強欲の旅人は神の恩恵を受けない   作:ルクエリシオン

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第86話 砂漠の迷園

 第三十三階層へ続く階段を下りるにつれて、吹き上がってくる風の温度が高くなった。

 

 密林の湿った熱とは違う。

 

 水分を奪い、喉と肌を乾かす熱だ。

 

 階段の先から細かな砂が入り込み、バンの靴底で音を立てる。周囲の岩壁も次第に赤みを帯び、埋め込まれた結晶が炎のような光を放っていた。

 

 最後の段を下りる。

 

 目の前に広がっていたのは、果ての見えない砂漠だった。

 

 赤い砂丘。

 

 地面から斜めに突き出した岩柱。

 

 熱を放つ巨大な結晶。

 

 遠くには黒い岩山らしき影も見えるが、熱気で輪郭が揺らいでいる。

 

 頭上に太陽はない。

 

 それでも、オルバ砂漠の昼と変わらないほど暑かった。

 

「地下にまで砂漠があんのか」

 

 バンは階段の入口から離れ、砂の上へ足を踏み出した。

 

 靴が僅かに沈む。

 

 一歩進むごとに、乾いた砂が足首へまとわりついた。

 

 振り返ると、すでに自分の足跡が風によって崩れ始めている。

 

 密林では、遠征隊や冒険者の足跡を辿ることができた。だが、ここでは少し時間が経つだけで、誰がどちらへ進んだのか分からなくなるだろう。

 

「道探しは、また面倒になりそうだな」

 

 バンは水袋を取り出し、一口だけ飲んだ。

 

 第二十八階層で満たした物が二つある。

 

 自分だけなら、しばらく水を飲まなくても動ける。だが、熱で水袋そのものが傷んだり、中身が蒸発したりすれば、料理へ使う水がなくなる。

 

 酒を代わりに使うつもりはなかった。

 

 水袋を鞄の中央近くへ戻す。

 

 直射する熱を避けるため、周囲を保存食と布で囲んだ。

 

「これで少しはマシか」

 

 鞄を背負い直し、砂丘の向こうへ進んだ。

 

        ◇

 

 砂漠には、道と呼べるものがほとんどなかった。

 

 足元には、ときおり人の足跡らしき窪みが残っている。

 

 だが、数歩先で途切れていた。

 

 遠征隊が残した目印も見つからない。

 

 木々や岩壁へ傷を付けられた密林とは違い、目印になる物自体が少なかった。

 

 バンは遠くに見える黒い岩山を目指して歩く。

 

 ところが、いくら進んでも距離が縮まらない。

 

「動いてんのか?」

 

 足を止める。

 

 黒い岩山は、熱気の向こうで形を変えていた。

 

 大きく見えたかと思えば、次の瞬間には低くなる。

 

 左右へ揺れ、砂の中へ溶けるように消えた。

 

「偽物か」

 

 オルバ砂漠でも蜃気楼は見たことがある。

 

 水面や町のような景色が、何もない場所へ浮かぶこともあった。

 

 ただ、この階層の蜃気楼はそれよりもはっきりしている。

 

 近くにある岩柱まで、熱気の揺らぎに紛れて二つに見えた。

 

 正しい方角を見極めるには、高い場所から周囲を見る必要がある。

 

 バンはクレシューズを伸ばした。

 

 先端を赤い結晶の突き出した岩柱へ巻きつけ、自分の身体を引き上げる。

 

 岩柱の上へ立つと、砂丘の起伏が見渡せた。

 

 遠くに、細い影が並んでいる。

 

 蜃気楼かもしれない。

 

 だが、その影の一部には、人工的に積まれた石のような形があった。

 

「人が通るなら、あっちか」

 

 岩柱から下りようとした時、足元の砂が動いた。

 

 一か所ではない。

 

 周囲の砂丘へ、細長い筋がいくつも浮かんでいる。

 

 何かが砂の中を進んでいた。

 

「下にいんのか」

 

 砂の筋が岩柱の根元へ集まる。

 

 次の瞬間、地面が弾けた。

 

 砂の中から、平たい頭を持つ怪物が飛び出す。

 

 全身を黄土色の硬い殻で覆い、左右へ大きく開く顎を持っている。胴は長く、何本もの短い脚が砂を掻いていた。

 

 正式な名前は分からない。

 

 怪物は岩柱を這い上がり、バンの足へ噛みつこうとする。

 

 バンはクレシューズの先端を振り下ろした。

 

 平たい頭が砂へ叩き戻される。

 

 その直後、別の怪物が背後から飛び出した。

 

 さらに左右からも砂が弾ける。

 

 十体以上。

 

 砂の色に近い外殻のため、地上へ出るまで姿が見えにくい。

 

「砂ん中から出てくる奴か」

 

 バンは岩柱から飛び降りた。

 

 落下する身体へ、怪物たちが一斉に群がる。

 

 大きな顎。

 

 硬い脚。

 

 背中の鞄へ食らいつこうとする個体もいた。

 

「だから、そっちは駄目だって」

 

 着地と同時にクレシューズを大きく振るう。

 

「乱獲《クレイジーハント》」

 

 四節の神器が、砂の上へ広い弧を描いた。

 

 地上へ出ていた個体。

 

 半身を砂へ残した個体。

 

 再び潜ろうとしていた個体。

 

 それぞれの体内から、魔石が一斉に奪い取られる。

 

 黒紫色の石が砂を突き破り、バンの周囲へ飛んできた。

 

 怪物たちの身体は次々と灰へ変わる。

 

 灰は乾いた風に巻き上げられ、砂漠の中へ消えていった。

 

「隠れるのは上手いけど、それだけだな」

 

 魔石を拾う。

 

 密林にいた恐竜種よりは小さい。

 

 それでも、中層までのモンスターと比べれば十分に大きかった。

 

 鞄には、ほとんど空きがない。

 

 バンは手に入れた魔石と、すでに持っている物を比べた。

 

 同じくらいの大きさなら、今までの物を置いていく理由はない。

 

 最も大きな石を三つだけ残し、残りは岩柱の根元へ積んだ。

 

「帰りに残ってたら拾うか」

 

 帰りも同じ道を通れるとは限らない。

 

 本人も分かっているが、それ以上考えることはなかった。

 

        ◇

 

 高い場所から見つけた石の列は、本当に人の手で作られた目印だった。

 

 拳ほどの黒い石が、一定の間隔で砂の上へ置かれている。

 

 風で半分ほど埋まっていたが、近づけば見つけられた。

 

 バンは石の列に沿って進む。

 

 しばらくすると、前方から金属のぶつかる音が聞こえた。

 

 続いて、複数の叫び声。

 

「火が来るぞ!」

 

「散れ!」

 

「毒牙に触れるな!」

 

 砂丘の向こうから、赤い炎が噴き上がった。

 

 熱気が風を押し返し、大量の砂が宙を舞う。

 

 バンは砂丘を上り、反対側を見下ろした。

 

 八人の冒険者たちが、一体の巨大な怪物と戦っている。

 

 蛇。

 

 だが、水の迷都で見たアクア・サーペントとは大きさが違った。

 

 全長は二十メートルを超えている。

 

 太い胴を赤褐色と黒の鱗が覆い、頭部には角のような突起が伸びていた。

 

 口を開くたび、長い牙から紫色の液体が滴る。

 

 巨大な蛇は首を持ち上げ、再び炎を吐いた。

 

 前衛の冒険者たちが左右へ飛ぶ。

 

 炎が砂丘を走り、赤い結晶へ衝突する。砕けた結晶の破片が、溶けた砂と一緒に周囲へ散った。

 

「砂漠の蛇か」

 

 バンが呟く。

 

 冒険者の一人が、砂丘の上にいるバンへ気づいた。

 

「近づくな!」

 

「そいつ、強ぇのか?」

 

「バジリスクだ! 希少竜種だぞ!」

 

「バジリスク?」

 

「炎と麻痺毒を使う! 噛まれたら終わりだ!」

 

 そこで初めて、巨大な蛇の正式名称を知った。

 

 バジリスクは冒険者たちから視線を外し、砂丘の上に立つバンへ顔を向ける。

 

 長い舌が口の間から伸びた。

 

 新しい獲物を見つけたらしい。

 

 巨大な身体をくねらせ、砂丘を上ってくる。

 

「こっちへ来るな!」

 

 冒険者の制止を無視し、バンは砂丘を下りた。

 

 バジリスクが大口を開く。

 

 喉の奥が赤く光った。

 

「また火か」

 

 炎が放たれる。

 

 バンは鞄の肩紐を片手で掴み、身体から外した。

 

 そのままクレシューズを伸ばし、離れた岩柱へ鞄を引っ掛ける。

 

 鞄が宙へ持ち上がった直後、炎がバンを呑み込んだ。

 

「何をしている!」

 

 冒険者たちの叫びが響く。

 

 赤い炎が砂を焼き、足元の一部を硝子のように変えていく。

 

 しばらくして炎が途切れた。

 

 その中心に、バンは立っていた。

 

 赤い長衣の裾と袖が僅かに焦げている。

 

 皮膚には火傷らしき跡もない。

 

 バンは長衣を見下ろした。

 

「また服かよ」

 

 バジリスクが一瞬動きを止める。

 

 炎で死ななかった獲物を理解できていないようだった。

 

 バンは砂を蹴る。

 

 一気に距離を詰め、クレシューズを短く持って横へ振った。

 

 四節棍が巨大な蛇の顎へ直撃する。

 

 頭部が横へ跳ね、長い身体が砂丘へ倒れた。

 

 大量の砂が舞い上がる。

 

 だが、バジリスクはすぐに身体を起こした。

 

 太い尾を振り回し、バンの胴へ叩きつける。

 

 衝撃とともに、バンの身体が砂の上を飛んだ。

 

 着地する前に、巨大な蛇が追いつく。

 

 大口が開き、長い牙が肩へ突き刺さった。

 

 赤い長衣を貫き、紫色の毒が体内へ流れ込む。

 

「噛まれた!」

 

「麻痺毒だ! すぐに解毒薬を――」

 

 冒険者たちが走り出そうとする。

 

 バンは自分の肩へ食らいついたバジリスクの頭を見た。

 

 痺れは感じない。

 

 煉獄の毒気に満ちた空気や、数々の毒を受けてきた身体にとって、この程度は脅威にならなかった。

 

「これが毒か?」

 

 バンは片手で上顎を掴み、もう片方の手で下顎を押さえた。

 

 バジリスクが噛み締めようとする。

 

 だが、顎は閉じなかった。

 

「服に穴開けた分は返せよ」

 

 両腕を左右へ開く。

 

 バジリスクの口が、力任せに広げられた。

 

 長い牙が肩から抜ける。

 

 巨大な蛇が身体をくねらせ、逃れようと暴れた。

 

 バンは頭部を掴んだまま持ち上げる。

 

 そのまま砂の上へ叩きつけた。

 

 砂丘が大きく崩れ、バジリスクの巨体が半分ほど埋まる。

 

 それでも怪物は生きていた。

 

 鱗の隙間から血を流しながら、再び炎を吐こうと喉を光らせる。

 

「丈夫だな」

 

 バンが片手を向けた。

 

「獲物狩り《フォックスハント》」

 

 太い胴の奥から、巨大な魔石が抜け出した。

 

 バジリスクの身体が一度震える。

 

 直後、二十メートルを超える巨体が灰へ変わった。

 

 黒い灰が砂丘の上へ降り積もり、熱い風によって少しずつ運ばれていく。

 

 残ったのは、大きな魔石と、何本かの牙。

 

 さらに、赤黒い鱗の一部も砂の上へ落ちていた。

 

「この石もでけぇな」

 

 バンは魔石を持ち上げる。

 

 強化種のブラッドサウルスから抜いた物より、僅かに小さい。

 

 だが、普通の恐竜種の魔石を上回っている。

 

「お前……平気なのか?」

 

 冒険者たちが近づいてくる。

 

 先頭の女剣士が、バンの肩を見る。

 

 牙の刺さった傷から僅かに血が流れていた。

 

「ああ」

 

「毒を受けただろう」

 

「入ってきたけど、何ともねぇぞ」

 

「そんなはずが……バジリスクの毒だぞ?」

 

「大した毒じゃなかったな」

 

「普通は全身が麻痺して、呼吸すらできなくなる」

 

「そうなのか?」

 

 バンは肩を軽く回す。

 

 動きに問題はない。

 

 傷も、すでに塞がり始めていた。

 

 冒険者たちは揃って黙った。

 

「それより」

 

 バンは魔石を示す。

 

「この先の道、分かるか?」

 

「命を助けられた直後に聞くことがそれなのか?」

 

「地図持ってねぇからな」

 

「……やはり、噂の赤い男か」

 

 女剣士は額を押さえた。

 

        ◇

 

 彼らは第三十五階層から上がってきた冒険者だった。

 

 砂漠の迷園で数日間探索し、素材と魔石を集めて帰還している途中、希少竜種のバジリスクと遭遇したらしい。

 

「バジリスクは、この辺りで普通に現れる種じゃないのか?」

 

 バンが尋ねる。

 

「希少種だ。長く潜っていても、一度も遭遇しない冒険者の方が多い」

 

「運がよかったな」

 

「悪かったの間違いだ」

 

「でけぇ魔石が取れたぞ」

 

「お前にとっては、そうなのだろうな」

 

 冒険者たちは負傷者の手当てを始めた。

 

 幸い、毒牙を受けた者はいない。

 

 炎による火傷と、尾で打たれた傷が中心だった。

 

 バンは岩柱へ引っ掛けていた鞄をクレシューズで回収する。

 

 中身を確認した。

 

 水袋も、保存食も、酒瓶も無事だった。

 

「こっちは問題ねぇな」

 

「自分の傷より先に、荷物を確認するのか?」

 

「毒は効かなかったからな」

 

 鞄には、バジリスクの魔石を入れる空間がなかった。

 

 バンは中身を一つずつ確認する。

 

 密林で拾った硬い外殻。

 

 アルマロサウルスの棘。

 

 恐竜種の牙。

 

 翼竜型の翼膜。

 

「この外殻を置いてくか」

 

 人の頭ほどある硬い素材を取り出す。

 

 代わりにバジリスクの魔石を袋へ収めた。

 

 牙も一本だけ残す。

 

 毒の付着した牙は、回収袋を二重にして包んだ。

 

 鱗も珍しそうだったが、今の鞄には入らない。

 

「鱗は持っていかないのか?」

 

 冒険者の小人族が尋ねた。

 

「入んねぇからな」

 

「希少竜種の鱗だぞ。高級な防具や耐火装備の素材になる」

 

「この石と、どっちが高ぇ?」

 

「魔石の方が高い可能性はあるが、鱗も滅多に手に入らない」

 

「なら一枚だけ持つか」

 

 バンは最も大きく、傷の少ない鱗を一枚選んだ。

 

 入れる場所を作るため、密林で拾った恐竜種の牙を一本取り出す。

 

 残った素材を見て、小人族が何とも言えない表情を浮かべた。

 

「置いていくなら、私たちが回収してもいいか?」

 

「ああ」

 

「対価は?」

 

「道を教えろ」

 

「予想していた」

 

 女剣士が小さく息を吐いた。

 

 彼女たちは、第三十三階層から第三十五階層までの進み方を簡単に説明した。

 

 砂の上に残された黒い石の列。

 

 一定間隔で生えている赤い結晶。

 

 蜃気楼に惑わされた時は、近くの高台から三本並んだ岩柱を探す。

 

 第三十四階層へ続く下り道は、二本の結晶が交差した場所の近く。

 

 第三十五階層では、砂に半分埋まった巨大な竜の骨が目印になるらしい。

 

「足跡は追うな。風向きも途中で変わる」

 

「遠くに見える物も、ほとんど偽物だと思った方がいい」

 

「分かった」

 

「本当に分かったのか?」

 

「ああ。高い所から見りゃいいんだろ」

 

「大まかには間違っていないが……」

 

 女剣士はバンのクレシューズを見る。

 

 岩柱へ簡単に上れるなら、それだけでも普通の冒険者より迷いにくい。

 

「第三十六階層へ下りるなら、防寒具を出しておけ」

 

「寒いんだったな」

 

「第三十五階層までとは正反対だ。階段を抜けた瞬間に気温が落ちる」

 

「オルバ砂漠にも夜はあったぞ」

 

「地下の寒さを地上と同じだと思うな。水が凍るほど冷える」

 

「水袋が凍んのは困るな」

 

「心配するところはそこなのか?」

 

「飯も作れなくなるだろ」

 

 冒険者たちは、もう何も言わなかった。

 

        ◇

 

 彼らと別れ、バンは第三十四階層へ向かった。

 

 教えられた目印があっても、砂漠を進むのは簡単ではなかった。

 

 赤い結晶が二本に見える。

 

 三本並んだ岩柱が、別の場所にも現れる。

 

 近づけば、何もない砂丘へ変わった。

 

 何度か同じ場所へ戻りながら、バンはクレシューズで高台へ上り、周囲を確かめる。

 

 砂中から現れるモンスターも増えた。

 

 先ほどと同じ殻を持つ怪物。

 

 大きな角を突き出し、砂の中を泳ぐ四足の怪物。

 

 細長い身体で足へ巻きつく蛇のような種。

 

 正式名称はどれも分からない。

 

 一体なら《獲物狩り》で魔石を抜き、群れが現れればクレシューズを振るって《乱獲》を使った。

 

 だが、魔石の大半は拾わなかった。

 

 バジリスクの魔石より小さい物を入れる余裕はない。

 

 第三十四階層から第三十五階層へ進む頃には、二つあった水袋の片方が半分ほどになっていた。

 

 バン自身が飲んだ量は少ない。

 

 熱で温くなり、料理へ使うには早めに消費した方がよさそうだった。

 

「今日の飯で使うか」

 

 問題は、休める場所がないことだ。

 

 砂は熱を持ち、岩陰にもモンスターの気配がある。

 

 火を使わなくても、鉄板を砂の上へ置くだけで肉が焼けそうだった。

 

「それはそれで楽そうだな」

 

 試すことも考えたが、第三十六階層にはオアシスがあると聞いている。

 

 食事はそこまで我慢することにした。

 

 第三十五階層の奥。

 

 砂に半分埋まった巨大な竜の骨を見つける。

 

 頭部だけでも、小さな家ほどの大きさがあった。

 

 折れた牙。

 

 砂から突き出した肋骨。

 

 何年前からここにあるのか分からない。

 

 骨の横には、下へ続く石段があった。

 

「やっと着いたか」

 

 階段へ入る。

 

 数段下りたところで、熱い風が止まった。

 

 代わりに、冷たい空気が足元から這い上がってくる。

 

 さらに進む。

 

 赤い光が消え、周囲の岩壁が濃い青へ変わった。

 

 息を吐くと、白い煙が見える。

 

「本当に寒くなったな」

 

 最後の段を下りた。

 

 第三十六階層。

 

 そこには、夜の砂漠が広がっていた。

 

 天井では、青白い結晶が星のように輝いている。

 

 砂丘は月明かりを浴びたように淡く光り、遠くには黒い岩山が並んでいた。

 

 第三十五階層までの灼熱が嘘のように、空気は冷たい。

 

 砂の表面には薄く霜が降りている。

 

 そして、階段からそれほど離れていない場所に、広い水面が見えた。

 

 蜃気楼ではない。

 

 水辺には低い木々と草が生え、何人かの冒険者が焚き火を囲んでいる。

 

「オアシスか」

 

 バンは水袋を取り出した。

 

 温くなっていたはずの水が、すでに冷え始めている。

 

 放っておけば、本当に凍るかもしれない。

 

「飯作るには、ちょうどよさそうだな」

 

 灼熱の砂漠を抜け、今度は極寒の砂漠。

 

 それでも、バンが最初に考えたのは環境の危険ではなかった。

 

 鞄の中に残っている肉と調味料。

 

 そして、温かい料理に合う酒のことだった。

 

 赤い長衣の襟を軽く整え、バンは青白い光に照らされたオアシスへ歩き始めた。




第86話までお読みいただき、ありがとうございます。

今回は第三十三階層から始まる〈砂漠の迷園〉を進み、希少竜種のバジリスクと戦いました。

灼熱や蜃気楼、砂中からの奇襲など、モンスターだけでなく環境そのものが探索を妨げる階層として描いています。
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