強欲の旅人は神の恩恵を受けない   作:ルクエリシオン

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修正版の第6話です。
赤い旅人の続きになります。


第6話 砂漠船と焼き蜥蜴

リオードの朝は、砂の匂いがした。

 

川の町リーヴァのような湿った匂いではない。

ミーネ村のような土と草の匂いでもない。

乾いた風。

熱を含む石畳。

香辛料。

焼けた肉。

水袋の革。

そして、遠くから運ばれてくる砂の匂い。

 

バンは市場の端に立ち、手に持った肉串をかじっていた。

 

昨日取り戻した聖棍クレシューズは、腰に戻っている。

 

その重みがあるだけで、妙に落ち着く。

 

枝でも戦えないことはなかった。

拳でも、足でも、そこらの魔物くらいならどうにでもなる。

 

だが、やはり違う。

 

クレシューズがあると、間合いが広がる。

盗れるものが増える。

自分の身体だけで届かない場所へ、腕が伸びるような感覚がある。

 

バンは腰の神器を軽く叩いた。

 

「迷子になりやがって」

 

当然、クレシューズは答えない。

 

だが、手元に戻ってきた感覚は確かにあった。

 

バンは肉串の最後を噛み切る。

 

香辛料が強い。

脂は少なめだが、焼き加減は悪くない。

肉の癖を香辛料で殴ってくるような味だった。

 

「悪くねぇな」

 

そう呟いたところで、背後から声がした。

 

「朝から肉か」

 

振り返ると、行商人のサイモンが立っていた。

 

肩には旅袋。

腰には帳面。

顔には、砂漠へ入る者特有の緊張が少しだけある。

 

バンは串を見せた。

 

「食うか?」

 

「いや、俺は朝からそれは重い」

 

「もったいねぇ」

 

「砂漠に入る前に腹を壊したくないんだよ」

 

「この肉で腹壊すなら、胃が弱ぇんだ」

 

「普通は胃を守るんだ」

 

サイモンは呆れたように笑い、南門の方を指した。

 

「出発の準備ができた。砂漠船も押さえたよ」

 

「砂漠船ってのは、本当に船なのか?」

 

「見れば分かる」

 

バンは串を屋台に返し、サイモンの後について歩いた。

 

リオードの南側には、砂漠船用の港があった。

 

港といっても、水はない。

 

広い砂地に、平たい船のような乗り物がいくつも並んでいる。

 

船底は幅広く、反り上がった板が左右に張り出している。

帆柱のようなものが立ち、布の帆が巻かれている。

側面には荷物を括りつける金具があり、前方には舵のような長い板。

 

水の上を進む船ではない。

 

砂の上を滑る船だ。

 

バンは少しだけ目を細めた。

 

「へぇ。面白ぇな」

 

「砂漠では、こいつがないと大荷物は運べない。風を受けて進む。砂の固いところならかなり速い」

 

「風がなかったら?」

 

「押す」

 

「面倒だな」

 

「だから風を読む船頭が大事なんだよ」

 

砂漠船のそばには、褐色の肌をした男が立っていた。

 

頭に布を巻き、腰には曲刀。

目つきは鋭いが、口元には余裕がある。

 

サイモンが声をかける。

 

「ジャミル、頼むよ」

 

「荷はこれだけか?」

 

「ああ。あと、護衛兼料理人が一人」

 

「料理人?」

 

ジャミルと呼ばれた船頭は、バンを見た。

 

赤いロングコート。

胸元の開いた高襟。

スタッズ付きの赤いレザーパンツ。

太い茶革のベルト。

腰の奇妙な三節の棍。

 

砂漠に入る格好としては、かなり目立つ。

 

ジャミルは眉を上げた。

 

「暑くないのか」

 

「まあまあ」

 

「砂漠を舐めてるな」

 

「舐めると砂っぽそうだしな」

 

「……変な奴だ」

 

「よく言われる」

 

サイモンが苦笑した。

 

「腕は確かだよ。リーヴァでマッドサーペントを倒して、道中でサンドスキッパーも片づけた」

 

「ほう」

 

ジャミルの目つきが少し変わる。

 

「地上魔物を狩れるなら役には立つ。だが砂漠では勝手に動くな。砂の下に何がいるか分からん」

 

「食えるやつはいるか?」

 

「まずそこか」

 

「大事だろ」

 

ジャミルはしばらくバンを見て、それから大きく笑った。

 

「気に入った。砂漠で食えるものを気にする奴は、少なくとも生きる気がある」

 

「飯食うために生きてるからな」

 

「いい答えだ」

 

荷物が積まれ、砂漠船は出発の準備を終えた。

 

バンは船の縁に腰を下ろす。

 

足元は木。

だが、水の船とは違い、わずかに砂を噛むような感触がある。

 

ジャミルが帆を張る。

 

風が吹いた。

 

砂漠船が、ゆっくりと動き出す。

 

最初は重く、ぎしぎしと音を立てていた。

だが、砂の上へ出ると、船底が滑るように進み始める。

 

リオードの城壁が背後へ遠ざかる。

 

市場の喧騒。

香辛料の匂い。

水の気配。

 

それらが少しずつ薄れていき、代わりに広がるのは、砂と空だけだった。

 

カイオス砂漠。

 

どこまでも続く砂の波。

陽光を照り返す白っぽい地面。

遠くで揺らめく蜃気楼。

乾いた風。

 

バンはその景色を見て、口元を上げた。

 

「でけぇな」

 

ジャミルが舵を取りながら言う。

 

「砂漠は海と同じだ。広い。腹が減る。油断した奴から飲まれる」

 

「海みてぇな砂か」

 

「そうだ。だから船で渡る」

 

「なるほどな」

 

バンは船の縁から手を出し、流れる砂に触れた。

 

熱い。

細かい。

指の間から、さらさらとこぼれる。

 

その下に、わずかな気配がある。

 

小さな虫。

砂に潜る獣。

もっと深いところにいる、大きなもの。

 

この世界の魔物の気配は、場所によってずいぶん違う。

 

ミーネ村の黒背狼は、土と獣の匂いがした。

リーヴァのマッドサーペントは、泥と水の流れをまとっていた。

砂漠の魔物は、熱と乾きに馴染んでいる。

 

バンは右手を軽く握る。

 

強奪《スナッチ》の感覚は、少しずつ戻っている。

 

いや、元に戻っているというより、この世界用に変わってきている。

 

力を丸ごと盗ろうとすると、まだ遠い。

 

だが、流れの端を掴むなら、前よりもずっと指に引っかかる。

 

この世界の理に合わせて、盗り方を変える。

 

それが一番早い。

 

「何を見てる」

 

ジャミルが聞いた。

 

「砂の下」

 

「見えるのか?」

 

「なんとなくな」

 

「砂漠の民でもないのに、妙な目をしている」

 

「盗人だからな」

 

「盗人なのか」

 

「昔な」

 

「今は?」

 

「旅人」

 

ジャミルは笑った。

 

「便利な言葉だな、旅人」

 

「大体のことはそれで済む」

 

「済ませているだけだろう」

 

「細けぇな」

 

砂漠船は風を受けて進む。

 

昼が近づくにつれて、熱が強くなっていった。

 

サイモンたちは布で顔を覆い、水を少しずつ飲む。

ジャミルは日差しの角度を見ながら、帆の向きを調整する。

 

バンも水袋を渡された。

 

「飲め。喉が渇いたと思った時には遅い」

 

「酒は?」

 

「水だ」

 

「つまんねぇ」

 

「砂漠で酒を飲む馬鹿は死ぬ」

 

「死ぬのは困るな」

 

「なら水を飲め」

 

バンは渋々水を飲んだ。

 

ぬるい。

 

だが、身体には染みた。

 

不死身ではない今、水を軽く見るわけにはいかない。

 

煉獄に比べれば、砂漠の暑さなど可愛いものだ。

 

それでも、この身体はもう、無限に壊れて戻る身体ではない。

 

喉が乾く。

汗をかく。

傷が痛む。

腹が減る。

 

だから水を飲む。

 

それもまた、生きているということだった。

 

昼過ぎ、砂漠船は低い岩場の影で止まった。

 

休憩だ。

 

サイモンたちは荷物を確認し、ジャミルは砂の上に簡単な布を張って日陰を作る。

 

食事は硬いパンと干し肉、水で戻した豆だった。

 

バンはそれを見て、露骨に顔をしかめた。

 

「味気ねぇな」

 

「砂漠の飯に文句を言うな」

 

ジャミルが言う。

 

「生きるための飯だ」

 

「生きるためなら、うまい方がいいだろ」

 

「材料が少ない」

 

「なら工夫しろ」

 

バンは荷物の中を覗き、サイモンから許可を取って小さな鍋を借りた。

 

水は貴重だ。

無駄にはできない。

 

だから、少量の水で豆を柔らかくし、干し肉を細かく裂く。

リオードで買った香辛料をほんの少しだけ入れる。

さらに、砂葡萄の干し実を二つほど潰して混ぜた。

 

甘みと酸味が、干し肉の塩気を丸くする。

 

硬いパンは薄く切り、火で少し炙る。

 

ジャミルが眉を上げた。

 

「砂葡萄を豆に入れるのか」

 

「酸味がある方が食える」

 

「変な料理だ」

 

「食ってから言え」

 

しばらくして、簡単な豆煮込みができた。

 

サイモンが恐る恐る食べる。

 

「……うまい」

 

ジャミルも一口食べ、少し黙った。

 

「水も材料も少ないのに、よく味を出す」

 

「砂漠の飯は濃い方がいい。汗かくしな」

 

「本当に料理人なのか?」

 

「昔、酒場をやってた」

 

「今は?」

 

「旅人」

 

「またそれか」

 

ジャミルは笑いながら、もう一口食べた。

 

食事を終え、再び砂漠船が動き出した頃、風が変わった。

 

熱い風。

 

さっきまで一定方向に吹いていた風が、少しずつ乱れ始める。

 

ジャミルの顔から笑みが消えた。

 

「帆を絞れ」

 

サイモンがすぐに動く。

 

バンも周囲を見る。

 

遠くの砂丘の向こうで、空が少し濁っていた。

 

砂嵐か。

 

だが、それだけではない。

 

砂の下を、何かが走っている。

 

小さくはない。

サンドスキッパーより大きい。

一匹ではない。

 

バンは腰のクレシューズに手をかけた。

 

「来るぞ」

 

ジャミルが振り返る。

 

「何が」

 

「砂の下」

 

その瞬間、船の右側の砂が爆ぜた。

 

飛び出してきたのは、巨大な甲虫のような魔物だった。

 

体長は人間ほど。

砂色の甲殻。

前方には鋭い角。

六本の脚で砂を掻き、船へ突進してくる。

 

「サンドホーンだ!」

 

ジャミルが叫んだ。

 

「角で船底を割る!近づけるな!」

 

続けて、左側からも二匹。

 

さらに後方から一匹。

 

計四匹。

 

砂漠船の周囲を囲むように、魔物が現れた。

 

ダンジョン産ではない。

 

これまで出会った地上の魔物に近い。

 

少なくとも、村で聞いたダンジョン産の魔物とは違う気配だった。

 

だが、甲殻は硬そうだ。

突進力もある。

 

バンはクレシューズを抜いた。

 

手に馴染む重み。

 

節がわずかに鳴る。

 

「船壊されると、飯が遠くなるな」

 

サイモンが叫ぶ。

 

「そこか!」

 

「大事だろ」

 

右側のサンドホーンが突進してくる。

 

ジャミルが舵を切り、船を少しだけ横へ流した。

 

だが、避けきれない。

 

角が船側へ迫る。

 

バンは船の縁を蹴った。

 

砂の上へ飛び降りる。

 

足が沈む。

 

走りにくい。

 

だが、問題ない。

 

バンはクレシューズを伸ばし、サンドホーンの角へ絡めた。

 

突進の力。

六本の脚が砂を蹴る勢い。

頭部へ集中する重さ。

 

その流れの端を盗る。

 

「強奪《スナッチ》」

 

完全には止まらない。

 

だが、角の向きがわずかにずれる。

 

バンはクレシューズを引き、身体をひねる。

 

サンドホーンの突進は船の側面をかすめ、砂の上へ突き抜けた。

 

船体が大きく揺れる。

 

バンの足元も崩れた。

 

砂地では踏ん張りが利かない。

 

「ちっ、足場が悪ぃな」

 

背後から別の一匹が来る。

 

バンは振り向かず、クレシューズの節を背後へ伸ばした。

 

しなる一撃が甲虫の脚を払う。

 

硬い。

 

甲殻に当たっただけでは砕けない。

 

なら、狙う場所を変える。

 

脚の付け根。

 

甲殻の隙間。

 

バンはクレシューズを巻きつけるように動かし、魔物の前脚を引っかけた。

 

奪うのは力ではない。

 

動きのつながり。

 

六本の脚が同時に砂を蹴る、その足並みの一部。

 

「そこ、もらうぞ」

 

前脚の動きだけをわずかに盗る。

 

サンドホーンの身体が傾く。

 

バンは踏み込み、クレシューズを畳んで、脚の付け根へ叩き込んだ。

 

鈍い音。

 

前脚が折れる。

 

魔物が砂の上に転がった。

 

その間に、別の一匹が船尾へ迫っていた。

 

サイモンが槍で牽制するが、角に弾かれる。

 

「バン!」

 

「見えてる」

 

バンはクレシューズを伸ばす。

 

距離がある。

 

だが、届く。

 

節が砂の上を走り、船尾へ向かうサンドホーンの角へ絡む。

 

力任せに止めようとすれば、船もバンも引きずられる。

 

だから止めない。

 

盗るのは、進行方向。

 

突進の流れを少しだけ横へずらす。

 

「獲物狩り《フォックスハント》」

 

角の先に乗った力を引っかけ、横へ抜く。

 

サンドホーンは自分の勢いに引っ張られ、船尾ではなく砂丘の斜面へ突っ込んだ。

 

砂が崩れ、魔物の身体が半分埋まる。

 

ジャミルが叫ぶ。

 

「うまい!」

 

「褒めるなら酒出せ!」

 

「生きて帰ったらな!」

 

「覚えとけよ!」

 

残る二匹が同時に動いた。

 

一匹はバンへ。

一匹は船へ。

 

バンは一瞬だけ迷う。

 

自分に来る方を倒すのは簡単だ。

だが、船に行く方を放れば、荷も水もやられる。

 

水がなくなれば面倒だ。

 

飯も酒も遠くなる。

 

「面倒くせぇな」

 

バンは息を吸う。

 

広げすぎるな。

 

深く盗りすぎるな。

 

この世界で、まだ無理はできない。

 

だが、クレシューズが戻った今なら、少しだけ範囲を広げられる。

 

砂を蹴る二匹の足。

角へ集まる力。

船を狙う軌道。

自分へ向かう殺気。

 

その端だけを、まとめて引っかける。

 

「乱獲《クレイジーハント》」

 

世界の流れが、ほんの一瞬だけ鈍った。

 

二匹のサンドホーンの動きが揃って乱れる。

 

バンの身体に、ずしりと負荷が来た。

 

肩の傷が痛む。

 

胸の奥が少し軋む。

 

まだ、この世界では大きく奪いすぎると重い。

 

「ぐっ……!」

 

それでも、十分。

 

バンはまず自分に向かう一匹の角を避け、クレシューズを首元の隙間へ叩き込む。

 

次に、船へ向かう一匹へ節を伸ばし、足を絡めて転ばせる。

 

転んだサンドホーンへ、ジャミルが曲刀を突き込んだ。

甲殻の隙間を狙った一撃。

 

サイモンも槍で押さえる。

 

バンは最後に跳び上がり、クレシューズを両手で握った。

 

叩きつける。

 

首元の柔らかい部分に、重い一撃。

 

サンドホーンが動かなくなった。

 

砂漠に静けさが戻る。

 

風だけが吹いていた。

 

バンは息を吐き、肩を押さえた。

 

傷が少し開いたらしい。

 

指先に血がつく。

 

サイモンが駆け寄る。

 

「大丈夫か?」

 

「腹減った」

 

「それは大丈夫ってことか?」

 

「たぶんな」

 

ジャミルが倒れたサンドホーンを見て、低く口笛を吹いた。

 

「四匹を船も荷もほとんど傷なしでしのぐとはな。恩恵持ちの護衛でも、こうはいかん」

 

「足場が悪い。砂の上は嫌いだ」

 

「普通は魔物の強さを言うところだ」

 

「魔物より足場の方が面倒だった」

 

ジャミルは笑った。

 

「やはり変な奴だ」

 

「よく言われる」

 

サンドホーンの死骸は、灰にならなかった。

 

硬い甲殻。

角。

脚。

内側の白い肉。

 

ジャミルは手際よく解体を始めた。

 

「角と甲殻は売れる。肉は硬いが食える」

 

バンの目が少し輝く。

 

「食えるのか」

 

「ああ。ただし、焼きすぎると石みたいになる」

 

「なら薄く切れ」

 

「分かるのか?」

 

「硬い肉は薄く切って、強い火でさっと炙る。あとは塩と香辛料だ」

 

ジャミルは少し笑い、短刀で肉を切り分けた。

 

その日の夕食は、サンドホーンの薄切り焼きになった。

 

硬い肉を薄く切り、香辛料と塩をまぶし、強火で一気に焼く。

脂は少ない。

噛み応えは強い。

だが、甲虫型とは思えないほど淡白で、香辛料との相性は悪くなかった。

 

サイモンが恐る恐る食べる。

 

「……いけるな」

 

ジャミルも頷く。

 

「普段よりうまい。いつもは硬すぎて食う気がしないんだが」

 

「切り方が雑なんだよ」

 

「魔物を倒して、その場で料理に文句を言う護衛は初めてだ」

 

「うまく食えるもんをまずくする方が悪い」

 

バンは焼いた肉をかじり、水を飲む。

 

酒ではないのが残念だが、砂漠では仕方ない。

 

その代わり、サイモンが砂葡萄の干し実を少し出した。

 

甘酸っぱい味が、口の中の塩気を流す。

 

「これはいいな」

 

「水が少ない時に食うと、少し楽になる」

 

「酒にした方がうまそうだ」

 

「リオードに戻れば飲める」

 

「戻る理由ができたな」

 

「先にオラリオへ行くんじゃなかったのか」

 

「それはそれ、これはこれだ」

 

夜。

 

砂漠船は岩場の影に停められた。

 

星が多かった。

 

リーヴァの夜とも、ミーネ村の夜とも違う。

空気が乾いているせいか、星の光が鋭い。

 

バンは船の縁に背を預け、クレシューズを膝に置いていた。

 

肩の傷は、薬草で押さえてある。

開いた分は大したことはない。

 

だが、乱獲を使った時の重さがまだ身体に残っている。

 

この世界で広く奪うのは、やはり負担が大きい。

 

相手の力が強いからではない。

 

力の流れ方が違う。

 

神の恩恵を受けた冒険者。

地上の魔物。

魔石を持つダンジョン産。

砂漠の獣。

水辺の蛇。

 

どれも、奪い方が少しずつ違う。

 

昔の感覚で全部盗ろうとすると、指が滑る。

無理に掴むと、こちらの身体に返ってくる。

 

だが、今日の戦いで分かったこともある。

 

必要な一点なら盗れる。

 

突進の向き。

足並み。

尾の力。

噛みつきの勢い。

 

大きな力を丸ごと盗まなくても、戦いは崩せる。

 

バンはクレシューズを軽く回した。

 

「こっちの盗り方、少し分かってきたな」

 

ジャミルが近くで火を見ながら言う。

 

「何を盗るって?」

 

「流れ」

 

「砂漠の民みたいなことを言う」

 

「そうなのか?」

 

「ああ。砂漠では水も風も砂も、流れを読む。逆らう奴は死ぬ。乗る奴は進む」

 

「へぇ」

 

バンは少しだけ笑った。

 

「なら、俺向きかもな」

 

「砂漠が?」

 

「流れを盗むのが」

 

ジャミルは意味が分からないという顔をしたが、深くは聞かなかった。

 

その代わり、水袋を投げてよこす。

 

「飲め」

 

「酒は?」

 

「砂漠で酒を飲む馬鹿は死ぬ」

 

「聞いたな、それ」

 

「覚えているなら水を飲め」

 

バンはしぶしぶ水を飲んだ。

 

ぬるい。

 

だが、身体は欲しがっている。

 

不死身ではない身体は、こういうところで正直だった。

 

翌朝、砂漠船は再び進み始めた。

 

サンドホーンの角と甲殻は船に積まれている。

リオードかオラリオで売れば、それなりの金になるらしい。

 

バンは肉の残りを干し肉にできないかと考えていたが、ジャミルに止められた。

 

「砂漠の虫が寄る」

 

「面倒だな」

 

「だから食える分だけ食え」

 

「もったいねぇ」

 

「砂漠で欲張る奴は死ぬ」

 

「それもよく言うな」

 

「大事なことは何度でも言う」

 

昼頃、遠くに黒い砂の帯が見えた。

 

普通の砂丘とは違う。

 

そこだけ、砂の色が暗い。

 

風も少し重くなる。

 

ジャミルの顔が険しくなった。

 

「黒砂の縁だ」

 

「黒砂?」

 

「これ以上南へ深く入ると、砂が重くなる。船も進みにくい。昔から、変な魔物が出る場所だ」

 

バンは遠くの黒い砂を見た。

 

そこには、ただの砂漠とは違う気配があった。

 

重い。

 

乾いているのに、底に沈むような圧がある。

 

魔物の気配というより、もっと大きな何かが地面の下で眠っているような感じ。

 

バンの指先が、わずかに疼いた。

 

盗りづらい。

 

いや、盗るというより、触れたくないほど重い。

 

「……なんかいるな」

 

ジャミルがバンを見る。

 

「分かるのか?」

 

「なんとなくな」

 

「黒砂の奥には行くな。砂漠の民でも避ける」

 

「飯はあるか?」

 

「ない」

 

「なら行く理由ねぇな」

 

「それで納得するのか」

 

「飯も酒もねぇ場所に用はねぇだろ」

 

サイモンが苦笑する。

 

「ある意味、一番信用できる判断基準だな」

 

砂漠船は黒砂の縁を避けるように進んだ。

 

だが、バンはしばらくその方向を見ていた。

 

重い気配。

 

地面の奥に眠る、巨大な何か。

 

今のバンにはまだ分からない。

 

だが、いつか近づくことになる。

 

そんな嫌な予感だけがあった。

 

バンは肩をすくめる。

 

「ま、腹減った時に考えりゃいいか」

 

クレシューズを腰に戻し、船の縁に座る。

 

砂漠船は風を受けて進む。

 

砂の海を越え、赤い旅人はさらに西へ向かった。

 

目指すは迷宮都市オラリオ。

 

神々が歩き、冒険者が集まり、ダンジョンが魔物を生む街。

 

そしてきっと、うまい飯と酒が山ほどある街。

 

バンにとっては、それだけで十分だった。




第6話でした。
修正版では、リオードから砂漠船で出発し、砂漠の地上魔物や砂漠ならではの食事、クレシューズを取り戻した後のバンの戦い方を描きました。

また、《強奪(スナッチ)》が元通りになるというより、この世界の力の流れに合わせて「盗り方」を変えていく形に整理しました。

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