他人に歯磨きしてもらわないとレベル99になれない勇者です 作:きのこ大三元
王都へ戻る道中、俺は少しだけ安心していた。
ハルト村を救い、宿場町や市場町で依頼をこなし、「歯磨き勇者」というあだ名も広まり始めた。精神的な被害は大きい。かなり大きい。
だが王都には、俺の条件を知る王女様や兵士、神官たちがいる。今さら「本当に歯磨きで強くなるんですか」と聞かれることも減るはずだ。
そう思っていた。
甘かった。
「勇者様、お帰りなさいませ」
王城の広間では、王女様が微笑んでいた。その後ろには、妙に多くの兵士と神官たちが並んでいる。しかも全員、どこか期待した目でこちらを見ていた。
嫌な予感がする。
「勇者様のご活躍は、王都にも届いております」
王女様は、ハルト村や街道、市場町での成果を簡潔に称えた。そこまでは普通だった。
「同時に、勇者様の加護条件と、歯磨きの重要性についても関心が高まっています」
普通ではなくなった。
俺は戦士を見る。
目を逸らされた。
僧侶は微笑んでいる。
魔法使いは額を押さえていた。
「王女様」
「はい」
「嫌な予感がします」
「良いことですよ」
王女様は真っすぐな目で答えた。
「歯磨きの大切さが広まっているのですから」
この国の真面目な人たちは、「歯磨き」という言葉が入ると前向きになるらしい。
「そこで、王国としても正式に普及を進めることになりました」
「正式に?」
「はい」
王女様が羊皮紙を広げる。
王国式歯磨き講習会。
俺は静かに目を閉じた。
やはり嫌な予感だった。
講習会は、驚くほど真面目に準備されていた。
場所は王城の中庭。兵士の訓練場の隣に机と椅子が並び、その上には標準歯ブラシ、歯磨き粉、携帯用コップ、白い布、説明書が用意されている。
神官たちは水差しを運び、兵士たちは整列していた。
訓練場の隣で歯磨き講習会。
絵面がおかしい。
「武器の手入れ、防具の点検、魔力の確認。そして口腔ケア」
王女様は、日々の健康管理が王国軍の力にも繋がると説明した。
言っていることはまともだった。
原因が俺でなければ。
一人の兵士が手を上げる。
「歯磨き後、我々もレベル99になりますか?」
「なりません」
王女様は即答した。
勇者の加護は特別であり、普通に歯を磨いてもレベル99にはならない。兵士たちは少し残念そうだった。
なぜ残念そうなのか。
僧侶が、歯を清潔に保つことは体調管理や戦闘時の集中力にも関わると補足する。兵士たちは真剣に頷いた。
「普通の健康講習としては間違ってないのよね」
魔法使いが小声で言う。
「だから困るんです」
戦士も腕を組んだ。
「虫歯で集中できない前衛など困る」
「戦士さんまで真面目側に」
「歯磨きで強くなるのはお前だけだ。歯が痛ければ誰でも弱くなる」
正論だった。
歯磨き講習会でも、戦士の正論は重い。
今度は神官が手を上げた。
「他者による口腔ケアは、助け合いを象徴する神聖な行為と考えてよいのでしょうか」
やめてほしい。
神聖な行為にしないでほしい。
王女様は少し考え、勇者の加護には相手を信頼し、助けを求める心も関係しているようだと答えた。
神官たちがざわめく。
「口腔ケアに信頼の祈りを……」
「歯ブラシは奉仕の象徴……」
話が大きくなっている。
「止めてください」
「無理よ。もう目が真面目だもの」
魔法使いは諦めていた。
僧侶も少し嬉しそうである。
「助け合いとして考えるのは、良いことだと思います」
「僧侶さん?」
「もちろん、勇者様を教材にするのは避けるべきですが」
味方がいた。
そう思った直後、王女様が言った。
「そこで本日は、勇者様にもご協力いただき、実際の手順を――」
「待ってください」
俺は即座に止めた。
「まさか、俺を教材にするつもりですか?」
「教材というより、実例です」
「ほぼ教材です」
勇者の加護は、王国にとって重要な研究対象でもあるらしい。
「研究対象にもなってる」
「それは前からよ」
「言わないでください」
戦士が一歩前に出た。
「勇者を実演に使う必要はない。効果時間が無駄になる」
理由は実戦効率だったが、助かった。
僧侶も、勇者の精神的負担が大きいため、模型を使うべきだと反対する。魔法使いも、特殊すぎる加護を一般人向けの講習に使えば誤解が増えると指摘した。
王女様は三人の意見を聞き、頷く。
「では、勇者様本人を教材にする案は撤回します」
助かった。
「代わりに、こちらを用意しました」
侍女たちが運んできたのは、木製の大きな口腔模型だった。歯も舌もあり、かなりよくできている。
胸元には、小さく「勇者様モデル」と書かれていた。
「待ってください」
俺はもう一度止めた。
「この名前は何ですか」
「勇者様の加護をきっかけに作られたので」
「俺の口の模型ではないですよね?」
「もちろん違います」
「なら変えてください」
王女様は少し考える。
「では、勇者式口腔模型で」
「悪化しました」
魔法使いの肩が揺れている。
「笑ってます?」
「笑ってない」
「勇者式口腔模型」
「繰り返さないでください」
戦士も口元を押さえていた。
「戦士さんまで?」
「実用的な模型だ」
「笑いを我慢してますよね」
「していない」
僧侶は模型を確認し、真面目に頷いた。
「前歯、奥歯、歯茎の境目まで説明できますね」
「僧侶さんは模型側なんですね」
「講習には良い道具です」
俺の味方は減った。
講習会は予定通り始まった。
王女様が開会の挨拶をし、僧侶が正しい力加減、魔法使いが磨き残しやすい場所、戦士が兵士向けの実戦的な健康管理を説明する。
全員、普通に講師として機能していた。
このパーティ、歯磨き講習会に適応しすぎている。
僧侶が模型へ大きな歯ブラシを当てた。
「力を入れすぎず、優しく磨いてください」
魔法使いが横から補足する。
「特に奥歯の溝と歯の裏側。そこを雑にしないこと」
戦士は短く言った。
「戦場で痛みに気を取られるな。日頃から整えろ」
急に軍事教練になった。
王女様は満足そうに頷く。
「健康な体は、王国を守る力になります」
悔しいくらいまともだった。
俺は横に立っているだけだが、兵士や神官たちが時々こちらを見る。
あの人が歯磨き勇者か。
たぶん、そういう目だった。
「勇者様」
王女様がこちらを向く。
「最後に、一言いただけますか」
「俺がですか」
「歯磨きの大切さについて」
避けられなかった。
兵士も神官も、仲間たちもこちらを見る。
俺は少し考え、できるだけ普通の話をすることにした。
「俺の加護は特殊です。普通の人が歯を磨いても、レベル99にはなりません」
まず誤解を潰す。
「でも、歯が痛ければ戦うどころじゃないし、体調にも響きます。普通のことでも、毎日続けるのは大切なんだと思います」
僧侶が静かに微笑んだ。
「子供たちにも教えてあげてください。俺みたいに強くならなくても、虫歯にならない方が絶対にいいので」
少し笑いが起きる。
「ただし、俺のことを教材にするのは控えめでお願いします」
今度は、もう少し大きな笑いが起きた。
「ご協力ありがとうございます、勇者様」
なんとか終わった。
終わったと思った。
だが、講習会には実技があった。
兵士と神官たちは、自分の歯ブラシを使って模型を確認する。僧侶が力加減を見て、魔法使いが磨き残しを指摘し、戦士は「長すぎると続かない」と現実的な助言をしていた。
完全に講習会だった。
俺は隅へ逃げた。
だが、質問はすべて俺のところへ来た。
「勇者様、戦闘前の歯磨きは何分以内がよいでしょうか」
「戦士さん、お願いします」
「勇者様、他者に任せる時の信頼は重要ですか」
「僧侶さん、お願いします」
「勇者様、磨き残しは戦闘力に影響しますか」
「魔法使いさん、お願いします」
三人はそれぞれ得意分野として、短時間仕上げ、信頼と同意、奥歯の磨き残しについて答えた。
兵士たちは真剣にメモを取っている。
俺は悟った。
このパーティは、もう歯磨き講習会から逃げられない。
「諦めろ。役に立つ」
戦士が言う。
「役に立つのが一番困ります」
僧侶は微笑む。
「王国の皆さんが健康になります」
魔法使いも肩をすくめた。
「どうせ噂は広まってる。正しい内容に直した方がいいでしょ」
逃げ場がなかった。
講習会の終わり頃、王女様が新しい掲示文を読み上げた。
王国式歯磨き心得。
一、毎日歯を磨くこと。
一、食後と就寝前の口腔ケアを心がけること。
一、奥歯と歯の裏側を忘れないこと。
一、他者に頼む場合は、必ず相手の同意を得ること。
一、歯磨きでレベル99になるのは勇者様だけなので、過度な期待をしないこと。
最後の項目がひどい。
「必要ですか?」
「誤解を防ぐために必要です」
王女様が答え、魔法使い、僧侶、戦士も頷いた。
全員に必要と言われた。
俺は負けた。
兵士たちは、心得を声に出して復唱した。
「歯磨きでレベル99になるのは勇者様だけなので、過度な期待をしないこと!」
王城の中庭に、力強い声が響く。
俺の尊厳は静かに砕けた。
こうして、王国式歯磨き講習会は、なぜか成功した。
兵士たちは歯ブラシを丁寧にしまい、神官たちは「口腔ケアも祈りかもしれない」と話し合っている。王女様も満足そうだった。
夕方、俺たちは中庭の片付けを手伝った。机や椅子を戻し、講習の中央に置かれていた勇者用歯磨きセットを回収する。
「大事に持っていろ」
戦士が言った。
「お前の武器のようなものだ」
「歯ブラシが武器扱い」
「ないとレベル5だろ」
「はい」
否定できない。
僧侶は説明書を束ねる。
「今日の内容は、兵舎や神殿にも配られるそうです」
「さらに広がるんですね」
「良いことです」
魔法使いは模型を見つめていた。
「奥歯の溝が浅い。改良した方がいいわ」
「模型まで改良するんですか」
「説明に使うなら必要でしょ」
完全に講習会側だった。
王女様が近づいてくる。
「勇者様。本日はありがとうございました」
「俺、ほとんど立っていただけですが」
「それでも、勇者様がいたから皆が真剣に受け止めました」
勇者の加護条件は特殊だが、それをきっかけに民が健康を見直すなら良いことだと、王女様は語った。
反論しにくい。
ハルト村では子供たちが歯を磨くと言った。市場町では歯ブラシが売れ、王城では兵士や神官たちが口腔ケアを学んでいる。
俺の尊厳は削れている。
しかし、虫歯は少し減るかもしれない。
何だ、この勇者伝説。
「これからも、歯磨きの大切さを共に広めましょう」
王女様は微笑んだ。
「世界を救う方を優先させてください」
「もちろんです」
よかった。
「その過程で広まれば、さらに良いですね」
よくなかった。
戦士は笑いを堪え、僧侶は嬉しそうに頷き、魔法使いは「もう無理ね」という顔をしている。
こうして王国にも、歯磨き文化が広まり始めた。
兵士は奥歯を気にし、神官は口腔ケアを祈りと結びつけ、王女様は歯磨き心得を配布した。僧侶は喜び、魔法使いは模型の改良を考え、戦士は実戦用の短時間仕上げを教える気になっている。
そして俺は、歯磨き文化普及の象徴になりかけていた。
世界を救う旅は進んでいる。
たぶん、良い方向に。
ただし、俺の勇者伝説は、どんどん歯ブラシから離れられなくなっていた。
次回予告
???
「ありえない……歯磨きでレベル99? 興味深い」
勇者
「嫌なタイプが来た気がする」
魔法使い
「研究者ね。私より面倒なタイプ」
戦士
「敵なら斬る」
僧侶
「まずは話を聞きましょう」
???
「話は聞く。ついでに観察させろ。いや、磨かせろ」
勇者
「敵ですよね!?」
次回、第11話
「第一の四天王、勇者を研究対象にする」
魔王軍、ついに歯磨き勇者の異常性に気づく。