他人に歯磨きしてもらわないとレベル99になれない勇者です 作:きのこ大三元
第四の四天王、牙獣将との戦いを終え、俺たちはようやく王都へ戻った。
研究者は捕虜。武人は敗北後に撤退。補佐官とは一時休戦し、牙獣将とは魔族用の牙ケアについて話し合った。これで四天王全員と接触したことになる。
本来なら、ここから魔王城へ向かう準備を始めるところだ。
なのに王城の会議室へ入った瞬間、俺は別の問題へ直面した。
「待っていたぞ、勇者」
研究者がいた。
王国の拘束具をつけたまま机へ座り、目の前には水晶板、記録用紙、歯ブラシの見本まで並べている。捕虜というより、研究室を会議室へ移した人に見えた。
「なんで普通に参加してるんですか」
「魔王軍の情報提供者として呼ばれた」
研究者は胸を張る。
「そして、勇者の加護研究における第一人者として」
「後半は誰が認めたんです?」
「私だ」
「自称」
魔法使いが露骨に嫌そうな顔をした。
「その人、捕虜よね?」
「拘束されている。問題ない」
戦士は気にしていない。
「拘束中でも口は動くわ」
「失礼な。研究に必要な発言しかしていない」
「昨日、歯ブラシの毛先だけで三時間話したでしょ」
「必要な発言だ」
やっぱり面倒だった。
王女様が会議を始めようとしたところで、今度は扉が開く。
「失礼する」
黒い鎧に大槍。第二の四天王、武人だった。
戦士が反射的に大剣へ手をかけるが、武人は構わず会議室へ入り、堂々と俺たちの前へ立った。
「休戦の使者として来た。魔王様へ至る道について伝えることがある」
そこで俺を見る。
「それと、勇者の戦闘前儀式が改善されたか確認したい」
「後半が本音じゃないですか?」
「どちらも重要だ」
重要ではない。
「奥歯への入りは改善したのか」
武人が戦士へ聞く。
「改善した」
「所要時間は?」
「前回より七秒短い」
「悪くない」
二人が真面目に話し始めた。
「敵同士の会話ですよね?」
誰も答えてくれなかった。
さらに扉が開く。
「皆様、時間どおりですね」
今度は帳簿を抱えた補佐官だった。その後ろには、小型魔族たちが荷物を運んでいる。
「補佐官さんまで」
「魔王軍との一時交渉、四天王の健康状態、魔王城までの行程調整のため参りました」
理由だけ聞けば一番まともだった。
ただし、机へ置かれたものがおかしい。
魔王軍式口腔管理案、魔族用長柄ブラシ試作一号、歯磨き粉残量管理表。そして最後に――勇者加護発動担当表・草案。
「待ってください」
「どうされました?」
「最後の紙、何ですか」
「勇者様の歯磨き担当表です」
そのままだった。
補佐官は当然のように紙を広げる。
「現在の主要担当者は、戦士様、僧侶様、魔法使い様の三名。緊急時には王女様、村娘、その他の同意を得た協力者でも発動実績があります」
「整理しなくていいです」
「長期戦では、担当者の疲労や負傷も考慮する必要があります」
補佐官は眼鏡を押し上げた。
「交代要員は必要です」
正論の形をした危険な言葉だった。
僧侶が草案を覗き込む。
「確かに、誰かが怪我をした時の予備は必要かもしれません」
「僧侶さん?」
戦士も腕を組む。
「前衛と担当を同時に担うと、状況によっては穴ができる」
「戦士さんまで?」
魔法使いだけは、担当表を見るなり顔をしかめた。
「待ちなさい。まさか敵側まで担当に入れるつもり?」
「魔族です」
「そこはどうでもいい!」
補佐官の訂正を切り捨て、魔法使いが候補欄を指さす。
「研究者は論外。武人は手つきが分からない。補佐官は管理だけでしょ。牙獣将に至っては、牙用ブラシしかまともに使ってないじゃない」
「私は理論上、最適な手順を組める」
研究者が手を上げる。
「実践経験がないでしょ」
「だから実験が必要だ」
「必要ない!」
武人も腕を組んだ。
「我は戦闘前儀式として認めた。必要なら担当することに異論はない」
「異論だらけよ!」
「力加減には自信がある」
「槍を振る力加減と歯ブラシは別!」
補佐官は淡々と記録する。
「魔法使い様、反対意見。理由は技術不足と信頼性」
「書かないで!」
会議室がどんどん違う方向へ進んでいく。
王女様は止めようとしていたが、少し困ったように笑っていた。
「まだ牙獣将様が来ていないだけ、静かな方かもしれませんね」
僧侶がそう言った直後、中庭から大きな音が響いた。
どん。
全員が窓を見る。
「人間ども! 試作品を持ってきたぞ!」
牙獣将だった。
「来ましたね」
「言った直後に」
俺と僧侶の声が重なる。
牙獣将は会議室へ入るなり、補佐官へ長柄ブラシを突きつけた。
「長すぎる! 奥まで届くが、力が逃げる!」
「試作一号です。当然、調整は必要です」
「毛先も柔らかすぎる。我の牙なら、もう少し硬くてよい!」
「歯茎への負担を考慮しています」
牙獣将は不満そうに牙を見せ、少しだけ声を落とした。
「……だが、痛みは減った」
僧侶が微笑む。
「毎日使っているのですね」
「違う! 性能確認だ!」
「毎日?」
「性能確認だと言っている!」
魔法使いがにやりと笑った。
「気に入ってるんじゃない」
「違う!」
大声を出した拍子に、牙獣将が反射的に右顎へ手を当てる。
「まだ少し痛むのですね」
「もうほとんど治った!」
僧侶に指摘され、牙獣将は目を逸らした。
補佐官の羽根ペンが走る。
「長柄ブラシ使用継続。疼痛軽減。本人の満足度も高い」
「最後は書くな!」
四天王が全員そろった。
王国の会議室に。
歯ブラシを持って。
何だ、この状況。
王女様が咳払いし、どうにか本題へ戻そうとする。
「皆様。本日は、魔王城へ向かうための情報共有が目的です」
「もちろん理解している」
武人が頷く。
「同時に、勇者の儀式の完成度も確認する」
「後半を外してください」
研究者も続いた。
「私は魔王城の防衛構造と、勇者の加護を同時に分析する」
「後半を外してください」
「私は行程、補給、休息、口腔ケアの担当交代を管理します」
「最後を外してください」
「我は魔族用ケアの実戦試験に来た!」
「それ、俺で試す話じゃないですよね?」
牙獣将は腕を組む。
「人間の歯と魔族の牙を比較する必要がある」
「研究者みたいになってません?」
「一緒にするな!」
目的が少しずつずれている。
魔法使いは、俺と四天王を交互に見たあと、低い声で言った。
「ちょっと待って」
嫌な予感がする。
「まさか全員、自分も勇者を磨けると思ってる?」
研究者は即答した。
「当然だ」
「必要ならな」
武人も否定しない。
補佐官は帳簿を見る。
「緊急時の予備担当として検討中です」
「我は魔族式ケアの応用を試すだけだ」
牙獣将も結局、候補から降りる気はないらしい。
全員、否定しなかった。
魔法使いのこめかみがぴくりと動く。
「無理」
「何がだ?」
研究者が聞く。
「あんたたちに任せられないって言ってるの!」
「感情的な反対は、研究者として感心しない」
「私は研究者じゃなくて、仲間!」
魔法使いは勢いのまま言い切った。
「勇者の魔力反応も、口の動きも、磨き残しやすい場所も、私たちの方が知ってる。急に来た元敵に任せられるわけないでしょ!」
会議室が静かになる。
俺も少し驚いた。
そして本人も、自分が何を言ったのか気づいたらしい。顔がみるみる赤くなり、そっぽを向いた。
「戦力管理の話よ」
「はい」
「他の意味はないから」
「何も言ってません」
「その顔やめて」
ツンデレだった。
研究者は興味深そうに記録する。
「既存担当者に、新規担当者への対抗意識あり」
「その紙を燃やすわよ」
杖の先に火が灯った。
「落ち着いてください」
僧侶が二人の間へ入る。
「信頼関係は大切です。勇者様本人の同意なしに、担当者を増やすことはできません」
「その通りです」
俺は強く頷いた。
補佐官もそこは迷わない。
「当然です。同意は最優先項目です」
「じゃあ候補欄から四天王を外してください」
「候補欄ですので」
「候補にも入れないでください」
「緊急時を想定すると、完全除外は管理上――」
「敵ですよね?」
「元敵候補です」
呼び方まで進化していた。
戦士が大剣を壁へ立てかける。
「まず、こいつらは味方ではない」
「分かっている」
武人が答えた。
「だが、魔王との戦いを避けるため、一時的に協力する可能性はある」
「その場合でも、勇者を任せるかは別だ」
「ならば、技術を示せばよい」
武人は真面目だった。
「何の技術ですか」
「歯磨きだ」
そこだけ聞くと、完全に会議の目的を見失う。
研究者が水晶板をこちらへ動かした。
「公平に試験すべきだ。各候補者が模型で手順を実演し、速度、負担、精度を比較する」
「それなら勇者様本人を使わずに済みますね」
僧侶が少し乗り気になった。
「僧侶さん?」
「安全性の確認は必要ですから」
魔法使いも腕を組む。
「模型だけなら、まあ」
「魔法使いさんまで?」
補佐官はすでに評価表を作り始めていた。
「所要時間、毛先の角度、歯茎への負担、奥歯への到達、声かけ、緊急時対応」
「声かけまで評価するんですか」
「安心感に影響します」
正しい。
正しいのが困る。
王女様が侍女へ指示し、以前作られた勇者式口腔模型が運び込まれた。
「まだその名前なんですね」
「王国では定着し始めています」
「定着させないでください」
模型を囲み、人間側と魔王軍側の担当者候補が並んだ。
戦士、僧侶、魔法使い。研究者、武人、補佐官、牙獣将。王女様まで横から見学している。
その光景を見た瞬間、何かがおかしいと気づいた。
いや、前からおかしかったけど。
多い。
明らかに多い。
最初に俺を磨いたのは王女様だけ。その後、戦士、僧侶、魔法使いが加わり、村娘にも頼んだ。
そして今、元敵四人まで候補に入ろうとしている。
味方と敵の区別を越えて、俺の歯を磨こうとする人間が増えている。
「勇者様?」
僧侶が心配そうに顔を覗き込んだ。
「顔色が悪いですよ」
「気づいてしまいました」
「何に?」
「このままだと、歯磨き担当候補が増え続けます」
全員が止まった。
俺は指を折る。
「王女様、戦士さん、僧侶さん、魔法使いさん、村娘さん。そこに研究者、武人、補佐官、牙獣将」
九人。
「多すぎません?」
戦士は真顔だった。
「戦力維持には選択肢が多い方がいい」
「体調に合わせて担当を変えられますね」
僧侶も肯定する。
「相手や状況別に選べるわ」
魔法使いは少し不満そうながらも現実的だった。
「比較データが増える」
「儀式の完成度が上がる」
「負担を分散できます」
「人間と魔族の技術交流になる」
研究者、武人、補佐官、牙獣将まで、それぞれ別方向から肯定してくる。
王女様は嬉しそうに微笑んだ。
「皆様が勇者様を支えてくださるのは、喜ばしいことです」
「俺だけ危機感が違う」
誰も分かってくれなかった。
その後、模型を使った簡単な適性試験が始まった。
研究者は開始前から理論を語りすぎた。
「歯列の形状、毛先の角度、魔力伝達を考慮すれば――」
「時間切れ」
魔法使いに止められる。
武人は力が強すぎて、模型の歯を一本外した。
「……加減が必要だな」
「当然です」
補佐官は手順も声かけも正確だったが、途中で確認項目を見すぎて時間超過。
「次は所要時間を短縮します」
「普通に改善する気ですね」
牙獣将は長柄ブラシで奥まで届かせたものの、人間用模型には長すぎた。
「人間の口は小さいな」
「あなたの牙が大きいんです」
結果、四人とも今すぐ担当できる技術ではない。
俺は心から安心した。
「じゃあ、候補から外れますね」
「いいや」
研究者が即答した。
「改善の余地があるという結果だ」
「次回までに修正する」
「手順書を更新します」
「人間用と魔族用を分ければよい」
全員、諦めていなかった。
安心は数秒で消えた。
「次があると思わないで」
魔法使いが四人を睨む。
「なぜ君が決める?」
研究者が聞く。
「私が既存担当だからよ」
言い切ったあと、また顔が赤くなる。
「戦力管理上の話だから」
「分かっています」
「笑わないで」
「笑ってません」
少しだけ嬉しかったけど。
会議の後半では、ようやく本題である魔王城への道筋が確認された。
武人によれば、正門へ続く道には複数の防衛陣がある。補佐官は無用な戦闘を避けるための経路と時間を提示し、牙獣将は魔王直属の獣兵へ話を通すと約束した。研究者も捕虜の立場から、城内の魔導設備に関する情報を出している。
四天王たちは完全な味方ではない。
魔王軍を裏切ったわけでもない。
それでも、勇者一行と魔王が話し合う機会を作ることには同意していた。
「魔王様が応じる保証はない」
武人の声は、それまでより少し重かった。
「戦いになる可能性も高い」
「その時は戦います」
俺は答える。
「でも、最初から殺すつもりでは行きません」
補佐官が静かに頷く。
「その方針であれば、私たちも最低限の協力は可能です」
「ただし、魔王様に害をなせば容赦しない」
牙獣将の目は鋭い。
「分かっています」
研究者だけは、別の方向を見ていた。
「魔王と勇者の魔力反応を同時に記録できる機会など――」
「あなたは王都で留守番です」
王女様が微笑んだ。
「なぜだ!」
「捕虜だからです」
研究者が、この日初めて本気で落ち込んだ。
会議が終わると、四天王たちはそれぞれの場所へ戻ることになった。武人は次の戦闘前儀式の確認を要求し、補佐官は更新した担当表を置いていく。牙獣将は長柄ブラシを持ち帰り、研究者は拘束されたまま兵士に連れていかれた。
俺は、机に残された紙を見る。
勇者加護発動担当表・草案。
主要担当は戦士、僧侶、魔法使い。臨時担当が王女様と村娘。そして候補欄には、研究者、武人、補佐官、牙獣将。
「本当に書いてある」
頭を抱える俺の横から、魔法使いが紙を奪った。
「候補欄は消す」
線を引こうとしたところで、僧侶が止める。
「緊急時の情報としては、残してもよいのでは?」
「僧侶?」
「もちろん、同意と安全性の確認は必要ですが」
戦士も頷いた。
「使える選択肢は把握しておくべきだ」
魔法使いは二人を見たあと、俺を見る。
「勇者はどうしたいの?」
急に聞かれた。
少し考える。
「基本は、今の三人がいいです」
戦士、僧侶、魔法使いを見る。
「慣れていますし、信頼していますから」
三人の反応は、それぞれ違った。
戦士は短く頷く。
「当然だ」
僧侶は柔らかく笑った。
「ありがとうございます」
魔法使いは少し目を見開き、すぐ顔を逸らす。
「まあ……当然よね」
少し嬉しそうだった。
「ただ、緊急時に他の人へ頼る可能性までは否定できません」
「そこは否定しなさいよ」
魔法使いが即座に振り向く。
「死ぬかもしれない時は無理です」
「それは……そうだけど」
戦士が担当表をたたんだ。
「なら、基本は私たち三人。候補は緊急時のみ」
「必ず勇者様本人の同意を確認しましょう」
僧侶も続く。
魔法使いは少し不満そうだったが、最後には頷いた。
「勝手に増やすのは禁止だから」
「俺もそうしてほしいです」
ひとまず、担当者の無制限な増加は止められた。
たぶん。
ただ、机の上には研究者の新型ブラシ案、武人の短時間仕上げ訓練案、補佐官の担当表、牙獣将の魔族用長柄ブラシが残っている。
全然止まっている気がしない。
世界を救う旅は、いよいよ魔王城へ向かう。
味方と元敵が交差し、人間と魔族の距離も少しずつ変わり始めた。それ自体は、たぶん良いことなのだと思う。
ただし、俺の歯磨き担当候補まで交差する必要はない。
歯磨き前はレベル5。歯磨き後はレベル99。
最初は王女様一人だった担当も、今では仲間三人、臨時担当二人、元敵候補四人。
合計九人。
まだ魔王には会っていない。
嫌な予感しかしない。
このまま進めば、魔王まで担当候補へ加わるのではないか。
いや、さすがにない。
魔王は最後の敵だ。
歯磨きをする側ではない。
そう信じたい。
「勇者」
魔法使いが声をかける。
「魔王城へ行く前に、精密仕上げの確認をするわよ」
「今からですか?」
「元四天王に負ける気はないから」
対抗意識を隠さなくなっていた。
戦士も立ち上がる。
「急速仕上げも確認する」
僧侶は治療ブラシを取り出した。
「疲労もありますから、最後は安定ケアですね」
三人が俺を見る。
「全部やるんですか?」
「比較が必要よ」
魔法使いが答えた。
研究者と同じことを言い始めている。
俺は王城の天井を見上げた。
どこにいても逃げ場がない。
元四天王が担当候補へ加わった結果、既存の三人まで対抗意識を強めている。
終盤へ向かうほど、戦いは激しくなる。
そしてたぶん、俺の歯磨き当番争いも激しくなる。
世界を救う前に、俺の自由時間がなくなるかもしれない。
### 次回予告
補佐官
「口腔管理所を設置します」
牙獣将
「我の言葉を勝手に標語にするな!」
魔族兵
「でも、このブラシを使ってから牙が痛くないんです」
魔法使い
「魔族用の方が種類増えてない?」
勇者
「王国より歯磨き文化が進んでません?」
戦士
「戦争の準備はどうした」
魔族兵
「今日は口腔検査があります」
勇者
「戦争する暇なくなってる」
次回、第16話
「魔王軍にも歯磨き文化が広まり始める」