すずめの戸締まり 〜幼なじみと閉じ師 の旅~ 作:陽HARU
神戸を離れた新幹線の車内は、静かで少し重い空気に包まれていた。
窓の外を高速で流れていく景色をぼんやりと眺めながら、すずめは膝の上に草太の椅子を大切に抱いていた。指先で何度も背もたれを優しく撫で、時折「草太さん、大丈夫?」と小さな声で呼びかける。
隣の席に座る蓮は、そんなすずめの横顔を心配そうに見つめ続けていた。旅が始まってからもう何日も経つ。学校はもちろん、環さんにも詳しい事情を説明しきれず、ただ「大事な用事で少し遠出する」とだけ伝えてある。疲労が蓄積しているのはすずめだけではない。蓮自身も、夜はほとんど眠れずにすずめのことを考えていた。
「すずめ、少しでも寝なよ。愛媛から神戸までほとんど休んでないだろ? 俺が椅子、持ってるから」
すずめは首を小さく横に振り、弱々しい笑みを浮かべた。
「ううん……草太さんがこんな姿なのに、私だけ寝てるわけにはいかないよ。蓮も、ずっと付き合ってくれて本当にありがとう。学校もサボっちゃって、環ちゃんに怒られるよね……」
椅子から、草太の低く落ち着いた声が響いた。少し掠れているようにも聞こえる。
「すずめ、君のせいじゃない。これは俺の責任だ。閉じ師として、ダイジンをもっと早く抑えられなかった……。蓮、君には本当に申し訳ない。幼なじみとしてすずめを守るべき立場なのに、逆に危険な旅に巻き込んでしまった」
蓮は窓の外に目をやりながら、静かに、けれどはっきり答えた。
「謝らないでください、草太さん。俺はすずめを一人で放っておけなかっただけだ。昔から、すずめが危なっかしいところは俺がフォローしてきた。環さんにも『すずめのことよろしく』って何度も言われて育ったから……今さら後には引けないよ。草太さんの使命も、すごいと思う。本当に、命を賭けて日本を守ってるんだもんな。俺みたいな普通の高校生にはできないことだ」
すずめは二人の会話を聞きながら、胸の奥が苦しくなるのを感じていた。
草太さんは遠くて綺麗で、強い使命感を持った人。話す言葉の一つ一つに重みがあり、すずめは自然と憧れのような感情を抱いてしまっていた。一方、蓮は幼い頃からの幼なじみで、毎朝家の前で待ってくれ、休み時間にくだらない話で笑わせてくれ、環さんの愚痴を聞いてくれる存在。温かくて、安心できる。
旅が長くなるにつれ、二人の違いがすずめの心を静かに揺さぶり続けていた。
東京駅に到着した頃には、すずめの足取りはかなり重くなっていた。
草太の指示に従い、彼が普段使っている下宿先のアパートへ向かう。狭い1Kの部屋には、閉じ師に関する古い文献、地図、要石の記録が所狭しと積まれていた。蓮は荷物を下ろし、すぐにすずめが座れるように布団を敷き、水とおにぎりを用意した。
「すずめ、座って休め。俺が少し周りを見てくる。草太さん、何か必要なものある?」
草太の声が静かに返ってきた。
「ありがとう、蓮。……すずめ、君は本当に危なっかしいな。でも、その危なっかしさが、俺をここまで連れてきてくれた」
夜が更け、三人でミミズと要石についての話を深く交わした。
草太は詳しく説明した。西の要石はダイジンとなり、東の要石がまだ見つかっていないこと。東京の地下に後ろ戸が存在する可能性が高いこと。そして、それが開かれた場合、関東大震災級の被害が出るかもしれないということ。
すずめは真剣に聞きながらも、時折目をこすっていた。蓮はそんな彼女の肩を優しくさすり、温かいお茶を淹れて渡した。
「すずめ、無理するなよ。俺もいるし、草太さんもいる。一人で全部背負おうとするな」
深夜、突然小さな揺れが部屋を襲った。
すずめは飛び起き、窓の外を見た。夜空に、赤黒く巨大な影がうごめいている——ミミズだった。東京の空を覆い始めている。
「来てる……! もう、始まってる……!」
三人は急いで外へ飛び出した。草太の友人である芹澤朋也が、ちょうどアパートを訪ねてきて状況を把握すると、すぐに協力してくれた。ダイジンの気配を追い、後ろ戸が地下鉄の廃線跡付近にあることを突き止めるが、ミミズの動きは刻一刻と激しくなっていく。
蓮はすずめの手を強く握り、暗い地下通路を走りながら叫んだ。
「すずめ、絶対に離れるな! 俺がいるから! どんなことがあっても、お前を守る!」
草太の声も必死に響く。
「すずめ、冷静に。息を整えて。俺の声に従ってくれ。閉じ師の技を、今ここで教える」
地下の広い空間で、ついにダイジンと対峙した。
白い猫は人間の言葉で、どこか楽しげに笑った。
「かなめいしはおまえだ、草太」
その瞬間、草太の椅子が激しく震え始めた。体全体が凍てつくような冷たさに包まれ、要石へと姿を変えていく。
「すずめ……逃げろ。東京の百万人と、俺一人の命……天秤にかけるな。生きろ」
すずめは涙が止まらなかった。声が震える。
「草太さん、行かないで……! まだ、ちゃんと話したいことがたくさんあるのに! 教師になりたいって夢も、閉じ師の苦労も、もっと聞きたかった……!」
蓮はすずめを強く抱き寄せ、震える彼女の背中を必死にさすった。胸の奥が痛い。草太の覚悟の大きさに胸を打たれながらも、すずめがこれ以上傷つく姿を見たくないという想いが溢れていた。
「草太さん……すずめをここまで連れてきてくれて、ありがとう。でも、すずめは俺が守る。絶対に、諦めないでください」
ミミズがさらに巨大化し、東京の上空を覆い尽くそうとしていた。赤い影が街全体に広がり、遠くでサイレンが鳴り響く。
すずめは涙を拭い、ダイジンと共に要石となった草太を抱き上げた。
「ごめんね、草太さん……でも、東京の人たちを守らないと……」
要石となった草太が、ミミズの体に深く突き刺さる瞬間、爆発的な衝撃が地下空間全体を揺るがした。ミミズは一時的に動きを止め、苦しげにうねったが、草太は常世の奥深くへと引きずり込まれてしまった。
地上に戻ったすずめは、力尽きて膝をついた。
「草太さん……ごめん……私、みんなを巻き込んで……」
蓮はすぐにすずめを抱き上げ、彼女の冷えた体を自分の胸に強く押しつけた。温かい体温が、すずめの凍えた心を少しずつ溶かしていく。
「すずめ、よく頑張った。お前は悪くない。草太さんも、自分の使命をちゃんと果たしたんだ。俺はここにいる。一緒に、草太さんを迎えに行こう。絶対に諦めない」
その夜遅く、環さんが新幹線で東京に到着した。すずめを見つけると、環さんは強く抱きしめ、怒りと心配を同時にぶつけた。
「すずめ! 何やってるの! 勝手にこんな遠くまで……でも、無事でよかった……」
芹澤も協力し、環さんを説得して、東北への移動を決めた。ダイジンも再び姿を現し、一行に加わることになった。
東京の夜空には、まだ薄く赤い影が残っていた。
すずめは蓮の手を強く握りしめ、心の中で静かに誓った。
草太さんを、絶対に連れ戻す。この旅で感じた想い——草太さんへの憧れと、蓮への温かな気持ち——を、ちゃんと向き合って整理したい。そして、みんなで日常に戻りたい。
常世への扉が、静かに、しかし確実に近づいていた。