毎日気絶するように寝てます。去年はこんなに苦しかっただろうか…
本当は先月更新したい予定でしたが、今日になりました。お待たせしました。
動乱の序章編1
4月1日
春休みだと言うのに達也、深雪、水波の三人は生徒会室に訪れていた。
あと数日で三年生になり、学校の最高学年となるわけだが達也は深雪ほど一層の責任感を静かに燃やすわけでもなく、せめて面倒ごとが起きないように祈るばかりだった。
生徒会室には泉美と香澄の二人と新一年生が待っていた。
香澄は生徒会役員ではなく風紀委員なのだが、都合で欠席した風紀委員長の代役であり、打ち合わせらしい打ち合わせはないので、簡単な確認のみとなる。
雅も登校しているのだが、部活連の新体制の打ち合わせと入学式の警備の関係でこの場にはいない。
「おはようございます。初めまして生徒会長の司波深雪です」
「おはようございます。はじめまして。三矢詩奈です」
にっこりと笑いかけた深雪に緊張気味に詩奈はお辞儀を返した。
今年度の新入生総代は十師族である三矢家本家の末娘の三矢詩奈だった。
実技、筆記とも歴代最高といったような華々しい結果ではないが、十師族らしく現代魔法の基準から言えば優秀な魔法師であることは試験結果が示していた。
身長は七草姉妹よりはやや高く、綿毛のようなふんわりとした焦げ茶色の髪が特徴的で、目を奪われるようなと言うよりどちらかと言えば親しみやすい砂糖菓子のような愛らしい美少女だ。
お辞儀に合わせて頭を起こすと、詩奈が装着していたヘッドホンが重力に従って引っ掛かり、上級生の前でヘッドホンをしたままだと気が付き慌てて外そうとした。
「いいんですよ。事情は理解していますから」
「すみません。入学式では目立たないものにします」
以前から付き合いのある香澄や泉美だけでなく、深雪も達也も、詩奈はなにも音楽を聴くためにヘッドホンをしていたわけではないことを知っている。
それは正確に言えば耳栓に近く、原因は彼女の体質にあった。
彼女は聴覚が鋭敏すぎるのだ。それも聴覚過敏というわけではなく、日常の些細な音や空気の振動ですら音として聞き取ってしまう。
彼女のこの症状は魔法力の発達とともに表面化してきたもので、魔法的な知覚力に起因するものと考えられている。
霊子放射光過敏症との違いは、対象となるのが物理的な音になるため、魔法感覚的な制御では抑制できない点にある。
魔法で強制的に聴力を弱体化させれば今度は魔法的な感覚まで鈍くなるため、結局、外部の音をほぼ完全に遮断し、かつ外部の音を耐えられる音量まで自動調整したスピーカーを使用することで日常生活と魔法師としての人生を両立させている。
髪に隠れて目立たないネックバンド式のイヤーマフも持っているが、スピーカーと外部の音声を拾うマイクを備えるとなるとある程度の重量が必要となり、長時間着用するのはヘッドホン型の方が楽であるため、日常ではヘッドホン型を使用している。
「入学式では目立たない物の方がいいだろう。だが、普段は学校ではそれで構わないと思う。教員を含め、当校ではそれを咎める者はいないはずだ。だから今も気にしなくていい」
「はい、ありがとうございます。司波先輩」
詩奈は達也が彼女に対して気を使ってくれたのだと思い、申し訳なさそうに丁寧にお辞儀をした。
達也としては打ち合わせを円滑に進めるためと、普段はという条件付きでヘッドホンの使用を許可していると言う厳しい言葉を深雪に言わせないためであったため、詩奈の解釈は外れてはいたが態々指摘することもないのでそのままにしておいた。
達也は初対面では表情が乏しいこともあって比較的相手に苦手意識を与えてしまうようで、特に四葉の名前が付いて回るようになってから顕著になったが、詩奈の警戒心は先ほどの一言もあってやや解けたようだ。
その後の入学式の打ち合わせや答辞の読み合わせは和やかに行われた。
打ち合わせは順調に進み、予定より一時間ほど早く終わった。
事前に泉美と香澄が詩奈に説明していたこともあるが、詩奈自身も答辞はよく読み込んでいた。
「詩奈ちゃん、お疲れ様でした。今日はもう良いですよ」
泉美が詩奈に声をかけた。
深雪たち在校生はまだ仕事が残っているが、詩奈は今日のところはお役御免だ。
「ほんとは詩奈とランチでもしようかと思っていたけど、残念」
まだランチには早い時間であるため、香澄は詩奈に笑いかけた。
「あの……。皆さんにお近づきの印としてこんなものを作ってきたんですけれど」
詩奈が気後れしながら足元に置いていたスポーツバックからピクニックに使うようなバスケットを取り出した。
見た目は可愛らしい籠編みのバスケットだが、中には保冷剤を入れて温度が変わらないようになっている。
詩奈は蓋を開けて中身を見せると、香澄からわあっといった歓声が聞こえた。
そこには一つ一つワックスペーパーに包まれたパンケーキサンドが並んでいた。食べやすいように二つ折りにされ、中には生クリームとフルーツが挟まれていて、大きさも片手に乗るくらいで、随所に心配りが伺える。
「詩奈ちゃんは本当にお菓子を作るのが上手ですね。深雪先輩、折角ですからご馳走になりませんか」
「よろしければ是非」
泉美のセリフを受けて詩奈がはにかんだ笑顔で深雪に申し出た。
深雪は視線だけを達也に向け、達也が目でうなずくのを確認した。
「ありがとう、三矢さん。では、お言葉に甘えて」
パンケーキを一つ手に取り、そのまま口に運んだ。
かぶりつくという動作だが、深雪がすればなんともお上品で、クリームが唇や歯につくことなかった。
「美味しいわ」
「よかったです。あの、司波先輩もいかがですか?甘いものがお嫌いでなければ……」
詩奈はさらに恐縮そうに達也にも勧めた。
「いただこう」
達也はチョコレートクリームを挟んだものを手に取り、二口で食べ終えた。詩奈には少なくとも無理をして食べているようには見えず、詩奈はホッと肩を落とした。
「じゃあ私も!」
達也に続いて香澄がバスケットに手を伸ばした。
大き目の一口で頬張ると、至福と言わんばかりに目を細めて味わっている。
続いて泉美が手を伸ばしたところで、生徒会室に備え付けられているインターホンが鳴ったので、泉美はそのまま立ち上がって応対した。
水波はまだお茶の準備をしている途中だったため、下級生の中では泉美がまだ手が空いている状態だった。
「雅先輩ですが、開けてもよろしいでしょうか」
「ええ、勿論よ」
泉美は深雪から許可を取ると、ロックを解除し、扉を開けた。
「雅先輩!」
「少し早いかと思ったけれど、大丈夫だったかしら」
「はい。ちょうど詩奈ちゃんとの打ち合わせは終わったところですから」
「そのようね」
雅はテーブルに視線を向けると、笑みをこぼした。
「深雪。部活連から選出した警備の配置予定だけど、変更は特にないわ。そちらは何か変更は?」
「今のところ問題ありません。風紀委員会にも同じものを送付されているのですよね」
「そうね。吉田君からも了承は得ているわ」
データは既に転送されているので、雅は進捗の確認のために顔を出しに来たに過ぎない。雅はその他にも入学式以降の部活動勧誘の取り決めなどを確認すると、詩奈と向きあった。
「はじめまして。部活連総代の九重雅です」
「三矢詩奈です。よろしくお願いします」
詩奈は椅子から立ち上がり、丁寧にお辞儀をした。
今度はヘッドホンが外れることなく、雅も事情を知っているのか達也が言ったように咎めるようなことはしなかった。
「あの、まだ数はありますので、九重先輩もよろしければいかかですか」
詩奈は雅の名前と顔は知っており、達也との関係も聞き及んでいたが、対面してみると何か妙な感覚に捕らわれた。
おそらく魔法的な感覚に起因するものだろうが、今の詩奈はヘッドホンをしているので、その感覚は外した時ほど鋭敏ではない。
だから、もう少しこの場にいてほしい気持ちが先走って、自分では信じられないほど積極的に自分が持参したお菓子を勧めていた。
仮にこの感覚がなくても場の雰囲気的に勧めただろうが、なぜか詩奈はそうせずにはいられなかった。
「ごめんなさい。お気持ちはうれしいけれど、今は都合で食べられないの」
雅は非常に申し訳なさそうに詩奈に謝罪した。
「あ!雅先輩、精進潔斎ってやつ?」
詩奈がショックを受ける前に、香澄が手を叩いた。
「そうよ。3日に舞台があるの」
「雅先輩はご実家の神事の関係で菜食中心ですものね。卵や乳製品もとなると大変ですね」
「今だけよ。もう少しすれば食べられるようになるから、みんなは遠慮せず楽しんでもらえたら嬉しいわ」
雅はできるだけ優しく詩奈に微笑みかけた。
香澄や泉美など顔見知りはいるが、上級生の間で恐縮している姿は小動物を彷彿とさせて雅はなんだか居たたまれない気持ちになった。
つい先日卒業した中条あずさがビビりな小型犬ならば詩奈は毛足の柔らかいウサギといった感じで、どちらも庇護欲を駆り立てられる。
「そうなんですか。そうとは知らず、失礼しました」
「こちらこそ。機会があればまた持ってきてくれると嬉しいわ」
「はい、是非その時は」
詩奈はぎこちないが何とか笑顔で返事をした。
「お姉様、せっかくいらしてくださったのですからお時間がよろしければ、一緒にお茶はいかがですか」
「そうね。この後は少し部室に顔を出すくらいだから、そうさせてもらうわね」
他の五人には既にお茶は配り終えているので、水波はすかさず達也の隣に雅のお茶と砂糖壺を置いた。
普段の雅はコーヒーも紅茶も緑茶も嗜むが、精進潔斎の時期には気分だけでも甘いものをと甘い香りのするフレーバーティを好んで飲んでいる。
今は深雪のガーディアンであるが、深雪が九重に嫁ぐため、おそらく将来若奥様として仕えることになるだろう雅の好みの把握に最近の水波は余念がない。
「ありがとう、水波ちゃん。これ、ストロベリー?」
「はい。いかがですか?」
「ミルクを入れても美味しそうね」
最近はこういった給仕仕事も生徒会室ではピクシーに取られてしまっているので、満足げな雅に水波は心の中でガッツポーズをとる。ピクシーから感じる視線は気にも留めない。
「水波ちゃんもご馳走になった?」
「いえ、私は」
「上級生が食べてくれないと詩奈さんが食べにくいでしょう?詩奈さんも自分がまだ食べていなければ、遠慮しないでね」
雅が少し強めの口調で勧めると申し訳なさそうに水波はバスケットに手を伸ばし、詩奈にお礼を述べた。
泉美も雅の手前、少し遠慮がちにバスケットからパンケーキサンドを選び、一口食べて詩奈に笑顔で美味しいと言った。
やはり手作りで持ってきたのは少し失敗だったかなと詩奈が脳内で反省会をしているが、口にしたパンケーキサンドの生クリームの甘さと果物の酸味、生地の出来栄えに内心満足しながら、まあ仕方ないかと切り替えていた。
在校生の打ち合わせもそれほど問題なく進み、学校で遅めのお昼を食べた後、雅、深雪、達也、水波は同じコミューターで帰宅の途にあった。
春休みの途中だが、七日の入学式までに進めておくべきことはまだあるため、生徒会を中心にしばらくは学校に通うことになる。
「三矢さん、良い子そうでよかったわね」
「そうですね。去年はどうなることかと心配でしたが、今年は生徒会入りも快く受け入れてくれることを願っています」
昨年の入学主席者である七宝琢磨は、自分の研鑽を積みたいからという理由に生徒会入りを断り、部活動を精力的に行い、部活動連合の一員として現在は活動している。
何度か雅に対して許しがたい暴言を吐いたこともあったので、生徒会に入れて深雪が愚かさをその身に刻むべきと思ったことも多々あったが、最近は目立つ活動もない。思春期らしい暴走だったと言えばそれまでだが、深雪の中で琢磨の評価はマイナスの方向に振り切れている。
対して、今年の詩奈のなんて愛らしく謙虚なことかと深雪は初対面の場で内心打ち震えていたほどだ。
兄に対してやや緊張が強いように見受けられたが、四葉の名前がある以上ある程度は覚悟していたことではあり、入学以降も良好な関係を築けるだろうと深雪は思っていた。
「そうね。七草姉妹とも仲がいいようだから、心配しなくてもよさそうね。それと三矢さんって、光波過敏症のように、想子音の過敏症というわけではないのよね」
雅は正面にいる深雪から隣にいた達也へ話を振った。
「想子音の聴覚過敏症?」
達也も聞き覚えのない言葉にそのまま尋ね返す。
「正式な病名というか症例名ではないかもしれないけれど、魔法発動の想子音や霊子音に対してだけ聴覚が鋭敏になっているというわけではないのよね」
「ああ。俺も詳しく本人から聞いたわけではないが、無意識に聴力を強化する魔法を使っているというのが彼女の医者の見立てのようだ」
「魔法で音自体を遮断すると魔法感覚も一緒に下がる。だから一度音を遮断して、聞きやすい音量に調節して魔法師としての才能との釣り合いを取っているそうね」
三矢詩奈の症状は比較的知られたことだった。
実生活であれほど目立つヘッドホンを付けていれば、好奇心から聞く人は少なくない。
三矢家も隠し立てするより、状況を理解してもらうことと解決策を模索しており、接点のない雅や深雪たちにも入学以前から七草姉妹伝手に情報が入っていた。
「想子音の過敏症については私も詳しくは知らないのだけれど、霊子放射光過敏症は、霊子に対する知覚的なコントロールの問題でしょう。それと一緒で、稀に想子が発する音を聞き取ってしまう人がいるそうなの」
「初めて聞くな」
そもそも想子は魔法師にとって知覚可能ではあるが、想子は波動のように感知されることが一般的であり、特定の色や音というものがあるという定説はない。
霊子放射光についても、一般的に魔法発動に伴う霊子について眩しいと感じるだけであり、オーラカットレンズの使用や訓練である程度はコントロール可能なものである。
美月が以前、幹比古が使役していた精霊に色を見出していたが、普段使用している魔法の色については聞いたことがない。達也や深雪が聞いたことがないだけであって実際は眩しさ以外の色も認識しているとすれば、それが単に個人に属する感覚なのか定説になるのかというところは現段階では判断できない。
それと同じように、詩奈の聴覚についてもまだ解明されていない点が多いことは確かだ。
「三矢さんの場合、聴覚強化の魔法を使っていないにも関わらず、微小な音も聞き取るような鋭敏な聴覚を持っている。でも魔法力の発達と伴に聴覚が鋭敏化された。想子も霊子も波動だったり、光波だったり、波形でしょう。その波形を音として彼女は認識している可能性はないかしら」
魔法師は想子波を感じることができるが、それは波動として認識している。魔法式や起動式にはその波動があるため、魔法師は常に波に晒されていても慣れているため船酔いしない船員のようなものだ。
詩奈はその波を一般的ではないが、聴覚のチャンネルでも受信しているのではないかと雅は問いかけた。
「魔法を用いない日常生活、人やモノが移動する際の空気の振動一つでも音として認識しているようだが、その点は?」
「魔法的な感覚に物理的な音が引っ張られてしまうんじゃないかしら。例えば達也は視力と情報の次元の見える範囲は違うけれど、認識に齟齬は出ていないでしょう。仮にその認識に齟齬があれば、魔法的な感覚に合わせようとして物理的な聴覚も鋭敏にならざるを得ないんじゃないかしら」
視覚を例にしてみれば、人間の物理的な視野は一般的には水平左右100°ずつ、上60°、下70°程度と言われている。達也も視野に限ればこの範囲から外れない。
しかし、達也の精霊の目は情報の次元を知覚する異能であるため、実際には全方向が見えていると言っても過言ではない。
物理的な視野と情報の次元の知覚の違いを無意識に判別ができていれば、後ろから投げられたボールを振り向いてキャッチすることはできる。
仮にこの状態に齟齬があれば、後ろからボールが飛んできていることは知覚しながら、物理的にはボールが見えないので、視野と視力の範囲内を隈なく捜索して結果目が疲れているというのが、今の詩奈の状態だと雅は仮説づけた。
「過去、九重神楽の楽師にそのような人がいたと言う話を耳にしたことがあるから、三矢さんもそうかと思ったけれど、一概には言えないわよね」
「お姉さま。症状をご存知ということは対処法もあるのですか」
「物理的な音と魔法的な聴覚の認識の違いを知ることかしら。あとは結界を用いた常時発動型の術で一定以上の想子音に対する感受性に上限を設けて、少しずつ制御したという話ね。伝聞の伝聞だからそれ以上の詳しいことは家に帰って調べないとわからないわね」
三矢家は今のところ四葉家や九重家と対立はしておらず、先の師族会議での十師族の間の婚姻に関する問題には静観の姿勢だ。
詩奈個人はともかく、いずれ交渉のカードとなり得そうな情報ではあるが、それには九重の協力も必要になる。
第一、初対面の詩奈に対して達也がそこまで世話を焼くつもりはない。
雅の仮説も今は達也の胸中にしまっておくことにした。
「それより舞台の方は大丈夫か」
「今のところは開催予定よ。キャンセルが出る可能性はあるけれど、取りやめるほどの影響は日本には出ていないからって」
今朝のトップニュースでは、南アメリカ大陸の旧ボリビアにおいて、ブラジル軍が独立派武装ゲリラに対して戦略級魔法を使用したという凶報が流れた。昼間のワイドショーでも取り上げられており、世界的な衝撃の大きいニュースであることは間違いなかった。
武装派ゲリラが支配している地域とはいえ、被害の範囲から言えば非戦闘員の犠牲も十二分にあり得る。
戦略級魔法を行使した魔法師個人やブラジル軍自体が人道の敵と非難されるだけなら、僥倖。
さらなる問題はブラジル軍の態度にあった。
大量破壊兵器も戦略級魔法師も威力は大きく、国防の観点から見ても必要不可欠な存在ではあるが、同時にそれ自体が戦争の抑止力となり得る。
安易に使用すれば、それだけ他国から同じように反撃される可能性が出てくる。そうすれば被害の拡大と政治と軍事の泥沼化は避けられない。
日本も灼熱のハロウィンに関する戦略級魔法の使用を公的には認めていないが、つまり認めないと言うことは表立って使う意思はないと示している。
だが、ブラジル軍は他の兵器と同様に戦略級魔法を使用していくと言わんばかりに、今回のゲリラに対する戦略級魔法の使用を認めたのだ。
軍事に携わる者にとって、戦略級魔法の使用に関する心理的障壁が下がってしまう可能性は大いにある。
つまり、魔法師が兵士として消費され、より一層魔法師に対する世間の風当たりが強くなることを意味していた。
当然それは反魔法師運動の高まりであり、全く軍事とは関わりのない九重神楽のような神事にすら影響を与えかねない。
「わかった。無理はするな」
達也は指の背で雅の頬を撫でた。
一見分かりにくいが、舞台前の詰めの稽古のせいか少しばかり線が細くなっていることを心配していた。
それに加えて今回のニュース。
気苦労も増えることは言葉にするまでもなく達也にも容易に感じ取れた。
「それと甘いもの、何がいい?」
雅は平然とほほえましくお茶会を見ていたが、詩奈が持ってきていたパンケーキに惹かれていたことは達也にはお見通しだった。
今は舞台前で食べたくても食べられないことは達也も承知している。
だが、甘味の類の一切が禁止というわけではない。
「いちご大福」
雅はそんなに顔に出ていたのかと少し恨めし気に達也にそう注文した。
春の暖かさを受けて、満開を過ぎた桜は最も儚い時期を迎えていた。
朱塗りの門と白壁の通りを抜けて、風が吹くたびに雪のように舞う花を人々は見上げ、今年の桜の美しさを堪能していた。
晴天の下、九重神楽の会場に達也と深雪は訪れていた。
二人が会場に現れると小さな感嘆の声とともに、ささやき声と視線が集まる。
悠の婚約者として公表された深雪は、九高戦に出場していたので顔は知られてはいるだろうが、実際にその場にいる者にとっては現実離れした美貌に圧倒されている者も多く、驚嘆の混じったため息や息をのむような姿が見られる。
絹の光沢のある淡いピンク色の生地に白い桜の訪問着姿の深雪が桜の木々の下を歩いていると、まるでそこだけ絵巻物から登場した桜の精のようにも見える。朱色の帯紐には先日、達也が贈った真珠の帯留めが使われている。
後れ毛なく艶めく黒髪を結いあげて、唇に紅をさせば少女の可憐さと大人の色香が混じる何とも言えない美しさが調和していた。
深雪に注目が集まるのはいつものことだが、今回は達也に対して関心を示している者も一部伺える。
達也個人に対してというより、付随する四葉家の名前と雅の婚約者という立場だろう。個々の招待客の中には九重家の娘を欲しがった者もいるとみるのが妥当だ。
敵対すると言うより推し量るような視線が達也に向けられている。じろじろと観察するような素振りもなく一瞥して歓談に戻っているが、抜け目なくこちらの動向に目を光らせている。
会場には地元の名士と思われる政治家や企業の社長、観覧の誉れに預かり恐縮そうにあたりを見渡す氏子とみられる家族などフォーマルな装いという共通点を除けば様々な人物が招待されているため、人目もあってか無駄に騒ぎ立てることもしない。
敵意がなければ視線は煩わしいだけで済むのだが、その中で一つ興味とも関心とも取れない冷淡なものが混じっていた。そしてその視線の主は人当たりのよさそうな笑みを浮かべ、達也の前に立った。
「しばらくぶりですね、司波君」
「ええ。お久しぶりです。芦屋さん」
スーツ姿の達也に対し、充は普段から着慣れたであろう紺の色紋付袴姿であり、姿勢の良さと随所に現れる所作はいかにも上流階級の子息といった装いだ。
「四葉家次期当主殿に覚えていただいたようで光栄ですね」
「こちらこそ。ひとつ訂正させていただくなら、自分は候補の一人に過ぎませんが」
「ご謙遜を」
場所が場所なだけに表立って敵意を示すことはしていないが、表現こそ柔和ながら歯に衣着せぬとは言い難い皮肉が飛び交っている。
芦屋は未だに雅に対する婚約の申し込みを取り下げてはいない。
その上で神楽の観覧に招待されているのだから、九重にとって達也はまだ仮の婚約者でしかないと言わんばかりに充は達也に話しかけに来ているのだ。
九重が達也を軽んじていると表面的にみることもできるが、家としての付き合いを考えれば芦屋と九重の方が長い。達也としても今日この場に芦屋充がいることについて、九重が図ってのことなのか現段階では不明であるが、この場で波風を立てる必要はないと感じていた。
「そういえば、この4月から魔法大学に通うことになりまして、住まいを東京の方に移したのですよ」
「それはおめでとうございます」
「ありがとうございます。なじみのない土地ではあるが、見知った顔がいるのは安心できるというものです。彼女に声をかけさせていただくこともあるかと思いますが、構いませんよね」
構わないかと達也に伺ってはいるが、その実、わざわざデートの誘いに達也の許可を取る必要がないが構わないだろうと憮然と言ってのけたのだ。
ここで達也が遠慮してほしい旨を伝えれば、前時代的に彼女を束縛する狭量者という返答があるだろう。逆に同意しても、待っているのは薄情な浮気者という誹りだけである。
「ええ。その時は妹さんもご一緒にどうぞ」
達也は充の隣に静かに控えていた少女に視線を向けた。
深雪、達也、充の三人の視線を集めた少女は、物怖じすることなく丁寧に一礼した。
「深雪さんには以前ご挨拶させていただきましたね。初めまして、芦屋玲奈です。この度、第一高校に入学することが決まりましたので、どうぞよろしくお願いします」
「優秀な成績を修められたのは耳にしていますので、入学を楽しみに待っています」
「ありがとうございます」
深雪が社交的に微笑みを浮かべれば、玲奈もはにかむように微笑んだ。
水色に華やかな古典柄の振袖と赤の鮮やかなつまみ細工の簪は、春晴れの空ともよく合っていた。
「たしか以前は二高を受験すると言う話を伺っていたから、少し驚いたわ」
「先ほどお話ししたとおり兄が春から魔法大学に通いますので、兄も近くにいるならと許可をいただけました。今は雅お姉様と再び同じ学校に通えることを心待ちにしています」
「そう。
万人受けしそうな可憐で愛らしい笑みを浮かべる玲奈に、深雪は絵画のように優美に微笑んだまま纏う空気は今にも気温自体が下がりかねないほど冷え冷えしている。
玲奈が単に雅と同じ学校に通うために親元を離れて東京でおそらく一人暮らしをするなら、行動力のある女子だと言う見方もできるが、先ほどの充の言葉も合わせるならば雅と充をくっつけるために芦屋家は総力を傾けているとも解釈できる。
しかも十師族のうち、今年は四葉、七草、七宝が在校しており、順当にいけば三矢家の末子である詩奈が入学することは予想できる。
芦屋家は古式の中では大家だが、影響力は政財界に対してであり、軍部に対して表向きは私的な縁者のみいる状況だ。地盤がある以上、交友の幅を十師族に広げるなら一高の入学は理に適っているともいえる。
「そういえば、少し北の海が騒がしいようだね。一条家はそれで欠席だとか」
自分のことは一度棚に上げて、表面上は穏やかな春の陽気のようだが北極の海のように水面下では巨大な氷を抱える二人の雰囲気を見かねて、充が話題を変えた。
5年前の大亜連合の沖縄侵攻事変の際には、佐渡にも新ソ連の工作員が占領を目的に攻め入ってきた。
当時から現在に至るまで新ソ連は関与を否定しているが、少なくない被害が双方に出ている。
3月末に起きたブラジル軍の戦略級魔法の使用に際し、国際情勢は緊張状態だ。USNAの北メキシコ州でも州軍が暴徒とともに連邦政府指揮下の魔法師の治安維持部隊を拘束し、ドイツではベルリン大学で魔法師排斥の学生と魔法師との共存派がデモ隊を結成し、校内で衝突していた。
規模の大小はあっても、反魔法師運動の情勢は厳しく、株価もここ数日のところ値下がりが続き、一部の詭弁屋の評論家たちは国民の不安を煽るような言葉を並び立てている。
「佐渡の経験があるようですから、警戒はしているのでしょう」
十師族ならば国防軍の動きくらい耳にしているだろうと達也に鎌をかけてきた部分もあるが、当たり障りのない範囲で達也は答えた。
佐渡は国防の観点で無視できない重要な拠点の一つだ。
新ソ連や大亜連合にとっては制圧すれば補給の拠点となり、侵攻の足掛かりとなる。新潟も首都まで鉄道で3時間を切る距離にある。
国防軍の基地は整備されているが、それも5年前の事件があってようやくのことであり、軍部の中ではあの苦い経験を二度としまいと力の入っている者もいると達也の耳には入っていた。
「お兄様、舞台の前に無粋ではありませんか。今日ばかりは現世のことは忘れて、ただ舞台を待つのみですよ」
「……今日ばかりは賛同しよう。ではまた、機会があれば」
二人とも人当たりがいい振舞いをしながら、実に食えないと達也はその忌々しさを悟らせることなく深雪を席へと促した。
原作では不審船がうろうろするのは4月6日の前日で4月5日の夜ごろだけど、早めても問題なさそうなので変更してます。
一条君の出番が書きたくなかったわけではない(;・∀・)
神楽の描写まで入れたかったけど、できなかったのが残念です。
ちなみに今回のサブタイトルは新旧妹対決です(; ・`д・´)