第七階層へ下りたあと、バンはしばらく壁際に立っていた。
前方には三つの通路がある。どれも同じような幅で、壁や床の色にも大きな違いはない。床へ残った足跡も、複数の方向へ分かれていた。
「さて」
テオから教えられたのは、第六階層から第七階層へ続く道までだった。そこから先は、再び自分で探すしかない。
右の通路からは金属がぶつかる音。正面からは複数の足音が聞こえる。左の通路からは、何も聞こえなかった。
バンは少し考え、左へ進んだ。
人が多い方へ行けば、下へ向かっている者に出会える可能性は高い。だが、帰還途中の者についていけば、また上へ戻ることになる。
それに、ダンジョンを見るために入ったのだから、人のいない方が都合はいい。
通路を進み、二度角を曲がる。先ほどまで聞こえていた冒険者たちの声が遠ざかり、代わりに天井近くから羽音が響いてきた。
「今度は上か」
見上げると、複数の黒い影が岩肌の凹みへ張り付いていた。
一体。二体。三体。
細い翼と、人の頭ほどの身体。虫に似ているが、口元には針のような器官が伸びている。
怪物たちは、バンが真下へ来るまで動かなかった。
そしてバンの視線が上を向いた瞬間、一斉に天井から離れた。羽音が通路いっぱいに広がり、三体がそれぞれ違う角度から降下してくる。
「獲物狩り《フォックスハント》」
三体の胸元から魔石が抜けた。
飛んでいた身体はバンへ届く前に力を失い、そのまま灰へ変わっていく。黒い灰が、天井から雪のように降った。
その中から細い針が一本だけ残り、石床へ音を立てて落ちる。
バンはそれを拾い上げた。
長さは指ほどで、先端は鋭い。軽く触れただけでも皮膚を刺しそうだった。
「毒でもあんのか?」
匂いを嗅いでみるが、強い臭いはない。だからといって、舐めて確かめる気にもならなかった。
何に使えるのか。価値があるのか。それすら判断できない。
それでも、初めて見た物だ。バンは細い素材を入れている袋へ針を収めた。
再び歩き出した直後、足を止める。
先ほどの羽音とは違う。地面を擦る音と、低い唸り声が通路の奥から聞こえてくる。
やがて曲がり角から、大きな身体が姿を現した。
人よりも太い腕。前へ突き出た腹。豚に似た鼻。手には、石を削っただけのような棍棒を持っている。
「でけぇ豚だな」
怪物はバンの声に反応するように鼻を鳴らした。
「ブォォォ!」
棍棒を振り上げ、重い足音とともに突進してくる。
それまでに現れた怪物よりも、身体は遥かに大きい。ゴブリンやコボルトなら何体かまとめても届かないほどの体重があり、振り下ろされる棍棒も、新人冒険者が受ければ盾ごと身体を砕かれかねない威力を持っていた。
バンは片手を上げる。
「獲物狩り《フォックスハント》」
怪物の胸の奥から、これまでより少し大きな魔石が抜けた。
棍棒がバンの頭へ届く寸前で止まり、巨大な身体が灰へ変わる。石の棍棒だけが床へ落ち、重い音を通路へ響かせた。
「少しでかくなったな」
手の中に収まった魔石を見る。これまで拾った物より、二回りほど大きい。
それでも、ベヒーモスの魔石と比べれば砂粒にも等しかった。
バンは魔石を袋へ入れ、灰の中を探る。
残ったのは棍棒だけだった。牙も、皮も、爪もない。
「身体はでけぇのに、何も残らねぇのか」
ドロップアイテムの有無は、怪物の大きさとは関係がないらしい。
バンは棍棒を拾わず、その横を通り過ぎた。
◇
道は、思っていた以上に長かった。
真っ直ぐ進んでいるつもりでも、通路は緩やかに曲がっている。坂を下りていたはずが、気づけば平らな道へ変わっていることもあった。
壁へ目印をつけようと、クレシューズの先を軽く当てる。青白い壁が小さく欠けた。
だが、しばらく別の道を調べて戻ってくると、その傷はほとんど塞がっていた。
「本当に直んのか」
バンは壁へ近づいた。
傷は完全に消えたわけではない。それでも削れた部分が、内側から押し戻されるように埋まり始めている。
地上の岩なら、砕けばそのまま残る。
しかし、この場所では道そのものが傷を消していく。
「目印には使えねぇな」
今度は床へ小さな石を三つ積み、その近くに拾っても価値がなさそうな錆びた短剣を置いた。
壁が直っても、外から持ち込まれた物までは消えない。
少し歩いて分かれ道を二つ確認し、再び同じ場所へ戻る。積んだ石と短剣は、そのまま残っていた。
「こっちの方がいいな」
それからは行き止まりへ入るたびに、通路の端へ石を積んだ。一度通った道には、拾った粗末な武器や、不要と判断した小さな骨片を置く。
それでも、すべての道を覚えられるわけではない。
自分が置いた印と、別の冒険者が残した物。壊れた装備や、捨てられた食料袋。区別がつきにくい場所もあった。
「面倒だな」
口ではそう言いながら、足取りは止まらない。
道を間違えれば戻る。怪物が出れば倒す。空気が湿っていれば、下へ続いている可能性を考える。冒険者の声が近づけば、その進行方向を確かめる。
歩く速度は速い。
だが、一直線に下へ駆け抜けているわけではなかった。戦いで止まらない分、道を探すことへ時間を使っていた。
◇
第八階層へ入った頃、魔石用の小袋が一ついっぱいになった。
袋の中身は、ほとんどが小さな石だった。
ゴブリン。コボルト。ニードルラビット。キラーアント。名前を知らない虫。そして、先ほどの豚頭。
種類は違っても、上層で手に入る魔石には、まだ大きな差がない。
バンは通路の端へ座り、鞄を開けた。
食料、水、酒、鍋、鉄板、調味料。その隙間に、魔石袋とドロップアイテムを入れた袋が増えている。
容量にはまだ余裕があった。
だが、この先もすべて拾い続ければ、いずれ入らなくなる。
「まだ捨てるほどじゃねぇな」
満杯になった小袋を鞄の底近くへ移す。代わりに空の袋を一つ取り出し、腰へ結んだ。
ついでに干し肉を一切れ取り出し、歩きながら食べる。
塩気は強い。昨日の店で選んだ肉だ。脂は少ないが、噛むほど味が出る。
水を一口飲み、酒瓶へ手を伸ばしかけて止めた。
「まだ早ぇか」
飲んだところで動きに影響はない。それでも、持ってきた酒は二本だけだった。
どこまで下りるかを決めていない以上、今すぐ減らす必要もない。
バンは鞄を閉じ、立ち上がった。
その時、通路の向こうから五人組の冒険者が現れた。
前衛の男が二人。弓を持つ獣人。短い杖を手にした少女。そして、大きな袋を背負った小人族。
全員が少し疲れているものの、大きな怪我はなかった。
彼らはバンを見ると、最初にその背後を確認した。
誰もいない。
次に、防具を着けていない身体、大きな鞄、腰へ結ばれた魔石袋へ目を向ける。
「一人か?」
前衛の男が尋ねた。
「ああ」
「どこまで行くつもりだ?」
「決めてねぇ」
「またそれかよ」
隣の男が呟いた。
バンは眉を上げる。
「会ったことあったか?」
「いや。朝から似たような話を聞いたんだ」
「赤い服の男が、地図も持たず一人で下へ向かってるって」
弓を持つ獣人が続ける。
「キラーアントの群れを一瞬で消したって話もある」
「消してねぇぞ」
「じゃあ、何をしたんだ?」
「魔石を取った」
「それで身体が消えただろ」
「灰になっただけだ」
「同じようなものじゃないですか」
杖を持つ少女が、呆れたように言う。
前衛の男は、バンの魔石袋へ目を向けた。
「この先は、ここまでより厄介になる。数も増えるし、力の強い奴も出る」
「さっき、でけぇ豚がいたぞ」
「オークだ」
「オーク」
「知らなかったのか?」
「ああ」
五人の間に短い沈黙が生まれた。
「本当に何も知らずに来たのか」
「名前は知らなくても倒せんだろ」
「問題はそこだけじゃない」
前衛の男が、自分たちの後ろを指す。
「第九階層から先は、通路の形も少し変わる。十二階層に近づけば、上層でも大型が増える」
「十二の次は中層だったか」
「知ってるのか?」
「酒場で聞いた」
「酒場の聞きかじりだけで行くなよ」
「行ってから覚えりゃいいだろ」
「普通は、それで死ぬんだ」
男は強く言った。
だが、バンの姿を見直すと、すぐに小さく息を吐いた。
「……あんたには、普通が当てはまらないのかもしれんが」
「分かったならいい」
「褒めてない」
小人族のサポーターが、バンの腰にある袋を見る。
「それ、全部魔石ですか?」
「ああ」
「上層の魔石を、全部持って行くつもりですか?」
「入るうちはな」
「小さい魔石は、深く潜るなら邪魔になりますよ」
「やっぱ、でかいのが増えんのか?」
「階層が下がれば、基本的には」
「なら、入らなくなったら捨てる」
「地上で売れば金になるのに?」
「今も金には困ってねぇぞ」
「普通の冒険者に聞かれたら怒られますよ」
「何でだ?」
「その小さな魔石一つを拾うために、怪我をする人もいるからです」
バンは腰の袋を見た。
確かに、自分にとっては手を伸ばすだけで取れる。
だが、先ほど助けた三人は、キラーアント一体を倒すために剣と槍と矢を使っていた。
「そうか」
それだけ答える。
捨てないとは言わない。必要になれば、小さい物から置いていく。
それでも、他の冒険者の前でわざわざ捨てる必要もないだろう。
「この先の道は?」
バンが尋ねると、五人は少し意外そうな顔をした。
「道を聞く気はあるんだな」
「下り口が見つかんねぇ方が面倒だからな」
前衛の男は腰から地図を出した。
「この先の広間を右。二つ目の分岐を左だ」
「一つ目は?」
「戻ってくる」
「分かった」
「地図を買え」
「考えとく」
「買わない顔だな」
「さっきも言われたぞ」
五人組は地上へ向かって歩き出した。
すれ違いざま、獣人の弓使いがバンへ声をかける。
「第十二階層まで行くなら、壁だけじゃなく天井も見ろ」
「何かいんのか?」
「ウォーシャドウだ。暗い場所と壁に紛れる」
「影みてぇな奴か」
「名前の通りな」
「覚えとく」
五人が去ったあと、バンは教えられた道を進んだ。
広間を右へ進み、一つ目の分岐を通り過ぎ、二つ目を左へ曲がる。
確かに、下へ続く坂があった。
「聞いた方が早ぇな」
地図を買うこととは、別の話らしい。
◇
第九階層。
そして、第十階層。
下へ進むほど、豚頭のオークが増えた。一体だけではなく、二体、三体と、狭い通路へ並んで現れることもある。
その後ろから、ゴブリンやコボルトが続く。
怪物同士が互いを邪魔しているようにも見えた。オークが棍棒を振り上げれば、近くにいたゴブリンが押し退けられる。コボルトが横へ回ろうとして、壁から生まれた別の個体とぶつかる。
「群れって言っても、揃ってるわけじゃねぇのか」
バンは肩からクレシューズを下ろし、片手で握った。
四節の神器を横へ大きく振るう。
「乱獲《クレイジーハント》」
クレシューズが描いた軌道に応じるように、オーク、ゴブリン、コボルトの胸元から魔石がまとめて抜けた。
大きさも、埋まっている位置も違う。それでも、狙う物が同じなら、まとめて奪うことは難しくない。
十数体の怪物が一斉に灰へ変わる。
あとに残ったのは、大きさの異なる魔石と粗末な武器。そして、オークの牙らしい太い物が一本と、コボルトの爪が二つ。
バンは魔石を拾い、太い牙を持ち上げた。
ゴブリンから残った牙よりも太く、重い。
「こっちの方が高そうだな」
牙を別の袋へ入れる。
小さな牙をすぐに捨てることはしなかった。まだ鞄には余裕がある。
だが、大きい物が増えれば、どちらを残すかは決まっていた。
第十階層を進む途中、壁際の暗がりが不自然に揺れた。
怪物が生まれる時の膨らみではない。最初から、そこに影があった。
ただし、床へ落ちる影とは違う。
人の形に近い細長い身体。長い腕。目だけが、暗闇の中で淡く光っている。
「こいつがウォーシャドウか」
名前を口にした瞬間、影の怪物が床を滑るように動いた。
速い。
直線の動きだけなら、ニードルラビットより上かもしれない。
爪のような指が、バンの喉へ伸びる。
バンは首を僅かに傾けた。爪が横を通り過ぎる。
すれ違いざま、怪物の胸へクレシューズの短い先端を当てた。
軽く押しただけで、黒い身体が通路の反対側まで飛ぶ。壁へぶつかって落ちたものの、それでもすぐに起き上がろうとした。
「確かに、少し丈夫だな」
バンが手を向ける。
「獲物狩り《フォックスハント》」
魔石が抜け、ウォーシャドウの身体が黒い灰へ崩れた。
灰の中には、細い爪が一本残っている。色も形も、コボルトから残った物とは違った。
バンはそれを拾い、袋へ入れる。
「名前分かると、少し楽だな」
何を倒したのか、あとで説明しやすい。
もっとも、すべての名前を覚える気は今のところなかった。
◇
第十一階層へ下りる頃には、周囲を歩く冒険者の数が減っていた。
それまでにも何度か別のパーティーとすれ違っている。だが、深くなるにつれて少人数の新人は見かけなくなった。
四人、五人、六人。
互いの背を守れる人数で、装備も上の階層にいた者たちより整っている。
その中を、バンだけが一人で下へ向かっていく。
声をかけられる回数も増えた。
「一人か?」
「ああ」
「戻る道は分かってるのか?」
「大体な」
「その鞄で十二階層まで行く気か?」
「入る限りはな」
「所属は?」
「入ってねぇ」
そこまで答えると、大半の者は何を言っているのか分からないような顔をした。
それ以上説明する気もなく、バンはそのまま通り過ぎる。
中には、バンが地図を見ていないことに気づき、下り口の方向を教える者もいた。別の者は怪しんで距離を取った。
それでも、進むことを止める者はいない。
彼らはギルド職員でも衛兵でもない。本人が一人で下へ行くと言えば、無理に連れ帰る理由もなかった。
通路の途中、壁と天井からほぼ同時に怪物が生まれた。
オークが二体。ウォーシャドウが三体。黒い羽を持つ小型の怪物が五体。
さらに、背後からコボルトの群れが迫ってくる。
前後。そして上。
囲むように現れた怪物を見て、バンは鞄を背負ったままクレシューズを伸ばした。
「増えたな」
四つの節が分かれる。
前方から迫るオークの棍棒を一節目で弾き、そのまま軌道を曲げて、天井から降りる羽の怪物を二体まとめて打ち落とす。
反対側の端が背後のコボルトの足元を払い、怪物たちを石床へ転がした。
倒すためではない。
すべての動きを、一瞬だけ止めるためだ。
バンは握ったクレシューズを頭上で旋回させ、そのまま全方位を薙ぐように振るった。
「乱獲《クレイジーハント》」
四節の神器が描いた軌道に応じるように、魔石が前後左右から一斉に奪い取られた。
大きな物。小さな物。黒紫色の石がクレシューズの節の間を通り抜け、バンの周囲へ集まる。
怪物の群れが次々と灰へ変わった。
あとに残ったのは、静けさと粗末な武器、僅かなドロップアイテム、そして大量の小さな魔石だった。
その光景を、少し離れた場所から一組のパーティーが見ていた。
第十二階層側から上がってきたらしい。人数は七人。先頭の女剣士は、血の付いた剣を下げたまま動きを止めている。
「……今の、魔法か?」
「魔法じゃねぇぞ」
バンは魔石を拾いながら答えた。
「詠唱もなかった」
「だから違うって言ってんだろ」
「それより」
後ろの男が、通路へ積もった灰を見る。
「ウォーシャドウとオークを、一度に?」
「ああ」
「一人で?」
「ああ」
「どこのファミリアだ?」
「入ってねぇ」
女剣士の目が細くなった。
「無所属の冒険者など聞いたことがない」
「冒険者でもねぇぞ」
「なら、なぜダンジョンにいる」
「見に来た」
「何を?」
「ダンジョンを」
七人は返す言葉を失った。
バンは最後の魔石を袋へ入れる。その袋も、すでに半分ほど埋まっていた。
灰の中には、黒い羽が一枚だけ残っている。バンは拾い上げ、新しい袋へ収めた。
「下り道はどっちだ?」
バンが尋ねると、女剣士は無意識に後ろを指した。
「この先の広間。左奥に階段がある」
「助かる」
バンは七人の横を通る。
すれ違う直前、女剣士が再び声をかけた。
「待て」
「何だ?」
「その先が、上層の最深部だ」
「ああ」
「十三階層からは中層に入る。上層とは違う」
「酒場で聞いたぞ」
「聞いただけで進む気か?」
「見りゃ分かんだろ」
「分からなかった時には、死んでいる」
バンは女剣士を見る。
真剣な顔だった。脅しているわけではなく、自分が見てきた危険をそのまま伝えている。
「忠告は覚えとく」
「戻る気は?」
「ねぇな」
「そうか」
女剣士は、それ以上止めなかった。
「なら、せめて十二階層で一度休め。中層へ入る前に、食料と水を確かめろ」
「ああ」
バンは片手を上げ、先へ進んだ。
背後から、七人の小さな会話が聞こえる。
「止めなくていいのか?」
「止められると思うか?」
「ギルドには報告する?」
「戻ったらな。無所属という話が本当なら、普通ではない」
「赤い旅人って、最近噂になってる奴じゃないか?」
「分からん」
声が遠ざかっていく。
バンは教えられた広間へ入り、左奥へ進んだ。確かに、そこには下へ続く道がある。
その手前で鞄を床へ下ろし、十二階層へ入る前に一度中身を確かめた。
魔石袋が二つ。一つは満杯で、もう一つも半分ほど埋まっている。
牙、爪、甲殻、針、黒い羽。魔石以外の素材も、最初より増えていた。
食料はまだ十分にある。水袋も二つ以上残っており、酒は手つかず。鍋と鉄板も、まだ使っていない。
「まだ余裕あんな」
荷物を鞄へ戻す。
バンは鞄を担ぎ、第十二階層へ下りた。
◇
第十二階層は、上層の終わりと呼ばれるだけあって、それまで以上に広かった。
通路の天井も高く、大きな広間や複数の分かれ道が続いている。壁の色は同じでも、灯りの届かない暗がりが増えていた。
ウォーシャドウが影へ紛れる理由も分かる。
見えているはずなのに、目を離した瞬間、壁と同じ黒へ溶けていく。
豚頭のオーク。角を持つ兎。犬頭のコボルト。小さな翼を持つ怪物。
種類も、数も多い。
それでも、バンの歩みを止めることはできなかった。
一体なら魔石を抜く。数体なら、クレシューズを振るってまとめて奪う。広く散っている場合は、クレシューズを伸ばして一か所へ集めてから《乱獲》を使った。
戦闘に使う時間は、どれも短い。
その一方で、下へ続く道だけは簡単に見つからなかった。
一時間ほど歩いたところで、先ほど通った広間へ戻る。床には、自分が置いた石の印が残っていた。
「またか」
別の通路へ入る。
そこも、しばらく進めば行き止まりだった。
戻る途中、壁からオークが生まれる。バンは魔石を抜き、灰の中を確認したが何も残っていない。
さらに引き返し、今度は別の冒険者たちの足跡を追った。
しかし、足跡は途中で二つに分かれている。
片方には、地上へ向かって続く血痕。もう片方には、新しい靴跡が残っていた。
バンは新しい方を選ぶ。
進んだ先で、三人の冒険者とすれ違った。
「この先、下へ行けんのか?」
バンが尋ねると、先頭の男が疲れた顔で答えた。
「行ける。二つ目の広間を右へ進め。長い坂を下った先が十三階層だ」
「助かった」
「一人で中層へ入るのか?」
「ああ」
「……好きにしろ」
男には、止める気力も残っていないらしい。仲間とともに上へ向かっていく。
バンは教えられた通りに進んだ。
一つ目の広間を抜け、二つ目の広間で右へ曲がる。
しばらく進んだ先に、長い下り坂があった。
空気が僅かに変わる。
上層よりも重く、湿っている。怪物の匂いも濃くなっていた。
坂の手前には、人の手で付けられた案内板が立っている。
そこには十三の数字と、赤い文字で注意書きが刻まれていた。
ここより先、中層。
単独行動を避けること。
物資と帰還経路を再確認すること。
バンは文字を読み、背後を振り返った。
長い時間を使った。何度も迷い、他の冒険者に道を聞き、ようやく上層の終わりへ着いた。
腰の魔石袋は確かな重みを持っている。鞄の中には、名前も使い道も知らない素材。そして、まだ十分な食料と酒がある。
「上は、こんなもんか」
クレシューズを肩へ担ぐ。
目の前には、これまでより暗い坂道。
その奥から、上層では聞かなかった低く太い咆哮が響いた。
バンの口元が僅かに上がる。
「次は中層だな」
赤い旅人は一人で、第十三階層へ続く坂を下り始めた。
第8階層から第12階層まで進み、バンがオークやウォーシャドウの名前を他の冒険者から少しずつ知る回でした。戦闘では立ち止まらない一方、似た通路や修復される壁に迷い、周囲から不審がられながらも上層の果てへ到達しています。