他人に歯磨きしてもらわないとレベル99になれない勇者です 作:きのこ大三元
今回は、第三の四天王登場回です。
第一の四天王は研究者。第二の四天王は武人。そして次に現れたのは、魔王軍の管理役を務める補佐官でした。
彼女は勇者の条件を聞いた瞬間、他の敵よりも早く理解します。
「つまり、口腔ケアが必要ということですね」
敵なのに妙に手際よく状況を整理する第三の四天王。さらに彼女の口から、魔王軍にも歯や牙の悩みがあることが語られます。
本文
第二の四天王、武人との戦いを終え、俺たちは王都へ戻る途中だった。
研究者は、俺の条件を研究対象にした。武人は、歯磨きで得た力を認めないと言った。
そして二人とも、俺の歯磨きに妙な関心を残して去っていった。
魔王軍の四天王は、本来もっと恐ろしい存在のはずだ。実際、研究者はレベル82、武人はレベル88。歯磨き前の俺なら、近づくだけで終わる相手である。
ただし、方向性がおかしい。
研究者は「磨かせろ」と言い、武人は歯磨きを「戦闘前儀式」と呼んだ。
どちらも敵だったはずなのに、俺の歯磨き担当や手順へ影響を残している。
「勇者、ぼうっとするな」
街道を歩きながら、戦士が言った。
「敵はまだ二人残っている。次も来るかもしれない」
「はい」
戦士は前回の戦い以来、急速仕上げの時間をさらに縮めようとしていた。武人に「奥歯への入りが粗い」と言われたのが癪だったらしい。
敵に指摘された歯磨き技術を改善する前衛へ、どう反応すればいいのか分からない。
僧侶は口腔ケア記録を確認する。
「発動状態は安定しています。ただ、敵前での歯磨きが続いていますから、精神的な疲労には注意しましょう」
魔法使いも、俺の背中の箱を見た。
「歯磨きセットの管理もね。次は歯ブラシや歯磨き粉を狙われるかもしれない」
「敵に歯ブラシを狙われる勇者」
言葉にすると、やはり終わっている。
その時、前方の街道に一台の荷馬車が見えた。
黒い布で覆われ、車輪には魔王軍の紋章。戦闘用というより補給用で、荷台には箱や袋が整然と積まれている。
「構えろ」
戦士が前へ出る。
「魔力反応は一つ。四天王級ね」
魔法使いが杖を構え、僧侶は俺の前へ結界を張った。
俺はまだ磨いていない。
レベル5。
当然、前へ出てはいけない。
荷馬車の横から、一人の女性が現れた。
黒と紫の軍服。長い髪を後ろでまとめ、片手には分厚い帳簿、もう片方には羽根ペン。眼鏡の奥の目は鋭いが、研究者や武人のような殺気は薄い。
ただし、圧はあった。
机の上の書類を、一瞬で片付けそうな圧だった。
視界の隅に文字が浮かぶ。
魔王軍四天王。
補佐官。
レベル79。
三人目の四天王。
研究者や武人より低いとはいえ、歯磨き前の俺には十分すぎる相手だった。
補佐官は帳簿を閉じ、静かに一礼する。
「勇者一行ですね。お待ちしておりました」
敵なのに丁寧だった。
「魔王軍四天王か」
「はい。第三の四天王と呼ばれております」
補佐官は、補給、兵站、傷病者、勤務表、魔王の予定、四天王間の連絡、問題児の処理まで自分の担当だと説明した。
「仕事量が多い」
魔法使いが呟く。
「大変そうですね」
「大変です」
僧侶の言葉に即答した。
「第一は研究へ没頭し、第二は武に偏り、第四は牙の手入れを怠る。魔王様は威厳を保とうとして予定を詰めすぎる。管理する側の苦労も考えていただきたいものです」
情報量が多い。
「牙の手入れ?」
俺が聞くと、補佐官は帳簿を開いた。
「魔族には牙を持つ者が多くいます。人間とは形状や食生活が違いますが、汚れ、欠け、痛み、歯茎の炎症に相当する問題はあります」
「魔王軍にも、歯や牙の悩みがあるの?」
「あります。むしろ多いです」
魔法使いの問いへ、補佐官は迷わず答えた。
「兵士は戦闘訓練や魔力強化には熱心ですが、日々の口腔管理を軽視します」
「それは良くありませんね」
「ええ。良くありません」
僧侶と補佐官が、早くも同じ方向を向き始めた。
嫌な予感がする。
補佐官は俺を見た。
「そして、あなたが歯磨き勇者様ですね」
「魔王軍でも正式な呼び方なんですか」
「報告書には、そう記載されています」
正式だった。
「歯磨き前はレベル5、歯磨き後はレベル99。効果時間は約30分。他者による歯磨きで加護が発動し、担当者によって質に差がある。戦士は急速、僧侶は安定、魔法使いは精密。村娘の獣毛ブラシでも発動済み」
「報告書が詳しすぎます」
補佐官は頷いた。
「つまり、口腔ケアが必要ということですね」
理解が早かった。
あまりにも早い。
王女様も僧侶も魔法使いも、最初は困惑した。戦士は怒り、研究者は興奮し、武人は否定した。
だが補佐官は、一言で整理した。
口腔ケア。
「敵なのに早いな」
戦士が呟く。
「とても整理が上手な方ですね」
僧侶は感心している。
「敵よ。感心しないで」
魔法使いが止めた。
補佐官は構わず続ける。
「加護発動、体調管理、歯ブラシの保管、歯磨き粉の残量、担当者の交代、所要時間、効果時間。管理項目が多すぎますね」
「敵ですよね?」
「敵です」
「なぜ管理の心配を?」
「管理されていないものを見ると、落ち着きません」
研究者とは違う方向で、面倒な人だった。
「本来は、ここで勇者一行を足止めする予定でした」
戦士の大剣に力が入る。
「ですが、予定を変更します」
補佐官は荷馬車の後ろを示した。
そこには、小型魔族や魔族兵たちが座っている。頬を押さえた者、牙を気にする者、食糧袋を前に困った顔をする者。
戦う様子はない。
「虫歯、牙の欠け、歯茎の腫れ、口内の痛み。戦闘不能ではありませんが、士気と食事に影響しています」
僧侶の表情が真剣になる。
「放置してはいけません」
「ええ。ですが、魔王軍には口腔ケアへの理解が足りません。強い牙を持つ者ほど、手入れは不要だと思い込みます」
「魔王軍も大変ね」
「大変です」
また即答だった。
戦士は大剣を構えたまま、困惑している。
「これは戦闘前の会話か。それとも歯の相談か」
「両方です」
補佐官は真面目だった。
「私は敵ですが、管理役として歯や牙の問題を放置できません。さらに、勇者様の加護が口腔ケアに関係するなら、人間側の知見を得る価値があります」
「つまり?」
魔法使いが警戒しながら聞く。
「一時休戦を提案します」
山道に沈黙が落ちた。
「そんな理由でか?」
「士気管理上、深刻です」
補佐官は腰の短剣と魔導具を地面へ置いた。
「罠を疑うのは当然です。必要なら、私を拘束してください」
話が早すぎる。
俺は完全に置いていかれていた。
「怪我や痛みのある方を、見捨てることはできません」
僧侶が言った。
「警戒は必要ですが、苦しんでいる相手を利用して戦うのは違います」
魔法使いは補佐官を睨む。
「変な魔力反応があれば、すぐ止めるわ」
戦士も大剣を下ろした。
「私が見張る」
「承知しています」
補佐官は一礼した。
こうして敵軍の街道で、口腔ケア相談が始まった。
もう何も分からない。
魔王軍兵士の状態は、想像以上に悪かった。
硬い干し肉で牙の根元を痛めた者。甘い魔力菓子のあとに歯が痛み始めた者。牙の間に骨片が挟まった者。
僧侶は痛みを和らげながら状態を確認し、魔法使いは炎症に近い魔力の乱れを調べた。戦士は補佐官を見張り、俺は魔王軍の帳簿を見せられている。
魔王軍口腔問題一覧。
そんな項目があった。
「最近作りましたが、報告が少ないのです。牙の痛みを恥と考え、隠す者が多いので」
「人間側にも、似た人はいそうですね」
補佐官は頷いた。
「強さを誇る者ほど、不調を隠します。結果、戦闘中に集中を欠き、負傷します」
「分かる」
戦士が反応した。
敵の管理論に共感しないでほしい。
「特に第四の四天王は、立派な牙を持ちながら手入れを面倒がります」
「次の相手ね」
魔法使いが小声で言う。
「そういう言い方をしないでください」
僧侶は、牙持ちの魔族へ優しく声をかけた。
「痛みは我慢しすぎないでください。毎日のケアも大切です」
「人間に歯の世話を言われるとは……」
「歯磨き勇者の仲間ですから」
僧侶が自然に答えた。
「その肩書き、味方側でも普通に使うんですね」
「諦めなさい」
魔法使いは肩をすくめた。
補佐官は、人間用の歯ブラシを確認している。
「人間用は小回りが利きますが、魔族の牙には短いですね」
俺は予備の獣毛ブラシを取り出した。
「これなら、牙の隙間にも使いやすいかもしれません」
「見せてください」
補佐官は毛先、柄、硬さを素早く調べる。
「悪くありません。長柄にすれば、牙の根元にも使えそうです」
「毛先は少し硬め。でも、歯茎を傷つけない調整が必要ね」
魔法使いが乗った。
「口内への負担も確認した方がよいですね」
僧侶も乗った。
「長柄型、硬さ調整、負担軽減」
補佐官が記録する。
なぜ敵味方で、歯ブラシ開発会議が始まっているのか。
「これは何の時間だ」
戦士が代わりに言ってくれた。
補佐官は保存食も確認した。
硬い干し肉。粘り気のある魔力菓子。保存性は高いが、歯や牙へ負担がかかりやすい。
僧侶は食後の歯磨きを勧め、魔法使いは菓子の残りやすさを指摘し、戦士は遠征中でも続けられる短時間の手入れを提案した。
俺は黙っていた。
三人の方が、すでに詳しいからである。
「人間側の口腔ケアは、想定以上に実用的ですね」
「人間側というより、勇者周辺だけ変に発展してる気もするけど」
魔法使いの言葉に、補佐官は俺を見る。
「あなたの加護は魔王軍にとって脅威です。しかし、歯や牙のケアという点では、有用な文化を広げる可能性があります」
「褒められているんですか?」
「一部は」
補佐官は淡々と結論を出す。
「魔王軍にも、歯磨き文化を導入する価値があります」
ついに言った。
王国式歯磨き講習会の次は、魔王軍式歯磨き文化らしい。
俺の勇者伝説は、本当にどこへ向かっているのか。
「あの……牙の根元を磨く時は、どれくらい力を入れるんだ?」
魔族兵が手を上げる。
「痛くない程度に、優しくです」
僧侶が答える。
「戦闘前にも磨いた方がいいのか?」
「痛みがあるなら確認しておけ。戦場で気にする暇はない」
戦士が答える。
「牙の間に残るなら、細い専用ブラシも必要ね」
魔法使いが補足する。
完全に講習会だった。
王国式歯磨き講習会に続き、魔王軍臨時歯磨き相談会まで始まっている。
俺は空を見上げた。
異世界の空は、今日も綺麗だった。
その下で、敵味方が歯と牙の手入れを話し合っている。
世界は広い。
広すぎる。
相談が一段落すると、補佐官が帳簿を閉じた。
「本来の任務に戻りましょう」
「本来の任務?」
嫌な予感がした。
「私は四天王です。勇者一行を足止めする任務があります」
戦士が再び大剣を構える。
「戦うのか」
「形式上は。ただし、兵士は治療直後です。私一人で完全に止めるのも非効率です」
「では、何を?」
「確認です」
補佐官は俺を見る。
「勇者様が本当にレベル99になるか、この目で確認します。それで本日の任務報告は成立します」
「結局、発動確認ですか」
「管理資料には正確な記録が必要です」
研究者と違い、言い方は真面目だった。
真面目だからこそ困る。
「なら私が磨く。短く済ませる」
戦士が言う。
「勇者様には疲れがあります。安定ケアがよいでしょう」
僧侶が反対する。
「魔力反応も確認したい。精密仕上げでもいいわ」
魔法使いも加わった。
担当者会議が始まりかける。
「失礼。状況を整理します」
補佐官が手を上げた。
敵なのに司会を始めた。
「戦士様は短時間発動、僧侶様は精神安定、魔法使い様は魔力調整に適しています。現在の勇者様には精神的疲労があり、即時戦闘の必要性は低い。よって僧侶様が担当し、魔法使い様が魔力を確認、戦士様が周囲を警戒するのが適切です」
全員が黙った。
正しい。
敵なのに、判断が正しすぎる。
「とても的確です」
「敵なのに整理が早い」
「採用だ」
「採用しないでください」
俺の意見は通らなかった。
「では、短めの安定ケアにしますね」
僧侶が治療ブラシを取り出す。
「観察します」
補佐官も帳簿を開いた。
「しないでください」
「報告書に必要です」
俺は観念して口を開けた。
僧侶の短い安定ケアが始まる。詳しい手順は省かれたが、柔らかな手つきで緊張が少しずつ抜けていった。
「勇者様、力を抜いてください」
「敵が見ています」
「だからこそ、落ち着きましょう」
魔法使いは魔力反応を確認し、戦士は周囲を警戒する。補佐官は真剣に記録していた。
「精神疲労時でも安定……」
「書かないでください」
「喋るな。磨きにくい」
全方向から正論が飛んでくる。
短い歯磨きが終わり、口をすすいだ。
胸の奥で光が弾ける。
体へ静かに力が満ちた。
レベル99。
「確認しました。報告通りです」
補佐官は帳簿へ記録する。
魔族兵たちがざわめいた。
「本当に強くなった」
「口腔ケアで?」
「人間側、恐ろしいな」
「普通の方はレベル99になりません。ただし、歯磨きは健康のために大切です」
僧侶が即座に補足する。
魔族兵たちは真剣に頷いた。
王国でも見た光景だった。
「本日の確認は以上です」
補佐官が帳簿を閉じる。
「戦わないのか」
「目的は達成しました。治療直後の兵士を戦わせるのも、管理上よろしくありません」
合理的だった。
敵なのに合理的すぎる。
「一時休戦への協力、感謝します」
補佐官は深く一礼した。
「痛みのある方々を治療できて良かったです」
「次に敵として来たら、容赦しないわよ」
「承知しています」
「村や街道を襲うなら斬る」
「その時は任務として対応します」
補佐官は最後に俺を見る。
「勇者様は魔王軍にとって脅威です。しかし同時に、歯や牙のケアに関する転機になるかもしれません」
褒められているのか、敵視されているのか分からない。
「第四の四天王は牙を誇りとする者です。人間の口腔ケアを軽視するでしょう」
「次の敵ですね」
「はい。そして、牙の根元に問題を抱えています」
味方の健康情報を言ってよいのか。
「自覚させるには、負ける程度の衝撃が必要でしょう」
「管理役、怖い」
「敵に回すと面倒だな」
魔法使いと戦士が呟く。
補佐官は、俺へ一枚の紙を渡した。
魔王軍式口腔管理案・草稿。
もう作っていた。
「王国式歯磨き心得と比較し、改善点があれば次回お聞かせください」
「次回があるんですか」
「四天王ですので、いずれまた」
当然のように答える。
「それまでに、魔族用長柄ブラシの試作品も用意します」
俺は草稿を持ったまま固まった。
魔王軍にも、歯磨き文化が広がり始めている。
そのきっかけが俺。
歯磨き勇者。
もう完全には否定できない。
補給部隊が去ったあと、俺たちはしばらく街道に立っていた。
「戦闘にならずに済んだのは良かった」
「治療できたのも良かったです」
戦士と僧侶が言う。
魔法使いは、補佐官の草稿を覗き込んでいた。
「長柄ブラシ、牙の裏側へ届かせるなら角度を変えた方がいいわね」
「また乗ってます」
「乗ってない。気になるだけ」
「次の四天王は牙持ちか」
「悩みがあるなら、話し合う余地もあるかもしれません」
「でも敵よ。最初は戦闘になると思う」
三人が次の対応を話し始める。
俺は手元の草稿を見た。
王国式歯磨き心得。魔王軍式口腔管理案。村の獣毛ブラシ。勇者用歯磨きセット。
気づけば、俺の周囲には歯磨きに関するものが増えすぎている。
世界を救う旅は、まだ続いている。魔王軍との戦いも、これから本格化する。
だが同時に、歯磨き文化も人間側から魔王軍側へ広がり始めていた。
第三の四天王は、俺の異常な条件を一瞬で理解した。
つまり、口腔ケアが必要ということですね。
その一言で、勇者としての異常性が、ただの管理項目へ変換された。
理解が早い敵は怖い。
でも、魔王軍にも歯や牙の悩みがあり、それをきっかけに話し合えるなら。
いつか、戦うだけではない終わり方もあるのかもしれない。
「勇者、ぼうっとしてるところ悪いけど」
魔法使いが言った。
「長柄ブラシの試作品が来たら、あんたで使い心地を確認する流れになるかもね」
「なりません」
「牙用なら、お前の歯には合わないだろう」
「そういう問題ですか」
「負担がない範囲なら、参考にはなるかもしれませんね」
「僧侶さんまで」
俺は空を見上げた。
異世界の空は、今日も綺麗だった。
その下で、魔王軍式口腔管理案の草稿が俺の手にある。
世界から虫歯が少し減る未来が、わずかに見えた気がした。
ただし、その中心に俺がいることだけは、やはり納得できなかった。
次回予告
第四の四天王
「人間の歯磨きなど、我ら魔族の牙には不要だ!」
勇者
「また否定から入るタイプだ」
魔法使い
「でも、牙の根元の魔力反応が乱れてる」
僧侶
「痛みを我慢しているのかもしれません」
戦士
「敵だ。まず構えろ」
第四の四天王
「痛くなどない! 少し噛み合わせが気になるだけだ!」
勇者
「それ、たぶん痛いやつです」
次回、第14話
「第四の四天王、牙の悩みを抱えていた」
魔王軍の牙問題、ついに本格化。