他人に歯磨きしてもらわないとレベル99になれない勇者です【完結】   作:きのこ大三元

22 / 27
第17話「歯磨きセットを抱えて、魔王城へ」

魔王城へ向かう朝、俺の荷物だけ妙に厳重だった。

 

 聖剣は腰。防具は装着済み。着替えや食糧は普通の旅袋に入っている。

 

 問題は、背中の箱だった。

 

『勇者専用・加護発動用口腔ケア用品』

 

 大きな文字で書かれている。

 

「消してください」

「取り違え防止です」

 

 補佐官は羽根ペンをしまった。

 

「魔族用歯磨き粉と間違える可能性があります」

「ここまで大きく書かなくても分かります」

「戦場では一目で判別できる方が安全です」

 

 正論だった。

 

 だが、恥ずかしい。

 

 箱の中には神界製の歯磨き粉、戦士の実戦用ブラシ、僧侶の治療ブラシ、魔法使いの精密ブラシ、携帯用コップ、白い布、予備の獣毛ブラシが収められている。

 

 歯磨き粉は三つの小容器に分け、戦士、僧侶、魔法使いが一つずつ持った。一人が襲われても、残りの二人が発動させられるようにするためだ。

 

 完全に戦略物資だった。

 

「全員、準備はいいな」

 

 戦士が大剣を背負い直す。

 

「問題ありません」

 

 僧侶は回復薬と交渉資料を確認した。

 

「魔力反応も安定。ブラシの破損もなし」

 

 魔法使いは、俺の口内ではなく道具を確認している。

 

「決戦前なのに、俺の歯ブラシが一番細かく点検されてません?」

「ないとレベル5でしょ」

「はい」

「なら当然」

 

 逃げ道はなかった。

 

 王都から同行した王国兵は、魔王軍との境界手前で止まることになっていた。大部隊で進めば、休戦を望まない魔族を刺激する。

 

 ここから先は、勇者一行の四人だけ。

 

 ただし、完全な孤立ではない。

 

 第一の四天王、研究者からは、魔王城周辺の魔力装置に関する資料が届いていた。

 

『城門の結界は三重構造。外側は破壊可能だが、解除した方が観察価値は高い。なお、魔王と勇者の同時魔力測定を強く希望する』

 

「最後はいらない」

 

 魔法使いが紙を折った。

 

 第二の四天王、武人からは、城までの警備配置と短い伝言。

 

『正門前の守備隊には、我から無用な交戦を避けるよう伝えた。勇者よ、儀式に時間をかけすぎるな』

 

「余計なお世話です」

 

「だが、正しい」

 

 戦士は気にしていなかった。

 

 第三の四天王、補佐官からは、通行経路、休息地点、魔王軍内の休戦支持者、反対派の情報。そして、勇者加護発動担当表の最新版。

 

「これは持っていきません」

 

 俺は担当表だけ返した。

 

「緊急時に必要です」

「頭に入っています」

「候補者も?」

「元四天王は数えなくていいです」

 

 補佐官は不満そうだったが、受け取った。

 

 第四の四天王、牙獣将は、自ら城の手前まで案内することになっている。彼女の腰には、改良された魔族用長柄ブラシが下がっていた。

 

「見るな」

 

「見てません」

 

「今、見ただろう」

 

「武器より目立つので」

 

「これは牙を万全に保つための装備だ!」

 

 もう歯磨きを否定してはいなかった。

 

 魔王城へ続く道は、黒い岩山の間を縫うように伸びていた。空は厚い雲に覆われ、遠くには魔力の雷が走っている。

 

 いかにも最後の城へ向かう道である。

 

 その途中に、歯ブラシとコップを持った俺たちがいることを除けば。

 

「ここから先は、三つの関門がある」

 

 牙獣将が地図を示す。

 

「第一は獣兵の谷。第二は瘴気の回廊。第三は城門前の魔導守護像だ。話は通してあるが、全員が従うとは限らん」

 

「必要なら戦います」

 

 俺が答えると、牙獣将は視線を向けた。

 

「今はレベル5だろう」

「はい」

「自信満々に言うな」

 

 自信はない。

 

 事実を伝えただけである。

 

 第一の関門、獣兵の谷には、牙や角を持つ魔族兵が並んでいた。

 

 牙獣将の命令を受けているため、すぐには襲ってこない。だが、人間の勇者を通すことに納得していない者も多いらしく、険しい視線が集まっていた。

 

「本当に、この人間を魔王様の前へ通すのですか」

 

 一人の獣兵が牙獣将へ問う。

 

「我が決めたのではない。補佐官と武人も同意している」

「しかし、勇者は魔王様を討つために来た者です」

 

「話し合うためにも来ました」

 

 俺が言うと、獣兵は鼻を鳴らした。

 

「歯を磨かれなければ戦えない人間の言葉など、信用できるか」

 

 知っていた。

 

 ここでも条件が広まっている。

 

「なら、見せてもらおう」

 

 獣兵が武器を構え、周囲の数人も続いた。

 

「魔王様を守るに足る相手か、確かめる」

 

 牙獣将が止めようとしたが、戦士が前へ出る。

 

「短く済ませる。勇者、来い」

 

「ここでですか?」

「最終決戦前だ。最速で仕上げる」

 

 戦士は実戦用ブラシを取り出した。

 

 以前なら、道具を準備し、姿勢を整え、俺が恥ずかしさで固まる時間があった。

 

 今は違う。

 

「口を開けろ」

「はい」

 

 戦士の動きに迷いはなかった。

 

 前歯から奥歯まで、発動に必要な範囲を正確に通す。かつて武人に粗いと言われた奥歯への入りも改善され、速さを落とさず毛先を届かせていた。

 

「すすげ」

 

「もう終わりですか?」

「終わりだ」

 

 口をすすぐと、胸の奥で光が弾けた。

 

 レベル99。

 

 獣兵たちがざわめく。

 

「速い……」

「歯磨きが?」

「そこに驚かないでください」

 

 俺は剣を抜いた。

 

 獣兵たちとの勝負は、数分で終わった。

 

 武器を弾き、足を止め、誰も殺さずに地面へ伏せる。レベル99なら力の差は大きいが、戦士の声を聞き、必要以上に傷つけないよう制御した。

 

「これで通してもらえますか」

 

 獣兵たちは悔しそうだったが、武器を下ろした。

 

「認めたわけではない」

「四天王も、みんなそう言いますね」

 

 魔王軍の文化なのかもしれない。

 

 谷を抜けると、レベル99の効果が切れる前に次の区間へ進んだ。しかし、第二の関門である瘴気の回廊へ入る頃には、体から力が抜けていた。

 

 再びレベル5。

 

 回廊には黒い霧が漂い、気分を沈ませる魔力が満ちている。戦える相手はいないが、歩いているだけで胸が重くなった。

 

「勇者様、顔色がよくありません」

 

 僧侶が俺の横へ来る。

 

「魔力の影響ですね。少し休みましょう」

 

「でも、先へ進まないと」

 

「焦っても良い結果にはなりません」

 

 僧侶は静かな声で言い、治療ブラシを取り出した。

 

「次の戦闘に備えて、整えましょう」

 

「瘴気の中で歯磨きですか」

 

「安心してください。結界を張ります」

 

 問題は場所ではなく、歯磨きそのものなのだが、もう言っても仕方がない。

 

 僧侶の結界が瘴気を押し退け、小さな安全地帯を作った。

 

「肩の力を抜いてください」

 

「最終決戦が近いと思うと、難しいです」

 

「怖いですか?」

 

 少し迷った。

 

「はい」

 

 魔王は、これまでの四天王より強いはずだ。話し合いに応じる保証もない。失敗すれば、俺だけでなく仲間まで死ぬ。

 

「私たちも一緒です」

 

 僧侶は穏やかに微笑んだ。

 

「勇者様一人に、世界を背負わせるつもりはありません」

 

 柔らかな毛先が、緊張をほぐすように動く。手順は短い。それでも、以前より自然で、こちらの呼吸や顎の力までよく分かっている。

 

 僧侶の安定ケアは、体だけでなく心を整えるものになっていた。

 

「終わりました。すすいでください」

 

 再びレベル99へ上がる。

 

 同時に、胸の重さも少し軽くなった。

 

「ありがとうございます」

 

「どういたしまして」

 

 僧侶はいつものように微笑んだ。

 

 瘴気の回廊では、力任せに進まず、魔法使いが魔力の薄い道を探し、僧侶が結界を維持した。戦士は前方を警戒し、俺は後方から迫る影を追い払う。

 

 誰か一人が突出するのではない。

 

 これまでの旅で身につけた役割を、それぞれが果たしていた。

 

 回廊を抜けると、黒い城壁が見えた。

 

 魔王城。

 

 空へ突き刺さるような尖塔と、巨大な正門。その前には、人型の魔導守護像が二体立っている。

 

「最後の関門だ」

 

 牙獣将が足を止めた。

 

「守護像は、魔王様の命令がなければ止まらん。補佐官が解除手順を用意しているが、失敗すれば動く」

 

 補佐官の書類どおりに魔法使いが術式へ触れる。

 

 光が一つ、二つと消えた。

 

 最後の一つで、魔導守護像の目が赤く光る。

 

「研究者の資料、ここだけ式が古い!」

 

「捕まる前の情報だからな!」

 

 牙獣将が叫ぶ。

 

 二体の守護像が動き出した。

 

 僧侶による加護は、回廊を抜ける頃には切れている。

 

 またレベル5だった。

 

「勇者、下がれ!」

 

 戦士が守護像の剣を受ける。

 

 僧侶は結界を張り、牙獣将がもう一体へ斧を叩き込んだ。

 

「魔法使い、任せた!」

 

 戦士の声に、魔法使いが俺を見る。

 

「分かってる!」

 

 彼女は精密ブラシを取り出した。

 

「こっちへ来なさい。最終確認も兼ねるわ」

 

「今ですか?」

「今しかないでしょ!」

 

 守護像の攻撃が結界を揺らす。

 

 魔法使いは顔を赤くしながらも、俺の顎へ手を添えた。

 

「口を開けて」

 

「お願いします」

 

「改まって言わないで。恥ずかしくなるから」

 

「魔王城の前なので、俺もかなり恥ずかしいです」

 

「知ってるわよ」

 

 魔法使いの動きは、初めて担当した頃より格段に速くなっていた。魔力で毛先の位置を確認し、短時間でも奥歯や歯の裏側を外さない。

 

「右の奥歯、少し力が入ってる」

 

「守護像が来ています」

 

「戦士が止めてる。今は動かない」

 

「信頼が重い」

 

「私たちを信じなさい」

 

 照れ隠しのように強い言い方だった。

 

 だが、手つきは乱れない。

 

 磨き残しを許さない精密さと、実戦で使える速さ。その両方を身につけていた。

 

「終わり。すすいで」

 

 口をすすぐ。

 

 三度目の光が胸の奥で弾けた。

 

 レベル99。

 

「行ってきなさい」

 

 魔法使いは、少しだけ視線を逸らした。

 

「絶対に戻ってくること」

 

「はい」

 

 守護像へ向かって走る。

 

 一体目の剣をかわし、胸部の魔力核へ剣を入れる。牙獣将が体勢を崩した二体目は、魔法使いが示した術式の継ぎ目を断ち切った。

 

 二体の守護像が停止する。

 

 魔王城の正門が、低い音を立てて開き始めた。

 

 戦士、僧侶、魔法使いが俺の隣へ並ぶ。

 

 三人とも、出会った頃とは違っていた。

 

 戦士は、ただ速いだけではなく、敵の攻撃下でも正確に発動させられるようになった。

 

 僧侶は、歯を磨くだけでなく、俺の不安や疲労まで落ち着かせてくれる。

 

 魔法使いは、照れながらも逃げず、短時間でも磨き残しを許さない。

 

 俺も変わった。

 

 最初は、誰かに歯を磨いてもらうことが恥ずかしくて仕方なかった。今も恥ずかしい。

 

 それでも、必要なら頼める。

 

 この三人になら、安心して任せられる。

 

「どうした?」

 

 戦士が聞く。

 

「少し、旅のことを思い出していました」

 

「今は前を見ろ」

 

「はい」

 

 僧侶が微笑む。

 

「帰り道で、ゆっくり振り返りましょう」

 

「勝ってからね」

 

 魔法使いも前を向いた。

 

 正門の向こうには、暗い城内と長い階段が続いている。

 

 牙獣将は門の前で足を止めた。

 

「我が同行できるのはここまでだ。魔王様の前へ武器を持って進めば、たとえ我でも反逆と見なされる」

 

「案内、ありがとうございました」

 

「礼は不要だ。我は魔王様と魔族の未来のために動いただけだ」

 

 牙獣将は俺の背中の箱を見る。

 

「その道具を、最後まで守れ」

 

「歯磨きセットですけど」

 

「貴様にとっては武器だろう」

 

 戦士と同じことを言われた。

 

「それと、魔王様の前で無様な姿を見せるな」

 

「歯磨きはすると思います」

 

「それは仕方ない」

 

 仕方ない扱いになっていた。

 

 牙獣将は少し考え、声を落とす。

 

「魔王様は強い。だが、話を聞かぬ方ではない」

 

「補佐官さんも、そう言っていました」

 

「ただし、弱い者の言葉は届かん」

 

 牙獣将は真っすぐに俺を見る。

 

「戦えることを示し、その上で話せ」

 

「分かりました」

 

 門の上から、黒い鳥が舞い降りた。足には補佐官からの小さな伝言が結ばれている。

 

『城内の非戦闘員は退避済み。休戦支持者は持ち場を離れています。ただし、魔王様の決定には従ってください』

 

 さらに下には、小さな文字があった。

 

『勇者用歯磨き粉の残量を再確認してください』

 

「最後までそれですか」

 

 戦士は箱を開ける。

 

「十分ある」

 

 僧侶も確認する。

 

「予備も三つあります」

 

 魔法使いは容器の表示を見た。

 

「魔族用との取り違えもなし」

 

「決戦前の最終確認が歯磨き粉」

 

 俺は頭を抱えた。

 

 だが、そのやり取りで少し緊張が抜けた。

 

 魔王城へ入れば、何が起きるか分からない。

 

 戦闘になる可能性は高い。魔王が話し合いを拒めば、世界を守るために剣を振るう必要がある。

 

 それでも、以前とは違う。

 

 魔王軍の中には、戦争を見直そうとする者がいる。四天王たちも、それぞれの理由で俺たちをここまで通した。

 

 研究者は情報を残した。

 武人は警備を抑えた。

 補佐官は経路と交渉資料を整えた。

 牙獣将は自ら案内した。

 

 そして俺の隣には、旅を共にした三人がいる。

 

「行きましょう」

 

 俺は言った。

 

「魔王を倒しに?」

 

 魔法使いが聞く。

 

「まず、話をしに」

 

「話が通じなければ?」

 

 戦士が続ける。

 

「戦います」

 

 僧侶が静かに頷く。

 

「それでいいと思います」

 

 俺たちは、開いた門をくぐった。

 

 魔王城の中は静かだった。

 

 石造りの長い廊下。壁に灯る青い炎。奥から流れてくる、これまで感じたことのない強大な魔力。

 

 怖くないわけではない。

 

 逃げたい気持ちも少しある。

 

 だが、もう一人ではなかった。

 

 戦士の最速仕上げ。

 僧侶の安心できる安定ケア。

 魔法使いの磨き残しを許さない精密仕上げ。

 

 三人の歯磨きは、旅の始まりには存在しなかった。それぞれが俺の加護を理解し、失敗し、工夫し、戦場で使える形へ育ててきたものだ。

 

 俺自身も、頼ることを覚えた。

 

 歯磨き前はレベル5。歯磨き後はレベル99。

 

 その間を埋めるのは、歯ブラシだけではない。

 

 仲間への信頼だった。

 

 廊下の先に、大きな扉が見える。

 

 魔王の間。

 

 扉の向こうから、低い声が響いた。

 

「来たか、歯磨き勇者」

 

 俺は足を止めた。

 

「魔王様にも、その名前で広まってる」

 

 魔法使いが小さく吹き出す。

 

「笑わないでください」

 

「笑ってない」

 

「肩が揺れてます」

 

 戦士は大剣へ手をかけ、僧侶は杖を握る。

 

 俺も聖剣の柄へ触れた。

 

 そして、背中の歯磨きセットがあることを確認する。

 

 最後の戦いになるかもしれない。

 

 最後の話し合いになるかもしれない。

 

 どちらにしても、準備はできている。

 

「行きます」

 

 三人が頷いた。

 

 魔王の間へ続く扉が、ゆっくりと開いた。




次回予告
 
魔王
「余の前へ来るため、三度も歯を磨かれたか」
 
勇者
「数えないでください」
 
戦士
「戦うのか、話すのか。決めろ」
 
僧侶
「人間も魔族も、痛みなく暮らせる道があるはずです」
 
魔法使い
「魔王の魔力反応……強い。でも、口元に妙な乱れがある」
 
魔王
「見るな」
 
勇者
「まさか、魔王様も歯が?」
 
魔王
「見るなと言っている!」
 
次回、第18話
「魔王様も、歯の悩みを抱えていた」
 
最後の敵にも、口腔ケア問題が発覚する。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。