恋ぞ積もりて 淵となりぬる   作:鯛の御頭

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ハッピーバースデー トゥ ミー !!


気づけば夏ですよ……
ようやく上下巻の下巻に入りました。
9月には原作が完結の予定だそうです。どうなるのでしょうか……。

茶席の話が出てきますが、知識がほぼありません。数回程度、親戚に倣った程度です(武家茶道)。お見苦しい点があればご指摘いただけたらと思います。


動乱の序章編6

 

4月14日 日曜日

 

魔法協会関東支部で次世代の魔法師の若手が集まって会議をしている間、私たちも太刀川家の所有する敷地を借りて茶会を開いていた。

茶会のためだけに設けられた贅沢な邸宅は広い庭園と高い木々に囲まれ、場所さえ知らされなければここが都内だとは気が付かないだろう。

 

「これほど春風も穏やかなのに、障子をあけて若葉を楽しめないのは少し残念だね」

 

囲むという行為そのものが結界の効果を高めるため、春の心地よい天気なのに、大人数が集まる座敷は、きっちりと障子が閉められている。

茶の香りを味わうため、結界用の香は焚かれていないが、それだけ今日集まって行う話は機密性が高いということだ。

 

「今は八重桜が見ごろですので、お帰りの際には、お目にかけていただけたらと思います」

 

今回は、茶事ではなく、若手のみの簡易な茶会のため、天候と同じく茶室に流れる空気も穏やかだ。

次兄の呼び声で集まった会ではあるが、茶会の亭主は太刀川家の長男の太郎さんが勤めている。

席順は、正客に次兄、次客に私、続いて祈子さん、真さん、柚彦君、燈ちゃんが並び、末席に太刀川家の次郎さんが続く。

 

「ひとまず、進学おめでとう」

「ありがとうございます」

 

兄の問いかけに、柚彦君が静かに頭を下げる。

出雲にある六高を卒業した柚彦君は、この春から魔法科大学の大学生となったことで、居所を東京に移している。

 

「話を聞く限りでは、カリキュラムは高校より厳しいと聞くけれど、どうだい?」

「何とか」

 

柚彦君が首を縦に振る。

いつもどおり言葉は少ないが、付き合いの長い人ばかりなので彼が言いたいことは理解している。

 

「キツネがちょっかいかけてへん?」

 

やや心配そうに燈ちゃんが身を乗り出して聞いた。

キツネというと、おそらく芦谷家の長男のことだろう。彼も今年、魔法科大学に入学したと聞いている。

 

「専攻が違うからね。それに彼は華があるから」

「欲しい花は手に届かんけどな」

 

燈ちゃんは揶揄うように笑いかけた。

欲しい花といわれても、応じようもないので、私は分かりやすくため息をつく。

彼の妹であり、今年第一高校に入学した玲奈さんからも三人で一緒にお茶でもどうかと誘われたが、今のところ予定が合わず持ち越ししている。

燈ちゃんも分かってやっているので、スマンなと気軽に謝罪を入れる。

 

「ユズ君、あんまし人付き合い得意やないけど、ハル君に占ってもらわんで大丈夫?」

 

燈ちゃんの言葉に慌てて柚彦君は首を振る。

次兄の占いというより、預言めいた千里眼は未来を見通すことに長けている。

同じ千里眼でも父は現在の状況を広く深く探ることに特化しており、祖父は因果を辿ることに長けているという。

ちょっとした一言でもよくよく思い返せば、あれは見えていたのだろうと言わざるを得ないことが兄の言動には多い。

 

「そうだね。それほど悪い兆しは見えないね」

 

次兄の言葉に柚彦君はひとまず緊張で上がっていた肩を下した。

 

「ただ、仏の顔も三度までとはいうものの、一度目で三面六臂に当たるとどうなるのだろうね」

 

だがすぐに続けられた兄の言葉で顔を青くしていた。

 

「修羅場だろ」

「三つ指ついて、三拝九拝」

「三十六計逃げるに如かず」

 

上から順に、真さん、太郎さん、次郎さんの順に答えた。

 

「おやおや、君子三戒に触れるようなことでも起こるのかな」

 

祈子さんが楽しそうに笑みを深めると、比例するように柚彦君の顔から色が引いていく。

三面六臂とは、通常ならば一人で数人分の働きをすることや一人で多方面に活躍することを意味するが、三面六臂で想像されるのは阿修羅のことだ。

阿修羅と帝釈天(たいしゃくてん)との争いが行われたとされる場所が修羅場であり、君子三戒とは青年期の色欲、壮年期の闘争欲、老人期の物欲を戒めよという教えであり、それぞれ日常では使わないような単語を並べつつ痴情のもつれに気をつけよという解釈をしたようだ。

柚彦君が女性関係のトラブルを抱えるとは思わないが、魔法科大学は出産・育児による休学が珍しくない所だ。高校と比べれば人間関係も開放的になりやすいというし、皆の予想通り男女の修羅場を迎える可能性がないとは言えないだろう。

だが、それはそれで悪い兆しは見えないということと矛盾するとなると、解釈のほうが異なるのだろうか。

 

「さて、お祝い事と言えば燈ちゃんも、こちらへようこそ」

 

次兄はこれ以上、柚彦君の占いについて言葉を重ねるつもりはないようで、燈ちゃんに話を振った。

 

「余裕やで、と言いたいところやけど、なんかほんま半分くらい持ってかれた気がするな」

 

燈ちゃんもこの春、ここにいる皆と同じく名を授かった。

四楓院に連なる者が名を授かる場合、おおよそ成人までに授かることが多いが、資質があると当主が判断すれば、彼の方にお目見えするのに年齢の下限はない。

私は16の誕生日の頃だったが、次兄など10を超えたばかりの頃に名を授かったというから身内ながら恐ろしい。

 

「名は何を?」

「【(ひきり)】や」

「それは縁起の良い」

 

太郎さんは、鷹揚に頷いた。

(ひきり)とは、火鑽りや火切りともいい、火を(おこ)す事や火おこしのその道具などを指す。

神道や仏教では、火は神聖なものとされ、神事に用いられる火を熾すことや、熾す行為そのものが神事となっている。

火打石で切火(きりび)をするのも、清めの一種であり、民間でも花柳界などではその風習はまだ残っている。

その名を授かったからには戦いの火ぶたを先頭で切るような火付け役、文字通り切り込み隊長といったところだろう。

 

「名前分の働きはさせてもらうわ。それより、今日はお祝い事よりみんなハル君に聞きたいことがあるんとちゃう?」

 

燈ちゃんの言葉に、茶室の空気が冬のように張り詰める。

 

「―――そうだね。その話をしようか」

 

兄がゆるりと目を伏せた。

 

「大黒天が動いたんだろう」

 

祈子さんが私と兄の表情を伺いながら問う。

あくまで確認だが、この茶室にいる者には、既に何が起きたかということが大抵把握している。

あれほどの大きな魔法の行使となれば、いくら軍事的な情報を制限しようとも、勘のいい魔法師ならば1000kmの距離があろうが、何があったのか想像するのは難くない。

 

「あちらも星を観測したようだよ。ただ誰かという確信にはまだ至っていないだろう」

「時間の問題ですか」

 

魔法を使うこと、魔法を観察されること、というのは表裏一体だ。情報の次元から完全に魔法の使用の痕跡を消すことは難しい。

ましてや優秀な魔法師ともなれば、相手がどんな魔法を使うのか些細な波の揺らめきから予測したうえで対抗魔法を使用することもある。

術式や効果が明言されていない魔法でも、情報の次元に残る痕跡から使用者に当たりをつけることだって可能だ。

先般使用された魔法が大亜連合の基地を破壊した攻撃と同様の物と察するくらいの魔法師が、あの国にはいてもおかしくない。

 

「およその魔法そのものもそうだし、使い手に関しても当たりはつけてきているんじゃないかな。まあ、あちらも、中々不愉快な術を使用しているようだけどね」

「さすがに外の国まで見るのは難しいのでは」

「縁をたどれば、ある程度はね」

 

太郎さんの問いかけに、兄は陽気に片目を開いてみせた。

私たちの力は彼の方の加護と庇護のもとに与えられたものであり、名は(えにし)であり、(しゅ)である。

この力の及ぶ範囲はおよそ国土と同等の距離、大きさであるため、いくら千里眼でも国外のことを見通すことは難しいとされている。今回は領海の直前、さらに達也と接敵したことの縁を辿って行ったようだ。

 

「観測されたとなると、雅ちゃんの護衛はどないする?」

 

魔法から達也の身元まで到達されることが見込まれるなら、達也本人は元より私や深雪にも手が伸びてくると考えるのは妥当だ。あるいは学校の友人も含まれるかもしれない。

学内はまだ入りにくいだろうが、登下校もあれば稽古事の行き帰り、どうしても私一人で行動する時間は出てくる。

また、達也がそうであるようにあちらも長距離での魔法発動ができないとは限らない。

魔法師の距離とはすなわちイメージの距離である。そこにその魔法を発動させると強くイメージし、衛星などを用いた現実的な観測を用いれば、地球の裏側だって狙える。

誰かと一緒だから安全とは、断言できないのだ。

 

「今のところは現状維持。あちらも直接攻撃はまだ仕掛けてこないだろう。もう少しキナ臭くなったら、家から人をやるからそのつもりでいるように」

「分かりました」

 

余り警戒しすぎて早々に相手に尻尾を見せる機会を作るつもりはないという腹積もりだ。

ひとまずは何かが起こったところで、私だけで対処できるような規模のことしか起こらないとみるべきだろう。

 

 

「あ!忘れとった。お祝い事と言ったら、ハル君とミヤちゃんもやな」

 

暗い話を断ち切るように、燈ちゃんが話題を変えた。

まだ話の途中だったが、次兄はにこやかに笑っている。

 

「ありがとう、燈ちゃん」

 

兄に続けて私も礼を述べる。

 

「雅ちゃんはともかく、悠さんがまさかあの四葉のお嬢さんとは、寝耳に水よね」

「有力は築島か舞鶴か、大穴で二木のお嬢さんと芦屋の嬢ちゃんって予想はあったから、老人会は大慌てだったぞ」

「驚かせたのは謝るよ」

 

次郎さんと真さんは大げさに顔を見合わせて肩をすくめて見せた。

次兄の結婚については正式に発表されるまで様々な憶測が飛んでいた。遠縁の親戚筋から陰陽系の名家、はたまた研究所出身の家々など、地元遠方問わず、縁談は舞い込んできていた。

それが兄妹そろって四葉家と縁付くとなれば、衝撃も混乱も大きかったのだろう。

 

「未だに二木と芦屋はそれぞれ売り込んできてんやろ」

「丁重にお断りは差し上げたんだけれど、中々ご理解いただけないようでね。横浜でもあんまり面白くない話をしているみたいだから」

「横浜っていうと、十師族の若手会議やな」

 

今日の集まりは、確か趣旨としては十師族の直系の次世代の若手魔法師が集まって自由な意見交換会と聞いている。

集まりの趣旨は平和的に思えるが笑顔のまま目の奥はどろりと暗い。兄が静かに怒る様子に何か不穏な話でも出たのだろうか。

 

「雅ちゃん、深雪嬢は留守にしても大黒天は出ているんだろう」

 

祈子さんが面白そうに口の端を釣り上げている。

 

「ええ。達也だけ出席と聞いています。午前中だけの予定なので、そろそろ会場を後にしているのではないですか」

「そうだね。達也はいい意味で場の空気を気にしないでくれるから、助かるよ」

「その口ぶりだと、会議で達也が何かしたように聞こえますが」

 

達也は別に場の空気というものが読めないわけではない。

ただ一つのことを除き、達也は理性的かつ理論的に物事を説明する。

場面に応じた言葉の使い分けも理知的であれば、自分の発言が意図した結果に対する周りの反感も瞬時に導き出せるほど機転もある。

 

「本人の意思も確認せず面白くない意見が出たから、年上の面子ごと説き伏せて顰蹙(ひんしゅく)をかったくらいのことだから」

「深雪絡みですね」

 

案の定、達也にとって唯一無視できない範囲の事柄だったようだ。

達也は他人の評価を気にしない。他人から嫌われることを歯牙にもかけない。

それは、達也にとって他人とは深雪以外のその他であり、その者からの評価がどうなろうと深雪に対して害にならなければ響きもしない。

だから達也は自分の発言が相手に反感を抱かせると分かっていても、微細な表情を読み取り、発言の裏の糸まで読めていても、必要だと思えば真っ向から否を突き付ける。

 

「一応趣旨としては、昨今の魔法師排斥運動に対する意見交換が話の筋だけれど、裏向きには体のいい身代わり探しといったところかな」

「批判の矛先を魔法師全体から個人攻撃に的を絞らせるってことか」

「胸糞悪」

 

真さんと燈ちゃんが顔をしかめながら、吐き出した。

 

「その意味合いもあるだろうし、広告塔の押し付けかな。魔法師の世間に対する貢献の喧伝に使いたいようだけれど、無理な話だね」

 

この魔法師であるか否かということは、CADの携帯の有無を除けば一見しただけではわからない。

持っているのは実践に耐えられるレベルでいえば、およそ1万人に一人。

魔法師は正当な理由がない限り公共の場所での使用は法律で禁止されているものの、常にCADの所持していてもそれ自体に違法性はなく、使うまでは記録に残らない。

しかも魔法師は所得階層を比べるとそうでない者に比べて、高給取りであるとされている。

そんな中で、魔法は安全に運用されています。

魔法は日々こんなことに役立っています、平和のために社会のために魔法師は働いていますと話す美少女がいたとする。

それを文字どおり万人が納得し、万人に対して共感を得られるかというとそうではない。

視線や注目を集める広告効果は高くても必ず、妄執にとらわれた反発的な意見が出てくるはずだ。

それは1万人に一人という国内にいる多数ではなく、広告塔たる美少女へと非難も批判の目も殺意の目も向く。 

 

「今日の会議で何かしら提案されても、魔法協会に関しても十師族間においても、なんら決定権はないんですよね」

「その前提で進められても、多くは場の雰囲気を読むだろう」

 

要するに魔法師が意見を発するときの広告塔のような的な役割を深雪に押し付けたかったのだろう。

好意を向けられたからと言って、相手からも好意が返ってくるわけではない。強い求心力や発言力は、その力を持つがゆえに嫉妬となって反発心も大きくなりやすい。

それこそこちらがいくら理論建てて説明を重ねたところで、狂信的な妄信はそもそも聞く耳すら持たない。深雪がそんな危険な目にあうことを達也が許容するわけがない。

 

「自由意見と言いつつ十師族の当主もしくは、次期当主候補などが参加している以上、師族会議の代理論争の場だよ。当主が会議で出た意見を聞かないわけじゃないから、ここで何かしらの意見が合意されれば師族会議への影響がでるだろうね」

 

むしろ若者の意見を取り入れたとして、格好のアピールになるね。と次兄は付け加えた。

 

「それをぶち壊したんやな」

「さすが破壊神シヴァ」

「雅ちゃん、苦労しそうな旦那を持ったわね」

 

生暖かい視線とにまにまと口元が緩んでいる顔が私の方を向いている。

 

「まあ、悪者になってみせることでだまし討ちに近い主催の顔を立ててあげたから、空気を全く読んでないわけではないのが、達也の不器用なところだよね」

 

幼子が悪戯でもしたかのように仕方ない、仕方ないとでも言いたげに、兄は喉の奥で笑っている。

 

「反感を買ったままでは四葉家は、他の二十七家のことなど気にしないという意思表示にも取れませんか」

「というより実際そうだね」

 

太郎さんの言葉を次兄は間髪入れずに肯定する。

 

「おいおい。冗談じゃあない。その状況で悠君と雅ちゃんの婚約があるなら、古式魔法師と四葉が手を組んで十師族体制の転覆とか言われかねないってことかい」

 

祈子さんが軽口を聞きながらも、眼鏡の奥は真剣だ。  

 

「九島と疎遠に思われているのも厄介ですね」

「さすがにそれは邪推やと思うけど」

 

下火にはなっているが、伝統派が大亜連合の亡命術師と組んで、日本国内でテロ活動を起こし、魔法師にも一般人にも犠牲を出したことは記憶に新しい。

日本の魔法師は、名目上は十師族を頂点にした二十八の家々が取りまとめており、数字付きの家でなくても何らかの形で組織に組み込まれている。

四葉は元々頭一つ抜けているといわれる力があるが、そこに九重を中心とした神道系の古式魔法師が支援に回るとなると、現在の体制を崩しかねないと憂慮することも考えられなくはない。

 

「七草あたりは、四葉に対しての執着も強いからね。何らかのアプローチはあるだろう。ただ、四楓院の方針はいつも同じだ」

 

 

彼の方が御座しますその所まで。

私たちの導かれる先は決まっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4月15日(月)

世間では、魔法師の若手会議が開かれようとも早々日常が変わるわけでもなく、第一高校は放課後の時間を迎えていた。

部活終わりのレオはカフェで小腹を満たすためにサンドイッチを注文し、席を探していた。

それほど混んでいたわけではないが物思いにふけったような顔で席に座る一年生の矢車侍郎を見かけ、相席することとなった。

 

3年生のレオと1年生の侍郎の関係はというと、エリカにしごかれている同士だ。

兄弟弟子というわけではなく、千葉家門下生でもない二人は、あくまでエリカが私的に稽古をつけているに過ぎない。

昨日の千葉家の道場の訓練も苛烈だったが、今日も揉まれたのか怪我こそないものの侍郎には消耗が伺えた。

 

「ありがたいことです。俺みたいな未熟者のために、自分の稽古の時間もあるのに時間を割いていただいて」

「気にすることはないと思うぜ。あいつも好きでやってんだろうからさ」

「そのとおりだけれど、アンタに言われるとむかつく」

「おわっ!?」

 

噂話をしていたところに、本人から声を掛けられ、レオは思わず椅子から腰を浮かせる。

忍者のように気配を消し、足音を立てずに忍び寄ってきたのは性が悪いが、正面から見えていただろう侍郎もレオと同じ顔で驚いていた。

その後、美月と幹比古も合流し、下校前にしては馴染みの顔が揃っていた。

 

「ミキ、こんなところで風紀委員長様が油を売ってていいわけ?」

「下校前の一服くらいいいじゃないか」

 

さぼりのような行為を後ろめたいというより、それほど状況自体がひっ迫していないような軽い口調だった。

 

「おっ、余裕だね。春の修羅場たる新歓時期にだっていうのに」

「今年は例年に比べてトラブルも少ないからね。僕たちも楽をさせてもらっているよ」

「そうなんですか?」

 

美月は部室で部員が連れてきた新入生の入部希望者の受付をしているので、チラシ配りや勧誘を認められている場所での騒動を今年は目にしていない。

例年、新歓の時期に限り所定の場所以外での魔法使用もデモンストレーションとして認められているため、魔法を使ったトラブルもあり、各部活の熱の入った歓迎作戦は時に学生同士の衝突にもつながる。

魔法を使った私闘は当然禁止されているため、風紀委員会、生徒会、部活連執行部が違反者対策に定期的に校内を巡回している。

 

「それは深雪の御威光じゃない。たとえ四葉の名前がなくても新入生には入学式でただ者じゃないって分かっただろうから」

「それと達也が目を光らせているからじゃないか。二三年も達也が来るとどんなに羽目外してても、視線がそっちに向くんだよね」

 

エリカは人の悪い笑みを浮かべ、幹比古は思わず苦笑いを浮かべながら答えた。

確かに、達也は入学1年目に二科生でありながら風紀委員に選ばれたこともあり注目はされていたが、その並外れた頭脳と魔法工学技師としてのテクニック、加えて四葉という名前がついていまわるようになってからは、まだ親しい友人以外からの距離は遠い。何もしていなくても背筋が伸びたことがあるのは、なにも新歓に熱を入れる2,3年生だけではないはずだ。

さらに今年の生徒会長はその達也の妹であり、Aランク相当の魔法師が使用する魔法をまるで息をするように使用し、神様の気まぐれか悪魔の策謀としか思えない美貌を持った完全無欠の美少女である。そんな彼女が敬愛してやまない兄と義姉の手を煩わせるようなことになったら、どうなるか2、3年生は重々承知している。

 

「達也さん、別に怖い人じゃないと思うんですけど……」

 

美月が控えめにフォローを入れると、幹比古もそれに頷く。

 

「達也は別に威圧的な態度をとっているわけじゃないんだけど、なんて言いうか存在感が無視できないっていうのか、一目置かれている感じだよね」

「司波先輩ってどんな人なんですか」

 

食事も飲み物も手元にはなく、完全に席を離れるタイミングを逃した侍郎は、上級生たちの会話に入るつもりはなかったが、思わず口から言葉が出ていた。

侍郎は入学式の日に達也に伸されたことを恨んではいない。

詩奈にも釘を刺されたが、心配だからと言って学内の機密にも触れる生徒会室への盗聴行為は褒められたものでは当然なく、侍郎は自分の実力もわきまえていた。

きちんとした婚約者がいるので、達也に関してそういった方面での心配はしていないが、単純に詩奈の近くにいる男子生徒が気になっていた。

 

「優秀だよ。知識も魔法工学技師としての技術も大学レベルを超えていると思う」

「強いわ。学校でやる実技は規模も威力も大したことないけれど、実戦になれば強い。それにまだ底知れない力を隠している気がする」

「達也の強さは魔法だけじゃないな。俺も腕っぷしには自信があるが、達也とやり合うのは御免だ。立っていられる気がしないぜ」

「あの、本当に怖い人じゃありませんよ。紳士的で横暴なところもありませんし、理知的です」

 

幹比古、エリカ、レオの順に答えたが、あまりにも物騒な紹介に戸惑いながら美月がフォローを入れた。

 

「でも矢車君が聞きたいのは、そういったことじゃないですよね?何を聞きたいんですか?」

 

そう問われて困ったのは侍郎の方だった。

この質問が返ってくるとは思っていなかったのもあるが、なぜ自分がこの質問をしたのかすらよくわかっていなかった。

注目されているから、四葉の関係者だからと単純な興味とも片付けられない。それほど自分が社交的ではいことは分かっている。

 

 

「性格や気性が知りたいなら、何を優先すべきか迷わない人よ」

 

エリカは自分で思ったより起伏のない声になっていることに気づいた。

 

「自分の中で優先順位が決まっていて、泣き叫ぼうが、脅されようが、色仕掛けだろうが、何をされようが動かない。ある意味で誰より信頼できて、誰よりも薄情な男だわ」

 

レオと幹比古も思わずエリカの言葉にすっと熱が引いたようだった。

達也が多少自分に向けられる好意的な視線に対して鈍い面があることは理解しているが、幹比古もレオも達也を信用しているし、信頼している。

達也の腹の内でどう思っていようが、幹比古もレオもそれは変わらない。

打算的に寄り添う家の名前の威光ではなく、積み重ねた日々の中で友人と名乗れることを誇りに思っている。そう思ってはいても、エリカの言葉は身に染みるものがあった。

 

「達也君の優先順位は深雪。その次に雅。これは動かせない事実よ」

 

婚約者より妹が上なのかと、侍郎は一瞬口にしかけたが、自分もいざというとき詩奈と家族と二人に一人と問われればどちらを選ぶとは答えられない。

家族も護衛という立場を分かって詩奈を選ぶことになったとしても、即断できるわけではないし、おそらく一生後悔する。

その順位が決まっていて、友人たちも自分たちがその時になるなら迷わず切り捨てられることは理解している。

 

「なに、そんな怖い顔して。あそこは特殊。雅も達也君がそうあることを肯定して、婚約者なんて立場を17年もやっているんだから。それにああ見えて、達也君はちゃんと愛妻家よ」

「あいさいか」

 

静かな声から一転、カラカラと明るい声に侍郎はオウム返しにエリカと同じ単語を発したが、言葉の意味は理解できても、認識が追い付いていなかった。

さきほどまで淡々と友人より婚約者より妹が最優先と述べ、冷徹な像をイメージしていたので愛妻家という事実が結びつかなかった。

 

「意外?」

「悪い関係には見えませんが、政略的な割り切った関係とばかり」

 

達也と雅の二人を侍郎が見かけたことはそれほど多くない。

伝え聞いた話では、生まれて以来の婚約者であり、四葉家内での達也の立場を確固たるものにするために歴史のある古式魔法師の九重の直系から嫁入りさせることが決まったと聞いている。もしくは古くから用いられた人質のようなもので、次期当主の妹がそれぞれ双方に嫁ぐとなれば、互いの動きの把握も牽制もできる。

これで四葉はまた一つ十師族の中では抜き出た格好になり、国内の魔法師の勢力図も大きく書き換わる。

大人の恣意的な事情に無理やり振り回されているとも言えなくはないが、侍郎は恋愛の自由がないなんてと声高に叫ぶような子どもではない。

それに詩奈の護衛をしていた関係で、大人と関わる世界に早めに足を踏み入れた侍郎は恋愛結婚した男女の泥沼も耳にしていたため、事情があっても、納得して婚約してそれなりに良い関係ならば外野がとやかく言うことではないと理解している。

 

「所構わず砂糖振りまくバカップルって感じじゃないもんね。付き合い長すぎて、一周回って既に夫婦って感じかしら」

「はあ…」

 

エリカが楽しそうに語っているが、侍郎の口から出るのはどこか煮え切らない返事ばかりだ。

 

「私もそう思います。達也さんって雅さんの前だと柔らかいというか、雰囲気違いますよね」

 

女子二人のなんだかキラキラと光る色が舞うような会話に、男子二人にも顔を向けてみる。

もしかして侍郎が思う以上に、2年間友人として過ごしたなら華々しい恋愛エピソードを見聞きしているのだろうか。

確かに九重雅は侍郎の目からみても、美しい人だと思う。

ただ容姿が整っているだけなら五万といるだろうが、指先まで行き届いた所作とブレることのない姿勢、血の気の多い部活連をまとめる才能も有れば、魔法師としての技能も一級。

凛とした涼やかな雰囲気に、神々しい美貌に近寄りがたい生徒会長とくらべてもゆるく微笑んだ姿は人当たりが良さそうに見える。

神楽をしているからか、すらりとした手足ながら女性らしい曲線に、艶のある黒髪。

髪をあげている後ろ姿に、白い項に視線がいったことがあるのは何も侍郎だけではない。事実、同性である詩奈ですら羨ましそうに見ていたことを知っている。

 

「あー。なんつーか、深雪さんは背中に回して自分の後ろに置いて守っておきたい、雅さんは手の届く隣にいながらも腕の中にしまっておきたい、って感じか」

「ずいぶんとポエミーなこと。録音しておけばよかった」

「うるせえ」

 

エリカがニマニマと鼻で笑うが、レオも自覚があったのか乱暴な言葉で言い返すしかできない。

若干顔が赤くなっている気がするが、侍郎はそれを指摘しないだけの敬意はレオに持っていた。

 

「そうだな。僕はレオみたいにロマンチックな表現はできないけど、かなり難しい縁談が奇跡的にまとまっているのは確かだよ。珍しく、エリカの愛妻家っていう表現には同意するよ」

 

幹比古がレオの発言に本当に心惹かれているわけではなく、勿論冷やかしだ。

ただ、神道系に属する吉田家の人間としてはもう少し人より現実的な面を知っている。表では祝いの言葉を述べながらもその裏で反発意見も聞いているため、よく達也は雅をつなぎとめていると思っているし、あんなに溺愛している深雪さんの嫁入りを認めたなとなんだか友人ながら感慨深いを抱いている。

 

十師族がいくら日本の魔法師のシステムの頂点にあり、軍部や政財界とも深い繋がりがあったとしても、国の中で見ればまだまだ新興の家々だ。

達也は条件だけ見れば、雅より反発の少ない相手、それこそ七草家だとか、それこそ同級生の恋する彼女であっても良い。

深雪さんにしても一条家が婿を出しても良いというくらい、この九重と四葉の二組の結婚は国内の魔法師のパワーバランスを崩しかねない。

それでもこの春の穏やかな季節のように、達也と雅の関係は絆ともいえる何かがあるようで、薄く色づく桜から見上げた木漏れ日のように眩しいもののようだった。

 

 

「雅と言えば、侍郎。あんた気をつけなさいよ」

 

エリカは声のトーンを落とし、真剣な目つきで侍郎に忠告した。

突如として剣呑な雰囲気に侍郎はこの頃の稽古が思い出されて、無意識に鳥肌が立つ。エリカの剣呑とした視線に口の中が急速に乾いていくようだった。

 

「いい。この学校で今、一番の人誑しなイケメンは雅よ」

 

言い聞かせるようにしながらも、エリカの口端は吊りあがっていた。

 

「人誑しなイケメン」

 

再度、侍郎はオウム返しにエリカと同じ単語を口にする。

今度もまた言葉にしてみたものの、意味を処理するまでに時間を要した。

 

「そう。詩奈なんかペロっと食べられちゃうんだから」

 

人誑しとはどういった意味だろうか。

まさか、達也という婚約者がいながらあの清廉な顔をして他にも恋心を向けているとは考えにくい。

九重家は保守的な家柄であり、その直系ともなれば箱入りの姫君と変わりない。高校生で親元を離れる許可があっても、聡明な彼女が政治的に危うい橋を渡るとも思えない。

まさかたまたま耳にした義理の妹と禁断の白い百合を育てている噂というのが事実なのだろうか。

 

「おいおい、そりゃ雅さんの人気は分かるが、盛りすぎじゃないか」

「じゃあ2年続けて学年で一番チョコをもらっているのは誰?男装した姿に上級生下級生問わず女子生徒を沼に落とし込んだお姉様は?その上、締めるところはきっちり締めるけど、基本的に女子に甘々よ。さっき深雪と達也の威光と存在感が無視できないって言ってたけど、雅は砂漠のオアシスって言ったところね」

 

確かに、侍郎も司波兄妹のどちらかまたは雅と会話したり、なにか同じ空間にいなければならないならば、圧倒的に九重雅がまだよいといえる。

いや、でも詩奈はまだ知り合ったばかりで部活連と生徒会では接点もあまりない、いや司波兄妹がいるなら彼女も遊びに来る可能性も十二分にあるし、だがペロッと食べるとはどういう意味だと、侍郎は混乱の中にいた。

 

「そういえば、この前、ちょっと1年生が新歓でもみくちゃにされていた時見たんですけど」

 

内心慌てふためく侍郎など気にも留めずに思い出したように、美月が話を始めた。

 

「運動部かなにかの新歓に参加していたのか、動きやすいように1年生がネクタイを外していたんですね。でも新入生だと中々結びなれない子もいるみたいで、四苦八苦していたみたいで」

「大体読めたわ」

 

エリカが頬杖をついて、ニマニマと笑っている。

 

「雅さんが結びなおしてあげていたんですよね。終わった後、女の子の顔が赤かったのは、運動後だったということにしておきましょうか」

「早くも新入生に犠牲者が出てしまったようね」

「侍郎、用心するんだな」

 

レオから背中をバシバシと何度か叩かれても、侍郎はやはりしっくりとしなかった。

しかし、彼はすぐさまその言葉が新入生へのからかいではないことを理解させられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「詩奈、その髪どうしたんだ?」

「どうしたんだはヒドイよ侍郎君」

 

詩奈から連絡をもらった侍郎は先輩四人と別れ、待ち合わせをしていた校門近くで思わず足を止めた。

 

「あ、いや。ごめん。その……似合ってる」

 

ぷりぷりと頬を膨らませそうな勢いだった詩奈の顔に笑みが浮かぶ。

詩奈は癖毛だ。

ふわふわとした茶色の髪は、光に当たるとそこだけ暖かそうに艶めき、本人の顔立ちも相まって可愛らしさの一助となっている。

だが、詩奈本人は黒いストレートの髪に憧れがあるようで、雨の日など恨めしそうに鏡と格闘していた。

普段はふわふわでくるくるとした自然な髪のうねりをそのままにしていることが多く、時々兄姉や友人からもらったヘアアクセサリーで飾る程度で、あまりヘアアレンジに頓着がない。

くせが強すぎて本人も半ば諦めているところがあるが、そんな事情を知っているがために侍郎の声掛けはデリカシーのないものになってしまったのだ。

 

「ありがとう。今日は外の部活動の見回りだったんだけど、風が強いでしょう。九重先輩に結んでもらったの。手持ちの髪留めで、あっという間に整えてもらって、崩すのがもったいなくてそのままにしちゃった」

 

ゆるい癖の髪は、侍郎からみてもよくわからない複雑な編み方がされて、頭の低い位置でまとめられている。

動きやすさのためにまとめたのだろうが、控えめな三連のパールのヘアアクセサリーで飾られた詩奈は幼馴染であるはずの侍郎でさえときめく可愛さだった。

詩奈も浮き足だっているが、首周りの髪がないとこうも印象が違うのかと内心ドギマギしながらも、思い出されるのは先ほどのエリカの言葉だ。

 

「手遅れだったか…………」

「手遅れ?侍郎君、ねえどういうこと?」

 

頭を抱える侍郎に詩奈は当然首をかしげるのだった。

 




マリア様は見ていない。

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オリキャラが多かったので、登場人物など紹介
●九重家親戚筋

錦織 柚彦(にしこおり ゆずひこ)
魔法科大学1年生(六高出身)
あまり口数は多くない青年。
雅の義兄。雅の長兄と柚彦の姉の婚姻に伴う義兄妹。

香々地 燈(かかぢ あかり)
第二高校3年。雅の小学校から中学までの同級生。
小柄だが、格闘技に優れている。

行橋 祈子(ゆくはし きこ)
魔法科大学2年(第一高校OG)
雅が所属する図書・古典部の先々代部長。
図書の魔女と呼ばれ、古今東西書物に記載された古典魔法の解析を得意としている。

梅木 真(うめき まこと)
魔法科大学2年(九高出身)
雅と悠からみ続柄は従兄(父同士が兄弟)
背は平均的だが、がっちりとした体格

太刀川 太郎(たちかわ たろう)
名前だけ出てきていたが、今回初登場
春日神社の跡取り
195㎝の長身だが、意外と体つきは筋肉質。
おっとりとした口調で、流行には疎い。
雅の図書・古典部の後輩である太刀川 由紀(たちかわ よしのり)の義理の兄その1

太刀川 次郎(たちかわ じろう)
同じく名前だけ出てきていたが、今回初登場
名前のとおり太郎の弟
190㎝の長身で優男風な顔立ちだが、九重神楽の舞手であり超筋肉質。
身長はあっても、女を演じて違和感を抱かせない表現力の持ち主。
雅の図書・古典部の後輩である太刀川 由紀(たちかわ よしのり)の義理の兄その2


築島(つきしま)
九重家の親戚筋の一つ。
築島 小夜子という少女がいるが、真夜にそっくりな見た目をしている。雅いわく、血縁はないというが……

舞鶴家
九重家の親戚筋の一つ
かつて雅と舞姫の座を張り合って選ばれなかった舞鶴 円花(まどか)と次期舞姫候補の桃花(とうか)の姉妹のいる家。


●その他
芦屋 充(あしや みつる)
魔法科大学1年(二高出身)
陰陽系古式魔法師の名家である芦屋家次期当主。
長年雅に婚約を持ち掛けてきている達也の恋敵。

芦屋 玲奈(あしや れな)
第一高校1年
芦屋充の妹。
雅とは中学の先輩後輩。
雅の神楽のファンであり、雅を「お姉様」と呼んでいる。


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