恋ぞ積もりて 淵となりぬる   作:鯛の御頭

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平成滑り込み投稿Σ(・ω・ノ)ノ!

皆様、お待たせいたしました。
働き方って何だろうと思いつつ、20連勤をこなしたのちの10連休です。

投稿していない間にも、感想、評価いただきありがとうございます。
お返事はできていませんが、すべて隅々まで読ませていただいています。
大変励みになっています。

令和の時代も鯛のお頭とこの作品をどうぞよろしくお願いします。


動乱の序章編2

今年の桜の終わりが近づく4月6日、雅は九重寺に訪れていた。

それもいつもの客間ではなく、わざわざ茶室に案内されていた。

畳を切り取って備えられた炉には、年季の入った鉄の茶釜がかけられ、湯の沸く音が静かな茶室に響いている。

繁華街の喧騒からも離れた九重寺では、夜ともなれば深い静けさが広がっている。朝は威勢よく稽古をする門人たちも今は一人もいないかのように、ただ樹木が風にざわめく音だけが聞こえる。

 

「進級おめでとう」

「ありがとうございます」

 

雅は九重寺には何度も訪れているが、茶をもてなされるのはそれほど数が多いわけではない。ただの気まぐれで茶を出される時もあるが、今日はただの進級祝いというわけではないと雅は感じていた。

 

「お呼び出しの理由は北の海のことですか」

「おや、その様子だともう君の所にも連絡があったのかな?」

「いえ。緊迫しているとなればそこが最有力ですから」

 

北の海から、つまり新ソ連のものと思われる不審船がうろついている一件についてだ。

佐渡近海ということで大亜連合の可能性も考えられるが、3月末に沖縄で国防軍と大亜連合と共同で脱走兵の大捕り物をしたばかりで、関係性を悪化させるような事態を自ら招くことは考えにくい。

そうなれば、あとは地理上考えられるのは自ずと一つ。

 

「結論から言えば、一条家当主が負傷したそうだよ。負傷と言っても肉体的なものではなくて、魔法演算領域に過剰な負荷がかかったようだ」

「一条家当主が?国防軍は出ていなかったのですか?」

「見かけ上は軍用船でもなかったからね。国防軍も警戒という段階で待機していたようだけれど、一条家がまず接近することになったようだよ。前回の佐渡侵略では新ソ連に白を切られたのが、よほど堪えたようだね」

 

一条家は国防軍を補完する形で機能し、東北から西日本の日本海側の国防に当たっている。国防軍はどうしても戦略上、北海道や九州、沖縄に集中せざるを得ず、一条家は魔法師としての才能だけでなく、義勇兵を束ねるカリスマ性も兼ね備えていた。

その当主が負傷となれば、国防上の穴が開いたことになる。

 

「かなり強引な手段だったが、近づいて向こうから攻撃されれば反撃の言い訳がきくからね。それで一条家が先制的に装甲船を近づけた。だが強力な魔法による爆発が海上で発生し、部下を守るために一条家当主は障壁を張った。その結果、得意魔法ではないこともあって、魔法演算領域に深刻なダメージを負ったようだ。今のところ負傷は彼一人を小さい損害とみるか、大きな痛手とみるか」

「一条家の体制を考えると痛手でしょう。不審船は?」

「爆破の衝撃で木端微塵。海の藻屑で敵の手がかりはなし。攻撃から見て陽動だろうね」

 

味方の船ごととなると無人船だった可能性も高い。

しかし、新ソ連の領土からはかなり距離があるはずだ。

いくら魔法師にとっての射程距離は知覚上の距離でしかないとはいえ、相当高いレベルの魔法師が実戦投入されたに違いない。

 

「話によれば、海一面に魔法式が転写され、地雷が一斉に起爆したように海上に爆破の衝撃が広がったそうだよ」

「船一隻に対して過剰な攻撃ですね」

「しかも相当遠距離の使い手だ。君の家では、使徒の一角が動いたと考えているそうだよ」

「まさか、戦略級魔法ですか」

 

世界で公表されている戦略級魔法師は13人。神話にあやかり十三使徒と呼ばれ、内、一人は灼熱のハロウィンで消滅したとみられているため、実質公表されているのは現在は12人だ。

その中で魔法の効果および魔法式が完全に非公開であるのは、新ソ連の『トゥーマン・ボンバ』だけだ。

 

「ブラジル軍が戦略級魔法を使ったことで軍関係者の戦略級魔法に対する心理的な抵抗は少なくなっているとみるべきだ。新ソ連もそうだとしても、まだなにか裏がありそうだね」

「一条家に損害を与えて、国防軍の警戒を上げる以上のことですか」

「仮に戦略級魔法だったとして、一条家に対する攻撃はあくまでパフォーマンス。今後も新ソ連はこのような攻撃に打って出ると言うアピールかな」

「海上一面の攻撃となると場所の予測も魔法の防御も相当難しいものになりますね」

 

日本の地理上、海上の警戒は必至だ。

地上部隊を送り込むにも大規模で輸送可能な船舶での攻勢は歴史上繰り返されてきた。相手がこちらの射程外から海上に攻撃してくる可能性があるからと言って、領海の防衛をしないわけにはいかない。

だが、相手は一度で艦隊を壊滅させることのできる戦略級魔法師だ。数の大小で防げる問題ではない。

 

「しばらく風間君たちは忙しくなりそうだね」

「達也の出番もあるのですか」

「協力は要請するだろうね。なにせ相手は戦略級魔法だ。目には目を、歯には歯を、ってやつだね。こちらからの先制はないにしても、達也君の雲散霧消(ミストディスパージョン)なら発動規模次第では打消しも可能だろう」

 

十師族は軍に協力はするが、軍属というわけではない。

あくまで必要に応じて協力する立場であり、それは十師族制度の成り立ちに関わった老師、九島烈の考えに基づいている。

しかし、それはあくまで表向きの話であり、大なり小なり軍への影響力があることは確かだ。達也と四葉家との関係が明らかになったものの、達也の利益と相反しない限り、大黒竜也の名前は有効のようだ。

 

思案の合間には、叔父が茶を点てる茶筅の音だけが満ちている。

 

「ああ、むしろ相手の狙いはそこかもしれないね」

 

叔父は私の目の前に点てたばかりの茶を置いた。

その言葉を前に、私は器に手が出なかった。

 

「日本の非公開の戦略級魔法師を表舞台に引きずり出すということですか」

「僕の知る限り灼熱のハロウィン以降の使用は見られないからね。国防軍と四葉の隠蔽力は見事だ。USNAのように目星をつけている国はあっても不思議ではないが、確固たる証拠が欲しいところだね」

 

達也が戦略級魔法師、大黒竜也であることは、軍上層部で知り得るのは佐伯少将と一〇一旅団の一部のみだ。

だが、朝鮮半島の軍港を消滅させた未知の魔法の使い手が日本に帰属していることは状況から見て明らかだ。

その存在が誰かということは明確ではなくても、存在そのものはいくら日本側が公式見解で否定しても、鵜呑みにするほど各国の上層部は腑抜けていない。

 

「可能ならば暗殺もということですか」

 

雅は自分で声に出しながらも、その可能性を否定したかった。

戦略級魔法師の存在が分かれば、各国の取りうる手段は限られてくる。

日本への外交交渉のカードに使うか、もしくは存在しないと言われているならば本当に存在がなかったことにして闇の内に葬るか。

 

「戦略級魔法は持っている国からすれば切り札であり、戦争の抑止となるけれど、敵国から見れば脅威そのものだからね。たった一人で地図を塗り替える存在は本人の使用の意思に関わらず、存在そのものが脅威だろう。つくづく君の星巡りは苦難の道を歩むことを運命づけられているね」

 

望み得た力ではない。

そんな個人の思いなど、国という大義名分の前には塵芥に過ぎない。

いくら達也が強いからと言って、不滅でも不死でもない。

 

「用心することだ。君も、彼らもね」

「承知しました」

 

器を受け取り、作法に則って賞味する。

苦みがのどに貼り付くようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西暦2097年4月7日、日曜日

 

全国の魔法科高校では、一斉に入学式が行われる。

先週から国際ニュースでも魔法関連のニュースが悪い方向で取り上げられている事から、保身的に出席を取りやめた来賓もいたが、第一高校では恙なく式が執り行われた。

入学式は厳粛に行われ、祝いの場であるにも関わらず、浮ついた雰囲気はあまり見られない。

 

昨今情勢というより、舞台の下に控える生徒会のメンバー、特に生徒会長である深雪の存在があってのことだ。もっと正確に表現すれば、四葉家という名前と深雪の美貌に存在しないはずのプレッシャーを勝手に感じ取った一般の父兄と、その隣に並ぶ次期四葉家当主として有力視されている達也の伺い知ることができないほどの存在感に、普通とは呼び難い者たちが緊張を緩めずにいたせいだろう。

 

唯一、会場が和んだのは詩奈の答辞の時間であり、一生懸命といった言葉が似あう彼女の初々しさに心を落ち着かせていた。

 

 

 

入学式が終われば、あとはクラス分けとIDの交付があってから一年生は解散だ。

生徒会メンバーと風紀委員は会場の片づけ、部活連の方では校内の見回りを担当していた。

初日から問題を起こす生徒は早々にいないが、部活動の方で新歓を先走ったりしていないか、校内で迷子になっている新入生がいないか確認をしている。

 

加えて人の出入りの増える日であるため、不審な行動をとっている人がいないかという警備の側面もある。

校内に監視カメラはいくつか設けてあるのだが、カメラをごまかす方法はいくらでもあるため、人の目も必要になってくる。

幸いにも今年は特に問題はないようで、雅は部活連のほかの役員は先に戻らせて、講堂に報告に戻る。

 

片付けの終わった達也、ほのか、雫、幹比古と講堂から昇降口に向かう短い距離の途中で、雅が怪訝な顔を浮かべて足を止めた。

それからやや遅れるようにして幹比古も同じく怪訝な表情を浮かべる。

 

「雅、幹比古、どうした?」

 

達也が問いかけると、雅は呆れたような顔で肩を落とした。

 

「初日から悪さをする子がいるみたい」

「多分、『順風耳(じゅんぷうじ)』。遠くの離れた特定の場所の音を拾うための術だ」

 

幹比古と雅の言葉に雫とほのかが顔を見合わせた。

 

「盗み聞きの術?」

「いや、まあ、そうだけど……」

 

雫のボケなのかツッコミなのか判別しがたいセリフに、幹比古が脱力感を漂わせる。

 

「場所は第一小体育館の裏の方ね」

「かなり修業は積んでいるけれど、術の出力は低めだ。わざと抑えているのか、適正に恵まれていないのか……」

「練度は高いが適正に恵まれていないか……」

「心当たりがあるの?」

 

達也の口ぶりは心当たりがあるように思わせたが、雅の問いには答えなかった。

 

「今日はどこの部活も活動していないし、小体育館は見回りでは特に何もなかったと聞いているけれど、ひとまず行ってみましょうか」

「そうだな」

 

五人は揃って第一小体育館へと足を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

誰かが近づいてきている。

第一高校に入学したばかりの新一年生、矢車侍郎(やぐるま さぶろう)はそう感じた。

今も生徒会室に向けて順風耳を使用していることで、魔法の無断使用を咎められる危険を冒している。

それ以上のリスクを負うことなく、相手に察知される危険を減らすため、侍郎は気配だけで近づいてきている相手を探った。

 

数は三人。

二人は女子で、気配を隠す素振りや特別な訓練を受けた足取りは感じられない。

もう一人は気配を意識的にコントロールしている。気配を隠す意図がなく、これは古式魔法師のような肉体的にも精神的にも鍛練と共に磨かれるような気配だ。意識しなくても自分の気配をコントロールできている。かなりの手練れだ。

女子の方はおそらく、一般の生徒でもう一人はおそらく教員だろうと侍郎は推測した。

 

古式魔法は想子レーダーや個人の感覚に引っ掛かりにくいと言われているが、万全ではないことをよく知っている。

上級生の見回りが一度去った後で侍郎はこの場に陣取ったため、三人がただの見回りではないことは理解している。

 

 

矢車侍郎は今年の新入生代表であり、十師族の直系でもある三矢詩奈の幼馴染である。

それより古くして矢車家は代々三矢家と雇用関係にあり、分かりやすく言えば侍郎は詩奈の護衛役を任されている。

より正しく表現するならば任されるはずだった。自身の力不足のせいからその護衛役は入学前に解消されたが、侍郎はあのぽやぽやした詩奈は自分がいなければどんな毒牙(四葉)に嵌っているかわからないと気が気でなかった。

 

だから今日もこうして入学式の二時間前から詩奈とともに登校し、生徒会長の司波深雪や役員の七草姉妹に連れていかれて詩奈に聞かされている話を知ろうとしていたところだった。

誤算だったのは、思った以上に生徒会室の守りが固く、これ以上「耳」を傾けていても話の内容は掴めそうになかった。

 

引き際は弁えている。

そのつもりだった。

壁沿いに三人が向かってきた方向とは反対に音もなく移動する。

小体育館を壁沿いに移動すれば、並木道に通じている。

そこを何食わぬ顔で歩いていれば、問題はないと迫ってくる後ろの三人との距離を測りつつ、足を進めていた。

 

「新入生だな。このあたりで不正に魔法が使用されたのを感知した。話が聞きたいので同行してほしい」

 

驚愕に声さえ漏れなかった。

司波達也。

生徒会役員、九校戦のスーパーエンジニア、恒星炉の実験の中心人物、そして四葉家次期当主候補の一人、その中でも一番当主に近いと言われる人物だ。

一番警戒していた者が視界に入るまで全く気配なく侍郎の目の前に現れた。

咄嗟に髪紐を解き、その長い髪で顔を隠すと古式魔法の高速移動術『韋駄天』を発動する。

 

「待て」

 

その声に逃走を止めるだけの怒気はない。

だが、侍郎の足は一歩目を踏み出した段階でもつれてしまった。

咄嗟の発動に術が失敗した。否。強制的に術が解除されたのだ。

 

『術式解体』

射程距離は短いと言う欠点と想子量が尋常ではないほど必要とはいえ、魔法式を直接破壊する対抗魔法。

それが全身に浴びせられたのだ。

かろうじて受け身は取れたものの、無様に転倒し、体は思うように動かない。

 

単に魔法を強制解除されただけならば、体がこれほど動かなくなることはない。武術の鍛錬の一環で身につけた想子による身体制御を常時行っていたのが裏目に出たため、肉体のコントロールまで失っていた。

 

捕まるわけにはいかないと、なんとか動けるようになった両腕で体を持ち上げてあたりを見回す。

適当なサイズの小石を探すが、舗装道路にも芝生にも使えそうなものはない。だが、木の根元におあつらえ向きな折れた枝があった。

都合のいいことに先が少し尖っている。

その枝に意識を集中させる。

大怪我を負わせるつもりはない。軽く刺して怯んだすきに逃走の時間を稼ぐ。

 

そんな思惑も、二度目の想子の奔流によって意識ごと刈り取られる。

あの状態で追い打ちをかけてくるのかと、苦い思いも意識の闇へと沈んでいった。

 

 

 

「……相変わらず容赦がないね」

 

念のため、小体育館を一周して幹比古たちは達也と雅に合流した。

足元には新一年生が気を失って転がっている。

 

「なかなか厄介な能力を持っていたからな」

「能力?」

 

幹比古は達也が魔法ではなく能力(・・)と表現したことにやや違和感があった。

 

「意識を失ってしまったのは予想外だが、想子への感受性が高いのだろう」

「たぶんそれなりに武術の鍛錬も積んでいたようだから、雫たちの接近には気付いていたようね」

 

達也も雅も問われた内容については答えなかった。

 

「いくら鍛えているといえ、想子の感受性が高いならまずいんじゃないかい?」

 

術式解体は物理的な攻撃力を持たない代わりに、想子の良導体である魔法師にとっては高密度の想子弾は耳の横でシンバルを目一杯鳴らされたような衝撃を感じる。

今のやり取りで魔法師にとって致命的な損傷を受けていないのか、幹比古が気にするのも当然のことだった。

 

「人聞きが悪いな。出力調整ぐらいはするぞ。まあ、今回は手加減抜きだったが」

「達也!?」

 

達也の予想外の言葉に、幹比古は焦った声を上げる。

 

「多少高めの授業料だったけれど、問題はないんでしょう」

 

雅は困った顔一つせず、達也に問う。

 

「ああ。今は気絶していると言うより眠っている状態だと思うんだが、念のために保健室に連れて行くか」

 

達也は侍郎の体を軽々と肩に担いだ。

侍郎の体格は達也よりも低いが、高校一年生とすれば平均的といえる。

達也ならば筋力だけで担ぎ上げることも可能だが、重力軽減魔法を併用しているため、肩にかかる重さはごくわずかだ。

基礎単一系の魔法であるため、達也ならばCADを使うこともない。

息をするように自然かつ高速発動した魔法にほのかは目を輝かせ、達也の後ろをついて歩いていた。

 

 

幹比古も達也だからと納得している部分と、そうでない部分があった。

 

「九重さん」

「なに?」

「達也、なにかあった?」

 

幹比古はごくごく小声で雅に問う。

達也なら聞こえているかもしれないが、その程度で壊れる関係性ではないことも幹比古は承知している。

ただ面と向かって本人に聞いたところで、否定されることが目に見えているため、雅に質問を投げかけているのだ。

 

「吉田君、彼が使っていた魔法は生徒会室の音を聞くための魔法よ」

「そうだね」

 

それは再度確認するまでもなく、この場に来る前から分かっていたことだ。

 

「今、生徒会室には誰がいるのかしら?」

「……ごめん、愚問だった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

入学式の翌日、雅は司波家で夕食を取っていた。

 

ここ数日で情勢が緊迫したものになっているため、情報交換も兼ねてのことだった。

水波や深雪も交えてのことと雅は考えていたのだが、差し支えあることがあるかもしれないからと、達也と雅だけでの話し合いとなった。

雅にとっては久しぶりに達也と二人きりという状況に落ち着かない気持ちもあったが、浮ついた心を押し付けて、情報を整理していた。

 

「雅も一条家当主の負傷は聞いたのか」

「ええ。味方を守るために咄嗟に多重障壁を展開して、魔法演算領域にダメージを負ったと聞いているわ」

 

雅は達也の表情を注意深く伺う。

魔法演算領域に過剰負荷がかかったことで、達也は母のガーディアンであった桜井穂波を亡くしている。

達也にもよく心を割いてくれた人だけに、同様の事件に古傷が痛むのではないかと雅は心配していたが、そのような様子は微塵も見せなかった。

 

「地盤の一色家や一之倉家もサポートに入るだろうが、四葉家としては、夕歌さんを派遣する予定だ」

「大学院で魔法演算領域のオーバーヒートについて研究しているのよね」

「知っていたのか」

「古典部の関係で大学の教授とも接点があるから、夕歌さんは一高の卒業生というのもあって、優秀な学生の噂は耳に入ってくるわよ」

 

魔法演算領域のオーバーヒートは魔法師生命だけではなく、生死にかかわる懸案だ。

四葉深夜のガーディアンであった桜井穂波や大漢を滅亡に追い込んだ元当主・四葉元造をはじめ、許容量を超える魔法の行使によって命を落とした魔法師は四葉の中でも少なくない。

残念ながら現代科学において魔法演算領域自体がブラックボックスであるため、オーバーヒートも実在自体が議論の段階で留まっている場合も多い。

しかし、仮説であっても理論として存在するため、一条家当主の身に起きた症状についても四葉家には心当たりがあったのだ。

 

「表向きは四葉とは無関係の魔法研究者を紹介することに留めるそうだ」

「注意深く治療はされると思うけれど、失敗しても四葉には責任はないというスタンスなのね」

「あくまで善意の申し出だ。受け入れをするかどうかは、一条家次第だろう。それに治療は精神そのものに干渉するから、一条家当主との信頼も得なければならない」

 

津久葉家が得意とする『誓約(オース)』は、精神の機能に制限をかける術式であり、無意識領域にある魔法演算領域の回復も促進することができると推測するのは妥当なことだ。

ただし、魔法師にとって魔法とは結果のイメージが必要だと言われている。例え必要なプロセスをすべて満たしていても、精神的な揺らぎで魔法が失敗することはくあることだ。

精神に干渉するとなれば、相手が反発すればそれだけ不本意な結果になることは目に見えている。

そのあたりは夕歌の手腕に左右される。

深雪に比べて雅の反応が冷静なのは、単に夕歌との親交が少ないからか、深雪よりも非情な選択をいくつもしてきたためか、心配を口調に滲ませつつも納得はしている様子だった。

 

「それと戦略級魔法については何か聞いている?」

「佐渡は陽動とみているが、戦略級魔法が使用されていたのか」

 

その情報はまだ四葉家からは達也に伝えられていない情報だった。

3月末のブラジル軍の戦略級魔法の使用以降、魔法師を取り巻く世界情勢は厳しいものになっている。

世界各国で反魔法主義の運動が活発になり、一部暴徒と化した民衆が軍や警察と衝突している。

そんな折に新ソ連の戦略級魔法の使用。

 

「ええ。叔父(八雲)は達也を引きずり出すことが目的じゃないかって」

 

この場合、意味するのは日本の非公式の戦略級魔法師を再び戦場に立たせる状況を作るということだ。

新ソ連が佐渡を陽動に、北海道への侵攻の兆候が見られることを、昨晩達也は風間から聞かされており、風間率いる独立魔装大隊は今日この時間には北海道に到着しているはずだ。

達也にも出撃の命令が下った場合、マテリアル・バーストを含むサード・アイでの超遠隔魔法による支援攻撃を要請されている。

 

「推測の域を出ないから、まだ風間さんには伝えていないそうよ」

「わかった」

 

達也が出動するようになった場合、敵の思惑に乗ることになるが、新ソ連の戦略級魔法『トゥーマン・ボンバ』の情報を掴める可能性もある。

仮に達也が出動を拒否した場合、北海道への新ソ連の侵攻を許すことになりかねず、軍の上層部がその可能性をどこまで認識しているかわからないが、達也としては出動命令がある限り、それに従う他ない。

 

「雅?」

 

無言で重ねられた雅の手を達也は握りしめた。

四月に入り、冬の寒さも和らいだ室内だというのに、雅の指先は達也にはひどく冷たく感じられた。

言葉にするのを躊躇っているのか、雅の視線は所在なく揺れている。

達也は雅の気持ちが定まるのを静かに待っていた。

 

「新ソ連、だけじゃないでしょう」

横浜事件後すぐ、USNAは日本に向けて魔法師を秘密裏に送り込んでいた。

日本への渡航自体が極秘裏であったため、ごく少数に知られる表向きの理由は脱走兵の処理だったが、その任務の中に日本の非公式戦略級魔法師の殺害が含まれていたことは確かだ。

世界情勢が緊迫し、戦略級魔法の引き金が軽くなれば、危険の芽を再び摘みにくる可能性は十分あり得ることだった。

 

「俺を本当の意味で殺すことができるのは一人しかいない。雅は知っているだろう」

 

死なない自信ではなく、それは事実だ。

いかなる傷を負ったとしても、本当に達也を殺すことができるのはただ一人だけ。

そう口にされても、雅は心の底から安堵することはない。

達也が自身を顧みないからこそ、雅は達也以上にその身が戦火に投じられることを憂いていた。

圧倒的な力を持つが故の代償であり、義務であると言えばなんとも耳障りがいいが、それは魔法師の、人の犠牲に他ならない。

 

「雅」

 

俯いた雅を慰めるようにゆるりと優しい手つきで達也は雅の頬に触れる。

壊れ物を触るかのようで、指の先まで優しさでできたような大きな手で雅と自分の瞳を交差させる。

 

「触れてもいいか」

 

達也は自身が傷つくことを厭わない。

それで雅や深雪が悲しむことを知っていても、必要であればその身を投じる。

それは犠牲ではなく、守るために必要なこととして、幾度でもその地獄を踏みしめる。

 

重ねられた手をほどき、指を絡めて握りなおす。

互いの体温が交じり合うような皮膚一枚の壁に、その存在を確かめる。

頬を撫でていた手で輪郭を捕えれば、雅は瞳を伏して達也にその身をゆだねる。

真綿で包まれるような幸福にただお互いの無事だけを祈っていた。

 

 

 

 













※キスしてるだけです。それ以外のやましいことはないよ!
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