白い門を越えた先には、先ほどまでよりも広い通路が伸びていた。
左右の壁には、等間隔に太い柱が並んでいる。
天井もさらに高い。
だが、開放感はなかった。
白い壁と柱がどこまでも続き、自分が進んでいるのか、同じ場所へ戻っているのか分かりにくい。
聞こえていた足音が近づいてくる。
硬い靴音。
爪が石床を擦る音。
武器を引きずる音。
最初に門の向こうから姿を現したのは、二本の曲剣を持つ大柄なトカゲ人だった。
身体を覆う鱗は暗い緑色。
中層で見たリザードマンより一回り以上大きく、胸と肩には黒い防具を着けている。
「あれがリザードマン・エリートか」
第三十六階層のオアシスで、ドワーフから聞いた名前だった。
その後ろから、同じ種が五体現れる。
剣。
槍。
斧。
持っている武器はそれぞれ違う。
さらに、通路の左右に並ぶ柱の陰から、全身を黒曜石のような装甲で覆った兵士型のモンスターが歩み出た。
六体。
長剣や大槌を握り、黒い兜の奥には顔らしいものが見えない。
「黒い鎧の方が、オブシディアン・ソルジャーだったな」
名前を思い出した直後、モンスターたちが動いた。
リザードマン・エリートが左右へ分かれる。
オブシディアン・ソルジャーは中央に並び、大きな盾を前へ構えた。
先ほど戦ったスパルトイよりも、さらに重い陣形だった。
「随分きっちり並ぶな」
中央の盾兵が前進する。
背後から、リザードマン・エリートの長槍が伸びた。
盾で足を止め、その隙間から突く。
左右の個体は、バンの逃げ道を塞ぐように回り込んでいる。
バンはクレシューズを肩へ担いだまま、片手を伸ばした。
「なら、先に取るか」
狙うのは魔石ではない。
モンスターたちが握っている武器。
バンの魔力。
触れることなく、離れた物や力を奪い取る能力。
「強奪《スナッチ》」
最初に、リザードマン・エリートが握っていた槍が動いた。
太い指の間から強引に抜け、バンの手元へ飛んでくる。
続いて曲剣。
斧。
石造りの棍棒。
オブシディアン・ソルジャーが両手で構えていた大槌まで、持ち主の力へ逆らって宙へ浮いた。
十を超える武器が、白い通路を飛ぶ。
モンスターたちは空になった両手を見る。
バンは飛んできた長槍を片手で掴んだ。
「武器持ってても、取られたら意味ねぇな」
盾を残した兵士型が、そのまま突進してくる。
バンは奪った槍を横へ振った。
槍の柄が黒い盾へぶつかる。
武器の方が耐えきれず、中央から折れた。
だが、衝撃を受けたオブシディアン・ソルジャーは盾ごと後方へ飛び、仲間二体へ激突する。
黒い装甲がぶつかり、硬い音が響いた。
左右から、武器を奪われたリザードマン・エリートが爪を振るう。
バンは折れた槍を捨てた。
クレシューズを短く持ち、右から来た個体の顎へ打ち込む。
大きな身体が宙へ浮く。
そのまま左から迫っていた個体へ衝突した。
二体が絡み合い、白い床を転がっていく。
別のオブシディアン・ソルジャーが、何も持たない拳を振り下ろした。
バンは空いている手で受け止める。
黒曜石の拳が、手の平の上で止まった。
「鎧は硬ぇみてぇだけど」
腕を引く。
兵士型の巨体が前へ崩れた。
バンは兜を掴み、そのまま白い床へ叩きつける。
石床へ亀裂が走った。
黒い装甲にも何本ものひびが入る。
「中身まで重いわけじゃねぇな」
残った個体が一斉に迫る。
バンはクレシューズを伸ばした。
四つの節が、白い柱の間を不規則に走る。
一節がリザードマン・エリートの足へ巻きつく。
別の一節はオブシディアン・ソルジャーの首へ回り込み、三体目の盾を尖った先端が横から弾いた。
引く。
複数のモンスターが、通路の中央へまとめて投げ出された。
バンは片手を向けようとした。
だが、すぐに止める。
「魔石取っても、もう入らねぇか」
鞄はすでに大型の魔石と素材で膨らんでいる。
ここで十体以上から魔石を回収しても、大半を置いていくことになる。
バンはクレシューズを短く戻した。
床へ倒れたモンスターたちが起き上がる前に、黒い装甲の中心へ一撃を打ち込む。
ひびの入った外殻が砕けた。
内部の魔石まで衝撃が届き、オブシディアン・ソルジャーの身体が灰へ変わる。
続けてクレシューズを振るう。
曲がりながら伸びた節が、リザードマン・エリートの胸を正確に貫いた。
魔石が砕け、巨体が崩れる。
一体。
二体。
残るモンスターも、クレシューズの軌道を捉えられない。
正面から伸びたと思った先端が柱の裏へ回り込み、側面から魔石を打ち抜く。
盾を構えた個体には、盾を避けて背後から節が突き刺さった。
最後の一体が灰へ変わる。
白い通路に残ったのは、奪われた武器と黒い装甲の欠片だった。
「こっちでも倒せるな」
魔石を直接抜く方が早い。
だが、回収する必要がないなら、クレシューズで魔石を砕いても結果は同じだった。
バンは足元に落ちている曲剣を拾う。
刃は厚く、深層のモンスターが振るっていた物だけあって重い。
しかし、特別な素材には見えなかった。
「持ってくほどじゃねぇか」
曲剣を床へ戻し、先へ進んだ。
◇
三つ目の円環は、それまで以上に分かれ道が多かった。
一本の通路が三つに分かれ、その先で再び交わる。
壁へ沿って進んでいるつもりでも、曲がり角を越えると方角が変わっていた。
先行した遠征隊が残した白い布や傷がなければ、どこへ向かっているのか分からなくなっていただろう。
バンは壁へ刻まれた矢印を追う。
途中、白い布が二方向へ分かれていた。
「どっちだ?」
右の道には、複数の靴跡が残っている。
左側にも武器で壁を削った跡があった。
どちらも人の手による目印に見える。
バンは少し考え、右へ入った。
しばらく進むと、通路の光が弱くなっていく。
天井へ埋まっていた白い結晶の数が減り、柱の間には深い影が落ちていた。
その影の一つが動く。
白い頭蓋骨。
だが、身体は見えない。
浮かぶ羊の頭だけが、暗闇を滑るように移動している。
「何だ、あれ」
次の瞬間、白い頭蓋骨の下から黒い皮膜が開いた。
骨だけでできた四本の脚。
細い胴体。
羊に似た怪物が、影の中から姿を現した。
一体ではない。
柱の陰に、同じ頭蓋骨がいくつも浮かんでいる。
バンは正式名称を聞いていなかった。
「骨の羊か?」
怪物の口が開く。
羊の頭蓋骨の奥から、黒い杭のような物が飛び出した。
続けて別の個体も射出する。
十本以上の黒い杭が、前後左右からバンへ迫った。
バンは片手を上げる。
狙いを、自分へ飛んでくる杭だけに絞った。
「強奪《スナッチ》」
黒い杭の軌道が変わる。
バンの身体へ突き刺さる直前、すべてが空中で止まり、伸ばした手の方へ引き寄せられた。
一本を掴む。
残りは足元へ落ち、硬い音を響かせる。
「自分のもん返してやるよ」
掴んだ杭を投げる。
黒い影を突き抜け、骨の羊の頭蓋骨へ刺さった。
怪物の身体が大きく揺れる。
魔石までは届かなかったらしい。
それでも暗闇へ隠れる動きは止まった。
バンは石床を蹴る。
一気に距離を詰め、クレシューズの柄を頭蓋骨へ振り下ろした。
骨が砕け、内部の魔石も同時に壊れる。
灰が暗い皮膜の間から噴き出した。
残る骨の羊たちが影へ紛れる。
気配まで薄くなり、白い頭蓋骨の輪郭も見えなくなった。
「隠れんのか」
バンは目を閉じた。
クレシューズを握る手へ意識を集中させる。
呼吸。
石床へ触れる僅かな脚音。
黒い皮膜が空気を押す音。
再び杭が放たれる直前、クレシューズの一節が影の中へ伸びた。
硬い物を捉える。
引くと、姿を隠していた怪物が柱の陰から引きずり出された。
「見えなくても、いなくなったわけじゃねぇな」
その身体を別の影へ投げつける。
二体が衝突し、床へ転がった。
骨が擦れる音を頼りに、クレシューズを振るう。
四つの節が柱の間を走り、隠れていた個体だけを次々と打ち抜いた。
黒い皮膜。
頭蓋骨。
骨の脚。
すべてが灰へ変わっていく。
最後の一体が消えると、暗い通路に静けさが戻った。
「こっちは、武器取っても意味なかったな」
バンは床へ落ちた黒い杭を見る。
怪物の身体から生み出された物らしく、しばらくすると灰になって消えた。
素材も残っていない。
右の道をさらに進んだが、待っていたのは行き止まりだった。
壁には、大きく崩れた跡がある。
先行した遠征隊が進んだ当時は、通路が続いていたのかもしれない。
だが、現在は白い壁によって完全に塞がれていた。
「こっちじゃなかったか」
バンは来た道を戻った。
◇
分岐点まで戻り、今度は左の道へ入る。
こちらにもモンスターはいた。
狼の頭を持つ、小柄で筋肉質な人型。
石の短剣や棍棒を持ち、十数体の群れで通路を移動している。
正式名称は分からない。
骨の羊とは違い、姿を隠してはいなかった。
だが、動きが速い。
壁や柱を蹴り、立体的に走っている。
バンは群れの後方から、その動きを眺めた。
「また武器持ってんな」
倒すだけなら難しくない。
手を伸ばせば、持っている短剣や棍棒も奪える。
魔石を抜くこともできる。
だが、鞄はいっぱいだった。
戦っても、得られる物を持ち帰れない。
群れの向こうには、円環の内側へ続く白い門が見えている。
「面倒だな」
バンはクレシューズを背中へ戻した。
呼吸を浅くする。
足音を消す。
身体から漏れる力も、視線も、存在そのものも、周囲から切り離していく。
「絶気配《ゼロサイン》」
バンの気配が消えた。
そこに立っている。
姿もある。
それでも、モンスターたちはバンの存在を認識できない。
狼頭の怪物が一体、すぐ近くまで歩いてきた。
鼻を動かす。
周囲の匂いを確かめるように顔を上げたが、目の前にいるバンへ視線を止めることはなかった。
その横を歩いて通り過ぎる。
群れの中央へ入っても、誰も反応しない。
石の短剣を持つ怪物が、バンの赤い長衣へ触れそうな距離を横切った。
バンは半歩だけ身体をずらす。
怪物同士の間を抜け、白い門まで進んだ。
「戦わなくていいなら、こっちの方が楽だな」
声は出さない。
気配を消したまま、門の先へ入った。
◇
門を越えた先で、景色が大きく変わった。
長く狭い通路ではない。
巨大な円形空間。
中央には広大な石床があり、その周囲を何段もの白い石席が囲んでいる。
闘技場。
人間が競技を行うために作ったような形をしている。
だが、観客はいなかった。
石席。
中央の広場。
周囲へ並ぶ複数の門。
そのすべてを、無数のモンスターが埋めていた。
スパルトイ。
バーバリアン。
リザードマン・エリート。
オブシディアン・ソルジャー。
先ほど見た骨の羊や、狼頭の人型も混ざっている。
数十体ではない。
百を超えていた。
さらに白い壁が膨らみ、新しいモンスターが生まれようとしている。
石の殻が割れ、黒い骨の腕が外へ伸びた。
一体生まれた直後に、別の場所からも次が現れる。
「ここで全部倒しても、また出てきそうだな」
バンは気配を消したまま、闘技場の上部から中央を見下ろした。
遠回りする通路もある。
だが、反対側へ続く白い門までは、闘技場の中央を横切るのが最も早い。
通常なら、この数のモンスターの中へ入ること自体が自殺行為だろう。
倒している間にも、壁から次が生まれる。
魔石を回収する時間もない。
「なら、通るだけでいいな」
バンは石段を下りた。
モンスターの群れへ近づく。
スパルトイが剣を構えて周囲を巡回している。
リザードマン・エリート同士が、何かを争うように唸り声を上げていた。
バーバリアンが石床へ拳を叩きつけ、近くにいた狼頭の怪物を追い払う。
誰もバンを見ない。
気づかない。
バンはモンスターたちの間を、普段と変わらない足取りで歩いた。
右側でスパルトイの槍が振られる。
別の怪物へ向けた攻撃だ。
バンは少し頭を下げ、穂先の下を通り抜けた。
前方では、オブシディアン・ソルジャーが大盾を構えている。
横に空いた僅かな隙間へ身体を入れ、肩が触れないように抜ける。
中央へ進むほど、モンスターの数は増えた。
足の置き場すら少ない。
それでも、バンが気配を断ち続ける限り、群れが一斉に襲いかかってくることはなかった。
闘技場の中央。
白い石床には、大規模な戦闘の跡が残っている。
焼けた円形の痕。
巨大な武器で抉られた溝。
砕けた黒い装甲。
ここでも先行した遠征隊が戦ったらしい。
誰が残した傷なのかは分からない。
バンは足を止めず、その上を通り過ぎる。
新しいスパルトイが、すぐ近くの壁から生まれた。
黒い骨の身体が石の殻を破り、床へ降り立つ。
バンの正面を塞ぐ位置だった。
生まれたばかりの骸骨兵は周囲を見回す。
バンの方にも顔を向けた。
だが、認識はしない。
盾を持ち直し、別のモンスターへ向かって歩き始めた。
バンはその横を抜ける。
「便利だな、これ」
声にすれば気づかれる可能性がある。
口には出さず、反対側の白い門へ到着した。
門の奥へ入る。
モンスターの群れが見えなくなるまで進んでから、《絶気配》を解いた。
途端に、身体の存在が迷宮へ戻る。
遠くで何体かのモンスターが反応するように声を上げた。
だが、すでに闘技場の外だった。
「全部相手にする必要もねぇな」
これまでは、現れたモンスターをほとんど倒して進んできた。
魔石や素材を集める目的もあった。
今は違う。
鞄は満杯。
敵の数は、倒してもすぐに補充される。
戦う意味がないなら、気づかれずに抜ければいい。
バンは白い通路を進んだ。
◇
闘技場を抜けた先は、四つ目の円環へ続いていた。
通路の幅は再び狭くなる。
ただし、周囲の柱は減り、壁には縦に長い溝が刻まれていた。
その溝の一つから、熱い風が流れてくる。
バンは足を止めた。
壁へ何かが張り付いている。
暗緑色の長い身体。
蛇に似ているが、四本の脚がある。
背中からは無数の鋭い針が伸び、壁へ爪を食い込ませていた。
身体の長さは、先ほど戦ったバジリスクには及ばない。
それでも、通路を塞ぐには十分な巨体だった。
怪物の背中にある針が、僅かに動く。
バンへ向いていた。
「今度は、針の生えた蛇か」
正式名称は知らない。
怪物が大きく息を吸う。
口の奥へ赤い光が集まり、背中の針から紫色の液体が滴った。
火と毒。
どちらも、バンにとって大きな脅威ではない。
だが、赤い長衣にとっては別だった。
バンは肩に残る穴と、焦げた袖を見る。
「これ以上、服を壊すなよ」
クレシューズを肩から下ろす。
暗緑色の怪物が壁を蹴り、白い通路へ飛び降りた。
第88話までお読みいただき、ありがとうございます。
今回は〈白の迷宮〉の武器を扱うモンスターから、バンの魔力そのものである《強奪》を使って武器を奪いました。
また、魔石や素材を持ちきれない状態で無数のモンスターと戦う必要はないため、《絶気配》で闘技場を通り抜けています。すべての敵を倒すだけではなく、状況に応じて能力を使い分けるバンを描きました。