第五階層へ続く石段を下りるほど。
硬い物が床を叩く音は、はっきりと大きくなっていった。
一つではない。
短く。
細かく。
何度も重なっている。
バンは鞄を背負い直し。
クレシューズを肩へ担いだまま、階段の先へ足を踏み出した。
第四階層まで続いていた青白い壁は。
僅かに色を変えている。
表面の凹凸が増え。
通路も一回り広い。
その先。
五匹ほどの怪物が、床を蹴りながら駆けてきた。
兎に似た小型の身体。
長い耳。
額から伸びた、鋭い角。
小さいが。
ゴブリンやコボルトより、明らかに動きが速い。
一匹目が壁を蹴る。
角を前へ突き出し。
真っ直ぐ、バンの胸へ飛び込んできた。
「兎か?」
バンは半歩だけ身体をずらした。
角が赤い長衣の横を通り過ぎる。
その首を掴もうとはせず。
怪物の腹の奥へ意識を向けた。
「獲物狩り《フォックスハント》」
魔石が抜ける。
空中にいた兎の怪物は。
バンの横を通過しながら灰へ変わった。
勢いだけを残した灰が。
通路の床へ細長く散る。
続けて、二匹。
左右から跳ぶ。
バンが空いた手を軽く動かす。
「獲物狩り《フォックスハント》」
一つ。
さらに、もう一つ。
二個の魔石が手元へ飛び。
主を失った身体が空中で崩れる。
残る二匹は。
仲間が消えたことを恐れた様子もなく、続けて床を蹴った。
ダンジョンから生まれた怪物には。
逃げるという選択そのものが薄いらしい。
「同じことしかしてこねぇな」
四匹目の魔石を抜く。
最後の一匹だけは。
跳ぶ直前に角度を変えた。
正面ではなく。
壁を二度蹴り、バンの頭上へ回り込む。
「お」
僅かに目を細める。
単純に真っ直ぐ来るだけではない。
だが。
違ったのは軌道だけだった。
上から迫る角を。
クレシューズの端で軽く叩く。
怪物の身体が床へ落ちる。
転がりながらも起き上がろうとしたところで。
腹の奥から魔石を抜き取った。
五匹目も灰になる。
通路が静かになった。
バンは手元へ集めた小さな魔石を袋へ入れる。
灰の中には。
角が一本だけ残っていた。
額から生えていた物と同じ形だが。
怪物の身体と一緒には消えず。
白く硬いまま、床へ転がっている。
「こいつは残んのか」
拾い上げ。
指先で軽く弾く。
細いわりに硬い。
何に使う物かは分からない。
それでも、今まで拾ったゴブリンの牙よりは珍しそうだった。
別の袋へ入れる。
その時。
階段の上から、複数の足音が下りてきた。
「おい、立ち止まるな!」
「第五階層の入口で塞ぐなよ!」
バンが横へ寄る。
現れたのは、六人組の冒険者だった。
全員が若い。
それでも。
装備の傷や歩き方は、昨日パンテオンで見たばかりの新人より慣れている。
先頭の男が。
床に散った灰と、バンの手にある白い角を見る。
「ニードルラビットか」
バンは角を袋へ入れながら、男を見る。
「こいつら、そういう名前なのか?」
「知らないで潜ってるのか?」
「ああ」
「……あんた、担当のアドバイザーから何を教わったんだ?」
「誰だ、それ」
男は足を止めた。
仲間たちも。
赤い長衣。
防具のない身体。
一人分とは思えない大きな鞄。
見慣れない四節棍を順番に見る。
「一人なのか?」
「ああ」
「地図は?」
「ねぇぞ」
「帰った方がいい」
「まだ五階層だろ」
「五階層だから言ってるんだ」
男は通路の奥を指した。
「ここからは一度に出る数が増える。ニードルラビットは小さいが速い。キラーアントは増援を呼ぶ。上で通じたからって、同じように進めると思うな」
「キラーアントってのは?」
「それも知らないのか……?」
男の表情が引きつる。
仲間の一人。
小人族の少女が、バンの鞄を見て口を開いた。
「初めてなら、今日は戻った方がいいですよ。魔石も集まっているみたいですし」
「まだほとんど小せぇぞ」
「上層の魔石は、だいたいそんなものです」
「下へ行けばでかくなるのか?」
「基本的にはな。だからって、いきなり深く潜るなよ」
先頭の男が念を押す。
バンは一度だけ頷いた。
「覚えとく」
「……本当に分かってるのか?」
「ああ」
「ならいいが」
男は不安そうな顔を残したまま。
仲間と共に通路の奥へ進んでいった。
歩きながら。
後ろの者たちが小声で話している。
「止めなくていいのか?」
「止めても聞かない顔だっただろ」
「ギルドへ戻ったら報告する?」
「一人で五階層まで来てるだけじゃ、違反じゃない。だが、あの装備は……」
声が遠ざかる。
バンは気にせず。
彼らが進んだ方向とは別の通路へ顔を向けた。
「キラーアントか」
どんな姿なのかは。
まだ知らない。
名前から考えれば、蟻だろう。
先ほどの角兎も。
名前を聞くまでは、ただの兎にしか見えなかった。
「見りゃ分かるか」
クレシューズを肩へ戻し。
再び歩き始めた。
◇
第五階層は。
それまでの階層よりも、明らかに枝道が多かった。
緩やかに曲がる通路。
二つに分かれた先で、さらに三方向へ広がる道。
小さな広間を挟み。
元の場所へ戻る道。
下へ向かっているように見えて。
途中から上り坂へ変わる道。
戦闘に時間はかからない。
ニードルラビット。
ゴブリン。
コボルト。
現れれば。
少数は《獲物狩り》で魔石を抜く。
狭い場所で連続して飛びかかってくれば。
クレシューズの節を伸ばし、壁や天井へぶつけないよう軌道を曲げて打ち落とす。
だが。
下へ続く道を見つけるまでには、何度も足を止めた。
「こっちじゃねぇな」
同じ形の岩壁。
先ほど自分が倒したニードルラビットの灰。
目印に残した、小さな石の積み重ね。
一度通った場所だと気づき。
来た道を戻る。
急いではいない。
だからといって。
一つ一つの分かれ道で、長く考え込むこともない。
違えば戻る。
人の足跡が多ければ進む。
遠くから声がすれば。
その声が近づいてくるのか、遠ざかるのかを確かめる。
そうして進み。
昼を過ぎた頃。
第六階層へ続く坂を見つけた。
壁に打ち付けられた数字を確認する。
「六か」
鞄の中から硬いパンを一つ取り出す。
歩きながら噛む。
硬い。
昨日の店主が言った通り。
水か汁へ浸した方が食いやすい。
だが、腹へ入れば同じだ。
一口。
二口。
水袋の水で流し込む。
その間にも。
壁から一体のニードルラビットが生まれた。
バンはパンを持ったまま。
空いている手だけを向ける。
「獲物狩り《フォックスハント》」
魔石を抜く。
怪物は。
地面へ足をつく前に灰となった。
魔石を拾い。
袋へ入れる。
パンを食べ終わった頃には。
第六階層の奥まで進んでいた。
そして。
広い通路へ出たところで。
今までとは違う怪物を見つけた。
赤黒い外殻。
人間の腰ほどもある身体。
六本の脚。
大きな顎。
巨大な蟻だった。
一体だけではない。
三体。
壁際を這い。
触角を動かしながら、こちらへ向きを変える。
「こいつがキラーアントか」
先ほど聞いた名前と。
目の前の姿が繋がる。
一体目が走り出す。
足の数が多い分。
直線の動きはニードルラビットより安定している。
大顎が。
バンの脚へ噛みつこうと開いた。
「獲物狩り《フォックスハント》」
魔石が抜ける。
キラーアントの身体が。
勢いの途中で灰へ崩れた。
残る二体も。
左右へ分かれて接近する。
一体ずつ魔石を抜く。
戦闘は終わった。
だが。
二体目の身体が灰になる直前。
甲高い音が響いた。
「ギィィィィィ――!」
ゴブリンの声とも。
コボルトの唸りとも違う。
金属を擦るような声が。
通路の奥へ伝わっていく。
「何だ?」
バンは耳を澄ませた。
少しの間。
何も起こらない。
灰の中へ手を入れる。
魔石以外に。
赤黒い外殻の一部が残っていた。
手の平ほどの大きさ。
ニードルラビットの角より大きく、硬い。
「これは場所取るな」
それでも。
初めて見る素材だ。
厚手の回収袋へ入れる。
袋の口を閉じた時。
通路の奥から。
無数の細かな足音が聞こえ始めた。
一つ。
二つではない。
先ほど倒した三体より。
明らかに多い。
「仲間呼んだのか」
キラーアント。
増援を呼ぶ。
先ほどの冒険者が言っていたことを思い出す。
赤黒い影が。
通路の曲がり角から次々と現れた。
五体。
八体。
十体。
数え終わる前にも、後ろから続いている。
狭い通路を埋めるほどの群れ。
全てが大顎を鳴らし。
バンへ向かってくる。
「確かに、一匹ずつは面倒だな」
バンは鞄を背負ったまま。
右手を群れへ向けた。
全ての身体。
外殻の奥にある、小さな魔石。
一つずつ位置を捉える。
似た場所にある。
だが、僅かに個体差があった。
数が多くても。
奪う物が同じなら。
狙いを広げればいい。
「乱獲《クレイジーハント》」
空気が揺れた。
先頭を走っていたキラーアントの胸から。
魔石が飛び出す。
その後ろ。
さらに後ろ。
通路を埋めていた群れの身体から。
黒紫色の石が、一斉に抜け落ちた。
十。
二十。
それ以上。
宙へ浮いた魔石が。
黒い雨のようにバンの周囲へ集まる。
直後。
キラーアントの群れが。
前から順に灰へ崩れた。
大顎が床へ届く前に消え。
無数の脚も。
硬い外殻も。
灰となって通路へ積もっていく。
数秒前まで響いていた足音が。
一瞬で消えた。
「こっちの方が楽だな」
バンは足元へ落ちた魔石を拾い始める。
小さい。
一つ一つは。
ゴブリンやコボルトの魔石と、それほど変わらない。
ただし。
数が多い。
全部拾うだけで時間がかかった。
灰の中には。
外殻が二枚。
細い顎の一部が一つ。
残っていた。
全て拾う。
魔石袋は。
少しずつ重くなっている。
それでも。
鞄全体から見れば、まだ余裕があった。
「増えれば稼ぎになるってことか」
魔石袋を鞄へ戻す。
群れそのものは。
バンにとって脅威ではない。
だが。
普通の新人が。
一体ずつ相手にしていたら。
増援が尽きる前に体力を失うだろう。
先ほどの冒険者たちが、注意した理由も分かった。
バンは灰を踏まないよう進み。
第六階層の奥へ向かった。
◇
それからしばらく。
キラーアントの姿は見なかった。
ニードルラビット。
コボルト。
名前を知らない、小さな蛾に似た怪物。
単独か。
多くても数体。
魔石を抜いて倒す。
別の冒険者とすれ違うこともあった。
大きな鞄を背負い。
防具も着けず。
一人で下へ進むバンを見ると。
誰もが一度は振り返る。
「あの男、一人か?」
「見たことあるか?」
「いや」
「どこのファミリアだ?」
声は聞こえている。
だが。
答える理由もない。
そのまま進んだ。
道を一度間違え。
行き止まりへ入る。
戻った先で。
別の道から上がってきた四人組とすれ違う。
彼らの足元には。
キラーアントの外殻が入った回収袋。
血の付いた剣。
疲れ切った表情。
「この先、群れが出たぞ」
先頭の男がバンへ言った。
「もういねぇぞ」
「何?」
「倒した」
「一人で?」
「ああ」
男は何かを言おうとしたが。
仲間に肩を叩かれ。
口を閉じた。
バンが横を通り過ぎたあと。
背後で、小さな声が聞こえる。
「魔石、全部抜かれてたのは、あいつか?」
「知らん。関わるな」
バンは気にしない。
さらに下へ進む。
どれほど歩いた頃か。
遠くから。
武器のぶつかる音が聞こえた。
それ自体は。
珍しくない。
この階層へ入ってから。
何度も聞いている。
だが。
今度は。
戦う声に混ざって、聞き覚えのある声があった。
「右!右から来る!」
少女の声。
「分かってる!」
若い男。
「下がれ!前は俺が押さえる!」
静かだった青年の。
今までより強い声。
バンは足を止めた。
「……あいつらか?」
声の方向へ向かう。
通路を一つ曲がり。
狭い坂を下る。
その先。
少し広い空間で。
三人の若者が怪物の群れと戦っていた。
剣を握るカイル。
短い弓へ矢をつがえるリナ。
槍を両手で構えるテオ。
オラリオへ向かう街道で出会った。
幼なじみの三人だった。
「カイル、前へ出すぎ!」
「出なきゃ、テオだけじゃ止められないだろ!」
「一度下がれ!」
テオが槍を突き出す。
キラーアントの顎と正面からぶつかり。
硬い外殻へ穂先が滑る。
それでも。
無理に押し切ろうとはせず。
槍を引き。
怪物の脚へ狙いを変えた。
低く払う。
一体の前脚が崩れ。
キラーアントの身体が傾いた。
「今だ!」
カイルが踏み込む。
剣を両手で握り。
テオが崩した個体の首元へ振り下ろした。
刃が外殻の隙間へ入る。
緑色の体液が飛ぶ。
だが。
一撃では仕留めきれない。
「まだ動いてる!」
リナの矢が。
開いた傷へ突き刺さった。
キラーアントの動きが止まる。
三人の呼吸は合っていた。
街道で会った時より。
武器の持ち方も。
互いの位置を見る余裕もある。
少なくとも。
何も考えず突っ込んでいるわけではない。
だが。
敵の数が多すぎた。
正面に六体。
左の通路から、さらに四体。
右側の壁も。
内側から膨らみ始めている。
「また生まれる!」
リナが叫ぶ。
矢筒へ手を伸ばす。
残りは。
三本しかなかった。
カイルの左腕には。
浅い傷がある。
革鎧の肩が裂け。
血が流れていた。
テオも。
右脚を庇っている。
槍を支えにして立っているが。
踏み込むたび、表情が僅かに歪んだ。
「退くぞ!」
テオが言う。
「後ろからも来てる!」
リナが振り返る。
三人が入ってきた通路にも。
赤黒い外殻が見えた。
退路を塞ぐように。
キラーアントが集まっている。
「そんな……」
リナの顔が強張る。
カイルは剣を握り直した。
手が震えている。
それでも。
武器を捨てなかった。
「前を破る」
「この数じゃ無理だ!」
「ここにいたら、もっと増える!」
正面のキラーアントが大顎を鳴らす。
一体が。
カイルへ向かって走った。
「来い!」
剣を上げる。
だが。
別の一体が。
壁際を回り。
死角からリナへ迫っていた。
テオが気づく。
負傷した脚を引きずりながら。
リナの前へ入ろうとする。
間に合わない。
キラーアントの顎が開く。
その時。
赤黒い外殻とリナの間へ。
一本の棍が滑り込んだ。
クレシューズの先端が。
キラーアントの頭部を横から打ち抜く。
怪物の身体が。
弾かれた石のように壁へ飛んだ。
「え――」
リナが振り返る。
赤い長衣。
明るい銀白色の短髪。
大きな鞄。
肩へ担がれた、四節の神器。
「よう」
バンは。
三人とキラーアントの間へ立った。
「久しぶりだな」
「バンさん!?」
カイルの声が裏返る。
「どうして、ここに……!」
「歩いてきた」
「そういう意味じゃありません!」
リナが叫ぶ。
「ファミリアに入ってないって言ってましたよね!?」
「ああ」
「それなのに、どうやってダンジョンへ入ったんですか!?」
「人に混ざった」
「混ざった!?」
「話はあとにしろ」
テオの声が飛ぶ。
キラーアントの群れは。
バンが現れても止まらない。
正面。
左右。
背後。
さらに。
膨らんでいた壁が裂け。
新しい個体が床へ落ちる。
「バンさん、囲まれてます!」
「見りゃ分かる」
バンは周囲を見回した。
三人の近くに。
キラーアントがいる。
密集している個体。
通路の奥で、まだこちらへ向かっている個体。
壁から出たばかりの個体。
数は多い。
だが。
魔石の位置は全て分かる。
ただし。
近くには三人がいる。
剣。
弓。
槍。
怪物から奪う物と。
奪わない物を、間違えるわけにはいかない。
「そこ動くなよ」
「何を――」
「いいから止まってろ」
バンが右手を上げる。
指先を。
僅かに曲げた。
「乱獲《クレイジーハント》」
空間が。
大きく引かれた。
最初に。
カイルの正面で顎を開いていた個体。
次に。
リナの背後へ回り込んでいた個体。
テオの槍へ噛みつこうとしていた個体。
通路を塞ぐ群れ。
壁から生まれたばかりの個体。
全ての身体から。
魔石だけが一斉に抜け出した。
黒紫色の石が。
三人の間を縫い。
剣にも。
弓にも。
槍にも触れず。
バンの右手へ集まる。
キラーアントたちの動きが止まった。
一体。
また一体。
前後左右にいた怪物が。
同時に灰へ変わっていく。
大顎も。
硬い外殻も。
無数の脚も。
床へ届く前に崩れ落ちた。
赤黒い群れが消え。
広間を灰の色が覆う。
残ったのは。
宙へ浮く大量の魔石。
そして。
剣を構えたまま固まる、三人の若者だった。
「……何ですか、それ」
リナが呟く。
「魔石を取っただけだぞ」
「だけって……」
カイルが周囲を見る。
「全部?」
「ああ」
「一度に?」
「ああ」
「何体いたと思ってるんですか!」
「数えてねぇな」
バンが右手を軽く振る。
集まった魔石が。
足元へまとめて落ちた。
「お前ら、怪我は?」
三人は。
すぐには答えなかった。
「おい」
「……あります」
テオが最初に我へ返る。
「俺は右脚。浅いです」
「カイルは左腕」
リナも答える。
「私は怪我はありません。矢が、ほとんど残ってないです」
カイルが剣を下ろした。
「助けてくれたんですよね」
「見りゃ分かんだろ」
以前。
街道で交わしたものと似た言葉だった。
カイルは少しだけ目を見開き。
それから。
深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
リナとテオも続く。
「ありがとうございます」
「助かりました」
バンは三人へ近づく。
まず。
テオの脚を見る。
革の脚当てが裂け。
その下から血が滲んでいる。
深くはない。
歩けなくなるほどでもない。
次に。
カイルの腕。
こちらも。
外殻か顎へ擦られた傷だった。
「動けるな」
「はい」
テオが答える。
「なら、戻るぞ」
「戻る?」
カイルが聞き返す。
「このまま先へ行く気か?」
「それは……」
視線が。
三人の間で動く。
リナが先に首を振った。
「戻ります」
声には悔しさがある。
だが。
迷いはなかった。
「矢も残ってないし、二人も怪我してる。今日は、もう無理です」
テオも頷く。
「俺も賛成だ」
カイルだけが。
少しの間、黙っていた。
足元には。
灰。
自分たちが倒した一体のキラーアント。
そして。
バンが一瞬で消した群れの跡。
剣を握る手から。
力が抜ける。
「……俺も戻ります」
「最初よりはマシになったな」
バンが言う。
カイルが顔を上げる。
「何がですか?」
「街道で会った時なら、まだ行けるって言ってただろ」
「それは……」
「猪の尻しか斬ってねぇのにな」
「覚えてたんですか!?」
「バンさん、その話は今しなくていいです」
リナが言う。
だが。
張り詰めていた表情が。
少しだけ緩んだ。
テオも。
僅かに口元を動かしている。
「笑うな、テオ」
「笑ってない」
「絶対笑ってる」
「それより」
テオは。
バンの背後にある大きな鞄を見る。
「本当に、一人で来たんですか?」
「ああ」
「誰にも言わずに?」
「ああ」
「地図は?」
「ねぇぞ」
三人の表情が。
今度は同時に固まった。
「地図なしで六階層まで来たんですか?」
「少し迷ったぞ」
「少し?」
「同じ場所に三回戻ったくらいだ」
「それは少しじゃありません!」
リナの声が広間へ響く。
「何で地図を買わなかったんですか!」
「なくても進めたからな」
「今、三回戻ったって言ったじゃないですか!」
「最後には下り道を見つけただろ」
「結果がよければいいって話じゃありません!」
バンは頭をかいた。
「アルフィアみてぇなこと言うな」
「アルフィアさんなら、もっと冷たく言うと思います」
「そうか?」
「少なくとも、話を聞かない人を相手に、こんなに何度も説明しません」
「そりゃそうだな」
妙に納得したバンへ、リナは呆れた視線を向けた。
「アルフィアさんには、ダンジョンへ入るって伝えたんですか?」
「言ってねぇぞ」
「どうしてですか?」
「止めるからな」
三人は。
今度こそ言葉を失った。
バンは足元の魔石を拾い始める。
一つ。
また一つ。
数が多い。
三人も。
何も言わず拾うのを手伝い始めた。
「これはバンさんの分です」
リナが魔石を差し出す。
「お前らが倒した奴のも混じってんぞ」
「でも、ほとんどバンさんが倒しました」
「じゃあ、一個だけ持ってけ」
「一個?」
「自分らで倒した分だろ」
灰の中に。
三人が力を合わせて倒したキラーアントの魔石が落ちている。
他より見分けがつくわけではない。
だが。
位置だけは分かった。
バンは一つ拾い。
カイルへ投げる。
「ほら」
カイルが慌てて受け取った。
「いいんですか?」
「お前らのだろ」
「でも、助けてもらったのに」
「別の話だ」
バンは残りの魔石を袋へ入れる。
灰の中には。
外殻が数枚。
大顎の一部。
細い脚の殻が残っていた。
三人が持っていた回収袋にも、まだ空きがある。
「そっちは持ってけ」
「いいんですか?」
「オレの鞄にも入るけどな」
カイルたちの袋と。
自分の鞄を見比べる。
「お前らの方が金なさそうだ」
「否定できませんけど、言い方ありません?」
リナが外殻を拾う。
テオとカイルも手伝い。
三人の袋へ入れた。
準備を整えたところで。
バンは来た道へ向かう。
「帰んぞ」
「バンさんも地上へ戻るんですか?」
「お前らを途中まで送るだけだ」
「そのあと?」
「下へ行く」
「まだ行くんですか!?」
カイルが叫ぶ。
「まだ六階層だろ」
「バンさんにとってはそうかもしれませんけど!」
「地図もないのに!」
リナも続く。
「迷えば戻る」
「それで済まないから言ってるんです!」
「オレは済んでるぞ」
「そういう問題じゃありません!」
バンは笑い。
来た道を歩き始めた。
三人は顔を見合わせ。
諦めたように、その後ろへ続いた。
◇
第六階層から第五階層へ戻る道でも。
モンスターは現れた。
ニードルラビットが三体。
ゴブリンが二体。
バンは。
三人へ手を出させなかった。
怪我をしている。
矢も少ない。
帰ると決めた者に。
余計な戦闘をさせる必要はない。
「獲物狩り《フォックスハント》」
魔石を抜く。
怪物が灰になる。
三人は。
そのたびに立ち止まり。
バンの手元へ飛ぶ魔石を見ていた。
「それ、何回使っても平気なんですか?」
カイルが尋ねる。
「平気だぞ」
「魔法じゃないんですよね?」
「ああ」
「スキルですか?」
「知らねぇ」
「自分の力なのに?」
「昔から使えるからな」
リナが眉を寄せる。
「やっぱり、どこかのファミリアに入ってたんじゃないですか?」
「入ったことねぇぞ」
「じゃあ、恩恵は?」
「持ってねぇ」
三人の足が止まった。
「……え?」
カイルが聞き返す。
「神様の恩恵を持ってないんですか?」
「ああ」
「でも、ダンジョンには恩恵を持っている冒険者しか――」
リナが途中で言葉を止めた。
先ほどの会話を思い出したらしい。
「人に混ざったって……」
「そう言っただろ」
「無断で入ったんですか!?」
「入れてくれなかったからな」
「当たり前です!」
声が響く。
少し先を歩いていた別の冒険者たちが。
何事かと振り返った。
リナは慌てて声を落とす。
「それ、捕まりますよ」
「帰る時に見つからなきゃいいだろ」
「帰りも混ざるつもりなんですか?」
「そうすりゃいいな」
バンは。
本当に今思いついたように答えた。
テオが。
長く息を吐いた。
「アルフィアさんに止められる理由が分かりました」
「だろ?」
「納得するところではないです」
第四階層まで戻ると。
地上へ向かう六人組の冒険者と出会った。
前衛が三人。
弓使い。
杖を持つ女性。
大きな荷物を背負ったサポーター。
装備には傷があるが。
大きな怪我はない。
バンは彼らの前へ立った。
「こいつら、上まで連れてってやってくれ」
先頭の男が。
カイルたちを見る。
「怪我人か?」
「歩けます」
テオが答えた。
「六階層でキラーアントの群れに囲まれました。帰還するところです」
「所属は?」
カイルが自分たちのファミリア名を答える。
男は頷いた。
「聞いたことがある。新人を受け入れている小派閥だな」
「はい」
「なら、地上まで一緒に行こう。俺たちも戻るところだ」
リナが頭を下げる。
「ありがとうございます」
男は次に。
バンを見る。
「あんたは?」
「オレは下へ行く」
「今、上がってきたところじゃないのか?」
「こいつらを送っただけだ」
「……一人でか?」
「ああ」
男は。
何か言いたそうにバンを見た。
だが。
足元の魔石袋。
無傷の姿。
見慣れないクレシューズを確認し。
説教は諦めたらしい。
「好きにしろ。ただし、そいつらを助けたからって、自分まで助かるとは思うなよ」
「分かってる」
「その返事をする奴ほど分かっていないんだがな」
男は肩をすくめた。
カイルたちは。
地上へ向かう一団の中へ入る。
それでも。
三人ともすぐには歩き出さなかった。
「バンさん」
カイルが呼ぶ。
「何だ?」
「助けてくれて、本当にありがとうございました」
「ああ」
「次は」
一度。
握った剣を見る。
「次は、今日みたいにならないようにします」
「無理すんなよ」
「でも、強くなりたいです」
「好きにすりゃいい」
バンは肩へクレシューズを担ぐ。
「ただ、生きて帰れ。前にも言っただろ」
カイルは。
今度は強く頷いた。
「はい」
リナも頭を下げる。
「バンさんも、ちゃんと帰ってくださいね」
「ああ」
「本当にですよ」
「分かってる」
「その返事、信用できません」
「アルフィアみてぇな奴が増えたな」
テオが。
静かにバンを見る。
「下へ向かう道は、この先の広間を左です」
「知ってんのか?」
「地図を持っていますから」
短い一言。
バンは少し黙った。
「便利だな、それ」
「買ってください」
「考えとく」
「買わない顔をしてます」
テオが言った。
バンは笑う。
「よく見てんな」
三人は。
冒険者たちと共に上へ向かった。
何度か振り返り。
最後には。
曲がり角の向こうへ姿を消す。
バンはしばらく、その方向を見ていた。
街道で会った時より。
三人は少しだけ変わっていた。
火をつけるのにも苦労し。
武器もまともに使ったことがなかった若者たち。
今は。
互いの位置を見て。
声を掛け。
退くことも選べた。
強くなったとは。
まだ言えない。
それでも。
冒険者になり始めている。
「死ぬなよ」
小さく呟き。
バンは背を向けた。
テオが教えた通り。
広間を左へ進む。
しばらく歩くと。
下へ続く道が見つかった。
壁に打ち付けられた案内板。
数字は七。
「地図、あった方が楽そうだな」
そう言いながら。
買いに戻るつもりはなかった。
バンは第七階層へ続く道を下る。
背後。
地上へ向かう足音は。
もう聞こえない。
代わりに。
前方の暗い通路から。
新たな怪物の声が響いてきた。
街道で出会ったカイル、リナ、テオとの再会でした。短期間で急激に強くなったのではなく、三人で声を掛け合い、危険なら退くことを選べるようになった姿を描いています。特に、群れの中から三人を避けて魔石だけを奪う《乱獲《クレイジーハント》》がお気に入りです。