夜もすっかり更けたころ、この日のモナコは珍しく街中が真っ暗であった。そんな中で、ある小さな黄色いフィアット500がモナコ国営のカジノ近くの路肩に留まっていたのだった。人通りも車の往来も一切、不気味なほどない中で、真っ暗な車内にはただライターによって点けられた小さな炎があるのみだった。
「ルパン」
トレードマークの中折帽を深く自分の頭に押し込みながら次元大介がそう言うと、隣に座っているルパン三世は何も言わずにライターの火を消してハンドルを手にとった。そして自分の口にくわえていた煙草をもう片方の手で取ると深々と煙と共に息を吐いたのだった。
時刻を見ればあと十分で0時となる。
「本当にやるんだな」
次元は俯きながら、そう独り言のように言った。ルパンの方はというと咥えなおした煙草をギュッと噛みながらただ向こうの方を見るばかりである。ハンドルを握る手は弱弱しい‥‥
「‥‥‥」
エンジンをかけるための鍵穴に差し込まれたキーをルパンは回そうとする。しかし、その手は刹那、止まってしまった。
「ルパン?」
次元がそう言うが早いか、ルパンは両の手を投げ出して席に深くもたれかかってしまった。
「‥‥なあ、次元。今日、俺たちはどういう計画を立てていたんだっけな」
「は‥‥?」
「いいから、話してくれ」
瞼が弛緩させて、似合わないような細々とした声でルパンはそういった。
「‥‥‥モナコの計画停電が十一時から六時まであって、その間にあの目の前にある国営カジノに忍びこむ。そして、警備の手もその日は穴があるからその合間を縫ってカジノ深奥にあるという大金庫から六時までにとにかく、取れるだけ取っておさらばする‥‥そうじゃないのか」
ルパンは咥えた煙草を再び手にとって煙を吐いた。
「おさらばねえ‥‥‥」
「柄にもないな、ルパン」
「なあに、ちょいと気の迷いがあるだけさ‥‥」
「‥‥‥気の迷いか‥‥」
「‥‥‥もうこの仕事で、泥棒からもおさらばだ‥‥」
二人の間に沈黙が降りた。この沈黙は彼等の中にキリキリと差し込まれるように沈痛なものである。
「‥‥そういえば五ェ門はどうしたんだ?」
次元が手を突っ込んでいるポケットをまさぐりながら尋ねた。
「ああ、あいつは途中から参加するのさ‥‥日本からの飛行機が遅れたらしいからな。今大急ぎで向かってるんだとよ」
「へえ‥‥‥」
「それで、アイツは仕事が終わったらすぐ帰るんだとよ」
「そうか」
「まあ、途中まで‥‥フランスの空港までこの車で一緒にするらしいが‥‥」
「‥‥‥‥そう‥‥‥‥か」
再び音は消えた。何重にもある透明なカーテンに仕切られたかの如く、彼らはこの虚無的な静けさの中に取り残されていたのだった。時折、わずかに車の走る音が聞える‥‥‥
「俺は‥‥‥一体、なんなんだろうな」
ルパンはその中で独り言のように話し始めたのだった。
「怪盗アルセーヌ・ルパンの孫だとか、世界一の大泥棒だとか‥‥‥そういうことを俺は散々言われてきたが‥‥‥‥だがなあ、俺はもうどうにもならねえ。この数年、俺はなあんににも成れなかった。能天気な十年前と違って‥‥」
「‥‥‥‥本当に柄にもねえぞ、贋物(にせもの)のようだぜ‥‥」
「‥‥‥‥贋物か‥‥‥‥」
「ああ‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
ふとしか瞬間にルパンは上体を起こした。
「なあ、次元。もし、俺たちが若くなれるんだとしたら、どうすればいいと思う?」
「ん‥‥‥なんだ。お前、そんな事聞いて‥‥‥‥」
「なあに、ちょいと聞いてみたいだけさ。あの能天気な時代に戻るにはどうしたらいいんだろうな」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
次元は少し考え込んだのだった。暫くして帽子の陰から目元を見せるとこういったのだった。
「ただ、本物を求めるだけかね‥‥‥‥」
「本物?」
「そうさ、贋物を穴とするならば、寧ろそのすっぽり空いた穴に本物というものを差し込むしかないさ‥‥‥‥」
ルパンはそういってきた次元の顏をじっと見つめた。しばらくして、煙草の灰が不意に彼のズボンに落ちたのだった。
「アチアチッ、チッキショウ」
大きく口を開き、歯を噛みしめながら彼は狭い車内で大騒ぎしたのだった。
「バカヤロッ、ルパン。騒ぐんじゃねえ」
「わかってらあ。アッ‥‥でも、アレッ、アチアチッ」
「なにやってんだ、バカ‥‥‥‥」
「次元、やべえよ煙草も口から落っこちてどっか行っちまった」
「そこだバカッ」
「ほえッ、何処だあ」
「おめえの股ンところにあるじゃねえか」
「アッ、ほんと‥‥‥‥アレッ、アチアチチチチチ」
「なにやってんだ。火種に直にさわりやがって‥‥‥‥」
「ああ~、大事なところが~」
「バカやりやがって‥‥‥‥」
ルパンが煙草を手に取ると、再び辺りは静まり返った。だが、二人の顏には微笑が浮かんでいたのだった。
「フフッ‥‥」
「ニヒヒヒ‥‥‥‥」
暫くすると、二人は肩を震わせて必死に内から湧き上がってくるものを抑え込もうとしていた。だが、ついに耐えきれなくなる‥‥‥‥
「アッハッハッハッハ」
「二ヒヒヒヒヒヒ」
時刻は丁度十二時である。
そのころには彼はすっかりおどけた顔になっていた。
「なあ、次元」
「なんだ」
「賭けをしようぜ」
「賭け?」
「話に聞いたんだがな、あの国営カジノにはどこからか偽札が出回ってきているらしいぜ。信憑性は薄いが大金庫にも入ってるんだとよ」
「ほお」
「もし‥‥‥‥」
「もし‥‥‥‥なんだ?」
「もし、その話が本当だとしたら‥‥‥‥つまり、俺たちが偽札でも掴まれたら‥‥‥‥」
「掴まれたら‥‥‥‥?」
「なあ、もういちど一切を捨てて泥棒になろうじゃないか」
「‥‥‥‥今度は何を盗むんだ?」
「決まってらあ、その『本物』というやつさ」
次元はすこしの間、ルパンを見つめた。そして、口角を少し上げるとこう返したのだった。
「‥‥‥‥いいぜ」
数時間後‥‥‥‥
‥‥‥‥
「前祝いにパァ〜〜ッとやっか!」
そう言うと、ルパンは立ち上がって車の天井を開けた。そして、ありったけの札束を自分の腕で包んで空にばら撒いたのだった。
「パァ〜〜」
そして、すぐに札束の山に潜り込んで再びハンドルを握ったのだった。
横に座っていた次元はその様子を見つつ、苦笑するとすぐさまルパンと同じことをしたのだった。
「そおれッ」
淡い橙色をした曙の空に向かって札束たちは舞い上がっていった。帯封はちぎれ、風にのってそれらはルパンが元来た方向へと戻っていく‥‥
「こォの、クソクソ、クソッ」
次元は車の中に詰まった札束を夢中になって掻きだして空にばらまいて行く。しばらくして、ルパンが車の扉をこじ開けた。札束は小さな小さなフィアット500には考えられないほど大量に車の天井や扉から外に向かって排出されていくのだった。周りの車はそれによってたじろいでしまうのだった‥‥