにもいかねぇ。飯も食うし、酒も飲む。面白そうなもんがあれば見に行く」

 

「欲望に忠実だな」

 

「強欲だからな」

 

「開き直るな」

 

アルフィアはそう言ったが、声には先ほどまでの鋭さがなかった。

 

「ファミリアには入らない」

 

バンが続ける。

 

「けど、飯食ったり、酒飲んだりすんのに、同じ紋章は必要ねぇだろ」

 

「家族とファミリアを同じにするな」

 

「似たようなもんじゃねぇか。気に入らねぇ奴がいて、騒がしくて、離れてもまた顔合わせる」

 

「お前の家族観は歪んでいる」

 

「お前ら見てたら、間違ってねぇと思うぞ」

 

ザルドが低く笑った。

 

「否定はできんな」

 

「お前まで同意するな」

 

アルフィアが睨む。

 

「そういうとこだぞ」

 

「黙れ」

 

三人の卓へ、店員が追加の酒と料理を運んできた。

 

注文した覚えのないアルフィアが、バンを見る。

 

「オレじゃねぇぞ」

 

「俺だ」

 

ザルドが言った。

 

「話が長くなった。食え」

 

「私は帰る」

 

「メーテリアへ報告するのだろう」

 

「必要な情報は得た」

 

「地下室を見ていないぞ」

 

バンが口を挟む。

 

「見る必要はない」

 

「本当に住めそうだったか聞かれたらどうすんだ?」

 

「お前が住めると言った」

 

「オレの基準、信用できねぇんだろ?」

 

アルフィアの眉間に皺が寄る。

 

「食べ終わったら確認する」

 

「素直じゃねぇな」

 

「福――」

 

バンは反射的に身を低くした。

 

アルフィアは最後まで言わず、果実水を口へ運ぶ。

 

「今、撃つ気なかっただろ」

 

「何のことだ」

 

「性格悪ぃな」

 

「お前に言われたくない」

 

ザルドが二杯目の酒を注ぎながら、呆れたように息を吐いた。

 

 

       ◇

 

 

酒場を出た時には、空が赤く染まり始めていた。

 

第七区画の古い建物へ、長い影が伸びている。

 

三人は廃教会へ戻った。

 

バンが床のハッチを開き、先に地下へ降りる。

 

続いてザルド。

 

最後に、アルフィアが狭い階段を下りた。

 

「狭いな」

 

「一人で住むなら十分だろ」

 

アルフィアは地下室を見回す。

 

古びたソファベッド。

 

小さな卓。

 

椅子。

 

棚へ整理された荷物。

 

確かに質素だった。

 

だが、地上よりは遥かに安全で、雨風も入らない。

 

祭壇や神像を壊して作られた部屋でもない。

 

「掃除が足りない」

 

「今日はこれで終わりだ」

 

「明日までに済ませろ」

 

「お前が住むわけじゃねぇだろ」

 

「メーテリアが来る可能性がある」

 

「来んのか?」

 

「体調が良ければな」

 

「なら、もう少しやっとくか」

 

バンがあっさり答える。

 

アルフィアは何も言わず、棚へ目を向けた。

 

そこに置かれた、二つの包み。

 

傷ついたクレシューズ。

 

アンタレスの結晶。

 

「明日、それを持ってゼウス・ファミリアの本拠へ来い」

 

「じじいのところ?」

 

バンの目が僅かに鋭くなる。

 

「帰還した日に、俺から相談した」

 

ザルドが答えた。

 

「クレシューズの修復について、ゼウスからヘファイストスへ話を通してある」

 

「じじいにしちゃ仕事が早ぇな」

 

「お前の報酬と武器に関わる話だからな」

 

「ヘファイストスの工房へ行くのか?」

 

「ああ。ゼウスも同行する」

 

「じじいも?」

 

「話を持ち込んだのはゼウスだ。鍛冶神本人へ取り次いでもらうには、その方が早い」

 

「面倒な話になってんな」

 

「お前の神器を直すためだ。黙って来い」

 

アルフィアが、棚へ置かれた傷ついた四節棍を見る。

 

「結晶も忘れるな」

 

「忘れるわけねぇだろ」

 

「ベヒーモスの角芯は、俺が保管場所から運ぶ」

 

ザルドが続けた。

 

「角芯と結晶。二つとも、クレシューズの修復に使える可能性がある」

 

バンは棚の前へ立った。

 

そこには、ひび割れ、傷ついた相棒と、アンタレスの体内から持ち帰った結晶が置かれている。

 

ベヒーモスの角芯は、ザルドが管理する保管場所にある。

 

異なる二つの災害が残した素材。

 

その二つを使っても、クレシューズが元に戻る保証はなかった。

 

「直ると思うか?」

 

 バンが尋ねた。

 

「分からない」

 

アルフィアは即答した。

 

「ヘファイストスにも直せない可能性はある」

 

「正直だな」

 

「期待だけを与える趣味はない」

 

「だが、試す価値はある」

 

ザルドが言う。

 

「角芯は、お前が討ったベヒーモスの一部だ。結晶も、お前とクレシューズがアンタレスから得たもの。どちらも、お前たちと無関係な素材ではない」

 

「そうだな」

 

「それに」

 

アルフィアが、傷ついたクレシューズを見る。

 

「直すのが鍛冶神だけとは限らない」

 

「どういう意味だ?」

 

「結晶は、お前とクレシューズが揃った時に反応を強めた」

 

「前に確かめたやつか」

 

「そうだ。そして、お前が《贈与》を使おうとした時は、さらに強く反応した」

 

バンは棚の結晶へ目を向ける。

 

黒紫色の力を、銀色の光が内側から押さえ込んでいる。

 

「《贈与》が修復に使えるってのか?」

 

「まだ分からない」

 

「またそれかよ」

 

「確証のないことを断言する気はない。ヘファイストスに実物を見せてから判断する」

 

「気になる言い方すんなよ」

 

「今夜は掃除をしろ」

 

「話逸らしたな」

 

アルフィアは答えない。

 

狭い階段へ足を向ける。

 

ザルドもその後に続いた。

 

「明日の朝、迎えに来る」

 

「寝てたら起こせ」

 

「起きろ」

 

「朝は弱ぇんだよ」

 

「知るか」

 

二人が地上へ戻る。

 

バンは地下室に一人残った。

 

棚の上には、帰れない世界から持ってきた傷ついた相棒。

 

その隣には、この世界で手に入れたアンタレスの結晶。

 

そして明日、ザルドが持ってくるベヒーモスの角芯。

 

遠く離れた家族。

 

今いる街で、何かと世話を焼いてくる二つのファミリア。

 

そのどちらにも属さず。

 

それでも、一人きりというわけでもない。

 

「家族、か」

 

バンは小さく呟く。

 

それから古い布を手に取り、再び棚の埃を拭き始めた。




今回は、バンが廃教会の地下室を見つけ、オラリオでの生活拠点を得る回でした。

また、ザルドとアルフィアとの食事を通して、〈七つの大罪〉、エレイン、ランスロット、そしてベンウィックについて少しだけ描いています。

特に「帰る場所があるのと、今いる場所で生きるのは別の話だろ」というバンの言葉がお気に入りです。
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