恋ぞ積もりて 淵となりぬる   作:鯛の御頭

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よ、ようやく九校戦が開幕します。
長かった・・・


九校戦編7

お風呂から上がり、部屋に帰ると時計は11時を回っていた。髪を乾かしたり、入浴後のお手入れをしたりと女子は色々と時間がかかるのだ。明日は調整日であり、朝の集合時刻も早くない。

 

大会に備えてゆっくりと睡眠をとるべきなのだが、私にはやるべきことが残っていた。

 

いくらホテルの部屋数は多いとはいえ一人部屋ということもなく、大抵同級生や仲のいい者同士で同室となる。私は深雪と二人部屋で、深雪は寝る準備を整えているところだった。

 

「そう言えば懇親会でお話をされていたのはお知り合いの方だったのですか。その…あまりご様子が良くなかったとお聞きしたのですが、何かあったのでしょうか」

 

深雪は少し戸惑いがちに私に尋ねた。私が本部に行っていた間に達也から色々と聞いていたのかもしれない。

 

「ああ、舞鶴の御嬢さんね。二高の三年生で、血の繋がりは薄いけれど分家の一つよ。私も大人げなかったけれど、彼女の言葉を言い換えるとね、“男目当てに親元離れて粋がってんじゃねーよ、阿婆擦れ”って言った所かしら」

 

京都の親戚や仕事の関係先は私が二高に進学するものだと思っていた。それが一高を受験したと分かると、考え直してくれと多くの声があったと聞いている。舞鶴家の彼女も私が実家を離れ、東京で婚約者の近くで暮らしていると聞かされていることだろう。

 

実家が不動産資産として司波家から少し離れた位置にマンションの一室を持っていて、私はそこに住んでいると言うことになっているのだが、実際はあまり使用していない。

兄達が東京に出てきた時のホテル代わりに使うことも多く、必要最低限のものは揃っているが、生活感はほとんどない。

 

流石に高校生で同棲というのは外聞も悪いが、伯父の元やそのマンションで一人暮らしをするよりも司波家の方が安全だとして、両親も了承している。最もそれは大前提として達也が私に手出しをしないと信頼があってのことだ。

 

「そんな意味合いの言葉を向けられたのですか」

 

深雪は怒りに顔を赤く染めた。彼女の周りの精霊が活性化し、今にも気温が下がりそうな様子だ。

 

「言葉の棘は目に見えないから厄介ね」

 

深雪の背を優しく撫で、握りしめられた手に私の手を重ねた。

 

「私が我儘を言ったばかりに、お姉様の心象を悪くしてしまったのでしょうか」

 

悲しそうに俯く深雪に私はそっと後ろから肩を抱きしめた。

 

「あら、私は深雪と達也と同じ学校に通えることが決まって柄にもなく舞い上がっていたのよ。そんな風に言わないでほしいわ」

 

一高に通うことができて良かったと思う。良い友人にも会えたし、先輩方も良い人達ばかりだ。

 

深雪は私の言葉が嬉しかったのか、甘えるように私にすり寄って来た。達也と別行動が多く、余計に寂しくて甘えてきているのだろう。

そんな彼女が可愛らしくて、満足するまで私は彼女の背を撫でたり、髪を梳いてやった。

 

 

 

「少し、出てくるわね。もしかしたら長引いてしまうから先に寝ていて頂戴」

 

出かけるにはよろしくない時間だが、昼間の事もあったし、最低限の事は終わらせておきたい。認識阻害の術を掛けながら行けば、人目につくことはないだろう。

 

「分かりました。昼間の事もありましたし、お暗いですから十分にお気を付け下さい」

「ありがとう。いざとなれば近くにはきっと達也もいるわ」

 

彼はまだこの時間までCADや設備のチェックに余念がないだろうから、まだ整備車両か本部にいるはずだ。

 

「ふふ、そうですね。では、お姉様。お休みなさいませ」

「お休み」

 

静かに扉を閉めて、私は部屋の外に出た。

廊下はシンと静かであり、人通りもない。

好都合だと“いつも通り”足音を消して、私はホテルの外へと向かった。

 

 

 

 

 

ホテルから少し外れた森の中。

もうすぐ日付が変わる時刻なので辺りには人影もなく、明かりもない。月明かりだけが木々の間から地面を微かに照らしている。

 

山の中とあって空気は都市部よりも涼しいが、真夏の夜の湿った空気と生ぬるい風が頬をなぞる。

目を凝らし漂う霊子を頼りに、力の集まっている先を探す。

 

そうホテルから離れていない大きな木の下に小さな木造りの祠があった。御神酒と花も供えられ、丁寧に奉られている。

 

 

祠の前に立つと静かに息を吐き出す。目を閉じ意識だけを地脈のもっと奥深く、精霊と霊子が漂う川のその先に沈める。

光の帯を通り抜け、その先に降り立つと、辺りは何もない虚空が広がっており、漂う霊子があたりを仄暗く照らしている。

 

足元の石畳に導かれるように歩みを進める。

時折人ではないモノが視界の端にいたり、道からはぐれた御霊が漂っていたり、幼子の笑う声も聞こえる。日本最高の霊峰の麓とあって、神域の霊子の密度も濃い。名を貰っていなければ、到底たどり着くことのできなかった場所だろう。

 

 

しばらく道沿いに歩いていると煌々と松明の明かりの灯る場所に行きつき、見上げるばかりの立派な神社があった。

 

朱塗りの鳥居を深く頭を下げてくぐる。

神社の前では艶やかな黒の束帯をおめしになった神様が狼の形を模した眷属たちと月見酒をしていらっしゃった。

 

『はて、誰の子か?この場に来たということは縁ある子か?申してみよ』

 

男性とも女性ととれる不思議な声が頭に響く。

 

「イザナミの系譜でございます」

『そうか。よもや神域まで来た生霊がと思えば、主はイザナミの子孫か』

 

感嘆を帯びた嬉しそうな声が響いた。どうやら興味を持っていただけたようだ。

 

「はい。遅ればせながらご挨拶に参りました」

『面をあげよ、イザナミの子。そなたには礼をせねばならぬな。

我が土地にあのような不浄を取り除いてくれたことに礼を申そう』

「恐れ入ります」

 

顔を上げるとそこには、優雅に微笑む土地神様がいらっしゃった。

見るからに絵巻物から飛び出して来たような美丈夫であり、麗しい顔は思わずため息が出るほどだった。無論そんな無様な姿をさらすわけにもいかず、動揺を悟られないようにするので精いっぱいだった。

有無を言わせないような圧倒的な神域の中枢に自我を保てているのが自分でも不思議なほどだ。

 

『そのように畏まらずとも良い。近う寄れ』

「はい。御前、失礼いたします」

 

お許しが出たので鳥居の付近から、神様の元へと近づく。

一歩踏みしめるたびに神気に圧倒されそうになる。

こんなにも濃密な神の気配は、5月の拝命の儀を彷彿とさせた。最も、あれはこれ以上に圧迫感も威圧感もあり、畏怖と恐怖に竦みそうになってしまった苦い経験でもある。

 

 

『一献、いかがか?』

 

土地神様は朱塗りの杯を差し出される。

 

「恐れながら、私めには貴方様より賜った神酒を飲み干すほどの力はございません」

『人の身でありながらここまで来ておいて良く言う。我の酒が飲めぬと?』

 

圧迫感が増すが、ここで折れる様では守護職の名折れだ。

差し出された神酒を受け取れば、私は常世に戻れなくなる。それほどまで神から直接何かを頂戴すると言うのは人には過ぎたことなのだ。

 

「主より固く禁じられたことです故、ご容赦くださいませ」

 

更に頭を下げ、許しを請う。

此方は人。其方は神。どちらが上かなど言うまでもないことだ。

 

『まあ、母が言うなれば仕方なしか』

 

興ざめしたのか、神様が差し出した空の杯に眷属が酒を注ぐ。彼の方はそれを豪快に飲み干した。

 

 

『下手人であるが、どうやら金ごときで動いた誇り無き能無し蜥蜴ぞ。蜥蜴は思いもよらぬ所にもぐりこむものぞ』

「心得ました。乱された地脈は家の者を遣わせます。大変恐縮ですが、しばし御辛抱くださいませ」

『うぬ。あの程度で乱される我ではない。心配はいらぬ』

「お心、痛み入ります」

 

私が来た目的も、彼の方にはお見通しだったようだ。

蜥蜴という言葉は何かキーワードなのだろうか。

 

『イザナミの子。そなたに土地の加護を与えよう。挨拶に参った者はおれど、人と言葉を交わすことは久しぶりじゃ。楽しかったぞ』

 

「有難うございます」

 

もう一度、深く礼をする。

 

『宴、楽しみにしておるぞ』

 

神様は私のそばまで歩み寄ると、私の肩に手を置いた。

 

濃密な神気が私の気に混じり、絡みつく。日本最高峰の神域の神の力は強大であり、畏怖を感じずにはいられなかった。

 

しかし私には兄と父の守りの力が取り巻いており、尚且つイザナミ様の名の下に彼女の加護も少なからず受けている。

私に手を出せば、彼女が黙ってはいない。日本最初の夫婦にして、様々な神を生んだ母であり、黄泉の世界に燦然と君臨し、根の国からこの国を護り続ける絶対者。

 

いくら土地神様だとしてもこれ以上私に手出しをして彼女の不興を買うような軽はずみな行動はとらず、静かに手を離された。

 

「はい。ご期待に沿えるよう、尽くします所存です」

『うぬ。』

 

少し残念そうな土地神様に、頭を下げると私は常世へと意識を上らせた。

 

能無し蜥蜴

その正体が導き出されるのはもう少し、後の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、地脈に関しては、予想通りに祈子さんと彼女の兄がきて地脈を直してくれた。祈子さんは研究の途中で呼び出された不満を隠せない様子だった。彼女にとって学校の威信よりも自分の知識欲と研究欲の方が高いらしい。

 

不満は口にしつつも、仕事はきっちり終わらせ(多少渡辺先輩や服部先輩と衝突したことは割愛し)、他にも仕事があるからと早々に彼女たちは富士の裾野を後にした。当然のことながら、九校戦自体、彼女の視界には入っていないようだった。

 

目先の不安を取り除いた所で10日間に渡る九校戦がいよいよ開催された。初日は本選バトルボードとスピードシューティングの予選が行われる。初日から優勝候補筆頭の渡辺先輩と七草先輩が登場するとあって、会場の熱気は高まっている。

 

8月の暑い日差しが照りつけているが、現代では衣服の通気性の向上と半室外であるドームの空調システムの構築によって、室内までとはいかないが快適に過ごせるよう配慮されている。

まず七草先輩のスピードシューティングの応援に行こうと思ったが、早朝から呼び出され、私は男子バトルボードの控室にいる。

 

「悪いな、九重。ちょっと頼まれてくれないか?」

「ものにはよりますが、一体何でしょうか?」

 

予選を控えた村上先輩が最終調整をしている傍らで、申し訳なさそうに鎧塚先輩は眉尻を下げた。私をこの場に呼び出した鎧塚先輩は作戦スタッフとして男子バトルボードに関わっている。

 

「なんか、オカルト系だめだったみたいであんまり調子が良くないんだ。だから、祓ってもらえないか?」

「あの呪具の効果は消失していますよ」

 

昨日も説明したが、呪具の効果は発見した後に停止させている。

地脈に関しても、一朝一夕ではどうにもならない部分もあるが、祈子さん達の手によって正常に機能している。外的な不安要素は排除しているが、それによってもたらされた精神的な揺らぎは本人次第だ。

 

「気休めだろうが、ないより今のアイツにはましだろうから頼んだ。一応、できることはできるんだろう?」

「祓うと言っても邪気もなにもないのですが…」

「病も気からっていうだろう」

 

確かに見るからに緊張されている。学校の名前を背負って出場しているプレッシャーもさることながら、今年は大会3連覇の期待もかかっている。ほどよい緊張はいい刺激となるが、行き過ぎた緊張や不安は体を固くし、思考を停止させ思わぬミスにつながる可能性がある。

 

あまり期待しないでくださいねと鎧塚先輩に前置きをして、私は調整画面を見ている村上先輩に近寄った。

万全の状態で臨むための調整は選手としての仕事だが、あの忌々しく穢れた呪術は昨日今日で払拭できるかといえばそんな安い物ではなかったようだ。

 

 

 

「村上先輩」

「あ…九重か」

 

村上先輩は私の顔を確認すると、視線を逸らし、顔を青くしていた。どうやら相当彼には堪えたことだったようだ。

 

「すみません。先日は私の配慮不足でした。苦手な方もいらっしゃったでしょうに、申し訳ありません」

 

ちらりとモニターを盗み見たが、数値上もあまり状態が良くないのが窺えた。これでは実力が十二分に出せないのだろう。

 

病は気からという言葉があるが、実際そうなのだ。

体が病めば気も病み、気が病めば体も不調をきたす。悪い思考には邪気が寄ってくるし、活気に満ちた人には運気が巡ってくる。

 

特に魔法は本人の精神状態に左右される側面が大きく、不安定な心理状態では魔法は失敗する可能性が高い。

 

「いや、むしろあのままだったって方が怖いぜ。それで、試合前になんだ?」

 

また何かあるのだろうかと不安げな面持ちを窺わせた。私がこの場に来たことで余計に不安を煽ってしまってしまったのかもしれない。

 

私は髪に刺していた簪を引き抜くと、柄の部分を持ち、玉の部分を彼に向けた。ぎょっとする先輩方に私は言霊を込めた。

 

「“風が運ぶ水面を行くものよ

我、争覇を祈願し、風神に申し上げる

神域の霊峰富士の腕を通いし、水の神々よ

彼の者にその名の加護を与えたまえ

我は彼の者の勝利を祈り、奉らん”」

 

 

昨夜、私には土地神様より直々に土地の加護を頂いている。

 

更に三高に集められたのは不用意に捻じ曲げられたものだが、私にもたらされたのは純粋なる土地の力。この地の精霊はほぼ無条件に私に従い、それに惹きつけられるようにして運気の流れすら変えてしまう。私が得たのはそんな力だ。

 

土地神様の力は制御の範囲だが、私の性質諸々を制御するために5色の玉の付いた簪をしている。これは祖母から誕生日の祝いに頂いた魔除けの道具でもある。

 

呪術と宝玉との関係は古くから論じられている。

魔法が体系化される前もパワーストーンと呼ばれる石は存在し、お守りとして重宝されてきた。この簪に使われている玉はさらにそれを進化させ、柄の部分と石を取り巻く金属の台座には細やかな刻印が刻まれている。いわゆる法機にあたるわけだが、発動しなければただの簪にしか見えない。

 

水を表す黒い玉が霊子を纏い、収束したのちに淡い青い光となって彼の元に飛んでいく。昨日神様から頂いた運気を少しだけ彼に分け与えた。

 

無論、頂いたものに比べたら爪の垢にもならないほどの量であり、彼の精神系の魔法をかけたわけでもない。祝詞に反応した精霊が少しだけ、彼の味方をするだけだ。

 

「必勝祈願です。月並みですが、ご活躍を期待しています」

 

私が一礼すると、呆気にとられていた先輩はようやく正気に戻ったようだ。

 

「あ、ああ。ありがとう」

 

どれほどの効果があったかは私にもわからないが、試合に向かう彼の足取りは確かに力強かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

化粧室で髪を結い直した後、私は急いでスピードシューティングの会場に向かった。

会場は予選だというのに、多くの観客でほとんど席が埋まっていた。

決して立地の良いわけではない富士のこの場所でこれだけ人を集める九校戦はよほど注目されているのだと改めて感じた。

この会場の場合、七草先輩のお陰もあってか黄色い声援がとんでいる。

 

「お姉様」

 

深雪たちを探していると、階段構造になった席の中ごろの位置に勢ぞろいしていた。ご丁寧にと言うべきか、達也の隣の席は私のために空けられていた。その反対側には無論、深雪が陣取っている。

 

「なにか問題だったのか」

 

呼ばれた段階では何の用事だったか、詳しく分からなかったため達也たちにもその事情は告げていない。

 

「問題と言うほど問題ではなかったわ。一昨日の事でちょっとナーバスになっている先輩がいたから、その関係で呼ばれていたの」

 

エリカたちも一昨日の事態については知っている。吉田君から精霊がざわついていることを質問され、そこから芋づる式に説明せざるを得なかったのだ。

 

「も、もう何ともないんですよね」

 

ほのかが少し挙動不審にそう尋ねた。彼女も先日の話を聞いただけで顔を青くさせていた。目に見えないから恐れる気持ちは私にもわからないでもない。それがどれほどの効果を持つものなのか、知りえぬ者からすれば不安を募らせるのは当然だ。

 

「ええ。むしろ不安になりすぎる方が問題ね。吉田君と美月は今のところ問題はないかしら」

「ありませんよ?どうしたんですか」

「念のために持っていて」

 

首をかしげる美月と吉田君に私はポケットから根付けを二つ渡す。大粒の天眼石をメインにその上に小さなオニキスを3つ連ねたお守りだ。

 

「根付けですか?」

「ええ。二人とも感受性が強いみたいだから、お守りとして持っていると楽だと思うわ」

「ありがとうございます」

「ありがとう。でもいいのかい。これ高価な物だろう?天眼石にオニキス…両方とも天然物だよね」

 

天眼石もオニキスも強力な厄除と魔除けのお守りとして知られている。特に天眼石は未来を見通す石として実家では言われている御利益のある石だ。現代では宝石も安価な工業製品が出回っているが、天然石は長い年月をかけ、大地の力を吸収し力を宿している。

それを適切な形で活性させれば魔法具としての役割を持つ。

 

「作っている方と知り合いだから、ご贔屓価格だし気にすることではないわ。特に美月に富士の地は大変でしょう」

「最初来た時は思った以上でびっくりしたんですけれど、雅さんこそ大丈夫だったんですか?」

 

「ねえ、さっきからどういうこと?」

 

エリカも西城君も訳が分からないという風に眉を顰めた。

置いてけぼりにされた感覚があるのだろう。

 

「雅さんって私と同じくらい色々なものが見えているのに、眼鏡も掛けていないでしょう。コントロール出来ているからなんでしょうけれど、こんなに力の強い場所で大丈夫だったのかなって」

 

「え、そうなの?」

 

これにはエリカだけではなく、雫やほのか、吉田君も驚いていた。

表情は変わっていないが、達也も深雪も別の意味で警戒していた。

 

「今日付けている簪はそのためのものですよね。この根付けとよく似た、けれどもっと凄いオーラがあります」

 

「驚いたわ。良く分かったわね。私が見えるだなんて一言も話してはいないでしょう」

 

『霊子放射過敏症』というものがある。

普通の魔法師には霊子を感じることはあっても、霊子を見ることはできない。魔法を発動する際には霊子放射光が伴うが、先天的にその光が見えすぎてしまう魔法師もいる。鍛錬やオーラカットレンズを使用して抑え込むことができるが、裸眼でコントロールできるようになるには相応の年月がいる。

 

ちなみに伯父である八雲や祈子さんもこちらのタイプだ。

実家では皆、世間的に言えば霊子放射過敏症なのだが、見やすいレベルにまで抑えることは無意識に行っている。強烈な刺激に視神経を焼かれることもなく、そうであることが当然として霊子放射光を見ている。私達にとってみれば世界がそう見えるだけである。

 

「以前、眼鏡を外した時に雅さんの周りって喚起もしていないのに精霊が飛んでいたので、もしかしたらって思って……

霊子は私が辛いなって思った時にさりげなく術を掛けてくださっていましたよね」

 

「まさか九重さんも精霊が見えるのかい?!」

 

精霊は感じることができても、見ることができない。

これは一般常識であり、魔法も同様に発動徴候やどのような魔法が発生したのか推察はできる。古式魔法の術者の多くは精霊の持つ波動を感知して、精霊の属性を識別している。

達也の【精霊の目】や兄たちの【千里眼】のように直接魔法の構造やサイオンを目にする技能の存在の方が珍しい。

 

「………吉田君なら京都の九重で分かるかな?」

 

私は少しためらったが、家の名前を出した。

 

「京都の九重?まさか、君が!!」

「そろそろ始まるわね」

 

吉田君の驚きはそのままに、私は試合に目を向けた。

試合が始まれば、七草先輩の競技に釘付けだったが、終わった以降も時々後ろからの視線を感じていた。

その視線も達也と深雪の若干冷たい視線を浴びてから、意識的に私に向けらることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

九校戦の熱狂冷めやらぬ競技の時間は過ぎ、その日の夜。

 

仮にもバイトという名目でこのホテルに宿泊しているエリカたちは今日も給仕の雑用に追われていた。パーティのように大きな会場を歩き回ることはないが、各校それなりの人数が来ているため、当然仕事は少なくない。

 

そのバイトが終わってからエリカはホテルの裏で幹比古と二人でいた。夜間に人気はなくこのような場に男女がいるとはあまり外聞も良くないが、二人にそんな関係性はなかった。むしろエリカの雰囲気は若干殺伐としたものだった。

 

「それで、雅の家ってなんなの」

 

エリカが問い詰めたのは雅の事だった。彼女にとって短くはない付き合いの幹比古があれほどまで動揺し、顔を赤らめて密かに雅に視線を送っていたことに気が付いていた。

無論、達也も雅もその視線に気が付いていたようだが、口に出すようなことはしていなかった。彼女としては友人の色恋が略奪愛や横恋慕になることを危惧している部分があった。

 

「僕たち古式魔法の家も色々な格付けがあるんだけれど、京都の九重は別格なんだ」

 

エリカの雰囲気も相まって、幹比古は半ばあきらめた様子で口を開いた。

 

「別格?」

 

「言うなれば古式魔法の十師族というところかな。

藤林や梅木、須王、吉田もそれなりに名家なんだけど、九重だけはどの家とも比べ物にはならない。最古参にして今もその力は絶大なんだ。表は勿論神職で、九重神楽は古式魔法の中でも最上位の魔法儀式として知られていてその全容は当事者以外にはまるで秘密なんだ。直系の姫宮がいるとは知っていたけれど、まさか彼女がそうだったなんて思いもよらなかったよ」

 

未だに信じられないと自分の発言を噛みしめるように幹比古は言った

 

「やけに詳しいわね」

 

雄弁に語った幹比古にエリカはますます疑問を募らせた。

確かに雅の実力は桁外れだ。

深雪は魔法力が並はずれており、これはエリカのみならず多くの者たちの認識だ。

達也も、並はずれた魔法知識と魔法実技とのギャップ、さらに春の一件をはじめとした魔法戦闘技能は優れていることを知っている。

雅も魔法力は深雪と並び賞されており、古式魔法に加えて、立ち姿からも武の腕もあるとエリカは感じ取っていた。

 

同年代の女子でこれほどまで鍛えられた人物をエリカは知らなかった。自分も剣術に関しては人並み以上の実力があると自負しているエリカだが、単純に素手なら雅に軍配が上がるだろうと考えている。

噂では新歓前に行われた古式魔法クラブと統合武術の先輩方との決闘で、相手を歯牙にもかけず圧倒したそうだ。名字に「九」が入っているが、十師族の関係者ではなく、偶然だそうだ。

 

「いや、その・・・・まあ有名だからね。僕らにとっては知っていて当然のことだよ」

 

若干、言葉に間があったのは当たり障りのない言葉を選んだか、何かしらエリカにも告げられない何かがあると言う事なのだろう。

 

「本当に?じゃあ、なんであんな雅を見て顔を真っ赤にさせて、あれだけ熱―い視線を送ってたのかなー」

「別に赤くなんてしてないよ!」

 

エリカが茶化して言えば、幹比古は気恥ずかしさに顔を赤くした。だが、そんな茶化した態度も一転、エリカは真剣な顔で幹比古に向き合った。

 

「もし、ミキが雅の事を好きだとしてもやめときなさい。達也君と深雪が黙っていないわよ」

 

その言葉と態度に幹比古も同じく真剣な顔つきとなった。

 

「勿論、僕なんかじゃ到底手出しできないような人だよ。九重の直系だから彼女の所には婚姻の話も相当舞い込んでいるらしいけれど、全て相手がいるって断られているそうだ」

 

幹比古は九重神宮の話を良く聞かされていた。どうにかして繋がりを持ちたいと大人たちが躍起になっているのも知っており、彼としては見たこともない様な相手にそこまで躍起になるのが理解できなかった。

 

それもそうだ。

彼は九重神楽も知らなければ、雅がどのような人物かも知らない。

雅が九重神宮の直系だと知ったのも、今日の出来事だ。

彼女なら精霊が見えたとしてもおかしくはないだろうとは思いながらも、やはり衝撃は抜け切っていなかった。

今日渡された根付けも確かに強力な魔除けの効果があり、七草先輩の試合で盛り上がった会場の熱気に当てられることもなかった。

同じ神道系の術者(厳密には陰陽道なども交じっているが)として、意識せざるを得なかった。無論、神童として呼ばれていたころと比べた自身の不甲斐なさに劣等感を抱いたのもある。

 

「あ、それが達也君ね」

「え、達也?」

 

呆気らからんと告げたエリカの言葉をまるで確かめるように、幹比古は聞き返した。

 

「うん。雅の婚約者は達也君だよ。ミキは知らなかったの」

「達也が?!」

 

思ったより大きな声が出たのか、エリカは大げさに耳を塞いだ。

 

「あ、ごめん」

 

「まあ二人ともあの性格だから触れ回る様なことはしないし、学校でベタベタするようなこともないから知らなくても無理はないでしょ。ただ行きのバスの中で深雪が暴露したらしいから、この分だと夏休み明けは学校が荒れるわね」

 

達也と雅がいちゃついていることはほぼない。

どちらかといえば、二人揃って深雪を可愛がっている方が多い。

 

しかし、二人の関係を知ってからよくよく見れば、二人とも異性間にしてはパーソナルスペースが狭い。

雅がレオや幹比古と話す距離と達也といる距離は違う。

知り合ってからの年月もあるだろうが、達也も深雪と雅以外の女子との距離は違う。深雪を見て笑う笑顔が同じなのだと気が付いたときは、あの三人は兄妹とか婚約者とか、幼馴染ではなく夫婦とその子どもに見えて仕方なかった。

 

そんな事情を詳しく知らない幹比古は肩を落としていた。

 

「達也と九重さんが・・・・」

「あら~、ショックなの?」

 

ニヤニヤと笑うエリカにそんな邪な気持ちはないと幹比古は首を振った。

 

「恋愛の意味ではなくて驚いて言葉も出ないよ。九重さんが九重神宮の人で、尚且つ達也がその相手だなんて夢にも思わなかったよ。正直驚きすぎて頭が付いて行かないや」

 

「そんなにすごい家なの?」

 

エリカ自身、京都の九重でピンと来るものではなかった。九重八雲なら辛うじて聞き覚えがあった程度のことだ。

 

古式魔法の家はどちらかといえば、古式魔法の界隈では有名であっても、エリカのように【数字持ち(ナンバーズ)】と呼ばれる家系にはそれほどまで関わりがなかった。【数字持ち】が研究所出身の家系であることを示すと同時に、魔法師の家系を示すものでもある。

今では表だった人体実験などは禁止されているが、あくまでそれは魔法師でない大多数を納得させるための表向きの部分だ。どの世界も裏事情があることは高校生であるエリカも幹比古も知っている。

 

そういった研究所によって”作り出された”魔法師と違い、古式魔法師は占いや加持祈祷に始まり、この国に根付いた術者たちによって現代まで受け継がれてきた技術である。魔法師の才能は遺伝的要因も大きく関与しており、古くから魔法が使えると言うことはつまりそれだけ魔法師としての血が濃いことの表れでもある。

 

九重は古くを辿ればやんごとなき血筋にも連なる家系であり、その歴史は軽く千年を超える。それだけ歴史と伝統ある家であり、京都でも名立たる名家の一つでもある。

 

「古式魔法の家にとっては十師族の本家から嫁を貰うより、見初められれば幸運な事と呼ばれているよ。てっきり僕は九重八雲の親類で古式魔法に精通しているとばかり思っていたんだ」

「雅自身、あんまり自分の家とか話してないもんね」

 

確かに雅は話を振ることや聞き役となることが多く、あまり話していない人がいればさり気なく会話に入れるように気を配っている。すらすらと零れる賞賛の言葉にも全く嫌味がなく、達也のように見放すこともない適度な距離感を保っている。

時々深雪や達也と茶番を演じることも彼女たちにとってみれば、すでに日常の光景だ。

 

ひとまず、その日常に思いがけない亀裂が入ることはひとまずなさそうだとエリカは密かに胸をなで下ろした。

 

 

 


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