いよいよ論文コンペが始まります。
オリジナル多めで、割とサクサク進めていきたいと思っています。
横浜騒乱編1
選挙戦は当日に多少荒れたものの、無事に中条先輩が生徒会長に選任された。
それに伴い、生徒会メンバーも新しくなった。
副会長は深雪、会計は五十里先輩、書記はほのかとなった
私は変わらず風紀委員だが、達也は2年生から生徒会副会長として任命されることになった。
七草先輩の退任の際、公約としていた生徒会役員における一科生の規定はなくなり、二科生からも選出できるようになったのだ。
達也の生徒会入りには中条先輩と千代田先輩が絡んでおり、中条先輩は達也か私がいなければ深雪を押さえられないと言った。
しかし、千代田先輩は私や達也がいないと風紀委員会の事務が回らないと堂々と言ったのだ。
風紀委員は実務部隊だ。事務処理関係は各自が分担して行うことになる。
しかし、実質的に事務を行っているのは私達であり、詳しい事情を知らない中条先輩はそれを鵜呑みにしてしまった。
交渉の結果、私の風紀委員残留と達也の2年生からの生徒会入りが決まったのだった。
これは達也の意向を無視した結果であり、現在達也の頭痛の原因となっていることだ。
「達也君は残念だったが、ぜひ君には次代の風紀委員長を担ってほしいんだ」
「それは千代田先輩が就任早々に言うことですか?」
渡辺先輩は風紀委員室で優雅に紅茶を飲んでいた。
宝塚の男役が似合うと噂される渡辺先輩は紅茶を飲む姿も様になっていた。
「後輩育成も重要な仕事の一つよ」
渡辺先輩も千代田先輩も気が早いのではないだろうか。
風紀委員長という柄は私にはあまり向いていない気がする。
風紀委員会も生徒会長も三代続けて女子になるが、部活連は長く男子が代表を続けているからそれでつり合いは取れているのだろう。
「花音は結構そそっかしいからな。
あと達也君や君の書類処理能力は手放すのが惜しい」
「本音はそちらですか」
呆れて言うと渡辺先輩はまあまあと私にも紅茶を勧めた。
ちなみにこの紅茶も私が淹れたものだ。深雪には劣るだろうが、悪くはない味だ。
「それで、今回相談したいのは論文コンペにおける護衛の事なんだ」
「たしか、発表者には念のために護衛が付くんですよね。」
論文コンペはただの論文発表会ではない。
その成果が認められれば学術雑誌への掲載や企業からのスカウトがある。
魔法は解明されていない部分も多く、内容によっては国益を左右することがある。
実際、コンペの発表者が襲われて怪我をした事例やひったくりにあった事例も報告されている。そのためコンペの前後数週間、発表者には警護が付くことになっているのだ。
「良く知っているな」
「古典部の活動歴に残っていましたから」
古典部も論文コンペに出場した経歴がある。
大会は毎年魔法協会本部のある京都か関東支部のある横浜で行われる。
京都会場では理論的な分野、横浜では技術的な分野での論文が好まれる傾向にある。
そのため、古典部が出ていたのは京都大会でのものが多かった。
「毎年、古典部は論文コンペに出場する気合いで挑んでくるからな。今年は選考に出さなかったのか?」
「今は大学との合同研究の資料解析でそれどころじゃないんですよ。
夏に発表した設置型魔法の応用研究が忙しいそうです。
インデックスにも正式採用されたようですから、実用化の目途を立てるみたいですよ」
「ああ、あの地脈を利用した研究云々ってやつか」
渡辺先輩は九校戦前に見ているが、地脈を利用した魔法の発動時間の延長を目的とした術式。
地脈という概念は古式魔法では一般的なものだが、現代魔法では解明されていない分野でもある。マイナーな研究分野だが、現代魔法に応用できるとあって注目度は高いらしい。
メイン研究者であった祈子さんは大学から既に推薦入学の話が来ているほどだ。
「話を戻すが、君には達也君と市原の警護役を頼みたい。勿論ローテーションで部活連も協力してくれるから、拘束時間が長くなるようなことはそれほどないはずだ」
「達也は護衛はいらないと言いそうですけれど」
「まあ達也君の魔法戦闘技術を見たらな。
護衛も壁役にしかならないし、むしろ足手まといにしかならないか」
今回の論文コンペには達也も選ばれている。
平川先輩がサブの執筆者として選出されていたが、九校戦の電子金蚕のことにショックを受け、体調を崩しているらしい。
未然に発見できたとはいえ、自分の技術不足を嘆き、学校にもあまり登校していないらしい。
代役として抜擢されたのは達也であり、市原先輩とも共通の研究テーマを持っている。
10日もないギリギリの日程だが、難題と言われているだけあって達也以外の適正はないと市原先輩は推薦したそうだ。
「啓には私が付くし、達也君も雅ちゃんが付くなら案外OK出すかもよ」
護衛では達也が物理攻撃に対しては絶対的な優位性を持っている。
軍で一流の戦闘訓練を積んだ達也なら暴漢程度、赤子の手を捻る様なものだろう。
私も隣に立つことはできたとしても、達也から見ればまだ弱い。
「まあ、その辺のローテーションも含めて達也君に確認したら、服部と話し合いだな」
「渡辺先輩が部活連との調整をしているのですか?」
「ん?まあ、花音は最近風紀委員に入ったばかりだからな」
案外渡辺先輩も心配性なのだろうか。
受験も控えている時期だろうに、後輩の面倒見も良いようだ。
「九重さんも悪いね」
「構いませんよ。古典部の備品で切れていた物もありましたから」
一高の購買部は十分すぎるほどの品ぞろえを誇っている。
一般の商店では購入できない魔法実験関連商品を揃えるためでもあるが、それでも品切れやラインナップにない物がある。今回は実験で使う3Dプロジェクタの記録用フィルムが品切れとなったため、商店街に買いに来ている。
先輩の手を煩わせるのもどうかと私と達也で出かける予定だったが、五十里先輩もサンプルは確認しておきたいと希望し、それに千代田先輩が護衛として手を挙げたのだ。
千代田先輩は五十里先輩と腕を絡め、まるでデートのようだ。
ちらりと達也を見上げると二人の様子に辟易とした様子だった。
千代田先輩が甘えて、五十里先輩が受け止めていると言う雰囲気であり、千代田先輩は満足げで五十里先輩は仕方ないなと言いながらも笑みを浮かべていた。
お似合いのカップルだと思った。
ゆっくりとした歩調で商店街を歩きながら、当たり障りのない程度に達也に論文の進み具合を聞いた。今のところは順調に進んでおり、デモ機やリハーサルの準備も視野に入れているところらしい。
「二人とも色気のない会話ね」
前を歩いていた千代田先輩が振り返った。
「手くらい繋いだらどうなの?」
私達に見せつけるように千代田先輩は五十里先輩と腕を絡めた。
その笑顔は幸せそのもので、これが普通の恋人なのだろうかと胸の奥が痛くなった。
五十里先輩も苦笑いを浮かべているが、満更ではなさそうだ。
「買い出しであって、デートではありませんから」
「お堅いわね」
私の返答に面白くなさそうに千代田先輩は頬を膨らませた。
「価値観は押し付けるものじゃないよ、花音」
「けど、あまり素っ気ないと愛想尽かされるわよ。もしくは深雪さんに持って行かれるわよ」
千代田先輩の言葉に達也の足が止まった。
「まさか千代田先輩も碌でもない噂を信じている人ですか」
達也がウンザリだと言いたげに千代田先輩を見た。
先輩は気にも留めていないようで肩をすくめた。
「2年の私の所まで来ているくらいには雅ちゃん達は有名人なのよ」
確かに老若男女見惚れる深雪の美貌は入学当初から話題になっていたし、九校戦では2種目優勝の大活躍だ。学年は違えど、同じ九校戦のメンバーで生徒会には五十里先輩も所属しているから噂話の一つや二つは持ちこまれるのだろう。
ゆっくりとした歩調で目的の店まで到着すると達也と私は早々に必要な買い物を終わらせ、外で待つことにした。
街路樹の木々はすっかり秋めいた色に染まり、空も澄んで青かった。
今頃京都も紅葉の見ごろなのだろう。
少しだけ日が陰り、ノスタルジックな雰囲気に感傷的な気分となった。
だが、そんな感傷にも浸らせてくれるほど私の周りは穏やかではなかった。
達也とアイコンタクトを取ると、彼もこちらに向けられている視線に気が付いていたようだ。
尾行されていた感覚はなかった。
精霊が私を監視する視線を無視するはずがない。
となれば、待ち伏せされていたのだろう。
これだけ直接的な視線。魔法を使うまでもなく分かる監視者の位置。明らかに素人だ。
どうしたものかと思案していると、店から五十里先輩と千代田先輩が出てきた。
「お待たせ。・・・・・・何かあったのかい?」
達也も私も表情には出してなかったはずだが、五十里先輩は何かしら違和感を覚えたようだ。
その証拠に千代田先輩は五十里先輩の言葉に首をかしげている。
「いえ、どうやら監視されているようなのでどうしたものかと「監視?スパイなの?!」」
達也の言葉を遮るように千代田先輩が声を上げた。
これでは監視者に対して逃げろと言っているようなものだが、達也は視線だけそちらに向けた。
達也が示した先には走り出す女子生徒の姿があり、千代田先輩が彼女を追いかける。
千代田先輩は陸上部のスプリンターであり、魔法を使わなくても一般女子より脚力はある。
すぐさま距離を詰め、10mまで距離が迫ったところで走り去った彼女が半身を返した。
千代田先輩が顔を覗き込もうとすると、その手から小さなカプセルが零れ落ちた。
達也が咄嗟に私を庇うように前に立ちふさがった。
達也の背中越しに強い光が溢れていた。おそらく閃光弾の類だろう。
これはただ事ではないと、式神を準備する。
そうしている間にも事態は進行し、千代田先輩の魔法を達也が妨害し、監視者はスクーターに乗って逃走しようとしていた。
それを五十里先輩が『伸地迷宮(ロードエクステンション)』でスクーターを立往生させる。
怖ろしく複雑な魔法式を咄嗟の場面で使用する五十里先輩の実力に舌を巻いた。
タイヤが空回りし、監視者は手詰まりかと思われたが、時に素人は恐ろしいことをしでかす。
後部座席が飛び、ロケットエンジンが発射された。
魔法とはいえ、物理的な力には敵わないことがある。
無理やり魔法を振り切り、彼女はスクーターのスピードに背をのけ反らせながら逃走していった。
余りの事態に先輩たちはあきれ顔だ。
液体燃料のエンジンをあんな位置に仕込んでいて、もし横転でもしたら爆発間違いなしだ。
幸い倒れることなくスクーターは走り出したのだが、一歩間違えば大惨事だ。
「なにを考えているの、あの子・・・」
「今回はお互いに運が良かったと言うことだね」
どうやら先輩方も同じことを思っていたようだ。
「雅、追っているのだろう」
「ええ。追跡用の式神は付けていますよ」
先輩方が彼女の足を止めていた間に準備は終わらせていた。
万が一、逃走された場合に備えて式神をくみ上げていた。
「いつの間に・・・」
「先輩方が準備の時間を作ってくださいましたから」
一旦目を閉じ、鳥に擬態させた式神に視覚同調を行う。
すぐさま式神の視点が流れ込み、上空から逃げる彼女の姿を捉えていた。
「現在、人の少ない山間部の方向に向かっています。
先ほどの彼女は学年までは分かりませんが、制服に刺繍がないので二科生ですね」
一瞬、頭に春の一件が浮かんだ。
あれは二科生に対する差別撤廃などと都合のいい言葉を吹き込んだテロリストたちの犯行だった。今回、達也を付け狙っていたならば何かしらの報復だろうか。
スクーターはどんどん山奥へと人目を避けるようにして逃げていく。
ロケットエンジンの燃料が切れたのか、威力は最初よりは少し落ち着いてきている。
「メモ帳はありますか?」
「これ使って」
私の問いかけに、五十里先輩が持っていた紙のメモを私の手に押し付けた。
「ありがとうございます」
私は手に持つ紙にサイオンを込めた。
「念写?」
「そのような物です」
五十里先輩の問いかけに端的に答える。
現在、式神と私は視覚同調でつながっている。
それを手に持つ紙にまで同調させ、イメージを紙に焼き映す。おさげ髪の少女が徐々に念写されていく。
「あれは…」
彼女がスクーターを山奥で乗り捨てると、その前からワゴン車が現れた。
仲間なのだろうか。
注意深く車両ナンバーと車の中にいる人物を観察する。
此方の視線に気が付いたのか、ワゴン車から一人の黒服の男が降りると、上空の式神に銃口を向けた。咄嗟に視覚同調を解き、式神を燃やした。
即席の式神のため、隠密行動の設定はしていなかったので魔法師の男には気が付かれてしまったようだ。
「すみません、式神に勘付かれました」
「念写はできたみたいだね」
「ええ」
写真のように精密とはいかないが、似顔絵程度のものができた。
おそらく一年生なのだろうが、私には見覚えはなかった。
一科二科では授業も教室がある場所も違うため、部活以外では接点がない。顔の広いエリカならば分かるだろうか。
「達也は見覚えある?」
「いや、ないな」
達也は小さく首を振った。
心当たりがないとすると、どこから恨みを買ったのだろうか。
「生徒会室で生徒名簿を調べればいいんじゃないかな。花音も閲覧の権限はあるだろう」
生徒会と風紀委員長には生徒情報へのアクセス権限がある。
無論、住所や家族構成などのプライベートな情報は伏せられているが、全員の顔写真とクラスなら閲覧可能だ。
二科生の女子で、おそらく一年生であればかなり数は絞られているはずだ。
わざわざ一高の制服を着ていた部外者の可能性も捨てきれないが、可能性は低いだろう。
「そうですね。千代田先輩にお願いしてもよろしいですか」
「いいけれど、なんで啓じゃなくて私なの?」
私は千代田先輩に持っていたメモ帳を渡した。
千代田先輩は五十里先輩ではなくわざわざ自分が指名された理由を問いかけた。
「横顔を見ていらしたのなら、この念写も合わせて該当する人物の特定はしやすいと思います。でも本音を言えば、深雪のいる生徒会室で達也を付け狙っていた女子生徒の検索をしたくないんです」
私の言葉に先輩も達也も閉口した。
脳裏にはきっと絶対零度の笑みを浮かべた深雪が降臨しているはずだ。
生徒会選挙の一件でスノークイーン深雪様、深雪女王様などとあだ名付けられた義妹の姿は全校生徒の記憶に新しい。
誰よりも敬愛を注ぐ兄が“女子生徒”に付け狙われていたとあれば、深雪の心中は穏やかではない。物理的な被害があるなしに関わらず、彼女が自らその監視者を排除にする可能性もある。
千代田先輩はメモ帳を見ながら、無言で首を縦に振った。
念写を元に監視していた者の絞り込みはできたが、こちらから接触はしていない。
相手は基本的にこちらに危害を加えたわけではなく、見ていただけなので取り締まるに取り締まれないと言う方が正しい。当分は受け身での警戒になりそうだ。
論文コンペまでの日も近づき、達也たちはそろそろ論文の提出を終えている頃だろう。
「お姉様?」
訝しい顔をしていたのが伝わったのか、深雪は心配そうな目を私に向けた。
「深雪、それに雫やほのかも変な感じはない?」
「変な感じ?」
「特に普段と変わりませんが?」
雫たちは私の言葉に首をかしげた。
外塀沿いに張り巡らされた防御用の陣に阻まれているが、今日は諦めが悪いようで何度もこちらに干渉してきている。一高全体を網掛けて監視するような視線は、いい加減煩わしい。
教職員の先生方もこれだけ術が発動してれば気が付いているだろうが、今のところ対応していないようだ。
今の所、直接的な侵入を許しているわけではないので、様子を見た方がいいのだろう。
午後からの授業の準備をしていると、端末で呼び出しがかかった。
あて先は祈子さん。
呼び出しの案件は至急集まるように、とのことだった。
しかも次の授業は公欠扱いになるとも書かれている。
公欠ということは生徒会絡みか、教師陣も絡んでいるのだろう。
「深雪、次の授業は抜けるわね。ちょっと先生に仕事を頼まれたから」
一般教養の科目なので、課題を熟せば問題のない科目でよかった。
「わかりました」
「いってらっしゃい」
深雪が小さく頭を下げ、雫が小さく手を振った。
私は愛用の通学かばんを手に、職員室へと向かった。
職員室に向かうと、不機嫌そうな顔の祈子さんがいた。
「早かったね」
「少しは隠しましょうよ」
「ストーカー相手に気を使う理由はないね」
祈子さんは吐き捨てるように言った。どうやら今回の監視に対して、相当ご立腹のようだ。
「お待たせ。申請は通ったよ」
職員室から出てきた図書・古典部の顧問、墨村先生はにっこりと笑みを浮かべていた。
年齢は50代後半で、古典の担当教諭でもあるこの男性教諭は古式魔法にも造詣が深い。
図書・古典部を立ち上げたのもこの先生で、秘蔵図書関係の管理も行っている。
その手にはなにやら厳重に鍵の掛けられた小さなアタッシュケースがある。
「ありがとうございます。さて、雅ちゃん。歩きながらで良いから話をしようか」
「分かりました」
事情はなんとなく分かっているが、大人しく私は彼女の後に続いた。
魔法実験室地下10階
地下実験室では危険性の高い術式の実験や秘匿性の高い実験が非公開で行われている。
軍の魔法兵器を使用することが可能なレベルの耐久性を誇り、普通1年生では立ち入りが禁止されている。しかも地下10階のこの部屋は存在していたことすら隠されていたはずだ。
それをわざわざ使うには何かしらの理由があるのだろう。
「この大がかりな術式はなんですか」
わざわざ紙の資料で印刷されたそれはお蔵入りしていた研究だ。
現在外塀沿いにめぐらされている防御魔法は球状に地下と上空もカバーしている。
文字通り360度の結界が作られていることになる。
「コンぺも近いから、もう一重に結界を重ねようと思ってね。
今回の煩わしい視線すら入ってこない最強の代物だよ」
「あまり強すぎる結界では侵入者の存在に気が付かないのでは?」
結界は文字通り外からの魔法攻撃を妨害するものだ。
逆に言えば、内側からの攻撃には弱く、春の一件でそれは露呈した。
「物理的な強化ではなくて、これは悪意を持った攻撃対象への反転魔法術式だよ。
此方に外から攻撃が加われば、文字通り術者にそれが跳ねかえる。
加えて、内部に侵入した敵のマーキング効果も含まれているよ」
祈子さんがアタッシュケースを開けて取り出したのはかなりの重さの球体だった。バレーボール大の大きさの銀色のそれには複雑な魔方陣が幾重にも描かれている。ただの金属球ではない。
祈子さんは私にその金属球を手渡した。
「核は勾玉ですか」
「そう。中心部に黒曜石と白の瑪瑙石の勾玉が埋め込んであるんだ」
レリック、聖遺物とよばれる種類の勾玉には魔法式を保存する機能があると言われている。
魔法は基本的に術者が魔法をかけ続けなければならない。
現在利用されている地脈による発動継続術式はこれを覆す方法として注目されている。
しかし、大規模な魔法に対する実用化には程遠い現実がある。
実家では別の術式で結界を張っているが、これは門外不出の秘術であり、私も全貌は把握していない。
「まさか完成したのですか?」
「学校でお蔵入りしていた研究を発掘して、再構成しただけだよ」
簡単に言ってはいるが、とんだ機密情報だ。
なにせ学校の防衛を一高校生に任せていると言っても過言ではない。
「公表する気は更々ないよ。あくまでこの場所の防衛だ。これを作るのにも相当予算がかかったからね」
二級品とは言え、聖遺物の勾玉二つだけでも相当価値の高いものだ。
どこから出土した物かは分からないが、高校生が気軽に持つことができるものでもない。
「確かに私としても予想外の出費でしたよ」
「おや、校長先生。良くいらっしゃいました」
一高の校長、百山東
学校の防衛において、最高責任者であるこの人が出てくるとあればただ事ではすまなさそうだ。
「どんだけ術式が優秀でも結局は受け入れてもらえるかだよ。
私達はひたすらお願い申し上げるしかないんだ」
祈子さんは金の台座を実験室の中央に設置した。
「それで私が呼ばれたのですね」
この実験室のすぐ下は土だ。
基礎工事はされているが、最もこの敷地の中で深い場所になる。
一高の下にも大きな地脈が走っている。
力のある土地には土地神が住まう。そこにこの術式を受け入れて頂くようにお願いするのだ。
「春の一件以降、生徒が事件に加担する可能性も考慮しなければいけなくなりましたからね。カウンセリングは行っていますが、その網をすり抜ける者もいないわけではない」
校長は真剣な表情をしていた。この人は高等教育の権威でもあり、生徒に対する権利擁護にも力を入れている。それだけこの学校の事を考えているのだろう。
「九重さん、やってくれるかね」
「分かりました」
私は台座に玉を乗せる。この術式はこちらが発動させるのではない。
土地神様にお願いして地脈を分けてもらうのだ。
「はい。神酒」
「ありがとうございます」
精進潔斎も水垢離もできなかったので、せめて内側から清めの酒を入れる。未成年の飲酒と咎める大人はここにはいなかった。
玉の前に座ると私は目を閉じ、意識を沈めた。
目を開ければ、そこは見渡す限りの豊かな葦原だった。
【葦原の千五百秋の瑞穂の国】
穀物が豊かに実る国という意味であり、数ある土地の中でもここまで豊かな神域は現代では珍しい。地平線まで見渡せるほどの広大な場所だった。
葦をかき分け、土地神様を探す。
秋色らしく高く澄んだ青空と、金色の大地。
春に来た時も思ったが、これは探すのに骨が折れそうだ。
ガサガサと私の周りで葦が動いている。足を止めると、動いていた葦も止まる。
待ち構えていると、一斉に小さな塊が私の所に突進してきた。
それらを全て受け止め、腕の中に抱え込む。
「捕まえましたよ」
腕の中には白い子どもの狼が3匹、じたばたと動き回っていた。
『おやおや、我が子らは修行が足りないな』
音もなく、気配もなく、後ろから声が掛った。
抱えていた狼たちを放し、頭を下げ振り返った。
狼達はみな、一目散にその声の主の元へと走っていった。
「手厚い歓迎、ありがとうございます」
『うむ。腕を上げたか、イザナミの配下よ』
私の背丈以上もある白い狼がそこに座していた。
白銀の毛並みを持つ狼は嬉しそうに目を細め、甘える子狼を舐めていた。
『して、イザナミの配下、何故この地に参った』
「大神の眷属たる白狼君よ。お願いがあってまいりました」
私は視線を上げず、低頭したまま答える。
『最近ちょっかいを出している外の国の術者かね』
「左様でございます」
『それで、護りを増やしたいと』
「まことに勝手ながら、お力添えをお願いしたく参りました次第であります」
『それはこの地に災禍をもたらすあの小僧を排除するのが先ではないか』
ひしひしと怒りにもにた圧力が私の身に降りかかる。
凍てつくような風が私の肌を刺し、冷や汗が噴き出る。
『彼の者と恋仲とは酔狂な童よのう』
「人の心は儘なりませぬ。神世のころからそれは言われてきたことでございましょう」
息もできない圧力になんとか言葉を紡ぎだす。
『大人しく我らが寵愛を受ければよいものを進んで人の身に落ちるのが良いのか?』
「私は元より人の身でございます。人には人の理があります故、律を乱すわけには参りませぬ」
『人の身でありながら、有り余る力を得ることができても、それを望まぬのか?』
「人には人の時の流れと相応の身分がございます。人の身でありながら欲望のままに神々の系列に加わるなど、それこそ愚かしきことと存じます」
白狼君は立ち上がると、私の首元に鼻を近づけた。
少しでも動けば文字通り、食べられてしまう。
精神だけでこの場に来ている私は文字通り変死してしまうことになるのだろう。
じっと頭を下げたまま、許しを待つ。
『イザナミの子に手を出したとあっては、母に怒られてしまうか』
圧力が消え、頭上の影が消えた。
『毛一つと変わらぬ力だ。助力してやろう』
「ありがとうございます」
『これを持ていくがよい』
子狼が稲穂を一つくわえ、私の元に持ってきた。
両手を差し出し、それを受け取る。
『それが印だ。それを元に引き出すがよい』
「恐れ入ります」
私は再度頭を深く下げた。
『気が変わればいつでも嫁ぎ先を紹介してやろう』
クツクツと喉の奥で笑うような声だった。
「私が人の身が煩わしくなり、彼の方のお許しがありましたら、お願い申し上げます」
静かに気配が遠ざかると、意識が浮上していく感覚がした。
目を開けると目の前には術の礎となる銀色の玉。
右手に持つ稲穂をその上に置き、祝詞を述べる。
次々に口からこぼれる言葉は私の知らないもので、地脈と縁を繋ぐためのものだとぼんやりとした頭で感じていた。
刻まれた刻印が光り、玉全体に広がる。
地下からの強大な力がこちらに上がってきているのを感じ、私も力を注ぐ。
全体に力が行きわたると、球状に結界が広がる感覚がした。
手を離すと、設置された玉は神気を帯び、結界の役割を果たしていた。
上手く行ったことを確認すると、私の体は横に倒れた。
同時刻
午後からも続く視線に心配を募らせながらも美月は授業を受けていた。
姿の見えない敵とはこれほどまで恐怖を掻き立てられるのかと今日何度目か分からないため息をついた。
思うように進まない課題に何とか向き合おうとするものの、外からの視線に気が散って仕方なかった。
直接侵入してくることはないと言われていても、そうですかと楽観することもできなかった。
「え?」
だが、それも突如として終わりを告げた。
なにか、ふわりとその身を通り過ぎたのだ。
ほんの一瞬の事。白昼夢だったかのように意識していなければ気が付かないほど些細な揺らめきだ。その揺らめきのあと、煩わしい視線は一斉に静まり返った。
いつもと変わりない空気が戻っていた。
同じく教室で授業を受けていた幹比古もそれを感じていた。
以前感じた神気にも似た感覚だった。
気のせいで済ませられるほどそれは曖昧な物ではなく、その証拠に精霊のざわめきも消えた。
机の下でこっそりと術を発動し、警戒を強めるがなにもない。
そこにはいつもの学校があるだけだった。
疑問が残るまま、その日の授業は終わっていった。
知らない天井だ。そんな半世紀以上も前のセリフを思い出した。
清潔な白い寝具と少し残る薬品の匂い。
お世話になったことはないが、ここは医務室なのだろう。
身体を起こすと少しだけ頭が痛んだ。どうやらあの後、気を失ってしまったらしい。
幸いにして頭をぶつけてはいなかったようで、こぶなどは触ってみてもなかった。
カーテンに手を掛けると、そこには安宿先生と達也がいた。
「大丈夫か」
「ええ。ところで授業は?」
達也が私の鞄を持ってなぜこの場にいるのか分からないが、まだ午後の授業が残っている時間帯のはずだ。ぼんやりとする頭で時計を探せば、17時を示していた。
「・・・え?」
「もう放課後だぞ」
私が実験室に入ったのは午後1時過ぎ。それから少なくとも四時間も経過していた。
神域では時間の感覚が現世とは違うと言うが、寝ていたのも精々1時間かそこらだと思っていたがかなり時間が過ぎている。相当力を持って行かれたのだろう。
念のためにと安宿先生にバイタルを測られ、問診をされた。
ひとまず問題ないと帰って良いことになったが、きちんと休むようにと告げられた。
予想通り、簡易的なサイオン測定の結果、サイオンが少なくなっていると言われた。予想以上に持っていかれた量は多かったらしい。
ゆっくりとネクタイを締め直し、上着を羽織る。
髪を整えて、靴を履いて達也と一緒に保健室を後にした。
夕日の射す廊下を二人で進む。
皆は校門のところで待っているらしい。
「あまり無茶はするな。先生から連絡があった時、肝が冷えた」
「・・・何があったのか聞かないの?」
深雪には先輩に呼び出されたとしか言っていない。
達也には授業を抜けたことも言っていなかった。
「結界を新たに張ったんだろう。外からの術者がいなくなった」
どうやら彼には見えていたようだ。
本来であれば生徒のいない日曜日に行った方が安全だったのだろうが、春の一件もあって早めに先生方も対応したかったのだろう。
「心配かけてごめんなさい。けど、無茶はするなって達也にも言えることよ」
コンペの準備だけではなく、レリックの解析も任されている。
さらに今回の一件で産学スパイの可能性も浮上してきた。
いくら彼が人並み以上に丈夫だからといって、気が休まる時間はなくなってしまう。
「自分の事を棚に上げているのは分かっているさ」
達也は困ったように笑った。忙しさに任せて体を蔑ろにしてしまうのは彼の悪いところだ。
今回は私も無茶をしたということで、これ以上の話はなかった。
久しぶりに九人で下校することになった。
深雪には特に心配をかけたようで、私の姿が見えると真っ先に抱き付いてきた。
今にも泣きそうな深雪の背を撫でながら、落ち着かせ、ようやく帰宅となった。
達也がこれからコンペで忙しくなるため、少し喫茶店で寄り道して帰ろうということになった。
早く帰って休まなくてもいいのかという意見もあったが、十分休んだので少しくらい寄り道したところで問題はなさそうだ。
それに尾行者の視線も気になった。
式を放っていた術者とは違い、この間の女子生徒でもない。
機を窺って問い詰める気満々のエリカと西城君の誘い文句に気が付かないふりをして喫茶店、アイネブリーゼに入った。
9人でも座れるいつもの席は埋まっていたので、カウンターとボックス席に分けて座ることになった
ボックス席には私とエリカ、雫と西城君と吉田君の5人で座っていた。
達也はカウンターに座り、両サイドには深雪とほのかが座っている。ほのかの隣には美月が座っている。じゃんけんの結果、別れたので深雪は私がいないことに若干不満そうだ。
「本当に大丈夫?」
「大丈夫よ。ちょっと大きな非公開実験だったから、予想外に疲れただけよ」
機密情報も多いため、事実の大半は伏せる。
察しの良い友人たちはそれ以上の事は聞くことはなかった。
吉田君や美月などは私を見て驚いていたから、神域に触れていたことで私の雰囲気も違ったのだろう。
しばらく歓談しているとエリカと西城君がそれぞれお手洗いと電話で席を立った。
吉田君は手元から紙を出すと、筆ペンを手に取り何やら書き始めた。
堂々と私の前でやっていることから、あまり隠す気はないようだ。
「派手にやりすぎると見つかるから、ほどほどにな」
達也もカウンターから吉田君の手元を見て、これから何をするか理解したようだが止めはしなかった。
雫も相変わらずのポーカーフェイスでコーヒーに舌鼓を打っていた。
古式魔法でも監視システムには引っかかるが、そこは達也が響子さんに連絡を入れてくれるのだろう。
私がハッキングをしても良いだろうが、生憎今日は大がかりな魔法を使うだけの気力がない。
大人しく後処理はまかせることにして、少しだけ温くなった紅茶に手を付けた。