他人に歯磨きしてもらわないとレベル99になれない勇者です   作:きのこ大三元

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第7話「戦闘前歯磨き、当番制になる」

勇者パーティは、王都を出た。

 

 前衛担当の戦士。回復と口腔ケア担当の僧侶。魔法支援と魔力分析担当の魔法使い。そして、歯磨き前はレベル5、歯磨き後だけレベル99になる俺。

 

 王道のようで、何かが決定的におかしいパーティだった。

 

 王女様から正式な旅の許可が出たのは、魔法使いの加入から数日後のことだった。王国周辺では小規模な魔物被害が増えており、勇者パーティには各地の街道警備、村の護衛、魔物退治の依頼が回されることになった。

 

 普通の勇者なら、ここから冒険が始まる。

 

 俺たちの場合は、まず歯磨き当番表が作られた。

 

「……これ、旅のしおりですか?」

 

 宿屋の一室で、俺は卓の上に置かれた紙を見下ろした。

 

 紙には、きれいな字でこう書かれている。

 

 戦士――急速仕上げ。

 僧侶――安定ケア。

 魔法使い――精密仕上げ。

 勇者――磨かれる側。

 

「最後の項目、必要ですか?」

「必要だろ。お前が勝手に磨く側へ回ったら困る」

 

 戦士が即答した。

 

「俺、自分で磨けますよ」

「加護は?」

「出ません」

「なら磨かれる側だ」

 

 正論だった。

 

 戦士の正論は、旅に出ても重い。

 

 僧侶は紙の横に小さな手帳を置き、今日の勇者の体調欄を確認していた。神殿治療院用の柔らかい治療ブラシも、白い布に包まれて丁寧に置かれている。

 

「勇者様の加護は、戦闘力だけでなく体調や精神状態にも影響される可能性があります。担当者を分けて記録しておけば、どの状況でどの仕上げが向いているか分かると思います」

「すごく真面目に管理されている」

「口腔ケア記録ですから」

 

 便利な言葉がまた出た。

 

 魔法使いは窓際で魔導書を開きながら、魔力感応式の精密ブラシを点検している。紺色の柄に刻まれた銀色の魔法陣が、朝の光を受けて淡く光っていた。

 

「私は毎回やる気はないから。精密仕上げは時間がかかるし、戦闘前に毎回やってたら効果時間が削れるでしょ」

「では、魔法使い様は強敵前や加護反応確認が必要な時ですね」

「そう。あと、磨き残しが疑われる時」

「疑われる時とは」

「勇者が普段の歯磨きを雑にしていた時」

「急に生活指導」

 

 魔法使いは顔を上げずに言った。

 

「虫歯予防にはなるんでしょ。自分でもちゃんと磨きなさいよ」

「はい」

 

 また当たり前のことで叱られた。

 

 こうして、勇者パーティの旅は始まった。

 

 聖剣ではなく、勇者用歯磨きセットを携えて。

 

 

 最初の依頼は、王都東の街道に出るスライムと角兎の討伐だった。

 

 旅慣れた冒険者なら、そこまで苦労する相手ではないらしい。だが、俺は歯磨き前レベル5である。単体のスライムなら何とかなるが、複数に囲まれれば普通に危ない。角兎に突っ込まれれば、たぶん転ぶ。運が悪ければ刺さる。

 

 だから、戦闘前に準備が必要だった。

 

「時間が惜しい。私がやる」

 

 森の手前で、戦士が実戦用の歯ブラシを取り出した。

 

 王国で用意された、やや硬めの実戦用ブラシだ。柄は短く、持ちやすい。毛先は僧侶の治療ブラシよりしっかりしていて、見るからに素早く仕上げるための道具だった。

 

「戦士さん、もう少し言い方を」

「口を開けろ、勇者。戦闘前の準備だ」

「言い方」

「早くしろ。魔物が待ってくれると思うな」

 

 もっともだった。

 

 俺は観念して口を開ける。

 

 戦士の歯磨きは早かった。

 

 シャカ、シャカ、シャカ。

 

 前歯、犬歯、奥歯の外側。必要な場所を迷わず通り、短い動きで泡を広げていく。僧侶のような包み込む優しさも、魔法使いのような細かい確認もない。ただ、戦闘に間に合わせるための最短距離だった。

 

「動くな」

「……はい」

「口を閉じるな」

「……はい」

「変な顔をするな。磨きにくい」

「変な顔くらいしますよ」

「するな」

 

 厳しい。

 

 けれど、本当に早い。

 

 雑ではない。少なくとも、最初の頃よりはずっと上手くなっている。必要な場所を短時間で通し、最後に奥歯の外側を強めに仕上げて、戦士は歯ブラシを離した。

 

「すすげ」

 

 俺は携帯用コップで口をすすいだ。

 

 胸の奥で光が弾ける。手足が軽くなり、視界が澄む。森の奥で動く魔物の気配まで、はっきり分かった。

 

 レベル99。

 

「発動しました」

「よし。前に出ろ。ただし、30分だ。無駄に走るな」

 

 戦士はそう言って、大剣を肩に担いだ。

 

 魔法使いが杖を構える。

 

「急速仕上げ、だいたい一分以内ね。発動は問題なし。出力は少し荒いけど、雑魚戦なら十分」

「誰が荒いだ」

「出力の話よ。あなたの手つきの話も少しあるけど」

「なんだと」

 

 戦闘前に揉めないでほしい。

 

 だが、魔物は待ってくれない。

 

 草むらから、スライムの群れが飛び出した。

 

 俺は地面を蹴る。

 

 体が軽い。

 

 剣が羽のように振れる。

 

 一歩で距離を詰め、横に振った一撃でスライムの群れをまとめて弾き飛ばす。角兎が突っ込んでくる前に、戦士が大剣で進路を潰し、魔法使いの火球が残った群れを焼き払う。僧侶の結界が後方を守り、逃げた魔物もすぐに追い込まれた。

 

 最初の依頼は、あっさり終わった。

 

 歯磨き後なら。

 

「本当に、磨いた後だけは勇者なんだよな」

 

 戦士が呟いた。

 

「磨く前も勇者です」

「レベル5だろ」

「はい」

「なら後ろにいろ」

 

 何も言い返せなかった。

 

 

 次の依頼は、街道沿いの荷馬車護衛だった。

 

 商人の荷馬車を半日ほど守るだけの仕事だったが、途中で魔物が二度出た。最初は問題なかった。戦士の急速仕上げでレベル99になり、角兎と小型狼をまとめて退けた。

 

 問題は、二度目だった。

 

 歯磨き後の効果時間は、およそ30分。

 

 最初の戦闘から荷馬車を進め、森の細道を抜ける頃には、その時間がかなり怪しくなっていた。

 

「勇者、今の感覚は?」

 

 僧侶が歩きながら聞いてくる。

 

「少し軽さが落ちてきました。剣はまだ振れますけど、さっきほどではないです」

「効果時間が切れかけていますね」

「切れかけてるって言葉、戦闘中だとかなり怖いですね」

 

 魔法使いが杖の先端に小さな青い光を浮かべる。

 

「魔力反応も落ちてる。あと五分くらいで、たぶんレベル5寄りに戻るわ」

「あと五分」

 

 その瞬間、荷馬車の前方で馬が嘶いた。

 

 木陰から、黒い毛並みの狼型魔物が三体現れる。さらに後ろの茂みにも、気配があった。

 

 連戦だった。

 

「戦士さん、もう一回お願いします!」

「待て。さっき私がやっただろ」

「え?」

「ローテーションだ。次は僧侶じゃないのか」

 

 戦士が真顔で言った。

 

 魔物が近づいている。

 

 この状況で当番制の話を始めないでほしい。

 

 僧侶は治療ブラシのケースを手に取りつつ、冷静に俺の顔色を見た。

 

「勇者様、先ほどの戦闘で少し肩に力が入っています。次は私が安定ケアを行った方がよいかもしれません」

「今から丁寧にやる時間あります?」

「短縮版で行います」

 

 魔法使いが横から口を挟む。

 

「でも、僧侶の短縮版でも戦士より時間がかかるでしょ。狼型が三体、後ろにも気配。ここは急速仕上げをもう一回の方が安全じゃない?」

「お前、さっき私の仕上げを荒いと言っただろ」

「荒いけど早い。今は早さが必要」

「褒めてるのか貶してるのかはっきりしろ」

「両方」

 

 狼型魔物が低く唸る。

 

 荷馬車の商人が震えながらこちらを見ている。

 

 俺は思った。

 

 なぜ、魔物の前で俺の歯磨き担当が揉めているのか。

 

「皆さん、揉めてる場合じゃありません!」

「分かっている」

「分かっています」

「分かってるわよ」

 

 三人は同時に答えた。

 

 分かっている人たちの動きではない。

 

 僧侶が一歩前に出る。

 

「今回は私が行います。勇者様の呼吸が少し乱れています。戦闘前に整えた方が、次の加護が安定します」

「時間は?」

 

 戦士が問う。

 

「二分以内で」

「長い」

「では一分半で」

「よし」

 

 決まった。

 

 俺は荷馬車の陰に座らされ、僧侶の治療ブラシを受け入れることになった。

 

 魔物が唸っている。

 

 戦士が前で牽制している。

 

 魔法使いが結界を張っている。

 

 その後ろで、俺は僧侶に歯を磨かれている。

 

 冷静に考えると、かなり異常な光景だった。

 

「勇者様、口を開けてください」

「……お願いします」

「肩の力を抜いて。顎は上げすぎないように」

「今、魔物が目の前にいるんですが」

「だからこそ、呼吸を整えます」

 

 僧侶の歯磨きは、短縮版でも丁寧だった。

 

 シャコ、シャコ。

 

 柔らかい毛先が前歯を通り、奥歯の外側へ流れる。戦士の急速仕上げより遅いが、その分、呼吸に合わせてくれる。顎が疲れない角度を選び、力が入ると一瞬止まり、また動く。

 

「大丈夫です。すぐに戦える状態にします」

 

 その声が、妙に落ち着いた。

 

 魔物の唸り声が聞こえているのに、肩の力が抜ける。焦りで浅くなっていた呼吸が、少し深くなる。

 

 恥ずかしい。

 

 だが、安心する。

 

 僧侶の安定ケアは、そういう歯磨きだった。

 

「終了です。すすいでください」

 

 俺は水で口をすすぐ。

 

 胸の奥で、再び光が弾けた。

 

 さっきより静かな力だった。戦士の急速仕上げのように一気に跳ね上がる感覚ではなく、体の中心から整っていくような加護の発動。

 

 レベル99。

 

「行けます」

「よし、前へ出ろ!」

 

 戦士の声で、俺は地面を蹴った。

 

 狼型魔物の一体が飛びかかってくる。剣を横に払うと、空気ごと裂くように魔物が吹き飛んだ。二体目は魔法使いの氷弾で足を止められ、戦士の大剣が叩き伏せる。三体目が荷馬車へ回り込もうとしたところで、俺が前へ出て進路を潰した。

 

 後ろの茂みから出てきた二体も、数分で片付いた。

 

 商人は荷台の陰から顔を出し、震えた声で言った。

 

「あ、ありがとうございました、勇者様……」

 

 俺は剣を下ろし、少しだけ胸を張りかけた。

 

 その瞬間、商人の視線が俺の手元の携帯用コップに落ちる。

 

「……あの、今のは」

 

 まずい。

 

 戦士が即座に前へ出た。

 

「戦闘前の儀式だ。気にするな」

 

 僧侶が続ける。

 

「勇者様に必要な口腔ケアです」

 

 魔法使いも言う。

 

「戦力維持よ。深く考えると会議が止まるわ」

 

 三人が別々の言い方で誤魔化した。

 

 誤魔化せている気はしなかった。

 

 

 その後も、旅は続いた。

 

 小さな村でスライムを退治し、森の入口で角兎を追い払い、街道沿いの祠に巣食ったコウモリ型の魔物を倒した。大きな事件はまだない。魔王軍の幹部が出てくるわけでもなく、四天王が姿を見せるわけでもない。

 

 だが、勇者パーティの日常は確実に変わっていった。

 

 戦闘前には、まず効果時間を確認する。

 

 残り時間が十分なら、そのまま戦う。

 

 切れかけていれば、誰かが磨く。

 

 急ぎなら戦士。

 

 疲れていれば僧侶。

 

 反応が不安定なら魔法使い。

 

 それが、少しずつ当たり前になっていった。

 

「次の依頼は、洞窟の小型魔物退治ですね」

 

 夕方、宿屋の食堂で僧侶が依頼書を確認する。

 

「洞窟か。狭いなら、勇者を前に出す時間は短くした方がいい」

 

 戦士が地図を見る。

 

「魔力反応が乱れやすい場所かもしれないわね。戦闘前に一度、精密仕上げで安定させた方がいいかも」

 

 魔法使いが言う。

 

 俺はパンをちぎりながら、三人の会話を聞いていた。

 

 前衛配置の話。

 

 回復の準備。

 

 魔力反応の確認。

 

 歯磨き担当の相談。

 

 全部が同じ作戦会議の中に入っている。

 

「……慣れって怖いですね」

 

 俺が呟くと、戦士がこちらを見る。

 

「慣れた方が死ににくい」

「正論」

 

 僧侶が微笑む。

 

「勇者様が必要な時に頼れるようになるのは、良いことです」

「頼る内容が歯磨きなんですよね」

「必要なケアですから」

 

 魔法使いはそっぽを向いた。

 

「べ、別に慣れたわけじゃないから。ただ、誰がどの状況で磨くか決めておかないと、戦闘中に揉めるでしょ」

「今日揉めましたよ」

「だから決めるの」

 

 もっともだった。

 

 その夜、正式なローテーション表が更新された。

 

 通常戦闘前――戦士。

 連戦後、疲労あり――僧侶。

 強敵前、反応確認――魔法使い。

 王国式儀式や公式行事――王女様。

 膝枕追加バフ――要相談。

 

「最後の項目を消してください」

 

 俺は即座に言った。

 

 僧侶が首を傾げる。

 

「ですが、追加効果があるのは確認済みですよね」

「ありますけど」

「強敵戦では検討すべきです」

 

 戦士が真顔で言った。

 

「必要ならやれ」

「戦士さんまで」

「魔王軍相手に恥ずかしがって死ぬよりマシだ」

 

 魔法使いが、なぜか少し不機嫌そうにローテーション表を見る。

 

「膝枕追加バフって、誰が担当するのよ」

 

 部屋が静かになった。

 

 戦士が僧侶を見る。

 

 僧侶が魔法使いを見る。

 

 魔法使いが戦士を見る。

 

 俺は、そっと椅子から立とうとした。

 

「勇者」

 

 三人の声が重なった。

 

 逃げられなかった。

 

「今回は決めない」

 

 戦士が腕を組んで言う。

 

「そうですね。必要な時に、勇者様の状態を見て判断しましょう」

 

 僧侶が微笑む。

 

「べ、別に私は気にしてないけど。戦力維持の話だし」

 

 魔法使いが視線を逸らす。

 

 全員、言っていることは真面目だった。

 

 真面目なのに、内容がおかしい。

 

 俺は深く息を吐いた。

 

「分かりました。戦闘前は、ちゃんと頼みます」

 

 戦士が頷く。

 

「それでいい。レベル5で前に出るな」

 

 僧侶が続ける。

 

「必要な時は、遠慮なく言ってくださいね」

 

 魔法使いが小さく言う。

 

「……言わなかったら、こっちで判断するから」

 

 頼もしい。

 

 頼もしいのに、逃げ場がない。

 

 こうして、勇者パーティの歯磨きローテーションは正式に運用され始めた。

 

 戦士は早い。

 

 僧侶は丁寧。

 

 魔法使いは細かい。

 

 俺は磨かれる。

 

 旅の通常業務として、魔物退治、荷馬車護衛、宿探し、食料管理、そして戦闘前歯磨きが並ぶようになった。

 

 世界を救う旅は、たぶん順調に進んでいる。

 

 ただし、俺の羞恥心も順調に削れている。

 

 そのうち慣れるのだろうか。

 

 慣れたら慣れたで、人として何かを失う気がする。

 

 翌朝。

 

 次の目的地である小さな村へ向かう前、戦士が荷物を確認し、僧侶が回復薬を整え、魔法使いが魔力感応式の精密ブラシを革ケースにしまった。

 

「勇者、歯磨きセットは持ったか」

「はい」

「歯磨き粉の残量は?」

「半分以上あります」

「携帯用コップは?」

「あります」

「自分用の歯ブラシは?」

「あります」

 

 魔法使いが頷く。

 

「よし」

 

 僧侶が微笑む。

 

「では、出発しましょう」

 

 戦士が扉を開ける。

 

「次の村でも魔物が出ているらしい。気を抜くな」

 

 俺は勇者用歯磨きセットの箱を背負い直した。

 

 聖剣ではない。

 

 けれど、今の俺にはこれが必要だった。

 

 歯磨き前はレベル5。

 

 歯磨き後はレベル99。

 

 効果時間は約30分。

 

 そして、誰が磨くかで揉める。

 

 これが、俺たちの旅の基本になりつつあった。

 

 たぶん、普通の勇者パーティとは違う。

 

 だが、俺たちはこれで進むしかない。

 

 俺は仲間たちの背中を追い、朝の街道へ踏み出した。

 

 次の村で、俺の条件を知らない誰かが待っているとも知らずに。




次回予告
 
村娘
「つまり……勇者様は、歯を磨いてもらわないと戦えないんですか?」
 
勇者
「はい」
 
戦士
「レベル5のままだと、村を守るどころか守られる側だ」
 
僧侶
「勇者様には、戦闘前の口腔ケアが必要なのです」
 
魔法使い
「説明される側の反応、毎回同じね」
 
村娘
「えっと……私で、よければ」
 
勇者
「また知らない人に説明する流れだ……」
 
次回、第8話
「村娘、勇者様の条件を聞いて固まる」
 
勇者の歯磨き条件、ついに一般人にも知られ始める。
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