膨らんだ鞄を背負い、クレシューズを肩へ担いだまま、バンは冒険者たちの休息地点へ歩いていった。
岩壁に囲まれた広場には、二十人近い冒険者がいる。
全員が同じ装備ではなかった。
軽装の剣士。
大楯を持つ重戦士。
魔杖を手にしたエルフ。
荷物を整理する小人族や、負傷者へ包帯を巻く治療役。
鎧や外套に刻まれた印も二種類に分かれている。
ゼウス・ファミリア。
ヘラ・ファミリア。
以前、ベヒーモスの討伐で顔を合わせた二つの派閥だった。
もっとも、この場所にいる者の中に、バンが知っている顔は見当たらない。
広場の中央では、ドワーフの男が変形した大楯へ金槌を振り下ろしていた。
先ほど聞こえていた金属音は、装備を修理する音だったらしい。
楯の表面は大きくへこみ、一部が赤黒く焼けている。
近くには折れた槍や刃の欠けた剣も並べられていた。
冒険者たちは長い遠征を終えた直後のように見えた。
バンが広場の入口まで近づいたところで、見張りをしていた男が振り返る。
「止まれ」
片手剣へ手を掛けながら、男がバンの全身を確かめた。
継ぎ接ぎだらけの赤い長衣。
大型の魔石や素材で膨らんだ鞄。
見慣れない四節棍。
そして、背後に同行者がいないことへ気づき、眉をひそめる。
「お前はどの部隊の者だ? 見たことがない」
「どの部隊でもねぇぞ」
「ゼウス側か、ヘラ側かと聞いている」
「だから、どっちでもねぇ」
男はバンの背後をもう一度見る。
「同行していた部隊はどこだ」
「いねぇぞ」
「先行しているのか?」
「最初から一人だな」
「……一人?」
「ああ」
見張りの声を聞き、広場にいた何人かが顔を上げた。
装備を直していたドワーフの金槌も止まる。
治療役の女は、包帯を巻く手だけは止めなかったが、視線をバンへ向けていた。
「第四十四階層まで一人で来たと言っているのか?」
「ああ。道を聞きてぇんだけどな」
「その前に所属と名前を答えろ」
「所属はねぇ。バンだ」
「無所属……?」
見張りの男は、さらに警戒を強めた。
その様子を見ていた壮年の女剣士が立ち上がる。
右腕へ包帯を巻き、左手だけで剣を腰へ差していた。
「その男から敵意は感じない。剣を抜くな」
「ですが――」
「深層で仲間割れを始めるつもりか?」
「……失礼しました」
見張りが剣から手を離す。
女剣士はバンの前まで歩いてきた。
「私は、この帰還分隊の指揮を任されている。お前が本当に単独で来たのかは、ひとまず置いておこう」
「信じねぇのか?」
「今は確かめる方法がない。それより、何が知りたい」
「下へ行く道だな」
女剣士の視線が僅かに鋭くなった。
「私たちを見て、まだ下へ進むのか?」
「ああ」
「この有様を見ても?」
広場には負傷者が六人いる。
一人は横になったまま動かず、別の男は脚を木板で固定されていた。
ほかの者も鎧や武器を大きく損傷している。
「お前らは随分下まで行ってきたんだろ?」
「……どこで聞いた」
「上の階層で、大勢の奴らが下にいるって聞いたぞ。新しい足跡も上へ向かってたからな」
女剣士は少し黙り、広場の奥へ目を向けた。
「私たちはゼウス・ファミリアとヘラ・ファミリアによる合同遠征隊の一部だ。第七十一階層付近の経路調査を終え、現在は地上へ向けて帰還している」
「やっぱり下にいたのか」
「本隊は第五十階層で長期休息に入っている。負傷の重い者と、これ以上使えない装備を先に地上へ戻すため、私たちは本隊から分かれた」
周囲に積まれた荷物には、壊れた武器だけでなく、厳重に包まれた素材や魔石も混ざっている。
深層で回収した物を運ぶ役目もあるらしい。
「マキシムと女帝も第五十階層にいんのか?」
女剣士の目が細くなった。
「団長たちを呼び捨てにするな」
「知り合いだぞ」
「……そういう冗談は、本人たちの前では言わない方がいい」
「冗談じゃねぇんだけどな」
女剣士は取り合わなかった。
バンの言葉を信じるより、得体の知れない男が団長たちの名前を知っていた、と考えた方が自然なのだろう。
「第五十階層へ行くなら、この山岳地帯を南側へ回れ。白い布と岩壁の矢印を追えば、第四十五階層へ続く道へ出る」
「南ってどっちだ?」
「……そこから説明が必要なのか」
「ああ」
女剣士は額を押さえた。
近くにいた小人族の男が、地面へ簡単な図を描き始める。
現在地。
谷。
山道。
熱風が噴き出す亀裂。
第四十五階層へ続く下り坂。
「この広場を出たら、最初の分岐を右です。左へ進むと、噴出口が集中している谷へ出ます」
「右だな」
「その次は、黒く光る地面を避けてください」
「何でだ?」
「表面だけが冷えて固まっている場所です。踏み抜けば、下から赤熱した液体が噴き出します」
「オレは平気そうだけどな」
「荷物も同じことを言えますか?」
バンは背中の鞄を見る。
「酒が割れんのは困るな」
「水や食料より先に酒を心配するんですか……?」
「ああ」
小人族は呆れながらも、地図の続きを描いた。
「第二の分岐には、三本の白い布があります。中央を選んでください。一本だけの道は、岩石型モンスターの巣へ続いています」
「さっき一体倒したぞ」
「転がってくる赤黒い個体ですか?」
「ああ。外の岩を剝がしたら、中は黒かったな」
「外殻を剝がした?」
「取ったぞ」
小人族が説明を求めるように顔を上げる。
だが、女剣士が首を横へ振った。
「深く聞くな。聞いたところで、今の私たちには必要のない情報だ」
「それもそうですね」
「随分あっさりしてんな」
「遠征帰りは、理解できないものを一つずつ追及する体力も残っていない」
女剣士はそう言って、包帯を巻いた右腕を見る。
「道だけ聞いたなら、早めに出発しろ。この広場も安全地帯ではない。次の噴出が始まれば、山肌からモンスターが下りてくる」
「どれくらいで来んだ?」
「分からない。前回は――」
女剣士が答えるより先に、広場の奥から見張りの声が上がった。
「斜面が動いた! 赤岩種が来るぞ!」
冒険者たちの動きが変わる。
負傷者の周囲へ楯が並べられ、魔導士たちは魔杖を構えた。
装備を修理していたドワーフが、へこんだままの大楯を立てる。
「修理は終わっていないぞ!」
「動けば十分だ!」
「また壊したら、次は担いで帰れ!」
広場の上にある山肌から、赤い岩塊がいくつも転がり落ちてきた。
第94話でバンが倒した個体と同じ姿。
四本の脚と頭を岩の外殻へ引っ込め、斜面を転がりながら速度を上げている。
一体。
三体。
五体。
さらに岩陰から二体が現れた。
「赤岩種って名前なのか?」
バンが女剣士へ聞く。
「正式名称ではない! 私たちが外見で呼んでいるだけだ!」
「じゃあ、名前はねぇのか」
「今それを気にするな!」
先頭の岩塊が広場へ飛び込む。
大楯を構えた三人が並び、その衝撃を受け止めた。
赤い岩と金属がぶつかり、火花が散る。
三人の足が黒い地面を滑った。
すぐに後方から槍が伸び、岩塊の軌道を横へ逸らす。
転がる怪物が壁へ衝突したところへ、魔法が撃ち込まれた。
外殻の一部が砕ける。
中の黒い身体が露出し、剣士たちが一斉に斬り込んだ。
長い遠征で消耗していても、連携は崩れていない。
別の二体が左右から来る。
冒険者たちは負傷者を中心に円陣を作り、正面から順に受け止めていった。
だが、一体だけ大きく斜面を跳ねた。
地面へ突き出していた岩へ衝突し、ほかの個体とは違う方向へ進路を変える。
冒険者たちの防御線ではない。
壁際に並べられた水樽と、横たわる負傷者へ向かっている。
「右だ!」
女剣士が声を上げる。
魔導士が振り返る。
しかし、すでに別の怪物へ魔法を放った直後だった。
大楯を持つ者も正面を塞いでいる。
赤熱した岩塊が負傷者へ迫った。
「道聞いた分だな」
バンは怪物へ片手を向けた。
「獲物狩り《フォックスハント》」
転がる巨体の奥から、黒紫色の魔石が引き抜かれる。
外殻を割る必要もない。
岩板と黒い身体を突き抜けた魔石が、バンの手元へ飛んできた。
怪物の赤い光が消える。
勢いを残した外殻だけが地面を転がった。
バンはクレシューズを伸ばし、岩塊へ一節を巻きつける。
負傷者へ届く前に横へ引いた。
中身を失った外殻は進路を変え、水樽の手前で壁へぶつかった。
赤黒い身体が灰へ変わる。
バンは飛んできた魔石を見る。
「これも入らねぇな」
そのまま近くの荷物の上へ置いた。
「おい、それはお前の戦利品だぞ!」
「いらねぇ。持ってけ」
驚いた声を上げた冒険者を残し、バンは次の怪物を見る。
だが、手を出す必要はなかった。
女剣士が外殻の隙間へ剣を差し込み、内部の魔石を破壊する。
残る個体も、楯、槍、魔法の連携によって一体ずつ倒されていった。
最後の一体が灰へ変わる。
広場に静けさが戻った。
冒険者たちはすぐに負傷者と装備を確認し始める。
誰も勝利を喜ばない。
遠征の途中では、戦闘が終わっただけにすぎないのだろう。
女剣士が剣を鞘へ戻し、バンを見る。
「魔石を、触れずに抜いたな」
「ああ」
「それがお前の魔法か?」
「魔力だぞ」
「そうか」
女剣士はそれ以上聞かなかった。
負傷者が無事であることを確認し、短く頭を下げる。
「助かった」
「道聞いたからな」
「第五十階層まで本当に一人で行くつもりなら、覚えておけ。この先では、自分が無事でも荷物や足場が無事とは限らない」
「それはもう分かってるぞ」
「ならいい。先へ進め」
バンは片手を上げる。
冒険者たちの広場を離れ、教えられた右側の道へ入った。
◇
山道へ戻ると、先ほどまでより熱風が強くなっていた。
広場へ怪物が現れた理由も、その熱風にあるらしい。
山肌の亀裂から赤い蒸気が噴き出すたび、斜面に張りついていた赤岩種が居場所を変える。
岩と区別できない怪物が一斉に動き始めれば、下にいる者からは落石にしか見えない。
「踏んだら起きる奴よりは分かりやすいな」
バンは最初の分岐へ着いた。
左の道からは、絶え間なく赤い蒸気が噴き上がっている。
岩壁へ描かれた白い矢印は右を指していた。
「こっちだな」
迷わず右へ進む。
道は山肌を斜めに下り、細い谷へ続いていた。
谷の地面は、黒く滑らかに光っている。
小人族が言っていた、表面だけが固まった場所だった。
よく見れば、黒い地面の下を赤い光がゆっくり流れている。
バンは足元へ小さな石を投げた。
石が地面へ当たる。
何も起こらない。
もう一つ、少し大きな石を投げる。
黒い表面へ細い亀裂が入った。
直後、その下から赤熱した液体が噴き出す。
投げた石は一瞬で赤くなり、形を崩した。
「酒瓶は駄目になりそうだな」
正面から谷を歩くのはやめた。
クレシューズを伸ばし、右側の岩壁へ突き出た岩へ巻きつける。
身体を持ち上げた。
壁へ足を掛けながら、黒い地面の上を進む。
足場にできる場所がなくなれば、別の岩へクレシューズを伸ばす。
地面から数メートル離れた高さを、山肌に沿って横切っていった。
途中、鞄が壁へ擦れそうになる。
バンは身体を捻り、背中ではなく肩から岩へぶつかった。
赤い長衣の補修された部分が、ざらついた岩肌を滑る。
布は裂けなかった。
「直してもらって正解だったな」
谷の終わりへ着地する。
足元は黒く、赤い光も流れていない。
鞄を確認する。
酒瓶も水袋も無事だった。
少し先には、白い布が三本結びつけられた岩柱が立っている。
中央の道。
教えられたとおりだ。
左右の道には、多数の丸い跡が残っていた。
赤岩種が繰り返し通った跡だろう。
「真ん中だな」
中央の道へ入った。
◇
第四十四階層の奥へ進むほど、山岳の形は複雑になった。
下へ向かう道が途切れ、急な斜面を上らなければならない。
山を一つ回り込んだ先で、再び深い谷へ下りる。
赤い煙によって遠くが見えず、白い布や矢印がなければ方向を失っていただろう。
しばらく進んだところで、複数の気配を感じた。
前方の谷底。
赤く光る岩の間に、細長い影が集まっている。
四本の脚を持つ蜥蜴のような怪物だった。
身体は人間より少し大きい。
黒い鱗の隙間へ赤い線が走り、呼吸するたびに喉が明るく光っている。
一体が口を開く。
赤い炎が僅かに漏れた。
十体以上。
谷を通る者を待ち伏せしているらしい。
「魔石もいらねぇしな」
戦えば倒せる。
だが、炎を吐かれれば鞄や長衣へ被害が出る。
倒しても回収する物を持てない。
バンは呼吸を浅くした。
足音。
視線。
身体から漏れる力。
自分の存在を周囲から切り離していく。
「絶気配《ゼロサイン》」
バンの気配が消えた。
蜥蜴型の一体が顔を上げる。
赤い舌を出し、熱い空気を確かめるように左右へ動かした。
バンの姿は見えている。
しかし、そこに敵がいるとは認識できない。
怪物たちの間へ入る。
黒い尾を踏まないよう足をずらし、岩の上で眠る個体の横を通り抜ける。
一体が突然立ち上がった。
バンの進路を塞ぐ。
気づいたわけではない。
身体の向きを変え、温度の高い岩へ移動しようとしているだけだった。
バンは怪物の背中へ片手を置こうとして、やめる。
触れれば、さすがに存在を認識される可能性がある。
クレシューズの先端を近くの岩へ巻きつけ、身体を僅かに浮かせた。
怪物の頭上を越える。
赤い長衣の裾が、黒い角のすぐ上を通過した。
着地する。
誰も追ってこない。
バンは谷の反対側まで進み、怪物たちが見えなくなってから《絶気配》を解いた。
「戦わなくていいなら、やっぱこっちだな」
鞄の中身が満杯になってからは、戦闘を避ける理由の方が増えている。
バンは水袋を取り出した。
革の表面がかなり温かくなっていた。
一口飲む。
「もう冷たくねぇな」
それでも飲めないほどではない。
残りの量を確かめ、口を閉じる。
酒瓶は出さなかった。
◇
どれほど歩いたのかは分からない。
太陽がないため、時間を測れるものは自分の空腹と水の減り方だけだった。
第四十四階層の道は長い。
紅蓮の山岳全体が一つの巨大な階層なのかと思うほど、赤と黒の山が続いている。
やがて、白い布の数が増え始めた。
一本。
二本。
山道の両側へ一定の間隔で結ばれている。
遠征隊が大人数を通すため、特に分かりやすく残した場所らしい。
その先に、黒い岩を削った階段があった。
自然に生まれた形ではない。
冒険者たちが削ったのではなく、ダンジョンそのものが階段に似た地形を作っている。
下へ続く。
バンは階段を降りた。
周囲の岩壁に刻まれた赤い亀裂が、少しずつ太くなる。
熱もさらに強くなった。
最後の段を降りると、正面に巨大な岩門が立っている。
門の中央には、四十五の数字。
「やっと次か」
第四十五階層へ足を踏み入れる。
景色そのものは、第四十四階層と大きく変わらない。
赤黒い山々。
光を放つ亀裂。
谷底を流れる赤熱した液体。
しかし、空気が重い。
熱だけではなく、細かな灰が絶えず漂っていた。
息を吸えば、喉へざらつく感覚が残る。
バンは赤い長衣の襟を上げ、鼻と口を軽く覆った。
「オレは平気でも、飯に入るのは嫌だな」
鞄の口が閉じていることを確認する。
灰の積もった道を進む。
足元には、新しい靴跡が残っていた。
第四十四階層で会った帰還分隊のものではない。
向きが逆だ。
複数の冒険者が、第五十階層側へ向かっている。
本隊へ物資を運ぶ補給部隊か、それとも遅れて合流する者たちか。
靴跡の横には、大きな荷車を引いた跡も続いていた。
「これ追えば下に行けそうだな」
バンは跡を辿る。
山道は少しずつ細くなり、片側が深い谷へ変わった。
赤い煙の向こうに、何かが動く。
第四十四階層で見た怪物とは違う。
鮮やかな朱色。
煙の中を一瞬だけ横切り、別の岩陰へ消えた。
歩いているのか。
跳んでいるのか。
形までは見えない。
ただ、赤い山岳の中でも埋もれないほど、強い朱色をしていた。
バンは足を止める。
しばらく待ったが、同じ影は現れなかった。
「何だったんだ?」
答えはない。
遠くから、低い鳴き声だけが響いた。
バンはクレシューズを肩から下ろさず、そのまま歩き始めた。
第五十階層へ続く靴跡を追い、灰と熱に覆われた第四十五階層の奥へ進んでいった。
第95話までお読みいただき、ありがとうございます。
今回は〈紅蓮の山岳〉で休息していたゼウス・ファミリアとヘラ・ファミリアの帰還分隊と出会い、合同遠征隊の本隊が第五十階層で休息していることを知る流れを描きました。
また、鞄が満杯で戦う利点が少ないため、赤熱した蜥蜴型の群れには《絶気配》を使い、不要な戦闘を避けています。
高熱だけではなく、薄い地面、灰、噴出口など、バン本人よりも荷物へ影響する環境を意識しました。
引き続き楽しんでいただけると嬉しいです。