恋ぞ積もりて 淵となりぬる   作:鯛の御頭

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悩んで、ため込んで、爆発せずに潰れて

泣けなくて、笑えなくて、楽しくない

ご飯も喉を通らなくて、夜も眠れない

苦しいと言えない、辛いと言えない、助けてと言えない

話すことで解決することもあれば、話しても変わらないこともある

心が軽くなることもあれば、一人自分を責めることもある

浮き沈みの激しい人の心は儘ならないと思う日々です。



夏休み編2

さわやかな夏の朝。まだジトジトとした嫌な空気もなく、港には涼やかな風が吹いていた。

風に漂う磯の香りはこれからの旅の楽しさを助長させた。

 

朝6時、葉山のマリーナに達也たちは集合していた。

これから二泊三日で北山家が所有するプライベートビーチに向かう予定なのだ。

クルーザーの中から現れた雫の父、北山潮から“手厚い”歓迎を受けた達也はそのことを表情に出さず、一礼して深雪と雅を呼んだ。

 

「これは九重の姫君。朝早くから御足労いただきありがとうございます。

御耳にしているかは存じませんが、高名な父君には不肖なこの私めの婚姻の際に、多大なるご協力いただきましたことを感謝申し上げる日々でございます。当家のあばら家にお招きすることは大変恐縮ではございますが、何卒ごゆるりとして頂けましたら嬉しく思います。」

 

雫の父の敬語に驚いたのは友人たちだけではなく、娘の雫もだった。

ビジネスや家の都合でパーティや挨拶回りを良くすることのある彼女でもこれほどまでの(へりくだ)った表現を父が使うことは見たことがなかった。

前世紀から続く家系であり、名家、旧家との繋がりもあるが、これほどまでの対応はしていない。友人たちが茫然とする中、雅は丁寧に一礼した。

 

「北山様にはいつも手厚いご支援いただき、こちらこそ感謝申し上げるべきところであります。

雫さんには常日頃大変お世話になっておりまして、今日もこのような機会がいただけましたことを嬉しく思っております」

 

「それは慶福でございます。御父君、並びにご家族様にはよろしくお伝え下さいますようお願い申し上げます。」

 

「はい。今後とも末永くよろしくお願いいたします」

 

深雪と達也は見慣れたやり取りだったが、友人たちは事態が消化しきれなかった。

潮は雅とは違って深雪には頬を緩ませ、剽軽(ひょうきん)な様子で芝居じみた様子で話しかけている。

雫とほのかに鼻の下が伸びていると指摘されて、いそいそと退却したのは明らかに娘たちの言葉に動揺したからだろう。

 

達也はきっと娘とバカンス気分を味わいたかったのだろうと一人同情をこめた視線で走り去る大型乗用車を見送っていた。

 

「雅、小父様と知り合いだったの?」

 

ほのかが恐る恐る聞いた。

ほのかは北山家に娘同然に可愛がってもらっているため、彼のことはそれなりに知っているつもりだった。

それがあんなに背筋を伸ばし、緊張した面持ちで話しかけているのは彼女の記憶になかった。

 

「先ほどまで直接の面識はなかったけれど、ご贔屓にしてくださっているのは私も聞き及んでいるわ」

 

なにせ前世紀から続く企業家の家系。

寄進料だけでも桁違いであることは雅も知っていた。

 

「結婚の相談をしたのが雅のお父さんなんだって」

 

雫が淡々と答えた。彼女は父が九重神宮にかなりの額を寄進していることは知っていたが、雅にあんな態度を取るほど信仰しているとは知らなかった。

 

「雅さんの家って神社でしたよね。もしかして、とてつもないお家なんですか?」

 

一連のやり取りを見ていた美月がそう問いかけた。

 

「ちょっと古いだけよ」

「千年単位の神社がちょっとなら、その辺の神社は赤ん坊かい?」

 

幹比古が皮肉を込めて肩をすくめた。

ふと家で雅の名前を出した時の両親の顔が忘れられない。

あれほどまで必死になっている様は幹比古にとっても若干トラウマだ。

確かに吉田も古い家系ではあるけれど、九重は別格だった。

それこそ姫と呼ばれても不思議ではないほど、九重の直系と言う身分は歴史の長い日本の中でも指折りの家系なのだ。

 

「うちは厄除の神様をお祀りしているのだけれど、縁結びの神社には行かなかったのかしら」

「縁はあるから勝負に出たって言ってたよ。」

「小父様らしいわね」

 

雫の言葉にほのかは納得したように頷いた。

実は名立たる実業家ほど信心深かったりするのである。

 

 

 

 

 

定刻通りに出発した船旅は波は荒かったものの思ったよりも揺れず、快適だった。

予定では昼ごろに到着し、それから水着に着替えて海で遊ぶことになっている。

クルーザーの中では夏休みの様子を話したり、これからの予定について話し込んでいた。

 

「僕の名前は幹比古だ」

「いいじゃない、ミキはミキで」

「良くない!」

 

いつものエリカと幹比古のやり取りにクルーザーの中は笑いに包まれた。

 

「そう言えばさ、幹比古って珍しい名前だよな」

「そうかい?」

 

レオの問いかけに、幹比古は首をかしげた。

エリカにミキと女性みたいな呼び方にされてはいるし、同名を見たことがないが、奇抜な名前でもない。

加えて、海外交流が盛んになったことでハーフやクオーターなども珍しくない。

名前が多少和名ではなくとも、それほど目立つ事の無い社会となっている。

ついぞ80年ほど前は所謂キラキラネームと呼ばれる当て字の名前が流行ったが、今や裁判所に改名が認められている。親の黒歴史裁判事例として法律関係者の間ではネタにされているほどだ。

 

「確かに、凄く期待されて付けられた名前なんでしょうね」

「え、期待?」

 

雅の言葉に反射的に幹比古は聞き返した。

 

「名前の由来とか聞いていないのかしら?」

「特に聞いてはいないけれど、それより期待されたってどういうことだい?」

 

幹比古は次男だ。天才と持て囃されたことはあるが、それも過去の栄光。

長男が家督を継ぐことは現代でもごく普通な事であり、生まれたときから次男の自分に期待されていたということが良く分からなかった。

 

「幹は言うまでもなく、支えとなるもの、柱となるものという意味ね。

加えて“比古”っていうのは“日の子”という言葉と掛けられていると思うわ。

昔から太陽はどの宗教でも絶対的崇拝の対象で日本では、神の血を引く者は天子とも言うわね。

そんな名前ですもの。たとえ親が意図せずとも力を持つ名前よ」

 

さらりと雅が言った言葉が幹比古の想像を越えていた。

たとえ意図しなくても期待された名前であり、優れた名前だと言うことを面と向かって言われることはどうも気恥ずかしい思いだった。

 

「へえ、凄いじゃん」

 

それをエリカがニヤニヤとした笑みを浮かべて肘で小突いてくるのだから、幹比古は眉間にしわを寄せた。

 

「憶測も多いから、名付け親に意味を聞くのが一番いいと思うわ。ああ、ちなみに…」

 

雅は美月だけに聞こえるように囁いた。

“太陽と月。陽と陰、男性と女性で吉田君と美月、相性がいいわよ”

 

 

雅の言葉を受け、美月は顔を真っ赤にさせた。

 

「み、雅さん!!」

「え、なになに?なにを言ったのよ」

 

エリカが面白い物を見つけたとばかりに美月に詰め寄った。

 

「私からは内緒よ。美月から言ってもいいわよ」

「ほら、美月答えなさいよ」

「無理です!絶対に!」

 

美月は一瞬、幹比古と目線が合い、思わず逸らしてしまった。

ははんと目を輝かせたエリカは何としても聞きだしてやるとと意気込んでいた。

一方、目があったのに逸らされてしまった幹比古は地味に一人凹んでいた。

 

 

 

 

 

クルーザーは予定通り、別荘のある島に到着した。

 

それにしても、眩しい。達也は思わず目を細めた。

水際ではパシャパシャと水を掛け合って、楽しむ少女達。

達也はそれをビーチに刺したパラソルの下で見ていた。

普段とは違って露出の増えた5人の美少女達は年頃の男子にとって目の毒だ。

目の保養とは言えるが、直視しにくい実情にある。

 

「達也、呼ばれているわよ」

「雅もな」

 

ハッキリ言えば、達也が一番直視できないのは隣にいる雅なのだ。

ミニスカートや肩口の大きく開いたニットなど、深雪は家の中だと露出が増える。

 

一方、雅はとことん露出を嫌う。

寒冷期の名残があったとしても場所によってはショートパンツやチューブトップを着る若者もいる。しかし、雅は夏らしい格好といってもせいぜい膝丈のスカートに5分丈以上の上着を着ている。実家では着物が多いうえに、司波家でも上品な格好が多い。

週1回、CAD調整のための計測を除けば、人前で雅は肌を出すことはほとんどない。

家風もあるだろうが、基本的には保守的なのだ。

 

その雅が水着だ。

深雪が嬉々として選んだデザインは青のビキニの上に濃紺のパレオの付いたものだった。

パレオを胸元で巻いているため、一見丈の短いワンピースタイプの水着かサマードレスにも見える。加えて今は白いパーカーまで来ているため、上半身の露出はほぼない。

長い黒髪には一輪の白のハイビスカスを飾っている

 

一番露出していないにも関わらず色香は他の5人とは別格だった

濃い青色のパレオから覗く白い足は扇情的で、白い項も高い位置で結上げられた黒い髪との対比で更に白く見えた

汗が首筋に流れる様子ですら、戸惑わせた

なにせ着替えて出てきたとき、パーカーを脱いでいないこの状態ですら女子たちですら生唾を飲み、レオや幹比古などあからさまに視線を逸らしていた

 

 

何時まで経っても来ない二人にしびれを切らしたのか、女子たちが達也と雅の周りを取り囲んだ。

 

「達也さんも雅も泳がないの?」

「ははーん。さては達也君とのお楽しみの痕があるのかな?」

「エリカちゃん!」

 

下世話なエリカの発言に美月とほのかは顔を真っ赤にさせた。

 

「ホレ、脱げ」

 

わきわきと手を動かしているエリカに雅は反射的に後ずさりをした。

 

「雅はスタイルいいでしょ?」

 

だが、雅は雫に左腕を押さえ込まれていた。

 

「ちょっと待って、なんで雫も?!」

「深雪から恥ずかしがっているだけだからって」

 

雅の抗議にしれっと雫は雅の体を見た。

確かに、5月生まれとあって同年代より発育は比較的早いのかもしれない。

雫も控えめな体格とはいえ、他人から見ればそこまで幼児体型という訳ではない。

しかし、プロポーションが劣っているのも事実だった。雫の行動は半ば腹いせであった。

 

「お姉様。折角、深雪が選んだ水着を見せてはくださらないのですか」

「あの、深雪?」

「いけませんか?」

 

深雪は雅の腕を取った。

雅は深雪のお願いに甘い。可愛い義妹が選んでくれて、お願いされて、周りも取り囲まれている。まさに四面楚歌。これが知人でなければ、容赦なく投げ飛ばすこともできるのだろうが、雅は基本懐に入った人間には甘い。

助けを求める視線が飛ばされるが、達也は目で謝る。

薄ら涙目になっていたのが余計にたちが悪い。

 

「えい」

「あっ」

 

エリカにパーカーのチャックを開けられ、深雪と雫に腕を押さえられ、あれよあれよという間に上着は奪い去られた。

 

文字通り、その場にいる者は皆固まった。普段凛とした雅が、目を潤ませ、頬を染めている。

ギャップもさることながら、どうしても夜の想像をしてしまった者もいるのだろう。

むき出しの白い肩や、そこから伸びるすらりとした腕など思わずため息が出るほどだった。

艶めかしい雅は高校生になったばかりの青少年たちには少々刺激が強かったようだ。

 

「プライベートビーチで、水着だって分かっていたでしょう」

 

その雰囲気を和らげるかのように、エリカは呆れて言った。

 

「元々、海には入れないから水着を着る予定もなかったのよ」

 

恥ずかしそうに美月の後ろに雅は隠れた。この中で一応止めようとしてくれていたのは美月だけだったので、美月を盾にするように雅はその陰に隠れた。

 

「入れない?泳げないじゃなくて?」

 

エリカが雅に聞き返した。

 

「人並みには泳げるわよ。お盆を過ぎては海に入ってはいけないの」

「それって家の決まり事?」

 

雅の家の制約は多い。

曰く、お盆過ぎには海に入るべからず。

曰く、女性は月ものの際には寺社仏閣に立ち入るべからず。

曰く、七歳を過ぎて男女が同じ部屋に寝てはいけない。

 

他にも精進潔斎や禊など神事に関係することで生活が縛られる部分もある。

エリカが家の事情を聴いたのも幹比古にも何かしら制約が付いて回るからなのだろう。

 

「足首くらいなら浸かっても大丈夫みたいだから、グレーゾーンという所かしら」

「そうなんだ。ボートでも乗る?」

「沖に出ることは一応止めておくわ」

 

結局波打ち際で水かけでもしようということで、達也も連れ出されることになった。

 

 

 

 

 

時折ジェット水流のような攻撃(無論、魔法を使用)も繰り出されながら、少女たちは楽しく遊んでいた。

 

的役に徹していた達也は少し沖で泳いでくると言い、不満そうな女子たちの視線を受けながら沖に出た。流石の彼も美少女6人に囲まれて遊ぶのは精神的に疲労していた。

 

残った女子たちはボートに乗ろうということになり、エリカ、深雪、ほのか、雫は少し沖に出ていた。

雅と美月はパラソルの下で一休みをしている最中だった。

 

「海に入れなくて残念ですね」

 

美月は北山家のハウスキーパーの黒沢女史が持ってきた飲み物を雅に渡した。

ありがとうと一言告げ、雅はコップを受け取った。

 

「海に入ることではなくて、目的は遊びに来ただけだから気にしていないわ。

それに海神のお嫁になりに行くようなことはするなって言われているからね」

「わだつみ?」

「海の神と書いて“わだつみ”と読むのよ。お盆を過ぎたころの海は危険で、大昔は台風や不漁の時期に若い娘を海神に捧げていたと言われているわ。いわゆる人身供物ね。今時海に入った程度でそんなことはないだろうけれど、言い伝えにあるなら何かわけがあっての事よ。」

 

意外と古くからの言い伝えは何かしら現代に通じる理由がある。

例えばお盆を過ぎたころの海は彼岸で帰ってきた御霊に連れていかれるだとか、クラゲが出るから危険だという説もある。

現代人にとっては窮屈に感じる仕来りも、生まれたころからそれならば雅は特に面倒だと感じることもなかった。

 

 

 

ほのかのボート転覆事件があり、達也は今ほのかの命令で一緒にボートに乗っている。

なごやかな二人の雰囲気に深雪の機嫌は急降下。

深雪が持っていたフルーツがフローズンフルーツになってしまったほどだ。

真夏でも深雪の魔法力を持ってすれば、無意識にできてしまう事だった。

 

「皆、集まっていることだし、少しお話でもしましょうか」

「そ、そうだな」

「そうしましょう」

 

見かねた雅がそう言うと、レオと美月が勢いよく首を縦に振った。

二人としてもこの空気はどうにかしたいものだった。

 

「夏と言えば怪談よね」

「「「え゛」」」

「ああ、そんなに怖くない話だから大丈夫よ」

 

にっこりと笑った雅の笑顔が逆に恐ろしかった。

美月とレオはいらない虎穴に入ってしまったのだと理解した。

不機嫌だったのはなにも深雪だけではなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昔、昔、これはある海辺の村のお話です。

ある村では長年、台風の被害に見舞われていました。

台風によって、漁には出られず、潮によって田畑は枯れてしまうこともありました。

困った村人たちはこれは海神さまがお怒りなのだと考えました。

海神様をお慰めするためにはどうすればいいのか。

村人たちは悩みました。

こうしている間にもまた一人、食い扶持を保つために親が子を殺していました。

 

そうして村人たちはある考えに至りました。

海神様に供物を捧げよう。

その供物に選ばれたのは身寄りのない女の子でした。

お腹の空いた子どもにご飯を与え、お化粧を施しました。

いつもとは違う優しい村人の対応に、少女は戸惑いました。

そして少女が寝ている間に、ボロ船に少女を入れ、海へと流しました。

碌に舵もない小さな小舟は波にさらわれ、すぐに海の深く沈んでしまいきました。

 

そうして一夜明けると、台風は過ぎ去り、空は晴れ渡っていました。

それからというもの、海は大漁続きでした。

村は豊かになり、人々は活気づいていました。

所がある年、疫病が村を襲いました。

困った村人たちは海神さまにお願いして疫病を鎮めてくれるように願いました。

そして供物に選ばれたのは、生まれたばかりの赤子でした。

するとどうでしょう。

三日もせずに、疫病はすっかり息を顰め、村人たちは元気になりました。

海神様、ありがとう。

人々は口々にそう言いました。

そうして村では天災や疫病のたびに村で身寄りのない女性や子どもを捧げていました。

 

 

ある年、一人の青年が海辺に倒れていました。

それを助けたのは村のうら若い女性でした。

彼女は夫を嵐で喪って以来、一人で生活を切り盛りしていました。

自分の食べる分を減らし、女は必死に男を看病しました。

海から自分の最愛の人が戻ってきてくれたのだと、半ばそう思っていました。

男が元気になり、ここに留まってはくれないかと女は乞いました。

男は首を振りました。

自分にはいなければならない場所があるのだと言いました。

女は泣きながらせめてもう一晩、ここにいてはくれないかと頼みました。

男は女がかわいそうになり、もう一晩だけここにいることにしました。

 

その日は昼から雲が出て、男たちは急いで嵐の用意をしました。

予想通り夕刻になると黒雲が空いっぱいに広がり、激しい雨が打ち付けました。

運悪く高潮と重なり、海辺の家の人間は高台に避難していました。

怖いねという女に、直ぐに止むさと男は言いました。

夕飯の準備をしているころ、トントンと戸を叩く音がしました。

女が戸を開けると、村のまとめ役がいました。

村の集会所に来るように男は言いました。

女は嫌な予感がしながらも、付いていきました。

 

 

男はじっと女の帰りを待っていました。

女が帰ってくると、女の顔はぞっとするほど青白くなっていました。

男がどうしたのだと問うと、女はその場で泣き崩れてしまいました

次は自分が海神の供物に選ばれたのだと女は泣きながら言いました。

身よりもなく、男もこの地をさるならば、身寄りのない彼女が一番適任でした。

男は怒りました。自分が行ってくるから、君はここにいろと言いました。

女は行かないでと縋りました。

男は大丈夫だと言い、女の着物を着て、ボロ船に乗り込みました。

村人たちも村の外の男なら都合がいいと逃げ出さないように手足を縛って海に流しました。

 

 

翌日、空は良く晴れました。

心配していた被害も少なく、漁師たちは漁に出かけました

するとどうでしょう。

いつもはたくさんの魚がかかる網に人骨が大量に絡みついていました。

それが一つの船ではなく、多くの船で人骨が引き上げられました。

着物が残っていた人骨にはどこか見覚えのある着物を着ていました。

それは今まで海に捧げていた女や子どものものでした。

それから数年、その海では何も取れない年が多く続きました。

いくら女性を捧げても、いくら子どもを捧げても、海で何も取れない年が続きました。

 

そうしていくうちに一人、二人と村人たちは去って行きました。

荒れ果てた村に残ったのは一つの寺でした。

海に捧げられた者たちを奉る寺であり、そこには熱心な尼僧がおりました。

 

 

ある時に尼僧はある時、不思議な夢をみたそうです。

それはまだ小さな子どもでした。

村人たちから優しくされ、御馳走を食べていました。

化粧をしていい着物を着せられ、なにかお祝いなのだろうかと思いました。

子どもが寝静まった頃、男たちは子どもをボロ船に寝かせ、荒ぶる海に流しました。

子どもが目を覚ますとそこは暗い海の底でした。

誰もいない海に嘆き悲しみ、涙は海の水嵩を増し、声は風をかき立て、やがて嵐になりました。そうして泣きはらしていると一人の赤子が目の前にいました。

誰かが来てくれたのだと喜ぶ子供でしたが、その子は冷たく、死んでいました。

しばらく泣いていると今度波に運ばれてきたのはやせ細った女性でした。

そうしている内に子どもの周りには多くの人がいました。

中には子どもとおしゃべりしてくれる人もいました。

子どもはますます楽しくなって、誰か来てほしいと波を荒らします。

そうすると新しい人が運ばれてくるのを理解していました。

 

そうして遊んでいる内に、ある時一人の男が流れてきました。

今まで流れてきたのは女の人や子どもばかりで男の人は初めてでした。

子どもは嬉しくて駆け寄ります。

男の人はごめんなと子どもの背を撫でると、子どもはウトウトとしていました。

ここにきて初めて眠くなりました。

 

子どもが目を覚ますと、次にいたのは閻魔様の前でした。

閻魔様の裁判で子どもは地獄に行くことになりました。

死後でも人殺しは重罪です。子どもの魂は長い時間を掛けて、罪を償うことになりました。

 

尼僧はその子どもが最初の供物だったとようやくわかりました。

そして供物となった子どもは寂しさから人を呼び、殺してしまったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だから海のある近くの寺はその名残で今でも供養塔が立てられているところもあるのよ。」

「じゃあ雅が海に入らないのは…」

「感受性が強いって言ったでしょう。引きずり込まれることがあるみたいなの。

本当かどうか、私にも分からないけれどね」

 

まだ夏の暑い時間帯だと言うのに、皆一様に鳥肌を立てていた。

昼間でも怪談は十分な威力を持っていた。

 

「・・・そんなに怖い話でもないわよね」

「十分怖いわよ!!」

 

エリカが腕をさすりながら言った。美月やレオ、幹比古に至っては蒼白だ。

 

「なにをしているんだ?」

「ああ、達也とほのか。お帰りなさい」

「ただいま。それで何をしていたんだ?」

 

達也は顔色の悪い友人たちと比較して、ケロリとしている雅を見て言った。

 

「ちょっとした怪談よ。」

 

雅のちょっとしたが、友人たちにとっては文字通り肝の冷える話だったようだ。

神話や伝承をベースとした神楽もあるため、寝物語を含めて雅の知っている話は多い。

しかも語り部が実際に幽霊の類まで見えると言われる千里眼直伝の話なので、余計にたちが悪い。被害者の友人たちに達也は心の中で合掌した。

 

 

 

 

 

 

日が傾き始めたころ、そろそろ夕食の時間になるため、片付けを始めていた。

その最中、風でビーチボールが飛ばされた。

 

「取ってくるね」

「悪いな」

 

風下にいた雅がそれを取りに向かい、他の者は片づけを続けた。

風に煽られたボールは海に入り、波にボールが攫われてしまい少しだけ沖に流れた。

仕方ないと雅は膝下程度まで海に入り、ビーチボールを拾い上げた。

砂浜に戻ろうと踵を返すと不意にぞわりと嫌な感じがこみ上げてきた。

 

「お姉様」

「雅!!」

 

咄嗟に背後を振り返ると雅の目の前には急激にできた大波が迫っていた。

思わず目をつぶり、雅は頭から波をかぶった。

 

 

ビーチにいた達也たちは大波に飲みこまれた雅の姿を探すが、一向に立ち上がる気配がない。多少沖に流されているかもしれないが、浮き上がってくることもない。

 

「あれ、いない…」

「嘘だろ」

 

彼女が取りに行ったボールだけが波間に浮いているのが見えた。

雅の姿はどこにもない。ましていた場所は溺れるような深さでもない。

 

「まさか、本当に引きずり込まれたんじゃ…」

「達也君!」

 

達也がいち早く駆け出し、海面を『水蜘蛛』を使い走った。精霊の目で確認すると雅とそれに対抗する何かの気配を感じ、直下の位置で魔法を解除し、海に潜った。

 

 

海に潜って達也が目にしたのは “ナニカ”に引きずられる雅の姿だった。

ロープのような、鎖のような黒いものが雅の足に絡みついているのが見えた。

潜水艇でもいるのかと思ったが、達也がそんな悪意ある存在を気が付かないはずがない。

第一、視界に映っているのは仄暗い形の分からないナニカだった。

そこから伸びた黒いものが雅を海底に引きずり込もうとしている。

 

雅は必死に抵抗しながら、魔法を使い、退けようとしている。

しかし、CADなしの魔法には限界があり、第一水中とあってはいくら雅でも場が悪い。

雅はおそらく水圧軽減魔法と水の分解による酸素の生成に魔法力を割いている。

ここで達也が分解を使えば敵は倒せるかもしれないが、敵の正体が理解できなかった。

 

達也の目はイデアを見ることはできても、霊子までは見ることはできない。

今はCADもなく、達也に出来る魔法も限られている。

 

物理的に引きはがそうと達也が水中を切った瞬間、雅の足を捉えていた拘束は解除された。

それはサメのようだった。

草食の小柄なサメで、黒いものを威嚇するように泳ぎ回っていた。

ナニカの方はその場から動かなくなった。

達也は敵の攻撃が無くなったと判断すると、力の抜けていた雅の体に腕を回した。

薄気味悪さも感じながら、達也は水圧と息の量も考え、排除より撤退を優先した。

達也に気が付いた雅は魔法を使い、達也にもかかる水圧を軽減した。

達也は泳ぐスピードを上げ、水面に顔を出した。

 

 

「ゲホッ」

「大丈夫か、雅」

 

多少水を飲んだようで、雅は軽く咳き込んだ。

力も入らないのか、達也の腕に捕まるようにしていた。

 

「何とか・・・ありがとう、達也」

「ああ。それより急いでこの場から離れよう」

 

海岸を見ると、短時間ではあり得ないほど沖まで流されていた。

潮の流れもあり、ここから雅を抱えて泳ぐには時間がかかりそうだった。

いつさきほどのナニカが出てくるか分からないため、水蜘蛛を使おうとしたところで達也は妹が手を振っているのが見えた。

さらにその手にはCADを握っているのが見えた。

ふわりと達也と雅の体が軽くなり、海水から空中に浮く。

息切れをおこし、力が入らない雅を達也は横抱きにした。

 

「達也、抱えなくても大丈夫よ」

「いいから、捕まっていろ」

 

恥じらう雅を言いくるめ、二人は深雪の魔法によって波打ち際まで運ばれて行った。

 

「雅さん」

「お姉様、大丈夫ですか」

 

二人が砂浜まで到着すると、すぐさま友人たちは二人の元へ駆け寄った。

明らかに雅の顔は蒼白だった。

いきなり大きな波にのまれ、尚且つCADなしに複雑な魔法をつかっていたのだ。

命の危険もあり、消耗は計り知れなかった。

 

「雅さん、足が・・・」

 

口を覆って震える美月。

美月に言われて雅の足に目を向けた面々も驚きを隠せなかった。雅の足にはまるでロープのようなもので縛られたかのように、赤い線がいくつも絡みついていた。

 

「大丈夫、直ぐに治るわ」

 

心配させまいと雅は笑おうとするが、声には覇気がなかった。

 

「ひとまず戻ろう」

 

達也はそのまま雅を抱え、別荘へと戻っていった。

 

 




続きます。

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