赤い旅人の続きになります。
リオードの朝は、砂の匂いがした。
川の町リーヴァのような湿った匂いではない。
ミーネ村のような土と草の匂いでもない。
乾いた風。
熱を含む石畳。
香辛料。
焼けた肉。
水袋の革。
そして、遠くから運ばれてくる砂の匂い。
バンは市場の端に立ち、手に持った肉串をかじっていた。
昨日取り戻した聖棍クレシューズは、腰に戻っている。
その重みがあるだけで、妙に落ち着く。
枝でも戦えないことはなかった。
拳でも、足でも、そこらの魔物くらいならどうにでもなる。
だが、やはり違う。
クレシューズがあると、間合いが広がる。
盗れるものが増える。
自分の身体だけで届かない場所へ、腕が伸びるような感覚がある。
バンは腰の神器を軽く叩いた。
「迷子になりやがって」
当然、クレシューズは答えない。
だが、手元に戻ってきた感覚は確かにあった。
バンは肉串の最後を噛み切る。
香辛料が強い。
脂は少なめだが、焼き加減は悪くない。
肉の癖を香辛料で殴ってくるような味だった。
「悪くねぇな」
そう呟いたところで、背後から声がした。
「朝から肉か」
振り返ると、行商人のサイモンが立っていた。
肩には旅袋。
腰には帳面。
顔には、砂漠へ入る者特有の緊張が少しだけある。
バンは串を見せた。
「食うか?」
「いや、俺は朝からそれは重い」
「もったいねぇ」
「砂漠に入る前に腹を壊したくないんだよ」
「この肉で腹壊すなら、胃が弱ぇんだ」
「普通は胃を守るんだ」
サイモンは呆れたように笑い、南門の方を指した。
「出発の準備ができた。砂漠船も押さえたよ」
「砂漠船ってのは、本当に船なのか?」
「見れば分かる」
バンは串を屋台に返し、サイモンの後について歩いた。
リオードの南側には、砂漠船用の港があった。
港といっても、水はない。
広い砂地に、平たい船のような乗り物がいくつも並んでいる。
船底は幅広く、反り上がった板が左右に張り出している。
帆柱のようなものが立ち、布の帆が巻かれている。
側面には荷物を括りつける金具があり、前方には舵のような長い板。
水の上を進む船ではない。
砂の上を滑る船だ。
バンは少しだけ目を細めた。
「へぇ。面白ぇな」
「砂漠では、こいつがないと大荷物は運べない。風を受けて進む。砂の固いところならかなり速い」
「風がなかったら?」
「押す」
「面倒だな」
「だから風を読む船頭が大事なんだよ」
砂漠船のそばには、褐色の肌をした男が立っていた。
頭に布を巻き、腰には曲刀。
目つきは鋭いが、口元には余裕がある。
サイモンが声をかける。
「ジャミル、頼むよ」
「荷はこれだけか?」
「ああ。あと、護衛兼料理人が一人」
「料理人?」
ジャミルと呼ばれた船頭は、バンを見た。
赤いロングコート。
胸元の開いた高襟。
スタッズ付きの赤いレザーパンツ。
太い茶革のベルト。
腰の奇妙な三節の棍。
砂漠に入る格好としては、かなり目立つ。
ジャミルは眉を上げた。
「暑くないのか」
「まあまあ」
「砂漠を舐めてるな」
「舐めると砂っぽそうだしな」
「……変な奴だ」
「よく言われる」
サイモンが苦笑した。
「腕は確かだよ。リーヴァでマッドサーペントを倒して、道中でサンドスキッパーも片づけた」
「ほう」
ジャミルの目つきが少し変わる。
「地上魔物を狩れるなら役には立つ。だが砂漠では勝手に動くな。砂の下に何がいるか分からん」
「食えるやつはいるか?」
「まずそこか」
「大事だろ」
ジャミルはしばらくバンを見て、それから大きく笑った。
「気に入った。砂漠で食えるものを気にする奴は、少なくとも生きる気がある」
「飯食うために生きてるからな」
「いい答えだ」
荷物が積まれ、砂漠船は出発の準備を終えた。
バンは船の縁に腰を下ろす。
足元は木。
だが、水の船とは違い、わずかに砂を噛むような感触がある。
ジャミルが帆を張る。
風が吹いた。
砂漠船が、ゆっくりと動き出す。
最初は重く、ぎしぎしと音を立てていた。
だが、砂の上へ出ると、船底が滑るように進み始める。
リオードの城壁が背後へ遠ざかる。
市場の喧騒。
香辛料の匂い。
水の気配。
それらが少しずつ薄れていき、代わりに広がるのは、砂と空だけだった。
カイオス砂漠。
どこまでも続く砂の波。
陽光を照り返す白っぽい地面。
遠くで揺らめく蜃気楼。
乾いた風。
バンはその景色を見て、口元を上げた。
「でけぇな」
ジャミルが舵を取りながら言う。
「砂漠は海と同じだ。広い。腹が減る。油断した奴から飲まれる」
「海みてぇな砂か」
「そうだ。だから船で渡る」
「なるほどな」
バンは船の縁から手を出し、流れる砂に触れた。
熱い。
細かい。
指の間から、さらさらとこぼれる。
その下に、わずかな気配がある。
小さな虫。
砂に潜る獣。
もっと深いところにいる、大きなもの。
この世界の魔物の気配は、場所によってずいぶん違う。
ミーネ村の黒背狼は、土と獣の匂いがした。
リーヴァのマッドサーペントは、泥と水の流れをまとっていた。
砂漠の魔物は、熱と乾きに馴染んでいる。
バンは右手を軽く握る。
強奪《スナッチ》の感覚は、少しずつ戻っている。
いや、元に戻っているというより、この世界用に変わってきている。
力を丸ごと盗ろうとすると、まだ遠い。
だが、流れの端を掴むなら、前よりもずっと指に引っかかる。
この世界の理に合わせて、盗り方を変える。
それが一番早い。
「何を見てる」
ジャミルが聞いた。
「砂の下」
「見えるのか?」
「なんとなくな」
「砂漠の民でもないのに、妙な目をしている」
「盗人だからな」
「盗人なのか」
「昔な」
「今は?」
「旅人」
ジャミルは笑った。
「便利な言葉だな、旅人」
「大体のことはそれで済む」
「済ませているだけだろう」
「細けぇな」
砂漠船は風を受けて進む。
昼が近づくにつれて、熱が強くなっていった。
サイモンたちは布で顔を覆い、水を少しずつ飲む。
ジャミルは日差しの角度を見ながら、帆の向きを調整する。
バンも水袋を渡された。
「飲め。喉が渇いたと思った時には遅い」
「酒は?」
「水だ」
「つまんねぇ」
「砂漠で酒を飲む馬鹿は死ぬ」
「死ぬのは困るな」
「なら水を飲め」
バンは渋々水を飲んだ。
ぬるい。
だが、身体には染みた。
不死身ではない今、水を軽く見るわけにはいかない。
煉獄に比べれば、砂漠の暑さなど可愛いものだ。
それでも、この身体はもう、無限に壊れて戻る身体ではない。
喉が乾く。
汗をかく。
傷が痛む。
腹が減る。
だから水を飲む。
それもまた、生きているということだった。
昼過ぎ、砂漠船は低い岩場の影で止まった。
休憩だ。
サイモンたちは荷物を確認し、ジャミルは砂の上に簡単な布を張って日陰を作る。
食事は硬いパンと干し肉、水で戻した豆だった。
バンはそれを見て、露骨に顔をしかめた。
「味気ねぇな」
「砂漠の飯に文句を言うな」
ジャミルが言う。
「生きるための飯だ」
「生きるためなら、うまい方がいいだろ」
「材料が少ない」
「なら工夫しろ」
バンは荷物の中を覗き、サイモンから許可を取って小さな鍋を借りた。
水は貴重だ。
無駄にはできない。
だから、少量の水で豆を柔らかくし、干し肉を細かく裂く。
リオードで買った香辛料をほんの少しだけ入れる。
さらに、砂葡萄の干し実を二つほど潰して混ぜた。
甘みと酸味が、干し肉の塩気を丸くする。
硬いパンは薄く切り、火で少し炙る。
ジャミルが眉を上げた。
「砂葡萄を豆に入れるのか」
「酸味がある方が食える」
「変な料理だ」
「食ってから言え」
しばらくして、簡単な豆煮込みができた。
サイモンが恐る恐る食べる。
「……うまい」
ジャミルも一口食べ、少し黙った。
「水も材料も少ないのに、よく味を出す」
「砂漠の飯は濃い方がいい。汗かくしな」
「本当に料理人なのか?」
「昔、酒場をやってた」
「今は?」
「旅人」
「またそれか」
ジャミルは笑いながら、もう一口食べた。
食事を終え、再び砂漠船が動き出した頃、風が変わった。
熱い風。
さっきまで一定方向に吹いていた風が、少しずつ乱れ始める。
ジャミルの顔から笑みが消えた。
「帆を絞れ」
サイモンがすぐに動く。
バンも周囲を見る。
遠くの砂丘の向こうで、空が少し濁っていた。
砂嵐か。
だが、それだけではない。
砂の下を、何かが走っている。
小さくはない。
サンドスキッパーより大きい。
一匹ではない。
バンは腰のクレシューズに手をかけた。
「来るぞ」
ジャミルが振り返る。
「何が」
「砂の下」
その瞬間、船の右側の砂が爆ぜた。
飛び出してきたのは、巨大な甲虫のような魔物だった。
体長は人間ほど。
砂色の甲殻。
前方には鋭い角。
六本の脚で砂を掻き、船へ突進してくる。
「サンドホーンだ!」
ジャミルが叫んだ。
「角で船底を割る!近づけるな!」
続けて、左側からも二匹。
さらに後方から一匹。
計四匹。
砂漠船の周囲を囲むように、魔物が現れた。
ダンジョン産ではない。
これまで出会った地上の魔物に近い。
少なくとも、村で聞いたダンジョン産の魔物とは違う気配だった。
だが、甲殻は硬そうだ。
突進力もある。
バンはクレシューズを抜いた。
手に馴染む重み。
節がわずかに鳴る。
「船壊されると、飯が遠くなるな」
サイモンが叫ぶ。
「そこか!」
「大事だろ」
右側のサンドホーンが突進してくる。
ジャミルが舵を切り、船を少しだけ横へ流した。
だが、避けきれない。
角が船側へ迫る。
バンは船の縁を蹴った。
砂の上へ飛び降りる。
足が沈む。
走りにくい。
だが、問題ない。
バンはクレシューズを伸ばし、サンドホーンの角へ絡めた。
突進の力。
六本の脚が砂を蹴る勢い。
頭部へ集中する重さ。
その流れの端を盗る。
「強奪《スナッチ》」
完全には止まらない。
だが、角の向きがわずかにずれる。
バンはクレシューズを引き、身体をひねる。
サンドホーンの突進は船の側面をかすめ、砂の上へ突き抜けた。
船体が大きく揺れる。
バンの足元も崩れた。
砂地では踏ん張りが利かない。
「ちっ、足場が悪ぃな」
背後から別の一匹が来る。
バンは振り向かず、クレシューズの節を背後へ伸ばした。
しなる一撃が甲虫の脚を払う。
硬い。
甲殻に当たっただけでは砕けない。
なら、狙う場所を変える。
脚の付け根。
甲殻の隙間。
バンはクレシューズを巻きつけるように動かし、魔物の前脚を引っかけた。
奪うのは力ではない。
動きのつながり。
六本の脚が同時に砂を蹴る、その足並みの一部。
「そこ、もらうぞ」
前脚の動きだけをわずかに盗る。
サンドホーンの身体が傾く。
バンは踏み込み、クレシューズを畳んで、脚の付け根へ叩き込んだ。
鈍い音。
前脚が折れる。
魔物が砂の上に転がった。
その間に、別の一匹が船尾へ迫っていた。
サイモンが槍で牽制するが、角に弾かれる。
「バン!」
「見えてる」
バンはクレシューズを伸ばす。
距離がある。
だが、届く。
節が砂の上を走り、船尾へ向かうサンドホーンの角へ絡む。
力任せに止めようとすれば、船もバンも引きずられる。
だから止めない。
盗るのは、進行方向。
突進の流れを少しだけ横へずらす。
「獲物狩り《フォックスハント》」
角の先に乗った力を引っかけ、横へ抜く。
サンドホーンは自分の勢いに引っ張られ、船尾ではなく砂丘の斜面へ突っ込んだ。
砂が崩れ、魔物の身体が半分埋まる。
ジャミルが叫ぶ。
「うまい!」
「褒めるなら酒出せ!」
「生きて帰ったらな!」
「覚えとけよ!」
残る二匹が同時に動いた。
一匹はバンへ。
一匹は船へ。
バンは一瞬だけ迷う。
自分に来る方を倒すのは簡単だ。
だが、船に行く方を放れば、荷も水もやられる。
水がなくなれば面倒だ。
飯も酒も遠くなる。
「面倒くせぇな」
バンは息を吸う。
広げすぎるな。
深く盗りすぎるな。
この世界で、まだ無理はできない。
だが、クレシューズが戻った今なら、少しだけ範囲を広げられる。
砂を蹴る二匹の足。
角へ集まる力。
船を狙う軌道。
自分へ向かう殺気。
その端だけを、まとめて引っかける。
「乱獲《クレイジーハント》」
世界の流れが、ほんの一瞬だけ鈍った。
二匹のサンドホーンの動きが揃って乱れる。
バンの身体に、ずしりと負荷が来た。
肩の傷が痛む。
胸の奥が少し軋む。
まだ、この世界では大きく奪いすぎると重い。
「ぐっ……!」
それでも、十分。
バンはまず自分に向かう一匹の角を避け、クレシューズを首元の隙間へ叩き込む。
次に、船へ向かう一匹へ節を伸ばし、足を絡めて転ばせる。
転んだサンドホーンへ、ジャミルが曲刀を突き込んだ。
甲殻の隙間を狙った一撃。
サイモンも槍で押さえる。
バンは最後に跳び上がり、クレシューズを両手で握った。
叩きつける。
首元の柔らかい部分に、重い一撃。
サンドホーンが動かなくなった。
砂漠に静けさが戻る。
風だけが吹いていた。
バンは息を吐き、肩を押さえた。
傷が少し開いたらしい。
指先に血がつく。
サイモンが駆け寄る。
「大丈夫か?」
「腹減った」
「それは大丈夫ってことか?」
「たぶんな」
ジャミルが倒れたサンドホーンを見て、低く口笛を吹いた。
「四匹を船も荷もほとんど傷なしでしのぐとはな。恩恵持ちの護衛でも、こうはいかん」
「足場が悪い。砂の上は嫌いだ」
「普通は魔物の強さを言うところだ」
「魔物より足場の方が面倒だった」
ジャミルは笑った。
「やはり変な奴だ」
「よく言われる」
サンドホーンの死骸は、灰にならなかった。
硬い甲殻。
角。
脚。
内側の白い肉。
ジャミルは手際よく解体を始めた。
「角と甲殻は売れる。肉は硬いが食える」
バンの目が少し輝く。
「食えるのか」
「ああ。ただし、焼きすぎると石みたいになる」
「なら薄く切れ」
「分かるのか?」
「硬い肉は薄く切って、強い火でさっと炙る。あとは塩と香辛料だ」
ジャミルは少し笑い、短刀で肉を切り分けた。
その日の夕食は、サンドホーンの薄切り焼きになった。
硬い肉を薄く切り、香辛料と塩をまぶし、強火で一気に焼く。
脂は少ない。
噛み応えは強い。
だが、甲虫型とは思えないほど淡白で、香辛料との相性は悪くなかった。
サイモンが恐る恐る食べる。
「……いけるな」
ジャミルも頷く。
「普段よりうまい。いつもは硬すぎて食う気がしないんだが」
「切り方が雑なんだよ」
「魔物を倒して、その場で料理に文句を言う護衛は初めてだ」
「うまく食えるもんをまずくする方が悪い」
バンは焼いた肉をかじり、水を飲む。
酒ではないのが残念だが、砂漠では仕方ない。
その代わり、サイモンが砂葡萄の干し実を少し出した。
甘酸っぱい味が、口の中の塩気を流す。
「これはいいな」
「水が少ない時に食うと、少し楽になる」
「酒にした方がうまそうだ」
「リオードに戻れば飲める」
「戻る理由ができたな」
「先にオラリオへ行くんじゃなかったのか」
「それはそれ、これはこれだ」
夜。
砂漠船は岩場の影に停められた。
星が多かった。
リーヴァの夜とも、ミーネ村の夜とも違う。
空気が乾いているせいか、星の光が鋭い。
バンは船の縁に背を預け、クレシューズを膝に置いていた。
肩の傷は、薬草で押さえてある。
開いた分は大したことはない。
だが、乱獲を使った時の重さがまだ身体に残っている。
この世界で広く奪うのは、やはり負担が大きい。
相手の力が強いからではない。
力の流れ方が違う。
神の恩恵を受けた冒険者。
地上の魔物。
魔石を持つダンジョン産。
砂漠の獣。
水辺の蛇。
どれも、奪い方が少しずつ違う。
昔の感覚で全部盗ろうとすると、指が滑る。
無理に掴むと、こちらの身体に返ってくる。
だが、今日の戦いで分かったこともある。
必要な一点なら盗れる。
突進の向き。
足並み。
尾の力。
噛みつきの勢い。
大きな力を丸ごと盗まなくても、戦いは崩せる。
バンはクレシューズを軽く回した。
「こっちの盗り方、少し分かってきたな」
ジャミルが近くで火を見ながら言う。
「何を盗るって?」
「流れ」
「砂漠の民みたいなことを言う」
「そうなのか?」
「ああ。砂漠では水も風も砂も、流れを読む。逆らう奴は死ぬ。乗る奴は進む」
「へぇ」
バンは少しだけ笑った。
「なら、俺向きかもな」
「砂漠が?」
「流れを盗むのが」
ジャミルは意味が分からないという顔をしたが、深くは聞かなかった。
その代わり、水袋を投げてよこす。
「飲め」
「酒は?」
「砂漠で酒を飲む馬鹿は死ぬ」
「聞いたな、それ」
「覚えているなら水を飲め」
バンはしぶしぶ水を飲んだ。
ぬるい。
だが、身体は欲しがっている。
不死身ではない身体は、こういうところで正直だった。
翌朝、砂漠船は再び進み始めた。
サンドホーンの角と甲殻は船に積まれている。
リオードかオラリオで売れば、それなりの金になるらしい。
バンは肉の残りを干し肉にできないかと考えていたが、ジャミルに止められた。
「砂漠の虫が寄る」
「面倒だな」
「だから食える分だけ食え」
「もったいねぇ」
「砂漠で欲張る奴は死ぬ」
「それもよく言うな」
「大事なことは何度でも言う」
昼頃、遠くに黒い砂の帯が見えた。
普通の砂丘とは違う。
そこだけ、砂の色が暗い。
風も少し重くなる。
ジャミルの顔が険しくなった。
「黒砂の縁だ」
「黒砂?」
「これ以上南へ深く入ると、砂が重くなる。船も進みにくい。昔から、変な魔物が出る場所だ」
バンは遠くの黒い砂を見た。
そこには、ただの砂漠とは違う気配があった。
重い。
乾いているのに、底に沈むような圧がある。
魔物の気配というより、もっと大きな何かが地面の下で眠っているような感じ。
バンの指先が、わずかに疼いた。
盗りづらい。
いや、盗るというより、触れたくないほど重い。
「……なんかいるな」
ジャミルがバンを見る。
「分かるのか?」
「なんとなくな」
「黒砂の奥には行くな。砂漠の民でも避ける」
「飯はあるか?」
「ない」
「なら行く理由ねぇな」
「それで納得するのか」
「飯も酒もねぇ場所に用はねぇだろ」
サイモンが苦笑する。
「ある意味、一番信用できる判断基準だな」
砂漠船は黒砂の縁を避けるように進んだ。
だが、バンはしばらくその方向を見ていた。
重い気配。
地面の奥に眠る、巨大な何か。
今のバンにはまだ分からない。
だが、いつか近づくことになる。
そんな嫌な予感だけがあった。
バンは肩をすくめる。
「ま、腹減った時に考えりゃいいか」
クレシューズを腰に戻し、船の縁に座る。
砂漠船は風を受けて進む。
砂の海を越え、赤い旅人はさらに西へ向かった。
目指すは迷宮都市オラリオ。
神々が歩き、冒険者が集まり、ダンジョンが魔物を生む街。
そしてきっと、うまい飯と酒が山ほどある街。
バンにとっては、それだけで十分だった。
第6話でした。
修正版では、リオードから砂漠船で出発し、砂漠の地上魔物や砂漠ならではの食事、クレシューズを取り戻した後のバンの戦い方を描きました。
また、《強奪(スナッチ)》が元通りになるというより、この世界の力の流れに合わせて「盗り方」を変えていく形に整理しました。
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