強欲の旅人は神の恩恵を受けない   作:ルクエリシオン

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第89話 王座の間

 暗緑色の怪物が壁を蹴り、白い通路へ飛び降りた。

 

 四本の脚が石床へ着地する。

 

 蛇のように長い胴体が通路を塞ぎ、背中から伸びた無数の針が一斉にバンへ向いた。

 

「これ以上、服を壊すなよ」

 

 バンはクレシューズを肩から下ろした。

 

 怪物が背中を大きく震わせる。

 

 直後、鋭い針が一斉に射出された。

 

 白い通路を埋めるほどの数。

 

 正面からだけではない。壁や天井へ突き刺さった針が跳ね返り、複数の角度からバンへ迫ってくる。

 

 避けるだけなら難しくない。

 

 だが、背中には鞄がある。

 

 針が水袋や酒瓶へ刺されば、中身は無事では済まない。

 

 バンは空いている手を前へ伸ばした。

 

「強奪《スナッチ》」

 

 飛来していた毒針の動きが止まる。

 

 数十本の針が空中で震え、その軌道を変えた。

 

 バンの手元へ引き寄せられる途中で、怪物が再び背中を震わせる。

 

 第二射。

 

 さらに多くの毒針が放たれた。

 

「まだあんのか」

 

 最初に奪った針を、後から飛んできた一団へ向けて放つ。

 

 鋭い針同士が空中で衝突した。

 

 硬い音が連続し、砕けた破片が白い床へ降り注ぐ。

 

 何本かは打ち落としきれず、バンの身体へ届いた。

 

 肩。

 

 腕。

 

 脇腹。

 

 赤い長衣を貫き、針の先端が皮膚へ突き刺さる。

 

 傷口から紫色の毒が流れ込んだ。

 

 バンは腕に刺さった一本を抜く。

 

 針の長さは短剣ほどあり、先端には粘り気のある液体が付着していた。

 

「また毒か」

 

 身体に異変はない。

 

 痺れも、痛みも感じなかった。

 

 バジリスクの毒と同じく、煉獄で過ごしたバンの身体には通用しないらしい。

 

 問題は別にある。

 

 バンは長衣に空いた新しい穴を見た。

 

「服は駄目じゃねぇか」

 

 怪物が大口を開く。

 

 喉の奥へ赤い光が集まり、次の瞬間、炎が白い通路へ放たれた。

 

 バンは正面から受けなかった。

 

 クレシューズを伸ばし、先端を横に並ぶ白い柱へ巻きつける。

 

 身体を引く。

 

 炎が届く直前、バンの姿が横へ飛んだ。

 

 赤い長衣の裾を熱気が掠める。

 

 そのまま柱の側面へ足を着け、クレシューズを縮めながら怪物へ向かって跳んだ。

 

「今度は燃やさせねぇぞ」

 

 怪物は壁へ爪を立て、一気に駆け上がる。

 

 長い身体とは思えない速さだった。

 

 天井まで移動し、逆さまになったまま毒針を放つ。

 

 バンは空中でクレシューズを振るった。

 

 四つの節が広がり、飛んできた針をまとめて弾き飛ばす。

 

 先端の一節が怪物の後脚へ巻きついた。

 

「下りてこい」

 

 引く。

 

 白い壁へ爪を食い込ませていた怪物の身体が剝がれた。

 

 天井の一部が砕け、大量の白い破片とともに巨体が落下する。

 

 怪物は空中で身を捻り、長い尾をバンへ叩きつけた。

 

 バンは片腕で受け止める。

 

 鱗に覆われた尾が腕へ巻きつき、そのまま全身を締め上げようとした。

 

 長い胴も続けて絡みつく。

 

 肩。

 

 胸。

 

 腰。

 

 怪物の巨体が、バンを包むように幾重にも巻きついた。

 

 四本の脚が赤い長衣へ爪を立てる。

 

 締めつける力が増し、バンの足元にある石床へ亀裂が走った。

 

 一般の冒険者なら、鎧ごと身体を潰されていただろう。

 

 バンは巻きついた胴を片手で掴んだ。

 

「蛇の奴は、これが好きなのか?」

 

 力を込める。

 

 怪物の身体が外側へ押し広げられた。

 

 締めつける力よりも、バンが腕を動かす力の方が強い。

 

 怪物は牙を剝き、首を伸ばしてバンの肩へ噛みつこうとする。

 

 バンはもう一方の手で、その下顎を掴んだ。

 

 牙が届く直前で止まる。

 

「針も邪魔だな」

 

 怪物の背中には、まだ多くの毒針が残っている。

 

 バンが指を僅かに動かした。

 

 背中から何本もの針が抜け始める。

 

 一度にすべてを奪うのではなく、巻きついた身体を押さえながら、使えそうな長い針だけを引き抜いた。

 

 暗緑色の怪物が苦しそうに暴れる。

 

 背中から紫色の液体が流れ、白い床へ落ちた。

 

「自分で持ってても、使えねぇなら意味ないだろ」

 

 怪物の身体を掴んだまま持ち上げる。

 

 巻きついていた胴が強引に引き剝がされ、長い身体が宙へ浮いた。

 

 バンはそのままクレシューズを短く持つ。

 

 身体を一度回し、怪物を白い壁へ叩きつけた。

 

 轟音が通路を揺らす。

 

 壁が大きく陥没し、暗緑色の巨体が白い岩の中へ埋まった。

 

 それでも怪物は生きている。

 

 砕けた壁から身体を引き抜き、再び炎を吐こうと口を開いた。

 

「丈夫なのは分かったぞ」

 

 バンは一歩踏み込む。

 

 クレシューズの四節を真っ直ぐに揃え、怪物の胸へ突き出した。

 

 硬い鱗が割れる。

 

 その奥へ神器が入り込み、身体の中心にあった魔石を正確に打ち砕いた。

 

 怪物の喉へ集まっていた炎が消える。

 

 暗緑色の身体は力を失い、白い壁の前で灰へ変わった。

 

 残った毒針が石床へ落ち、細い音を立てる。

 

「抜かなくても、壊せば同じだな」

 

 バンはクレシューズを引き戻した。

 

 灰の中には、先ほど奪った物とは別に、何本かの毒針が残っている。

 

 長い物。

 

 先端が欠けていない物。

 

 毒が残っている物。

 

 バンは状態の良い一本だけを拾った。

 

 鞄を開ける。

 

 空いている場所はほとんどない。

 

 毒針を二重の回収袋で包み、シャドーラプトルの爪と並べて入れようとする。

 

 だが、鞄の口が閉まらなかった。

 

「また入らねぇか」

 

 中身を確認する。

 

 翼竜型の薄い翼膜。

 

 アルマロサウルスの棘。

 

 バジリスクの鱗と毒牙。

 

 大型の魔石。

 

 珍しそうな物ばかりだ。

 

 バンは翼膜を取り出した。

 

 大きい割に薄く、地上でどの程度の値になるのかも分からない。

 

「こっちと入れ替えるか」

 

 翼膜を壁際へ置き、毒針を鞄へ収めた。

 

 紐を強く引く。

 

 今度はどうにか口が閉じた。

 

 

        ◇

 

 

 先へ進もうとした時、通路の奥から複数の足音が聞こえた。

 

 バンはクレシューズを肩へ戻さず、そのまま待つ。

 

 現れたのはモンスターではなかった。

 

 七人の冒険者。

 

 先頭の大盾を持つ男を中心に、全員が周囲を警戒しながら歩いている。

 

 武器や防具には新しい傷が多く、何人かは包帯を巻いていた。

 

 第三十六階層のオアシスへ戻る途中らしい。

 

 彼らは、通路に積もる灰と壁の大きな陥没を見た。

 

「戦闘の跡か?」

 

「毒がある。触るな」

 

 後方にいた女魔導士が、床へ落ちた紫色の液体を見つけて声を上げる。

 

 別の冒険者が、灰の中に残る針を確認した。

 

「ペルーダだ」

 

「この場所でか?」

 

「壁を移動してきたんだろう。まだ近くにいるかもしれない」

 

「もういねぇぞ」

 

 バンが言う。

 

 冒険者たちが一斉に顔を向けた。

 

「お前が倒したのか?」

 

「ああ」

 

「一人で?」

 

「ああ」

 

 大盾の男は、バンの赤い長衣へ空いた複数の穴を見る。

 

「毒針を受けたのか?」

 

「ああ」

 

「解毒はしたのか?」

 

「してねぇぞ」

 

「すぐに薬を使え。ペルーダの毒は、耐異常を持つ上級冒険者にも通る」

 

「ペルーダってのが、さっきの針の蛇か」

 

「名前も知らずに戦ったのか?」

 

「ああ。毒は効かなかったぞ」

 

「そんなわけがあるか」

 

 男がバンの腕を見る。

 

 針の刺さった傷は、すでに塞がり始めていた。

 

 紫色に変色している場所もない。

 

 呼吸や動きにも異常はなかった。

 

「本当に平気なのか……?」

 

「だから言ってんだろ」

 

 バンは足元に残った毒針を指す。

 

「これ、高ぇのか?」

 

「ペルーダの毒針か?」

 

「ああ」

 

「状態が良ければ、毒を扱う薬師や鍛冶師が買い取る。だが、素手で触るな」

 

「さっき何本も抜いたぞ」

 

「抜いた?」

 

「背中から」

 

 冒険者たちは灰とバンを交互に見る。

 

 説明しても理解されそうにないため、バンはそれ以上話さなかった。

 

「王座の間へ行くなら、この先で合ってんのか?」

 

 大盾の男は一度息を吐き、通路の奥を指した。

 

「この道を進めば、第五円環へ入る。ただし、途中に大きな分岐がある」

 

「どっちだ?」

 

「壁に三本の縦傷がある方へ進め。一本だけの方は闘技場へ戻される」

 

「三本だな」

 

「王座の間には階層主が出るが、今は再出現していないはずだ」

 

「知ってる。大人数の奴らが倒したんだろ」

 

「ああ。だが、周囲のスパルトイまで消えたわけではない。王座の間へ近づくほど数が増える」

 

「魔石はいらねぇから、倒しても仕方ねぇな」

 

「普通は、倒して進めるかを心配するところだ」

 

「入んねぇんだよ」

 

 バンが膨らんだ鞄を示す。

 

 大盾の男は中身を知らないまま、呆れたように首を振った。

 

「無事に戻れると思うなよ」

 

「戻れんだろ」

 

「その自信はどこから来るんだ」

 

「今まで戻ってきたからな」

 

 バンは壁際に置いた翼膜を見る。

 

「それ、欲しけりゃ持ってけ」

 

「ドロップアイテムか?」

 

「ああ。鞄に入らなかった」

 

「代金は?」

 

「道を教えてもらったから、それでいいぞ」

 

「それだけでいいのか?」

 

「ああ」

 

 冒険者の一人が翼膜を回収する。

 

 彼らは王座の間とは反対側へ歩き始めた。

 

 すれ違う直前、大盾の男が振り返る。

 

「三本の傷を見落とすなよ」

 

「分かってる」

 

「一本の方へ行けば、本当に闘技場へ戻るぞ」

 

「今度は間違えねぇよ」

 

 バンは片手を上げ、白い迷宮の奥へ進んだ。

 

 

        ◇

 

 

 第五円環へ近づくほど、通路に残る戦闘跡が増えていった。

 

 砕かれた黒い骨。

 

 壁へ食い込んだ剣や槍。

 

 大きく潰れた黒曜石の装甲。

 

 灰はほとんど残っていないが、先行した遠征隊が数多くのモンスターを倒しながら進んだことは分かる。

 

 バンは最初の分岐へ着いた。

 

 左右の壁を確認する。

 

 右側には一本。

 

 左側には三本の縦傷が刻まれていた。

 

「こっちだな」

 

 左へ進む。

 

 今度は間違えなかった。

 

 通路は少しずつ広くなり、天井も高くなっていく。

 

 その先から、武器を打ち鳴らす音が聞こえた。

 

 白い門を越えると、数十体のモンスターが通路を埋めていた。

 

 スパルトイ。

 

 リザードマン・エリート。

 

 オブシディアン・ソルジャー。

 

 バーバリアン。

 

 闘技場にいたほどではないが、すべて倒して進めば時間がかかる数だった。

 

 バンは鞄へ目を向ける。

 

「魔石はいらねぇんだけどな」

 

 《絶気配》を使えば、今回も戦わずに通り抜けられる。

 

 だが、通路の幅が狭い。

 

 盾を並べたオブシディアン・ソルジャーが、道を完全に塞いでいる。

 

 気配を消しても、身体まで消えるわけではない。

 

 隙間を通るには、数体を動かす必要があった。

 

「仕方ねぇか」

 

 バンはクレシューズを構えた。

 

 怪物たちが一斉に反応する。

 

 前列の盾兵が地面を踏み鳴らし、その後方でスパルトイが槍を構えた。

 

 リザードマン・エリートが左右の壁を走り、バーバリアンが中央から突進してくる。

 

 バンはその場から動かなかった。

 

 四節の神器を長く伸ばす。

 

 複数の節が白い通路へ広がり、クレシューズの先端が遠くの壁際まで届いた。

 

「まとめて退け」

 

 神器を大きく振り抜く。

 

「死神の一薙ぎ《アサルトハント》」

 

 四節のクレシューズが、白い通路を横断する巨大な軌道を描いた。

 

 最初に盾が砕ける。

 

 黒曜石の装甲が割れ、その内側の魔石まで破壊された。

 

 後方にいたスパルトイも、構えていた槍ごと薙ぎ払われる。

 

 壁を走っていたリザードマン・エリートは横から打ち抜かれ、白い柱へ叩きつけられた。

 

 突進していたバーバリアンの巨体も止まらない。

 

 クレシューズの一節を正面から受け、後ろにいた群れごと吹き飛んだ。

 

 轟音が迷宮全体へ響く。

 

 石床と白い壁へ、広い亀裂が走った。

 

 怪物たちの魔石が次々と砕ける。

 

 黒い骨。

 

 鱗に覆われた身体。

 

 筋肉質な巨体。

 

 黒曜石の装甲。

 

 すべてが同時に灰へ変わり、白い通路を黒く染めた。

 

 《乱獲》とは違う。

 

 奪い取られた魔石がバンの手元へ集まることはない。

 

 クレシューズの一薙ぎによって、モンスターの身体も魔石もまとめて打ち砕かれていた。

 

 通路を塞いでいた群れが消える。

 

 バンは神器を縮め、肩へ担いだ。

 

「こっちの方が早ぇな」

 

 回収する物はない。

 

 灰の間に武器や装甲の一部が残っているが、鞄へ入れる余裕もなかった。

 

 バンは足を止めず、その上を進んだ。

 

 

        ◇

 

 

 第五円環へ入ると、周囲の形が変わった。

 

 細かく分かれていた通路が減り、一つの大きな道が中心へ向かって伸びている。

 

 左右には、黒い骨で作られた巨大な柱が並んでいた。

 

 白い壁の一部へ食い込むように、何本もの大剣も突き立っている。

 

 天然武器。

 

 通常の鍛冶師が作った物ではない。

 

 ダンジョンから生まれた怪物が、自らの武器として使う物だとオアシスのドワーフから聞いていた。

 

 一本だけでも、バンの身長を遥かに超える。

 

「これを使う奴が、ウダイオスだったか」

 

 階層主はすでに倒されている。

 

 周囲に残る大剣も、持ち主を失ったあとは動かなかった。

 

 バンは一本へ近づき、柄を掴んでみる。

 

 重い。

 

 普通の冒険者なら、持ち上げるだけでも難しいだろう。

 

 バンは片手で石床から引き抜いた。

 

 巨大な刃を軽く振る。

 

 空気が押され、近くに積もっていた灰が舞い上がった。

 

「悪くねぇけど、持って帰れねぇな」

 

 鞄へ入る大きさではない。

 

 クレシューズもある。

 

 バンは大剣を元の場所へ突き立てた。

 

 さらに奥へ進む。

 

 やがて、白い迷宮の中心が見えた。

 

 王座の間。

 

 天井の高さは、それまでの通路とは比べものにならない。

 

 広大な円形空間の中央に、巨大な黒い石の王座が置かれている。

 

 その前には、深く抉れた石床が広がっていた。

 

 黒い骨の破片。

 

 砕かれた大剣。

 

 魔法で焼かれた跡。

 

 巨大な何かが壁へ叩きつけられた亀裂。

 

 階層主との戦闘が、どれほど激しかったのかを示している。

 

 だが、部屋の中に大きな気配はない。

 

「本当にいねぇな」

 

 バンの声が広い空間へ響く。

 

 第十七階層。

 

 第二十七階層。

 

 そして第三十七階層。

 

 階層主と戦える場所へ着くたび、先に倒されていた。

 

「一体くらい残しとけよ」

 

 誰へ向けた言葉でもない。

 

 階層主が再び生まれるまで、この場所で待つつもりもなかった。

 

 バンは王座の周囲を歩く。

 

 黒い石の裏側に、下へ続く大きな階段があった。

 

 入口の横には、三十八の数字が刻まれている。

 

 第三十八階層。

 

 その先について、具体的な話はほとんど聞いていない。

 

 公開されている地図も少なく、階層の特徴やモンスターの情報も曖昧らしい。

 

「今度は、何がいんだろうな」

 

 バンは鞄を一度下ろした。

 

 紐を確認する。

 

 水袋。

 

 保存食。

 

 酒瓶。

 

 大型の魔石。

 

 毒牙や毒針。

 

 まだ持って進める。

 

 長衣に増えた穴は気になるが、今すぐ動けなくなるほどではない。

 

「帰る理由もねぇか」

 

 鞄を担ぎ直す。

 

 クレシューズを肩へ乗せた。

 

 王座の間を振り返る。

 

 巨大な戦闘跡だけが残る場所に、バン以外の姿はなかった。

 

 赤い旅人は黒い王座の裏へ回り、未知の深層域へ続く階段を下り始めた。




第89話までお読みいただき、ありがとうございます。

今回は毒針と火炎を扱う竜種ペルーダとの戦いから、〈白の迷宮〉の中心にある王座の間まで進みました。

鞄がすでに満杯で魔石を回収する必要がないため、モンスターの群れには《死神の一薙ぎ》を使い、《乱獲》とは異なる物理的な広範囲攻撃として描いています。

また、階層主ウダイオスが討伐されたあとの王座の間へ到達し、第三十七階層の探索を終えました。
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