気付くと見知らぬ荒野に1人寝転がっていた状態で目覚めたが、老いて老衰で死んだ筈の身体が軽く、筋肉の付き具合も違う別人の身体になっていたのは間違いない。
そしてこの身に宿る記憶は何故か2つもあり、人類と神が戦うラグナロクにて、ギリシャ神話の長兄ハデスとして全身全霊で始皇帝と戦い破れた記憶と、人として生きて人として死んだ記憶が両方存在している。
長兄ハデスとして弟ポセイドンの仇を討てずに、決して敗けぬという約束も守れなかった不甲斐ない兄としての記憶は、ひどく薄れた微かなものだ。
それに比べて人としての記憶は鮮明に残っていて、神であったハデスに比べればとても平凡なものであったが、大切な兄弟を守り育て、四兄弟の長兄として兄弟が独り立ちするまで見守り、幸せな家庭を築いた弟達の家族に囲まれて大往生したという記憶だった。
この身に宿る記憶で人生を思い出せても、人としての名は何故か思い出せんが、不甲斐ない兄ではなかったことだけは確かである。
敗北して完全に消滅した筈であった神としての記憶は、僅かな残滓といえるほどのもので、始皇帝との戦いと敗北のみが鮮明に残っていた。
残っている記憶に偏りがある理由は定かではないが、どうしても人としての名が思い出せぬのなら、神としての名を使うとしよう。
ハデスと名乗ることを決めて寝転がっていた荒野で立ち上がると、周囲に人の気配は無く、1本の槍だけが荒野に突き立っていた。
二又槍であるそれは始皇帝との戦いで完全に砕けたバイデントであり、僅かな欠けもなく、完全な形で荒野の地に穂先が刺さっている二又槍。
荒野の地に突き刺さる二又槍バイデントを引き抜き、軽く振るって槍の調子を確かめたが、始皇帝との戦いで砕けたことを感じさせることはなく、力強く振るおうが折れず砕けることもない。
バイデントの穂先に映るこの身の顔は、神ハデスであった頃と何ら変わることはなく、バイデントを振るう槍捌きもまた変わることはなかった。
人として生き抜いた記憶の方がこの身を多く占めていなければ、変わらず神ハデスのままであったのかもしれんな。
微かに残る神ハデスとしての記憶は今にも消えてしまいそうな程に淡く儚い記憶であり、いずれこの身に残るのは、力強く巧みな槍捌きとハデスという名だけになりそうだ。
そう考えていたところで、狼頭人体の怪物が群れをなして此方へと近付いてきていたが、対話が可能な存在ではない怪物達。
鋭利な獣爪で此方を斬り裂こうとする怪物の頭部をバイデントで穿ち、後方から迫る怪物の頭部へとバイデントの長柄による殴打を叩き込んで頭を砕く。
二又槍の穂先による斬撃で両断した怪物の影から迫り来るもう1体へと押し込むような前蹴りを打ち込み、靴底で頭部を蹴り潰しておき、左右から襲い掛かってきた2体へと、掴んだバイデントごと身体を駒の如く高速で1回転させ、穂先で断ち斬った2体の怪物の首。
倒した怪物の死体を調べてみると胸部に石のようなものが埋まっており、石を抜き取ると灰と化した怪物達の肉体。
どうやらこの石は、怪物の核といえるものらしい。
それからも怪物を相手にバイデントを振るい、此方に襲い掛かる怪物共を打ち倒しながら、宛もない旅を続けたこの身は、幾年経とうと老いることがない。
旅を続ける内に、時が過ぎれば消え去る泡沫の夢のように、薄れて消えていった神ハデスとしての記憶。
補助輪付きの自転車を漕いでいたかの如く、微かな記憶に残る槍捌きを真似て再現していただけであったこの身も、神ハデスの記憶を頼ることなく槍を振るえるようになり、剛槍の槍捌きを完全に身に付けることができていた。
怪物を相手に槍を振るい、旅を続けたこの身は、やはり老いも衰えもない。
ハデスと名乗り、槍を振るって戦いながら旅を続けた先で、始まりの英雄を名乗った男の戦いを見守り、ミノタウロスに勝利するまでを見届け、再び旅に出る。
小人族の騎士団に乞われて槍の扱いを教えることになったりもしたが、この身が振るう剛槍を真似できたのは、騎士団長のみであった。
怪物の湧き出る大穴へと進軍する小人族の騎士団や、他の種族が集まった軍勢を手伝い、バイデントを用いて道を切り開いたこの身に着いてきた小人族の騎士団と共に、単眼の怪物を討伐し、大穴を塞ぐまでを見守っておく。
怪物が湧き出る大穴の上に建設された建造物は、まるで蓋のように、怪物が湧き出すことを防いでいるようだ。
それから再び旅に出た先で、出会った黒い蠍の怪物。
強固な外殻を持つ黒い蠍へと構えた槍を振り下ろし、1振りで叩き砕いた黒い蠍の身体。
身体を砕かれ悶え苦しむ黒い蠍を抉り穿つバイデントにより、核である石を穿ち抜かれた黒い蠍は怪物としての死を迎え、残ったものは鋏と尾に砕けた殻のみであった。
何かに使えるかと考え、黒い蠍が残したものを回収し、持ち運んではみたが、未熟な鍛冶師では扱えぬ素材であるのは確かだ。
いずれこの素材を扱える鍛冶師と出会いたいものだな。