他人に歯磨きしてもらわないとレベル99になれない勇者です【完結】   作:きのこ大三元

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第18話「魔王、ドラゴン娘である」

 魔王の間へ続く大扉が、重い音を立てて開いた。

 

 広い。

 

 王城の謁見の間よりさらに大きく、天井は見上げるほど高い。黒い石柱の間には青白い炎が灯り、その奥、長い階段の先に玉座があった。

 

 そこへ、一人の少女が座っている。

 

 いや、少女と呼ぶには威圧感がありすぎた。

 

 長い黒髪に、額から伸びる二本の角。背中には大きな翼が畳まれ、玉座の脇には鱗に覆われた太い尻尾が垂れている。赤い瞳は真っすぐこちらを射抜き、口元から覗く牙は、牙獣将のものより細い代わりに鋭かった。

 

 見た目だけなら若い女性。

 

 でも、魔力だけで分かる。

 

 強い。

 

 四天王とは、明らかに格が違う。

 

 視界の隅に文字が浮かぶ。

 

 魔王。

 

 レベル――。

 

 表示が揺れた。

 

「見えないんですけど」

「当然だ」

 

 玉座から低い声が返ってきた。

 

 魔王は頬杖をつきながら、こちらを見下ろしている。

 

「余の力を、貴様の浅い鑑定で測れると思うな」

「鑑定してたの、バレてました?」

「城へ入った時から見ている」

 

 嫌なことを聞いた。

 

 後ろで魔法使いが小さく息を呑む。

 

「ということは……」

「何だ」

「さっきの歯磨きも?」

「見ていた」

 

 沈黙。

 

 俺は少し天井を見た。

 

「最悪」

「魔法使いさん、俺より先に言わないでください」

 

 魔王の眉がわずかに動いた。

 

「余の前へ来るため、三人がかりで歯を磨かれていたな」

「数えなくていいです」

「戦士、僧侶、魔法使い。役割分担までしていた」

「そこまで見てたんですか」

「城内のことは把握している」

 

 魔王は堂々と言い切った。

 

 威厳はある。

 

 言っている内容は、勇者の歯磨き観察である。

 

 ギャップがひどい。

 

「魔王様」

 

 戦士が一歩前へ出た。

 

「私たちは戦うためだけに来たわけではない」

「知っている。補佐官から報告は受けている」

 

 魔王の視線が戦士、僧侶、魔法使い、最後に俺へ移る。

 

「四天王たちが随分と世話になったようだな」

「世話というか……」

「研究者は捕まり、武人は敗れ、補佐官は人間と交渉し、牙獣将に至っては人間由来のブラシを持ち帰った」

 

 声は低いままだった。

 

 怒っているようにも聞こえる。

 

「魔王様は、そのことをどう思っているんですか」

 

 俺が聞く。

 

 魔王はしばらく黙っていた。

 

「愚かだと思っている」

「ですよね」

「だが」

 

 言葉が続く。

 

「牙獣将の痛みが軽減したことも、兵たちの体調が改善していることも事実だ。補佐官から、魔族用の口腔管理案まで提出された」

 

 そこまで届いていたらしい。

 

「余は人間の文化を称賛する気はない」

 

 魔王は玉座から立ち上がった。

 

 翼がわずかに広がる。

 

「だが、利用価値のある技術まで捨てるほど愚かではない」

 

 牙獣将と似たことを言っていた。

 

 魔王軍、そこは一貫している。

 

「それなら、話し合えるんじゃないですか」

 

 俺が言うと、魔王の目が細くなった。

 

「人間と魔族の戦争を?」

「はい」

「簡単に言う」

 

 階段を一段、ゆっくり下りる。

 

「人間は魔族を恐れ、魔族は人間を憎む。奪われた土地も、殺された者もいる。歯ブラシ一本で全て解決するとでも?」

「そこまで便利だとは思ってません」

 

 さすがに。

 

「でも、少なくとも話すきっかけにはなりました」

 

 魔王は足を止めた。

 

「牙が痛い。歯が痛い。飯を食うと疼く。そういう悩みなら、人間も魔族も似てるみたいですし」

「勇者様」

 

 僧侶が少し笑った。

 

「もう少し言い方があるかと」

「でも事実ですよね」

「そうですが」

 

 魔王の口元がわずかに動いた。

 

 一瞬だけ。

 

 ほんの一瞬。

 

 右側の牙を避けるような動きだった。

 

 魔法使いの目が細くなる。

 

 嫌な予感がした。

 

「魔王様」

「何だ」

「今、口元――」

「何でもない」

 

 早い。

 

「まだ何も言ってないんですけど」

「何でもないと言っている」

 

 明らかに何かある。

 

 僧侶も気づいたらしく、魔王の口元を見ている。

 

 魔王の尾が床を叩いた。

 

「見るな」

「見てません」

「見ている」

「医療的な確認です」

「なおさら見るな」

 

 威厳あるドラゴン娘が、急に牙獣将と似たことを言い始めた。

 

 嫌な既視感がある。

 

「魔王様」

 

 魔法使いが杖を軽く持ち上げる。

 

「右側の魔力、少し乱れてない?」

「乱れていない」

「乱れてる」

「乱れていない」

「牙獣将と同じ反応」

「一緒にするな!」

 

 魔王の声が響き、青い炎が一斉に揺れた。

 

 すごい迫力だった。

 

 直後。

 

 魔王の顔がほんの少し引きつる。

 

「今、痛みました?」

「痛くない!」

 

 完全に牙獣将と同じだった。

 

 俺たちは黙った。

 

「何だ、その目は」

「いえ」

「言え」

「第四の四天王でも同じ会話をしたなって」

「忘れろ」

 

 無理だと思う。

 

 魔王は大きく息を吐いたあと、右手を上げた。

 

「話はここまでだ」

 

 空気が変わる。

 

 魔王の背中の翼が大きく開いた。

 

 青黒い魔力が一気に広がり、床へ複雑な紋様が走る。

 

「余は魔王だ。人間の勇者がここまで来た以上、何もせず帰すわけにはいかん」

「戦うんですか」

「貴様が余と対等に話す資格を持つか、確かめる」

 

 戦士が大剣を構え、僧侶は杖を握る。魔法使いも前へ出た。

 

 俺は聖剣へ手をかける。

 

 三人共同仕上げの効果は、まだ残っている。

 

 レベル99。

 

 やるしかない。

 

「一つだけ確認させてください」

「何だ」

「牙、大丈夫ですか」

「戦う前に聞くことか!」

 

 魔王の魔力が爆発した。

 

 床が揺れる。

 

 次の瞬間には姿が消えていた。

 

「上!」

 

 魔法使いの声。

 

 反射的に剣を掲げる。

 

 魔王が頭上から降ってきた。

 

 爪と剣がぶつかり、腕に重い衝撃が走る。

 

「重っ!」

 

 四天王とは違う。

 

 速さも、力も、魔力量も一段上だった。

 

 魔王はそのまま翼を打ち、空中で姿勢を変える。尻尾が横から迫り、俺は床を蹴ってかわした。

 

「止まるな!」

 

 戦士の声が飛ぶ。

 

 魔王の攻撃は休まない。

 

 爪、尻尾、翼、魔力弾。

 

 一つ一つが重い上に、間がない。

 

 しかも本人が飛べる。

 

「ずるくないですか、それ!」

「魔王に何を求めている!」

 

 正論だった。

 

 魔王が翼を打つ。

 

 青黒い炎が広がる。

 

「結界!」

 

 僧侶の防御魔法が前へ出た。

 

 炎がぶつかり、結界全体が震える。

 

「長くは持ちません!」

 

「右へ!」

 

 魔法使いの指示で跳ぶ。

 

 さっきまで俺がいた場所を、魔王の爪がえぐった。

 

 床が割れる。

 

「話し合いに来たんじゃなかったんですか!」

「だから資格を確かめている!」

「確認方法が重い!」

 

 魔王は容赦がない。

 

 俺も剣を振るう。

 

 魔王は爪で受け、体をひねってかわす。翼を畳んだ瞬間へ斬り込もうとしたが、今度は尻尾が飛んできた。

 

 防ぐ。

 

 押される。

 

 強い。

 

 ただ。

 

「また右」

 

 魔法使いが呟いた。

 

 俺も気づいていた。

 

 魔王が本気で力を込める瞬間。

 

 特に、炎を吐く前。

 

 右の牙を噛み締めるように顎へ力が入る。

 

 その直後だけ、動きが一瞬遅れる。

 

 牙獣将と同じ。

 

「魔王様、やっぱり痛いんじゃ」

「戦闘中に余所見をするな!」

 

 魔王の拳が飛ぶ。

 

 慌てて剣で受けた。

 

「痛いか聞いただけです!」

「余は痛くない!」

「じゃあ今、何で左で噛みました?」

「知らん!」

 

 知らんではないと思う。

 

 魔法使いが笑いを堪えている。

 

「魔法使いさん!」

「だって……魔王まで同じなんだもの」

「笑うな!」

 

 魔王の炎が飛んだ。

 

「笑ったのは俺じゃないです!」

 

 理不尽だった。

 

 戦士が横から斬り込む。

 

 魔王は爪で受け止めたが、その隙に俺が距離を詰める。

 

「勇者、正面!」

「はい!」

 

 聖剣を振るう。

 

 魔王は片手で受けた。

 

 凄まじい力比べになる。

 

 床が軋む。

 

「なるほど」

 

 魔王が低く笑った。

 

「確かに強い」

「ありがとうございます」

「歯を磨かれた後だけだが」

「そこは言わなくていいです」

 

 魔王の口角が上がる。

 

 その瞬間。

 

 牙が触れたらしい。

 

「……っ」

 

 ほんの少し。

 

 でも確かに動きが止まった。

 

 俺は剣を押し込まなかった。

 

 そのまま力を抜き、一歩下がる。

 

 魔王が目を見開いた。

 

「なぜ攻めぬ」

「痛いところ狙って勝っても、後味悪いので」

「戦いだぞ」

「だからです」

 

 魔王はしばらく俺を見る。

 

 戦士も剣を下げない。

 

 僧侶も魔法使いも警戒したままだ。

 

 ただ、空気だけが少し変わった。

 

「余を哀れんでいるのか」

「違います」

 

 俺は首を振る。

 

「牙獣将の時もそうでしたけど、痛いなら痛いでちゃんと治した方がいいです。戦うなら、万全の相手と戦いたいですし」

「……」

 

「それに」

 

 少し迷ってから続ける。

 

「魔王軍で歯とか牙の問題、かなり多いですよね」

「何?」

 

「補佐官さんからも聞きましたし、実際に兵士たちも困っていました。硬い保存食、甘い魔力菓子、牙の根元の腫れ、虫歯、噛み合わせ」

 

 魔王の目が細くなる。

 

「貴様、随分と詳しいな」

「勇者になってから一番詳しくなった分野が口腔ケアなんです」

 

 自分で言って悲しくなった。

 

 魔法使いが肩を震わせている。

 

「笑わないでください」

「ごめん」

 

 全然反省していない。

 

「魔王様」

 

 僧侶が一歩前へ出た。

 

「痛みを抱えているのでしたら、一度見せていただけませんか」

 

 魔王の翼がわずかに動く。

 

「断る」

「即答」

「敵に牙を見せるほど愚かではない」

 

 それは分かる。

 

 牙は魔族にとって武器であり、誇りでもある。

 

「なら、無理には見ません」

 

 僧侶はあっさり引いた。

 

「ですが、痛みを我慢する必要もありません」

「我慢などしていない」

「してますよね」

「勇者は黙っていろ」

 

 怒られた。

 

「魔王様」

 

 魔法使いが杖を下げる。

 

「魔力だけなら、外からでも少し分かる。右上の牙の根元。そこに偏りがある」

「……」

 

「牙そのものか、歯茎か、魔力経路かまでは見ないと分からない。でも、戦闘中に噛み締めるたび乱れてる」

 

 魔王は答えない。

 

 その沈黙が答えみたいなものだった。

 

 戦士が俺を見る。

 

「勇者」

「はい」

「どうする」

「話したいです」

 

 迷いはなかった。

 

「戦って勝つことはできるかもしれません。でも、それだけだと今までと同じなので」

 

 魔王の赤い目を見る。

 

「四天王たちとは、戦った後に話せました。魔王様とも、そうしたいです」

 

「余は魔王だぞ」

「知ってます」

 

「人間の敵だ」

「それも知ってます」

 

「それでもか」

 

「それでもです」

 

 魔王は黙った。

 

 青い炎だけが揺れている。

 

 長い沈黙だった。

 

 やがて魔王はゆっくり翼を畳んだ。

 

「……一つ、聞こう」

「はい」

 

「もし余が、人間との戦をやめぬと言えば?」

「戦います」

「余を倒すか」

「止めるためなら」

 

「殺すか」

 

 少しだけ考える。

 

「できれば、殺したくないです」

 

 魔王の目が細くなる。

 

「甘いな」

「よく言われます」

 

「四天王にもか」

「だいたい全員に」

 

 魔王の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。

 

 そしてまた右の牙に触れたらしい。

 

「……っ」

「今の、痛みましたよね」

「黙れ」

「はい」

 

 もう隠し切れていない。

 

 魔王は片手で口元を押さえ、しばらく黙ったあと、玉座へ視線を向けた。

 

「余の牙は、魔王の象徴だ」

「はい」

 

「弱っていると知られれば、兵の士気にも関わる。四天王にも、詳しくは話していない」

 

 やっぱり。

 

「でも、補佐官さんは知ってそうですよね」

「……あれは何でも記録する」

「やっぱり」

 

 管理役、怖い。

 

「牙獣将から、長柄ブラシの報告も来ている」

 

 魔王は不機嫌そうに続ける。

 

「『人間由来の技術だが、魔族の牙にも有効。魔王様も検討されたし』とな」

「かなり踏み込んでますね」

「余計なことを」

 

 でも、捨ててはいないらしい。

 

「魔王様」

 

 僧侶が柔らかく言う。

 

「まずは痛みだけでも抑えましょうか」

 

「……」

 

「治療するかどうかは、その後に決めても構いません」

 

 魔王はしばらく迷っていた。

 

 威厳ある魔王。

 

 ドラゴンの角、翼、尻尾、鋭い牙。

 

 その全部を持ちながら、今は少しだけ口元を気にしている。

 

 ギャップがすごい。

 

「笑うな」

「笑ってません」

「顔に出ている」

「すみません」

 

 魔王はため息をついた。

 

「今日は、ここまでだ」

「戦いもですか」

「余も、貴様の力は見た」

 

 こちらをまっすぐ見る。

 

「歯を磨かれなければ弱い。だが、仲間を頼り、その力を恥じずに使う」

 

 少し間があった。

 

「そこは認めよう」

 

「ありがとうございます」

 

「調子に乗るな」

 

 すぐ釘を刺された。

 

 魔王は玉座へ戻り、座る。

 

「戦争については、まだ答えを出さぬ。だが、補佐官たちが持ち帰った報告も、貴様らの話も、無視はしない」

 

 それだけでも十分だった。

 

「では、次に」

 

 僧侶が一歩前へ出る。

 

「牙の状態を――」

 

「待て」

 

 魔王が手を上げた。

 

「何ですか?」

「一つ条件がある」

 

 嫌な予感がする。

 

「勇者」

 

「はい」

 

「貴様が先に口を開けろ」

 

「なぜですか」

 

「余ばかり見られるのは不公平だ」

 

 全員が黙った。

 

「俺、さっき三人に磨かれましたけど」

「知っている」

「見てたんですよね」

「見ていた」

 

 魔王は真顔だった。

 

「ならば、もう一度見せろ」

「何を?」

「人間式の歯磨きとやらを」

 

 魔法使いが吹き出した。

 

 戦士は額を押さえ、僧侶は少し楽しそうに笑っている。

 

 俺だけ笑えない。

 

 魔王軍の頂点まで、歯磨きに巻き込まれ始めている。

 

「魔王様」

 

 俺は聞いた。

 

「もしかして、興味あるんですか?」

「ない」

「即答」

「比較のためだ」

「牙獣将と同じこと言ってます」

「一緒にするな!」

 

 魔王の声が響く。

 

 直後、また右顎を押さえた。

 

「だから大声は控えてください」

 

 僧侶に注意される。

 

 魔王は黙った。

 

 四天王に続き。

 

 魔王まで患者扱いされ始めていた。

 

 世界を救う最終決戦。

 

 その入口で。

 

 俺たちは、魔王の牙について話し合っていた。

 

 やっぱり何かがおかしい。




### 次回予告

僧侶
「では、右側の牙を少し見せてください」

魔王
「断る」

魔法使い
「さっきより腫れてるわよ」

魔王
「見ていないと言っただろう!」

勇者
「魔王様、口を開けないと分かりませんよ」

魔王
「先に貴様が開けろ」

勇者
「なんで俺まで」

戦士
「比較したいらしい」

魔王
「そうだ。比較だ」

牙獣将
「性能確認と同じだな!」

魔王
「貴様は黙れ!」

次回、第18.5話
「魔王様、人間式の歯磨きを観察する」

魔王、ついに人間式口腔ケアへ踏み込む。
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