強欲の旅人は神の恩恵を受けない   作:ルクエリシオン

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第72話 強欲からの贈与

 本番の日。

 

 ヘファイストスの奥工房には、普段よりも多くの器具が並べられていた。

 

 作業台の中央には、傷ついた聖棍クレシューズ。

 

 その右側には、黒く硬質なベヒーモスの角芯。

 

 左側には、いくつもの封印と魔石器具に囲まれた金属箱が置かれている。

 

 箱の中には、アンタレスの結晶。

 

 そして、工房の床には、作業台を中心として幾重もの円が描かれていた。

 

 失敗した際に力を外へ漏らさないための結界。

 

 結晶が暴走した場合に、工房の炉へ力を流すための溝。

 

 クレシューズへ流れ込む力を測る魔石器具。

 

 数日をかけて、ヘファイストスが準備したものだった。

 

「ずいぶん大げさだな」

 

 バンは作業台の前に立ち、床の線を見下ろした。

 

「大げさで済めば安いものよ」

 

 ヘファイストスは器具を一つずつ確認している。

 

「今日は、失敗すればクレシューズだけでは済まないわ」

 

「結晶が暴れんだろ」

 

「それだけではない」

 

 アルフィアが壁際から口を挟む。

 

「お前が力を奪いすぎれば、角芯は崩れる。与える量を誤れば、クレシューズが内側から壊れる。結晶の均衡を崩せば、黒紫色の力がお前へ食いつく」

 

「全部分かってる」

 

「分かっている者は、もう少し緊張する」

 

「緊張したらうまくいくのか?」

 

「少なくとも、笑っているよりはましだ」

 

「オレは笑ってる方が調子いいんだよ」

 

「馬鹿の理屈だな」

 

 ザルドは角芯の横に立ち、固定具を確認していた。

 

 角芯は厚い金属枠へ嵌められ、三方向から鎖で押さえられている。

 

 バンが《強奪》を使った際に、素材が動かないようにするためだった。

 

「角芯の固定は問題ない」

 

 ザルドが言う。

 

「奪う範囲は、ここだ」

 

 黒い表面の一部へ、白い印がつけられている。

 

 掌より少し小さい程度。

 

 必要な性質を抜き取れば、その部分は色を失い、灰になる。

 

 角芯全体を使う必要はない。

 

 だが、印の外まで奪えば、残すはずの本体にも影響が出る。

 

「その印より外へ広げるな」

 

「分かってる」

 

「量はヘファイストスの指示に従え」

 

「へいへい」

 

「返事が軽い」

 

「何回目だよ、それ」

 

「お前が直さない限り、何度でも言う」

 

 工房の入口近くでは、ゼウスが杖を両手で握っていた。

 

「儂は何をすればよい?」

 

「何もしないで」

 

 ヘファイストスが即答する。

 

「しかし、儂も保証人として――」

 

「騒がず、術式の外で見ていなさい」

 

「それだけか?」

 

「それ以上は邪魔よ」

 

「大神に対して、あまりにも冷たくないかのう?」

 

「今からでも外へ出すわよ」

 

「静かに見ておる!」

 

 ゼウスは口を閉じた。

 

 バンが小さく笑う。

 

「じじい、本当に何しに来たんだ?」

 

「お主の成功を見届けるためじゃ!」

 

「なら黙ってろ」

 

「お主まで言うのか!」

 

「静かにしなさい」

 

「……はい」

 

 ヘファイストスは深く息を吐き、作業台の前へ立った。

 

「手順を確認するわ」

 

「何度も聞いたぞ」

 

「本番前にもう一度聞きなさい」

 

 彼女はまず、角芯を指す。

 

「最初に、ベヒーモスの角芯から、衝撃を受け止め、内部へ分散する性質だけを抜き取る」

 

「硬さと重さは避ける」

 

「ええ。必要量へ達したら、私が止める。勝手に続けないこと」

 

「分かった」

 

「それをクレシューズへ《贈与》する」

 

「こいつが、自分で傷を塞ぐ」

 

「その時点では、四つの節の流れが乱れる可能性が高いわ」

 

 次に、金属箱へ目を向ける。

 

「そこで、結晶から均衡した状態の力を取り出す」

 

「銀色だけじゃなく、黒紫色も少し一緒に取る」

 

「ただし、黒紫色が銀色の制御を超えたら即座に切る」

 

 アルフィアが低く言う。

 

「私が止めろと言った瞬間にだ」

 

「ああ」

 

「今回は遅れるな」

 

「分かってるって」

 

「最後に、その均衡をクレシューズへ渡す」

 

 ヘファイストスが続ける。

 

「クレシューズが二つの性質を、自分の構造へ取り込めれば修復は成立する」

 

「受け取らなかったら?」

 

「そこで終わりよ」

 

「受け取る」

 

「断言できる根拠は?」

 

「オレの相棒だからな」

 

 ヘファイストスは一瞬だけ目を細めた。

 

「……いいわ」

 

 否定はしなかった。

 

「始めましょう」

 

 工房の扉が閉じられる。

 

 外側から、重い閂がかけられた。

 

 結界が起動し。

 

 床の円へ淡い光が走る。

 

 魔石器具が低い音を立て始める。

 

 バンは赤い長衣の袖を捲り、右手を角芯へ伸ばした。

 

 直接触れる。

 

 黒く。

 

 冷たく。

 

 巨獣の力を残した素材。

 

 以前の実験で、小さな欠片から必要な性質は何度も取り出している。

 

 だが、本体は違った。

 

 指先から伝わる密度も。

 

 内部に積み重なった力の層も。

 

 欠片とは比べものにならない。

 

「無理に奥まで探るな」

 

 ザルドが言う。

 

「表面近くでも、必要な性質は十分にある」

 

「分かってる」

 

 バンは目を閉じた。

 

 硬さを避ける。

 

 重さを避ける。

 

 ベヒーモスそのものの力も必要ない。

 

 探すのは。

 

 巨体を支え。

 

 幾度もの衝突へ耐え。

 

 受けた力を一点へ留めず、角全体へ逃がしていた性質。

 

 指先の奥。

 

 黒い角芯の中に。

 

 何度も力が通った道がある。

 

「見つけた」

 

 バンが呟く。

 

「まだ奪わないで」

 

 ヘファイストスが器具を見る。

 

「対象が狭い。もう少しだけ広げなさい。ただし印の内側までよ」

 

 バンは意識を広げる。

 

 掌の下。

 

 白い印で囲まれた範囲だけへ。

 

 角芯が受け止めてきた衝撃。

 

 それを散らし。

 

 流し。

 

 壊れずに耐えてきた働き。

 

「今よ」

 

 ヘファイストスの声が響く。

 

「強奪《スナッチ》」

 

 角芯の内部から。

 

 目には見えない流れが引き抜かれた。

 

 バンの右腕へ、重い感覚が入ってくる。

 

 前回、硬さだけを奪った時のような、動きを鈍らせる重さではない。

 

 何かが触れるたび。

 

 それを横へ。

 

 奥へ。

 

 全体へと逃がそうとする感覚。

 

「少し強い」

 

 ヘファイストスが言う。

 

「量を落として」

 

 バンは《強奪》の流れを細くする。

 

 角芯の表面が、僅かに色を失い始めた。

 

 黒から。

 

 濃い灰色へ。

 

 そして、乾いた白へ。

 

「まだだ」

 

 ザルドが固定具を押さえながら言う。

 

「印の中央に性質が残っている」

 

「分かってる」

 

 バンは狙いを中央へ寄せる。

 

 引き抜く。

 

 奪う。

 

 だが、取りすぎない。

 

 必要な分だけ。

 

 クレシューズが傷を塞ぐために必要な分だけ。

 

「止めて!」

 

 ヘファイストスの声。

 

 バンは即座に《強奪》を切った。

 

 角芯の白くなった部分へ。

 

 細かな亀裂が走る。

 

 一つ。

 

 二つ。

 

 乾いた音。

 

 白い表面が崩れ。

 

 灰となって金属枠の下へ落ちた。

 

 黒い角芯には、浅く抉れた跡が残る。

 

 だが、印の外側は元のままだった。

 

「成功だ」

 

 ザルドが言う。

 

「本体への影響は少ない」

 

「量は?」

 

 バンが尋ねる。

 

 ヘファイストスは器具の光を確認する。

 

「計算どおりよ。クレシューズへ渡せる範囲に収まっている」

 

「なら、次だ」

 

 バンは右手を角芯から離す。

 

 奪った性質は、身体の中に留めている。

 

 長く持てば、バン自身の感覚へ混ざる。

 

 その前に渡す必要がある。

 

 クレシューズを両手で持ち上げる。

 

 傷ついた四節棍。

 

 中央の節を握った瞬間。

 

 弱かった内部の流れが、バンへ応えるように動き始めた。

 

「少しずつよ」

 

 ヘファイストスが言う。

 

「一度に全部渡さないで」

 

「ああ」

 

 バンは奪った性質を、細く分ける。

 

 流れを作る。

 

 中央の節から。

 

 四つの節へ。

 

 傷ついた接続部へ。

 

「持ってけ、クレシューズ」

 

 指先から。

 

 角芯の性質を押し込む。

 

「贈与《ギフト》」

 

 クレシューズが大きく震えた。

 

 金属音。

 

 鎖が跳ね。

 

 四つの節が作業台を叩く。

 

「押さえろ!」

 

 ザルドが外側の節を掴む。

 

 バンは中央を握ったまま、力を流し続ける。

 

 角芯の性質が、クレシューズの内部へ入る。

 

 一度は傷の前で止まり。

 

 次の瞬間。

 

 クレシューズ自身の流れが、それを掴んだ。

 

「受け取ったわ!」

 

 ヘファイストスが器具を見る。

 

「バンの力から離れて、クレシューズの流れへ乗っている!」

 

 ひびの両側へ。

 

 角芯の性質が集まる。

 

 砕けかけていた接続部が。

 

 内側から押し戻されていく。

 

 細かな裂け目が狭まり。

 

 歪んだ鎖の一部が、本来の位置へ戻ろうと軋む。

 

「まだ足りねぇ」

 

「増やしすぎないで!」

 

「こいつが欲しがってる」

 

「感覚で量を決めないで!」

 

「分かるんだよ!」

 

 クレシューズの内部から。

 

 流れがバンの手へ返ってくる。

 

 もっと。

 

 傷を塞ぐために。

 

 失った強度を取り戻すために。

 

 必要なものを求めている。

 

「少しだけ増やして」

 

 ヘファイストスが器具を確認しながら言う。

 

「今の半分の量よ」

 

「分かった」

 

 バンは《贈与》を強める。

 

 角芯から奪った性質が。

 

 中央の節を通り。

 

 傷ついた場所へ吸い込まれていく。

 

 ひびが塞がる。

 

 鎖の歪みが戻る。

 

 四節棍の形が、少しずつ本来の姿へ近づいていく。

 

「止めて!」

 

 バンが《贈与》を切った。

 

 工房に、硬い金属音が響く。

 

 クレシューズは。

 

 形だけを見れば、ほとんど修復されていた。

 

「戻ったな」

 

 バンが笑う。

 

「まだよ」

 

 ヘファイストスの声は厳しかった。

 

「内部の流れを見なさい」

 

 魔石器具の光。

 

 四つの節を巡る流れが。

 

 激しくぶつかり合っている。

 

 角芯の性質が強すぎる。

 

 傷は塞がった。

 

 だが、新しく取り込んだ力が。

 

 本来のクレシューズの動きへ馴染まず。

 

 節と節の間で衝突していた。

 

 バンが軽く振ろうとする。

 

 鎖が伸びない。

 

 外側の節が動きかけ。

 

 途中で硬く止まった。

 

「一本の棒みてぇになってんな」

 

「言ったでしょう」

 

 ヘファイストスが金属箱へ向かう。

 

「修復はできても、角芯の性質だけでは四節棍としての均衡が崩れる」

 

「次だな」

 

「ああ」

 

 アルフィアが箱の前へ立つ。

 

「ここからが本番だ」

 

 ヘファイストスが四隅の魔石器具を作動させる。

 

 金属箱の留め具が外れる。

 

 蓋がゆっくりと開いた。

 

 銀色の光。

 

 その奥で蠢く黒紫色。

 

 前回生じた亀裂は。

 

 完全には消えていない。

 

 だが、銀色の力がその周囲へ集まり。

 

 黒紫色を内部へ押し戻していた。

 

「狙うのは、均衡した一組よ」

 

 ヘファイストスが言う。

 

「銀色だけを引かないこと」

 

「分かってる」

 

「黒紫色が銀色を超えたら切れ」

 

 アルフィアが続ける。

 

「私の合図を待つな。異常を感じた時点で止めろ」

 

「それじゃ、お前の役目ねぇだろ」

 

「お前の判断が遅れた時に止める」

 

「なら頼んだぞ」

 

「頼まれるまでもない」

 

 バンはクレシューズを左手で握り。

 

 右手を結晶へ向けた。

 

 距離を置く。

 

 触れない。

 

 見えない手を、銀色の膜へ伸ばす。

 

 黒紫色の力が。

 

 すぐにバンへ反応した。

 

 結晶の奥から。

 

 獲物を見つけた獣のように浮かび上がる。

 

「そっちを見るな」

 

 アルフィアの声。

 

「ああ」

 

 バンは銀色だけへ意識を向けない。

 

 前回は、それが失敗だった。

 

 見るのは。

 

 銀色と黒紫色。

 

 二つが押し合う境目。

 

 黒紫色が膨らめば。

 

 銀色が受け。

 

 流れを変え。

 

 元の位置へ戻す。

 

 敵と。

 

 抑える力。

 

 ではない。

 

 二つが存在することで成り立つ、一つの均衡。

 

「見つけた」

 

 バンが呟く。

 

「まだ引くな」

 

 アルフィアが結晶を睨む。

 

「黒紫色が動いている」

 

「こっちも見てる」

 

「量を抑えろ」

 

「分かってる」

 

 バンは二つの力の境目へ。

 

 ごく細い狙いを定めた。

 

「強奪《スナッチ》」

 

 銀色の糸が浮かび上がる。

 

 その内側に。

 

 黒紫色の細い流れが絡んでいた。

 

 前回のように、黒紫色だけが食いついてくるわけではない。

 

 二つが一組となって。

 

 結晶から引き抜かれていく。

 

「そのまま」

 

 ヘファイストスが器具を見る。

 

「銀色が優位を保っているわ」

 

「量を増やすな」

 

 アルフィアが言う。

 

「今の幅を維持しろ」

 

 バンの指先へ。

 

 均衡した力が近づく。

 

 銀色。

 

 黒紫色。

 

 反発しながらも。

 

 銀色の流れが、黒紫色を包み込んでいる。

 

 だが。

 

 結晶の亀裂が、再び光った。

 

 黒紫色の力が。

 

 内側から押し広げようとする。

 

「少し強くなった」

 

 ザルドが言う。

 

「バン、止める準備をしろ」

 

「まだ足りねぇ」

 

「必要量の半分よ」

 

 ヘファイストスが答える。

 

「もう少しだけ」

 

「分かってる」

 

 バンは流れを保つ。

 

 引きすぎない。

 

 銀色の膜を壊さない。

 

 黒紫色を自由にしない。

 

 欲しいものだけを奪うのではなく。

 

 二つの関係ごと。

 

 崩さずに取り出す。

 

「あと少し!」

 

 ヘファイストスの声。

 

 その瞬間。

 

 結晶の内側で。

 

 黒紫色が大きく膨らんだ。

 

 銀色の糸へ。

 

 太い黒紫色の流れが食いつく。

 

「切れ!」

 

 アルフィアが叫ぶ。

 

 バンは即座に《強奪》を切ろうとした。

 

 だが。

 

 黒紫色の力が離れない。

 

 前回よりも強く。

 

 バンの右腕へ絡みついている。

 

「またかよ!」

 

「腕を引け!」

 

 ザルドが動く。

 

「待て!」

 

 バンが叫んだ。

 

「今引かれたら、銀色まで切れる!」

 

「お前が壊れるぞ!」

 

「まだだ!」

 

 黒紫色が腕へ入り込もうとする。

 

 皮膚ではない。

 

 肉体でもない。

 

 存在の形そのものへ。

 

 別の何かを刻み込もうとする力。

 

 銀色は。

 

 それを押さえながら。

 

 バンと結晶の間で揺れている。

 

「バン、離せ!」

 

 アルフィアが一歩踏み出す。

 

「まだだ。こいつが受け取ってねぇ」

 

「何を言っている!」

 

「クレシューズへ渡す!」

 

「今の状態で《贈与》を使えば、黒紫色まで入る!」

 

「銀色が押さえてる!」

 

「崩れたら終わりだ!」

 

「崩さねぇ!」

 

 バンは左手で握ったクレシューズへ意識を向ける。

 

 硬くなりすぎ。

 

 四つの節の流れを失いかけた相棒。

 

 そこへ必要なのは。

 

 強さを消す力ではない。

 

 異なるものを受け入れ。

 

 互いを壊さず。

 

 元の流れへ戻す均衡。

 

「持ってけ、クレシューズ!」

 

 右腕へ絡みつく力を。

 

 自分の中へ入れない。

 

 溜めない。

 

 奪った瞬間の流れを、そのまま左手へ通す。

 

 銀色と。

 

 黒紫色。

 

 二つを一組のまま。

 

「贈与《ギフト》!」

 

 光が弾けた。

 

 銀色の流れが。

 

 バンの両腕を通り。

 

 クレシューズへ流れ込む。

 

 その内側には。

 

 ごく僅かな黒紫色。

 

 銀色へ包まれたまま。

 

 中央の節へ入った。

 

「受け取った!」

 

 ヘファイストスが叫ぶ。

 

「流れがクレシューズへ移ったわ!」

 

 黒紫色の力が。

 

 バンの右腕から離れる。

 

 結晶とのつながりが切れた。

 

「箱を閉じろ!」

 

 ザルドが叫ぶ。

 

 ヘファイストスが即座に蓋を下ろす。

 

 留め具。

 

 魔石器具。

 

 結界。

 

 金属箱が銀白色の壁へ包まれた。

 

 内側から。

 

 一度だけ重い衝撃。

 

 だが。

 

 前回のような連続した暴走は起こらなかった。

 

 銀色の力が。

 

 残された黒紫色を内側へ抱き込み。

 

 亀裂の周囲へ集まっている。

 

 その一方で。

 

 クレシューズが激しく震えた。

 

 角芯の性質。

 

 銀色の均衡。

 

 そして、ごく僅かな黒紫色。

 

 三つの流れが。

 

 四つの節の中でぶつかり合う。

 

「バン、手を離すな!」

 

 ヘファイストスが叫ぶ。

 

「お前との道が必要よ!」

 

「離す気ねぇよ!」

 

 バンは両手でクレシューズを握る。

 

 内部の衝突。

 

 角芯の性質は。

 

 傷を塞ぎ。

 

 力を受け止めようとする。

 

 黒紫色は。

 

 新しい形へ変えようとする。

 

 銀色は。

 

 二つの間へ入り。

 

 暴れた流れを受け止め。

 

 元の位置へ戻していく。

 

 クレシューズ自身の流れが。

 

 そこへ重なった。

 

 四つの節。

 

 鎖。

 

 鋭い先端。

 

 ダブズが作った本来の構造。

 

 失われかけた道を。

 

 神器自身が探し。

 

 新しい性質を、自分の形へ組み込もうとしている。

 

「戻れ」

 

 バンが低く言う。

 

「お前は、そんな棒じゃねぇだろ」

 

 中央の節が震える。

 

 外側の節へ。

 

 一本の光が通った。

 

「もう少しだ!」

 

 ザルドが固定具を押さえる。

 

「四つの流れがつながる!」

 

 アルフィアが、クレシューズの内部を睨む。

 

「銀色が弱まっている」

 

「足りねぇのか?」

 

「違う」

 

 アルフィアの目が細くなる。

 

「役目を終えている」

 

 銀色の力が。

 

 黒紫色を押さえつけるのではなく。

 

 クレシューズ自身の流れへ溶け込んでいく。

 

 黒紫色も。

 

 独立した力として残らず。

 

 傷を塞ぐ過程で生まれた、新しい流れの一部へ組み込まれる。

 

 やがて。

 

 四つの節を巡る光が。

 

 一つの輪となった。

 

 硬く止まっていた鎖が。

 

 低い音を立てて伸びる。

 

 一節。

 

 二節。

 

 三節。

 

 四つすべてが。

 

 本来の間合いへ開いた。

 

 そして。

 

 バンが力を抜くと。

 

 四節棍は滑らかに縮み。

 

 元の姿へ戻った。

 

 工房の中から。

 

 すべての音が消える。

 

 魔石器具の光も。

 

 少しずつ落ち着いていく。

 

 バンは。

 

 修復されたクレシューズを持ち上げた。

 

 傷はない。

 

 歪みも。

 

 ひびも。

 

 アンタレスとの戦いで受けた損傷は。

 

 どこにも残っていなかった。

 

「終わったのか?」

 

 ゼウスが、術式の外から小さな声で尋ねる。

 

「まだ動かさないで」

 

 ヘファイストスが答える。

 

 彼女は作業台へ近づき。

 

 クレシューズの節を。

 

 鎖を。

 

 接続部を。

 

 一つずつ確認していく。

 

 バンの手から離しても。

 

 内部の流れは消えない。

 

 弱まるが。

 

 止まらず。

 

 本来の道を巡り続けている。

 

「元どおりか?」

 

 バンが聞く。

 

 ヘファイストスは。

 

 しばらく何も言わなかった。

 

 やがて。

 

 僅かに口元を緩める。

 

「いいえ」

 

「失敗か?」

 

「逆よ」

 

 赤髪の女神は。

 

 修復された神器を見つめた。

 

「元の構造を残したまま、新しい性質を自分の一部として受け入れている」

 

「じゃあ」

 

「成功よ」

 

 その言葉が落ちた瞬間。

 

 ゼウスが両腕を上げた。

 

「やったぞ!」

 

「静かにしなさい!」

 

「もう終わったのではないか!?」

 

「まだ検査が残っているわ!」

 

「喜ぶくらいいいじゃろ!」

 

「外で喜びなさい!」

 

 工房に。

 

 久しぶりの騒がしい声が響いた。

 

 バンは、ゼウスたちを見ず。

 

 手の中のクレシューズだけを見ていた。

 

「戻ったな」

 

 指先で、中央の節を軽く叩く。

 

 クレシューズが。

 

 応えるように。

 

 小さく震えた。




今回は、ベヒーモスの角芯から得た衝撃耐性と、アンタレスの結晶が持つ均衡を、バンの《強奪》と《贈与》によってクレシューズへ渡す修復本番を描きました。

奪うことを象徴するバンが、相棒を救うために奪ったものをそのまま与える。第11部の中心となる場面です。

次回は、再生した聖棍クレシューズの状態と、修復によって生まれた変化を確認します。
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