強欲の旅人は神の恩恵を受けない   作:ルクエリシオン

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第66話 二つの素材

翌朝。

 

廃教会の地下室には、昨日までよりもわずかに生活の気配が増えていた。

 

棚の埃は拭き取られ、古い本や道具は端へまとめられている。

 

ぐらついていた木製の卓も、脚の下へ薄い板を挟んだことで多少は安定していた。

 

古びたソファベッドの上では、明るい銀色の短髪を乱したバンが横になっている。

 

赤い長衣を掛け布団代わりにして、片腕を頭の下へ入れていた。

 

床上から、重い足音が聞こえる。

 

続いて、石板が持ち上げられる音。

 

「起きろ」

 

狭い階段の上から、ザルドの声が落ちてきた。

 

「起きてるぞ」

 

「寝たまま答えるな」

 

「目ぇ開けたら起きてんだろ」

 

「身体を起こせ」

 

「朝から細けぇな」

 

バンは赤い長衣をどけ、ゆっくり上半身を起こした。

 

階段を下りてきたザルドの肩には、太い布で幾重にも包まれた長い物体が担がれている。

 

その後ろから、アルフィアも姿を現した。

 

灰色と翠色の瞳が、地下室の中を冷たく見回す。

 

「昨日よりはましになったな」

 

「褒めてんのか?」

 

「最低限、人を入れられる程度にはなったと言っている」

 

「十分だろ」

 

「床にまだ埃が残っている」

 

「お前、掃除しに来たのか?」

 

「メーテリアが来る場所だ。汚れたままにするな」

 

「分かってるって」

 

アルフィアは棚へ目を向ける。

 

傷ついた四節棍。

 

隣には、ガネーシャ・ファミリアの封蝋が残されたアンタレスの結晶。

 

どちらも、昨夜と同じ場所へ置かれている。

 

「勝手に封印を解いていないな」

 

「解いてねぇぞ」

 

「クレシューズは」

 

「こっちだ」

 

バンは立ち上がり、棚から四節棍を取った。

 

ひびの入った節。

 

傷ついた接続部。

 

全体を通っていた力の流れは弱まり、以前のように自在に動くことはできない。

 

それでも、バンが握ると、クレシューズは僅かに応えるように震えた。

 

「まだ死んじゃいねぇな」

 

「武器に死ぬという表現を使うのか」

 

ザルドが尋ねる。

 

「こいつは普通の武器じゃねぇからな」

 

バンはクレシューズを布で包み直す。

 

アルフィアはアンタレスの結晶を持ち上げ、封蝋と包みの状態を確かめた。

 

「行くぞ」

 

「飯は?」

 

「後だ」

 

「朝飯くらい食わせろよ」

 

「寝坊した者に合わせる理由はない」

 

「寝坊じゃねぇ。朝が早すぎんだよ」

 

「同じ意味だ」

 

ザルドは階段へ向かう。

 

「ゼウスの本拠で何か食えばいい」

 

「最初からそう言えよ」

 

「食料を目当てに来るな」

 

「風呂も借りるぞ」

 

「帰ってからにしろ」

 

「帰ったら酒も飲む」

 

「好きにしろ」

 

「随分と待遇がよくなったな」

 

「騒ぐなら置いていく」

 

「へいへい」

 

三人は地下室を出た。

 

 

       ◇

 

 

ゼウス・ファミリアの本拠では、ゼウスが玄関広間で待っていた。

 

杖をつきながら、落ち着きなく入口の方を見ている。

 

「遅いぞ!」

 

「誰のせいだと思っている」

 

ザルドが答えた。

 

「オレじゃねぇぞ」

 

「お前だ」

 

「じじいが早く来すぎなんじゃねぇのか?」

 

「今日は鍛冶神との約束があるのじゃ!大神たる儂が遅れるわけにはいかん!」

 

「普段からそのくらい真面目に仕事しろ」

 

「ザルドよ。朝から主神への敬意が足りんぞ」

 

「敬意を欲しければ、報告書を読め」

 

「今日は読んだ!」

 

「昨日の分は」

 

「……昨日は忙しかったのじゃ」

 

「酒を飲むのにか」

 

「親交を深めておった!」

 

「誰とだ」

 

「酒とじゃ!」

 

「それを一人酒と言う」

 

バンは二人のやり取りを横目に、広間の卓へ置かれたパンを取った。

 

「これ食っていいか?」

 

「儂の朝食じゃぞ!」

 

「まだあんだろ」

 

「勝手に食うでない!」

 

言いながらも、ゼウスは取り上げようとはしなかった。

 

バンがパンをかじっている間に、ザルドは担いできた包みを卓の上へ置いた。

 

重い音が、玄関広間に響く。

 

布を解くと、第63話でバンが確認したベヒーモスの角芯が姿を現した。

 

角の中心部から切り出された、強度と衝撃への耐性が特に高い部分。

 

黒く硬質な表面には、いまだ巨獣の一部だった頃の圧が残っている。

 

「持ってきたか」

 

「ああ。修復に使うため、保管場所から運んだ」

 

バンは角芯へ手を伸ばし、以前と同じように片手で持ち上げた。

 

「相変わらず重てぇな」

 

「見た目以上にな」

 

「外側とは、硬さも違ったよな」

 

「ああ。ベヒーモスの角の中でも、最も強度と衝撃への耐性が高い中心部だ」

 

バンは角芯を軽く叩く。

 

低く澄んだ音が返ってきた。

 

「前に見た時も、クレシューズが反応してたな」

 

「だから修復用として確保した」

 

ザルドが答える。

 

「加工できれば、耐久性を補える可能性がある」

 

「加工できれば、じゃがのう」

 

ゼウスが顎へ手を当てた。

 

「昨日、ヘファイストスにはおおよその話をしておいた。異世界から来た男が、向こうの世界で神器と呼ばれる武器を直したがっておるとな」

 

「異世界まで話したのか?」

 

バンが尋ねる。

 

「中途半端に隠して、鍛冶神を相手にできると思うたか?」

 

「まあ、無理だな」

 

「ヘファイストスは口の軽い女神ではない。それに、この素材を持ち込む以上、普通の武器では通らん」

 

「ベヒーモスの角芯だからな」

 

「アンタレスの結晶については、詳しいことは伝えていない」

 

アルフィアが言った。

 

「実物を見せた方が早い」

 

「正体も分かってねぇしな」

 

「だからこそ、勝手に触るな」

 

「分かってるって」

 

ゼウスは卓の上に置かれたクレシューズへ目を向けた。

 

「これが、お主の神器か」

 

「詳しく見るのは初めてだったか?」

 

「遠征では遠目から見ておったが、こうして間近で見るのは初めてじゃ」

 

バンは包みを開き、傷ついた四節棍を見せる。

 

「聖棍クレシューズ。オレの相棒だ」

 

「四つの節からなる棍か」

 

「ああ。伸びるし、曲がるし、オレの意思で動く」

 

「それだけ聞けば便利な武器じゃな」

 

「使う奴が強けりゃな」

 

「お主が言うと、ただの自慢にしか聞こえんのう」

 

「事実だろ」

 

ゼウスが呆れたように笑う。

 

「ともあれ、行くぞ。ヘファイストスを待たせれば、儂まで炉へ放り込まれかねん」

 

「神を炉に入れていいのか?」

 

「よくないわ!」

 

 

       ◇

 

 

ヘファイストス・ファミリアの本拠に近づくにつれ、金属を打つ音が大きくなっていった。

 

いくつもの工房から、槌の音と熱気が絶え間なく漏れている。

 

炉から立ち上る煙。

 

運び込まれる鉱石。

 

仕上がった剣や槍を抱える団員。

 

武器を求める冒険者。

 

その中を、バンたちは進んだ。

 

入口付近にいた赤褐色の髪の鍛冶師が、ゼウスの姿へ気づいて手を止める。

 

「ゼウス様?」

 

「ヘファイストスに、昨日の件で来たと伝えてくれんかのう」

 

「承知しました。少々お待ちください」

 

団員は、バンたちの荷物へ一瞬だけ視線を向けた。

 

だが、中身を尋ねることなく建物の奥へ消える。

 

「すぐ入れねぇのか」

 

「鍛冶神は暇ではない」

 

アルフィアが言った。

 

「今、槌振ってたら止められねぇってことか?」

 

「神が鍛造へ集中している時に割り込めば、武器より先にお前が打たれる」

 

「面白そうだな」

 

「試すな」

 

しばらくして、先ほどの団員が戻ってきた。

 

「主神がお会いになります。皆様、奥の工房へお入りください」

 

案内された先は、団員たちが使う広い作業場ではなかった。

 

いくつもの扉を抜け。

 

さらに熱気の強い通路を進む。

 

突き当たりにある厚い鉄扉の前で、団員が足を止めた。

 

「こちらです。主神がお待ちです」

 

「案内ご苦労じゃった」

 

ゼウスが扉を開く。

 

内部は、思っていたよりも静かだった。

 

中央に大きな作業台。

 

壁には形も用途も異なる槌や鑿が並び、奥には火を落とした特殊な炉がある。

 

床には金属粉一つ落ちていない。

 

作業台の向こうに、赤い髪の女神が立っていた。

 

右目を眼帯で覆い。

 

残る片目で、入ってきた四人を順番に見る。

 

「時間どおりね、ゼウス」

 

「儂は約束を守る男じゃからのう」

 

「昨日、約束の時間を三度聞き直したそうね」

 

「確認は大切じゃ!」

 

「忘れていただけでしょう」

 

ザルドが言った。

 

「余計なことを言うでない!」

 

ヘファイストスは小さく息を吐き、バンへ視線を向けた。

 

「あなたがバンね」

 

「ああ」

 

「ゼウスから話は聞いているわ。異世界の神器を直したいということね」

 

「そうだ」

 

「まず見せなさい。話はそれからよ」

 

バンは作業台へ近づき、包みを開いた。

 

傷ついた四節棍を、静かに台の上へ置く。

 

「これがオレの神器、聖棍クレシューズだ」

 

ヘファイストスは、すぐには手を触れなかった。

 

表面。

 

節。

 

接続部分。

 

刻まれた細かな傷。

 

ひび割れの方向。

 

目だけで、長い時間をかけて観察する。

 

「あなたたちの世界では、こうした武器を神器と呼ぶのね」

 

「ああ。仲間たちも一人に一つずつ持ってた」

 

「神が作ったものではないと聞いたわ」

 

「巨人族の名工ダブズが作った」

 

「ダブズ……」

 

ヘファイストスはその名を口の中で繰り返した。

 

「知らない名ね。でも、この仕事を見れば名工だということは分かるわ」

 

「触らなくても分かんのか?」

 

「鍛冶師の仕事は、完成品の形だけに残るものではないの。どこへ力を逃がし、どこへ負荷を集め、どう壊れないようにしたか。その癖が武器に残るわ」

 

ようやく、ヘファイストスが指先でクレシューズの表面へ触れる。

 

節の境目。

 

傷の縁。

 

ひびの奥。

 

指を滑らせるたび、女神の表情が僅かに険しくなっていった。

 

「これは……妙ね」

 

「何がだ?」

 

「四つの節は別々に見える。でも、構造としては一つの武器なのよ」

 

「そうだぞ」

 

「金属をつないだだけではないわ。それぞれの節を通る力が、途中で一度も途切れていない。内部に一本の流れがある」

 

ヘファイストスは細い鑿を取り出す。

 

だが、クレシューズへ当てる直前で止めた。

 

「削らねぇのか?」

 

「削れば戻せない可能性があるもの」

 

「少しくらい平気だろ」

 

「鍛冶師の前で、その言葉を二度と言わないことね」

 

「怖ぇな」

 

「当然でしょう」

 

ヘファイストスは工具を置き、クレシューズを作業台の上でゆっくり回転させる。

 

「この接続部を作り直すだけなら難しくないわ」

 

「なら、直せんのか?」

 

「最後まで聞きなさい」

 

女神の声が低くなる。

 

「同じ形へ戻すだけならできる。壊れた箇所を削り、別の素材を足し、鍛え直せばいい。でも、それをすれば内部の流れは確実に断たれる」

 

「どうなる?」

 

「クレシューズではなくなるわ」

 

工房の中が静かになった。

 

「似た形をした四節棍にはできる。丈夫で、切れ味もよく、使いやすい武器に仕上げることもできるでしょうね」

 

「でも、こいつじゃねぇ」

 

「ええ」

 

ヘファイストスは迷わず答えた。

 

「作り手が込めた構造も、あなたとの結びつきも、神器としての力も失われる可能性が高い」

 

「なら、やらなくていい」

 

バンの答えは早かった。

 

「迷わないのね」

 

「形だけ同じでも、こいつじゃねぇなら意味がない」

 

バンは傷ついたクレシューズを見る。

 

「それに、ダブズが作ったもんを、分かんねぇからって壊して別物にすんのも気に入らねぇ」

 

ヘファイストスの口元が、僅かに緩んだ。

 

「その考えには同意するわ」

 

「鍛冶神でもか?」

 

「鍛冶神だからよ」

 

ヘファイストスは作業台から一歩離れる。

 

「私には、これを打てないわ」

 

「鍛造できないという意味か」

 

ザルドが尋ねる。

 

「いいえ。私の技術で作り直せないという意味よ。作った者が違えば、武器へ込めた理屈も違う。理解できないものを壊し、自分の技術で上書きすることを修復とは呼ばないわ」

 

「巨人族の名工への敬意か」

 

「顔も知らない鍛冶師だけれど、この武器を見れば仕事への執念は分かるもの」

 

ゼウスが腕を組み、クレシューズを眺めた。

 

「では、修復は不可能かのう」

 

「まだそうは言っていないわ」

 

ヘファイストスの視線が、ザルドの持つ包みへ移る。

 

「素材を見せなさい」

 

ザルドがベヒーモスの角芯を作業台へ置く。

 

重い音が工房へ響いた。

 

「ベヒーモスの角芯だ」

 

「随分と立派なものを持ち込んだわね」

 

「討伐した本人への報酬だ」

 

ゼウスが言う。

 

「バンが最も大きな功績を立てた。角の中でも、修復に使えそうな部分を選んだ」

 

ヘファイストスは手袋をはめ、角芯へ触れた。

 

指の関節で表面を軽く叩く。

 

低い音。

 

続けて、細い金属棒を当て、反響を確かめる。

 

「極端に硬いわね」

 

「使えそうか?」

 

「硬いだけなら、優れた素材とは言えないわ」

 

ヘファイストスは角芯の断面を見る。

 

「衝撃を正面から受け止め、内部へ分散している。ベヒーモスの巨大な身体と突進を支えていた部位だけあって、耐久性は異常よ」

 

「クレシューズへ混ぜれば、頑丈になるか」

 

「そのまま使えばね。でも、硬さが強すぎる」

 

「駄目なのか?」

 

「クレシューズは四節棍でしょう。強度だけを上げれば、節のしなやかさと可動性が死ぬわ。折れにくくはなる。でも、曲がらず、力を逃がせない武器になる」

 

「丈夫な棒になっちまうってことか」

 

「そういうことよ」

 

ヘファイストスは角芯から手を離し、アルフィアへ目を向けた。

 

「もう一つは?」

 

アルフィアは包みを作業台へ置いた。

 

封蝋を確認し。

 

慎重に布を開く。

 

内部から、黒紫色と銀色の光を宿した結晶が現れた。

 

工房の空気が僅かに震える。

 

ヘファイストスの表情が変わった。

 

「触らない方がいい」

 

アルフィアが言う。

 

「内部に異なる力がある。黒紫色のものは危険だ」

 

「銀色の方が抑えているのね」

 

「そう見える」

 

ヘファイストスは結晶へ顔を近づけるが、指先では触れない。

 

神の目で、その内部をじっと観察する。

 

「強いわね」

 

「使えるか?」

 

「簡単に聞かないで」

 

バンへ冷たい視線を向ける。

 

「こちらは角芯以上に扱いが難しい。二つの性質が内部で押し合っているわ。均衡が崩れれば、何が起きるか分からない」

 

「爆発すんのか?」

 

「それだけで済めば幸運でしょうね」

 

「物騒だな」

 

「持ってきたのはお前だ」

 

アルフィアが言った。

 

「捨てるよりマシだろ」

 

「それで街を吹き飛ばせば意味がない」

 

「だからここへ持ってきたんだろ」

 

ヘファイストスは結晶の周囲へ、いくつかの計測用具を並べる。

 

「この銀色の力には、黒紫色の力を抑えるだけでなく、均衡を保つ性質があるようね」

 

「クレシューズへ使えるか?」

 

「直接混ぜるのは無理よ」

 

「角芯も結晶も駄目か」

 

「素材が悪いのではないわ。使い方がないの」

 

ヘファイストスは、作業台の上に並ぶ三つを見る。

 

「角芯は強すぎる。結晶は危険すぎる。そしてクレシューズは、外から別の素材を打ち込める構造ではない」

 

「じゃあ、どうすんだ?」

 

「まだ調べることがあるわ」

 

ヘファイストスはバンへ手を伸ばした。

 

「クレシューズを持ってみなさい」

 

「こうか?」

 

バンが傷ついた四節棍を握る。

 

その瞬間。

 

弱く沈んでいた内部の力が、僅かに整った。

 

ひび割れの周囲で途切れかけていた流れが、完全ではないながらも一本につながろうとする。

 

ヘファイストスの左目が鋭くなる。

 

「もう一度、作業台へ置いて」

 

バンが手を離す。

 

流れが弱まる。

 

「持って」

 

再び握る。

 

力が安定する。

 

「やはりね」

 

「何がだ?」

 

「この武器は、あなたが触れている時の方が状態が安定する。単に使い手へ反応しているだけではないわ」

 

「神器だからじゃねぇのか?」

 

「それだけでは説明できない。あなたと武器の間に、深い経路ができている」

 

ヘファイストスはバンの手とクレシューズを交互に見る。

 

「長く使ってきたのね」

 

「ああ」

 

「何度も?」

 

「数え切れねぇくらいな」

 

「壊れた時も、一緒だったのか」

 

「当たり前だろ」

 

ヘファイストスは考え込む。

 

その時、アルフィアが口を開いた。

 

「その結晶は、バンとクレシューズが揃った時に反応を強めた」

 

「いつ確認したの?」

 

「旅の途中だ」

 

「他にもあるかしら」

 

「バンが《贈与》を使おうとした時、さらに強く反応した」

 

ヘファイストスが顔を上げる。

 

「《贈与》?」

 

「オレの技だ」

 

バンが答えた。

 

「どんな技なの?」

 

「オレの中にある力を、別の奴へ渡す」

 

「魔力を?」

 

「魔力だけじゃねぇ。体力や生命力も渡せる。奪った力を、別の奴へやることもできるぞ」

 

ゼウスが目を丸くした。

 

「お主、奪うだけではなかったのか」

 

「強欲だからって、盗るだけじゃねぇぞ」

 

「何とも都合のよい強欲じゃのう」

 

「オレのもんを、誰に渡すかもオレが決める。それだけだ」

 

ヘファイストスは、バンをまっすぐ見る。

 

「人間以外に使ったことは?」

 

「消えかけた精霊みてぇな奴には使った」

 

「武器には?」

 

「ねぇな」

 

「物質へ力を移した経験もないのね」

 

「ああ」

 

「結晶から何かを奪うことはできる?」

 

「やってみねぇと分からん」

 

「角芯は?」

 

「同じだ」

 

「では、確認する必要があるわ」

 

バンはクレシューズを握ったまま、二つの素材を見る。

 

「必要なもんだけ奪って、こいつへ渡すってことか?」

 

「まだ断定はできない」

 

ヘファイストスは慎重に言った。

 

「でも、普通の鍛冶ができない理由は、外から無理に素材を足そうとしているからよ」

 

「外からが駄目なら、内側からってことか」

 

「そう」

 

ヘファイストスは角芯を指す。

 

「角芯から、硬さそのものではなく、衝撃へ耐える性質だけを取り出す」

 

次に、アンタレスの結晶へ視線を移す。

 

「結晶からは、黒紫色の危険な力を避け、銀色の安定した性質だけを選び出す」

 

「そんな器用なことできんのか?」

 

「私に聞かないで。あなたの技でしょう」

 

「雑だな」

 

「説明もせずに未知の技を持ち込んだ男へ言われたくないわ」

 

アルフィアが、クレシューズを見た。

 

「取り出した性質を《贈与》で渡す」

 

「ただ渡すだけでは駄目よ」

 

ヘファイストスが続ける。

 

「この武器が受け入れる必要がある。普通の武器なら、与えられた力に耐えられず壊れる可能性が高い。でもクレシューズは、あなたとつながっている」

 

「オレを通せば、こいつ自身が受け取れるかもしれねぇってことか」

 

「ええ」

 

ヘファイストスは、傷ついた四節棍へそっと手を添えた。

 

「外から作り直すのではない。必要なものをあなたが運び、この武器自身に吸収させる」

 

「それで傷が塞がるのか?」

 

「分からないわ」

 

「またそれか」

 

「未知の神器、未知の素材、未知の技。確実だと言う鍛冶師がいたら、そいつは詐欺師よ」

 

ヘファイストスは片目を細めた。

 

「でも、その技なら可能性があるわ」

 

バンがクレシューズを握り直す。

 

「《贈与》で直すのか?」

 

「正確には違う」

 

ヘファイストスは首を横へ振る。

 

「直すのは私じゃない。あなたと、その武器自身よ」

 

「こいつ自身が直る……」

 

「私は、必要な性質を選び、危険な反応を抑え、受け入れられる状態を整えるだけ。実際に力を渡すのはあなた。そして、それを自分の一部として取り込むのはクレシューズよ」

 

工房の中に、炉の残り火が弾ける音が響く。

 

バンはしばらく何も言わず、傷ついた相棒を見つめていた。

 

「やってみようぜ」

 

「今日は駄目よ」

 

「何でだ?」

 

「今の話を聞いて、すぐ始められると思ったの?」

 

ヘファイストスは呆れたように息を吐いた。

 

「角芯と結晶の性質を、さらに詳しく調べる必要があるわ。《贈与》が物質へ作用するかも、安全な物で試さなければならない」

 

「安全な物って?」

 

「普通の鉱石や、壊れても困らない武器よ」

 

「クレシューズで試せば早ぇだろ」

 

「失敗したら二度と戻らないと言ったでしょう」

 

「……それは困るな」

 

「珍しく理解が早いわね」

 

「こいつのことだからな」

 

バンは素直にクレシューズを作業台へ戻した。

 

「どれくらいかかる?」

 

「まだ分からない。数日で済むかもしれないし、もっと長くなるかもしれないわ」

 

「ここに置いてくのか?」

 

「クレシューズは持ち帰りなさい」

 

「いいのか?」

 

「あなたから離す方が不安定になる。角芯と結晶は預かるわ」

 

アルフィアが口を開く。

 

「結晶の封印は」

 

「私の工房に合わせて作り直す。今の封蝋も悪くはないけれど、長期間の検査には向かないわ」

 

「危険があれば、すぐに呼べ」

 

「そのつもりよ」

 

ゼウスが咳払いをする。

 

「それと、この件は秘密にしてもらいたい」

 

「分かっているわ」

 

ヘファイストスはゼウスを見る。

 

「異世界の神器、神の恩恵を持たない所有者、ベヒーモスの角芯に未知の結晶。公にすれば、鍛冶師も神々も群がるでしょうね」

 

「バンは見世物ではない」

 

アルフィアが冷たく言った。

 

「神器も同じだ」

 

「心配しなくても、私の許可なく団員へ触らせるつもりはないわ。今日ここで見たことも、必要な者以外には話さない」

 

「助かるぞ、ヘファイストス」

 

「その代わり、ゼウス」

 

「何じゃ?」

 

「貸し一つよ」

 

「ぬっ」

 

「嫌なら、今すぐ持ち帰っても構わないけれど?」

 

「大神同士、助け合いは大切じゃな!」

 

「都合のいい時だけ大神を名乗るな」

 

ザルドが言った。

 

「主神への敬意!」

 

「今日はそればかりだな」

 

ヘファイストスは二人を無視し、バンへ視線を戻した。

 

「あなたも勝手なことをしないで」

 

「何もしてねぇぞ」

 

「これからの話よ。私が許可するまで、結晶や角芯から何かを奪おうとしない。クレシューズへ《贈与》を使わない」

 

「分かったよ」

 

「返事が軽いわね」

 

「みんな同じこと言うな」

 

「普段の行いでしょう」

 

バンは包み直したクレシューズを肩へ担ぐ。

 

作業台には、二つの素材が残された。

 

ベヒーモスの角芯。

 

アンタレスの結晶。

 

一方は、あらゆる衝撃へ耐え抜く強さ。

 

もう一方は、相反する力を内側で均衡させる性質。

 

どちらも、この世界でバンが討ち、出会った災害の名残だった。

 

「じゃあ、任せたぞ」

 

「任されたわ。でも、勘違いしないことね」

 

「何をだ?」

 

「私は修復方法を探すだけ。最後にその武器を救えるかどうかは、あなた次第よ」

 

バンは肩のクレシューズへ手を添える。

 

「それで十分だ」

 

工房の炉へ、ヘファイストスが火を入れる。

 

赤い炎が立ち上がり。

 

黒い角芯と銀色を宿す結晶を照らした。

 

二つの災害が残した素材。

 

異世界の名工が作った神器。

 

それらをつなぐ可能性を持つのは、神でも鍛冶師でもない。

 

神の恩恵を受けていない、一人の強欲な男だった。




第10部の最終話となる今回は、クレシューズと二つの素材をヘファイストスが鑑定し、通常の鍛冶では修復できないことが判明する回でした。
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