日が昇る前、馬小屋の中を幾多ものいびきが流れる。
駆け出し冒険者たちが宿として過ごしているため、微かな酒精や汗の匂いが馬糞と混ざり何とも形容しがたい臭気が漂っている。
そんな中、音を抑えて身支度を整える子供が一人。
村唯一の酒場に努める女性から送られた櫛を手に、寝ぐせを感覚で整えていく。
鏡のような壊れやすく破片が馬房に残りかねない道具は持ち込めない。それ以前に、金銭的余裕が同房の三人には無い。
寝間着を脱ぎ、大きな洗濯桶の中に置く。忘れずに食べられる石鹸も入れる。
動きやすいが、身体よりも若干大きな服を纏う。
最後にその身の丈に合わない品質の短剣を腰に差す。
寝ている二人の身体には何もかかっていない。
少年は震え、少女は巨大な鼻提灯を作り、酒瓶を抱きながら足を少年の上に投げ出している。
彼女の寝相のせいで掛け布団が飛ばされてしまっている。
それらをかけ直し、更に自らが使っていた布団とマントを追加する。
「行ってきます」
軋む馬房の扉を、音を立てないようゆっくりと開いていく。
―――――
少しだけ寒い朝のアクセルの街を走る。
馬の夜間放牧を迎えに行く厩務員たちとすれ違い様に手をあげて挨拶を交わす。
朝露が髪にまとわりつき、街並みに段々と建物が増え始める。
街外れの馬小屋からギルドに向かう道中、エリス教の教会に寄りシスターに会釈だけする。
マザーが言ってた、祈りは強制されるもんじゃない。邪魔もしちゃいけない。
じゃあ早起きしたくないって答えたら、縛り上げられて日が登り切るまで祈りの言葉を唱えさせられた。
教会から距離が空いた頃、ソラは一層靴音を大きく速度を上げる。
早朝の薄暗い中、明かりが灯った巨大な石造りの建物の扉を開く。
ソラは息を整えて、広いギルドホールに響く大声を出す。
「おはようございます! 今日は何を運びます?」
パラパラと朝の挨拶が返ってくる。
―――――
まだ朝早いのにギルドの職員さんたちはお仕事を始めている。
早起きしたんじゃなくて、寝ないで起きて頑張っている人もいるらしい。
夜はすぐに眠くなっちゃうから、ぼくには出来ない。
寝なくてえらい! 狩人さんみたい!
「ソラさんおはよう。眠くない?」
今日はルナさんが早番なんだ。
「おはようございます! 慣れてるからダイジョブ!」
「いつもと同じだけど、間違えないように確認するね。
今日も市場で物資集めのクエストがないか聞いてきてください。
依頼用紙を渡すから、依頼する人に書いてもらってね」
ルナが何枚もの紙を差し出す。
ソラはそれを折り畳み、腰のベルトに挟み込む。
「はい! 覚えてます!
大声で呼びかければいいんだよね」
「それと酒場で使う食材を持って帰って来て。
出来るだけ中の食材の鮮度を落とさないようにあまり揺らさないように。
だけど、朝ごはんを食べにくる冒険者さんがいるからのんびりしすぎちゃ駄目だよ」
時間が経つほど人が増えちゃうから気をつけないと。
だけど、運んでいると食べ物が暴れるんだよなぁ……。
殴って黙らせると鮮度が落ちちゃうし難しい。
「これも勇者への特訓だよ。頑張ってね」
勇者!
何が関係してるのか分からないけど、ルナさんが言うんだから間違いない。
「行ってきます!」
―――――
市場に着くと、空は明るくなり、もう露店や屋台が組み立てられ始めていた。
馬車の荷台で新鮮なさんまが暴れて、馬が箱ごと蹴ってる。
アクセルの近くの村だと畑からとってすぐに〆ないんだって。周辺の村から運ぶから、収穫したてのピチピチで持って来ないと鮮度が落ちちゃって売れないらしい。
農家さんが言ってた、いろんな土壌と環境で、わしたちだけのさんまが出来る。
だから、相手に押し付けてはならん。アクシズ教以外の洗剤を使うと飲ませて来るのに……。
そんな場合じゃない。息を思いっきり吸って、叫ぶ。
「おはようございます! ギルドへの依頼は有りますか⁉」
荷馬車から逃げようとしていたさんまが動きを止める。
「うるせぇ!」
いつものおじさんが頭を叩いてくる。叩いた手を押さえてさすってる。
いい加減、ぼくの方が固いって覚えればいいのに。
「今日は依頼ありますか? それと酒場の荷物はどれ?」
「ガキが……!
俺ん所で依頼書を置いといてやるから、後で取りに来い。荷物はそこのを積んでけ」
「いつもありがとうございます!」
「おめえが食いもん運び終わるまでには書き終わるだろ。
みんな! クエスト出す奴は俺ん所に来い!」
「おめえもうるせえよ‼ 鮮度が落ちんだろ‼」
―――――
ギルド併設の酒場に運び込む食材を積み込んでいく。
今日は昨日よりも少なそうだな、多分5往復で終わるかな。
その上からカバーをかけて縄で縛りつける。木箱や樽の中で食材が暴れていてうるさい。急がないと入れ物の中で傷だらけになって、味が落ちちゃう。
馬車から馬を外して、その手綱を屋台に括り付ける。
最後に後ろの荷台部分と馬をつないでいた鞍を身体に巻き付ける。これでぼくが馬の代わりだ。街中ならぼくの方が早いもんね!
「おい、今日は靄が多かった。いつもより滑るかもしんねぇ。
特にカーブには気をつけろよ。荷台の右車輪がガタついてる」
「急ぎ過ぎて怪我はすんなよ。行ってこい!」
バシンと背中が叩かれる。
それを合図に石畳を踏み込み加速する。身体全体が後ろに引っ張られる。
床を踏み抜かないように、加減しながら足を動かす。
「痛っい! 手がぁああああああ!」
「毎朝うるせえ! いい加減学べよハゲオヤジ!」
後ろからおじさんたちの叫び声が聞こえる。
―――――
なんとかギルドに冒険者が集まる前に運びきれた。
台所でもらった野菜スティックをかじりながらルナさんの所へ向かう。噛まないままでいると、新鮮だから口の中を動き回って楽しい。
今日の午前のお仕事は何だろう。
ギルドからの配達かな。この二週間でけっこうアクセルの街の中は覚えられた気がする。ギルドの側と、馬小屋からの道だけは絶対に迷わない自信がある。
アクア先輩が迷っていた時もちゃんと道を一緒に馬小屋に帰れた。
それとも、もうちょっと遠くまで行くのかな。
まだいったことはないけど街の中心は貴族が住んでいるらしい。
おかみさんが言ってた、貴族は人間じゃない。青い血が流れているわ。近づいたら駄目だよ。森で獲れるタコみたいだ。
でも、狩人さんは出血するなら神でも殺せるって言ってた。
近づいて来たら殴ってみよう。それで血が出なかったら逃げよう。
考え事をしていたら、ルナさんがこっちに手を振ってくれていた。
「朝の配達終わりました! 次はなんですか?」
「お疲れ様です。今日は信頼の置ける先輩冒険者さんに付いて街の外へ行ってみてください。
これからは周辺のモンスター移送サービスもやってもらうつもりです。その前にこの街の周辺を見て回って来てね」
「ついに外!」
節約のためにこの街まで走ってきたけど大変だった。
昼間は見たことのないモンスターと横を並んで走ったり、夜中にアンデッドが群れてアクセルへ向かっていたのを隠れてやりすごしたりして、村では出会うはずのないことばかりだった。
だけど、ようやく冒険者っぽいことが出来る。やっと職業も決められる。
カズマ先輩みたいに《冒険者》もいいよね。色々やりたいし。
でも、アクア先輩みたいな《アークプリースト》もいいなぁ。筋肉痛も楽になるし。
でもでも、勇者って攻撃魔法も使いそうだしなぁ……。
「ところでソラさん、依頼書は?」
「ごめんなさい! 取りに行ってきます!」
「あぁ! 行くなら荷車も持って行って!」
―――――
ギルドに戻ると、朝ごはんを食べに来た冒険者たちが居て職員さん以外も増え始めてきた。
暇なおじいちゃんやおばあちゃんたちが集まって、朝のお茶会をしてる。
やっぱりとか言ってすごい。毎日が災害の後みたいに人が集まってご飯を食べてる。
だけど、色々メニューがあって美味しい。
ルナさんに手を振ると、関係ない二人がぼくの前に近づいてきた。
「キミがソラ? あたしはクリス」
銀髪に、頬に切り傷が付いた少女。瞳は薄紫、名前と同じクリスの花のような目をしたお姉ちゃんが声をかけてきた。
隣には鎧に身を包んだ金髪の背の高い女の人がいる。
「熱心なエリス教徒なんだって。教会にも毎日通っているんだってね。
いやー、将来有望な後輩が敬虔な信徒だなんて嬉しいなあ」
あっ宗教だ。近づいちゃいけない。
昨日馬小屋でアクア先輩が言ってた。ゆすられて目がしっかり覚めたから覚えてる。
村は知らないけど都会のエリス教は恐ろしいのよ。一切縁もゆかりもないのにまるで知り合いみたいな顔をして付け込んでくるんだから。
話を聞かずに切り捨てる態度を見せなさい! それでもしつこいならヤバイエリス教徒よ!
「違います。お構いなく」
横を抜けてルナさんを目指す。
両肩を掴まれて引き留められる。
「いやいや、受付から話を聞いているから。それに毎朝教会に挨拶してるよね⁉
大丈夫、あたしは危ない人じゃないから。エリス様に誓うから。ねぇ、だから信じてよ!」
ソラ、覚えておきなさい。
エリス教徒の全てが貴方のマザーみたいな人じゃないの。実は、かわいいアクシズ教徒たちみたいな良い子たちは少ないの。
これだけは絶っっっ対に忘れちゃ駄目よ。困らされた時のおまじないよ。油汚れみたいにしつこくて邪悪なエリス教徒にはこの言葉をぶつけちゃいなさい!
振り向いて、紫色の瞳を見つめる。
「エリスの胸はパッド入り! エリスの胸はパッド入り!」
「いやあああああ‼」
エリス教徒の叫び声がうるさい。
マザーだったら、ぼくはもう縛り上げられてる。
アクア先輩の言うとおりだ! 邪悪なエリス教徒に効果はばつぐんだ!