他人に歯磨きしてもらわないとレベル99になれない勇者です 作:きのこ大三元
王国式歯磨き講習会が終わって、数日が経った。
王都では歯磨き用品が売れ、兵士は奥歯を気にし、神官は口腔ケアを祈りと結びつけ始めている。そして俺は、相変わらず歯磨き勇者と呼ばれていた。
名前は広まらず、条件だけが広まる。
勇者伝説として終わっている。
「勇者、ぼうっとするな」
街道を歩きながら、戦士が言った。
今日の目的地は、王都北西にある古い魔導遺跡だった。近くの村で魔物が増え、夜になると奇妙な光が漏れるらしい。先に向かった王国の調査隊は、途中で魔物に阻まれて撤退している。
「魔王軍関係ですか?」
「可能性はあるわね。魔力の集まり方が不自然よ」
魔法使いは杖を肩に担ぎ、僧侶は森の奥を見た。
「村の方々も怯えていました。急ぎましょう」
「敵なら斬る。装置なら壊す。勇者は前に出るな」
「最後だけ毎回入りますね」
「必要だからだ」
正論だった。
遺跡は苔に覆われ、壁も階段も崩れかけていた。中央の広場には魔法陣が描かれ、その周囲で小型魔物が倒れている。
死んではいない。薬か魔法で、動きを止められているようだった。
「実験跡ね。魔物の強化か制御だと思う」
「趣味が悪いな」
戦士が大剣へ手をかけた直後、広場の奥から乾いた拍手が聞こえた。
「素晴らしい。噂通り、勇者一行が来た」
石柱の陰から、一人の男が現れる。黒い外套、白い手袋、片眼鏡。腰には薬瓶や器具が並び、細身ながら周囲には重い魔力が満ちていた。
視界の隅に文字が浮かぶ。
魔王軍四天王。
研究者。
レベル82。
高い。
そして今の俺は、レベル5。
かなり無理だった。
「四天王……」
僧侶が息を呑み、戦士はすぐに俺の前へ出る。
「魔王軍か」
「その通り。戦闘より研究を好むが、四天王の一人ではある」
研究者は俺ではなく、背中の箱を見た。
勇者用歯磨きセット。
「それだ」
目が嫌な輝き方をした。
「歯磨き前はレベル5、歯磨き後はレベル99。効果時間は約30分。他者による口腔ケアで発動し、担当者や道具によって反応が変化。膝枕状態では追加効果」
「情報が多い」
魔法使いの表情が険しくなる。
「噂以上に調べてるわね」
「複数の村と宿場町で同じ証言が出た。ありえない現象だからこそ、研究する価値がある」
研究者は俺を指した。
「少し捕まってもらおう」
「嫌です」
「拒否が早いな」
「研究されたい勇者はいません」
研究者は首を傾げた。
「命は取らない。歯磨き前後の魔力差、精神状態、担当者差、道具差、姿勢差、発動速度、効果時間、出力変化を記録するだけだ」
「嫌な項目が多い」
研究者だけは長い。
魔法使いが俺の前へ立つ。
「研究なら私もしてる。敵に渡す必要はない」
「魔力感応式の精密ブラシを使う魔法使いか。磨き残しを許さないと報告にあった」
「そこまで広まってるの!?」
「君の資料も見たい」
「見せない」
「なら、勇者ごと確保する」
研究者が指を鳴らした。
魔法陣が光り、倒れていた魔物たちが一斉に起き上がる。強化されたスライム、角兎、牙猪。体へ管を埋め込まれた個体までいた。
「魔物を実験に使ったのですか」
「大切な研究材料だ」
「……許せません」
僧侶の声が低くなる。
「勇者、下がれ」
「はい」
戦士に言われるまでもなく下がった。レベル5で四天王と強化魔物の前へ出る気はない。
「本当に前へ出ないのか。発動前は護衛が必要、と」
「観察するな!」
魔法使いの氷弾を、研究者が障壁で受け流す。
強化魔物が動き、戦士が牙猪の突進を止めた。魔法使いは角兎を押し返し、僧侶の結界が俺を守る。数が多く、普通の魔物よりしぶとい。
「私は勇者の発動が見たい」
研究者が再び指を鳴らした。
魔法陣から黒い鎖が伸び、戦士の足、僧侶の結界、魔法使いの杖へ絡みつく。
「さあ、誰に磨いてもらう?」
嫌な質問だった。
戦士は足を取られ、僧侶は結界維持で動けない。魔法使いも杖へ絡んだ鎖を解除している。
担当者がいない。
「またこの流れですか!?」
ハルト村でもあったが、今回は目の前に村娘はいない。いるのは魔王軍四天王である。
「私が磨いても構わないぞ」
「絶対嫌です」
「敵側担当時のデータが取れる」
「言い方が最悪です」
戦士が鎖を引いた。
「勇者、時間を稼げ!」
「レベル5で!?」
「後ろにいろ!」
「どっちですか!」
魔法使いの杖から青い光が走り、鎖が砕ける。
「私がやる!」
「魔法使いさんが?」
「敵に磨かせるよりマシよ!」
魔法使いは精密ブラシを取り出した。
「立ったまま短縮版。口を開けて」
「敵が見ています」
「私だって見られてるわよ!」
僧侶が結界を強め、戦士が魔物を抑える。俺は観念して口を開けた。
魔法使いの短縮仕上げは、発動に必要な場所だけを正確に通していく。普段より短いが、雑ではない。
「動かないで」
「研究者が見ています」
「だから早く終わらせるの」
研究者は記録板へ書き込んでいた。
「敵前短縮式精密仕上げ。発動前から魔力変化あり」
「実況するな!」
魔法使いと戦士が同時に怒鳴る。
短い歯磨きが終わり、俺は口をすすいだ。
胸の奥で光が弾ける。
レベル99。
研究者が息を呑んだ。
「本当に跳ね上がった……」
「観察は終わりです」
俺は剣を抜き、地面を蹴った。
強化牙猪を弾き、角兎の群れを薙ぎ払う。戦士も鎖を引きちぎり、魔法使いは魔法陣を焼いた。僧侶は、倒れた魔物を守るように結界を広げる。
「可能なら、殺さずに止めてください」
「やります」
俺は剣の腹で魔物を叩き、戦士は峰打ちで倒した。魔法使いの拘束魔法が残った個体を止める。
研究者が制御杖へ手を伸ばした瞬間、俺は一気に間合いを詰め、それを弾き飛ばした。
「速い」
紫色の煙が広がる。
だが、レベル99なら魔力の流れが見える。煙の薄い場所を抜け、背後へ回った。
剣を突きつける。
「終わりです」
研究者は両手を上げた。
そして、なぜか笑っていた。
「素晴らしい!」
「降参してください」
「発動前は護衛必須。敵前短縮式でも発動可能。発動後は四天王級を上回り、仲間の指示に即応。出力制御も――」
「長い」
魔法使いが額を押さえる。
「面倒なタイプだわ」
「魔法使いさんより?」
「私より面倒」
研究者は剣を向けられたまま俺を見た。
「もう一度、発動条件を観察させろ」
「嫌です」
「担当者別の比較を」
「嫌です」
「道具別でもいい」
「嫌です」
「敵側担当時の発動可否を」
「絶対嫌です」
研究者は真顔になった。
「なら、磨かせろ」
広場が静かになった。
「斬るか?」
「待ってください」
戦士を止め、僧侶が前へ出る。
「降伏しています。まずは魔物を助けましょう」
魔法使いは研究者を睨んだ。
「実験に使ったことも、勝手に記録したことも許さない」
「共同研究なら?」
「しない」
「助手として」
「しない」
「歯磨き担当候補として」
「もっとしない」
研究者は少し考える。
「信頼が発動条件に関わるなら、まず信頼構築からか」
「始めないでください」
研究者は倒れた魔物を見回した。
「強化解除薬がある。戻せる個体もいる」
僧侶の表情が変わる。
「本当ですか?」
「自分の実験体の状態は把握している」
「信用できないわ」
「なら監視しろ」
「言われなくてもする」
研究者は拘束されたまま、魔法使いの監視下で処置を始めた。薬を使い、制御管を外し、魔法陣を止める。すべては救えなかったが、いくつかの魔物は元の状態へ近づいた。
「命を弄ぶ研究はやめてください」
「魔王軍では成果が求められる」
「それでもです」
僧侶の静かな言葉に、研究者は少し黙った。
だが、すぐに俺を見る。
「ふざけた条件で強くなる割に、戦い方は真面目だな」
「条件と戦い方は関係ありません」
「他者へ委ねる加護だから、仲間の声が出力へ影響する可能性もある」
「全部研究にしないでください」
魔法使いが小さく唸った。
「仮説としては、少し分かるのが嫌」
「魔法使いさん?」
「少しだけよ」
研究者は嬉しそうに笑う。
「なら、やはり観察を」
「必要ありません」
研究者は王国へ連行することになった。
四天王を生きたまま運ぶのは危険だが、魔物の強化解除や魔王軍の情報を持っている。戦士は警戒を続け、魔法使いは器具をすべて取り上げ、僧侶は傷ついた魔物の状態を確認した。
研究者本人だけが上機嫌だった。
「王国に着いたら、もう一度発動を」
「嫌です」
「前後の魔力差だけでも」
「嫌です」
「歯ブラシの種類別比較を」
「嫌です」
「黙らせるか」
「お願いします」
魔法使いが拘束具へ沈黙魔法を加えた。
研究者の声が消える。
助かった。
だが、地面へ指で文字を書き始めた。
『観察希望』
しぶとい。
「敵側まで巻き込まれ始めたわね」
「魔物の処置に協力したことは事実です」
「油断するな。敵だ」
「分かっています」
俺は拘束された研究者を見る。
俺を捕まえ、研究しようとした魔王軍四天王。そのはずなのに、最後には「磨かせろ」と言い出した。
敵側まで歯磨きに巻き込まれ始めている。
嫌な流れだった。
「勇者。次からは情報を渡すな」
「俺が渡したわけではありません」
僧侶も表情を引き締める。
「魔王軍に条件が知られました。今後は対策される可能性があります」
魔法使いは指を折った。
「発動前を狙う。担当者を拘束する。歯磨きセットを奪う」
急に現実的な脅威になった。
俺は背中の箱を抱え直す。今までは恥ずかしい神器だったが、敵に狙われるなら命綱である。
「気をつけます」
研究者が、また地面へ文字を書いた。
『保管方法も重要』
「黙っていてください」
声は出ないのに、うるさい。
「でも、保管方法は見直した方がいいわね」
「乗らないでください」
「必要だから言ってるの」
「王国へ戻ったら管理を見直す」
「消毒と予備の整理も必要ですね」
話が広がっていく。
敵の研究者が加わったことで、俺の歯磨き管理はさらに厳しくなりそうだった。
世界を救う旅は進んでいる。魔王軍の四天王とも、ついに接触した。
ただし、最初の四天王は俺を倒すより研究したがり、最後には歯磨き担当候補になりかけた。
おかしい。
だが、これが俺の旅なのだろう。
歯磨き前はレベル5。歯磨き後はレベル99。
敵にまで条件を知られ、研究対象にされる勇者。
俺は空を見上げた。
異世界の空は、今日も綺麗だった。
その下で、拘束された四天王が新しい文字を書いている。
『次は私のブラシ案を試したい』
俺は見なかったことにした。
次回予告
第二の四天王
「歯磨きで得た力など、真の強さではない!」
勇者
「言いたいことは分かります」
戦士
「だが、磨かないとレベル5だ」
僧侶
「勇者様には必要なケアです」
魔法使い
「発動する以上、戦力として使うべきね」
第二の四天王
「そのような儀式で得た力、我が武で打ち砕く!」
勇者
「儀式と言われると、余計に恥ずかしいんですが」
次回、第12話
「第二の四天王、歯磨きの力を認めない」
勇者、今度は歯磨きで得た強さそのものを否定される。