他人に歯磨きしてもらわないとレベル99になれない勇者です 作:きのこ大三元
勇者パーティに、少しずつ仲間が増えてきた。
前衛担当の戦士はレベル72。気が強く、口が悪く、実戦優先で、レベル5の俺に真正面からキレる人。回復担当の僧侶はレベル68。俺の歯磨き条件を「治療」「口腔ケア」「戦闘前の身体調整」として受け止める、逃げ道のない優しさを持った人。
そして今日、最後の初期メンバーが王城へ到着する。
魔法使い。
攻撃魔法、結界、魔力分析を得意とする後衛担当。王女様の説明では、魔法理論にかなり詳しく、加護や魔力反応の解析にも強い人らしい。
普通なら、とても頼もしい。
ただし、俺の場合は問題がある。新しい仲間が増えるたびに、自分の加護条件を説明しなければならない。
歯磨き前はレベル5。歯磨き後はレベル99。他人に歯を磨いてもらわないと発動しない。膝枕状態だと追加バフ。
これを、また初対面の相手に説明する。
心が削れる。
「おい、勇者。今からそんな顔をするな」
広間の壁際で腕を組んでいた戦士が言った。説明しなければ戦術が組めない。歯磨き前にレベル5で前に出るよりはマシだ。言っていることは正しい。戦士の正論は、いつも重い。
僧侶は卓の上に置かれた勇者用歯磨きセットと、自分の治療ブラシのケースを確認していた。白い歯ブラシ、神界製の歯磨き粉、携帯用コップ、白い布。隣には、淡い金色の毛先を持つ柔らかめの治療ブラシがある。
「勇者様。今日の説明が終われば、基本的な支援体制はかなり整います。魔法使い様が加われば、加護の発動時の魔力変化も確認できるはずです」
僧侶は優しく言った。
優しい。
だが、やはり逃げ道はない。
王女様は広間の中央で、侍女から受け取った書類を確認している。昨日までと同じ赤い絨毯。高い天井。壁際の神官たち。両脇に並ぶ兵士たち。そして、小さな卓の上には歯磨きセット。
勇者パーティの顔合わせの場としては、たぶん立派なのだろう。
ただ、卓の上に歯ブラシがあるだけで、何かが台無しになっている。
「魔法使い様が到着されました」
兵士の声と共に、広間の扉が開いた。
入ってきたのは、紺色のローブを着た小柄な女性だった。年齢は俺と同じくらいか、少し上かもしれない。肩まで伸びた黒髪に、青い石のついた髪留め。腰には小さな魔導書の束が下がり、右手には細い杖を持っている。
ローブの袖や裾には、細かい銀色の魔法陣が刺繍されていた。歩くたびに、その模様が淡く光る。
視界の隅に、文字が浮かぶ。
魔法使い。
レベル65。
高い。
戦士の72、僧侶の68よりは少し低いが、それでも十分すぎるほど高い。今のレベル5の俺から見れば、またしても別世界の人だ。
魔法使いは王女様に一礼し、それから俺を見た。
「あなたが勇者?」
「はい。よろしくお願いします」
「ふうん」
魔法使いは俺を上から下まで見た。鋼の剣。王国騎士用の軽い防具。少し緊張している俺の顔。そして、卓の上の歯磨きセット。
眉がぴくりと動いた。
「……あれは?」
やはり、気づかれた。
王女様が一歩前へ出る。
「勇者様の加護に関わる重要な道具です」
「道具?」
「女神様より授けられた、勇者用歯磨きセットです」
魔法使いが固まった。
その反応は、もう何度も見た。王女様も、僧侶も、戦士も、最初は同じように固まった。だから、魔法使いの反応は正しい。むしろ固まらない方がおかしい。
魔法使いは数秒黙った後、ゆっくり俺を見た。
「説明して」
「はい」
来た。
俺は深く息を吸った。
俺の勇者の加護は、常時発動ではない。歯磨き前はレベル5。他人に歯を磨いてもらうと、約30分だけレベル99になる。自分で磨いても虫歯予防にはなるが、加護は発動しない。さらに、膝枕状態で歯磨きを受けると、精神安定、加護出力上昇、効果時間延長の追加効果がある。
できるだけ短く、事実だけを並べた。
だが、並べれば並べるほど意味不明だった。
広間に沈黙が落ちる。
魔法使いは、俺を見た。歯磨きセットを見た。王女様を見た。戦士を見た。僧侶を見た。最後に、もう一度俺を見た。
「……歯磨きでレベル99?」
「はい」
「他人に?」
「はい」
「自分で磨いたら?」
「虫歯予防にはなります」
「加護は?」
「出ません」
「何それ」
本当にそう。
俺が一番そう思っている。
「そんな魔力式、聞いたことないんだけど」
「俺も聞いたことないです」
「でしょうね」
魔法使いは額に手を当てた。
現象としては確認済みなのか、と魔法使いが聞くと、戦士が昨日の戦闘について説明した。王女様に歯を磨いてもらった後、俺はレベル99になり、王都近郊に現れた魔物を撃退した。巨人も斬った。
王女様も、少しだけ頬を赤くしながら頷く。
「はい。勇者様の加護は実際に発動しました。王都近郊の魔物も撃退されています」
僧侶も続ける。
「私の口腔ケアでも、加護発動は確認できました。勇者様の体調や精神状態によって、発動時の安定性に差が出る可能性があります」
「口腔ケアって言い方で誤魔化してない?」
「誤魔化してはいません。治療と支援の観点から見れば、勇者様に必要な処置です」
「処置……」
魔法使いは深く息を吐いた。
「分かった。納得はしてないけど、現象として存在するなら解析する。歯磨きでレベル99になる勇者なんて、魔法学会に出したら三日は会議が止まるわ」
「会議が止まるだけで済むんですね」
「たぶん最初の一日は全員が現実逃避する」
やめてほしい。
俺の存在が魔法学会の現実逃避案件になっている。
当然の流れとして、この場で発動確認を行うことになった。俺としては避けたいが、魔法使いが加入する以上、加護の出力を見ないと戦力計算ができない。戦士も僧侶も王女様も、その点では同じ意見だった。
味方全員が正しい。
全員正しい。
そして全員、俺の逃げ道を塞いでいる。
「分かりました。では、お願いします」
俺が言うと、魔法使いが一歩引いた。
「ちょっと待って。なんで私が磨く前提なのよ」
「違うんですか?」
「私は解析するだけよ。磨くのは僧侶か王女でいいでしょ」
それもそうだった。
俺は少しだけ安心した。
しかし、戦士が魔法使いを見る。
「お前も勇者パーティの一員になるんだろ。戦闘中に僧侶が負傷したり、王女が不在だったり、私が前で手を離せなかったりした場合、誰が磨く?」
魔法使いが固まった。
僧侶が静かに頷く。
「魔法使い様にも、最低限の手順は確認していただいた方が安全です。勇者様の加護発動も、戦闘支援に含まれます」
「含まれるの!?」
僧侶は真面目だった。
魔法使いは、助けを求めるように王女様を見る。だが、王女様も申し訳なさそうに、しかし真剣に頷いた。
「勇者様の戦闘力維持は、王国にとって最重要事項です」
「王女様まで……」
魔法使いは頭を抱えた。
それから、かなり長いため息をつく。
「……分かったわよ。必要なら、やる。戦闘中に勇者がレベル5のままだと困るし」
戦士が満足そうに頷き、僧侶も微笑む。
また1人、俺の歯磨き条件に巻き込まれてしまった。
「でも」
魔法使いは、顔を赤くしながら俺を指さした。
「べ、別にあんたのためじゃないから」
出た。
分かりやすい言い方だった。
「勇者がレベル5のままだと困るだけよ。パーティ全体の戦力が落ちるし、作戦が崩れるし、王国も困るし、私の魔法支援も無駄になるから」
「はい」
「だから仕方なく。必要だから。戦術上、仕方なくやるだけだから」
「はい」
「分かった?」
「分かりました」
戦士が横で小さく呟く。
「説明が多いな」
「うるさい!」
魔法使いが振り返って叫んだ。
僧侶は微笑んでいる。王女様は真面目な顔を保とうとしている。俺は少しだけ笑いそうになったが、笑ったら怒られそうなので我慢した。
魔法使いは卓の上の説明書に素早く目を通した。発動条件、他者による歯磨き。推奨、対象者の同意。効果時間、約30分。精神安定状態で出力上昇。膝枕時、追加バフ。
読み終えた魔法使いは、明らかに不満そうな顔をした。
「何これ、真面目に書いてあるのが腹立つんだけど」
「俺も初めて見た時、そう思いました」
魔法使いは説明書を閉じ、腰の小さな革ケースを開いた。
中から出てきたのは、細い歯ブラシだった。
柄は黒に近い紺色で、表面に細い銀色の魔法陣が刻まれている。毛先はかなり細く、淡い青色をしていた。光の角度によって、毛先の先端だけがわずかに光る。
「魔力感応式の精密ブラシよ」
魔法使いは少し得意げに言った。
魔力の流れや残留反応を見るための研究用具で、普通は魔導具の細部清掃や魔石の溝に溜まった魔力粉を取る時に使うものらしい。
「人の歯に使うものなんですか?」
「普通は使わないわ」
「やっぱり」
「でも毛先は柔らかいし、力加減さえ間違えなければ問題ない。細かい部分の確認には向いてる」
僧侶が少し心配そうに見る。
「歯茎を傷つけない範囲でお願いしますね」
「分かってるわよ。そんな雑なことしない」
魔法使いは、神界製の歯磨き粉をほんの少しだけ精密ブラシの毛先に乗せた。解析目的だから泡立ちすぎると魔力反応が見えづらいらしい。さらに、磨き残しの確認もしたいのだという。
磨き残し。
その言葉を口にした時、魔法使いの目が急に分析者のそれになった。
嫌な予感が強くなる。
「勇者、座って」
「はい」
俺は椅子に座った。
王女様が兵士たちへ視線を送る。兵士たちは慣れた様子で後ろを向いた。神官たちも視線を下げる。戦士は腕を組んだまま横に立ち、僧侶は念のため白い布と携帯用コップを準備している。
完全に手順化されてきている。
嫌な慣れ方だ。
「初対面でこれは、かなり気まずいんですが」
「私だって気まずいわよ。でも必要なんでしょ」
「はい」
「じゃあ、黙って口を開けなさい」
言い方はきつい。
だが、耳まで赤い。
魔法使いも魔法使いで、かなり恥ずかしいらしい。
「……お願いします」
俺は口を開けた。
魔法使いが、精密ブラシを前歯へ近づける。
毛先が触れた瞬間、淡い青い光が小さく揺れた。
「反応あり」
魔法使いが呟く。
シャコ、シャコ。
細い毛先が、前歯の表面を小さくなぞる。
王女様の標準歯ブラシより細かい。僧侶の治療ブラシよりも、さらに狙いが細い。歯の表面全体を優しく磨くというより、決めた場所を正確になぞる感じだった。
魔法使いは、前歯、犬歯、奥歯の外側へと順番をはっきり決めて進めていく。どの部位を磨いた時に反応が強くなるか、魔力の揺れ方を見ながら確認しているらしい。
「動かないで」
「……はい」
「舌に力入ってる」
「言わないでください」
「避けられると磨き残しが出るの」
磨き残し。
魔法使いの声が、そこだけ少し強くなった。
「勇者がレベル99になる条件に歯磨きが関わってるなら、磨き残しはリスクよ。発動が不安定になったら困るでしょ」
「そう言われると困ります」
「なら動かない」
「はい」
ツンデレではある。
だが、磨き方はかなり細かい。
僧侶の歯磨きが安心感だとすれば、魔法使いの歯磨きは確認だった。どこを磨くか。何回動かすか。反応がどう変わるか。磨き残しはないか。
細かい。
とにかく細かい。
前歯の裏側に入る時、俺の体が少し強張った。
前歯の裏側は、何度磨かれても慣れない。舌が反射的に動く。歯ブラシを避けようとする。それを、魔法使いは見逃さなかった。
「ほら、舌」
「……すみません」
「謝らなくていいけど、動くと分かりづらい。魔力反応が。あと磨き残しも出る」
「やっぱりそこなんですね」
魔法使いは少し頬を赤くしたまま、視線を逸らさずに言った。
「べ、別にあんたの口の中を見たいわけじゃないから。発動条件を確認してるだけだから」
「はい」
「あと、磨き残しがあると気になるだけ」
「はい」
「何よ」
「いえ、ありがとうございます」
「お礼を言うところじゃない」
魔法使いは照れたように顔をしかめ、精密ブラシを前歯の裏側へ入れた。
シャコ、シャコ。
毛先が細かく動く。
口の中で響く小さな音。青い光。魔法使いの真剣な目。恥ずかしさで逃げたくなるのに、動くと怒られるので動けない。
しかも、磨き方はうまい。
細かいが、雑ではない。神経質だが、乱暴ではない。僧侶ほど優しく包み込む感じはないが、磨き残しを許さないという強い意思がある。
それが、妙に安心できる。
「……勇者」
「はい」
「力、少し抜けてきた」
「言わないでください」
「良いことなんでしょ。僧侶が言ってた」
「良いことなのが嫌なんです」
「変なの」
魔法使いはそう言いながら、手元の動きを止めなかった。
奥歯の内側まで確認すると、魔法使いはようやく精密ブラシを離した。
「はい、終わり。口をすすいで。泡が残ってると反応が見えにくい」
俺は携帯用コップを受け取り、水で口をすすぐ。
歯の表面が滑らかだった。前歯の裏側も、奥歯の内側も、妙にすっきりしている。僧侶の時とは違う。安心感というより、隅々まで確認された後の妙な達成感があった。
その直後、胸の奥で光が弾けた。
手足が軽くなる。視界が澄む。広間の音が、急にはっきりと聞こえ始める。
レベル99。
魔法使いの歯磨きでも、勇者の加護は問題なく発動した。
同時に、魔法使いの持っていた杖の先端が青く光る。
「反応確認。出力上昇。魔力流量、一気に跳ね上がった。何これ、本当にレベル99相当じゃない」
魔法使いが目を見開く。
理屈は分からないが、現象は本物。歯磨き粉の魔力だけでは説明できない。他者接触、被支援認識、精神状態、口腔ケア行為。その全部が起動条件になっている可能性がある。魔法使いは早口でそう分析し、僧侶は精神状態との関係に興味を示した。
戦士は、その議論を現実に戻す。
「実戦では時間が大事だ。30分しか持たないなら、戦闘前に何分も使えない」
魔法使いも、そこは否定しなかった。通常仕上げ、急速仕上げ、安定仕上げ。状況に応じて手順を分ける必要がある。急ぎの時は戦士、負担を抑える時は僧侶、魔力反応や磨き残しを確認する時は魔法使い。
気づけば、俺の歯磨き手順が、治療と魔法理論と実戦の三方向から分類されていた。
「では、今後は担当者ごとの役割を決めましょう。戦士様は実戦前の急速仕上げ、私は負担を抑えた安定ケア、魔法使い様は魔力反応を見ながらの精密仕上げ、という形でどうでしょうか」
僧侶がそうまとめると、王女様が頷いた。
「とても良い整理だと思います」
俺は嫌な単語を聞いた。
急速仕上げ。
安定ケア。
精密仕上げ。
完全に分類されている。
俺の歯磨きが。
「では、勇者様の歯磨き担当について、正式にローテーションを組みましょう」
王女様が言った。
広間に、さらっと重大な言葉が落ちた。
「ローテーション」
俺は思わず呟いた。
戦士は必要だと即答した。誰か1人に任せると、いざという時に詰む。僧侶も、勇者の負担を考えれば担当者ごとの特徴を把握しておくべきだと頷く。
魔法使いは顔を赤くしながら、視線を逸らした。
「べ、別に担当したいわけじゃないけど、戦力維持のためなら仕方ないでしょ。レベル5でうろつかれるよりはマシだし」
またそれだ。
分かりやすい。
分かりやすいが、ありがたい。
「皆さん、本当にすみません」
俺が言うと、戦士が眉をひそめた。
「謝るな。必要なら頼れ」
僧侶が微笑む。
「勇者様が戦えるよう支えるのも、私たちの役目です」
魔法使いがそっぽを向く。
「……そうよ。勇者がちゃんとレベル99になってくれないと、こっちの作戦も組めないんだから」
王女様が、静かに頷いた。
「勇者様。あなたは1人で戦う必要はありません。歯磨き前の弱さも、歯磨き後の強さも、どちらも含めて王国は支えます」
その言葉に、少し胸が軽くなった。
俺はレベル5だ。でも、誰かに頼ればレベル99になれる。戦士が前で守ってくれる。僧侶が傷と疲労を見てくれる。魔法使いが加護の反応を分析し、後方から支援してくれる。そして、必要なら文句を言いながらでも、俺の歯を磨いてくれる。
勇者パーティ。
たぶん、普通の勇者パーティとはだいぶ違う。
だが、これが俺のパーティなのだろう。
「分かりました」
俺は頷いた。
「次からは、戦闘前にちゃんと頼みます」
魔法使いがこちらを見る。
「ちゃんと言いなさいよ。言わなかったら、レベル5のまま後ろに下げるから」
「戦士さんと同じこと言ってますね」
「一緒にしないで」
戦士が少し笑った。
僧侶も微笑んだ。
魔法使いはさらに顔を赤くした。
こうして、勇者パーティの初期メンバーが揃った。
レベル72の戦士。
レベル68の僧侶。
レベル65の魔法使い。
そして、歯磨き前はレベル5、歯磨き後だけレベル99になる勇者。
前衛、回復、魔法支援。
そして歯磨き担当ローテーション。
世界を救うための体制としては、たぶん間違っていない。
ただし、響きは最悪だった。
次回予告
戦士
「次の戦闘まで時間がない。私が最速で仕上げる」
僧侶
「勇者様の顎への負担も考えてくださいね」
魔法使い
「磨き残しがあったら加護が不安定になるかもしれないでしょ」
勇者
「担当者会議を俺の口でしないでください」
次回、第7話
「戦闘前歯磨き、当番制になる」
勇者パーティ、なぜか歯磨きローテーションで揉め始める。