他人に歯磨きしてもらわないとレベル99になれない勇者です   作:きのこ大三元

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第3話「歯磨き後30分、勇者は魔物を殴りに行く」

王女様に歯を磨いてもらった。

 その事実だけで、俺の精神はかなり削られていた。だが、体の方は信じられないくらい絶好調だった。

 

 手足が軽い。視界が澄んでいる。心臓の鼓動は落ち着いているのに、全身には今まで感じたことのない力が満ちている。歯磨き前の俺はレベル5。歯磨き後の俺はレベル99。女神様の説明通り、王女様の歯磨きでも勇者の加護は発動した。

 

 発動してしまった。

 

 正直、もう少し嘘であってほしかった。

 

「勇者様、こちらを」

 

 王国の騎士が、俺の前に剣と防具を差し出した。

 

 鋼の剣。革と金属を組み合わせた軽めの胸当て。腕を守る手甲。足元を固める簡易の具足。

 見た目は、いかにも普通の王国騎士装備だ。聖剣ではない。伝説の鎧でもない。ただ、普通の剣よりは少し良いくらいの、ちゃんとした実用品だった。

 

「急な出撃ですので、勇者様専用の装備はまだ用意できておりません。ひとまず、王国騎士と同等の装備をお使いください」

「ありがとうございます」

 

 俺は鋼の剣を受け取った。

 重い、はずだった。だが、今の俺には軽かった。片手で握っても、ほとんど負担を感じない。むしろ、軽い棒でも持っているような感覚に近い。刃の重心も、柄の握りも、妙にしっくりくる。

 

 レベル99。

 

 その数字が、急に現実味を帯びてきた。

 

「防具の具合はどうでしょうか」

「大丈夫です。動けます」

「さすが勇者様……」

 

 騎士が感心したように頷く。

 

 やめてほしい。さっきまで王女様に歯を磨いてもらっていた男に、そんな尊敬の目を向けないでほしい。

 

 俺は深く息を吸い、広間の出口へ向かった。王城の廊下を抜け、城門へ向かう途中で、ふと自分の視界に違和感を覚える。

 

 視界の隅に、文字が見える。

 

 レベル99。

 

 その下に、小さく数字が表示されていた。

 

 残り25分。

 

「……ご丁寧に」

 

 俺は思わず呟いた。

 

 レベル表示。残り時間表示。勇者の加護には、どうやら視界内表示まであるらしい。便利だ。便利だが、精神には悪い。

 

 あと25分。

 

 つまり、王女様に歯を磨いてもらってから、すでに5分くらい経っている。装備を受け取り、説明を聞き、城門へ向かっている間にも、歯磨きバフの時間は減っていた。

 

 元の世界にいた、時間制限つきで戦うヒーローを思い出す。あちらは確か、胸のランプが点滅したら危ない。俺の場合は、歯磨き後の残り時間が視界に表示される。

 

 嫌すぎる。

 

「勇者様、馬をご用意いたしました!」

「ありがとうございます。でも、走った方が早そうです」

「え?」

 

 俺は城門の外へ出た。

 

 王都の外壁の向こうに、煙が見える。遠くから、兵士たちの怒号と魔物の鳴き声が聞こえてくる。戦場は近い。視界の隅には、残り24分。

 

 急がなければならない。

 

「行きます」

 

 俺は地面を蹴った。

 

 次の瞬間、景色が後ろへ流れた。

 

「うわっ!?」

 

 自分で出した速度に、自分で驚く。体が軽い。足が速い。走っているのに、息が切れない。石畳を抜け、土の道を蹴り、王都近郊の平原へ向かう。背後で騎士たちが何か叫んでいたが、今は戻れない。

 

 残り時間がある。

 

 あと23分。

 

 勇者の初戦闘で一番気にするべきものが、敵の数ではなく残り時間なのはどうなのか。

 

 そんなことを考えながら、俺は足早に戦場へ向かった。

 

 平原には、すでに王国騎士たちが展開していた。

 

 盾を構えた騎士。槍を持つ兵士。後方で祈りを捧げる神官。そのさらに前方で、黒い毛並みの狼型モンスターが群れを作っている。

 

 普通の狼より大きい。牙も爪も鋭い。赤く光る目の奥に、こちらを獲物として見ているような凶暴さがあった。口元から漏れる黒い息が、平原の草をわずかに揺らしている。

 

「勇者様!」

 

 騎士の1人がこちらに気づいた。

 

「前方に狼型の魔物が十数体! 奥には大型の個体も確認されています!」

「分かりました」

 

 俺は剣を構えた。

 

 構えた、つもりだった。

 

 剣術なんて知らない。竹刀を振った経験すら、授業で少しあるくらいだ。それでも、体が自然に動いた。足の位置。腰の向き。剣の角度。呼吸の置き方。まるで体の方が、戦い方を知っているみたいだった。

 

 レベル99。

 

 勇者の加護は、身体能力だけでなく、戦闘の感覚まで底上げしているらしい。

 

「残り時間は……」

 

 視界の隅を見る。

 

 残り21分。

 

 まだある。あるが、余裕ではない。

 

 俺は息を吐き、狼型モンスターの群れへ向かって駆けた。

 

 先頭の狼が、地面を蹴って飛びかかってくる。牙が見えた。爪が見えた。遅い。初めて見る魔物の動きなのに、なぜか遅く見える。

 

 俺は、横へ剣を振った。

 

 ただの横払いだった。

 

 剣の刃が、先頭の狼型モンスターの胴を捉える。その瞬間、刀身の先から白い衝撃が走った。横払いの軌道よりも広い範囲を、見えない刃が平原の草ごと薙いでいく。

 

 目の前の狼だけではない。

 左右にいた数体の狼型モンスターまで、一斉に吹き飛んだ。

 

 黒い体が宙を舞い、地面に落ちる前に光の粒となって消えていく。

 

「……え?」

 

 俺は自分の剣を見た。

 

 鋼の剣。普通の剣よりは少し強いくらいの武器。なのに、今の一振りは、どう考えても普通ではなかった。

 

 騎士たちが後ろで叫ぶ。

 

「い、一撃で……!」

「範囲が広すぎる!」

「本当に勇者様だ……!」

 

 やめろ。

 

 尊敬の声が痛い。

 

 さっきまで王女様に歯を磨いてもらっていたから強いんです、とは言えない。いや、もう説明済みではある。説明済みだからこそ、なおさら恥ずかしい。

 

「次、来ます!」

 

 騎士の声が飛ぶ。

 

 残った狼型モンスターたちは、正面から突っ込むのではなく、左右に散りながら俺を囲もうとしていた。地面を蹴る足音。草を裂く爪。喉の奥で鳴る低いうなり声。

 

 だが、遅い。

 

 いや、俺が速すぎる。

 

 地面を蹴る。1歩で距離が詰まる。右から来た狼の横をすり抜け、剣の柄で軽く叩く。それだけで、狼は地面に叩きつけられ、光になって消えた。

 

 左から来た狼には、剣の腹を当てる。吹き飛ぶ。さらに奥の2体へ向けて軽く剣を振ると、刀身の先から飛んだ衝撃が平原を走り、狼型モンスターの群れが一瞬で崩れた。

 

 強い。

 

 俺が強い。

 

 正確には、歯磨き後の俺が強い。

 

 認めたくないが、強い。

 

 視界の隅を見る。

 

 残り18分。

 

「まだ大丈夫……いや、大丈夫って言っていいのかこれ」

 

 時間制限つきの無双。

 

 かなり強い。だが、時間が減っていく表示が、じわじわ精神を削ってくる。戦闘中に時計を見るのは、思った以上に忙しい。

 

 敵を見る。味方を見る。足場を見る。剣を見る。残り時間を見る。

 

 やることが多い。

 

 歯磨きバフ、強いが面倒だ。

 

「勇者様! 大型が来ます!」

 

 地面が揺れた。

 

 平原の奥から、巨大な影が近づいてくる。狼型モンスターたちの背後にいた、大型の魔物。巨人だった。

 

 身長は、王城の門ほどではないにしても、普通の人間の3倍以上はある。灰色の皮膚。太い腕。肩まで伸びた黒い毛。手には棍棒のような木の幹を握っている。

 

 巨人は、こちらを見下ろして吠えた。

 

 空気が震える。近くの騎士たちが思わず盾を構え直し、神官たちの祈りの声が少しだけ乱れた。

 

「勇者様、あれは危険です! まともに受ければ城壁用の盾でも砕かれます!」

「分かりました」

 

 俺は頷いた。

 

 怖い。

 

 普通に怖い。

 

 いくらレベル99とはいえ、目の前に巨人がいるのは怖い。だが、足は震えていなかった。体は逃げようとしていない。むしろ、どの位置へ踏み込み、どの角度で剣を通せばいいのかを自然に考えている。

 

 残り16分。

 

 時間はある。

 

 でも、長引かせる理由はない。

 

 巨人が棍棒を振り上げた。太い腕が空を覆い、巨大な影が平原に落ちる。俺はその影の中へ踏み込み、棍棒が振り下ろされる前に、巨人の懐へ入った。

 

 そして、鋼の剣を縦に振る。

 

 上から下へ。

 

 ただ、それだけ。

 

 刃が巨人の胴体に触れた瞬間、白い光の線が走った。次の瞬間、巨人の体が縦に割れる。

 

 真っ二つ。

 

 あまりにもあっさりと。

 

 巨人は叫ぶ間もなく、光の粒となって消えていった。

 

 残ったのは、地面に走った剣筋の跡と、呆然とする騎士たちだけだった。

 

「……」

「……」

 

 平原に、妙な沈黙が落ちた。

 

 俺も黙った。

 

 やった本人が、一番驚いている。

 

「勇者様……」

 

 騎士の1人が、震える声で呟いた。

 

「今のは、何という技なのですか?」

 

 技。

 

 技なのか、今の。

 

 俺は少し考えた。

 

 そして、正直に答えた。

 

「縦に振りました」

 

「縦に」

「はい」

「振っただけで」

「はい」

「巨人が」

「真っ二つに」

 

 騎士たちが黙った。

 

 俺も黙った。

 

 レベル99、説明が雑になるくらい強い。

 

 その頃、王都の城壁では、王女様が護衛の騎士たちと共に平原を見つめていた。

 

 城壁の石床。風にはためく王国の旗。弓兵たちが配置された見張り台。その中央で、王女様は胸の前で手を組み、巨人が光となって消える様子を見ていた。

 

「本当に……発動しているのですね」

 

 隣の護衛騎士が頷く。

 

「はい。勇者様の力は本物です」

「歯磨きで」

「……歯磨きで」

 

 王女様は一瞬だけ目を伏せた。

 

 まだ受け止めきれていない顔だった。

 

 だが、すぐに前を向く。

 

「ならば、王国は勇者様が戦えるよう、全力で支えなければなりません」

「歯磨きの儀式を、ですか」

「必要ならば」

 

 王女様は真剣だった。

 

 その真剣さが、城壁の上にも少しだけ重く響いた。

 

 平原では、魔物たちの動きが変わり始めていた。

 

 狼型モンスターたちは、もう前に出てこない。巨人を失ったことで統率が崩れたらしく、残った小型の魔物たちが、じりじりと後退している。

 

 俺が剣を構えると、さらに後ずさる。

 

「逃げるのか?」

 

 言った瞬間、自分で少し驚いた。

 

 別に挑発したつもりはない。だが、魔物たちには十分だったらしい。1体が背を向けると、それを合図に残った魔物たちが一斉に退却を始めた。黒い影が、平原の奥へ逃げていく。

 

 追うべきか。

 

 少し迷った。

 

 視界の隅を見る。

 

 残り7分。

 

 思ったより減っている。

 

 走って、戦って、巨人を倒して。それだけで、かなり時間が過ぎていた。

 

「深追いはしない方がいいですね」

 

 近くの騎士が言った。

 

「勇者様のおかげで、王都への被害は防げました。ここで無理に追えば、伏兵がいる可能性もあります」

「分かりました」

 

 俺は剣を下ろした。

 

 初戦闘は終わった。

 

 無事に。

 

 いや、無事と言っていいのかは分からない。魔物は倒した。巨人も倒した。騎士たちは助かった。だが、俺の心はまた少し削れた。

 

 歯磨き後30分。

 

 強い。

 

 確かに強い。

 

 ただ、戦いながら制限時間を気にするのは、想像以上に面倒だった。

 

 残り5分。

 

 視界の隅に表示された数字を見て、俺はため息をつく。

 

「勇者様?」

 

 騎士が不思議そうにこちらを見る。

 

「どうされました?」

「いや……強いのは分かったんですけど」

「はい」

 

「これ、時間切れしたら俺はレベル5に戻るんですよね」

「……そうなりますね」

「帰り道、大丈夫ですかね」

 

 騎士たちが固まった。

 

 そう。

 

 戦いは終わった。

 

 だが、帰り道が残っている。

 

 レベル99のまま帰れるならいい。しかし、残り時間はもう少ない。王都へ戻る途中でレベル5に戻った場合、俺は普通の人より少し丈夫で、少し運が良い程度の男になる。

 

 つまり、さっきまで巨人を真っ二つにしていた男が、急に一般人寄りになる。

 

 怖すぎる。

 

「勇者様、馬を呼びます!」

「お願いします!」

 

 俺は即答した。

 

 戦場では格好つけられた。だが、帰り道でバフ切れは嫌だ。

 

 王国騎士たちは慌ただしく動き出した。その間にも、残り時間は減っていく。

 

 残り4分。

 

 残り3分。

 

 遠くの城壁では、王女様がこちらを見ている。

 

 俺は平原の風を受けながら、鋼の剣を握り直した。

 

 初戦闘は終わった。

 

 レベル99の力は本物だった。

 

 王国騎士たちも、王女様も、それを確認した。

 

 だが、俺も大事なことを理解した。

 

 歯磨き後30分。

 

 それは強い。

 それは便利だ。

 だが、戦闘中に残り時間を気にし続けるのは、想像以上に疲れる。

 

 そして何より。

 

 次にまた戦う時も、俺は誰かに頼まなければならない。

 

 恥ずかしさを飲み込んで。

 世界を救うために。

 

 こう言わなければならない。

 

 俺の歯を、磨いてください、と。




次回予告
 
戦士
「おい、勇者」
 
勇者
「はい」
 
戦士
「歯磨き前はレベル5って聞いたんだが」
 
勇者
「はい」
 
戦士
「……レベル5で前に出るな!」
 
次回、第4話
「戦士、レベル5の勇者にキレる」
 
勇者、初めて前衛職に本気で怒られる。
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