強欲の旅人は神の恩恵を受けない   作:ルクエリシオン

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第78話 新人たちの危機

 

 

第五階層へ続く石段を下りるほど。

 

硬い物が床を叩く音は、はっきりと大きくなっていった。

 

一つではない。

 

短く。

 

細かく。

 

何度も重なっている。

 

バンは鞄を背負い直し。

 

クレシューズを肩へ担いだまま、階段の先へ足を踏み出した。

 

第四階層まで続いていた青白い壁は。

 

僅かに色を変えている。

 

表面の凹凸が増え。

 

通路も一回り広い。

 

その先。

 

五匹ほどの怪物が、床を蹴りながら駆けてきた。

 

兎に似た小型の身体。

 

長い耳。

 

額から伸びた、鋭い角。

 

小さいが。

 

ゴブリンやコボルトより、明らかに動きが速い。

 

一匹目が壁を蹴る。

 

角を前へ突き出し。

 

真っ直ぐ、バンの胸へ飛び込んできた。

 

「兎か?」

 

バンは半歩だけ身体をずらした。

 

角が赤い長衣の横を通り過ぎる。

 

その首を掴もうとはせず。

 

怪物の腹の奥へ意識を向けた。

 

「獲物狩り《フォックスハント》」

 

魔石が抜ける。

 

空中にいた兎の怪物は。

 

バンの横を通過しながら灰へ変わった。

 

勢いだけを残した灰が。

 

通路の床へ細長く散る。

 

続けて、二匹。

 

左右から跳ぶ。

 

バンが空いた手を軽く動かす。

 

「獲物狩り《フォックスハント》」

 

一つ。

 

さらに、もう一つ。

 

二個の魔石が手元へ飛び。

 

主を失った身体が空中で崩れる。

 

残る二匹は。

 

仲間が消えたことを恐れた様子もなく、続けて床を蹴った。

 

ダンジョンから生まれた怪物には。

 

逃げるという選択そのものが薄いらしい。

 

「同じことしかしてこねぇな」

 

四匹目の魔石を抜く。

 

最後の一匹だけは。

 

跳ぶ直前に角度を変えた。

 

正面ではなく。

 

壁を二度蹴り、バンの頭上へ回り込む。

 

「お」

 

僅かに目を細める。

 

単純に真っ直ぐ来るだけではない。

 

だが。

 

違ったのは軌道だけだった。

 

上から迫る角を。

 

クレシューズの端で軽く叩く。

 

怪物の身体が床へ落ちる。

 

転がりながらも起き上がろうとしたところで。

 

腹の奥から魔石を抜き取った。

 

五匹目も灰になる。

 

通路が静かになった。

 

バンは手元へ集めた小さな魔石を袋へ入れる。

 

灰の中には。

 

角が一本だけ残っていた。

 

額から生えていた物と同じ形だが。

 

怪物の身体と一緒には消えず。

 

白く硬いまま、床へ転がっている。

 

「こいつは残んのか」

 

拾い上げ。

 

指先で軽く弾く。

 

細いわりに硬い。

 

何に使う物かは分からない。

 

それでも、今まで拾ったゴブリンの牙よりは珍しそうだった。

 

別の袋へ入れる。

 

その時。

 

階段の上から、複数の足音が下りてきた。

 

「おい、立ち止まるな!」

 

「第五階層の入口で塞ぐなよ!」

 

バンが横へ寄る。

 

現れたのは、六人組の冒険者だった。

 

全員が若い。

 

それでも。

 

装備の傷や歩き方は、昨日パンテオンで見たばかりの新人より慣れている。

 

先頭の男が。

 

床に散った灰と、バンの手にある白い角を見る。

 

「ニードルラビットか」

 

バンは角を袋へ入れながら、男を見る。

 

「こいつら、そういう名前なのか?」

 

「知らないで潜ってるのか?」

 

「ああ」

 

「……あんた、担当のアドバイザーから何を教わったんだ?」

 

「誰だ、それ」

 

男は足を止めた。

 

仲間たちも。

 

赤い長衣。

 

防具のない身体。

 

一人分とは思えない大きな鞄。

 

見慣れない四節棍を順番に見る。

 

「一人なのか?」

 

「ああ」

 

「地図は?」

 

「ねぇぞ」

 

「帰った方がいい」

 

「まだ五階層だろ」

 

「五階層だから言ってるんだ」

 

男は通路の奥を指した。

 

「ここからは一度に出る数が増える。ニードルラビットは小さいが速い。キラーアントは増援を呼ぶ。上で通じたからって、同じように進めると思うな」

 

「キラーアントってのは?」

 

「それも知らないのか……?」

 

男の表情が引きつる。

 

仲間の一人。

 

小人族の少女が、バンの鞄を見て口を開いた。

 

「初めてなら、今日は戻った方がいいですよ。魔石も集まっているみたいですし」

 

「まだほとんど小せぇぞ」

 

「上層の魔石は、だいたいそんなものです」

 

「下へ行けばでかくなるのか?」

 

「基本的にはな。だからって、いきなり深く潜るなよ」

 

先頭の男が念を押す。

 

バンは一度だけ頷いた。

 

「覚えとく」

 

「……本当に分かってるのか?」

 

「ああ」

 

「ならいいが」

 

男は不安そうな顔を残したまま。

 

仲間と共に通路の奥へ進んでいった。

 

歩きながら。

 

後ろの者たちが小声で話している。

 

「止めなくていいのか?」

 

「止めても聞かない顔だっただろ」

 

「ギルドへ戻ったら報告する?」

 

「一人で五階層まで来てるだけじゃ、違反じゃない。だが、あの装備は……」

 

声が遠ざかる。

 

バンは気にせず。

 

彼らが進んだ方向とは別の通路へ顔を向けた。

 

「キラーアントか」

 

どんな姿なのかは。

 

まだ知らない。

 

名前から考えれば、蟻だろう。

 

先ほどの角兎も。

 

名前を聞くまでは、ただの兎にしか見えなかった。

 

「見りゃ分かるか」

 

クレシューズを肩へ戻し。

 

再び歩き始めた。

 

       ◇

 

第五階層は。

 

それまでの階層よりも、明らかに枝道が多かった。

 

緩やかに曲がる通路。

 

二つに分かれた先で、さらに三方向へ広がる道。

 

小さな広間を挟み。

 

元の場所へ戻る道。

 

下へ向かっているように見えて。

 

途中から上り坂へ変わる道。

 

戦闘に時間はかからない。

 

ニードルラビット。

 

ゴブリン。

 

コボルト。

 

現れれば。

 

少数は《獲物狩り》で魔石を抜く。

 

狭い場所で連続して飛びかかってくれば。

 

クレシューズの節を伸ばし、壁や天井へぶつけないよう軌道を曲げて打ち落とす。

 

だが。

 

下へ続く道を見つけるまでには、何度も足を止めた。

 

「こっちじゃねぇな」

 

同じ形の岩壁。

 

先ほど自分が倒したニードルラビットの灰。

 

目印に残した、小さな石の積み重ね。

 

一度通った場所だと気づき。

 

来た道を戻る。

 

急いではいない。

 

だからといって。

 

一つ一つの分かれ道で、長く考え込むこともない。

 

違えば戻る。

 

人の足跡が多ければ進む。

 

遠くから声がすれば。

 

その声が近づいてくるのか、遠ざかるのかを確かめる。

 

そうして進み。

 

昼を過ぎた頃。

 

第六階層へ続く坂を見つけた。

 

壁に打ち付けられた数字を確認する。

 

「六か」

 

鞄の中から硬いパンを一つ取り出す。

 

歩きながら噛む。

 

硬い。

 

昨日の店主が言った通り。

 

水か汁へ浸した方が食いやすい。

 

だが、腹へ入れば同じだ。

 

一口。

 

二口。

 

水袋の水で流し込む。

 

その間にも。

 

壁から一体のニードルラビットが生まれた。

 

バンはパンを持ったまま。

 

空いている手だけを向ける。

 

「獲物狩り《フォックスハント》」

 

魔石を抜く。

 

怪物は。

 

地面へ足をつく前に灰となった。

 

魔石を拾い。

 

袋へ入れる。

 

パンを食べ終わった頃には。

 

第六階層の奥まで進んでいた。

 

そして。

 

広い通路へ出たところで。

 

今までとは違う怪物を見つけた。

 

赤黒い外殻。

 

人間の腰ほどもある身体。

 

六本の脚。

 

大きな顎。

 

巨大な蟻だった。

 

一体だけではない。

 

三体。

 

壁際を這い。

 

触角を動かしながら、こちらへ向きを変える。

 

「こいつがキラーアントか」

 

先ほど聞いた名前と。

 

目の前の姿が繋がる。

 

一体目が走り出す。

 

足の数が多い分。

 

直線の動きはニードルラビットより安定している。

 

大顎が。

 

バンの脚へ噛みつこうと開いた。

 

「獲物狩り《フォックスハント》」

 

魔石が抜ける。

 

キラーアントの身体が。

 

勢いの途中で灰へ崩れた。

 

残る二体も。

 

左右へ分かれて接近する。

 

一体ずつ魔石を抜く。

 

戦闘は終わった。

 

だが。

 

二体目の身体が灰になる直前。

 

甲高い音が響いた。

 

「ギィィィィィ――!」

 

ゴブリンの声とも。

 

コボルトの唸りとも違う。

 

金属を擦るような声が。

 

通路の奥へ伝わっていく。

 

「何だ?」

 

バンは耳を澄ませた。

 

少しの間。

 

何も起こらない。

 

灰の中へ手を入れる。

 

魔石以外に。

 

赤黒い外殻の一部が残っていた。

 

手の平ほどの大きさ。

 

ニードルラビットの角より大きく、硬い。

 

「これは場所取るな」

 

それでも。

 

初めて見る素材だ。

 

厚手の回収袋へ入れる。

 

袋の口を閉じた時。

 

通路の奥から。

 

無数の細かな足音が聞こえ始めた。

 

一つ。

 

二つではない。

 

先ほど倒した三体より。

 

明らかに多い。

 

「仲間呼んだのか」

 

キラーアント。

 

増援を呼ぶ。

 

先ほどの冒険者が言っていたことを思い出す。

 

赤黒い影が。

 

通路の曲がり角から次々と現れた。

 

五体。

 

八体。

 

十体。

 

数え終わる前にも、後ろから続いている。

 

狭い通路を埋めるほどの群れ。

 

全てが大顎を鳴らし。

 

バンへ向かってくる。

 

「確かに、一匹ずつは面倒だな」

 

バンは鞄を背負ったまま。

 

右手を群れへ向けた。

 

全ての身体。

 

外殻の奥にある、小さな魔石。

 

一つずつ位置を捉える。

 

似た場所にある。

 

だが、僅かに個体差があった。

 

数が多くても。

 

奪う物が同じなら。

 

狙いを広げればいい。

 

「乱獲《クレイジーハント》」

 

空気が揺れた。

 

先頭を走っていたキラーアントの胸から。

 

魔石が飛び出す。

 

その後ろ。

 

さらに後ろ。

 

通路を埋めていた群れの身体から。

 

黒紫色の石が、一斉に抜け落ちた。

 

十。

 

二十。

 

それ以上。

 

宙へ浮いた魔石が。

 

黒い雨のようにバンの周囲へ集まる。

 

直後。

 

キラーアントの群れが。

 

前から順に灰へ崩れた。

 

大顎が床へ届く前に消え。

 

無数の脚も。

 

硬い外殻も。

 

灰となって通路へ積もっていく。

 

数秒前まで響いていた足音が。

 

一瞬で消えた。

 

「こっちの方が楽だな」

 

バンは足元へ落ちた魔石を拾い始める。

 

小さい。

 

一つ一つは。

 

ゴブリンやコボルトの魔石と、それほど変わらない。

 

ただし。

 

数が多い。

 

全部拾うだけで時間がかかった。

 

灰の中には。

 

外殻が二枚。

 

細い顎の一部が一つ。

 

残っていた。

 

全て拾う。

 

魔石袋は。

 

少しずつ重くなっている。

 

それでも。

 

鞄全体から見れば、まだ余裕があった。

 

「増えれば稼ぎになるってことか」

 

魔石袋を鞄へ戻す。

 

群れそのものは。

 

バンにとって脅威ではない。

 

だが。

 

普通の新人が。

 

一体ずつ相手にしていたら。

 

増援が尽きる前に体力を失うだろう。

 

先ほどの冒険者たちが、注意した理由も分かった。

 

バンは灰を踏まないよう進み。

 

第六階層の奥へ向かった。

 

       ◇

 

それからしばらく。

 

キラーアントの姿は見なかった。

 

ニードルラビット。

 

コボルト。

 

名前を知らない、小さな蛾に似た怪物。

 

単独か。

 

多くても数体。

 

魔石を抜いて倒す。

 

別の冒険者とすれ違うこともあった。

 

大きな鞄を背負い。

 

防具も着けず。

 

一人で下へ進むバンを見ると。

 

誰もが一度は振り返る。

 

「あの男、一人か?」

 

「見たことあるか?」

 

「いや」

 

「どこのファミリアだ?」

 

声は聞こえている。

 

だが。

 

答える理由もない。

 

そのまま進んだ。

 

道を一度間違え。

 

行き止まりへ入る。

 

戻った先で。

 

別の道から上がってきた四人組とすれ違う。

 

彼らの足元には。

 

キラーアントの外殻が入った回収袋。

 

血の付いた剣。

 

疲れ切った表情。

 

「この先、群れが出たぞ」

 

先頭の男がバンへ言った。

 

「もういねぇぞ」

 

「何?」

 

「倒した」

 

「一人で?」

 

「ああ」

 

男は何かを言おうとしたが。

 

仲間に肩を叩かれ。

 

口を閉じた。

 

バンが横を通り過ぎたあと。

 

背後で、小さな声が聞こえる。

 

「魔石、全部抜かれてたのは、あいつか?」

 

「知らん。関わるな」

 

バンは気にしない。

 

さらに下へ進む。

 

どれほど歩いた頃か。

 

遠くから。

 

武器のぶつかる音が聞こえた。

 

それ自体は。

 

珍しくない。

 

この階層へ入ってから。

 

何度も聞いている。

 

だが。

 

今度は。

 

戦う声に混ざって、聞き覚えのある声があった。

 

「右!右から来る!」

 

少女の声。

 

「分かってる!」

 

若い男。

 

「下がれ!前は俺が押さえる!」

 

静かだった青年の。

 

今までより強い声。

 

バンは足を止めた。

 

「……あいつらか?」

 

声の方向へ向かう。

 

通路を一つ曲がり。

 

狭い坂を下る。

 

その先。

 

少し広い空間で。

 

三人の若者が怪物の群れと戦っていた。

 

剣を握るカイル。

 

短い弓へ矢をつがえるリナ。

 

槍を両手で構えるテオ。

 

オラリオへ向かう街道で出会った。

 

幼なじみの三人だった。

 

「カイル、前へ出すぎ!」

 

「出なきゃ、テオだけじゃ止められないだろ!」

 

「一度下がれ!」

 

テオが槍を突き出す。

 

キラーアントの顎と正面からぶつかり。

 

硬い外殻へ穂先が滑る。

 

それでも。

 

無理に押し切ろうとはせず。

 

槍を引き。

 

怪物の脚へ狙いを変えた。

 

低く払う。

 

一体の前脚が崩れ。

 

キラーアントの身体が傾いた。

 

「今だ!」

 

カイルが踏み込む。

 

剣を両手で握り。

 

テオが崩した個体の首元へ振り下ろした。

 

刃が外殻の隙間へ入る。

 

緑色の体液が飛ぶ。

 

だが。

 

一撃では仕留めきれない。

 

「まだ動いてる!」

 

リナの矢が。

 

開いた傷へ突き刺さった。

 

キラーアントの動きが止まる。

 

三人の呼吸は合っていた。

 

街道で会った時より。

 

武器の持ち方も。

 

互いの位置を見る余裕もある。

 

少なくとも。

 

何も考えず突っ込んでいるわけではない。

 

だが。

 

敵の数が多すぎた。

 

正面に六体。

 

左の通路から、さらに四体。

 

右側の壁も。

 

内側から膨らみ始めている。

 

「また生まれる!」

 

リナが叫ぶ。

 

矢筒へ手を伸ばす。

 

残りは。

 

三本しかなかった。

 

カイルの左腕には。

 

浅い傷がある。

 

革鎧の肩が裂け。

 

血が流れていた。

 

テオも。

 

右脚を庇っている。

 

槍を支えにして立っているが。

 

踏み込むたび、表情が僅かに歪んだ。

 

「退くぞ!」

 

テオが言う。

 

「後ろからも来てる!」

 

リナが振り返る。

 

三人が入ってきた通路にも。

 

赤黒い外殻が見えた。

 

退路を塞ぐように。

 

キラーアントが集まっている。

 

「そんな……」

 

リナの顔が強張る。

 

カイルは剣を握り直した。

 

手が震えている。

 

それでも。

 

武器を捨てなかった。

 

「前を破る」

 

「この数じゃ無理だ!」

 

「ここにいたら、もっと増える!」

 

正面のキラーアントが大顎を鳴らす。

 

一体が。

 

カイルへ向かって走った。

 

「来い!」

 

剣を上げる。

 

だが。

 

別の一体が。

 

壁際を回り。

 

死角からリナへ迫っていた。

 

テオが気づく。

 

負傷した脚を引きずりながら。

 

リナの前へ入ろうとする。

 

間に合わない。

 

キラーアントの顎が開く。

 

その時。

 

赤黒い外殻とリナの間へ。

 

一本の棍が滑り込んだ。

 

クレシューズの先端が。

 

キラーアントの頭部を横から打ち抜く。

 

怪物の身体が。

 

弾かれた石のように壁へ飛んだ。

 

「え――」

 

リナが振り返る。

 

赤い長衣。

 

明るい銀白色の短髪。

 

大きな鞄。

 

肩へ担がれた、四節の神器。

 

「よう」

 

バンは。

 

三人とキラーアントの間へ立った。

 

「久しぶりだな」

 

「バンさん!?」

 

カイルの声が裏返る。

 

「どうして、ここに……!」

 

「歩いてきた」

 

「そういう意味じゃありません!」

 

リナが叫ぶ。

 

「ファミリアに入ってないって言ってましたよね!?」

 

「ああ」

 

「それなのに、どうやってダンジョンへ入ったんですか!?」

 

「人に混ざった」

 

「混ざった!?」

 

「話はあとにしろ」

 

テオの声が飛ぶ。

 

キラーアントの群れは。

 

バンが現れても止まらない。

 

正面。

 

左右。

 

背後。

 

さらに。

 

膨らんでいた壁が裂け。

 

新しい個体が床へ落ちる。

 

「バンさん、囲まれてます!」

 

「見りゃ分かる」

 

バンは周囲を見回した。

 

三人の近くに。

 

キラーアントがいる。

 

密集している個体。

 

通路の奥で、まだこちらへ向かっている個体。

 

壁から出たばかりの個体。

 

数は多い。

 

だが。

 

魔石の位置は全て分かる。

 

ただし。

 

近くには三人がいる。

 

剣。

 

弓。

 

槍。

 

怪物から奪う物と。

 

奪わない物を、間違えるわけにはいかない。

 

「そこ動くなよ」

 

「何を――」

 

「いいから止まってろ」

 

バンが右手を上げる。

 

指先を。

 

僅かに曲げた。

 

「乱獲《クレイジーハント》」

 

空間が。

 

大きく引かれた。

 

最初に。

 

カイルの正面で顎を開いていた個体。

 

次に。

 

リナの背後へ回り込んでいた個体。

 

テオの槍へ噛みつこうとしていた個体。

 

通路を塞ぐ群れ。

 

壁から生まれたばかりの個体。

 

全ての身体から。

 

魔石だけが一斉に抜け出した。

 

黒紫色の石が。

 

三人の間を縫い。

 

剣にも。

 

弓にも。

 

槍にも触れず。

 

バンの右手へ集まる。

 

キラーアントたちの動きが止まった。

 

一体。

 

また一体。

 

前後左右にいた怪物が。

 

同時に灰へ変わっていく。

 

大顎も。

 

硬い外殻も。

 

無数の脚も。

 

床へ届く前に崩れ落ちた。

 

赤黒い群れが消え。

 

広間を灰の色が覆う。

 

残ったのは。

 

宙へ浮く大量の魔石。

 

そして。

 

剣を構えたまま固まる、三人の若者だった。

 

「……何ですか、それ」

 

リナが呟く。

 

「魔石を取っただけだぞ」

 

「だけって……」

 

カイルが周囲を見る。

 

「全部?」

 

「ああ」

 

「一度に?」

 

「ああ」

 

「何体いたと思ってるんですか!」

 

「数えてねぇな」

 

バンが右手を軽く振る。

 

集まった魔石が。

 

足元へまとめて落ちた。

 

「お前ら、怪我は?」

 

三人は。

 

すぐには答えなかった。

 

「おい」

 

「……あります」

 

テオが最初に我へ返る。

 

「俺は右脚。浅いです」

 

「カイルは左腕」

 

リナも答える。

 

「私は怪我はありません。矢が、ほとんど残ってないです」

 

カイルが剣を下ろした。

 

「助けてくれたんですよね」

 

「見りゃ分かんだろ」

 

以前。

 

街道で交わしたものと似た言葉だった。

 

カイルは少しだけ目を見開き。

 

それから。

 

深く頭を下げた。

 

「ありがとうございます」

 

リナとテオも続く。

 

「ありがとうございます」

 

「助かりました」

 

バンは三人へ近づく。

 

まず。

 

テオの脚を見る。

 

革の脚当てが裂け。

 

その下から血が滲んでいる。

 

深くはない。

 

歩けなくなるほどでもない。

 

次に。

 

カイルの腕。

 

こちらも。

 

外殻か顎へ擦られた傷だった。

 

「動けるな」

 

「はい」

 

テオが答える。

 

「なら、戻るぞ」

 

「戻る?」

 

カイルが聞き返す。

 

「このまま先へ行く気か?」

 

「それは……」

 

視線が。

 

三人の間で動く。

 

リナが先に首を振った。

 

「戻ります」

 

声には悔しさがある。

 

だが。

 

迷いはなかった。

 

「矢も残ってないし、二人も怪我してる。今日は、もう無理です」

 

テオも頷く。

 

「俺も賛成だ」

 

カイルだけが。

 

少しの間、黙っていた。

 

足元には。

 

灰。

 

自分たちが倒した一体のキラーアント。

 

そして。

 

バンが一瞬で消した群れの跡。

 

剣を握る手から。

 

力が抜ける。

 

「……俺も戻ります」

 

「最初よりはマシになったな」

 

バンが言う。

 

カイルが顔を上げる。

 

「何がですか?」

 

「街道で会った時なら、まだ行けるって言ってただろ」

 

「それは……」

 

「猪の尻しか斬ってねぇのにな」

 

「覚えてたんですか!?」

 

「バンさん、その話は今しなくていいです」

 

リナが言う。

 

だが。

 

張り詰めていた表情が。

 

少しだけ緩んだ。

 

テオも。

 

僅かに口元を動かしている。

 

「笑うな、テオ」

 

「笑ってない」

 

「絶対笑ってる」

 

「それより」

 

テオは。

 

バンの背後にある大きな鞄を見る。

 

「本当に、一人で来たんですか?」

 

「ああ」

 

「誰にも言わずに?」

 

「ああ」

 

「地図は?」

 

「ねぇぞ」

 

三人の表情が。

 

今度は同時に固まった。

 

「地図なしで六階層まで来たんですか?」

 

「少し迷ったぞ」

 

「少し?」

 

「同じ場所に三回戻ったくらいだ」

 

「それは少しじゃありません!」

 

リナの声が広間へ響く。

 

「何で地図を買わなかったんですか!」

 

「なくても進めたからな」

 

「今、三回戻ったって言ったじゃないですか!」

 

「最後には下り道を見つけただろ」

 

「結果がよければいいって話じゃありません!」

 

バンは頭をかいた。

 

「アルフィアみてぇなこと言うな」

 

「アルフィアさんなら、もっと冷たく言うと思います」

 

「そうか?」

 

「少なくとも、話を聞かない人を相手に、こんなに何度も説明しません」

 

「そりゃそうだな」

 

妙に納得したバンへ、リナは呆れた視線を向けた。

 

「アルフィアさんには、ダンジョンへ入るって伝えたんですか?」

 

「言ってねぇぞ」

 

「どうしてですか?」

 

「止めるからな」

 

三人は。

 

今度こそ言葉を失った。

 

バンは足元の魔石を拾い始める。

 

一つ。

 

また一つ。

 

数が多い。

 

三人も。

 

何も言わず拾うのを手伝い始めた。

 

「これはバンさんの分です」

 

リナが魔石を差し出す。

 

「お前らが倒した奴のも混じってんぞ」

 

「でも、ほとんどバンさんが倒しました」

 

「じゃあ、一個だけ持ってけ」

 

「一個?」

 

「自分らで倒した分だろ」

 

灰の中に。

 

三人が力を合わせて倒したキラーアントの魔石が落ちている。

 

他より見分けがつくわけではない。

 

だが。

 

位置だけは分かった。

 

バンは一つ拾い。

 

カイルへ投げる。

 

「ほら」

 

カイルが慌てて受け取った。

 

「いいんですか?」

 

「お前らのだろ」

 

「でも、助けてもらったのに」

 

「別の話だ」

 

バンは残りの魔石を袋へ入れる。

 

灰の中には。

 

外殻が数枚。

 

大顎の一部。

 

細い脚の殻が残っていた。

 

三人が持っていた回収袋にも、まだ空きがある。

 

「そっちは持ってけ」

 

「いいんですか?」

 

「オレの鞄にも入るけどな」

 

カイルたちの袋と。

 

自分の鞄を見比べる。

 

「お前らの方が金なさそうだ」

 

「否定できませんけど、言い方ありません?」

 

リナが外殻を拾う。

 

テオとカイルも手伝い。

 

三人の袋へ入れた。

 

準備を整えたところで。

 

バンは来た道へ向かう。

 

「帰んぞ」

 

「バンさんも地上へ戻るんですか?」

 

「お前らを途中まで送るだけだ」

 

「そのあと?」

 

「下へ行く」

 

「まだ行くんですか!?」

 

カイルが叫ぶ。

 

「まだ六階層だろ」

 

「バンさんにとってはそうかもしれませんけど!」

 

「地図もないのに!」

 

リナも続く。

 

「迷えば戻る」

 

「それで済まないから言ってるんです!」

 

「オレは済んでるぞ」

 

「そういう問題じゃありません!」

 

バンは笑い。

 

来た道を歩き始めた。

 

三人は顔を見合わせ。

 

諦めたように、その後ろへ続いた。

 

       ◇

 

第六階層から第五階層へ戻る道でも。

 

モンスターは現れた。

 

ニードルラビットが三体。

 

ゴブリンが二体。

 

バンは。

 

三人へ手を出させなかった。

 

怪我をしている。

 

矢も少ない。

 

帰ると決めた者に。

 

余計な戦闘をさせる必要はない。

 

「獲物狩り《フォックスハント》」

 

魔石を抜く。

 

怪物が灰になる。

 

三人は。

 

そのたびに立ち止まり。

 

バンの手元へ飛ぶ魔石を見ていた。

 

「それ、何回使っても平気なんですか?」

 

カイルが尋ねる。

 

「平気だぞ」

 

「魔法じゃないんですよね?」

 

「ああ」

 

「スキルですか?」

 

「知らねぇ」

 

「自分の力なのに?」

 

「昔から使えるからな」

 

リナが眉を寄せる。

 

「やっぱり、どこかのファミリアに入ってたんじゃないですか?」

 

「入ったことねぇぞ」

 

「じゃあ、恩恵は?」

 

「持ってねぇ」

 

三人の足が止まった。

 

「……え?」

 

カイルが聞き返す。

 

「神様の恩恵を持ってないんですか?」

 

「ああ」

 

「でも、ダンジョンには恩恵を持っている冒険者しか――」

 

リナが途中で言葉を止めた。

 

先ほどの会話を思い出したらしい。

 

「人に混ざったって……」

 

「そう言っただろ」

 

「無断で入ったんですか!?」

 

「入れてくれなかったからな」

 

「当たり前です!」

 

声が響く。

 

少し先を歩いていた別の冒険者たちが。

 

何事かと振り返った。

 

リナは慌てて声を落とす。

 

「それ、捕まりますよ」

 

「帰る時に見つからなきゃいいだろ」

 

「帰りも混ざるつもりなんですか?」

 

「そうすりゃいいな」

 

バンは。

 

本当に今思いついたように答えた。

 

テオが。

 

長く息を吐いた。

 

「アルフィアさんに止められる理由が分かりました」

 

「だろ?」

 

「納得するところではないです」

 

第四階層まで戻ると。

 

地上へ向かう六人組の冒険者と出会った。

 

前衛が三人。

 

弓使い。

 

杖を持つ女性。

 

大きな荷物を背負ったサポーター。

 

装備には傷があるが。

 

大きな怪我はない。

 

バンは彼らの前へ立った。

 

「こいつら、上まで連れてってやってくれ」

 

先頭の男が。

 

カイルたちを見る。

 

「怪我人か?」

 

「歩けます」

 

テオが答えた。

 

「六階層でキラーアントの群れに囲まれました。帰還するところです」

 

「所属は?」

 

カイルが自分たちのファミリア名を答える。

 

男は頷いた。

 

「聞いたことがある。新人を受け入れている小派閥だな」

 

「はい」

 

「なら、地上まで一緒に行こう。俺たちも戻るところだ」

 

リナが頭を下げる。

 

「ありがとうございます」

 

男は次に。

 

バンを見る。

 

「あんたは?」

 

「オレは下へ行く」

 

「今、上がってきたところじゃないのか?」

 

「こいつらを送っただけだ」

 

「……一人でか?」

 

「ああ」

 

男は。

 

何か言いたそうにバンを見た。

 

だが。

 

足元の魔石袋。

 

無傷の姿。

 

見慣れないクレシューズを確認し。

 

説教は諦めたらしい。

 

「好きにしろ。ただし、そいつらを助けたからって、自分まで助かるとは思うなよ」

 

「分かってる」

 

「その返事をする奴ほど分かっていないんだがな」

 

男は肩をすくめた。

 

カイルたちは。

 

地上へ向かう一団の中へ入る。

 

それでも。

 

三人ともすぐには歩き出さなかった。

 

「バンさん」

 

カイルが呼ぶ。

 

「何だ?」

 

「助けてくれて、本当にありがとうございました」

 

「ああ」

 

「次は」

 

一度。

 

握った剣を見る。

 

「次は、今日みたいにならないようにします」

 

「無理すんなよ」

 

「でも、強くなりたいです」

 

「好きにすりゃいい」

 

バンは肩へクレシューズを担ぐ。

 

「ただ、生きて帰れ。前にも言っただろ」

 

カイルは。

 

今度は強く頷いた。

 

「はい」

 

リナも頭を下げる。

 

「バンさんも、ちゃんと帰ってくださいね」

 

「ああ」

 

「本当にですよ」

 

「分かってる」

 

「その返事、信用できません」

 

「アルフィアみてぇな奴が増えたな」

 

テオが。

 

静かにバンを見る。

 

「下へ向かう道は、この先の広間を左です」

 

「知ってんのか?」

 

「地図を持っていますから」

 

短い一言。

 

バンは少し黙った。

 

「便利だな、それ」

 

「買ってください」

 

「考えとく」

 

「買わない顔をしてます」

 

テオが言った。

 

バンは笑う。

 

「よく見てんな」

 

三人は。

 

冒険者たちと共に上へ向かった。

 

何度か振り返り。

 

最後には。

 

曲がり角の向こうへ姿を消す。

 

バンはしばらく、その方向を見ていた。

 

街道で会った時より。

 

三人は少しだけ変わっていた。

 

火をつけるのにも苦労し。

 

武器もまともに使ったことがなかった若者たち。

 

今は。

 

互いの位置を見て。

 

声を掛け。

 

退くことも選べた。

 

強くなったとは。

 

まだ言えない。

 

それでも。

 

冒険者になり始めている。

 

「死ぬなよ」

 

小さく呟き。

 

バンは背を向けた。

 

テオが教えた通り。

 

広間を左へ進む。

 

しばらく歩くと。

 

下へ続く道が見つかった。

 

壁に打ち付けられた案内板。

 

数字は七。

 

「地図、あった方が楽そうだな」

 

そう言いながら。

 

買いに戻るつもりはなかった。

 

バンは第七階層へ続く道を下る。

 

背後。

 

地上へ向かう足音は。

 

もう聞こえない。

 

代わりに。

 

前方の暗い通路から。

 

新たな怪物の声が響いてきた。




街道で出会ったカイル、リナ、テオとの再会でした。短期間で急激に強くなったのではなく、三人で声を掛け合い、危険なら退くことを選べるようになった姿を描いています。特に、群れの中から三人を避けて魔石だけを奪う《乱獲《クレイジーハント》》がお気に入りです。
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