他人に歯磨きしてもらわないとレベル99になれない勇者です【完結】 作:きのこ大三元
魔王の間は、不気味なくらい静かだった。
青白い炎が黒い石壁を照らし、広間の中央には俺たちと魔王しかいない。兵士は下がらせてあるらしく、外から戦闘音も聞こえなかった。
玉座から立ち上がったのは、黒髪に赤い瞳、角、翼、尻尾、そして鋭い牙を持つドラゴン娘。
見た目だけなら若い女性だ。
魔力だけなら、四天王全員をまとめても届くか怪しい。
「勇者。ここまで来たことは認めよう」
魔王は階段を下りながら、俺たちを順番に見た。
「四天王を退け、兵を必要以上に殺さず、なぜか歯や牙まで治療して回った」
「最後だけ勇者らしくないですね」
「貴様のせいだ」
即答だった。
「研究者は加護の研究。武人は戦闘前儀式。補佐官は軍全体の口腔管理。牙獣将は魔族用歯ブラシの改良案まで持ち込んだ」
「順調ですね」
「順調と言うな」
後ろで魔法使いが笑いを堪えている。
魔王はそれを睨んだあと、声を低くした。
「だが、それと戦争は別だ」
空気が変わる。
「人間と魔族の間には、土地も資源も恨みもある。歯ブラシ一本で消えるものではない」
「そこまで万能だとは思ってません」
「それでも戦を止めろと言うのか」
「はい」
迷わなかった。
「戦わなくていい理由が、少しずつ増えましたから」
研究者とは戦ったあと話せた。武人とは力を認め合えた。補佐官とは兵士の健康について協力し、牙獣将とは魔族の牙を守る方法を考えた。
全部、始まりは歯磨きだった。
締まらないけど、変わったものはある。
「一部だけだ」
「一部でも、前よりは多いです」
魔王の赤い目が細くなる。
「甘いな」
「よく言われます」
「死ぬぞ」
「それも、よく言われます」
戦士が後ろで小さく頷いた。
たぶん本当に何度も言われている。
「なら、その甘さが余の前でも通じるか試してみろ」
魔王の翼が開いた。
次の瞬間、魔力が爆発する。
「来るぞ!」
戦士の声と同時に、魔王が消えた。
「右!」
魔法使いの指示で剣を向ける。
爪と聖剣がぶつかり、腕が痺れた。受け止めたはずなのに、そのまま足元の石が割れる。
重い。
続けて尻尾。
身を沈めてかわすと、魔王は翼を打って上空へ逃げた。
「飛べるの、ずるくないですか!」
「魔王に公平さを求めるな!」
「正論!」
上から魔力弾が降る。
「結界!」
僧侶の光壁が受け止めた隙に、俺と戦士が左右へ分かれる。魔法使いの氷が魔王の着地点を狭め、そこへ俺が踏み込んだ。
レベル99。
三人共同仕上げのおかげで体は軽い。
それでも、魔王は強かった。
爪、翼、尻尾、炎。全部が速く、一撃が重い。四天王の誰か一人の長所を伸ばしたというより、全部を高い水準で持っている。
「悪くない」
俺の剣を爪で受けながら、魔王が笑う。
「歯を磨かれた後だけはな」
「そこは言わなくていいです!」
青黒い炎が飛ぶ。
剣で割り、横へ抜ける。
その瞬間、魔王が右の牙を噛み締めた。
わずかに顔が歪む。
「右ね」
魔法使いも気づいた。
「力を入れるたび、牙の根元の魔力が乱れてる」
「言うな」
「図星なんですね」
「言うなと言った!」
尻尾が飛んでくる。
「痛いからって八つ当たりしないでください!」
「痛くない!」
「その会話、牙獣将でもやりました!」
「余とあれを一緒にするな!」
強く噛んだせいで、今度は明確に動きが止まった。
「ほら!」
「黙れ!」
また炎。
威厳はある。
反応だけは牙獣将と同じだった。
「勇者様!」
「分かってます!」
正面から押すだけでは勝てない。
なら、いつも通り仲間に頼る。
「魔法使いさん、右側の魔力を見てください! 僧侶さんは戦士さんの補助!」
「了解!」
「はい!」
「戦士さん!」
「言われなくても分かっている!」
戦士が正面から突っ込む。
大剣と爪が激突し、その瞬間、魔法使いが叫んだ。
「今!」
魔王の右顎へ力が入る。
魔力が乱れる。
でも牙は狙わない。
俺は足元へ聖剣を叩き込んだ。
床が砕け、魔王の体勢が崩れる。開こうとした翼を戦士が大剣の腹で押さえ、僧侶の拘束魔法が脚へ絡みつき、魔法使いの氷がもう片方の翼を止めた。
踏み込む。
聖剣を振り上げる。
魔王の目が、まっすぐ俺を見る。
振り下ろした。
――止めた。
刃は、首のすぐ横。
あと少し動かせば届く。
広間が静まり返った。
「……なぜ止める」
「勝ったからです」
「余はまだ生きている」
「だから何ですか」
魔王の眉が動いた。
「殺さなければ、また戦うかもしれん」
「その時はまた止めます」
「簡単に言うな」
「簡単じゃなかったですよ」
息は切れているし、腕も痛い。
三人がいなければ、まず勝てなかった。
「でも、俺は魔王を殺すためだけにここまで来たわけじゃありません」
剣を下ろす。
「最初は、魔王を倒せって言われて来ました。でも途中で四天王と会って、魔族の兵士とも話して、少し変わったんです」
敵にも生活がある。
飯を食う。眠る。部下を心配する。
そして歯も痛くなる。
「魔王様も同じです」
「余も?」
「牙、痛いんですよね」
魔王の顔が固まった。
「今そこで戻るのか」
「大事なので」
「余の敗北を歯の話で締めるな」
怒られた。
でも僧侶は普通に前へ出る。
「勇者様の言う通りです」
「僧侶まで」
「戦争はすぐに答えを出せなくても、痛みを我慢する必要はありません」
魔王が少し引いた。
「余は負けたばかりだぞ」
「はい」
「その相手から牙の治療を勧められている」
「健康とは別問題です」
僧侶は強かった。
魔法使いも杖を下げる。
「それに、魔王軍全体で歯や牙の問題が出てるんでしょ。魔王本人が『手入れは弱さじゃない』って認めれば、隠す兵士も減るんじゃない?」
魔王は答えない。
「兵は上を見る」
戦士も大剣を下ろした。
「魔王が隠せば、部下も隠す」
青い炎だけが揺れている。
やがて魔王は立ち上がり、翼を畳んだ。
「……余の敗北だ」
はっきり言った。
「勇者。貴様の力だけに負けたとは思わぬ」
「俺もそう思います」
戦士、僧侶、魔法使いを見る。
「一人だったら無理でした」
「潔いな」
「事実なので」
魔王は少しだけ笑う。
「だが、他者の力を借りることも含めて、貴様の強さなのだろう」
胸の奥が少し熱くなった。
「ありがとうございます」
「調子に乗るな」
すぐ戻った。
「戦争について、すぐ全てを止めるとは言えぬ。人間側にも魔族側にも条件はある」
「分かっています」
「だが」
魔王は玉座へ戻る途中で足を止めた。
「話し合いは受けよう」
一瞬、誰も声を出さなかった。
「本当に?」
「二度言わせるな」
「はい」
思わず笑ってしまう。
ここまで来た意味はあった。
「では」
僧侶が明るく言った。
「まず牙の状態を確認しましょうか」
「なぜそうなる」
「戦闘が終わりましたので」
「休戦交渉が先ではないのか」
「痛みがある状態では集中できません」
魔王が黙った。
魔法使いが小さく笑う。
「諦めた方がいいわよ。僧侶、こういう時は強いから」
「なるほど」
納得された。
俺は聖剣を鞘へ戻す。
その瞬間、全身から力が抜けた。
「あ」
膝が落ちる。
「勇者!」
戦士に肩を支えられた。
「大丈夫です」
「加護が切れたのね」
魔法使いが確認する。
「完全にレベル5」
魔王がこちらを見る。
さっきまで互角に戦っていた相手が、急に弱くなった。
「……本当に落ちるのだな」
「はい」
「そこまで極端なのか」
「はい」
少し引かれた。
「では、もう一度戦うには?」
全員が黙った。
嫌な流れだ。
「勇者」
「はい」
「答えろ」
逃げられない。
「誰かに歯を磨いてもらいます」
沈黙。
「……また?」
「またです」
「今、三人がかりで磨かれていたばかりだろう」
「効果時間があるので」
「不便すぎないか」
「俺もそう思います」
初めて魔王と完全に意見が一致した。
戦士が俺を近くの椅子へ座らせる。
「決着はついた。再発動までは必要ない」
「ですね」
僧侶も頷いた。
ところが、魔法使いが魔王を見る。
嫌な予感がした。
「でも、せっかくだし」
「何ですか」
「魔王が磨いても、加護が発動するか確認できるんじゃない?」
止まった。
俺も。
魔王も。
「魔法使いさん」
「本人同士が同意すれば問題ないでしょ」
「確かに、条件確認としては意味がありますね」
僧侶まで考え始める。
「僧侶さん?」
戦士も腕を組んだ。
「魔王の力加減を見る価値はある」
「戦士さんまで?」
魔王の顔が引きつる。
「待て」
全員が見る。
「なぜ余が」
声が低くなった。
「魔王たる余が」
さらに低くなる。
「勇者の歯など磨かねばならんのだ!」
声が広間へ響き、青い炎が大きく揺れた。
その直後。
「……っ」
魔王が右顎を押さえる。
僧侶がすぐに近づいた。
「大声は控えてください」
「……」
魔王が黙った。
決着はついた。
戦争も、ほんの少しだけ終わりへ動き始めた。
なのに次に始まりそうなのは、魔王による勇者の歯磨きだった。
世界を救う最後の一歩として、本当にそれでいいのだろうか。
たぶん、今さらだった。
次回予告
魔王
「なぜ余が勇者の歯など磨かねばならん!」
魔法使い
「比較実験よ」
魔王
「余は研究者ではない!」
戦士
「力加減を見る」
魔王
「戦士まで乗るな!」
僧侶
「まず手を洗ってください」
魔王
「もう手順が始まっている!?」
勇者
「俺の同意は?」
全員
「取ります」
勇者
「そこは大事なんですね」
次回、第19.5話
「魔王様、勇者の歯を磨く」
魔王、最大級の屈辱へ。