他人に歯磨きしてもらわないとレベル99になれない勇者です   作:きのこ大三元

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第16話「魔王軍にも歯磨き文化が広まり始める」

魔王軍の補給拠点に、奇妙な列ができていた。

 

 武器でも食糧でもない。

 

 歯と牙の相談を待つ列だった。

 

「次の方。症状は?」

 

 補佐官が帳簿を開くと、二本の牙を持つ小型魔族が頬を押さえて座った。

 

「硬い肉を噛むと、右の牙が痛い」

「いつからですか」

「十日くらい前」

「手入れは?」

「水を飲んでいる」

「歯ブラシは?」

「使っていない」

「魔力菓子は?」

「毎日食べている」

 

 補佐官の羽根ペンが止まった。

 

「原因候補が多すぎます」

 

 補給拠点の一角には、試作歯ブラシ、洗浄用の水、刺激を抑えた歯磨き粉、小型の鏡が並んでいた。

 

 人間側の王国式歯磨き講習会を参考に作られた、魔王軍臨時口腔管理所である。

 

「次は我が見る」

 

 隣に立つ牙獣将の腰には、魔族用の長柄ブラシが下がっていた。

 

「牙獣将様も使っているのですか?」

「性能確認だ」

「毎日?」

「性能確認だ!」

 

 補佐官は帳簿へ書き込む。

 

「長柄ブラシ使用十三日目。痛みは軽減。継続意思あり」

「余計なことを書くな!」

 

 列に並ぶ魔族たちが少し笑った。

 

 以前なら、牙の痛みを訴えることは弱さと見なされていた。だが、四天王本人が長柄ブラシを持ち、相談所に立っている。

 

 痛みを隠さず話す者は、少しずつ増えていた。

 

 牙獣将は小型魔族の口内を確認し、眉を寄せる。

 

「根元が腫れている。強く噛むな」

「牙獣将様も同じ痛みが?」

「ない」

「ありました」

 

 補佐官が即座に訂正した。

 

「補佐官!」

 

「正確な情報が必要です」

 

 小型魔族は安心したように笑う。

 

「牙獣将様でも痛くなるなら、俺だけじゃないんですね」

 

 牙獣将は言い返しかけ、やがて腕を組み直した。

 

「強い牙ほど、手入れを怠るな」

 

「はい!」

 

 返事は先ほどより明るかった。

 

 補佐官は新しい掲示を広げる。

 

 魔王軍式口腔管理心得。

 

 一、歯や牙の痛みを隠さないこと。

 一、食後は口内を清潔にすること。

 一、牙の根元と裏側を忘れないこと。

 一、痛みがある状態で無理に戦わないこと。

 一、人間用の道具は、魔族の体質に合うか確認すること。

 

「最後は必要か?」

 

 牙獣将が聞く。

 

「人間用歯磨き粉を大量に使い、口から泡を吹いた兵士がいました」

 

 列の後ろで、一人の魔族が顔を伏せた。

 

「刺激が強い方が効くと思って……」

「量を増やしても効果は上がりません」

 

 研究者が残した資料にも、適量を守るよう書かれていた。ただし原本は十二冊あり、勇者への観察希望と、自分が担当した場合の仮説が大半を占めていた。

 

 補佐官が実用部分だけを十五ページに要約している。

 

「ほとんど削ったな」

「不要な部分が七割ありましたので」

「削って正解だ」

 

 牙獣将は迷わなかった。

 

 臨時口腔管理所が開設されてから、補給拠点にも変化が出ていた。

 

 食堂には手入れ用の水場が増え、歯ブラシの保管棚には名前札がついた。硬い干し肉は少し柔らかく調理され、粘り気の強い魔力菓子には「食後の手入れ推奨」と書かれている。

 

 魔族用の道具も増えた。

 

 小型魔族用の細いブラシ。大きな牙へ届く長柄ブラシ。獣人型向けの幅広ブラシ。炎を吐く種族向けの耐熱ブラシ。

 

「耐熱まで必要なんですか?」

 

 補給拠点を訪れた俺が聞くと、補佐官は真顔で頷いた。

 

「口を開けた時、無意識に火を吐く者がいます」

「使用中に燃えるのね」

 

 魔法使いは試作品を手に取り、耐火術式を確認する。

 

「量産用なら、少し簡略化できそう」

「魔法使いさん、また協力していますね」

「構造が気になるだけよ」

 

 いつもの言い訳だった。

 

 俺たちがここへ来た目的は、魔王城までの経路と休戦交渉の確認である。

 

 歯ブラシ開発会議ではない。

 

「こちらが魔王城までの補給経路です」

 

 補佐官が地図を広げる。

 

「三つの中継地点に、水、食糧、休息場所、口腔ケア用品を用意します」

「最後は必要ですか?」

「勇者様には必要です」

 

 即答だった。

 

「歯磨き粉が切れれば戦えない」

 

 戦士も頷く。

 

「予備は三人で分けて持ちましょう。一つ奪われても、残りを使えます」

 

 僧侶まで護送計画を立て始めた。

 

 魔王城攻略の重要物資が、勇者用歯磨き粉である。

 

「城まで、戦闘を避けられるのですよね」

 

 僧侶が確認する。

 

「可能な限りは」

 

 補佐官の表情が少し硬くなった。

 

「私と牙獣将は対話を支持しています。武人も、無意味に兵を失うことは望んでいません。ただし、一般兵と魔王様が受け入れる保証はありません」

 

「当然だ。こちらも完全に信用されるとは思っていない」

 

 戦士が答える。

 

 補佐官は、口腔管理所へ視線を向けた。そこでは魔族兵たちが新しいブラシを受け取り、使い方を確認している。

 

「それでも、以前とは状況が違います。人間側の技術で痛みが減り、食事を取れるようになった兵士がいます」

 

「それ、敵の戦力を回復させてません?」

 

 俺が指摘すると、全員が止まった。

 

「確かに」

 

 魔法使いが今さら気づいた。

 

 僧侶は困ったように微笑む。

 

「痛みのある方を放ってはおけませんから」

 

「だが、治した兵士が再び戦場へ出れば、戦争は続く」

 

 戦士の言葉に、補佐官は帳簿を閉じた。

 

「その点は、私も考えています」

 

 珍しく、すぐには答えなかった。

 

「兵士を健康にすることは、管理役として望ましい。ですが、痛みを治した直後に再び戦場へ送り、命を失わせる。それを繰り返すために、私は管理しているのではありません」

 

 周囲の魔族兵たちも、黙って聞いていた。

 

「戦争より、歯の健康が大事だと?」

 

 戦士が聞く。

 

「単純な比較はできません。しかし、痛みなく食べ、眠り、暮らすことは、人間にも魔族にも必要です。それを守るための戦争が、日常そのものを壊しているなら、見直すべきでしょう」

 

 一人の若い魔族兵が手を上げた。

 

「俺、北の村を攻める部隊に入っています」

「命令は、まだ有効です」

「でも、そこには歯ブラシ職人がいるんですよね」

「そう聞いています」

「攻めたら、作れる人がいなくなるかもしれない」

 

 魔族兵は、自分の牙へ触れた。

 

「人間が好きなわけではありません。でも、この前もらったブラシで痛みが減りました。作った人まで倒すのは、違う気がします」

 

 別の魔族も続く。

 

「戦争が終われば、普通に買えるかもしれない」

「魔力菓子と交換できないか?」

「人間に売れるのか?」

「食後の注意書きをつければいい」

 

 戦争の話が、いつの間にか交易案へ変わっていた。

 

「歯ブラシが和平の材料になってる」

 

 魔法使いが呟く。

 

「世界を救う聖具だったんですかね」

「それは言いすぎ」

 

 即座に否定された。

 

 牙獣将は部下たちの声を聞き、腕を組み直した。

 

「人間の道具に利用価値があることは認める。我らの牙を守る技術を持つ者を、人間だからという理由だけで滅ぼすのは愚かだ」

 

「牙獣将様……」

 

「勘違いするな。降伏する気はない」

 

 牙獣将は強く言った。

 

「だが、誇りとは不調を隠すことではない。強い牙を守るために話し合いが必要なら、その価値はある」

 

 補佐官は羽根ペンを走らせる。

 

「魔王軍内での休戦支持意見、増加」

「勝手に正式記録へ入れるな」

「重要な変化です」

 

 牙獣将は不満そうだったが、記録を止めなかった。

 

「勇者様」

 

 補佐官が俺を見る。

 

「魔王城で、この拠点の変化を魔王様へ伝えてください」

「補佐官さんから話した方がよくないですか」

「私も話します。しかし、勇者であるあなたが、魔族を倒すだけでなく、痛みのある者を助けた事実には意味があります」

 

 実際に治療したのは僧侶で、魔法使いが道具を改良し、戦士が実戦的な助言をした。補佐官と牙獣将が、それを魔王軍へ広めている。

 

 俺は、歯磨きで強くなる勇者としてきっかけになっただけだ。

 

 それでも、その条件がなければ、人間と魔族が歯や牙について話すこともなかっただろう。

 

「分かりました。戦いを避けられるなら、話します」

 

「魔王様が応じなければ?」

 

 牙獣将が問う。

 

「その時は戦います。でも、勝ったあとに殺すかは別です」

 

「我の時と同じか」

「はい」

 

「甘いな」

「そうかもしれません」

 

「甘いだけではない。戦う時は戦う」

 

 戦士の言葉に、牙獣将は少し笑った。

 

「だからこそ、魔王様へ会わせる価値がある」

 

 交渉の方向性が決まりかけたところで、補佐官は黒い小瓶を机へ並べた。

 

「続いて、魔族用歯磨き粉の試作品です」

「急に戻りましたね」

「重要です」

 

 魔族は種族差が大きい。人間用では刺激が強すぎる者もいれば、逆に弱すぎる者もいる。炎を吐く種族は泡を吸い込む危険があり、嗅覚の鋭い獣人型には強い香りが使えない。

 

「種類を分ける必要があるわね」

 

 魔法使いが試作品の魔力反応を確認する。

 

「牙用、幼体用、炎を吐く種族用。勇者用とは完全に別管理」

 

「当然です」

 

 補佐官も頷く。

 

「勇者様の歯磨き粉は戦略物資ですので」

「そこは変わらないんですね」

 

 戦士は容器を確認した。

 

「戦場へ持たせるなら、割れない容器にしろ。重くなるなら小分けだ」

「次の試作へ反映します」

 

 僧侶も成分表を見る。

 

「痛みや腫れがある場合、歯磨きだけで済ませず治療を受けるよう明記してください」

「心得へ追加します」

 

 魔族用長柄ブラシ、幅広ブラシ、耐熱ブラシ、種族別の歯磨き粉。

 

 魔王軍の歯磨き文化は、すでに王国より細分化し始めていた。

 

「管理項目が増えすぎます」

 

 補佐官は疲れた顔をした。

 

 それでも、少し満足そうだった。

 

 夕方には、相談の列も短くなっていた。痛みが和らいだ者は食堂へ向かい、新しいブラシを受け取った者は仲間と使い方を確認している。

 

 食堂の前には、新しい掲示が貼られていた。

 

『食後は、牙と歯の確認を』

 

 その下には、牙獣将の言葉が添えられている。

 

『強き牙ほど、手入れを怠るな』

 

「本当に言ったんですか?」

 

「先ほどの発言を分かりやすく編集しました」

 

「勝手に標語にするな!」

 

 遠くから牙獣将の声が飛んできた。

 

 だが、掲示を剥がしには来なかった。

 

 その前で、魔族兵たちが話している。

 

「歯を磨いてから戦争か」

「まず飯だろ」

「飯のあとは歯磨きだ」

「そのあと戦争?」

「今日はもう遅い」

「明日はブラシの配給がある」

「明後日は口腔検査だ」

「戦争する時間ないな」

 

 笑い声が起きた。

 

 本気で戦争より歯磨きが大事になったわけではない。魔王軍はまだ敵で、命令があれば戦う者も多い。

 

 それでも、痛みなく食べたい。牙を失いたくない。便利な道具を作る人間を、ただ敵だからと滅ぼしたくない。

 

 そんな考えが、少しずつ生まれていた。

 

「勇者様」

 

 補佐官は地図と書類をまとめ、俺へ渡した。

 

「魔王城への通行案、口腔管理所の記録、休戦支持意見です」

 

 魔族兵たちの感想も添えられている。

 

『歯の痛みが減り、食事が取れるようになった』

『人間の道具にも使えるものがある』

『歯ブラシ職人のいる村は攻撃対象から外してほしい』

『戦争が終われば、魔力菓子と歯磨き粉を交換したい』

 

「交易案までありますね」

「需要があれば供給経路を考えるのが管理役です」

 

 補佐官は当然のように答えた。

 

「魔王様には、我からも話す」

 

 牙獣将も長柄ブラシを腰へ戻す。

 

「人間の文化を認めたと?」

「魔族用へ改良した技術を認めたのだ」

 

 そこは譲らなかった。

 

「だが、人間と話す価値はある。その程度は認める」

 

 十分だった。

 

 俺は背中の歯磨きセットを持ち直した。

 

 歯磨き前はレベル5。歯磨き後はレベル99。

 

 最初は、恥ずかしくて、不便で、意味の分からない加護だと思っていた。

 

 その条件をきっかけに、王国では歯磨き講習会が開かれ、村の子供たちが歯を磨き、魔王軍では牙の痛みを隠さない者が増え始めた。

 

 戦争を終わらせる力になるかは分からない。

 

 それでも、人間と魔族が同じ悩みについて話せることは分かった。

 

 歯が痛い。牙を失いたくない。食事をおいしく食べたい。

 

 そこに、人間も魔族も大きな違いはない。

 

「勇者、行くぞ」

 

 戦士が呼ぶ。

 

「魔王城へ出る前に、歯磨きセットを再確認する」

「今、良いことを考えていたんですが」

「切らしてからでは遅い」

 

 正論だった。

 

「歯磨き粉は三人で分散して持ちます」

 

 僧侶も準備を始める。

 

「魔族用と間違えないようにしないとね」

 

 魔法使いは黒い小瓶と、神界製の容器を見比べた。

 

「取り違え防止のため、大きく『勇者専用』と書きます」

 

 補佐官が羽根ペンを出す。

 

「恥ずかしいのでやめてください」

「安全を優先します」

「せめて小さく」

「大きい方が安全です」

 

 俺の意見は通らなかった。

 

 魔王軍の食堂前では、魔族兵たちが食後の手入れを始めている。

 

 戦争より、歯の健康の方が大事なのではないか。

 

 まだ冗談に近い。

 

 だが、その冗談を笑って言える程度には、人間と魔族の距離が近づいていた。

 

 次に向かうのは魔王城。

 

 戦うことになるかもしれない。

 

 それでも、話し合える可能性はある。

 

 勇者一行は聖剣と魔法、交渉案、そして厳重に管理された歯磨きセットを抱え、魔王のもとへ向かうことになった。

 

 できれば最後くらい、歯磨き以外の方法で世界を救いたい。

 

 たぶん、無理な気がしている。




次回予告
 
戦士
「魔王城までの道は開いた」
 
僧侶
「戦う準備と、話し合う準備をしましょう」
 
魔法使い
「勇者用の歯磨き粉は、魔族用と分けて持って」
 
勇者
「決戦前にも歯磨き粉の心配」
 
補佐官
「『勇者専用』と大きく記載しました」
 
勇者
「消してください」
 
牙獣将
「魔王様の前で、無様な歯磨きを見せるなよ」
 
勇者
「やる前提なんですね」
 
次回、第17話
「歯磨きセットを抱えて、魔王城へ」
 
勇者一行、人間と魔族の交渉案を持って最後の城を目指す。
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