他人に歯磨きしてもらわないとレベル99になれない勇者です 作:きのこ大三元
魔法使いは、俺の歯磨き条件を聞いた時、かなり嫌そうな顔をした。
歯磨き前はレベル5。歯磨き後はレベル99。他人に歯を磨いてもらわないと加護が発動しない。膝枕状態だと追加バフ。
初対面の相手に説明するたび、俺の心を削ってきたその条件は、魔法理論に詳しい彼女の心も容赦なく削ったらしい。
「歯磨きでレベル99? そんな魔力式、聞いたことないんだけど」
それが、魔法使いの第一声だった。
ただ、魔法使いは現象を無視しなかった。納得はしていない。かなり不満そうだった。けれど、実際に加護が発動するなら解析する。戦力として必要なら手順を把握する。そう言って、彼女は勇者パーティの歯磨き担当ローテーションに巻き込まれた。
そして、今日。
俺は王城の一室で、魔法使いによる精密仕上げの再確認を受けることになっていた。
「先に言っておくけど」
魔法使いは、紺色のローブの袖を少し捲りながら言った。
「べ、別にあんたのためじゃないから」
「はい」
「勇者がレベル5のままだと困るだけ。戦士が前で守っても、僧侶が回復しても、肝心のあんたがレベル5のままじゃ作戦が崩れるでしょ」
「はい」
「だから、これは戦力維持。魔力分析。あと磨き残し確認」
「最後だけちょっと私情が入ってません?」
「入ってない」
即答だった。
嘘だと思う。
部屋には、戦士と僧侶もいた。戦士は壁際で腕を組み、完全に実戦訓練を見る顔をしている。僧侶は小さな卓の横に立ち、白い布と携帯用コップ、そして自分の柔らかい治療ブラシを念のため準備していた。
卓の中央には、勇者用歯磨きセット。
白い歯ブラシ。
神界製の歯磨き粉。
携帯用コップ。
折り畳まれた説明書。
その隣に、魔法使いが持ち込んだ魔力感応式の精密ブラシが置かれている。
黒に近い紺色の柄。表面に刻まれた銀色の魔法陣。淡い青色の細い毛先。光の角度によって、毛先の先端だけがわずかに光る。歯ブラシというより、魔導具の点検器具に見えた。
「やっぱり、それ、人の歯に使うものには見えないんですが」
「普通は魔導具の細部清掃に使うものよ」
「普通は」
「でも毛先は柔らかいし、魔力反応を見るには向いてる。歯茎に当てすぎなければ問題ないわ」
僧侶が静かに口を挟む。
「歯茎を傷つけない範囲でお願いしますね」
「分かってるわよ。そんな雑なことしない」
魔法使いは少しだけむっとした顔をした。
戦士がぼそりと言う。
「細かいからな、お前は」
「戦士に言われたくない。あなたの急速仕上げ、絶対雑でしょ」
「雑じゃない。早いだけだ」
「その言い方をする人はだいたい雑なのよ」
早速、担当者同士で揉め始めた。
僧侶がにこにこしながら間に入る。
「戦士様は急速仕上げ、私は安定ケア、魔法使い様は精密仕上げ。役割が違うだけです」
「その分類、聞くたびに俺の尊厳が削れるんですが」
「勇者様の安全のためです」
僧侶は優しかった。
優しいが、やはり逃げ道はない。
「勇者、座って」
魔法使いが椅子を指さす。
俺は観念して座った。背中を椅子に預け、少しだけ肩の力を抜く。僧侶に何度も言われたおかげで、歯磨き前の姿勢だけは少し慣れてしまった。
慣れたくなかった。
「今日は、第6話の時より細かく見るわ。前歯の表面、犬歯の横、奥歯の外側、前歯の裏側、奥歯の内側、噛み合わせの溝。あと歯茎の境目」
「項目が多い」
「磨き残しを許さないって言ったでしょ」
「言われてません」
「今言った」
魔法使いは精密ブラシを手に取り、神界製の歯磨き粉をほんの少しだけ毛先に乗せた。泡立ちすぎると魔力反応が見えづらいらしい。僧侶の治療ブラシの時より量は少なく、王女様の標準歯ブラシの時より明らかに控えめだった。
「口を開けて」
「……お願いします」
「その言い方、やめて」
「え?」
「なんか、こっちが変なことしてるみたいになるでしょ」
「実際、初対面に近い相手に歯を磨かれるのはかなり変です」
「うるさい。必要だからやるの」
魔法使いは顔を赤くしながら、精密ブラシを近づけた。
毛先が、前歯に触れる。
淡い青い光が、小さく揺れた。
「反応あり。前歯表面、弱反応」
シャコ、シャコ。
細い毛先が、前歯の表面を小さくなぞる。
僧侶の治療ブラシは、柔らかく包むような感覚だった。王女様の標準歯ブラシは、ぎこちないけれど真面目で、一生懸命さが伝わってきた。魔法使いの精密ブラシは、そのどちらとも違う。
狙いが細かい。
ひとつひとつの動きが小さい。歯の表面全体をざっと磨くのではなく、決めた場所を、決めた角度で、決めた回数だけなぞっていく。毛先が当たるたび、青い光がほんの少し揺れ、魔法使いの目がそれを逃さず追う。
「動かないで」
「……はい」
「舌はまだ動かさなくていい。今は前歯の表面」
「口を開けてるだけなのに指示が細かい」
「細かくしないとデータが取れないの」
シャコ、シャコ。
音は小さい。
だが、静かな部屋では妙にはっきり聞こえる。
戦士も僧侶も見ている。いや、直接口の中を覗いているわけではない。だが、同じ部屋にいる。歯磨きされている事実は消えない。
恥ずかしい。
しかも、魔法使いが近い。
普段は強気で、すぐツンとした顔をするくせに、今は耳まで赤くしながら真剣に歯ブラシを動かしている。
ツンデレなのに、歯磨きだけやたら丁寧。
その落差に、俺の方が振り回される。
「次、犬歯の横」
魔法使いの指先が角度を変える。
毛先が犬歯の横へ触れた瞬間、青い光が少しだけ強くなった。
「ここ、少し反応が上がるわね」
「……そうなんですか」
「喋らなくていい。動く」
「はい」
「あと、そこで舌が逃げようとしてる」
「見ないでください」
「見ないと磨けないでしょ」
正論だった。
魔法使いの正論は、戦士より細かいところから刺してくる。
「勇者がレベル99になる条件に歯磨きが関わってるなら、磨き残しはリスクよ。発動が不安定になったら困る。だから、どこを磨けば反応が安定するのか見る必要がある」
魔法使いはそう説明しながら、犬歯の横を細かく磨いた。
シャコシャコ。
前歯より少しだけ音が近い。
毛先が歯と歯の間をなぞる。くすぐったい。けれど、避けようとするとすぐ指摘される。逃げられない。動けない。魔法使いの目が、歯ブラシの動きと魔力反応を同時に見ている。
「そこ、力入ってる」
「……入りますよ」
「抜いて」
「簡単に言いますね」
「簡単じゃなくても抜いて。磨きにくい」
厳しい。
だが、乱暴ではない。
指示は多い。注意も多い。けれど、毛先の動き自体はかなり丁寧だった。歯茎に強く当てないように角度を調整し、俺が少し動くとすぐ止まり、落ち着くとまた細かく動かす。
ツンデレなのに。
やっぱり、歯磨きだけやたら丁寧だった。
「次、奥歯の外側。少し口を開けて」
「……はい」
「開けすぎ。顎疲れるでしょ」
「どっちですか」
「ちょうどいいところ」
「それが難しいんです」
「慣れなさい」
無茶を言われている気がする。
だが、魔法使いは本当にちょうどいい角度を探していた。顎に負担がかかりすぎず、毛先が奥歯の外側へ届く角度。僧侶が見ていたら「良い調整です」と言いそうな細かさだった。
奥歯の外側に、精密ブラシが触れる。
シャコシャコ。
毛先が歯の凹凸に沿って動く。
「ここ、反応強い」
「……どこですか」
「奥歯の外側と歯茎の境目。ケアされてるって認識が強いのかも」
「その分析、今聞かされると恥ずかしいんですが」
「聞かせてるんじゃなくて記録してるの」
「口に出てます」
「……うるさい」
魔法使いは少しだけ顔を赤くして、手元に視線を戻した。
戦士が壁際で呟く。
「精密仕上げは時間がかかるな」
「黙ってて。急速仕上げと違って、こっちは磨き残しを潰してるの」
「実戦前に毎回それをやる時間はない」
「だから用途を分けるって話でしょ。通常戦闘前は短縮版、余裕がある時は精密版。バフ切れが怖いなら、最初から手順を決めておけばいい」
魔法使いは歯ブラシを動かしながら、戦士へ返した。
器用だった。
俺の奥歯を磨きながら、戦士と戦術会話をしている。
その内容が俺の歯磨き手順なので、まったく安心できない。
僧侶が微笑む。
「戦士様の急速仕上げ、私の安定ケア、魔法使い様の精密仕上げ。ローテーションの中でも、状況によって使い分けられそうですね」
「担当者会議を俺の口でしないでください」
口を開けたまま言ったせいで、少し変な声になった。
魔法使いがすぐに反応する。
「喋らない。奥歯の位置がずれる」
「すみません」
「謝らなくていいから動かない」
完全に磨き残し警察だった。
次は、前歯の裏側。
魔法使いがそう言った瞬間、俺の体が少し強張った。
前歯の裏側は、何度磨かれても慣れない。舌が反射的に動く。歯ブラシを避けようとする。自分でも分かっているのに、なかなか止められない。
魔法使いは、それを見逃さなかった。
「ほら、舌」
「……すみません」
「謝らなくていいけど、動くと分かりづらい」
「魔力反応が、ですか」
「それも。あと磨き残し」
「やっぱりそこなんですね」
魔法使いは、ほんの少しだけ視線を逸らした。
「べ、別にあんたの口の中を見たいわけじゃないから。発動条件を確認してるだけだから」
「はい」
「あと、磨き残しがあると気になるだけ」
「はい」
「何よ」
「いえ、ありがとうございます」
「お礼を言うところじゃない」
魔法使いは照れたように顔をしかめ、精密ブラシを前歯の裏側へ入れた。
シャコ、シャコ。
音が近い。
細い毛先が、前歯の裏側を小さくなぞる。歯の表側よりも、ずっとくすぐったい。舌が動こうとするたび、魔法使いの指先が止まる。無理に追わない。乱暴にはしない。ただ、逃がしもしない。
待つ。
角度を変える。
また磨く。
細かい。
本当に細かい。
「そこ、力を抜いて」
「……はい」
「まだ少し入ってる」
「どこまで見えてるんですか」
「毛先の反応で分かる。舌が押し返すと、魔力の揺れ方が変わるのよ」
「そんなところまで」
「だから精密ブラシなの」
魔法使いは少し得意げだった。
その表情が、妙に可愛かった。
いや、今の状況でそう思うのは危険だ。口を開けたまま、魔法使いに前歯の裏側を磨かれている。しかも相手はツンデレで、耳まで赤いのに手元だけは異様に丁寧。
落差がひどい。
俺の精神に悪い。
「何か変なこと考えてない?」
「考えてません」
「反応が乱れた」
「魔力反応で内心を読まないでください」
「読んでない。乱れたのは加護の立ち上がり」
「なおさら恥ずかしいです」
戦士が、少し呆れたように言う。
「お前たち、戦闘前に毎回それをやる気か」
「毎回じゃないわよ。精密仕上げは余裕がある時だけ」
魔法使いは即答した。
「でも、最低限の磨き残し確認は必要。特に奥歯の内側と噛み合わせの溝。そこを雑にすると、反応が不安定になる可能性がある」
俺は嫌な単語を聞いた。
奥歯の内側。
そこは、僧侶の時も大変だった場所だ。
「次、奥歯の内側」
魔法使いが宣告する。
「少し大きく開けて。舌は下げる。顎は固めない。肩に力を入れない」
「注文が多い」
「必要な注文よ」
精密ブラシの毛先が、奥歯の内側へ入る。
くすぐったい。
かなりくすぐったい。
前歯の裏側よりも逃げ場が少ない。舌が近い。顎も疲れる。けれど魔法使いは容赦なく、いや、正確には容赦はあるのだが、確認をやめない。
シャコシャコ。
奥歯の内側で、小さな音が続く。
毛先は細く、柔らかい。だが、狙いは鋭い。噛み合わせの溝、歯と歯の間、歯茎に近い境目。普通の歯ブラシでは流してしまいそうな場所を、魔法使いは順番に拾っていく。
「ここ、磨き残しやすい」
「……自分でも分かってます」
「分かってるなら普段からちゃんと磨きなさいよ」
「自分で磨いても加護は出ないんです」
「虫歯予防にはなるんでしょ」
「なります」
「じゃあやりなさい」
「はい」
当たり前のことを叱られた。
戦士には実戦で叱られる。
僧侶には体調管理で優しく逃げ道を塞がれる。
魔法使いには磨き残しで詰められる。
パーティが完成するほど、俺の生活管理が厳しくなっていく。
「勇者」
「……はい」
「力、少し抜けてきた」
「言わないでください」
「良いことなんでしょ。僧侶が言ってた」
「良いことなのが嫌なんです」
「変なの」
魔法使いはそう言いながら、手元の動きを止めなかった。
だんだん、本当に力が抜けてきた。
悔しい。
魔法使いの指示は細かいし、口調はきついし、いちいち磨き残しを指摘される。なのに、動き自体は丁寧で、狙いが正確で、雑な不安がない。
任せられる。
そう思ってしまう。
それがまた恥ずかしい。
「最後、噛み合わせの溝」
魔法使いはそう言って、奥歯の表面を軽くなぞった。
シャコ、シャコ。
細かい音が短く続く。
毛先の青い光が、さっきよりも少し強く揺れた。
「反応、安定。出力の立ち上がりも悪くない。精密仕上げとしては成功ね」
魔法使いは、そこでようやく歯ブラシを離した。
「はい、終わり。口をすすいで。泡が残ってると反応が見えにくい」
俺は携帯用コップを受け取り、水で口をすすいだ。
歯の表面が滑らかだった。前歯の裏側も、奥歯の内側も、噛み合わせの溝まで妙にすっきりしている。僧侶の時とは違う安心感がある。包まれるというより、隅々まで確認されて、もう大丈夫だと言われたような感覚だった。
その直後、胸の奥で光が弾けた。
手足が軽くなる。視界が澄む。部屋の音が、急にはっきりと聞こえ始める。
レベル99。
魔法使いの精密仕上げでも、勇者の加護は問題なく発動した。
しかも、立ち上がりが滑らかだった。
強い力が一気に体を押し上げるのではなく、細い線が一本ずつつながっていくように、静かに満ちていく。僧侶の安定ケアとはまた違う。魔法使いの精密仕上げは、力の流れが整えられている感じがした。
「反応確認。出力上昇。魔力流量、安定。前回より立ち上がりが少し綺麗ね」
魔法使いが杖の先端に浮かんだ青い光を見ながら言う。
「やっぱり、磨く順番と部位で発動の質が変わる。前歯だけでも発動はするけど、奥歯の内側と噛み合わせの溝まで入れた方が、魔力の流れが揃いやすい」
僧侶が感心したように頷く。
「では、落ち着いて準備できる時は、魔法使い様の精密仕上げが向いていそうですね」
「時間はかかるけどね。急ぎなら戦士、疲労がある時は僧侶、精度が必要なら私。そういう分け方でいいと思う」
戦士が頷く。
「実戦前に毎回そこまでやる時間はない。だが、強敵前なら必要かもしれないな」
「そういうこと。別にあんたのために丁寧にしたわけじゃないから」
魔法使いは、俺を見ずに言った。
「勇者の出力が安定しないと、こっちの作戦も組めない。磨き残しで加護が不安定になるなんて、後衛としては許せないだけ」
「ありがとうございます」
「だから、お礼を言うところじゃないってば」
魔法使いは顔を赤くしたまま、精密ブラシを白い布で丁寧に拭いた。
その手つきが、最後まで丁寧だった。
ツンデレなのに。
磨き残しには本気。
そこが、彼女らしいのだと思う。
「それでは、今日の記録をまとめますね」
僧侶が手帳を開く。
「戦士様、急速仕上げ。僧侶、安定ケア。魔法使い様、精密仕上げ。勇者様の状態や戦闘前の時間に応じて、担当者を切り替える形で運用」
戦士が頷く。
「急ぎなら私だ」
僧侶が微笑む。
「疲労や顎の負担がある時は、私が見ます」
魔法使いがそっぽを向く。
「磨き残しが気になる時は、私が見るわ。……別に、見たいわけじゃないけど」
俺は、三人を見た。
前衛。
回復。
魔法支援。
そして、歯磨き担当ローテーション。
普通の勇者パーティとは、何かが決定的に違う。
けれど、なぜだろう。
少しだけ、安心してしまった。
俺はレベル5だ。
でも、誰かに頼ればレベル99になれる。
戦士が前で守ってくれる。
僧侶が体調を見てくれる。
魔法使いが磨き残しまで確認してくれる。
頼れる。
頼れるのに、恥ずかしい。
恥ずかしいのに、頼もしい。
このパーティ、だいぶおかしい。
でも、たぶん強い。
「勇者」
魔法使いが言った。
「はい」
「次の精密仕上げまでに、自分でも奥歯の内側ちゃんと磨いておきなさいよ」
「加護は出ないのに?」
「虫歯予防にはなるんでしょ」
「なります」
「じゃあやりなさい」
また、当たり前のことで叱られた。
こうして、魔法使いによる初めての精密仕上げは無事に終わった。
結果は、加護発動成功。
魔力流量、安定。
磨き残し、なし。
勇者の羞恥心、かなり大きめ。
そして魔法使いの照れ隠し、かなり分かりやすめ。
なお、本人は最後まで認めなかった。
別に、俺のためじゃないらしい。
次回予告
戦士
「次の戦闘まで時間がない。私が最速で仕上げる」
僧侶
「勇者様の顎への負担も考えてくださいね」
魔法使い
「磨き残しがあったら加護が不安定になるかもしれないでしょ」
勇者
「担当者会議を俺の口でしないでください」
次回、第7話
「戦闘前歯磨き、当番制になる」
勇者パーティ、なぜか歯磨きローテーションで揉め始める。