目を覚ました時、バンはしばらく自分がどこにいるのか分からなかった。
薄暗い天井。剥き出しの岩壁。硬い寝台。
隣の部屋からは、腹の底に響くようないびきが聞こえている。さらに下、一階の酒場では、すでに誰かが椅子を引きずっていた。
「……ああ。地下だったな」
第十八階層。
冒険者街リヴィラの宿だ。
昨夜、酒を飲みながら、周囲の冒険者たちからこの先の話を聞いた。
第十九階層から始まる大樹の迷宮。毒を持つ虫。空から襲う怪鳥。道を塞ぐ植物。
その先にある水の迷都。
さらに下には、下層、深層、紅蓮の山岳。第五十八階層から複数の階層を貫き、炎を吐く竜。
そして、最深部から戻り始めているという、ゼウス・ヘラ両ファミリアの合同遠征隊。
「飽きる暇はなさそうだな」
寝台から起き上がる。
クレシューズは、昨夜置いた場所にあった。鞄にも、誰かが触れた様子はない。
売れる魔石と素材をほとんど手放したため、中には大きな空きが戻っている。
残っているのは、保存食、水、酒、調味料、小鍋、鉄板、調理用ナイフ、空になった回収袋。
地上から持ち込んだ物が中心だった。
バンは鞄の口を閉じ、肩へ担ぐ。
クレシューズを手に取り、部屋を出た。
◇
一階の酒場では、昨夜から飲み続けている者と、これから下へ向かう者が同じ卓を使っていた。
酒瓶を抱えたまま眠る冒険者。地図を広げ、保存食を数える一団。傷口へ新しい布を巻く剣士。
朝も夜も、この街では地上ほど明確に分かれていないらしい。
「出るのか?」
カウンターの女主人が尋ねた。
「ああ」
「下へ?」
「ああ」
「一人で?」
「昨日も聞かれたぞ」
「昨日は泊まりに来た客だった。今日は死にに行く客かもしれない」
「死なねぇよ」
「皆そう言う」
女主人は深い皿を一つ、カウンターへ置いた。
豆と塩漬け肉を煮たものだ。昨夜の煮込みに似ているが、少し水分が多い。
「何だ?」
「朝飯だ。宿代に入ってる」
「昨日は言ってなかったぞ」
「聞かれなかったからな」
バンは椅子へ座り、一口食べた。
やはり塩は強い。ただ、昨夜よりも肉が柔らかかった。
「昨日よりは旨ぇな」
「朝から喧嘩を売るな」
「褒めてんだぞ」
「そう聞こえない」
女主人は、バンの背後にある鞄へ目を向けた。
「十九階層から先は、今までより足場が悪い。根を踏み外して縦穴へ落ちる奴もいる」
「飛び降りれば早そうだな」
「絶対にやるな」
「昨日から何度も言われてんな」
「何度も言われる考えを改めろ」
バンは煮込みを食べながら、近くの卓へ耳を向けた。
三人の冒険者が、地図の上を指でなぞっている。
「二十一階層までは前回の道で行く」
「二十二から先は?」
「昨日、南側の通路が植物に塞がれたらしい。東へ回る」
「また伸びたのか?」
「大樹の迷宮だぞ。地図が昨日と同じだと思うな」
「毒消しは?」
「五本。予備が二本」
「足りるか?」
「ガン・リベラの巣へ近づかなければな」
昨夜は毒虫としか聞いていなかった。
「ガン・リベラ」
バンが口の中で繰り返す。
どんな姿かは分からない。
だが、出会えば誰かが教えるだろう。
食事を終え、水を一杯飲む。
女主人が空の皿を受け取った。
「戻るなら、部屋は空けておく」
「いつ戻るか決めてねぇ」
「なら別の客へ貸す」
「好きにしろ」
「地上へ戻る時、また泊まりたければ金を払え」
「昨日売った分、ほとんどなくなりそうだな」
「なら、また稼いでこい」
女主人はバンの無傷の姿を見る。
「もっとも、あんたなら魔石を拾う方が大変そうだがな」
「よく分かってんじゃねぇか」
バンは片手を上げ、宿を出た。
◇
リヴィラを離れると、街の喧騒はすぐに森の音へ変わった。
葉が擦れる音。小さな水の流れ。遠くで枝が折れる音。
安全階層には、通常のモンスターが生まれない。
それでも、第十九階層へ続く道へ近づくほど、森の奥から獣とも虫とも違う気配が増えていった。
下へ続く洞穴。
その入口には、人の手で作られた案内板が立っている。
第十九階層。
大樹の迷宮。
毒性生物に注意。
頭上と足元の確認を怠らないこと。
「上も下も見ろってことか」
バンは洞穴へ入った。
短い下り坂を抜けた瞬間、景色が変わる。
岩壁はなかった。
代わりに、巨大な木の根が壁のように左右へ伸びている。
一本一本が地上の大木よりも太く、根と根の隙間が通路となり、絡み合った枝が天井を作っていた。
青白い光が葉の隙間から差し込んでいる。
森のようで、普通の森ではない。
土の下。根の奥。幹の内側。
あらゆる場所から、モンスターが生まれる気配があった。
「今度は木から出てくんのか?」
バンが近くの幹へ触れる。
硬い。
だが、その奥では岩壁と同じように何かが動いていた。
指を離した直後、頭上から短い羽音が聞こえる。
一つ。二つ。
すぐに数え切れないほど増えた。
葉の陰から現れたのは、細長い身体を持つ虫だった。
薄い羽。黒と黄色の縞模様。長く尖った口。人間の腕ほどの大きさがある。
「でけぇ蚊だな」
虫の群れが一斉に降下した。
数は二十を超えている。
一体ずつ魔石を抜くこともできる。だが、群れは広く散らばり、枝と枝の間を飛び回っていた。
バンはクレシューズを伸ばした。
四つの節が分かれ、木々の間を縫うように円を描く。
虫の群れの外側を叩き、内側へ追い込んだ。
一体が背後から肩へ針を突き立てようとする。
バンは避けなかった。
針が皮膚へ当たり、先端が硬い音を立てて止まる。
「刺さらねぇな」
虫が離れるより早く、指で羽を摘まんだ。
近くから見ると、口の先には紫色の液体が付いている。
「毒か?」
掴んでいた個体を群れの中央へ投げ込む。
他の虫へぶつかり、飛び方が乱れた。
バンはクレシューズを大きく振るった。
「乱獲《クレイジーハント》」
四節の神器が描いた軌道に合わせるように、散らばっていた虫たちの体内から魔石が一斉に抜ける。
枝の上。葉の裏。バンの背後。
あらゆる方向から、小さな魔石が集まった。
虫の群れが灰へ変わり、黒い灰が森の中へ散っていく。
その時、少し先の通路から冒険者たちの声が聞こえた。
「ガン・リベラの群れだ!」
「毒を受けた奴はいるか!?」
「もういないぞ」
バンが答える。
姿を現したのは五人組の冒険者だった。
全員が口元を布で覆い、肌の露出を少なくしている。
先頭の女剣士は、灰とバンの周囲へ落ちた魔石を見た。
「……一人で倒したのか?」
「ああ」
「刺されていないか?」
「当たったけど刺さらなかったぞ」
「刺さらなかった?」
女剣士はバンの肩を見る。
服には針の先が触れた小さな穴がある。だが、皮膚には傷がない。
「防具も着けずに?」
「いらねぇからな」
「毒針だぞ」
「毒は慣れてる」
「慣れて済む種類ではない」
バンは足元に残った物を探した。
ほとんどの虫は、魔石を抜かれたあと何も残していない。
ただ、一体分だけ、薄く光る羽が二枚と細長い毒針が一本、灰の上へ残っていた。
「こいつらがガン・リベラってのか?」
「ああ」
女剣士が答える。
「羽と毒針は売れる。触るなら気をつけろ」
「もう触ってるぞ」
「素手で持つな!」
「刺さらねぇから平気だろ」
「そういう問題じゃない!」
バンは毒針を厚手の袋へ入れ、羽は折れないように鍋の外側へ沿わせて収めた。
「下り道は?」
「この先を進めば二十階層だ。ただし、根の裂け目を左へ行け。右は深い縦穴になっている」
「飛び降りたら?」
「戻れなくなる」
「またか」
「他でも同じことを言ったのか?」
「何度もな」
「なら学べ」
女剣士は心底呆れた顔で仲間へ向き直った。
「行くぞ。ガン・リベラの巣が近い」
「さっき全部倒したぞ」
「今いた群れが全部だと思うな」
「そういうもんか」
「そういうものだ」
冒険者たちはバンを追い越していく。
最後尾の小人族が、一度だけ振り返った。
「赤い服の人って、本当にいたんだ……」
「聞こえてんぞ」
「すみません!」
小人族は慌てて前を向いた。
バンは気にせず、彼らから少し距離を空けて歩き出した。
◇
大樹の迷宮は、岩窟迷宮とは別の意味で道が分かりにくかった。
根が伸びる。蔓が垂れる。枝が折れ、新しい通路ができる。
昨日まで歩けた道が、今日は植物に塞がれていることもあった。
足元にも、土に見える根、根に見える穴、落ち葉の下へ隠れた裂け目がある。
不用意に踏めば、そのまま下へ落ちる。
一度、バンの足元が崩れた。
土と葉が落ち、下に大きな空洞が現れる。
バンは近くの根へクレシューズを絡め、落ちる前に身体を止めた。
「本当に穴ばっかだな」
そのまま飛び降りることもできた。
だが、どの階層へ繋がっているか分からない。荷物の中身が散らばる可能性もある。
クレシューズを縮め、元の道へ戻った。
強さとは関係なく、進む道を知らないことは面倒だった。
それでも、岩窟よりは目印が多い。
赤い花。青白い苔。幹へ深く入った傷。冒険者が結んだ縄。
壁が修復されても、植物の配置まではすぐには元へ戻らない。
バンは歩きながら、周囲を覚えていった。
第二十階層へ入る頃、前方から大きな羽音が近づいてきた。
空気が揺れ、枝葉が鳴る。
頭上の隙間から、巨大な鳥が姿を現した。
翼を広げれば、通路の幅を塞ぐほど大きい。
長い鉤爪。禿げた頭。尖った嘴。
「今度は鳥か」
怪鳥が急降下した。
嘴ではなく、両脚の爪で鞄ごとバンを掴もうとしている。
バンはクレシューズを振るった。
伸びた節が片方の翼へ絡みつき、そのまま引く。
怪鳥の巨体が、飛んできた勢いとは逆方向へ投げ飛ばされた。
太い幹へ背中からぶつかり、木全体が揺れ、大量の葉が落ちる。
それでも怪鳥はすぐに起き上がった。
翼を広げ、再び飛ぼうとする。
「少し丈夫になったな」
バンが片手を向ける。
「獲物狩り《フォックスハント》」
胸の奥から、今までより大きな魔石が抜け出した。
怪鳥の身体が灰へ変わる。
翼も嘴も鉤爪も、大部分は消えた。
灰の中には、長い羽が三本と鉤爪の一つだけが残っている。
「鳥の名前は何だ?」
返事はない。
近くに冒険者もいなかった。
バンは羽と爪を回収し、先へ進んだ。
少し歩いたところで、帰還中らしい一団とすれ違う。
先頭の男が、バンの鞄から突き出している長い羽を見た。
「ヴァルチャーを倒したのか?」
「さっきのでけぇ鳥か?」
「ああ」
「ヴァルチャーってのか」
「知らずに倒したのか?」
「ああ」
「……その羽、曲げるなよ。状態が良ければ高く売れる」
バンは鞄の中で羽が折れていないか確かめた。
「こういうのは分かりやすくていいな」
「何がだ?」
「貴重そうに見える」
「見た目だけで選別してるのか?」
「ああ」
男は少しだけ鞄の中を覗いた。
ガン・リベラの羽と毒針。ヴァルチャーの羽と爪。いくつもの魔石。
「まだ余裕はありそうだが、二十四階層まで行けば埋まるぞ」
「入らなくなったら、安そうなのから捨てる」
「魔石を捨てるのか?」
「小せぇのからな」
「地上の新人が聞いたら、殴りかかってくるぞ」
「返り討ちにするだけだろ」
「そういう問題じゃない」
男は苦笑した。
「二十一階層へ行くなら、この先の大樹を右へ回れ。左は毒花の群生地だ」
「毒花?」
「近づけば胞子を吐く。吸えば身体が痺れる」
「毒なら平気だ」
「装備や食料にも付く。わざわざ通る理由はない」
バンは鞄の中の保存食を見る。
「それは困るな」
「自分より食料を心配するのか」
「食えなくなる方が困んだろ」
「普通は身体も心配する」
「丈夫だからな」
男はもう何も言わなかった。
「右だ。間違えるなよ」
「ああ」
バンは教えられた通り、大樹の右側へ進んだ。
◇
第二十一階層。
そして、第二十二階層。
下へ進むほど木々は太くなり、通路は立体的になっていった。
巨大な根の上を歩き、途中で根の下へ降りる。少し進めば、別の大樹の内部へ入る。
幹の中に作られた空洞は、人が何十人も入れるほど広い。
その壁から、植物に似たモンスターが生まれた。
最初はただの蔓に見えた。
バンが近づくまで動かず、鞄が通り過ぎようとした瞬間、複数の蔓が手足と首へ巻きつく。
「植物も動くのか」
蔓が締まった。
普通の冒険者なら骨を折られるか、そのまま幹の奥へ引きずり込まれるほどの力がある。
だが、バンの身体は僅かにも動かない。
逆に、巻きついた蔓を掴む。
「引っ張んのは得意だぞ」
片手で引いた。
幹の中から、花と獣を無理に繋げたようなモンスターが引きずり出される。
大きく開く花弁。その内側に並ぶ牙。根のような脚。
中心部の奥深くに魔石があった。
「獲物狩り《フォックスハント》」
魔石が抜ける。
蔓の力が消え、怪物の身体が灰へ崩れた。
灰の中には何も残らない。
「見た目は珍しいのにな」
必ず何かを落とすわけではない。
上層から何度も確かめている。
それでも、大きな怪物ほど何か残りそうに見えてしまう。
別の場所では、同じ種類に見える植物型を三体倒した。
一体目は何も残らず、二体目からは硬い蔓の一部が残った。
三体目は、透明に近い緑色の液体を満たした、小さな袋状の物を落とした。
「何だ、これ」
持ち上げる。
僅かに甘い匂いがする。
毒か、薬か、食えるのか。
分からない。
ただ、今まで見たことがなかった。
「珍しそうだな」
破れないよう、厚手の袋へ入れる。
そのまま進んでいると、大樹の外側から突然、激しい羽音が響いた。
ヴァルチャーが四体。
さらにガン・リベラの群れ。
上から怪鳥。左右から毒虫。前方では、別の植物型が蔓を伸ばしている。
「まとめて来たな」
バンはクレシューズを大きく伸ばした。
四つの節が太い枝へ沿って走る。
ヴァルチャーの翼を叩いて高度を落とし、反対側の節で毒虫の群れを中央へ追い込む。
足元から伸びた蔓は、棍の柄で踏みつけた。
モンスターが一か所へ集まる。
バンはクレシューズを大きく振るった。
「乱獲《クレイジーハント》」
怪鳥、毒虫、植物型。
異なる場所にある魔石が、四節の神器の軌道に合わせるように一斉に体内から抜け出した。
黒紫色の石が葉の隙間を通り、枝を避け、バンの周囲へ集まる。
直後、複数のモンスターが灰となって森へ散った。
戦闘は終わる。
その光景を、少し離れた高い根の上から別の冒険者たちが見ていた。
「……全部、倒したのか?」
若い男の声が落ちてくる。
「ああ」
「一人で?」
「ああ」
「さっきの技は?」
「《乱獲》だ」
「聞いたことがない」
「知らねぇなら仕方ねぇな」
バンは足元の魔石を拾い始めた。
ヴァルチャーの魔石はガン・リベラより大きい。植物型の魔石は、形が少し歪んでいる。
一つずつ袋へ入れる。
灰の中には、ヴァルチャーの羽、毒虫の針、植物型の硬い種子らしい物が残っていた。
持っていない物は拾う。
すでに持っている毒針も、状態が良い方を選んで鞄へ入れた。
古い方を取り出す。
少し曲がり、先端が欠けていた。
「こっちはいらねぇな」
近くの根元へ置く。
上から見ていた冒険者の一人が、声を上げた。
「捨てるのか!?」
「ああ」
「ガン・リベラの毒針だぞ!」
「こっちの方が綺麗だろ」
「だからって……」
「欲しけりゃ持ってけ」
男は仲間と顔を見合わせた。
「いいのか?」
「ああ」
「本当に?」
「何度聞くんだ」
男は根から下り、バンが置いた毒針を拾った。
欠けているとはいえ、売れないわけではない。
「助かる」
「なら下り道を教えろ」
「交換条件だったのか?」
「今決めた」
男は苦笑した。
「この先を真っ直ぐ進め。白い花が咲いている大樹を左だ。右へ行くと、二十二階層の入口へ戻る」
「分かった」
「本当に地図を持っていないのか?」
「ああ」
「よくここまで来たな」
「何度か戻ったぞ」
「何度かで済んだのか……」
冒険者たちは毒針を回収し、上へ向かっていった。
バンは教えられた道を進む。
◇
第二十三階層へ入った頃、鞄の中身は再び半分以上埋まっていた。
リヴィラで売ったばかりだ。
それでも、十九階層以降の魔石は上層より大きい。
ヴァルチャーの羽、毒虫の針、硬い蔓、緑色の液体を満たした袋、怪物の爪、種子。
形のある素材も増えていた。
バンは大きな根の上へ腰を下ろし、鞄を開けた。
「もう少し入るな」
食料もまだ残っている。
水袋も二つ。酒は一本と半分。
鍋と鉄板、調味料。
それらは捨てるつもりがない。
回収した物の中から、小さな魔石を入れた袋を取り出す。
十九階層へ入った直後、ガン・リベラから抜いた物だ。
それより深い場所で得た魔石と比べれば、一回り小さい。
まだ全部を捨てる必要はない。
だが、この先へ進めば、さらに大きな魔石が増えるかもしれない。
「入らなくなったら、こっからだな」
小さな魔石袋を、取り出しやすい位置へ移す。
次に、同じ種類の羽、毒針、爪の状態を比べる。
綺麗な方。大きな方。硬い方。
残す基準は、ほとんど見た目だった。
正しい相場は知らない。
それでも、リヴィラの商人は状態の良い物へ高い値を付けていた。
なら、壊れている物より綺麗な物を残した方がいい。
バンは曲がった毒針、小さく裂けた羽、細い爪を数個取り出し、根元へまとめて置いた。
魔石は残す。まだ入る。
珍しい物も残す。
同じ種類だけ、良い物へ入れ替える。
「拾って、捨てての繰り返しになりそうだな」
干し肉を取り出し、噛みながら歩き出した。
◇
第二十四階層。
大樹の迷宮の最深部。
ここまで来ると、森はさらに暗かった。
頭上を覆う枝葉が厚く、青白い光が届きにくい。
巨大な根。垂れ下がる蔓。腰の高さまで伸びた植物。
一歩先に何が潜んでいるのか分からない。
バンには、気配で分かる。
右側の茂みに三体。
頭上の枝に二体。
左の大樹の内側には、十体以上。
「多いな」
茂みから、低い姿勢の獣型モンスターが飛び出す。
頭上からヴァルチャー。
大樹の裂け目からは、ガン・リベラの群れが溢れた。
さらに、足元の蔓が生き物のように動き、鞄へ絡みつこうとする。
バンはクレシューズを大きく振るった。
伸びた節が獣型の足を払い、そのまま頭上の怪鳥へ巻きつき、地面へ叩き落とす。
別の節が虫の群れを一方向へ押し込む。
足元の蔓は、踏みつけるだけで動きを止めた。
モンスターの位置をまとめると、バンは四節の神器を広範囲へ振るった。
「乱獲《クレイジーハント》」
広範囲。
複数種。
数十体。
クレシューズが描いた軌道に合わせるように、すべての体内から魔石だけが抜け出した。
バンの周囲へ、黒紫色の石が渦を巻く。
モンスターたちは次々と灰へ崩れ、落ち葉や木の根、草の上へ灰が降り積もった。
戦闘が終わる。
「拾う方が時間かかんな」
足元の魔石を拾う。
一つ、二つ、十、二十。
大きさを見て、小さい物と比較的大きな物へ分ける。
灰の中には、羽が二本、硬い獣の爪、透明な薄膜、黒い種子が残っていた。
黒い種子は初めて見る。
迷わず拾った。
爪も持っている物より太い。古い方を捨て、新しい方を入れる。
羽はヴァルチャーの物と似ていたが、状態が悪い。
残さない。
魔石袋を鞄へ押し込む。
まだ閉じる。
だが、出発時ほど簡単には閉まらなかった。
紐を強く引き、口を縛る。
「そろそろだな」
大樹の迷宮だけで、再び鞄の空間が埋まり始めた。
この先の水の迷都では、モンスターも魔石もさらに大きくなると聞いている。
小さな魔石を残し続けるのは難しくなるだろう。
バンは鞄を担ぎ、下へ続く道を探した。
何度か同じ大樹へ戻る。
白い花。折れた枝。自分が置いた小さな魔石。
一度通った場所だと分かる。
別の道へ進む。
そこは深い縦穴で終わっていた。
「こっちじゃねぇな」
戻る。
さらに別の道へ入ると、下から微かに水音が聞こえた。
最初は、葉から落ちる雫だと思った。
だが、進むほど音は大きくなる。
小川ではない。
大量の水が、遠くで何かへ流れ落ちている。
木々の間を抜け、太い根を越える。
その先に、森の中へ開いた大きな穴があった。
穴の周囲には、人の手で打ち込まれた杭、階段、案内板がある。
数字は二十五。
穴の奥から、湿った冷たい風が吹き上がってくる。
さらに、地鳴りのような水の音が響いていた。
「次は水の迷都だったな」
バンは鞄の紐を締め直した。
水袋が破れていないことを確かめ、酒瓶と調味料が濡れにくい位置へ入っていることも確認する。
クレシューズを肩へ担ぐ。
大樹の迷宮を抜け、赤い旅人は巨大な水の音が響く第二十五階層へ続く階段を下り始めた。
第十九階層から第二十四階層まで続く大樹の迷宮を進み、ガン・リベラやヴァルチャーなどの名前を周囲の冒険者から知る回でした。リヴィラで一度空けた鞄が再び埋まり始め、同じ種類の素材を状態の良い物へ入れ替える「拾っては捨てる」探索も始まっています。