修復が終わったあとも、バンはすぐには工房を出られなかった。
ヘファイストスが許さなかったからだ。
「もう直ったんだろ?」
「見た目だけで判断しないで」
「振りゃ分かる」
「工房の中で振らないで」
「軽くならいいだろ」
「駄目よ」
バンは作業台の前に立ち、修復されたクレシューズを握っている。
傷は完全に消えていた。
アンタレスとの戦いで歪んだ接続部も。
細かな亀裂が走っていた四つの節も。
黒紫色の力に侵されかけた内部の流れも。
すべてが、本来の形へ戻っている。
しかし、まったく以前と同じではない。
握った時に返ってくる感触が、僅かに違っていた。
重さは変わっていない。
表面の硬さも。
柄の太さも。
手へ馴染む位置も同じ。
それでも。
クレシューズの奥に、以前にはなかった静かな流れが存在している。
バンが力を込めれば、その流れが四つの節へ均等に巡り。
力を抜けば、暴れずに中央へ戻ってくる。
「前より大人しくなったな」
「武器を子供のように言うな」
アルフィアが冷たく言った。
「暴れねぇって意味だぞ」
「お前の扱いが雑だっただけではないのか」
「雑じゃねぇよ」
「地面へ叩きつけ、敵へ投げ、引きずり、無理に伸ばしていた」
「武器ってのは使うもんだろ」
「限度がある」
「お前に言われたくねぇな」
「何だと?」
「魔法で全部吹き飛ばす奴が、武器の扱い語んのか?」
「福――」
「工房で魔法を使わないで!」
ヘファイストスの声が飛ぶ。
アルフィアは口を閉じ。
バンは小さく笑った。
作業台の横では、ザルドが角芯を包み直している。
性質を抜き取られた箇所は、掌ほどの範囲だけ浅く抉れていた。
黒かった表面の一部が白い灰へ変わり。
今は金属製の受け皿へ集められている。
角芯の大部分は残った。
巨獣の圧も。
素材としての価値も。
完全には失われていない。
「残った角芯は、また保管庫へ戻す」
ザルドが言う。
「もうクレシューズには使わねぇのか?」
「今回の修復に必要な量は得た」
「また壊れたら?」
「その時に考える」
ヘファイストスが答えた。
「同じ方法が、何度でも使えるとは限らないわ」
「何でだ?」
「クレシューズは、すでに角芯の性質を自分の一部として取り込んでいる。次も同じものを与えれば、均衡を崩す可能性がある」
「食いすぎると腹壊すみてぇなもんか」
「例えが雑だけれど、近いわね」
「なら分かりやすいだろ」
「武器を食いしん坊扱いするな」
ザルドが低く言う。
「お前が言うと説得力あるな」
「どういう意味だ」
「そのままだろ」
「殴るぞ」
「工房で暴れないで!」
ヘファイストスが額へ手を当てる。
少し離れた場所では、ゼウスが金属箱を覗き込もうとしていた。
「その箱へ近づかないで」
「まだ何もしておらんぞ」
「今からしようとしていたでしょう」
「中がどうなったか気になっただけじゃ」
「私が確認するわ」
「儂にも見せてくれてもよかろう」
「駄目よ」
「なぜじゃ!」
「触るから」
「触らん!」
「顔が触ると言っているわ」
「最近、皆して顔で判断しすぎではないか!?」
バンが笑う。
「日頃の行いだな、じじい」
「お主にだけは言われたくない!」
ヘファイストスは騒ぐ二人を無視し、金属箱の封印を一つずつ確認した。
アンタレスの結晶は。
すでに、元の姿を失っていた。
修復の最中。
均衡を保つ性質をクレシューズへ渡したことで、結晶の内部構造は崩れている。
銀色の力は、最後まで残った黒紫色を包み込み。
暴走させることなく、その流れを内側へ沈めた。
色を失った結晶には、無数の亀裂が走り。
最後には。
透明な灰となって、箱の底へ積もっていた。
「完全に崩れているわ」
ヘファイストスが言う。
「黒紫色の力は?」
アルフィアが尋ねる。
「残っていない。銀色の力も、独立した形では確認できないわ」
「全部、クレシューズへ入ったのか?」
バンが聞く。
「いいえ」
「じゃあ、どこ行った?」
「必要な性質だけがクレシューズへ渡り、残りは互いを打ち消しながら消えた」
「消えた?」
「正確には、危険な形を維持できなくなったのよ」
ヘファイストスは箱の底に積もった灰を見る。
「均衡を失えば、黒紫色は暴走するはずだった。でも、銀色は最後まで役目を果たした」
「黒紫色を押さえ込んだ」
ザルドが言う。
「押さえ込んだというより、一緒に崩れたのかもしれないわね」
「仲良く心中したみてぇだな」
バンが言った。
「随分と乱暴な表現ね」
「でも、間違ってねぇだろ」
「完全には否定しないわ」
アルフィアは箱の中を見つめたまま、短く息を吐いた。
「これで、アンタレスの残滓は消えた」
「ああ」
バンも灰へ視線を向ける。
砂漠の遺跡。
月の女神。
巨大なサソリ。
結晶の奥で蠢いていた禍々しい力。
旅の間、何度もクレシューズへ反応し。
危険を残し続けたもの。
それはもうない。
残ったのは。
傷を塞ぎ。
新しい力を受け入れ。
自分自身であり続けるための均衡だけだった。
「灰はどうする?」
「しばらく保管するわ」
ヘファイストスが答える。
「本当に力が残っていないか、時間を置いて確認する必要がある」
「危険がなけりゃ捨てんのか?」
「研究用に少し残すでしょうね」
「食えんのか?」
「なぜ食べようとするの」
「灰なら調味料に――」
「ならないわ!」
「冗談だよ」
「お前の場合は冗談に聞こえない」
アルフィアが言った。
「オレは何でも食うザルドとは違ぇぞ」
「俺も灰は食わん」
「基準そこかよ」
ザルドは真顔だった。
ヘファイストスは、これ以上話を広げないようにクレシューズへ視線を戻す。
「次は、内部の確認よ」
「まだあるのか?」
「当然でしょう」
彼女は作業台に並べた魔石器具を動かした。
クレシューズの四つの節の下へ。
それぞれ一つずつ、小さな透明の魔石を置く。
「軽く力を流して」
「振るなって言っただろ」
「振らずに流すの」
「器用な注文すんな」
「できるでしょう」
バンは中央の節を握る。
ほんの僅かに。
クレシューズへ力を通す。
四つの魔石が、一斉に光った。
中央から。
外側へ。
同じ強さで。
同じ速さで。
一本の流れが巡る。
以前のような途切れはない。
傷の前で行き場を失うことも。
別の道を探して揺らぐこともない。
四つの節をつなぎ。
最後に中央へ戻る。
「流れは安定しているわ」
ヘファイストスが言った。
「角芯の性質も、一か所へ偏っていない」
「銀色の均衡は?」
「全体へ薄く広がっている。異なる性質をつなぐ役目を果たしているわ」
「黒紫色は」
アルフィアが尋ねる。
ヘファイストスは器具を確認し。
「独立した力としては残っていない」
「本当か?」
「ええ。ただし、その影響が完全にないとは言えないわ」
「どういう意味だ?」
バンが聞く。
「クレシューズが新しい性質を受け入れる時、黒紫色の力が構造を変えるきっかけになった可能性がある」
「危険なのか?」
「今のところは違う」
ヘファイストスは中央の節へ目を向ける。
「黒紫色は、何かを別の形へ変えようとする力だった。でも、銀色の均衡とクレシューズ自身の流れに取り込まれたことで、暴走する性質は失っている」
「じゃあ、何が残った?」
「変化を拒まず、必要な形へ適応する性質」
「適応?」
「この世界の魔力や素材へ、以前より馴染みやすくなったということよ」
「強くなったのか?」
「その言い方は正確ではないわ」
ヘファイストスは、すぐに否定した。
「攻撃力が大きく上がったわけではない。新しい技が使えるようになったわけでもない」
「じゃあ、何が変わった?」
「壊れにくくなった」
彼女は、クレシューズの接続部を指す。
「衝撃を一か所へ受けず、四つの節へ分散できる。以前より強い負荷へ耐えられるでしょう」
次に、中央の節を指した。
「そして、異なる力を受けても内部の流れが乱れにくい」
「魔力をぶつけられても平気ってことか?」
「平気とは言っていないわ。でも、今回のように未知の力へ触れた時、以前より壊れにくく、馴染もうとする」
「この世界で使いやすくなった」
ザルドが言う。
「そうね」
ヘファイストスは頷いた。
「元の構造を残したまま、この世界で生きられる形へ変わった」
「生きられる、ねぇ」
バンはクレシューズを持ち上げる。
「やっぱ生きてんじゃねぇか」
「だから、生命があるとは言っていないわ」
「細けぇな」
「鍛冶師は細部を見るものよ」
バンはクレシューズを軽く傾けた。
鎖が滑らかに動く。
以前より強くも。
重くもない。
だが。
力を入れた時の返りが、僅かに早い。
四つの節が。
バンの意思へ迷わず応えている。
「伸ばしていいか?」
「ここでは駄目」
「外なら?」
「検査が終わってからよ」
「今、終わったんじゃねぇのか?」
「まだ、保持状態を確認する」
「何すんだ?」
「一度、手を離して」
バンは不満そうにしながらも、クレシューズを作業台へ置いた。
握られていた時より。
内部の流れは弱くなる。
だが。
完全には止まらなかった。
小さく。
静かに。
四つの節を巡り続ける。
「直った後も、戻ろうとする流れが残っているわ」
「また壊れても、自分で直んのか?」
「そこまで単純ではない」
ヘファイストスは首を横へ振る。
「小さな歪みや、内部の流れの乱れなら、自分で整える可能性はある」
「大きく壊れたら?」
「失ったものを補わなければ戻れない。今回と同じよ」
「勝手に何度でも生えてくるわけじゃねぇか」
「神器を植物のように言わないで」
「分かりやすいだろ」
「分かりやすければ何を言ってもいいわけではないわ」
アルフィアが作業台へ近づく。
クレシューズへ手は触れず。
その周囲に残る力を静かに確かめる。
「雑音はない」
「褒めてんのか?」
「異常がないと言っただけだ」
「お前にしちゃ十分だな」
「調子に乗るな」
ザルドも、クレシューズを見下ろす。
「これで、アンタレスとの戦いで負った損傷は消えた」
「ああ」
「次は、同じ壊し方をするな」
「敵に言ってくれ」
「使い手の責任だ」
「無茶言うな」
「無茶をするのはお前だ」
「それは否定しねぇ」
「否定しろ」
ゼウスが杖をつきながら、ようやく術式の内側へ入ってくる。
「それにしても、見事なものじゃのう」
クレシューズを覗き込み。
興味深そうに目を細める。
「異世界の神器と、この世界の巨獣の素材。そして、名もなき結晶の力が一つになったか」
「一つになったわけじゃない」
ヘファイストスが訂正する。
「クレシューズが、必要な性質だけを自分の中へ受け入れたのよ」
「似たようなものではないか」
「全然違うわ」
「鍛冶神は細かいのう」
「さっきも聞いたぞ、それ」
バンが笑う。
ゼウスはクレシューズを見たまま、少しだけ表情を改めた。
「バン」
「何だ?」
「よかったのう」
それだけだった。
大神らしい大げさな言葉も。
騒がしい冗談もない。
バンは一瞬だけ目を細め。
「ああ」
短く答えた。
ヘファイストスが、最後にクレシューズをもう一度確認する。
節。
鎖。
接続部。
内部の流れ。
すべてに異常はない。
「持っていっていいわ」
「やっとか」
「ただし、今日は全力で使わないこと」
「何でだ?」
「修復直後なのよ。新しい性質が完全に馴染むまで、少し時間を置きなさい」
「どれくらい?」
「最低でも一日」
「長ぇな」
「一日も待てないの?」
「試してぇだろ、普通」
「普通の使い手は、修復した武器をその日のうちに壊そうとしないわ」
「壊さねぇよ」
「説得力がない」
「オレを何だと思ってんだ?」
「神器を壊して持ち込んだ男」
「それはアンタレスのせいだろ」
「使っていたのはあなたよ」
「細けぇな」
「何度言わせるの」
バンはクレシューズを布で包まず、そのまま肩へ担いだ。
傷ついていた時とは違い。
もう隠す必要はない。
鋭く尖った四つの節。
伸びる鎖。
ダブズが作った本来の形。
そこに。
この世界で得た二つの性質が、静かに息づいている。
「報酬は?」
バンが尋ねた。
「何の?」
「修復の」
「あなたが払う側でしょう」
「金取んのか?」
「当たり前よ」
「じじいに請求しろ」
「なぜ儂じゃ!?」
「連れてきたのお前だろ」
「依頼したのはお主じゃ!」
「角芯くれたのもお前だ」
「それとこれとは別じゃ!」
「安心しなさい」
ヘファイストスが割って入る。
「今回の費用は、ゼウスから受け取ることになっているわ」
「聞いておらんぞ!?」
「最初に約束したでしょう」
「鑑定だけではなかったか!?」
「修復まで進んだのだから、費用が増えるのは当然よ」
「いくらじゃ?」
「あとで請求書を送るわ」
「今教えてくれ!」
「逃げるでしょう」
「逃げん!」
「顔が逃げると言っているわ」
「また顔か!」
バンが声を上げて笑った。
ザルドは額へ手を当て。
アルフィアは露骨に顔をしかめる。
「雑音だ」
「今日くらいいいだろ」
「よくない」
「相棒が戻ったんだぞ」
「だから何だ」
「酒飲む理由には十分だ」
「飲むのか?」
ザルドが尋ねた。
「ああ。飯も食う」
「なら、俺が作る」
「今日はオレが作るぞ」
「修復したばかりの神器を持って厨房へ入るな」
「使わねぇよ」
「お前なら肉を切ろうとする」
「さすがにクレシューズで料理はしねぇ」
「本当か?」
「多分」
「駄目だ」
「じゃあ一緒に作るか」
「最初からそのつもりだ」
アルフィアが背を向ける。
「私は帰る」
「飯いらねぇのか?」
「いらない」
「メーテリアに持ってくぞ」
アルフィアの足が止まる。
「……何を作る」
「まだ決めてねぇ」
「決めてから呼べ」
「食う気じゃねぇか」
「メーテリアの分を確認するだけだ」
「へいへい」
「その返事をやめろ」
工房の扉が開く。
外から、夕方の光が差し込んだ。
赤く焼けた空。
遠くで鳴る槌の音。
職人たちの声。
生きた都市の喧騒。
バンは一度だけ立ち止まり。
肩へ担いだクレシューズへ手を添えた。
力を流してはいない。
それでも。
四つの節の奥から。
微かな感触が返ってくる。
「暴れられる場所、どっかにねぇのか?」
バンが振り返らずに尋ねた。
「一日待ちなさいと言ったでしょう!」
ヘファイストスの声が飛ぶ。
「明日の話だよ」
「明日でも、街中は駄目よ」
「外まで行くの面倒だな」
「なら我慢しなさい」
ゼウスが杖を鳴らす。
「それなら、ちょうどよい場所があるぞ」
「じじい」
ザルドの声が低くなる。
「余計なことを言うな」
「なぜじゃ? この街には、冒険者がいくら暴れても困らぬ場所があるではないか」
バンが振り返る。
「どこだ?」
ゼウスは得意げに笑い。
工房の外。
都市中央にそびえる塔の方向を、杖で示した。
「この街には、世界で唯一のダンジョンがある」
「ダンジョン?」
バンは、遠くに見えるバベルへ目を向ける。
オラリオへ入った日から。
何度も目にしていた巨大な塔。
その真下。
大地の奥深くへ。
モンスターを生み続ける、生きた迷宮が広がっている。
「どんな場所だ?」
「下へ行くほど強いモンスターが出る」
「素材も取れるのか?」
「魔石、牙、爪、皮、鉱石。珍しいものなら、ドロップアイテムもある」
ゼウスが説明するたび。
バンの目が僅かに輝いていく。
「肉は?」
「食えるものもあるじゃろうな」
「酒は?」
「ダンジョンで酒を探すな」
ザルドが呆れた声を出す。
「持ってきゃいいだろ」
「遊びに行く場所ではない」
「見てみねぇと分かんねぇだろ」
「待て、バン」
「今日は行かねぇよ」
バンはクレシューズを肩へ担ぎ直す。
「一日待てって言われたからな」
ヘファイストスが目を細める。
「その言い方、明日なら勝手に行くつもりね?」
「さあな」
「バン」
アルフィアの声が低くなる。
「余計なことを考えるな」
「まだ何も考えてねぇぞ」
「顔が考えている」
「お前まで言うのかよ」
バンは笑い。
工房を出た。
その肩には。
傷一つなく再生した。
巨人族の名工ダブズが作った神器。
聖棍クレシューズ。
壊れても。
持ち主と共にある限り。
本来の姿へ戻ろうとする相棒。
そして今。
その相棒は。
異世界で得た力を受け入れ。
新しい大地で戦うための準備を終えていた。
バンは夕暮れの街を歩きながら。
中央にそびえる塔を見上げる。
「ダンジョン、ねぇ」
口元が。
楽しそうに吊り上がった。
第11部の最終話となる今回は、再生した聖棍クレシューズの状態と、修復によって得た変化を確認しました。
クレシューズは大幅に強化されたのではなく、ベヒーモスの角芯による衝撃への耐性と、アンタレスの結晶による均衡・適応性を取り込み、この世界で以前より壊れにくい形へ変化しています。
傷ついた相棒の再生を終えたバンの関心は、オラリオの地下に広がる世界唯一のダンジョンへ向かいます。