あと、2、3話で夏休みに入ります。
大会9日目
新人戦優勝も、お祝いはまだ本選が残っているため持ち越しとなった。残念な様子を見せる生徒もいたが、立役者の達也はまだ翌日の準備があるし、レオと幹比古も疲労からか辞退していた。
新人戦は一高の優勝。
ミラージの予選の結果次第では総合優勝が確定する地点まで到達していた。
雅は朝早くからミラージ本選の選手である小早川と彼女のエンジニアである平川と一緒にいた。
「おはようございます、小早川先輩、平川先輩」
「おはよう、九重さん!」
「小早川先輩は随分と調子がよさそうですね」
「悪いけど、司波さんが決勝に行く前に私が優勝を決めるからね」
予選の抽選の結果、小早川は第一試合、深雪は第二試合となっている。そのため、小早川が決勝進出を決めれば一高の総合優勝が確定するのだ。摩利は彼女の事を気分屋と称していたが、今回ばかりは気合が入って当然だろう。
「あんまり気を張りすぎてもダメよ」
「分かっているわよ」
平川が小早川を諌めるが、彼女としては応援も入った言葉だった。
「けど、今更妨害なんてあるの?」
「念のためですよ。まだ優勝確定とは言えませんから」
雅としては兄に言われた言葉が気がかりだった。無論、深雪に妨害を仕掛けてくる可能性も十分にあるが、達也がそれを見逃すはずがない。
しかし、敵が誰をターゲットにしてくるのかは知らされていない。
杞憂で終われば何事も問題ないはずだ。次の試合の試合選手やエンジニアもスタッフ席で観戦予定なので、問題なければそのまま深雪たちと一緒にいる予定だ。
選手控室とその周辺には警備員と、金属探知機が設けられている。
選手とスタッフはそれをくぐって、競技エリアに入り、一旦荷物はコンベアーに載せてスキャンされることとなっている。
雅が感知したのは一瞬の違和感。それは精霊が外敵を知らせるような感覚であり、雅はスキャンの機械を見つめた。
「どうしたの?」
「いえ、なんでもありません」
自身の持つCADと小早川達の持つ競技用CADをバットに乗せ、コンベアーに流す。空港で行われる手荷物検査のようなものだ。
金属探知機は競技エリアに入るための徽章IDの検査も兼ねており、IDのない物は競技エリアに入ることはできない。
3人は問題なく通過し、荷物が出てきたところでそれを手に取った。
それは一瞬
雅がCADを手に取ると同時に、一人の競技スタッフが座っていた椅子から転げ落ちた。彼の上着のポケットから、なにか白い小さな端末が零れ落ちた。
「な、何をするんだ」
慌てふためく競技スタッフたちと動揺する小早川と平川。
雅に事情を聴こうとする魔法協会のスタッフはその冷徹な目を見て戦慄した。
いっそ整った顔が恐ろしいまでに歪んでいればいいものの、薄ら笑みを浮かべながら競技スタッフを見下すさまは自分に向けられた視線ではないと知りながら周りにいる者たちを萎縮させた。
「九重さん、一体何のつもり?!」
先輩としての矜持か、平川は雅の腕を掴んだ。これ以上、事情も聴かずに後輩の勝手にさせるわけにはいかなかった。
「面白い改良ですね。まさか無線方式の電子金蚕ですか」
「なんですって?!」
雅の言葉を受けて二人は驚愕した。電子金蚕の話は既に一高の代表には伝わっている。その対策もしていた。
ただ、今回平川が用意したのは予備機だ。本来使うものは事前練習の際、破損してしまいそれに伴って予備機を使うことになった。当然その準備に時間を取られ、電子金蚕の防御刻印も刻めていない。そこを突かれたわけだ。
「本当なのよね」
その答えは顔を青ざめさせた競技スタッフが物語っていた。
彼の足は振るえ、立ち上がることすらできなかった。
雅は小早川の使うCADを手に取り確認すると、それを彼女に手渡した。
「30センチほど上昇した後、真っ直ぐ斜め下に移動する魔法を使ってください。その術式に対して魔法が仕込まれていて、強制的に魔法がキャンセルされるはずです」
地面に転がされた競技スタッフは顔面を蒼白にさせた。
彼の両脇は既に警備員によって取り押さえられている。本来であれば乱暴を働いた雅を取り押さえるはずだが、ここの警備員への根回しは既に九島が行っていた。
小早川は恐る恐るCADを装着し、自身の体を移動魔法で30cm上空に浮かせ停止。そのまま斜め下に移動する魔法を発動しようとしたところで魔法が突如キャンセルされ、地面に着地した。その顔は間違いなく動揺が走っていた。これがもし競技中にあれば、どんな事態になっていたか、想像に難しくなかった。
「競技時間も迫ってますし、このデバイスは使えませんね。お二人は調整を急いでください」
「分かったわ」
平川は急いで調整までの時間を逆算した。自分の調整スピードならば、ギリギリ第一試合に間に合うはずだった。CADもまだ確か誰も使っていない予備があったはずだとすぐさま本部に連絡をした。
二人が小走りに調整室に向かうのを見て、雅は視線を取り押さえられているスタッフに向けた。
「さて、協会の皆さま。彼の処分はいかようにされるおつもりでしょうか」
「そ、それは」
「彼は臨時の者でして、魔法協会の人間ではなく・・・」
「バイトだから仕方がないって言いたいのか?」
「真さん」
「よう、話は聞いてたぜ」
彼女の後ろには梅木真が立っていた。
彼は九高生徒会長として自校の選手の激励を送るために競技エリアに向かっていたのだが、偶然この場に居合わせたのだ。口を挟まなかったのは、彼自身、本当に電子金蚕が仕込まれていたのかどうか測りかねていたからだ。
「こんな場所で仕掛けていやがったのか」
真は落ちていた白い端末を拾い上げた。電子金蚕を送り込んだ無線端末だ。
「ひぃ」
真のドスの聞いた声に、思わず悲鳴を上げた。
まだ20代前半の青年に現状を打開できるほどの経験は積んでいなかった
「ひとまず大会本部に彼を連れていってください。ここで起きたことは全て、各校に伝達させていただきます」
「そ、それはお待ちください」
雅の言葉を制止したのは、集まってきた中で壮年の男性スタッフだった。
「なぜです?」
「それは…」
魔法協会としては隠蔽したい事実だ。なにせバイトがCADに細工をしていたと明るみに出れば協会の信用は失墜する。ただでさえ、モノリスの事故であれこれ言われているにもかかわらず、これ以上の失態の公表は避けたかった。
「ひとまず、荷物チェックは機械の不具合で中止でいいだろう。その後の話はゆっくりさせてもらおうか」
「は、はい」
真の言葉に男性は反射的に頷いた。どちらが年上か分からない状況だった。
小早川の予選の結果は3位。惜しくも予選敗退だ。
いくら一高スタッフが総力を挙げたとしても、本人も動揺を抑えきれなかったし、結局は調整が間に合わなかったらしい。誰よりも二人は実力が発揮できなかったことに悔し涙を浮かべていた。
達也としては雅がいて電子金蚕が発見されただけでマシだっただろうという心情だった。
彼は博愛主義者ではない。
同じ高校の先輩が巻き込まれたとしても自分たちに火の粉が降りかからなければ、それでいい。
冷徹とか血も涙もないとか人は言うのだろう。残念ながら達也はそう出来ている。
それを口にすることは彼の妹を傷つけることでもあるため、達也は無言で作業に取り組んでいた。最終調整を終えると、深雪を本部のテントに残し、達也は試合直前のデバイスチェックに向かった。
軍関係者、魔法師協会との話し合いを終え、雅は本部テントに戻ってきた。彼女の兄の予測では九島烈が何らかの形で電子金蚕の発見に携わると見立てていた。今回はそれもなく、軍と協会側だけでの話し合いだったため、まだ油断はできない。
九島の耳に入るのも時間の問題だが、悠の言う興味深い人物とはおそらく達也の事だろう。つまり深雪のデバイスをチェックの際に仕掛けが施されると言うことだ。
雅が本部に入ると生徒の視線が雅に注がれた。
「雅ちゃん、お疲れ様」
「お疲れ様です七草会長。それで何かあったのですか」
この視線に気が付かないほど雅は鈍感ではない。結界の変化はなし、地脈も問題なく作用している。別問題が発生したとみて良いだろう。真由美はやや困ったように話を始めた。
「先ほど当校の生徒がデバイスチェックの場所で暴れているという話が入ったのよ。雅ちゃんは関係者に連れて行かれていたし、たぶん達也君だと思う」
「そうですか」
「それだけ?」
雅はそれほど驚かなかった様子に真由美は眉を顰めた。達也の事が心配ではないのかという意味とどうしてそんな冷静なのだと言う非難めいた意味合いも持っていた。
「あちらでも電子金蚕の使用があったのだと思います。やはり改良され、無線型になっていました」
「確か電子金蚕は有線回線を通じて電気回路に侵入するSB魔法だよな。それが無線に改良されていたってことか?」
鎧塚は作業をしていた手を止めて、話に割り込んだ。聞き耳を立てていましたと言っているようなものだが、真由美も同じ疑問を抱いていたので咎めはしなかった。
「ええ、おそらく競技前のデバイススキャンと同じ信号を利用して無線方式で魔法を仕掛けていました。彼が発見したものが有線か無線かは分かりませんが、彼自身が組み上げたシステム領域に侵入があれば気が付かないはずがありません」
他のエンジニアからすればどうやって電気機器を通じて侵入した魔法を見抜いたのかと突っ込みを入れたい気持ちが強かったが、大人しく口を噤み作業をするふりをしながら話を聞いていた。
鎧塚と真由美もそんなことができるのかと疑問に感じたが、同時に達也ならばできるのだろうとどこか納得した。
彼の魔法工学に関する知識は一高校生レベルを超えており、自分が手掛けたデバイスの違和感に気が付いたとしても納得がいく。
雅に関しても精霊に対する鋭敏な感覚は遅延発動術式だとしても関係なく、その姿を捉えることは不可能ではないと理解していた。
「暴れたって言うのは?」
「深雪を傷つける者を彼が許すとでも?」
本部に何やら生暖かい空気が漂った。一高生の意見を代弁するかのように、うすら寒い笑顔を浮かべて真由美は雅に確認した。
「つまり、重度のシスコンのお兄さんが妹のために怒っただけなのね」
「達也はきちんと落とし前付けてくれたようですからね」
ぴりりと文字通り、空気が緊張した。
それはほんの一瞬の怒気だった。
しかし場を威圧するには十分で、生暖かい目になっていた生徒たちも一瞬で背筋を伸ばした。
抑え込んでいるのだ。湧きあがる怒りを、その内に。
彼女も妹のように大切にしてる深雪に何かあれば黙ってはいない。
表面が穏やかなだけあって、底知れぬ恐怖を感じた。
普段怒らない人間が怒ると怖いというが、これは怒らせてはいけないと感じさせた。
「お姉様…」
深雪は一人美しい顔を曇らせ、目には涙を浮かべていた。
雅は怒りを収めると、優しく深雪に微笑んだ。
「深雪、お化粧を直しましょう。折角の晴れ舞台ですもの。達也が戻ってきたときに安心した顔を見せてあげて頂戴」
「分かりました」
雅は深雪の涙を指で軽く拭った。
肩を抱いて部屋の奥へと行く二人を見ながら
「なんか、あそこ恋人とか婚約者とかその妹とかじゃなくてさ」
「夫婦とその子供よね」
3人がいなくなった本部のテントでそんな事が呟かれ、しみじみと頷く者がいたとかいなかったとか
当然、達也が本部に戻ってきたときは生暖かい空気で歓迎された。
戸惑う達也に天才エンジニアもシスコンと言う弱点があったんだなと肩を叩かれ、他の先輩たちにも穏やかな目を向けられた。嫁さんと可愛い妹が待っているぜと鎧塚に言われ、達也は居心地が悪そうに深雪たちが待っている部屋に向かった。
一騒動あったが、試合は時間通り執り行われることとなった。
ミラージ・バットの別名はフェアリーダンス。
少女たちが妖精のように飛び交う様子はまさに幻想的で、衝突を避けるため選手は昼間は太陽の下でも鮮やかな色の衣装をまとっている。深雪が着用しているのはマゼンタのカラーだが、下品に見えず彼女のスタイルの良さを強調している。
関係者が控えるブースでは雅と達也が控えていた。本来であれば、エンジニアと作戦スタッフがいることが普通なのだが、今回は例外。
先ほどの妨害工作もあって、一高作戦スタッフは満場一致で雅を送り出した。深雪は誰よりも近くで姉と兄に試合を観てもらえることで、文字通り天にも舞い上がりそうな気分だった。
6人の選手が位置に着き、試合を待っていた。
天気は曇天。
ミラージにはうってつけの天気だった。
会場の熱気に後押しされるかのように試合開始のブザーが鳴り響いた。
色鮮やかなコスチュームに身を包み、飛び交う様子は絵になる様だった。特に深雪は一人だけ、着地も離陸も優雅でふわっといった形容詞が良く似合った。
順調にポイントを重ねているが、そこは九校戦の本選。一筋縄ではいかなかった。
「舞鶴だったか」
「跳躍系は彼女の得意分野ですから」
第一ピリオドが終了し、深雪は2位につけていた。
現段階で1位は一高の摩利と並びミラージの本命と言われていたのが二高の3年生、舞鶴円花だ。
深雪の使用しているCADは達也が起動式を最小化し、高速化を極めたものだ。
しかし円花はただ目標への到達が早いだけではなく、進路の妨害やコース取りも上手い。
第二ピリオドでは深雪が挽回したが、相手も僅差で、最終ピリオドに向けて余力を残しているように感じられた。
「かつて雅と舞姫を競っただけはあるな」
円花はこちらを見ながら挑戦的な笑みを浮かべていた。
九重神楽は魔法を使用した神楽だ。鶴ノ宮と呼ばれた彼女は跳躍を使用し、誰よりも軽やかに華々しく舞うことに秀でていた。舞姫に選ばれず、九重神楽からは引退したが、その分現代魔法にも熱心に取り組んできたようだ。
感心する達也に焦りはなかった。
「お兄様、あれを使わせていただけませんか」
達也は知っている。
深雪がただ美しく、可愛いだけの女の子ではないことを。勝利に対する欲も、努力を厭わない姿勢も良く理解している。負けたくないと言う表情は妹が見せる表情の中で達也がとりわけ好きなものだった。
「いいよ。全てはお前の望むままに」
「ありがとうございます」
一方の深雪は本選のミラージ出場が決定した際に、この舞鶴円花にだけは負けるわけにはいかないと決心していた。懇親会で誰よりも敬愛する姉と兄が言われのない蔑みを受けたのだ。
それは何よりも許しがたいことだった。いくら兄や姉が何も言わなくても、深雪は黙っていられなかった。
深雪が力強い足取りでステージに向かっていくのを達也と雅は見送っていた。
「アレ、決勝用の秘密兵器でしょう」
深雪が手にしているのは手のひらサイズのCAD
ON/OFFのボタンが付いただけの単一起動式が組み込まれた特化型だ。
「下手に消耗するよりいいだろう。それに徹底的に打ちのめしたいと思っていたのは俺も同じだ」
雅が懇親会で毒付いていた言葉を達也は覚えていたようだ。決まりが悪そうに雅は視線を逸らした。その様子が年相応の少女の様で、達也はふっと笑みを浮かべた。
第三ピリオドが始まった。
開始同時に深雪はボタンを押しこみ、上空に舞い上がった。光の球の手前で二高選手が近づいてきているのを確認すると、上昇スピードを上げ、スティックで光球を叩く。その後、通常であれば10m下の着地エリアに下りるのだが、歓声が鳴りやんだ。
深雪は一度も着地せずに、水平に空中を移動すると一つ、二つと得点を重ねていった。
そして人々がそれを認識すると会場は別の喧騒に包まれた。
「飛行魔法…」
「トーラス・シルバーの?!」
「まさか、あれは先月発表されたばかりだぞ」
「だけど、飛んでる・・・」
空中を自由自在に凛々しく舞う深雪の姿を人々は陶然と見上げた。
不可能と言われていた奇跡の実演にこの上なく美しい少女は誰よりもふさわしく、可憐に舞っていた。10mを往復する選手と水平移動だけの選手の効率の差は言うまでもない。
深雪は予選、2位以下に大差をつけ決勝進出を決めた。
カーテンを閉めた室内。
夏だと言うのに曇り空で室内は薄暗い。
オレンジ色の優しい光が室内を照らし、夕方のような雰囲気を作り出している。焚かれた香は夏らしいラベンダーとジャスミン。
甘い香りの中にも涼やかさを感じさせる深雪の好きな香りだった。
「お姉様……」
薄暗い中で深雪はベッドにうつ伏せに横たわっていた。
その瞳は潤み、肌は赤みがさしている。
「ごめんなさい、痛かったかしら」
「いいえ、気持ちいいです。あっ………」
「ふふ、ここがいいのかしら」
同じベッドの上に雅もいるが、彼女は深雪の隣に座っている。
雅の手が触れるたびに深雪は恥ずかしそうに声を押さえ、時折堪えきれずに吐息が零れていた。
満足げに微笑む雅に深雪は恍惚とした表情を浮かべている。
ああ、なんて自分は贅沢で幸せなのだろうかと夢心地の気分だった。
「お姉様、そこは」
「ここが一番気持ちいいでしょう」
「ですが、お姉様に…っ」
「ほらね」
見透かされたようにくすくすと笑う雅に深雪は恥ずかしげに枕に顔を埋めた。
姉の美しい指が自分の足に触れていると思うとなんだか背徳感を感じさせた。ご褒美と称されてベッドに寝転ばされ、自分は雅のされるまま快感に浸ることしかできない。
強弱をつけた何とも言えない加減に深雪は息を長く吐いた。
なんて贅沢なご褒美なんだろうと深雪は吐息を漏らした。
ああ、このまま流されても良い、この心地よさに身を委ねてしまおうと深雪は瞳を閉じた。
昼を過ぎ、来客が来たことを告げるノックに達也は応じた。
扉を開けると雅だけがそこにいた。
「いらっしゃい」
「おじゃまします。一人で来るのは初めてね」
達也はそれに特に驚くこともなく、雅を中に招き入れた。
「深雪は寝ているのか」
「ええ。マッサージの途中でウトウトして、そのままね」
「あれは癖になるからな」
達也は自分にも覚えがあるため、少し苦笑いを浮かべながら頷いた。
雅のマッサージはただのマッサージではない。
手で揉んだり、押したりという動作に加えて、掌から超微弱な電流を流し、筋肉をほぐしている。
九重神楽と言うハードな練習に耐えうるために雅が編み出した手法であり、彼女の家族そろってそのお世話になっていると言う。
何とも言えない力加減も加わり、疲労時にあれをされた達也も思わず眠りの淵に立った経験がある。
ミラージ前半で、跳躍魔法を使い続けた深雪は確かに肉体的に疲労しており、休息が必要だった。
だが深雪にとっては敬愛する姉にあれこれと世話を焼かれ、申し訳ない気持ちと感動のせめぎ合いだっただろうと達也は心の中で合掌した。
「達也もする?」
「いや、深雪にして疲れているだろう。俺はまたでいいよ」
「じゃあ、私がしたいって言ったら?」
珍しく甘えるような言い方に達也はそう言えば雅も気疲れしているはずだと思いだした。
本来であれば、二人とも使用人に世話を焼かれる立場なのだが、世話を焼くのが好きなのは雅も深雪も良く似ていた。
「手だけ頼むよ」
椅子を隣に並べ、雅は達也の手を取った。
「似合っているわね」
「そうか?」
マッサージされている方とは反対の左手には銀の腕時計が巻かれている。アナログ式で多機能な割に男性モデルにしては細見なデザインであり、腕にもしっくりと馴染んだ。
一見ブランドだけみれば分からない者も多く、高校生が付けていても問題はないデザインだが目敏く見つけた藤林には誰からの贈り物か問われたほどだ。同級生の中では雫も知っていたようだが、それは資産家の令嬢として目の肥えた彼女だからだろう。
こういった贈り物の一つも思われていることが伝わってきて、なんだか気恥ずかしい気持ちだった。達也は自身のために心を割いてくれる九重には申し訳なさと有難さと伝えきれない感謝を感じていた。
「痛くないかな」
「いや、良いよ」
女性の場合はオイルやクリームを塗って行うことが多いそうだが、普通のハンドマッサージだった。男性とは異なる柔らかい手に揉まれたり指圧されると、予想以上に凝っていると自覚した。
達也自身、身体を鍛えていて筋肉自体が凝りにくい方ではあるが、先日までの疲れで揉みこまれた手が軽くなっていくのを自覚した。
ふんわりと香るラベンダーの香りは深雪の安眠に使った香だろう。
普段とは異なる香りに少し戸惑うが、鼻につくわけではなく、嫌な感覚はしなかった。
「CADは返却してもらえた?」
「いや、まだだ。どうせ術式をコピーされて各校に配布されるだろう」
委員会側が検査させろとCADの提出を迫り、達也は大人しく差し出した。
九島の名前を出してやろうかと思ったが、なんだか威を借る狐の様で何も言わずに渡している。工作員もひとまず捕まっており、これ以上の妨害はないだろうと判断した結果だった。
もしこれ以上の妨害があれば協会の信用は地に落ちることになるだろう。
「誰もが使えることと、誰もが同じように使い続けることができることは違うからね」
雅も納得したようにうなずいた。
たとえコピーされたとしても深雪以上にあの術式を使いこなせる魔法師は存在しないだろう。元ある魔法技能ではなく、サイオン量が物を言う術式だ。現時点で達也や深雪に匹敵しうるサイオン量を保有するのは雅だけだ。
飛行術式は時間による終了条件を細かく定義した魔法の連続発動だ。
サイオンの自動供給によって確立しているため、たとえ起動式を最小化していてもありあわせの機器では消耗量が大きく、効率は本家には敵わない。
現代魔法の三大難問と呼ばれるだけあって、その完成には時間を要したが、これも達也にとっては足掛かりの一つに過ぎなかった。
「後は元締めがどこにいるかよね」
「それに関しては問題ない」
「既に尻尾は掴んでいるの?」
「影には影の事情を任せた方がいいからな」
影の意味を雅は理解したのか、処理で出かけるのならば連絡してほしいと言った。止めないあたり、今回の事は相当頭に来ているのだろう。彼女としては我がもの顔で土地を荒らされたことも怒りの一つだろう。
達也は丹念に揉み解している雅の手を握った。
「どうしたの?」
くすくすと笑う雅は何時にも増して上機嫌だった。
婚約者と言う名前は付いているが本来であれば俺たちは他人だ。それこそ九重の言う【星巡り】がなければ、ここまで親しくすることはなかっただろう。不思議な巡り合わせだと思う。
四葉家直系男子
それだけでも竦む者もいるはずだ。触れてはならない者たちと呼ばれる四葉の後継者と思われても仕方がない。
達也は四葉としては認められてはいないが、そう呼ばれた可能性もあったのだろうかと思うこともある。雅とは縁を持つための婚姻と呼ばれても仕方のない間柄のはずだった。
幸か不幸か達也は情報を改変すると言う魔法師としての才能を持たず、母に育児放棄された。
【千里眼】によって才能がないことは見抜かれえていた上で、それでも九重直系の雅の相手にと申し込まれた。
『分解』と『再生』
この二つの魔法がなければ早々に達也は九重に養子にでも出されていたはずだ。
幼少期は養子同然に、まるで肉親のような情を注がれて九重に育ててもらった。同じ家で育ってきただけあり、達也は雅の事を幼少期は妹かそれと等しい存在だと勘違いしていた。
今の関係に達也自身が名前を付けることはできない。客観的に婚約者と言う括りがあっても、今後どうなるかはまだ決まっていない。
ガーディアンとしての全ての決定権は深雪にあり、たとえ兄妹であっても立場上の上下関係は深雪が上なのだ。
雅の事を愛しているのかと問われても、愛という感情を深雪に対する兄妹愛しか持てない俺にどうしろと答えるしかない。嫌かと問われれば、むしろ気の知れた心地いい間柄だと思う。無関心かという問いにも当てはまらない。
「雅」
達也は握っていた手を引いて、空いていた左手で雅の顎を持ち上げる。驚く顔を間近に触れた唇は柔らかく、当然嫌な感覚はしなかった。それほど長くない触れあいに達也が手を離すと雅は茫然とした後、顔を染め手で口を覆った。
逸らされた視線も羞恥心からか辺りを彷徨っている。相変わらず初々しい様子に思わず笑みがこぼれる。
それと同時に、この表情が別の男の者になるのは気に食わないという感情も湧き起こる。深雪からは二高の男子に声を掛けられていたことに苦言され、悠からも注意するようにと言われている。
いつも冷静で穏やかに微笑む雅のこのように年相応かそれ以上に無垢で愛らしい顔を他の誰にも見せたくはなかった。
「なんだ?」
雅は遠慮がちに達也の袖を引いた。
達也自身、その声がとても穏やかなことに気が付いていなかった。
顔を先ほど以上に桜色に染め、蚊の鳴くような声で“もう一回”と、雅は瞳を閉じた。
達也は雅の頬に手を添えて、唇を塞ぐ。
何をしているんだと問いかける自分と、雅を繋ぎとめるための行為だと言い聞かせる自分がいて、達也は考えるのをやめた。
「おはよう、深雪。体調はどうだい」
「はい、気力体力ともに万全です。お姉様がマッサージをしてくださいましたから、体も軽いです」
「それは何よりだわ」
上機嫌な深雪を見て、先輩方もこれは勝てるだろうと早くも優勝を確信していた。もっとも、三高が1名だけしか決勝リーグに出場できなかった時点で深雪が棄権しない限り一高の総合優勝も決まっている。
「お姉様、私が休んでいる間に何かありましたか?」
深雪にはほんの少し達也と雅の距離が遠い気がしていた。
「特に問題はなかったわよ」
ほんの些細な変化に、兄はいつも通りのポーカーフェイスであり、雅も平常通りに見えたため気のせいだったのかと言い聞かせた。深雪はいってきますと元気にステージに上がっていった。
深雪を送り出した上級生たちはニマニマと達也と雅を見ていた。
「なんでしょうか」
たまらず雅が問いかけると、真由美は問いかけた。
「深雪さんが休んでいる間、二人はどこで何をしていたのかなー」
「会長、それは試合に関係することですか?」
明らかに茶化すための質問に達也は冷静に問い返した。これが深雪であれば顔の一つも赤らめて誤解を誘うところだが、雅の面の皮も十分厚かった。
「会長、セクハラ扱いされれば負けますよ」
「え、ちょ、りんちゃん。私はただ会長として問題なかったか聞いただけじゃない」
「真由美は二人が不純異性交遊に耽っていたと聞いているようなものだぞ。ああ婚約者ならば不純でもないが、ほどほどにしろよ」
摩利の発言に達也も雅もさすがに驚き、あずさに至っては当事者でもないのに顔を真っ赤に染めていた。あずさはこういった下世話な話の耐性はないようだった。
「市原先輩、上級生からのセクハラ発言はまず相談するにはカウンセラーの先生でしょうか」
「そうですね。相談の結果、著しい名誉棄損とストレスが認められれば会長のリコールもあり得ますね」
やましい気持ちのない雅は鈴音に問いかけ、鈴音は白い目で真由美を見た。友人の裏切りに真由美は更に動揺を見せた。
「ちょっと、それだったら摩利も同罪「おいおい、私は真由美の言葉の意図を言い換えただけだぞ」
またしても友人に裏切られ、真由美は肩を落とした。おろおろと先輩たちの間で狼狽えるあずさはやはりどこか小動物のようだった。
「ほ、ほら、試合がそろそろ始まりますよ」
「そうですね」
「会長、応援しますよ」
「もう、分かってるわよ!」
ミラージ・バッド決勝は達也の予想通り、最初から各校飛行術式を発動させていた。
だが、第一ピリオドで二人、第二ピリオドで一人脱落した。
誰でも使える魔法は誰もが上手く使えるとは限らなかった。
深雪は誰よりも上手く魔法を使いこなし、点数を重ねた。
息も絶え絶えな二人を横目に、深雪は一人優雅に点数を重ね、優勝を飾った。
深雪の優勝で一高の総合優勝が決定し、生徒の一部は既にお祭りモードだった。
しかし、大会はまだモノリスコードの本選が残っていると言うことで祝勝会は先延ばしにされた。
生徒から不満もでたが、そこは真由美が上手くお茶会を開催し、ガス抜きを行っていた。プチ祝勝会の意味合いが強く、レオや幹比古だけではなく、エリカや美月も誘われたのか会長の意図があった。
本来であれば優勝の立役者と言われている達也もこの場にいるはずなのだが、疲れたと部屋で休んでいる。ほのかは明らかに残念そうだったが、不満に感じているのは深雪も同じなので口には出さなかった。
「あれ、お兄さんはもう寝ちゃったの?」
「ええ、流石に疲れたと申しまして」
「そっか、ずっと大活躍だったもんね。怪我もしてたし無理ないかな」
五十里が花音に腕を引かれるようにしてやってきた。
五十里は本来であれば明日の試合の調整なのだが、花音に文字通り引っ張ってこられたというのが正しいだろう。
「あれ、啓先輩」
「ん?エリカくんじゃないか」
啓は本来では選手でもないエリカがここにいることに驚いた様子だったが、咎めるような無粋な真似もせず、むしろ歓迎の雰囲気だった。
エリカと五十里は旧知の間柄であり、エリカの伸縮警棒の刻印は啓が編み上げたものらしい。
高校生で術式を組めるとあれば相当の技術者であることが1年生にも窺えた。
「九重さん、実はずっと気になっていたんだけれど、その簪見せてもらってもいいかな?それ、ホウキだろう?」
「え、そうなの」
遠慮がちに尋ねる五十里に花音は驚きの声を上げた。
「ええ、どうぞ」
雅が止めていた簪を抜くと、艶やかな髪が重力に従って背中に落ちた。思わず女子でもため息が出るような美しさであり、一緒にいたレオや幹比古はなんだか気まずい気分になった。
五十里はありがとうと感謝を述べてから、簪を手に取った。柄は銀製。先端には黒紫、白、緑、赤、黄の五色の玉とそれを取り囲むように金属の細工がされている。
金属には一つ一つに異なる緻密な印が刻まれており、全て五十里の知らない術式だった。
「激励のときとか、使っていたけれど魔法は使ってないよね?」
「誓って、ありません」
「それならいいんだ」
「啓、どういうこと?この簪がCADなの?」
「そうだよ、花音」
何もしなければただの簪なのだが刻印があると見抜けたことは流石刻印術式の権威たる五十里家だと言える。五色の玉が透かし模様の入った金属の球に囲まれており、金属の模様はすべて異なる。少し揺らせば玉と金属がカチカチと高い音を立てる。
「魔除けも兼ねているんです」
「でもこれ凄いな。こんな短い刻印で複数の工程を可能にする魔法を組むだなんて、相当高い技術者なんだね。もしかしてこれ、司波君からの贈り物?」
「いいえ。祖母から誕生日祝いに頂きました」
少しだけからかった五十里のセリフに達也に対する対抗心も見え隠れしていた。
「うちも刻印術式に関しては結構長けていると思ったけれど、これを見ると自信なくすよ」
「啓は凄いわよ!」
花音は五十里のかわりに胸を張ってそう言った。
「神具の応用ですので、五十里先輩とはまた畑が違うと思います。六高2年の錦織さんが刻印術式に関しても詳しいはずですので、後夜祭にでも話しかけてみてください」
「錦織?確か、準決勝で花音の相手だった六高の技術者だよね?」
「玉造の系譜ですので、刻印術式にも詳しいですよ」
「へー、玉造ね」
五十里には聞いたことのある名であったが、ここにいる者は知らない者が多数だった。
「啓、玉造って?」
「山陰では結構由緒ある家だよ。刻印術式の権威としては五十里と同等と言われているけれど、武器なんかに組み込むんじゃなくて専ら神具や法具に用いられる刻印の開発、研究を行っているんだ。武装型の刻印術式も遥か太古から行われているっていう噂だけれどね」
「お詳しいですね」
「刻印術式自体、かなり特殊な分野だからね。同業者くらいは知っているよ」
五十里は一通り簪を眺め、雅に返却した。
「彼は少し人見知りなので、戸惑うかもしれませんが悪い人ではありませんよ」
「司波君の知らないところで男の子の影?」
「花音」
ニヤニヤと笑う花音に悪気はなかったが、深雪も側にいるため不用意な発言をしないでほしいと言う1年生からの視線が飛んでいた。
「あちらから嫁入りがあって、縁戚関係になる予定ですから知っていて当然かと」
「そうなのですか」
雅の発言に嬉しそうに深雪は問いかけた。
「ええ、
「それはまたお祝いしなければなりませんね」
「先日婚約が決まったばかりだから、式は当分先よ。
九校戦が終わったら実家に遊びに来てはどうかしら」
「よろしいのですか」
「ええ。次期舞姫のお披露目もあるし、九重神楽も観られるわよ」
「お兄様とぜひお伺いさせていただきます。ですが、深雪としてはお姉様が舞台に立たれないのが残念です」
傍から見れば仲のいいグループの会話だが、距離を取って聞き耳を立てていた男子達はこぞって悔しそうにしていた。
司波兄が実家に挨拶だと、畜生婚約者が九重さんだなんて、今日は飲むぞ、それジンジャーエールだろうなどと言う会話は彼女たちの耳に入ってこなかったのは幸いだろう。
※達也は雅に告白してません。
余談
『錦織』は「にしきおり」「にしこおり」「にしこり」の3パターンあるそうです。