他人に歯磨きしてもらわないとレベル99になれない勇者です 作:きのこ大三元
第一の四天王、研究者を王国へ引き渡してから、魔王軍の動きが変わった。
それまでは各地で魔物が増え、魔力溜まりが発生する程度だった。十分に困るが、被害は散発的だった。
だが、研究者が捕まってからは違う。
魔王軍は明らかに、こちらを見て動いている。
特に俺を。
歯磨き前はレベル5。歯磨き後はレベル99。効果時間は約30分。他人に磨いてもらわなければ、加護は発動しない。
その条件が、敵にも知られてしまった。
最悪である。
「勇者、歯磨きセットの確認はしたか」
街道を歩きながら、戦士が言った。
「歯ブラシ、歯磨き粉、コップ、白い布、予備の獣毛ブラシ。全部あります」
「よし」
僧侶は俺の体調を確認し、魔法使いは背中の箱へ視線を向ける。
「敵に狙われるかもしれない。なるべく体から離さないで」
「歯磨き粉が戦略物資になってる」
「実際そうでしょ」
否定できなかった。
聖剣ではなく、歯磨きセットが命綱。
勇者伝説として、やはり何かがおかしい。
今日の目的地は、王都と北方の村を繋ぐ山道だった。魔王軍らしき影が現れ、商人の荷馬車も薬草運びも止まっている。
山道へ入ると、空気が変わった。冷たい風が岩場を抜け、道の中央には壊れた荷車の車輪が転がっている。
魔物の気配は少ない。
むしろ、不自然なほど静かだった。
「いるな」
戦士が大剣へ手をかける。
「魔力反応は一つ。かなり大きいわ」
魔法使いも杖を構えた。
「強敵ですね」
僧侶の言葉に、俺は背中の箱を握った。
強敵。
つまり、歯磨きが必要である。
山道の先、開けた岩場に一人の男が立っていた。
黒い鎧、大きな槍、魔王軍の紋章が入った外套。研究者のような不気味な軽さはなく、立っているだけでこちらを押し返すような圧がある。
視界の隅に文字が浮かんだ。
魔王軍四天王。
武人。
レベル88。
研究者より高い。
そして今の俺は、レベル5。
差がひどい。
「来たか、歯磨き勇者」
男は低い声で言った。
「魔王軍にも、その呼び方で広まってるんですね」
「名より条件が先に届くとは、奇妙な勇者よ」
「俺もそう思います」
武人は槍の石突きを地面へ当てた。
「我は魔王軍四天王が一角。武をもって魔王様に仕える者。先の研究者とは違い、実験にも観察にも興味はない」
「研究者よりは話が早そうね」
「だが、強い」
魔法使いの呟きに、戦士が返す。
武人は俺を見た。
「貴様の噂は聞いている。仲間へ口腔を委ね、奇妙な儀式によってレベル99へ至るという」
「儀式と言われると、余計に恥ずかしいんですが」
「だが、我は認めん」
武人の声が山道へ響いた。
「そのような儀式で得た力など、真の強さではない!」
真正面から言われた。
分からなくはない。
歯磨きで強くなるなど、普通に考えれば変だ。戦士も最初は困惑したし、魔法使いも理屈が分からないと言っていた。
正統派の武人に認めろという方が難しい。
「貴様自身が鍛え、積み上げた力ではない。他者に磨かれ、加護へ頼る。それで魔王軍に挑むというのか」
槍先がこちらへ向く。
「真の強さとは、己で掴むものだ」
たぶん正しい。
少なくとも、かっこいい。
普通の勇者なら、ここで修行や覚醒の話になるのだろう。
だが、俺は違う。
歯磨き前はレベル5。このまま挑めば、最初の一撃で終わる。
「戦士さん」
「なんだ」
「俺、磨かずに勝てます?」
「無理だ」
即答だった。
「相手はレベル88。今のあんたじゃ一瞬ね」
「勇気と無謀は違います」
魔法使いと僧侶も迷わない。
全員正しい。
そして、逃げ道はない。
「ならば磨かずに来い。弱さを受け入れ、それでも立つなら、多少は認めよう」
武人が槍を構えた。
「ふざけるな」
戦士の声が低くなる。
「レベル5の勇者を強敵の前へ出すことを、勇気とは呼ばない。ただの自殺だ」
「前衛の女。磨かれねば戦えぬ勇者を守ることに、疑問はないのか」
「ない」
戦士は即答した。
「こいつは弱い。歯磨き前は、本当に弱い。だから前へ出すなと何度も言っている」
「なら、なぜ従う」
「磨けば強い。そして、必要なら恥を飲み込んで頼む」
戦士の声はまっすぐだった。
「それも戦う覚悟だ」
俺は少し驚いた。
「勇者、頼め」
僧侶も静かに頷く。
「誰かに頼ることは、弱さだけではありません」
魔法使いは顔を少し赤くして、そっぽを向いた。
「仲間に委ねて発動するなら、それを使うのは当然でしょ」
いつもの三人だった。
俺の条件に困惑し、ツッコミ、管理し、それでも必要な時には歯ブラシを握ってくれる。
頼むのは、何度やっても恥ずかしい。
だが、ここで頼まなければ戦えない。
「戦士さん」
俺は息を吸った。
「俺の歯を、磨いてください」
戦士は短く頷く。
「よし」
実戦用ブラシが取り出された。短時間仕上げ用の、少し硬めの歯ブラシだ。
「本当に、その姿を敵前で晒すのか」
武人が問う。
「晒します」
声は少し震えた。
それでも逃げなかった。
「恥ずかしいです。できれば見ないでほしい。でも、俺はこれをしないと戦えない。歯磨き前の俺は弱いから」
「口を開けろ」
「はい」
武人が見ている中、戦士の急速仕上げが始まった。
前歯、犬歯、奥歯。発動に必要な場所を、迷いなく短く通していく。
「動くな」
「……はい」
「噛むなよ」
「はい」
「変な顔をするな」
「無理です」
「耐えろ」
いつも通りだった。
そのいつも通りが、今は頼もしい。
武人は笑わず、ただ険しい目で見ていた。
「すすげ」
俺は口をすすぐ。
その直後、胸の奥で光が弾けた。
手足が軽くなり、視界が澄む。槍先の動き、足の位置、鎧の隙間まで見えた。
レベル99。
「これが、俺の戦い方です」
「よかろう。その歯磨きで得た力ごと、我が武で打ち砕く」
戦士が下がり、僧侶は結界を張る。魔法使いも杖を構えた。
次の瞬間、武人が踏み込んだ。
速い。
槍の一撃を横へ避け、剣で軌道を弾く。腕へ重い衝撃が走った。
レベル99でも、軽い相手ではない。
「なるほど、速い。だが、力に振り回されている」
突き、払い、足元への薙ぎ。槍が休みなく迫る。
技がある。
重さがある。
正面から鍛え上げた、本物の強さだった。
「腰が高い! 力で受けるな、流せ!」
戦士の声に従い、槍を斜めに流す。
「呼吸を乱さないでください」
「左足に魔力が寄った! 次は突きよ!」
僧侶と魔法使いの声も届く。
俺は一人で戦っているわけではない。
歯磨きで力を得て、仲間の声で動く。
武人の槍をかわし、懐へ踏み込む。剣と槍がぶつかり、火花が散った。
「仲間の声に頼るか」
「はい。俺一人では、ここまで戦えません」
「勇者がそれを認めるか」
「認めます」
剣を振り、武人が受ける。
「俺は歯磨き前ならレベル5です。強敵相手には普通に死ぬ。だから、磨いてくださいと頼みます。教えてくださいと聞きます。助けてくださいと言います」
「恥を捨ててでもか」
「捨ててません」
俺は踏み込み、剣を横へ払った。
「恥ずかしいままです!」
刃が鎧へ当たり、金属音が響く。
「敵前で磨かれるのは最悪です。噂も広まって、歯磨き勇者と呼ばれています。それでも使います」
「なぜだ」
「使わないと守れないからです」
村を、街道を、仲間を守らなければならない時がある。
その時に、恥ずかしいから嫌だとレベル5のまま逃げるなら、それこそ勇者ではない。
「だから頼みます。仲間に。俺の歯を磨いてくださいって」
山道へ風が吹いた。
武人は静かに笑う。
「妙な覚悟だ」
「俺もそう思います」
「だが、覚悟ではある」
槍の穂先へ黒い炎が灯った。
「よかろう。その覚悟ごと受けてやる」
武人が突っ込んでくる。
先ほどまでより速く、重い。
「正面から受けるな。踏み込め!」
「落ち着いてください」
「今! 右が空いた!」
三人の声が重なった。
俺は踏み込み、槍の軌道をずらして武人の懐へ入る。剣の柄で鎧の継ぎ目を打ち、崩れたところへ剣の腹を叩き込んだ。
武人が吹き飛び、岩壁へ叩きつけられる。黒い炎が消え、槍が地面へ落ちた。
勝負は決まった。
武人は片膝をつき、やがて低く笑う。
「……見事」
「まだ動くなら、次は私が相手をする」
戦士が前へ出たが、武人は首を横へ振った。
「不要だ。勝負はついた」
「降伏してください」
僧侶が近づく。
武人は俺を見た。
「歯磨き勇者」
「その呼び方は、できれば」
「なら、勇者よ」
初めて、歯磨きが外れた。
「貴様の力を完全には認めん。歯磨きで得た力が真の強さかと問われれば、今も疑う」
正直だった。
「だが、恥を飲み込み、弱さを認め、仲間に頼り、それでも前へ出る覚悟は見た」
武人は頭を下げる。
「その覚悟は、武人として認めよう」
胸の奥が少し熱くなった。
戦士が頷き、僧侶が微笑む。魔法使いはそっぽを向いた。
「今日の勇者は、少しだけかっこよかったんじゃない」
「少しだけですか」
「少しだけ」
それでも嬉しかった。
僧侶が回復魔法をかけると、武人は一瞬拒もうとしたが、すぐに受け入れた。
「敗者が意地を張っても意味はない」
「研究者より話が早いな」
「先の男と一緒にするな。あれは魔王軍でも変わり者だ」
「敵にもそう思われてるのね」
魔法使いの呟きに、武人は槍を支えに立ち上がった。
「次に会う時、我はさらに強くなっている」
「再戦するんですか?」
「当然だ。貴様がどれほど仲間との連携を磨いたかも見る」
少し嫌だが、悪い言葉ではなかった。
「ただし、一つ問う」
「何ですか」
「戦士の歯磨きは、あれで最速なのか」
空気が止まった。
「何だと」
戦士の眉が動く。
「敵前仕上げとしては速い。だが、奥歯への入りが少し粗い」
「分かる」
「魔法使いさん?」
戦士のこめかみが引きつる。
「お前、戦闘中に見ていたのか」
「相手の準備を見るのも武人の務めだ」
「歯磨きを?」
「戦闘前儀式だろう」
俺は頭を抱えた。
武人まで、歯磨き担当の評価を始めた。
「確かに、改善の余地はあるかもしれません」
「僧侶まで」
戦士は大剣を肩へ担いだ。
「帰ったら練習する」
「するんですか」
「お前を早く戦える状態にするためだ」
やはり真面目だった。
「次は、より完成された儀式を見せてもらおう」
「見せません」
武人は聞いていないようだった。
第二の四天王は、その場で拘束されなかった。
研究者のように王国へ運ぶには危険すぎる。本人も魔王軍へ戻り、敗北を報告するつもりらしい。
「魔王軍へ戻れば、貴様はさらに警戒される。発動前を狙う者、歯磨きセットを奪う者、担当者を封じる者も出るだろう」
「予想通りね」
「発動前の護衛体制を整える必要があります」
「磨いている間の前衛配置を見直す」
三人が即座に対策を始める。
「磨かれる前提の作戦が、どんどん本格的になってません?」
「命に関わるからな」
全員が頷いた。
もう逃げられない。
武人は槍を担ぎ、山道の奥へ歩き出す。去り際に振り返った。
「勇者よ。力の由来だけが強さを決めるのではない。何のために使うか。それも武の一部だ」
「はい」
「だが、歯磨きという儀式名は、やはり締まらんな」
「最後にそれ言います?」
武人は低く笑い、山道の奥へ消えた。
「厄介な相手だった」
「ですが、勇者様の覚悟を見てくれました」
「歯磨きの力は認めないけど、勇者の覚悟は認めた。筋は通ってるわね」
俺は、敵前で戦士に頼んだ時のことを思い出した。
口を開け、歯ブラシを受け入れ、恥ずかしさを飲み込んで頼む。
普通なら、勇者らしくない。
でも、それで誰かを守れるなら。
俺にとっては、それが勇者の戦い方なのだろう。
「勇者。次から急速仕上げを見直す」
「本当にやるんですね」
「粗いと言われたままでは癪だ」
「そこなの?」
「そこだ」
魔法使いが笑い、僧侶も頷いた。
「では、三人で手順を確認しましょう」
「三人で?」
「私が魔力反応を見る。僧侶が顎と歯茎への負担を見る。戦士が時間を詰める」
「俺は?」
三人がこちらを見る。
「磨かれる」
知っていた。
第二の四天王は、歯磨きの力そのものを完全には認めなかった。
だが、恥ずかしさを飲み込み、仲間に頼り、それでも前へ出る覚悟は認めた。
歯磨き前はレベル5。歯磨き後はレベル99。
その間にあるのは、恥ずかしさと、仲間に頼る勇気。
たぶん、それが俺の勇者らしさなのだろう。
できれば、もう少しかっこいい形がよかった。
「第三の四天王、口腔ケアですねと即理解する」
魔王軍側にも、理解の早すぎる世話焼きが現れる。
次回予告
第三の四天王
「つまり、勇者様には戦闘前の口腔ケアが必要ということですね」
勇者
「理解が早い」
戦士
「敵なのに早いな」
僧侶
「とても整理が上手な方ですね」
魔法使い
「敵よ。感心しないで」
第三の四天王
「加護発動、体調管理、歯ブラシの保管、担当者の交代制……管理項目が多すぎますね」
勇者
「敵ですよね?」
次回、第13話
「第三の四天王、口腔ケアですねと即理解する」
魔王軍側にも、理解の早すぎる世話焼きが現れる。